「living」
 2021 | 海老原商店(神田・東京)
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撮影:竹久直樹
《Mayumi #1》
pencil, colored pencil, Chinese ink, paper, panel
455×380(mm)
2021
《Mari #1》
pencil, colored pencil, Chinese ink, paper, panel
455×380(mm)
2021
《Mari #2》
pencil, colored pencil, Chinese ink, paper, panel
455×380(mm)
2021
《Mari & Mayumi》
pencil, colored pencil, Chinese ink, paper, panel
455×273(mm)
2021
《Mayumi & Rhapis humilis [棕櫚竹]》
pencil, colored pencil, Chinese ink, paper, panel
910×606(mm)
2021
《Two Seas》
pencil, Chinese ink, paper, panel
455×333(mm)
2021
《Look at me, Mayumi》
pencil, colored pencil, Chinese ink, paper, panel
220×273(mm)
2021
《Look at me, Mari》
pencil, colored pencil, Chinese ink, paper, panel
220×273(mm)
2021
《She doesn't cry (anymore)》
pencil, Chinese ink, paper, panel
333×242(mm)
2021
《Tulip》
pencil, Chinese ink, paper, panel
220×273(mm)
2021
《Inculturation #2》
pencil, Chinese ink, paper, panel
270×220(mm)
2021
《Winter berries》
pencil, Chinese ink, paper, panel
140×180(mm)
2021
《Face》
pencil, colored pencil, Chinese ink, paper, panel
220×273(mm)
2021
東京都神田にある海老原商店での展示。海老原商店は1928年(昭和3年)に建てられた、ファサードや採光のための吹き抜けなど「看板建築」様式の要素が数多く用いられてる木造二階建ての商店兼住居。「Pilgrims」(2016)頃から古い資料や写真をもとに、自分の記憶や経験、フィクションを織り混ぜながら(割合は様々)制作するようになり、今回もまずはじめに現当主の海老原義也さんからご家族や建物にまつわるお話を伺い、海老原家に代々受け継がれている家族写真や資料を見せてもらった。
その日、2階の奥、道路側の部屋には座卓が出ていて、海老原さんが用意してくれた写真アルバムや文献資料が広げられている。畳に座る。海老原商店を紹介してくれた「NPO都市住宅とまちづくり研究会」の島田さん、アートアンドリーズンの佐々木さんと一緒にそれらを読む。海老原商店の周辺は近年建て替えが進んでいて、正面には真新しいビジネスホテルが建っている。それは2階の唯一の窓からもしっかりと見えるのだけど、畳に座ると角度がついて見えなくなる。ここは神田で秋葉原駅近く、すぐそばを首都高が通っているとは思えない、暖房の運転音だけが聞こえる静かな部屋。初めて訪れたときから居心地が良かった。居住空間としての造られ方をしているのだから当然と言えばそうなのだけど、わたしにはそれ以上の愛着のような気持ちをこの空間に感じていて、その理由を制作のあいだ、ぼんやりと考えていた。
思い出したことからひとつ。
わたしの実家は2013年頃に建て直したのだけど、それ以前は築40年近い、こぢんまりとした木造2階建ての一軒家だった。赤い瓦屋根が高架を走る電車から見えたことを覚えている。小さなガレージがあって、その横の小さな階段を昇ると玄関がある。ガレージは天井高が低く、わたしが幼稚園に通っていたくらいの頃に父がオペル・アストラを購入したときはそれを入れるために天井のコンクリートを数センチ、父がこつこつ削っていた。月日が経ち、車を手放したあとは自転車置き場になっていたのだけど、しばらく使わないままにしてるとハンドルやサドルにコンクリートの粉がうっすらと積もっていた。
その小さなガレージの上は小さな庭。1階に小さな和室と小さなリビング、奥に小さなキッチンと風呂場。とにかく全てが小さい。風呂は正方形で深い形。大人一人が両膝を立てて座ってちょうどの大きさ。家の中央に階段があり、2階には和室と物置、洋室がひとつ。
家族四人が暮らすには狭く、頼りなさのある家だった。体重のある父が階段を昇り降りするとミシミシと音を立てて軋む。2階に置いてある箪笥やクローゼットを1階に移したほうがいいんじゃないか、2階で思い切り飛び跳ねたら床が落ちるんじゃないかと、家族はよく冗談めかして話していたけれど、皆どこか本気で心配していたと思う。
元々は祖父が建てた家だが、退職後かなにかのタイミングで祖父は生まれ故郷の熊本に移住し、父が東京のこの家を引き継ぎ今に至る。父と素直に話せるような関係が築けないまま今に至るため、父が父になる前の話はほとんど聞いたことがない。だから父がいつからこの家に住んでいるかもわからない。妹と住んでいたようなことを言っていた気もする。2階の洋室は父の書斎だった。書斎と言うと聞こえが良いけれど、大量の本と書類が床から机の上まで積まれていて、どこになにがあるのかもわからない、なにかをするスペースもない部屋だった。弟が高校生になる頃に書斎は開放され、弟の部屋になった。わたしもいつからか1階の和室を割り当てられたのだけど、扉が鍵のかからない引き戸だったこともあり、弟ほどは自室という意識は持っていなかった。
この和室はわたしが産まれてからしばらくはリビングとして使われていて、キッチン横のリビングに大きなテーブルセットを購入するまでは、この和室にテレビと座卓を置いていた。この座卓で幼稚園の卒園アルバムに載せる自分の似顔絵を何度も描き直させられたことをよく覚えている。テレビではセーラームーンが放送されていて、わたしはテレビを見たいから早く済ませたかったのだけれど、母がなかなか許してくれない。なぜ自分の似顔絵なのに、母の描いた見本通りに、母に納得するように描き直さなければならないのか。子供ながらに理不尽さを感じた出来事だったが、母は全く覚えていないと言う。

寺本愛 "living"
会期:2021年12月4日 - 12月19日  ※金、土、日のみ開催
場所:海老原商店(東京都千代田区神田須田町2丁目13)
協力:海老原商店を活かす会、NPO都市住宅とまちづくり研究会、島田信弘建築設計事務所