少し前の日記を少しずつ更新しています
2023年8月19日
小豆かぼちゃについて調べていたら、初潮を迎えた日に赤飯を炊くというのが、本来は祝い事という意味だけではなく、小豆が腎やホルモンバランスを整えるという効能から健康を願う意味で行われていたと書かれていたのを見つけ、なるほどと思ったけれど、そういう中医学的な食物の捉え方は日本にはいつごろ入ってきたのだろう。そしてどのくらい庶民にまで広まっていたのだろう。単に祝い事としての赤飯、でもありそうだけど。そもそも小豆っていつから日本で栽培されているのだろう。稲作みたいに伝来したのだろうか。スーパーに並ぶのは北海道産がほとんどのような気もする。小学生の夏休みだったら今年の自由研究は小豆にしていると思う。
小豆かぼちゃのレシピを紹介しているのは大体マクロビオティックを実践している人が多い。マクロビオティックには「健康食」くらいのぼんやりとしたイメージしかないのでWikipediaで少し読んでみると、元々日本の思想家が提唱したもので、「マクロビオティック」と名付けられて逆輸入されたものらしい。玄米菜食が中心でいろいろとストイックで、少し前に参考にしていた中医学的食養生とはまたちょっと違うみたい。しばらく触れていないのでだいぶ知識が朧げだけど、中医学は別に玄米至上主義ではないし、(消化に悪いという側面もあるから、胃腸が弱っている時はお粥の方がよいみたいな考え方だった気が)肉もちゃんと意味づけられていたような。いや、でももういろいろ違うかも…なにか1冊ちゃんと読みたい。
-
《朝》
・納豆、小ネギ、卵、酢、麦ご飯
・小豆かぼちゃ
・「一日分の野菜」
《昼》
セブンイレブンのおにぎり
《夜》タンネで中間発表会
・ビールと生春巻
・終わった後Kさんのお兄さんがつくってくれた高菜チャーハン
中間発表会、お開きになった後もしばらく話して23時過ぎに解散。0時半帰宅。疲労困憊でくるみパン食べた…
2023年8月18日
《朝》
・納豆、小ネギ、海苔、卵、酢、麦ご飯
・小豆かぼちゃ
《昼》
・キャベツと玉ねぎとツナのコールスロー
・小豆かぼちゃ
《おやつ》
塩おにぎり
《夜》
・納豆、小ネギ、海苔、卵、酢、麦ご飯
ひきわり納豆に小ネギたっぷり+お酢がものすごくおいしい。色もかわいい
・キャベツと玉ねぎとツナのコールスロー
・小豆かぼちゃ
・梨
2023年8月17日
《朝》
・納豆、卵、酢、麦ご飯
・「一日分の野菜」
《昼》お弁当
・おにぎり
・キャベツと玉ねぎとツナのコールスロー
《夜》
・納豆、小ネギ、酢、卵、麦ご飯
・キャベツと玉ねぎとツナのコールスロー
・梨
・小豆かぼちゃ
小豆1カップ、かぼちゃ直径20cm1個、水4カップ、昆布5cm片、塩小さじ1
①昆布は細かく切る。小豆と水と昆布を鍋(大きなフライパン)に入れて蓋をせず強火。沸騰に小豆がぐらぐらしたら中火で10分、そのあと弱火で1時間以上、小豆が柔らかくなるまで煮る。小豆が崩れるのでかき回さないこと。途中水が減るので、小豆から1cm上くらいまで水を出す。それを3回くらい繰り返す。わたしは弱火すぎたのか1時間半くらいかかってしまった。蓋をしないレシピが多かったけど、どういう意味なんだろう。蓋閉めたらもっと短時間で柔らかくなると思う。圧力鍋がほしい。
②小豆を炊くあいだにかぼちゃを2cm角に切る。
③小豆が柔らかくなったら塩を入れて軽く混ぜる。小さじ1/2くらいでも良さそうな気もする。
④かぼちゃを入れて蓋をし、柔らかくなるまで煮る。30分くらい。
当初かぼちゃ1/2量で作ったけど、水分がまだ多かったので、かぼちゃだけを取り出し、残りのかぼちゃも追加で煮た。タッパー2個分できた。かぼちゃと小豆の自然な甘みがおいしい。冷やして食べると優しいおかしのような。気分を変えたい時はきなこかけたり、もっと甘みがほしいときはレーズン混ぜてもよさそうな気がする。
2023年8月16日
制作。家でも4枚同時進行しているけれど、下地材に昔購入していたアブソルバンを使用したところ、画面がツルツルして絵具が染み込みづらく描きにくい。タンネでの下地の作り方のほうが絵具が染み込む。Oくんも確かそう言っていた気がする。下地の作り方はこの前教えてもらったので、今度パネル買ったらその方法で作ろうと思う。揮発油もペトロールのほうが黄変しないという点で買ってみたけどテレピンのほうが使いやすいような気がする(下地の問題?)。いまのペトロールを使い切ったらテレピンにしてみようかな。
-
《朝》
・納豆、ご飯
・摘果きゅうり マヨネーズで
《昼》
近所のパン屋
《夜》
・スーパーのお惣菜
カボチャサラダ(生クリーム添え)とポテトたまごサラダ(ベーコン添え)とトマトの冷製パスタが1セットになってるデリ風「サラダ」と打ち出しているけどサラダではない、堂々の500カロリー越え。悔しいけどおいしい…
・キャベツと玉ねぎとツナのコールスロー レシピは「週末の作り置きレシピ」参照。
最近パンや市販のお菓子をよく食べたので、身体のためにそろそろまた食べない期間を設けないとなあと思う。パンというものはなぜあんなに美味しいのだろう。ほんとうに中毒性がある。砂糖も。
先日はビタミンを摂ろうと思い、お昼ごはんとして「ビタミン野菜」を三日連続飲んだけど、糖質過多な感じがした。「一日分の野菜」なら飲んだ感じは悪くないのだけど。あと職場で小腹が空くので飴を買ってみて、なるべく変なものが入ってないという理由で黒糖の飴を選んだけど、これも食べると血糖値が急激にあがる感じがして、頭がぐわーっとなる。たぶんあまり合わない。
とりあえず月末まではグルテンとお菓子、チーズやヨーグルトなどの乳製品を控える。甘いものが食べたくなったら果物食べる。最近は梨も並び始めてる。今回カフェインは職場で紅茶1杯くらいは許してみる。コーヒーも外で飲む機会があれば良しとする。
小豆かぼちゃという料理も知ったので作ってみよう。
多分自分のやってることは「マクロビオティック」と呼ばれるものにも一部被るけど、そこまでのストイックさは持てないし、この先もバーガーキングやマクドナルドに行くと思う。
時々パンやお菓子、脂っこいものや香辛料たっぷりなものを食べても身体の調子が崩れない身体になりたい。私の場合、ひとりの自炊はおいしい食事を作るというよりも養生の意味合いが強いかもしれない。
2023年8月15日
多和田葉子『言葉と歩く日記』より、東京についての一節。
「東京はわたしにとっては、重箱入りのおせち料理のようにおとなしい。下町、山の手、多摩の三段の重箱の中が更に綺麗に仕切られている。おかずはどれも似たような出汁と醤油の味がしている。」
-
東京都美術館のマティス展へ。油絵を描き始めたことで、自分の絵の見方というものが本当に大きく変わったと思う。序盤に展示されていた《ホットチョコレートポットのある静物》や《豪奢Ⅰ》《金魚鉢のある室内》あたりがとくに面白かった。《豪奢Ⅰ》は人物の向きを検討している2枚のラフも見れてよかった。採用した方は奥の女性がラフの時点でいい感じで、こっちにするよね~と思った。晩年になるにつれて黒の主線+色をパキパキ配置するようになってからはあまり興味が持てなかったけど、油絵を描いていなかったらこちらのほうが自分は面白がっていたと思う。建物から神父が纏うローブまでマティスが全て手がけた教会も行ってみたい。あとで東京パリ間の航空券を調べるくらいには惹かれるものがあった。
ただ、「ヨーロッパの街並み」「白人女性」「裸婦」をアジアの東端の国に住む「アジア人」「女性」が見ることについては、「考える」と言うほど深く考えてはいないが、思うことはあった。
マティス展のあと、コンビニでペンを買って仲御徒町のドトールに行く。マティス展で買ったポストカードにメッセージを書いて、近くの郵便局から発送した。展覧会で買ったポストカードをちゃんとポストカードとして使ったのは初めてかもしれない。
そのあとタンネ。マティス後ということもあり筆がのって4枚進められた。内容も手ごたえあり。
-
《朝》
・納豆、酢、卵、ご飯
・「一日分の野菜」
《昼》
・ドトールのミラノサンド(エビとサーモンとカマンベール) なぜ「ミラノ」サンドなのだろう
・アイスコーヒー
・「一日分の野菜」
《夜》
タンネで食事会
《おやつ》
チョコモナカジャンボ
2023年8月14日
昨日仕事が早上がりでいつもより2時間早く帰った。今日は絵を描くぞ、と思ったのに結局2時間早く寝た。お風呂入ると気が抜けてしまう。しかしお風呂は健康のためにじっくり浸かりたい、でも心身共にとてもリラックスしてしまう…。
-
《朝》
・納豆、酢、卵、ご飯
・「一日分の野菜」
・スイカ
《昼》お弁当
・おにぎり
・ゆで卵
・「ビタミン野菜」
《おやつ》
・生黒飴
・スイカ
《夜》
・摘果きゅうり(売ってた!) たれ:マヨネーズ大さじ2、麻辣醬
麻辣醬はカルディで売っている、小さい瓶のやつがすごく好き(「食べる麻辣醬」ではない)麻婆豆腐もこれ+豆豉でつくるとすごくおいしい。
・トマト
・あら汁(終)
・生卵、ごはん
2023年8月13日
《朝》
・納豆、卵、ご飯
・野菜ジュース
・バナナ
《昼》お弁当
・おにぎり
・ゆで卵
・「ビタミン野菜」
《おやつ》
・生黒飴
・スイカ 一口大に切って冷やして、お風呂上がりに食べたら幸せだった
《夜》
・鶏肉と野菜(キャベツとしめじ)を焼いて、中華風ねぎだれをかけた
お肉が食べたくなって鶏肉を買う。キャベツは悪くないがしめじが余計で、たれとも噛み合ってない。キャベツとしめじを一緒に食べるには、ふたつを強く絡み合わせるなにかが必要なのかもしれない。首を傾げながら食べた。
ねぎだれの今回の配分は、胡麻油大さじ1、黒酢大さじ1/2、しょうゆ1/2、水大さじ2、中華だし小さじ1/4、すりゴマ大さじ1と1/2、小ネギたっぷり。悪くはなかったけど、別に水入れなくてもよかったかも。黒酢推したいなら大さじ1でもいいかも。小ネギはたれに混ぜず散らしたほうが色がきれい。
・トマト
・ごはん少し
2023年8月12日
《朝》
・納豆、卵、ご飯
・野菜ジュース
・バナナ
《昼》お弁当
・おにぎり 5色の野菜の混ぜごはんの素使用。色合いがかわいい。味も好み。
・ゆで卵
・「ビタミン野菜」
《おやつ》
生黒飴
黒飴の中にそのまま黒糖が入っていておいしい。
《夜》
・焼き野菜(キャベツ、トマト、しめじ)温泉卵のせ
やっぱりキャベツがこの調理法に向いてない。キャベツ臭さが強くておいしくない。スモークパプリカパウダーをかけてみたけど全く噛み合ってなかった。はっきりと失敗した。
キャベツに短時間で火を通したいならある程度刻んで、そしてソースは強めの方がいい。胡麻油+醤油+小ネギみたいな。前もそうして食べておいしかった。小ネギがあるから明日はそうしてみようかな。今回みたいな調理法&塩胡椒ではキャベツの臭みに負ける。もしくは先日作ったコールスローのように塩揉みしてから茹でて絞る。そうすると臭みがとれてキャベツの甘くていいところだけ残る。
・あら汁
まずくはないけど、すごくおいしいわけでもない。しかしまだあと1食分ある…。今日の晩ごはんは残念なものになってしまった。
・ごはん
2023年8月11日
数日前から違和感があったけど、今朝起きたら本格的に腰痛になってしまった。痛い。まだどの姿勢までが痛くなくてどこから痛くなるのか境目が把握できないので、ゆっくり少しずつ動く。ゆっくり少しずつ畳にダニアースレッドの注入口を差し込んで3秒噴射して抜いてを1畳につき6箇所、計36箇所繰り返した午前。
直接的な原因は変な姿勢で寝たからなのだけど、時間の問題だったと思う。あまりにも運動をしていない。ジムに通っていた頃と比べると身体の踏ん張りが効かない。しかしもう毎日やることが多すぎて("毎日やることが多い"というワードが出るときは調子が悪いとき)、生活に筋トレというまたひとつ「やらなきゃいけないこと」を増やすと思うと、もういっぱいいっぱいになってしまう。
掃除や洗濯、料理、そして自分の身体のケアで一日が終わる。制作が思うように進められない。ニキビも化膿していて気にしないようにしても気持ちは引っぱられる。
体調不良と制作がうまく進まないことで午前中は気持ちが落ち込んでいたけど、夕方にタンネに行って油絵を進めたらちょっと回復する。
-
Kさんに帰り際「アクの強いTシャツを着てますね」と言われる。今日は函館のサンドイッチ屋「HOTEIYA sandwich stand」のHさんの顔がセピア調にプリントされたTシャツを着ていた。たっぷりと髭をたくわえていて、頭は坊主頭。目の部分は四角く黒塗りされていてとても怪しいが、本人はとても気さくで優しい。オーバーサイズのTシャツは今日みたいな顔の調子が悪くむくんでいるように感じる日や、気持ちを大きく強く持ちたい時に着るとしっくりくる。今日はぴったり。
-
《朝》
・納豆、卵、ご飯
・野菜ジュース
《昼》マクドナルド
チキンクリスプ
《おやつ》いろいろ食べ(させてもらっ)た
・ロッテのマカダミアナッツチョコ残り半分
・Kさんからもらったあんみつ
・Iさんからもらった松本土産のお煎餅みたいな飴
《夜》
・焼き野菜 温泉卵のせ
キャベツ、トマト、しめじを焼いて、レンジでつくった温泉卵(わずかに白身が固まった状態の卵。レンジ卵?)のせて粉チーズと塩胡椒振りかけた。野菜たっぷり。キャベツはやっぱりレタスよりも時間かかる。ほんとはオーブンで焼いたほうが良いだろうな。芯はまだ青臭さが残ってた。
・ブリのあら汁(まだまだある…)
2023年8月10日
8時間寝たら寝起きの身体が軽い。頭もすっきりしている。毎日8時間寝たい。久々に口元にニキビができた。対処しつつ、気にしないようにがんばる。
-
《朝》
納豆、卵、ご飯
《昼》お弁当
・コールスロー
・ゆで卵
・わかめおにぎり
《おやつ》
ロッテのマカダミアナッツチョコ半分
《晩》吉野家
・ネギ塩豚丼
・野菜サラダ
ネギ塩豚丼、ものすごくしょっぱかった。舌がひりひりした。牛麦とろ丼にすればよかった。吉野家は行く度にサラダの仕様が変わっている気がする。今日はプラスチック容器だった。千切り野菜を入れた状態で冷蔵庫にストックし、提供直前にレタスを数枚のせてフレッシュ感を演出していた。
いつかミスタードーナツでイートインを利用した時も、いつの間にかドーナツをのせる皿を廃止したらしく、トレーに紙ナプキンを広げてその上にドーナツを置かれた。そんな、と思ってしまった。ドーナツのかわいさが半減している。皿では無くトレーをなくせばいいのではと思った。それだとドリンクと一緒に提供できないか。皿提供のコストってどのくらいなんだろう。皿に乗ったドーナツとトレー直置きのドーナツの差は大きい。ファストフード感が強くなったけど、ドーナツのイメージはもっと穏やかなひとときに大切に食べるものでは。ミスタードーナツはドーナツのことどう考えているのだろう。
2023年8月9日
油絵制作。何度も挫ける。イメージが浮かぶなんてこともない。とりあえずいろいろ試してみるしかない。外は昼前から土砂降りと晴天を繰り返していて、焦りもありやかましく感じる。BGMに流していた甲子園の中継も余計だったかもしれない。精神的なものか天候のせいか空気が悪いのか頭痛。
-
《朝》
納豆、卵、ご飯
《昼》
・ブリのあら汁
昨夜作った。出汁ではなく水で煮て、具もブリと長ネギのみで作ってみたら単調な味になってしまいイマイチ。やっぱり血合いとって熱湯をかけて、出汁と煮るのが良い気がする。最低限大根と長ネギはほしい。
《おやつ》
アイス、パッションフルーツ
《夜》
・キャベツとコーンのコールスロー
レシピは作り置きするときによく参考にしているwebサイト「週末の作り置きレシピ」参照。コールスローはキャベツを塩揉みして作るのが一般的なような気がするけれど、このレシピは軽く塩揉みしたあと熱湯でさっと茹でるので、キャベツが甘く柔らかくなり、見た目も色鮮やかで良い。ぎゅっと水分を絞れるので作り置きしても水っぽくならない。
これをマヨネーズ少なめ、オリーブオイル少なめ、お酢多めでつくる。「週末の作り置きレシピ」は全体的に少し味が濃く感じるので、少し油と塩分は抑えるくらいがわたしにはちょうどいい。キャベツ1/2量作ったけどおいしくて半分以上食べた。
・だだ茶豆
・ビール
2023年8月8日
6日から豊田に2泊して今日帰る。昨日は朝から車で出かける。パン屋で朝食にし、「君たちはどう生きるか」を観て、鞍ケ池公園に行き(いいところだった)、最終的にスーパー銭湯で4時間ほど過ごした。映画見る前にゲームセンターで時間を潰したり、公園併設のスターバックスでフラペチーノを初めて飲んでみたり、とても「デート」な日だった。スーパー銭湯は初めて岩盤浴もした。サウナはテレビが主張してきてどうでもいい情報に触れるのが苦手だったけれど、岩盤浴はテレビが無く静かなヒーリング音楽が流れるだけなのでかなりよかった。
展示も観た(3回目)。川角さんの絵、良いなあ。見る度に新しい気付きがある。遠くの山、コンクリートの法面、流れ星の淡い光。自分には感覚できる色が本当に少ないと痛感する。もっとささやかな色に反応したい、色に目を開いていきたい。
コレクション展の堀尾昭子もあらためてゆっくりと観た。若い頃と最近の作品の、違いと共通するもの。最近理由をつけて全然制作できてなかったけれど、豊田から帰ったら作らないとだめだもう。あっという間に8月も過ぎる。
-
最近、自分の体型のことを考えずにいられていて良い傾向。たくさん食べたら太る、食べなければ痩せる、だけど食べなさすぎると太る。体型への認識はそれくらいでいい。この数日はよく食べたけど、またいつも通り過ごしていれば気にしなくていいだろう。
-
函館に行くくらいから多和田葉子の『言葉と歩く日記』を少しずつ読み進めている。
1月28日の日記の「駄目」という言葉についての文章はそのまま心に留めておきたい。「自分はなんて駄目な人間なんだろう」という紋切り型は「瘡蓋」のような文章と多和田さんは言っている。
「これはいつか傷つき、もう血は流れていないのだが、瘡蓋をはがすとまた血が流れるので、いつまでも死んだ肌に過ぎない瘡蓋文にしがみついている。(P60)」
「でも瘡蓋には流動性がない。(中略)考えるという動きから出て来たものではなく、考えることをやめた結果残ってしまった物質なのだ。/文章を物質として見る。単語一つ一つを物として観察する。単語は自分の心が外に溢れ出したものだと考えるのは思い込みで、単語はわたしの生まれる前から存在し、独自の歴史を持ち、わたしが死んでも全く悲しまずに、存在し続けるだろう。(P61)」
それから「駄」の意味と「駄目」という単語についての多和田さんの思うことが書かれている。母が子供に「あなたはそれに触ってはいけません」の意味で言う主語動詞のない「駄目よ」。「試験に落ちた」は主語の「わたし」が引き受けられる(また挑戦できる)が、それを「駄目だった」と言う。
「でも「駄目」はべったりしていて、立体感がない。(中略)こんなべったりした言葉で子供の時から駄目駄目世界を生きてきて、最後にはその人間が駄目ということになってしまったら、もう自殺するしかない。これは日本語が悪いのではなく、日本語の使い方が平面的過ぎるのではないかと思う。」
2023年8月5日
仕事後に盆踊りに行った。この日は松戸の花火大会もあり、遠くから花火の音も聞こえてる。会場の小学校に行くと校庭の中央に櫓が建てられていて、赤い提灯で櫓の周りは真っ赤に光っていた。老若男女が浴衣や普段着で踊っていた。踊っている人の振り付けを真似すれば誰でも踊れる。わたしも踊った。台風が近づいていて風が強く、校庭の白い砂が全身にかかって髪はちりちりし、肌もざらざらする。花火は途中で中止になったとアナウンスが流れる。
盆踊りの周りでは地域のスポーツチームが露店を出し、大人はビールに並び、子供は焼きそばやヨーヨー釣りに並んでいた。踊らない子供たちはヨーヨーを振り回して駆けっこしてた。
-
《朝》
・納豆、生卵、わかめのふりかけ、麦ご飯
・バナナ
《昼》お弁当
・サルサ
・ゆで卵
・わかめおにぎり
・クリーム玄米ブラン(1袋)
《おやつ》
・クリーム玄米ブラン(1袋)
《夜》
・サルサ
・枝豆
・メンチカツ(スーパーの惣菜)
2023年8月4日
まだ気持ちが落ち込んでいる。仕事の依頼があったけど条件が合わず断ったことも影響している。9時頃起き、家事を少し進めたら和室で横になって茫然とするのを昼過ぎまで繰り返す。
頭がいろいろなことを考えようとするから、もう好きなだけ思い巡らせたり、ぼんやりしたり、寝たりする。わたしの意思は捨て、頭に好きなようにさせる。そうすると重く淀んでいた心が少しだけ軽くなった気もする。外に出たくない気持ちだったけれど、なんとか奮い立たせタンネに行く。
15時から19時までタンネで油絵を描く。今日は一人で過ごした。帰りにマツモトキヨシに寄って先日のピルの処方箋を出し、最寄駅に着いて家までの帰り道で、なんとなく心が平常に戻りつつある感じがした。
帰宅したのが21時くらいで、それから晩ご飯の準備をして、Sさんに数日ぶりに電話をする。元気を取り戻した気がする。
-
《朝》
・納豆、生卵、わかめのふりかけ、麦ご飯
・ヨーグルト、メープルシロップ
・バナナ、パッションフルーツ
《昼》
・マクドナルドのスパイシーベーコンポテトパイ
具がゲル状でベーコンでもポテトでもなく、しょっぱさと辛さが主張するよくわからない食べ物だった。ベーコンポテトパイってこんなだったっけ。スパイシーだから?
宇宙食開発が「2001年宇宙の旅」の食事みたいなゲル・ペースト状方向に進んでいるとして、しかし揚げたてのサクサク感だけはなんとしてても残したいと試作を重ねている、という背景で食べると楽しい。
《夜》
・ピーマンの肉詰め(終)
・えのきの黒ナムル(終)
・ミニトマト 氷水でしっかり冷やして、水を切って氷と一緒に盛り付けた。それだけなのにとてもおいしい
・枝豆 自分で茹でるようになってから枝豆ばかり食べている
作り置き
・サルサ(ピーマン、トマト、玉ねぎ、レモン果汁、塩、胡椒)
《おやつ》
バニラアイスにパッションフルーツをかけて食べた
いつもは我慢してヨーグルトにかけて食べてたけど、やっぱりアイスとの組み合わせは格別
2023年8月3日(今日から8月の間は毎日の食事を記録してみることにする)
函館滞在で頑張り過ぎた反動と、数日前の電話によってとくに昨日から気持ちの調子が悪い。あと息詰まり感。こういう状態になるたびにカウンセリング行ってみようかなと調べ、しかしこの気持ちのぐちゃぐちゃを人に話す形にする気力もわかず、話したところでという気持ちもあるし、もうとにかく誰も構わないでほしい、ひとりで心静かに過ごしたい(あんなに函館で一人でいたのに)という混乱。
出来事どうこうではなく、わたしのこの何かあるたびに心が動きすぎることをどうにかしたい。自分の心の揺れ動きに自分が耐えられていない。
嬉しいことにも悲しいことにも大きく揺れてしまうから、必ず反動がくる。その度に疲れる。こんなこと繰り返して生きていくのはつらい。嬉しいことも悲しいことも同じように、心の揺れを抑えて受け止めたい。どうしたらそうなれるんだろう。これをどうにかしない限り、嬉しいことまで重荷に感じてしまう。生活も、人と何かすることも、何かをつくることも。
-
《朝》
・納豆、生卵、麦ご飯
・バナナ、ヨーグルト、メープルシロップ
・野菜ジュース
《昼》お弁当
・ピーマンの肉詰め シシカバブ風
ずっと興味のあったスモークパプリカパウダーを購入し肉だねに使用。
豚ひきにく250g、玉ねぎ1/2、粉チーズ大さじ2、クミン小さじ1/2スモークパプリカパウダー小さじ1、塩1/4、胡椒ガリガリ
すごくおいしい。ピーマンの肉詰めというとても家庭的な献立だけど、お外の味がする。ピーマンの肉詰めっていまいち「これだ!」という味を見つけられてなかったけど、シシカバブ風はかなり良い。昨夜の作りたてもおいしかったけど時間をおいてもおいしい。粉チーズが効いてる。
ピーマンにかぶせるように肉を詰めるのではなく、ピーマンをヘタ側とおしり側の2つに分かれるように切ってコップみたいにして、そこに肉をぎゅうぎゅうに詰めたので、その密度もシシカバブに近くて良かったのかも。
・えのきの黒ナムル
見切り品のえのきが3袋100円だった。ちょっと状態が悪いので、黒酢で強めに味付けしたらいい感じに。えのきと黒酢はそれぞれくせ強めの匂いなので相性良いかも。黒酢・黒ゴマを使ったので黒ナムルと名付ける。
・わかめおにぎり
・SOYJOY(フルーツ&チーズ)
《夜》
・納豆、生卵、麦ご飯
・ピーマンの肉詰め
・えのきの黒ナムル
2023年8月2日
子宮頸癌検診、超音波検査、乳がん検診(エコー)する。子宮頸癌と乳がんは市の助成で安く受けられた。こういうことを日記に書いておけば、あとから「いつ検診受けたっけ」と思っても検索できるから良いかもしれない。
胸のエコーはくすぐったさと骨が当たる部分の痛さでとにかく時間を過ぎるのを祈っていた。前にも別の病院でエコー検査をした記憶があるけれど、集団検診だったからか1分もかからなかった気がする。今回は5分くらい、じっくりと診てくれた。わたしがくすぐったさに一度笑ってしまって、気まずさに「くすぐったくて笑っちゃいました」と女医さんに話しかけたらはっきりとスルーされて、より信頼の気持ちが湧いた。
子宮頸癌はやっぱり感触はよいものではないので、夜までぼんやりとした気持ち悪さを引きずってしまった。単純に猛暑にやられているだけな気もする。子宮頸癌検診も乳がん検診も、前回はここまで辛くなかった気がする。なんだろう、年齢だろうか。でも検診は行ったほうがいい。
いつもピルを処方しているクリニックでの検診だったから、ついでにピルの処方箋も出してもらえたのはよかった。検診の準備中に看護師さんが「最近蝉の鳴き声聞かないですよね」と雑談をしてくれるのもほっとする。こういう検診は今日みたいにかかりつけのクリニックでやるのが一番良いなと思った。
2023年7月31日
帰宅。疲れた。29日くらいまでは大家さんと寿司を食べた以外はストイックにDIYをして、夕方ついに息切れした。作業を切り上げ、大町改良住宅の広場でGさんとYさんがイベントをしているのを終了間際に覗きに行ったらもう撤収作業をし始めているところで、出店者達が集まって談笑しているところだった。クレープ屋さんからクレープのお裾分けをもらい、食べながらYさんが最近仕事で長澤まさみに会った話を聞いた。家の近くのクラフトビール屋も出店していたのでIPAを一杯購入して、飲みながら海のほうに歩く。赤煉瓦倉庫街からちょっと離れたところに屋根付きのいいベンチがあって、観光客もあまり来ない。そこで一息ついて、やっと「休暇」をしている感じがした。Instagramにも投稿するか…という気分になる。飲み終えてハセガワストアで追加のビールとやきとり弁当を買って、ベンチに戻って晩ごはんにした。
昨夜も同じ場所で4時間ほどいた。途中寝てた。始まりはセイコーマートに段ボールを回収してもらいに行ったついでにビールとカルパスを買って行く。そのあとお腹が減って、ハセガワストアでやきとりとパイの実トリュフカマンベール味、そのあとさらにお腹が減ってラッキーピエロでのり弁を買って食べた。数日分の疲れとストレスと解放感で完全に食べ過ぎている。缶ビール4本飲んだ。帰りにコンビニで水とヨーグルトアイスを買い、深夜はSさんとの電話でぐちゃぐちゃに泣いて寝た。
2023年7月26日
津軽海峡を函館に向かうフェリー内でこれを書いている。
昨日仕事後に家に戻り身支度をして出発し、バスタ新宿から深夜バスで青森港フェリーターミナルへ。22:20発で翌9:25着し、10:00発のフェリーに乗船する。植物の自動給水装置の設置に手間取り危うく乗り遅れるかと思った。一瞬キャンセル料金を調べた…。
深夜バスを初めて使った。高速バス自体、先日の豊田→東京が初めて。きっと一般的にはみんな学生の頃に経験するものだと思うけれど、その頃のわたしは車酔いの恐怖が強く、時々利用していた鷹の台~大学間の路線バスでさえも酔っていたので、バスでの長距離移動など考えられなかった。サークルのスキー旅行の行きのバスでも吐く一歩手前だったことを思い出す…。
でも最近になってだんだんと、根拠はなしにバスに乗れるんじゃないかと思い始めて、豊田~東京の昼のバスに乗ってみたら酔わなかった。路線バスと違って高速道路を走るので揺れないことと、座席が快適であれば大丈夫みたい(首は痛くなったのでネックピローは必須だと思う)。大手町着なのでそのまま千代田線で松戸まで一本で帰れるため、東京駅の雑踏にまみれずに帰れることもよかった。
そうは言っても深夜バスはちょっと緊張したし、寝れたと言えば寝れたけど、熟睡3割、半覚醒4割、覚醒3割な感覚なのでそれなりのキツさはあるなという感じ。青森駅到着後フェリーターミナルまでの道中は乗務員がカーテンを開けてくれて、車窓から見える青森の街並みを見て、はるばる来たなあと感慨深い気持ちに。
あまり寝られなかったのは喉風邪気味だったこともあるかも。こまめに水を飲み、一晩で龍角散ダイレクトを5本ほど服用。口内をすっきりさせたくてガムを噛み、そのまま寝てしまったら夢を見た。夢の中では友人らしき男性グループと一緒にバスに乗っていて、夢の中でもわたしはガムを噛んでいて、何度もティッシュにくるんで出してもずっと口内にガムが残っているという悪夢。実際に口に含んでいるからなのだけど。目が覚めると異常に唾液が分泌されていた。
フェリーで函館まで3時間40分ほど。一番安いスタンダード(雑魚寝)を予約したけれど、窓際の無料のカフェスペース?が居心地がよくてそこでPCを開いて過ごしている。作業机の脚用のソーホースブラケットをAmazonで購入したので、脚の長さを計算したり、今日明日の予定を整理したり、この日記を書くなどして過ごす。
-
フェリーターミナルからバスに乗ってラビスタ函館前まで行く。レンガ倉庫街を抜けてシェアハウスに行く前にご飯を食べようとラッキーピエロに寄る。ラッキーピエロに来るのは2回目なのでご飯物を食べようとオムライスにしたけれど、ものすごく薄味で量がものすごく多い。ご飯、1合半はありそう。朝ご飯を食べてなかったからなんとか食べ切れたけれど、意味なくお腹をいっぱいにしてしまった気持ちになり少し落ち込む。だけど食器の返却口で、店員のおばちゃんが手の届かない位置にあるグラスをトレーで自分の方へ引き寄せようとしている場面に出くわし、グラスをおばちゃんの方へ置き直してあげたら「あら~ありがとうございますうふふ」と言われるやりとりがあったので全てよし。
2023年7月23日
美術関係の本を久々に読んでいるが、数ページで疲れてしまう。カバンに入れているけど開く気になれない。
《夜》
・ナスとしめじの焼きマリネ
マリネ液:穀物酢50ml、オリーブオイル10ml、メープルシロップ10ml、塩小さじ1/8、胡椒ガリガリ ※酢40mlくらいでいいかも
・小松菜の胡麻マヨネーズ 和え
和え衣:胡麻大さじ2、マヨネーズ大さじ1、醤油小さじ2、砂糖小さじ1
・納豆
・生卵
・麦ご飯
朝は納豆生卵麦ご飯、昼はマクドナルド。夜は野菜が食べたかったので、明日明後日のお弁当も兼ねた献立にする。小松菜は胡麻生姜和えも好きだけど、マヨネーズの風味が欲しくなったので。
あとは昨日の枝豆の残り半分をご飯と炊いて枝豆ごはんにした。枝豆ごはんは「白ごはん.com」のレシピ参照。米2合を30分ほど浸水させる。枝豆をラップして1分半チンして粗熱を取りさやから取り出す。浸水した米に塩小さじ1混ぜ、枝豆のせて炊く。
2023年7月22日
疲れと暑さと早朝の外の明るさで変な夢を見て起きることが続いている。この前はなにかで捕まって拘置所に行く夢。刑事が来たけどわたしはオーバーサイズのTシャツに下着姿で応対しているし、拘置所には自分でバスに乗って行かないといけない。今日はなにかから命を狙われている夢。細かいことは忘れたが、寝ぼけて起きてからも少し怯えてた。
-
Mさんが参加している展示を見にいったらMさんがいた。油絵の話ができて嬉しい。
Pのデッサン授業の最終回を終えて、くたくたになりながら帰る途中の電車の車窓から荒川の花火が見えた。Sさんに録画して送った。
今夜は自分を労う気持ちで鶏肉をどんと焼いて食べようかと思ったけれど、肉を常温に戻す時間が待てなくて魚を焼くことにする。ほっけの気分だったけれど、スーパーに行ったらパック寿司に心奪われ購入。魚はいつも食べるし、寿司は労いっぽいし。寿司と枝豆とチーズを買い、セブンイレブンに寄ってクラフトビールとポテトサラダを買う。セブンのポテトサラダは惣菜にありがちな増粘剤等の添加物が入ってなくてうれしい。帰宅して玉ねぎをみじんぎりにしてポテトサラダと和え、枝豆を塩茹でにするのが今日の「料理」。枝豆初めて茹でた。茹で上がりの鮮やかな青緑。
自炊の記録ばかりしていて良いのだろうかという気持ちになりながら書いている。
2023年7月21日
先日の焼きマリネはおいしかった。ちょっと油がもったりしたので、次回はオリーブオイルを減らしてみる。酢を足してちょっとメープルシロップを入れてみる。
-
男は二人を誘い、女の子が気にならないよう青のりを抜いたお好み焼きを持って行きつけの店に行く。持ち込み料千円を払い、指名の女の子と同席したヘルプの女の子たちに食べさせる。カラオケを歌おうとする友人を制し、まずは場を温めないとと言ってゲームを持ちかける。負けた人はショットグラスで吉四六を飲む。
「ゲーム」が楽しいのはわかる。だけど女の子のお店に行く感覚、罰ゲームとしてお酒を飲む感覚はわからない。彼らには女の子の店に行きたくなるような生活の積み重ねがあるということ。彼らにとっての「女の子」の役割とは。
2023年7月20日
《朝》
・昨夜作ったラタトゥイユ
・納豆
・生卵
・麦ご飯
小豆かぼちゃについて調べていたら、初潮を迎えた日に赤飯を炊くというのが、本来は祝い事という意味だけではなく、小豆が腎やホルモンバランスを整えるという効能から健康を願う意味で行われていたと書かれていたのを見つけ、なるほどと思ったけれど、そういう中医学的な食物の捉え方は日本にはいつごろ入ってきたのだろう。そしてどのくらい庶民にまで広まっていたのだろう。単に祝い事としての赤飯、でもありそうだけど。そもそも小豆っていつから日本で栽培されているのだろう。稲作みたいに伝来したのだろうか。スーパーに並ぶのは北海道産がほとんどのような気もする。小学生の夏休みだったら今年の自由研究は小豆にしていると思う。
小豆かぼちゃのレシピを紹介しているのは大体マクロビオティックを実践している人が多い。マクロビオティックには「健康食」くらいのぼんやりとしたイメージしかないのでWikipediaで少し読んでみると、元々日本の思想家が提唱したもので、「マクロビオティック」と名付けられて逆輸入されたものらしい。玄米菜食が中心でいろいろとストイックで、少し前に参考にしていた中医学的食養生とはまたちょっと違うみたい。しばらく触れていないのでだいぶ知識が朧げだけど、中医学は別に玄米至上主義ではないし、(消化に悪いという側面もあるから、胃腸が弱っている時はお粥の方がよいみたいな考え方だった気が)肉もちゃんと意味づけられていたような。いや、でももういろいろ違うかも…なにか1冊ちゃんと読みたい。
-
《朝》
・納豆、小ネギ、卵、酢、麦ご飯
・小豆かぼちゃ
・「一日分の野菜」
《昼》
セブンイレブンのおにぎり
《夜》タンネで中間発表会
・ビールと生春巻
・終わった後Kさんのお兄さんがつくってくれた高菜チャーハン
中間発表会、お開きになった後もしばらく話して23時過ぎに解散。0時半帰宅。疲労困憊でくるみパン食べた…
2023年8月18日
《朝》
・納豆、小ネギ、海苔、卵、酢、麦ご飯
・小豆かぼちゃ
《昼》
・キャベツと玉ねぎとツナのコールスロー
・小豆かぼちゃ
《おやつ》
塩おにぎり
《夜》
・納豆、小ネギ、海苔、卵、酢、麦ご飯
ひきわり納豆に小ネギたっぷり+お酢がものすごくおいしい。色もかわいい
・キャベツと玉ねぎとツナのコールスロー
・小豆かぼちゃ
・梨
2023年8月17日
《朝》
・納豆、卵、酢、麦ご飯
・「一日分の野菜」
《昼》お弁当
・おにぎり
・キャベツと玉ねぎとツナのコールスロー
《夜》
・納豆、小ネギ、酢、卵、麦ご飯
・キャベツと玉ねぎとツナのコールスロー
・梨
・小豆かぼちゃ
小豆1カップ、かぼちゃ直径20cm1個、水4カップ、昆布5cm片、塩小さじ1
①昆布は細かく切る。小豆と水と昆布を鍋(大きなフライパン)に入れて蓋をせず強火。沸騰に小豆がぐらぐらしたら中火で10分、そのあと弱火で1時間以上、小豆が柔らかくなるまで煮る。小豆が崩れるのでかき回さないこと。途中水が減るので、小豆から1cm上くらいまで水を出す。それを3回くらい繰り返す。わたしは弱火すぎたのか1時間半くらいかかってしまった。蓋をしないレシピが多かったけど、どういう意味なんだろう。蓋閉めたらもっと短時間で柔らかくなると思う。圧力鍋がほしい。
②小豆を炊くあいだにかぼちゃを2cm角に切る。
③小豆が柔らかくなったら塩を入れて軽く混ぜる。小さじ1/2くらいでも良さそうな気もする。
④かぼちゃを入れて蓋をし、柔らかくなるまで煮る。30分くらい。
当初かぼちゃ1/2量で作ったけど、水分がまだ多かったので、かぼちゃだけを取り出し、残りのかぼちゃも追加で煮た。タッパー2個分できた。かぼちゃと小豆の自然な甘みがおいしい。冷やして食べると優しいおかしのような。気分を変えたい時はきなこかけたり、もっと甘みがほしいときはレーズン混ぜてもよさそうな気がする。
2023年8月16日
制作。家でも4枚同時進行しているけれど、下地材に昔購入していたアブソルバンを使用したところ、画面がツルツルして絵具が染み込みづらく描きにくい。タンネでの下地の作り方のほうが絵具が染み込む。Oくんも確かそう言っていた気がする。下地の作り方はこの前教えてもらったので、今度パネル買ったらその方法で作ろうと思う。揮発油もペトロールのほうが黄変しないという点で買ってみたけどテレピンのほうが使いやすいような気がする(下地の問題?)。いまのペトロールを使い切ったらテレピンにしてみようかな。
-
《朝》
・納豆、ご飯
・摘果きゅうり マヨネーズで
《昼》
近所のパン屋
《夜》
・スーパーのお惣菜
カボチャサラダ(生クリーム添え)とポテトたまごサラダ(ベーコン添え)とトマトの冷製パスタが1セットになってるデリ風「サラダ」と打ち出しているけどサラダではない、堂々の500カロリー越え。悔しいけどおいしい…
・キャベツと玉ねぎとツナのコールスロー レシピは「週末の作り置きレシピ」参照。
最近パンや市販のお菓子をよく食べたので、身体のためにそろそろまた食べない期間を設けないとなあと思う。パンというものはなぜあんなに美味しいのだろう。ほんとうに中毒性がある。砂糖も。
先日はビタミンを摂ろうと思い、お昼ごはんとして「ビタミン野菜」を三日連続飲んだけど、糖質過多な感じがした。「一日分の野菜」なら飲んだ感じは悪くないのだけど。あと職場で小腹が空くので飴を買ってみて、なるべく変なものが入ってないという理由で黒糖の飴を選んだけど、これも食べると血糖値が急激にあがる感じがして、頭がぐわーっとなる。たぶんあまり合わない。
とりあえず月末まではグルテンとお菓子、チーズやヨーグルトなどの乳製品を控える。甘いものが食べたくなったら果物食べる。最近は梨も並び始めてる。今回カフェインは職場で紅茶1杯くらいは許してみる。コーヒーも外で飲む機会があれば良しとする。
小豆かぼちゃという料理も知ったので作ってみよう。
多分自分のやってることは「マクロビオティック」と呼ばれるものにも一部被るけど、そこまでのストイックさは持てないし、この先もバーガーキングやマクドナルドに行くと思う。
時々パンやお菓子、脂っこいものや香辛料たっぷりなものを食べても身体の調子が崩れない身体になりたい。私の場合、ひとりの自炊はおいしい食事を作るというよりも養生の意味合いが強いかもしれない。
2023年8月15日
多和田葉子『言葉と歩く日記』より、東京についての一節。
「東京はわたしにとっては、重箱入りのおせち料理のようにおとなしい。下町、山の手、多摩の三段の重箱の中が更に綺麗に仕切られている。おかずはどれも似たような出汁と醤油の味がしている。」
-
東京都美術館のマティス展へ。油絵を描き始めたことで、自分の絵の見方というものが本当に大きく変わったと思う。序盤に展示されていた《ホットチョコレートポットのある静物》や《豪奢Ⅰ》《金魚鉢のある室内》あたりがとくに面白かった。《豪奢Ⅰ》は人物の向きを検討している2枚のラフも見れてよかった。採用した方は奥の女性がラフの時点でいい感じで、こっちにするよね~と思った。晩年になるにつれて黒の主線+色をパキパキ配置するようになってからはあまり興味が持てなかったけど、油絵を描いていなかったらこちらのほうが自分は面白がっていたと思う。建物から神父が纏うローブまでマティスが全て手がけた教会も行ってみたい。あとで東京パリ間の航空券を調べるくらいには惹かれるものがあった。
ただ、「ヨーロッパの街並み」「白人女性」「裸婦」をアジアの東端の国に住む「アジア人」「女性」が見ることについては、「考える」と言うほど深く考えてはいないが、思うことはあった。
マティス展のあと、コンビニでペンを買って仲御徒町のドトールに行く。マティス展で買ったポストカードにメッセージを書いて、近くの郵便局から発送した。展覧会で買ったポストカードをちゃんとポストカードとして使ったのは初めてかもしれない。
そのあとタンネ。マティス後ということもあり筆がのって4枚進められた。内容も手ごたえあり。
-
《朝》
・納豆、酢、卵、ご飯
・「一日分の野菜」
《昼》
・ドトールのミラノサンド(エビとサーモンとカマンベール) なぜ「ミラノ」サンドなのだろう
・アイスコーヒー
・「一日分の野菜」
《夜》
タンネで食事会
《おやつ》
チョコモナカジャンボ
2023年8月14日
昨日仕事が早上がりでいつもより2時間早く帰った。今日は絵を描くぞ、と思ったのに結局2時間早く寝た。お風呂入ると気が抜けてしまう。しかしお風呂は健康のためにじっくり浸かりたい、でも心身共にとてもリラックスしてしまう…。
-
《朝》
・納豆、酢、卵、ご飯
・「一日分の野菜」
・スイカ
《昼》お弁当
・おにぎり
・ゆで卵
・「ビタミン野菜」
《おやつ》
・生黒飴
・スイカ
《夜》
・摘果きゅうり(売ってた!) たれ:マヨネーズ大さじ2、麻辣醬
麻辣醬はカルディで売っている、小さい瓶のやつがすごく好き(「食べる麻辣醬」ではない)麻婆豆腐もこれ+豆豉でつくるとすごくおいしい。
・トマト
・あら汁(終)
・生卵、ごはん
2023年8月13日
《朝》
・納豆、卵、ご飯
・野菜ジュース
・バナナ
《昼》お弁当
・おにぎり
・ゆで卵
・「ビタミン野菜」
《おやつ》
・生黒飴
・スイカ 一口大に切って冷やして、お風呂上がりに食べたら幸せだった
《夜》
・鶏肉と野菜(キャベツとしめじ)を焼いて、中華風ねぎだれをかけた
お肉が食べたくなって鶏肉を買う。キャベツは悪くないがしめじが余計で、たれとも噛み合ってない。キャベツとしめじを一緒に食べるには、ふたつを強く絡み合わせるなにかが必要なのかもしれない。首を傾げながら食べた。
ねぎだれの今回の配分は、胡麻油大さじ1、黒酢大さじ1/2、しょうゆ1/2、水大さじ2、中華だし小さじ1/4、すりゴマ大さじ1と1/2、小ネギたっぷり。悪くはなかったけど、別に水入れなくてもよかったかも。黒酢推したいなら大さじ1でもいいかも。小ネギはたれに混ぜず散らしたほうが色がきれい。
・トマト
・ごはん少し
2023年8月12日
《朝》
・納豆、卵、ご飯
・野菜ジュース
・バナナ
《昼》お弁当
・おにぎり 5色の野菜の混ぜごはんの素使用。色合いがかわいい。味も好み。
・ゆで卵
・「ビタミン野菜」
《おやつ》
生黒飴
黒飴の中にそのまま黒糖が入っていておいしい。
《夜》
・焼き野菜(キャベツ、トマト、しめじ)温泉卵のせ
やっぱりキャベツがこの調理法に向いてない。キャベツ臭さが強くておいしくない。スモークパプリカパウダーをかけてみたけど全く噛み合ってなかった。はっきりと失敗した。
キャベツに短時間で火を通したいならある程度刻んで、そしてソースは強めの方がいい。胡麻油+醤油+小ネギみたいな。前もそうして食べておいしかった。小ネギがあるから明日はそうしてみようかな。今回みたいな調理法&塩胡椒ではキャベツの臭みに負ける。もしくは先日作ったコールスローのように塩揉みしてから茹でて絞る。そうすると臭みがとれてキャベツの甘くていいところだけ残る。
・あら汁
まずくはないけど、すごくおいしいわけでもない。しかしまだあと1食分ある…。今日の晩ごはんは残念なものになってしまった。
・ごはん
2023年8月11日
数日前から違和感があったけど、今朝起きたら本格的に腰痛になってしまった。痛い。まだどの姿勢までが痛くなくてどこから痛くなるのか境目が把握できないので、ゆっくり少しずつ動く。ゆっくり少しずつ畳にダニアースレッドの注入口を差し込んで3秒噴射して抜いてを1畳につき6箇所、計36箇所繰り返した午前。
直接的な原因は変な姿勢で寝たからなのだけど、時間の問題だったと思う。あまりにも運動をしていない。ジムに通っていた頃と比べると身体の踏ん張りが効かない。しかしもう毎日やることが多すぎて("毎日やることが多い"というワードが出るときは調子が悪いとき)、生活に筋トレというまたひとつ「やらなきゃいけないこと」を増やすと思うと、もういっぱいいっぱいになってしまう。
掃除や洗濯、料理、そして自分の身体のケアで一日が終わる。制作が思うように進められない。ニキビも化膿していて気にしないようにしても気持ちは引っぱられる。
体調不良と制作がうまく進まないことで午前中は気持ちが落ち込んでいたけど、夕方にタンネに行って油絵を進めたらちょっと回復する。
-
Kさんに帰り際「アクの強いTシャツを着てますね」と言われる。今日は函館のサンドイッチ屋「HOTEIYA sandwich stand」のHさんの顔がセピア調にプリントされたTシャツを着ていた。たっぷりと髭をたくわえていて、頭は坊主頭。目の部分は四角く黒塗りされていてとても怪しいが、本人はとても気さくで優しい。オーバーサイズのTシャツは今日みたいな顔の調子が悪くむくんでいるように感じる日や、気持ちを大きく強く持ちたい時に着るとしっくりくる。今日はぴったり。
-
《朝》
・納豆、卵、ご飯
・野菜ジュース
《昼》マクドナルド
チキンクリスプ
《おやつ》いろいろ食べ(させてもらっ)た
・ロッテのマカダミアナッツチョコ残り半分
・Kさんからもらったあんみつ
・Iさんからもらった松本土産のお煎餅みたいな飴
《夜》
・焼き野菜 温泉卵のせ
キャベツ、トマト、しめじを焼いて、レンジでつくった温泉卵(わずかに白身が固まった状態の卵。レンジ卵?)のせて粉チーズと塩胡椒振りかけた。野菜たっぷり。キャベツはやっぱりレタスよりも時間かかる。ほんとはオーブンで焼いたほうが良いだろうな。芯はまだ青臭さが残ってた。
・ブリのあら汁(まだまだある…)
2023年8月10日
8時間寝たら寝起きの身体が軽い。頭もすっきりしている。毎日8時間寝たい。久々に口元にニキビができた。対処しつつ、気にしないようにがんばる。
-
《朝》
納豆、卵、ご飯
《昼》お弁当
・コールスロー
・ゆで卵
・わかめおにぎり
《おやつ》
ロッテのマカダミアナッツチョコ半分
《晩》吉野家
・ネギ塩豚丼
・野菜サラダ
ネギ塩豚丼、ものすごくしょっぱかった。舌がひりひりした。牛麦とろ丼にすればよかった。吉野家は行く度にサラダの仕様が変わっている気がする。今日はプラスチック容器だった。千切り野菜を入れた状態で冷蔵庫にストックし、提供直前にレタスを数枚のせてフレッシュ感を演出していた。
いつかミスタードーナツでイートインを利用した時も、いつの間にかドーナツをのせる皿を廃止したらしく、トレーに紙ナプキンを広げてその上にドーナツを置かれた。そんな、と思ってしまった。ドーナツのかわいさが半減している。皿では無くトレーをなくせばいいのではと思った。それだとドリンクと一緒に提供できないか。皿提供のコストってどのくらいなんだろう。皿に乗ったドーナツとトレー直置きのドーナツの差は大きい。ファストフード感が強くなったけど、ドーナツのイメージはもっと穏やかなひとときに大切に食べるものでは。ミスタードーナツはドーナツのことどう考えているのだろう。
2023年8月9日
油絵制作。何度も挫ける。イメージが浮かぶなんてこともない。とりあえずいろいろ試してみるしかない。外は昼前から土砂降りと晴天を繰り返していて、焦りもありやかましく感じる。BGMに流していた甲子園の中継も余計だったかもしれない。精神的なものか天候のせいか空気が悪いのか頭痛。
-
《朝》
納豆、卵、ご飯
《昼》
・ブリのあら汁
昨夜作った。出汁ではなく水で煮て、具もブリと長ネギのみで作ってみたら単調な味になってしまいイマイチ。やっぱり血合いとって熱湯をかけて、出汁と煮るのが良い気がする。最低限大根と長ネギはほしい。
《おやつ》
アイス、パッションフルーツ
《夜》
・キャベツとコーンのコールスロー
レシピは作り置きするときによく参考にしているwebサイト「週末の作り置きレシピ」参照。コールスローはキャベツを塩揉みして作るのが一般的なような気がするけれど、このレシピは軽く塩揉みしたあと熱湯でさっと茹でるので、キャベツが甘く柔らかくなり、見た目も色鮮やかで良い。ぎゅっと水分を絞れるので作り置きしても水っぽくならない。
これをマヨネーズ少なめ、オリーブオイル少なめ、お酢多めでつくる。「週末の作り置きレシピ」は全体的に少し味が濃く感じるので、少し油と塩分は抑えるくらいがわたしにはちょうどいい。キャベツ1/2量作ったけどおいしくて半分以上食べた。
・だだ茶豆
・ビール
2023年8月8日
6日から豊田に2泊して今日帰る。昨日は朝から車で出かける。パン屋で朝食にし、「君たちはどう生きるか」を観て、鞍ケ池公園に行き(いいところだった)、最終的にスーパー銭湯で4時間ほど過ごした。映画見る前にゲームセンターで時間を潰したり、公園併設のスターバックスでフラペチーノを初めて飲んでみたり、とても「デート」な日だった。スーパー銭湯は初めて岩盤浴もした。サウナはテレビが主張してきてどうでもいい情報に触れるのが苦手だったけれど、岩盤浴はテレビが無く静かなヒーリング音楽が流れるだけなのでかなりよかった。
展示も観た(3回目)。川角さんの絵、良いなあ。見る度に新しい気付きがある。遠くの山、コンクリートの法面、流れ星の淡い光。自分には感覚できる色が本当に少ないと痛感する。もっとささやかな色に反応したい、色に目を開いていきたい。
コレクション展の堀尾昭子もあらためてゆっくりと観た。若い頃と最近の作品の、違いと共通するもの。最近理由をつけて全然制作できてなかったけれど、豊田から帰ったら作らないとだめだもう。あっという間に8月も過ぎる。
-
最近、自分の体型のことを考えずにいられていて良い傾向。たくさん食べたら太る、食べなければ痩せる、だけど食べなさすぎると太る。体型への認識はそれくらいでいい。この数日はよく食べたけど、またいつも通り過ごしていれば気にしなくていいだろう。
-
函館に行くくらいから多和田葉子の『言葉と歩く日記』を少しずつ読み進めている。
1月28日の日記の「駄目」という言葉についての文章はそのまま心に留めておきたい。「自分はなんて駄目な人間なんだろう」という紋切り型は「瘡蓋」のような文章と多和田さんは言っている。
「これはいつか傷つき、もう血は流れていないのだが、瘡蓋をはがすとまた血が流れるので、いつまでも死んだ肌に過ぎない瘡蓋文にしがみついている。(P60)」
「でも瘡蓋には流動性がない。(中略)考えるという動きから出て来たものではなく、考えることをやめた結果残ってしまった物質なのだ。/文章を物質として見る。単語一つ一つを物として観察する。単語は自分の心が外に溢れ出したものだと考えるのは思い込みで、単語はわたしの生まれる前から存在し、独自の歴史を持ち、わたしが死んでも全く悲しまずに、存在し続けるだろう。(P61)」
それから「駄」の意味と「駄目」という単語についての多和田さんの思うことが書かれている。母が子供に「あなたはそれに触ってはいけません」の意味で言う主語動詞のない「駄目よ」。「試験に落ちた」は主語の「わたし」が引き受けられる(また挑戦できる)が、それを「駄目だった」と言う。
「でも「駄目」はべったりしていて、立体感がない。(中略)こんなべったりした言葉で子供の時から駄目駄目世界を生きてきて、最後にはその人間が駄目ということになってしまったら、もう自殺するしかない。これは日本語が悪いのではなく、日本語の使い方が平面的過ぎるのではないかと思う。」
2023年8月5日
仕事後に盆踊りに行った。この日は松戸の花火大会もあり、遠くから花火の音も聞こえてる。会場の小学校に行くと校庭の中央に櫓が建てられていて、赤い提灯で櫓の周りは真っ赤に光っていた。老若男女が浴衣や普段着で踊っていた。踊っている人の振り付けを真似すれば誰でも踊れる。わたしも踊った。台風が近づいていて風が強く、校庭の白い砂が全身にかかって髪はちりちりし、肌もざらざらする。花火は途中で中止になったとアナウンスが流れる。
盆踊りの周りでは地域のスポーツチームが露店を出し、大人はビールに並び、子供は焼きそばやヨーヨー釣りに並んでいた。踊らない子供たちはヨーヨーを振り回して駆けっこしてた。
-
《朝》
・納豆、生卵、わかめのふりかけ、麦ご飯
・バナナ
《昼》お弁当
・サルサ
・ゆで卵
・わかめおにぎり
・クリーム玄米ブラン(1袋)
《おやつ》
・クリーム玄米ブラン(1袋)
《夜》
・サルサ
・枝豆
・メンチカツ(スーパーの惣菜)
2023年8月4日
まだ気持ちが落ち込んでいる。仕事の依頼があったけど条件が合わず断ったことも影響している。9時頃起き、家事を少し進めたら和室で横になって茫然とするのを昼過ぎまで繰り返す。
頭がいろいろなことを考えようとするから、もう好きなだけ思い巡らせたり、ぼんやりしたり、寝たりする。わたしの意思は捨て、頭に好きなようにさせる。そうすると重く淀んでいた心が少しだけ軽くなった気もする。外に出たくない気持ちだったけれど、なんとか奮い立たせタンネに行く。
15時から19時までタンネで油絵を描く。今日は一人で過ごした。帰りにマツモトキヨシに寄って先日のピルの処方箋を出し、最寄駅に着いて家までの帰り道で、なんとなく心が平常に戻りつつある感じがした。
帰宅したのが21時くらいで、それから晩ご飯の準備をして、Sさんに数日ぶりに電話をする。元気を取り戻した気がする。
-
《朝》
・納豆、生卵、わかめのふりかけ、麦ご飯
・ヨーグルト、メープルシロップ
・バナナ、パッションフルーツ
《昼》
・マクドナルドのスパイシーベーコンポテトパイ
具がゲル状でベーコンでもポテトでもなく、しょっぱさと辛さが主張するよくわからない食べ物だった。ベーコンポテトパイってこんなだったっけ。スパイシーだから?
宇宙食開発が「2001年宇宙の旅」の食事みたいなゲル・ペースト状方向に進んでいるとして、しかし揚げたてのサクサク感だけはなんとしてても残したいと試作を重ねている、という背景で食べると楽しい。
《夜》
・ピーマンの肉詰め(終)
・えのきの黒ナムル(終)
・ミニトマト 氷水でしっかり冷やして、水を切って氷と一緒に盛り付けた。それだけなのにとてもおいしい
・枝豆 自分で茹でるようになってから枝豆ばかり食べている
作り置き
・サルサ(ピーマン、トマト、玉ねぎ、レモン果汁、塩、胡椒)
《おやつ》
バニラアイスにパッションフルーツをかけて食べた
いつもは我慢してヨーグルトにかけて食べてたけど、やっぱりアイスとの組み合わせは格別
2023年8月3日(今日から8月の間は毎日の食事を記録してみることにする)
函館滞在で頑張り過ぎた反動と、数日前の電話によってとくに昨日から気持ちの調子が悪い。あと息詰まり感。こういう状態になるたびにカウンセリング行ってみようかなと調べ、しかしこの気持ちのぐちゃぐちゃを人に話す形にする気力もわかず、話したところでという気持ちもあるし、もうとにかく誰も構わないでほしい、ひとりで心静かに過ごしたい(あんなに函館で一人でいたのに)という混乱。
出来事どうこうではなく、わたしのこの何かあるたびに心が動きすぎることをどうにかしたい。自分の心の揺れ動きに自分が耐えられていない。
嬉しいことにも悲しいことにも大きく揺れてしまうから、必ず反動がくる。その度に疲れる。こんなこと繰り返して生きていくのはつらい。嬉しいことも悲しいことも同じように、心の揺れを抑えて受け止めたい。どうしたらそうなれるんだろう。これをどうにかしない限り、嬉しいことまで重荷に感じてしまう。生活も、人と何かすることも、何かをつくることも。
-
《朝》
・納豆、生卵、麦ご飯
・バナナ、ヨーグルト、メープルシロップ
・野菜ジュース
《昼》お弁当
・ピーマンの肉詰め シシカバブ風
ずっと興味のあったスモークパプリカパウダーを購入し肉だねに使用。
豚ひきにく250g、玉ねぎ1/2、粉チーズ大さじ2、クミン小さじ1/2スモークパプリカパウダー小さじ1、塩1/4、胡椒ガリガリ
すごくおいしい。ピーマンの肉詰めというとても家庭的な献立だけど、お外の味がする。ピーマンの肉詰めっていまいち「これだ!」という味を見つけられてなかったけど、シシカバブ風はかなり良い。昨夜の作りたてもおいしかったけど時間をおいてもおいしい。粉チーズが効いてる。
ピーマンにかぶせるように肉を詰めるのではなく、ピーマンをヘタ側とおしり側の2つに分かれるように切ってコップみたいにして、そこに肉をぎゅうぎゅうに詰めたので、その密度もシシカバブに近くて良かったのかも。
・えのきの黒ナムル
見切り品のえのきが3袋100円だった。ちょっと状態が悪いので、黒酢で強めに味付けしたらいい感じに。えのきと黒酢はそれぞれくせ強めの匂いなので相性良いかも。黒酢・黒ゴマを使ったので黒ナムルと名付ける。
・わかめおにぎり
・SOYJOY(フルーツ&チーズ)
《夜》
・納豆、生卵、麦ご飯
・ピーマンの肉詰め
・えのきの黒ナムル
2023年8月2日
子宮頸癌検診、超音波検査、乳がん検診(エコー)する。子宮頸癌と乳がんは市の助成で安く受けられた。こういうことを日記に書いておけば、あとから「いつ検診受けたっけ」と思っても検索できるから良いかもしれない。
胸のエコーはくすぐったさと骨が当たる部分の痛さでとにかく時間を過ぎるのを祈っていた。前にも別の病院でエコー検査をした記憶があるけれど、集団検診だったからか1分もかからなかった気がする。今回は5分くらい、じっくりと診てくれた。わたしがくすぐったさに一度笑ってしまって、気まずさに「くすぐったくて笑っちゃいました」と女医さんに話しかけたらはっきりとスルーされて、より信頼の気持ちが湧いた。
子宮頸癌はやっぱり感触はよいものではないので、夜までぼんやりとした気持ち悪さを引きずってしまった。単純に猛暑にやられているだけな気もする。子宮頸癌検診も乳がん検診も、前回はここまで辛くなかった気がする。なんだろう、年齢だろうか。でも検診は行ったほうがいい。
いつもピルを処方しているクリニックでの検診だったから、ついでにピルの処方箋も出してもらえたのはよかった。検診の準備中に看護師さんが「最近蝉の鳴き声聞かないですよね」と雑談をしてくれるのもほっとする。こういう検診は今日みたいにかかりつけのクリニックでやるのが一番良いなと思った。
2023年7月31日
帰宅。疲れた。29日くらいまでは大家さんと寿司を食べた以外はストイックにDIYをして、夕方ついに息切れした。作業を切り上げ、大町改良住宅の広場でGさんとYさんがイベントをしているのを終了間際に覗きに行ったらもう撤収作業をし始めているところで、出店者達が集まって談笑しているところだった。クレープ屋さんからクレープのお裾分けをもらい、食べながらYさんが最近仕事で長澤まさみに会った話を聞いた。家の近くのクラフトビール屋も出店していたのでIPAを一杯購入して、飲みながら海のほうに歩く。赤煉瓦倉庫街からちょっと離れたところに屋根付きのいいベンチがあって、観光客もあまり来ない。そこで一息ついて、やっと「休暇」をしている感じがした。Instagramにも投稿するか…という気分になる。飲み終えてハセガワストアで追加のビールとやきとり弁当を買って、ベンチに戻って晩ごはんにした。
昨夜も同じ場所で4時間ほどいた。途中寝てた。始まりはセイコーマートに段ボールを回収してもらいに行ったついでにビールとカルパスを買って行く。そのあとお腹が減って、ハセガワストアでやきとりとパイの実トリュフカマンベール味、そのあとさらにお腹が減ってラッキーピエロでのり弁を買って食べた。数日分の疲れとストレスと解放感で完全に食べ過ぎている。缶ビール4本飲んだ。帰りにコンビニで水とヨーグルトアイスを買い、深夜はSさんとの電話でぐちゃぐちゃに泣いて寝た。
2023年7月26日
津軽海峡を函館に向かうフェリー内でこれを書いている。
昨日仕事後に家に戻り身支度をして出発し、バスタ新宿から深夜バスで青森港フェリーターミナルへ。22:20発で翌9:25着し、10:00発のフェリーに乗船する。植物の自動給水装置の設置に手間取り危うく乗り遅れるかと思った。一瞬キャンセル料金を調べた…。
深夜バスを初めて使った。高速バス自体、先日の豊田→東京が初めて。きっと一般的にはみんな学生の頃に経験するものだと思うけれど、その頃のわたしは車酔いの恐怖が強く、時々利用していた鷹の台~大学間の路線バスでさえも酔っていたので、バスでの長距離移動など考えられなかった。サークルのスキー旅行の行きのバスでも吐く一歩手前だったことを思い出す…。
でも最近になってだんだんと、根拠はなしにバスに乗れるんじゃないかと思い始めて、豊田~東京の昼のバスに乗ってみたら酔わなかった。路線バスと違って高速道路を走るので揺れないことと、座席が快適であれば大丈夫みたい(首は痛くなったのでネックピローは必須だと思う)。大手町着なのでそのまま千代田線で松戸まで一本で帰れるため、東京駅の雑踏にまみれずに帰れることもよかった。
そうは言っても深夜バスはちょっと緊張したし、寝れたと言えば寝れたけど、熟睡3割、半覚醒4割、覚醒3割な感覚なのでそれなりのキツさはあるなという感じ。青森駅到着後フェリーターミナルまでの道中は乗務員がカーテンを開けてくれて、車窓から見える青森の街並みを見て、はるばる来たなあと感慨深い気持ちに。
あまり寝られなかったのは喉風邪気味だったこともあるかも。こまめに水を飲み、一晩で龍角散ダイレクトを5本ほど服用。口内をすっきりさせたくてガムを噛み、そのまま寝てしまったら夢を見た。夢の中では友人らしき男性グループと一緒にバスに乗っていて、夢の中でもわたしはガムを噛んでいて、何度もティッシュにくるんで出してもずっと口内にガムが残っているという悪夢。実際に口に含んでいるからなのだけど。目が覚めると異常に唾液が分泌されていた。
フェリーで函館まで3時間40分ほど。一番安いスタンダード(雑魚寝)を予約したけれど、窓際の無料のカフェスペース?が居心地がよくてそこでPCを開いて過ごしている。作業机の脚用のソーホースブラケットをAmazonで購入したので、脚の長さを計算したり、今日明日の予定を整理したり、この日記を書くなどして過ごす。
-
フェリーターミナルからバスに乗ってラビスタ函館前まで行く。レンガ倉庫街を抜けてシェアハウスに行く前にご飯を食べようとラッキーピエロに寄る。ラッキーピエロに来るのは2回目なのでご飯物を食べようとオムライスにしたけれど、ものすごく薄味で量がものすごく多い。ご飯、1合半はありそう。朝ご飯を食べてなかったからなんとか食べ切れたけれど、意味なくお腹をいっぱいにしてしまった気持ちになり少し落ち込む。だけど食器の返却口で、店員のおばちゃんが手の届かない位置にあるグラスをトレーで自分の方へ引き寄せようとしている場面に出くわし、グラスをおばちゃんの方へ置き直してあげたら「あら~ありがとうございますうふふ」と言われるやりとりがあったので全てよし。
2023年7月23日
美術関係の本を久々に読んでいるが、数ページで疲れてしまう。カバンに入れているけど開く気になれない。
《夜》
・ナスとしめじの焼きマリネ
マリネ液:穀物酢50ml、オリーブオイル10ml、メープルシロップ10ml、塩小さじ1/8、胡椒ガリガリ ※酢40mlくらいでいいかも
・小松菜の胡麻マヨネーズ 和え
和え衣:胡麻大さじ2、マヨネーズ大さじ1、醤油小さじ2、砂糖小さじ1
・納豆
・生卵
・麦ご飯
朝は納豆生卵麦ご飯、昼はマクドナルド。夜は野菜が食べたかったので、明日明後日のお弁当も兼ねた献立にする。小松菜は胡麻生姜和えも好きだけど、マヨネーズの風味が欲しくなったので。
あとは昨日の枝豆の残り半分をご飯と炊いて枝豆ごはんにした。枝豆ごはんは「白ごはん.com」のレシピ参照。米2合を30分ほど浸水させる。枝豆をラップして1分半チンして粗熱を取りさやから取り出す。浸水した米に塩小さじ1混ぜ、枝豆のせて炊く。
2023年7月22日
疲れと暑さと早朝の外の明るさで変な夢を見て起きることが続いている。この前はなにかで捕まって拘置所に行く夢。刑事が来たけどわたしはオーバーサイズのTシャツに下着姿で応対しているし、拘置所には自分でバスに乗って行かないといけない。今日はなにかから命を狙われている夢。細かいことは忘れたが、寝ぼけて起きてからも少し怯えてた。
-
Mさんが参加している展示を見にいったらMさんがいた。油絵の話ができて嬉しい。
Pのデッサン授業の最終回を終えて、くたくたになりながら帰る途中の電車の車窓から荒川の花火が見えた。Sさんに録画して送った。
今夜は自分を労う気持ちで鶏肉をどんと焼いて食べようかと思ったけれど、肉を常温に戻す時間が待てなくて魚を焼くことにする。ほっけの気分だったけれど、スーパーに行ったらパック寿司に心奪われ購入。魚はいつも食べるし、寿司は労いっぽいし。寿司と枝豆とチーズを買い、セブンイレブンに寄ってクラフトビールとポテトサラダを買う。セブンのポテトサラダは惣菜にありがちな増粘剤等の添加物が入ってなくてうれしい。帰宅して玉ねぎをみじんぎりにしてポテトサラダと和え、枝豆を塩茹でにするのが今日の「料理」。枝豆初めて茹でた。茹で上がりの鮮やかな青緑。
自炊の記録ばかりしていて良いのだろうかという気持ちになりながら書いている。
2023年7月21日
先日の焼きマリネはおいしかった。ちょっと油がもったりしたので、次回はオリーブオイルを減らしてみる。酢を足してちょっとメープルシロップを入れてみる。
-
男は二人を誘い、女の子が気にならないよう青のりを抜いたお好み焼きを持って行きつけの店に行く。持ち込み料千円を払い、指名の女の子と同席したヘルプの女の子たちに食べさせる。カラオケを歌おうとする友人を制し、まずは場を温めないとと言ってゲームを持ちかける。負けた人はショットグラスで吉四六を飲む。
「ゲーム」が楽しいのはわかる。だけど女の子のお店に行く感覚、罰ゲームとしてお酒を飲む感覚はわからない。彼らには女の子の店に行きたくなるような生活の積み重ねがあるということ。彼らにとっての「女の子」の役割とは。
2023年7月20日
《朝》
・昨夜作ったラタトゥイユ
・納豆
・生卵
・麦ご飯
《昼 お弁当》
・ラタトゥイユ
・ゆで卵
・わかめおにぎり
《夜》
・ラタトゥイユ
・冷奴(豆腐、納豆、海苔、かつお粉)
-
《焼きマリネ》
明日のお弁当用に、本当はもう一度ラタトゥイユを作ろうとトマト缶とローリエとバジルを買って帰ったけれど、疲れてしまって煮込む気分じゃなくなる。昨日ラタトゥイユのレシピを考えながら、同時に惹かれていた焼きマリネをつくることにする。
オリーブオイルをひいたフライパンに輪切りのナス、ピーマン、隙間にしめじを敷いて中火で焦げ目がつくまで焼く。焼いている間にマリネ液の準備。一人暮らししたての頃に買ったレシピ本の「焼きパプリカのマリネ」のマリネ液の配分を参考に、オリーブオイル30ml、穀物酢25ml、塩小さじ1/8、胡椒ガリガリする。
しめじからものすごく良い香りがする。昨日作ったラタトゥイユではトマトに負けてしまっていたきのこ特有のスモーキーな匂いがたっぷりと香ってきて、これだけで今日の料理は満足した。
焦げ目がついた具材から、マリネ液の入ったタッパーに入れ、箸で裏返しにしたりして液をまとわせる。冷房が効いた部屋で粗熱をとって冷蔵庫へ。まだ熱いときにナスを一切れ食べた。酸っぱさとオリーブオイルの青臭さがおいしい。明日が楽しみ。
2023年7月19日
「土俵から降りる」ことを常に選択肢のひとつとして側に置いていたつもりだけど、わたしは判断が遅いのだろうか?しかし、降りるということはそこで相手との関係を終えるということ、つまり降りた瞬間に相手を「相容れない人だ」と決めつけることにもなる。
その判断がほんとうに自分にとって良いことなのか、いっときの感情で判断していないか。自分のそういう部分に自分自身信用がないので、慎重に考えようとすると時間がかかる。そもそもなにか判断するにもまだ相手のことがよく分かっていないことが多く、相手がどういう考えでそういった振る舞いをしているのか、もしくは無意識での言動なのかを知りたくなってしまう。
その場で感情的な言動をとらないために「一旦持って帰る」選択をしているけれど、それは相手の言動に咄嗟に反応できず「持って帰ってしまっている」部分もある。
本当は投げかけられた言葉を忘れてしまいたいくらいなのに、なぜこちらだけが嫌な気持ちで悩まなくてはならないのだという憤りもある。
そういった発言は大なり小なりの女性蔑視と社会的に優位な立場から発せられていて、相手は気持ちよくなって「すっきり」している。そういう表情をこれまでたくさん見た。その人からすると立場が上だったり、尊敬する人には言えないだろう発言を、相手がわたしだから言ってるんだよなあと思う度に、その人の心の歪みを感じて、憤ると同時に心が温度を失う。
いまも時々そういう状況が発生するけど、以前よりも受け止める方法が明確になったので「怖さ」は減った。
それでもそういった発言から、芋蔓式にこれまでのいやな記憶が蘇り、中学生のときに電車内で痴漢被害に遭ったことや、駅のホームのエスカレーターで制服のスカートの中を盗撮されたことは今でも何度も思い出す。カメラ音。盗撮された事実よりも、その時自分が声を出したり、目の前を駆け降りる(男はまさか追ってこないだろうと思っているからか、そんなに急いでない)その人を追いかけられなかったこと、怒れなかったこと、そのあと「大したことではない」と考えることで自分を大切にできなかったことへの悔しさが込み上げる。全部繋がっている。
なぜ声を荒げたら「感情的」だと笑われるんだろうか。怒ってることをなぜ受け止めてもらえないのだろうか。
-
「対等な関係」とは、どちらが優位に立つということもなく、立場が入れ替わり続けることでの対等さもあるのかもしれないと思った。
-
《ラタトゥイユ》
Instagramを見たら、Mさんがラタトゥイユを作った写真を載せていてとても美味しそうだった。ラタトゥイユが冷たい料理だということを思い出し、今日の気分かもしれないと思った。冷たいけどさっぱりではなく、どっしり主張のある料理。野菜も使い切ったところでトマト缶だけはあったので、八百屋でナス、ピーマン、たまねぎ、しめじを買う。にんにくはたしかまだ冷蔵庫に…と思ったらカビが生えていて2個半捨てた。いつ買ったやつだっけ…最近の自炊でまったく使ってなかった。
Google検索でラタトゥイユのいろいろなレシピをふんわり見たところ、バルサミコ酢を使うレシピとシンプルに塩のみのレシピ(コンソメを入れるものもあったが、塩のみでいけるなら塩のみを優先)、そしてアンチョビを使うレシピがあった。大体どのレシピもにんにくを使っていたので、にんにく無しはすこし悔しい。おいしいだろうに。
バルサミコ酢も久しく味わっていないので気になったけれど、ちょうど去年買った瓶詰めのアンチョビが残っていたので(賞味期限が2022年××…とシールが剥がれていて月が確認できなかった。塩漬けだし大丈夫だろうということで使用)アンチョビパターンでつくることにする。
オリーブオイルをひいて、まずは刻んだアンチョビを炒める。香りが出てきたら玉ねぎを焦がさないよう弱めの中火でゆっくり炒める。角が丸く透明になってきたらナスを入れ、ナスもほどよく油が回ったらピーマンとしめじを入れて炒め、トマト缶を入れて煮込む。あとオレガノとローズマリーを適当に入れる。しかしオレガノを入れてから、毎回トマト料理にオレガノを無意識で入れていることに気づき、オレガノにちょっと飽きたかもしれないと思った。においがきつく感じる。無意識投入ハーブとしてローリエもある。今日は切らしていたけれど、あったら多分入れていたと思う。実家にいたときによく母が使っていたから(パリパリの葉っぱを入れるのは、なんだか西洋のお伽話のような雰囲気がする)わたしも自然と使っていたけれど、正直ローリエの効果がどういうものかよくわかっていない。でも、今回のようなオレガノは強いけれどなにかふんわりとハーブの香りがほしいというとき、ローリエがほどよいのだろうか。今度ローリエを使うときはちゃんと香りの変化を拾いたい。
しばらく煮込んでいたけれどあまり水分が飛んでいかないので、途中から強めの中火する。焦げないように時々かき混ぜる。
アンチョビはトマトを入れるまでは存在感があったが、トマトを入れたら消えた。でも下支えになっている気がする。もう少し塩を足し、胡椒をガリガリして完成。出来立ては普通のトマト煮込みだったけれど、冷やして食べたらトマトが落ち着いて、なすやピーマンとまろやかに合わさっておいしかった。硬いパンと食べたい。にんにくはほしい感じがする。また今度。
2023年7月17日
元気が足りなかったので、仕事帰りに駅前のコージーコーナーでケーキを買って帰った。ものすごく悩んだ結果、ミルクレープとチェリータルトを選ぶ。背が低めの高校生くらいと思われる店員さんが、ガラスケースからひょこっと顔を出している姿がかわいかった。自然な笑顔も素敵でとても丁寧に接客してもらい、胸がいっぱいになる。
2023年7月16日
《夜》
・サーモントラウトの塩焼き
無性に魚の脂を食べたくなった。
・サルサ
今朝の作り置き。チリペッパーを入れたら赤黒くなってしまった。入れなくてもよかった。
・冷奴(納豆、海苔、かつお粉)
久々に大粒の納豆を食べたら豆の味がしっかり感じられ、食感もよい。
かつお粉の強い旨みと淡白な豆腐の相性がとてもよかった。
2023年7月15日
Pの授業。去年よりは言葉が上滑りしたり、自分で何を言っているのか分からなくなるような混乱はしなくなったが、いろんなことが言葉のかたちで思いついてしまうあまり、喋りすぎてしまっている気もする。
デッサンの授業で、「これが絶対に正しい」みたいなことは言わないようにしている。例えば、イラストレーションを描くにあたりデッサンが絶対出来なきゃいけないわけではない(人それぞれだとしか言いようがない)とか、あくまでも自分の経験から話しているから、わたしの言ったことが100%正解ではないとか。責任を負いたくないからではなく、本当にそうだと思っているからそう伝えてはいるけれど、かえって生徒の気を削いだり、迷わせてはいないだろうか。受動的にならず、なにが自分にとって必要・不必要か能動的に考えてもらえたらいいけれど、うまく伝えられていない気がする。
2023年7月13日
下地作り。下地処理済みのキャンバスは少し描く。最近は板に描いていたからキャンバスの描き心地に戸惑う。
-
《朝》
・納豆、生卵
・麦ご飯
・ヨーグルトに「ごろっとグラノーラ チョコ&ナッツ 糖質60%オフ」
《昼》
・冷奴(豆腐、めかぶ、きゅうり、卵黄(いらなかった)、海苔、かつお粉)
《夜》
・きゅうり、トマト、麻辣醤マヨネーズ
・小松菜とめかぶの味噌汁
・とうもろこしご飯
《深夜》
・MOW(抹茶)
・グラノーラ少し
グラノーラ、10年ぶりくらいに食べたのでは。知らないうちにいろんな商品が出ていた。Sさんの家で久々に食べたらおいしくてつい買ってしまったけど、食べると胃の調子がなんかよくない感じがする。パン食べた時と同じもったり感がある。口の中ではおいしいのだけど。「食事」とごまかしてお菓子食べてるようなものだしなあ。中毒性を感じるのでこれきりにする。
2023年7月12日
暑さと明るさで7時前に起きてしまう。ストレッチをして洗濯機を3度回し、干したままの洗濯物を畳み、洗濯物も色合いが良かったので写真を撮り、軽い運動をして、シャワーを浴びて、紙切れに色鉛筆で描き始めたけれど、なんだかピンとこなくて油絵の準備をする。下地ってどうするんだっけと調べていたら眠くなって畳で少し寝る。起きて、冷蔵庫になにもないのでスーパーに食材を買いに行く。野菜ジュースとグラノーラそのまま(ヨーグルトを買い忘れた)を食べて吉祥寺へ。Mさんと会う。服屋を見たあと、Mさんが「本屋見ていいですか」と言って本屋に行く。お弁当をつくるために指針となるような本が欲しいと言う。レシピ本を読みながら、レシピ本は作ってみないとその本が自分に合うかどうかわからないという話になって、それなら図書館で借りるのが良いのではとなり、本屋をあとにする。
ご飯を食べる。いろんな味、いろんなスパイス、久々にワインを飲む。無花果とハモンセラーノの春巻を食べた。そんなふうにイチジクを食べるのが初めてだし、そんな春巻も初めて食べるから、おいしいおいしくないではなくて、いま自分は何を食べてるんだろうと思った。鮎と山椒のおこわはものすごくおいしかった。先日自分で焼いて食べた鮎よりも身がほくほくしていて、段違いのおいしさだった。もう一度自分で鮎焼いて食べたい。・ラタトゥイユ
・ゆで卵
・わかめおにぎり
《夜》
・ラタトゥイユ
・冷奴(豆腐、納豆、海苔、かつお粉)
-
《焼きマリネ》
明日のお弁当用に、本当はもう一度ラタトゥイユを作ろうとトマト缶とローリエとバジルを買って帰ったけれど、疲れてしまって煮込む気分じゃなくなる。昨日ラタトゥイユのレシピを考えながら、同時に惹かれていた焼きマリネをつくることにする。
オリーブオイルをひいたフライパンに輪切りのナス、ピーマン、隙間にしめじを敷いて中火で焦げ目がつくまで焼く。焼いている間にマリネ液の準備。一人暮らししたての頃に買ったレシピ本の「焼きパプリカのマリネ」のマリネ液の配分を参考に、オリーブオイル30ml、穀物酢25ml、塩小さじ1/8、胡椒ガリガリする。
しめじからものすごく良い香りがする。昨日作ったラタトゥイユではトマトに負けてしまっていたきのこ特有のスモーキーな匂いがたっぷりと香ってきて、これだけで今日の料理は満足した。
焦げ目がついた具材から、マリネ液の入ったタッパーに入れ、箸で裏返しにしたりして液をまとわせる。冷房が効いた部屋で粗熱をとって冷蔵庫へ。まだ熱いときにナスを一切れ食べた。酸っぱさとオリーブオイルの青臭さがおいしい。明日が楽しみ。
2023年7月19日
「土俵から降りる」ことを常に選択肢のひとつとして側に置いていたつもりだけど、わたしは判断が遅いのだろうか?しかし、降りるということはそこで相手との関係を終えるということ、つまり降りた瞬間に相手を「相容れない人だ」と決めつけることにもなる。
その判断がほんとうに自分にとって良いことなのか、いっときの感情で判断していないか。自分のそういう部分に自分自身信用がないので、慎重に考えようとすると時間がかかる。そもそもなにか判断するにもまだ相手のことがよく分かっていないことが多く、相手がどういう考えでそういった振る舞いをしているのか、もしくは無意識での言動なのかを知りたくなってしまう。
その場で感情的な言動をとらないために「一旦持って帰る」選択をしているけれど、それは相手の言動に咄嗟に反応できず「持って帰ってしまっている」部分もある。
本当は投げかけられた言葉を忘れてしまいたいくらいなのに、なぜこちらだけが嫌な気持ちで悩まなくてはならないのだという憤りもある。
そういった発言は大なり小なりの女性蔑視と社会的に優位な立場から発せられていて、相手は気持ちよくなって「すっきり」している。そういう表情をこれまでたくさん見た。その人からすると立場が上だったり、尊敬する人には言えないだろう発言を、相手がわたしだから言ってるんだよなあと思う度に、その人の心の歪みを感じて、憤ると同時に心が温度を失う。
いまも時々そういう状況が発生するけど、以前よりも受け止める方法が明確になったので「怖さ」は減った。
それでもそういった発言から、芋蔓式にこれまでのいやな記憶が蘇り、中学生のときに電車内で痴漢被害に遭ったことや、駅のホームのエスカレーターで制服のスカートの中を盗撮されたことは今でも何度も思い出す。カメラ音。盗撮された事実よりも、その時自分が声を出したり、目の前を駆け降りる(男はまさか追ってこないだろうと思っているからか、そんなに急いでない)その人を追いかけられなかったこと、怒れなかったこと、そのあと「大したことではない」と考えることで自分を大切にできなかったことへの悔しさが込み上げる。全部繋がっている。
なぜ声を荒げたら「感情的」だと笑われるんだろうか。怒ってることをなぜ受け止めてもらえないのだろうか。
-
「対等な関係」とは、どちらが優位に立つということもなく、立場が入れ替わり続けることでの対等さもあるのかもしれないと思った。
-
《ラタトゥイユ》
Instagramを見たら、Mさんがラタトゥイユを作った写真を載せていてとても美味しそうだった。ラタトゥイユが冷たい料理だということを思い出し、今日の気分かもしれないと思った。冷たいけどさっぱりではなく、どっしり主張のある料理。野菜も使い切ったところでトマト缶だけはあったので、八百屋でナス、ピーマン、たまねぎ、しめじを買う。にんにくはたしかまだ冷蔵庫に…と思ったらカビが生えていて2個半捨てた。いつ買ったやつだっけ…最近の自炊でまったく使ってなかった。
Google検索でラタトゥイユのいろいろなレシピをふんわり見たところ、バルサミコ酢を使うレシピとシンプルに塩のみのレシピ(コンソメを入れるものもあったが、塩のみでいけるなら塩のみを優先)、そしてアンチョビを使うレシピがあった。大体どのレシピもにんにくを使っていたので、にんにく無しはすこし悔しい。おいしいだろうに。
バルサミコ酢も久しく味わっていないので気になったけれど、ちょうど去年買った瓶詰めのアンチョビが残っていたので(賞味期限が2022年××…とシールが剥がれていて月が確認できなかった。塩漬けだし大丈夫だろうということで使用)アンチョビパターンでつくることにする。
オリーブオイルをひいて、まずは刻んだアンチョビを炒める。香りが出てきたら玉ねぎを焦がさないよう弱めの中火でゆっくり炒める。角が丸く透明になってきたらナスを入れ、ナスもほどよく油が回ったらピーマンとしめじを入れて炒め、トマト缶を入れて煮込む。あとオレガノとローズマリーを適当に入れる。しかしオレガノを入れてから、毎回トマト料理にオレガノを無意識で入れていることに気づき、オレガノにちょっと飽きたかもしれないと思った。においがきつく感じる。無意識投入ハーブとしてローリエもある。今日は切らしていたけれど、あったら多分入れていたと思う。実家にいたときによく母が使っていたから(パリパリの葉っぱを入れるのは、なんだか西洋のお伽話のような雰囲気がする)わたしも自然と使っていたけれど、正直ローリエの効果がどういうものかよくわかっていない。でも、今回のようなオレガノは強いけれどなにかふんわりとハーブの香りがほしいというとき、ローリエがほどよいのだろうか。今度ローリエを使うときはちゃんと香りの変化を拾いたい。
しばらく煮込んでいたけれどあまり水分が飛んでいかないので、途中から強めの中火する。焦げないように時々かき混ぜる。
アンチョビはトマトを入れるまでは存在感があったが、トマトを入れたら消えた。でも下支えになっている気がする。もう少し塩を足し、胡椒をガリガリして完成。出来立ては普通のトマト煮込みだったけれど、冷やして食べたらトマトが落ち着いて、なすやピーマンとまろやかに合わさっておいしかった。硬いパンと食べたい。にんにくはほしい感じがする。また今度。
2023年7月17日
元気が足りなかったので、仕事帰りに駅前のコージーコーナーでケーキを買って帰った。ものすごく悩んだ結果、ミルクレープとチェリータルトを選ぶ。背が低めの高校生くらいと思われる店員さんが、ガラスケースからひょこっと顔を出している姿がかわいかった。自然な笑顔も素敵でとても丁寧に接客してもらい、胸がいっぱいになる。
2023年7月16日
《夜》
・サーモントラウトの塩焼き
無性に魚の脂を食べたくなった。
・サルサ
今朝の作り置き。チリペッパーを入れたら赤黒くなってしまった。入れなくてもよかった。
・冷奴(納豆、海苔、かつお粉)
久々に大粒の納豆を食べたら豆の味がしっかり感じられ、食感もよい。
かつお粉の強い旨みと淡白な豆腐の相性がとてもよかった。
2023年7月15日
Pの授業。去年よりは言葉が上滑りしたり、自分で何を言っているのか分からなくなるような混乱はしなくなったが、いろんなことが言葉のかたちで思いついてしまうあまり、喋りすぎてしまっている気もする。
デッサンの授業で、「これが絶対に正しい」みたいなことは言わないようにしている。例えば、イラストレーションを描くにあたりデッサンが絶対出来なきゃいけないわけではない(人それぞれだとしか言いようがない)とか、あくまでも自分の経験から話しているから、わたしの言ったことが100%正解ではないとか。責任を負いたくないからではなく、本当にそうだと思っているからそう伝えてはいるけれど、かえって生徒の気を削いだり、迷わせてはいないだろうか。受動的にならず、なにが自分にとって必要・不必要か能動的に考えてもらえたらいいけれど、うまく伝えられていない気がする。
2023年7月13日
下地作り。下地処理済みのキャンバスは少し描く。最近は板に描いていたからキャンバスの描き心地に戸惑う。
-
《朝》
・納豆、生卵
・麦ご飯
・ヨーグルトに「ごろっとグラノーラ チョコ&ナッツ 糖質60%オフ」
《昼》
・冷奴(豆腐、めかぶ、きゅうり、卵黄(いらなかった)、海苔、かつお粉)
《夜》
・きゅうり、トマト、麻辣醤マヨネーズ
・小松菜とめかぶの味噌汁
・とうもろこしご飯
《深夜》
・MOW(抹茶)
・グラノーラ少し
グラノーラ、10年ぶりくらいに食べたのでは。知らないうちにいろんな商品が出ていた。Sさんの家で久々に食べたらおいしくてつい買ってしまったけど、食べると胃の調子がなんかよくない感じがする。パン食べた時と同じもったり感がある。口の中ではおいしいのだけど。「食事」とごまかしてお菓子食べてるようなものだしなあ。中毒性を感じるのでこれきりにする。
2023年7月12日
暑さと明るさで7時前に起きてしまう。ストレッチをして洗濯機を3度回し、干したままの洗濯物を畳み、洗濯物も色合いが良かったので写真を撮り、軽い運動をして、シャワーを浴びて、紙切れに色鉛筆で描き始めたけれど、なんだかピンとこなくて油絵の準備をする。下地ってどうするんだっけと調べていたら眠くなって畳で少し寝る。起きて、冷蔵庫になにもないのでスーパーに食材を買いに行く。野菜ジュースとグラノーラそのまま(ヨーグルトを買い忘れた)を食べて吉祥寺へ。Mさんと会う。服屋を見たあと、Mさんが「本屋見ていいですか」と言って本屋に行く。お弁当をつくるために指針となるような本が欲しいと言う。レシピ本を読みながら、レシピ本は作ってみないとその本が自分に合うかどうかわからないという話になって、それなら図書館で借りるのが良いのではとなり、本屋をあとにする。
「日々」から遠いところにある同じ「食事」。
-
人に会い、特にはっとするおいしい食事をした夜は、摂取した情報量の多さで情緒不安定になる。
そもそも最近の週1のタンネ通い、作品のこと、Pの仕事、もうひとつの仕事、実家のこと、加えて昨日はOくんとがっつりと話し(楽しかった)今日も人に会ったので、キャパオーバーだったのだと思う。
食事こそ刺激がない、シンプルなものにしないといまは心を保てないかもしれない。なんか悲しいことを言っている気もするけど、それを求めている。今日の食事はものすごくおいしくて楽しかったのには違いないのだけど。
今朝の洗濯物もそうだし、積み重なる生活のひとつひとつに反応し考えることに疲れた、とSさんに言ったら、Sさんは反応することは良いのでは、それを苦しいと思わせていることを対処したらいいのではと言った。
宮沢賢治の「複本」の話をした。
詩をあげるから君は歯を磨いたりしててと言われ、歯を磨き、スケジュール帳を眺め、ぼうっと待ってたら、しばらくして「はい」と詩が送られてきた。遠くのほう、白っぽい光のなかでベランダで洗濯物を干す自分が見えるような詩だった。
電話を切って、そのあとすぐに横になる。目を閉じて詩の風景をなぞる。涙がぽろぽろ出てくるけどもうどうでもよい気持ちで、そのまま寝た。
2023年7月10日
名前
愛=自分のものとは思えない。
「愛」は固定できない。「藍」や「愛子」だったらまた自分のものと思えたかもしれない。
「寺本」は愛をわたしに固定させる錨のようなもの。わたし自身ではないが、今日までわたしの名前をわたしのものとして持ち続けるためになくてはならないもの。「寺本」があるから「愛」はわたしのものだった。
姓を変わるというのは錨を失ってしまうことになる。錨なく、自分だけで「愛」を自分のものと思い続けることの難しさ。「愛」が含むものが大きすぎて、「自分のもの」にはできない。
-
連勤が終わり、がつっと魚を食べたい気分になったので魚屋に寄ってニシンを購入。ニシンは函館で食べた身欠鰊と、鰊そばのイメージしかない。塩焼きでも食べても良いのかわからなくて調べたら、問題なくおすすめされていた。しかも内臓も食べていいタイプ。
ニシンは栄養豊富でカロリーもしっかりあるとのこと。焼いたら脂が出てきてものすごくパチパチ言う。途中で裏返すためにグリルを開けたら、脂が飛んで床がつるつるになった。
食べてみると身はとってもふっくら。少し太刀魚を思い出す味。イワシのシュッとしてストイックな身に比べると、ニシンは身が大きくたっぷり、しっかり食べれる。一尾食べるとかなりの満腹感。途中でちょっと飽きかけたので、レモンがあるといいかも。
2023年7月9日
夢。手のひらにのるナマコくらいの大きさの子猫2匹を引き取ることになった。それぞれグレーとミントグリーンの毛色。
トートバッグに入れられて渡される。猫が飛び跳ねたり走り回っていて、トートバッグがボコボコ動いている。猫をひとまずちょうど良い大きさの段ボールに移す。蓋の部分を垂直に立てて高さをつくるもピョンピョン飛び跳ねて出ていきそうだから、網で蓋した方がいいのかどうか悩みながら起床。
2023年7月7日
新豊田駅構内のデイリーヤマザキ横の七夕飾りに短冊を掛けずに帰ったことを少し後悔する。
《夕ご飯》
・きゅうりとトマト切って冷凍庫で冷やす 麻辣醤マヨネーズ
・小松菜とトースターで焼いたがんもどきを入れた味噌汁
・納豆と生卵
・麦ご飯
《デザート》
バナナとヨーグルト メープルシロップ
心がざわざわしているとき 弱気を自覚せよ
いつもと調子が違うんじゃないか?
よくない甘えを引き起こすぞ
2023年7月6日
一昨日「吹けば風」を二周し、同時開催の「枠と波」も見て、昨日もう一度「吹けば風」を見に行った。良い展示だった。
捉えづらい、明確な形がないけど、しかしそこには作家が探求しているなにか、道理がある。確かにそこになにかがある。けれど作家本人も捉えきれていない。捉えようと試みる様子を、鑑賞者は作品を通してほんの少し体感することができる。
捉えがたいものをどうにかこうにか「作品」というかたちする。美術館にいるから、展覧会だから「作品」として見ているけれど、「作品じゃないです」と言われたらそう見るかもしれない。「かたち」がある。それくらい柔らかい。作るために作っているのではなく、気になってどうしようもないから「かたち」にしてみて、それに近づこうとしているような。船川さんはそれを表現するために「等高線」「高気圧、低気圧」「東西南北」といった一般的に知られている言葉を用いているから、ちょっとだけ鑑賞者もそれに触れやすい。4人の中で関川さんの作品が一番鑑賞者から遠いところにいる。
部屋割りが各作家ぴったり来てる感じがした。この展覧会が初めに一番捉えがたい関川さんの作品から始まることで、鑑賞者は自然と能動的な姿勢になる。川角さんは白壁じゃなくて外光が入る面に展示してたのがよかった(逆光で絵が暗く見えたりする)。川角さんの絵も一見ふんわりしていいムードだけど、よくよく見てると奇妙な感じがしてくる。澤田さんエリアもよかった。通路がなく、連続して3作品見るので澤田さんの理のなかに身体ごと没入する。
昨日は午後から雨で、よく晴れた一昨日とは美術館の雰囲気も違ってまたよかった。佐々木健さんの授乳室も見た。今日は新豊田駅近くの図書館での澤田華さんのサテライト展示を見た。
行きは新幹線で行き、帰りは高速バスにした。高速バスの車内でこれを書いている。
乗りながら、先日オフィスワークが楽しいと書いた自分が信じられない気持ちになる。
楽しくない訳ではないけれど、一昨日と昨日で美術館で過ごし、考えを巡らせたあの時間に比べたら…。作品を見て、どういうことなんだろうと考え、気付き、気付かされ、自分に照らし合わせたり、ふとなにかを思い出したりする時間。幸せな時間だった。生きている喜び。もっとそういう時間のなかに身を置きたい。
2023年7月4日
豊田へ。金川晋吾『いなくなっていない父』を持っていく。読みながらわたしの父や母のことを同時に考える。金川さんのお父さんとわたしの父は同い年なのでなおさら。
2023年7月3日
①オフィスワークを、遊びに行ってお金をもらっていると思う
②家事と制作は同じ地平。制作をする=家事をしているということにできないか
という2つが最近ひらめき、度々思い出しては興奮した気持ちになる。
①は半分は本当に思っている。悩ましく思うのは長時間同じ姿勢なので気付かないうちに肩と首が凝ることと単純に1日働けばそれなりに疲れることで、業務内容には特に苦手意識もない。職場環境も整っていて、みなさん気の良い方々で、入社してから何人か異動や転職で職場を離れていくのを寂しく思うくらいには好意を抱いている。
お客さんからたまに無茶な要望を言われたり、小言を言う人もいるけど、それはサービスに対して向けられた言葉で、別にわたし自身に向かって投げかけられている言葉ではないのでわたしが傷つくこともないし(ゲームのように、瞬間的にむかっとしたりはするが後を引かない)、むしろ人々のそういった余裕のない言動は人間味を感じられて、不思議なかたちで心に染み入るものがある。
だから遊んでいるといえば遊んでいる。
ただやっぱり疲れるので、体力的に制作の時間の確保が難しい。「仕事で疲れて今日も制作できなかった」と自分を責めたくないので、「たくさん遊んで疲れたけど、楽しかったからいいか」と思いたい。「制作しなくちゃ」ではなく「遊んだから制作もするか~」くらいに思いたい。
②は無茶振り。対極にある(と感じている)ものを重ねる試み。まだ深く考えていない。
2023年7月2日
《今日の夕飯メモ》
・先日作った鯛のあら汁
鯛はやっぱりおいしい。しかし骨が多すぎてものすごく食べにくい。その点ブリは食べやすくて、あらと言っても身もたっぷりだからあら汁に向いている。鯛は濾して出汁だけ取れば良いのだろうけど、それだとあら汁として物足りなさもある。
・鮎の塩焼き
職場の雑談で、好きな野菜、好きな果物、好きな焼き魚、好きな寿司、好きなコンビニのお菓子等々、好きな食べ物の話をした。わたしはブロッコリー、梨、鯖と鰯、アジとエンガワ、さくさくパンダと答えた。その内の一人が鮎がダントツで好きだと言ったのを聞いて、久々に鮎が食べたくなり、帰りに買って帰る。
焼くと皮が膜みたい。こういう皮の食感の魚、ほかにもあった気がする。淡さの奥にある旨み。内臓が鰯と比べて全く苦くない。川魚だから?
魚屋にあったので思い出したけど、太刀魚が一番好きかも。いい値段するからあまり手を出せないけど…。
・オニオンスライス
ちゃんと水を切って冷やさないと、おいしさが半減する
・スッポンとしめじの雑炊
貰い物のスッポンの煮凝りのレトルトパックの賞味期限が近づいていた。このレトルトパックで初めてスッポンを食べたかもしれない。おいしい!と言えるような分かりやすい味ではない(そもそも味付けされている)ので形容し難いが、滋味深い旨みがある。
2023年6月28日
自炊を初めて8年ぐらい経ち最近たどり着いたのは、自分は自炊にあたり、スパイスを多用したり、意外な素材の組み合わせというものが自分の生活にはどうも馴染まず、そういった料理はほんのたまに外食で食べるくらいの頻度で充分だということ。毎日食べるものにそこまでスパイスの刺激は必要なく(胃腸や肌といった身体的にも)、素材についても意外な組み合わせよりもひとつひとつの素材の味を感じられるほうが好きだと気付く。鰯を塩焼きで食べるとか。玉ねぎをスライスして水にさらし、しっかり辛みと水分をとって冷やして、レモン果汁で手作りしたポン酢をかけて食べるオニオンスライスがものすごくおいしかったり、今の自分にとってはそういうことが心地良い刺激になっている。
あと本当に納豆と生卵のご飯が好きだということ。食べるたびにしみじみとおいしさを感じる。身体にものすごく合っている気がする。ご飯を麦ご飯にしたことで香ばしさも増し、より好きになってしまって1日2食そうしてしまうことも多々あるのだけど、さすがに食べすぎている気もする。いつか急に納豆や卵アレルギーになってしまったらどうしようと、恐ろしくなるときがある。納豆卵ご飯レベルのものが見つかれば良いのだけど。
こんなに食事のことを考えるのは肌荒れがきっかけなのだけど、去年くらいから格段に回復している。(これまでの日記にも何度か書いているけど)10年くらい前から悩んでいろいろ対処はしていたけれど、どれも決め手にかけていた。改善し始めたのは3年前からで、まずは皮膚科に再び通い始めたこと(よい皮膚科に出会えたのだけど、自費診療なのでいまよりも不安定な収入だった20代の頃の自分には厳しかった)と、スキンケア(低刺激性、セラミド補給、ノンコメドジェニック、アレルギーパッチテスト済みのものを選ぶ)やヘアケア(弱酸性、なるべく肌に悪い成分が入っていないもの)、化粧(低刺激性)の見直し。そのあと牛乳・ヨーグルト、カフェイン、小麦(主にパン)、お菓子を控えたこと。カフェインと小麦は一時期は完全に絶っていた。インドカレーのような油&香辛料系の外食もやめ、それ以来インドカレー屋は一度も行ってない(行きたい)。そのくらいから身体が軽くなったのと、肌も炎症はするけど膿になるようなひどい炎症は少なくなっていった。
それからピルを飲み始めてさらによくなった。これまで皮膚科で漢方薬と男性ホルモンを抑える効果のある薬を飲んでいて、さらに女性ホルモンを補うことでホルモンバランスの乱れによる周期的な荒れがなくなり、生理痛・PMSも穏やかになり、精神的にも安定した気がする。
肌荒れの原因が食事と外的要因(乾燥、日差し)に限られるようになったことで、外的要因も以前より気をつけられるようになり、最近とくに食事がヘルシー(野菜しっかり、納豆・豆・豆腐等の植物性タンパク質、魚の脂質、肉・香辛料少なめ)なことでいままでで一番調子が良い。いまは時々コーヒーも飲むし、たまにパンやお菓子も食べたりするけど、そういうものでいちいちぷつぷつできなくなった。皮膚科の薬も危うい時は頼るけど、毎日は飲まなくても大丈夫になった。
肌がヒリヒリしない、痛くない。一時期はもう肌は諦めて、その分良い絵を描こうと思っていた。絵のために肌は犠牲になったと思うしかなかった。ヨブ記を自分ごととして読んだ。だから今ここまで回復したことが本当に嬉しい。膿と熱を持ったボツボツができなくなった。顔から血が出ない。血の臭いがしない。痛くない。笑っても皮膚が引きつらない。顔のことを考えずに人と会話ができる。生きてて良かった。
そしてひどく自虐的になっていた自分に、もう一度肌のことを頑張ってみようよと寄り添ってくれたのはSさんだった。それは慈善というよりも、「卑屈になっている寺本さんが全く魅力的じゃないから」というある種の「欲」からの行動だとSさんは言っていた。慈善の気持ちを向けられるとわたしも自分のことを「哀れ」に思ってしまっただろうから、それもよかった。
だからSさんは、時々肌が大きく荒れたり、生活のなかでいろいろ肌について気にかけることに疲れ「悲しみ」が爆発するわたしを受け止めてくれたのだけど、「悲しみ」が変形し「卑屈」な言動に移行するとしっかりと注意された。そして私も正気に戻るということがこれまで何度もあった。
同時にSさんは、肌が少し荒れているだけで、わたし自身はなにも損なわれていないということもはっきりと言葉で伝えてくれた。「わたし」はなんともなくて、「肌」の調子が悪いだけ。(わたしの「身体」の調子が悪いのは確かなのだけど、気持ちの持ちようとして)。この言葉にどれだけ救われたことか。わたしも、同じように肌で悩んでいる人に伝えたい。
-
毎日の自分の生活にほんとうにいろいろと思うことがある。洗濯は気持ち良いし、机の配置を変えたこと、急に植物との生活が始まったこと、自炊のこと、ひとつひとつ思うことがある。気が向いてちょっとしっかりめに掃除をする自分を、「おお、掃除しているなあ」と思う。けれど生活のことに気を取られすぎているんじゃないかという気持ちにもなって、このままでいいのだろうかと不安にもある。
いま誘ってもらっている企画にあたってOくんから送ってもらったアイリス・マリオン・ヤングのエッセイに、「全てのホームメイキング(homemaking=「ホーム」をつくること)が、家事労働(house work=家の仕事)というわけではない」という一文があるのだけど、今の自分は家事労働からホームメイキングを考えようとしているのではないか。それだと「絵は動いている」からずれていってしまうのではないか。でも、そのずれも含めて「Home Making #3」につながることではあるから(家事をないものとしては考えられない)、そうすると毎日の自分の家事や家での過ごし方、関わり方ひとつひとつがそれそのもので、なにひとつ取りこぼせない気持ちになる。だからこそ絞っていかないと、とっちらかったまま一向に進まないのだけど…。
エッセイや二人と話したこと、二人が「Home Making #3」のinstagramに投稿したテキストに反応するようにいろんなアイデアは浮かんではいるけれど、まだ浅い気がする。思うがままに手を動かしたい気もする。手を動かせは物はできるし、楽しいし、できたら安心する。だけど今はそれをぐっと堪えなくてはいけない。Kさんに「今回寺本さんには今まで通りの制作ではなく、少し大人になってもらいたいんです」と言われたことを思い出す。
だから、ひとつ作品ができたタイミングで一度しっかり考えを整理したい気持ちがあり、今日は「Home Making #3」のinstagramに載せるテキストを書くという目標を立てて朝からベローチェに来て、モーニングセットのサンドを食べて、まずは日記から整理しようとここ数日の魚にまつわる日記を9時から書きはじめて今14時。日記に5時間。
ちょっと絶望してinstagramを見たら、ちょうど長島有里枝さんが「茶色いおかず」について投稿してて、その中で「ちゃんと作る理由を「いいお母さん」の文脈に回収されたくはない。もっと楽しくて、切実で、自分のためのなにかなのだよね、こっちゃん。」と書いていて、わたしに話しかけられているわけではないけど、そんな気持ちになり、少し救われる。家に帰る。
2023年6月27日
Sさんの家に残りの植物を取りに、久々にクロスバイクで行く。往復で26kmくらい走る。
午後制作し、ひとつ完成。もうひとつに取りかかり、夕方疲れて少し寝て、夜はブリのあら汁を作る。ブリと一緒に買った大根と長ネギと、冷蔵庫にあったしめじとなめこも入れた。しょうがを入れ忘れて最後に入れたけど問題なくおいしかった。
半額だったもずくとトマトを和えて、レモンぽん酢と穀物酢(もずくはめちゃくちゃに酢をかけても不思議と酸っぱさを感じない)をかけて、長ねぎの青い部分をちょっと散らしたのも、むしむしする夏の夜ごはんによい。
2023年6月26日
今日は初めてイカを買って捌いて塩焼きにした。ヤリイカ。半額だっだけどそこそこ透明感もあってつやつやして(にごっていない)美味しそうだった。これも塩焼きいけるか?と調べ(すぐ調べる)、大庭英子さんがまさにヤリイカの塩焼きのレシピを紹介していたので安心して購入。大庭さんは一人暮らしを初めた頃よく参考にしていた料理家の一人で、料理初心者にも扱いやすい材料とシンプルなレシピで、でも時短!お手軽!を押し出さない、品がある印象。シンプルで品があるといえば、いまでもずっと影響を受けているのはウー・ウェンさん(料理本も買った)。
ヤリイカは職場の近くの魚屋で購入したので、帰りの電車内でイカの処理方法を紹介する動画を見ながら帰宅。調理にとりかかるところでSさんから着信。ビデオ通話にして、イカの処理を実況しながらすすめる。
イカはまず胴の中に指を入れて、内臓と胴がくっついているところを剥がして引き抜く。するんと抜けて気持ち良い。目の下あたりで切って足と分ける。足の根元にくちばしがあるのでそれを抜きとる。足は2本長いのがあるので切る、と書いてあったけれど、買ったヤリイカが小振りだったのでほとんど切るものがなく、足の吸盤も包丁の背でこぞげとるそうだけれど、その必要もなかった。(というか焼くならそんなにこそがなくてもいいのか?)次に胴から軟骨をはがし引き抜く。軟骨は透明で硬くて少ししなやかなプラスチックみたいな質感。かっこよくてしばらく眺める。胴の皮の端がちょっとめくれていたのでひっぱってとったけど、焼くからとらなくて良かった。
焼いたら身が半分の大きさに縮んでびっくりした。何も知らなかった。細長いパックに入っていたのに、焼いたら小皿に載るくらいの量になった。
味はおいしかった。イカは刺身より焼いたほうが好きかもしれない。食感ももきゅっとしておいしい。おいしかったけどもっと食べたい。
2023年6月25日
三浦哲哉『食べたくなる本』を読み始めてから、肉よりも魚を食べたい気分が続き、連日魚を食べている。
昨日と今日は鰯を焼いて食べた。一時期、鰯の丸干しが干物だけど内臓が食べれるという点で好んでよく食べていて、その時は(今もだけど)魚について知識が浅く、干しているから内臓が食べれるのかなと、とんちんかんなことを思っていた。
スーパーの鮮魚コーナーに行くと、発泡スチロール箱の中で氷で冷やされている鰯が1尾70円弱で売られていて、身がまるっとしていて目も深くて透明な黒、体の色艶も良くておいしそう。以前Sさんが鰯をオイルサーディンにしていておいしそうだったけれど、わたしは大量の油を使う料理に抵抗があることと、シンプルな塩焼きが好きなので鰯もそうしたい。でも鰯が塩焼きで食べてもよいのかもわからないので、その場でGoogle検索で「鰯 塩焼き」と調べると、鰯は内臓も食べられるとの記載。鰯はプランクトン等の微生物を食べていて、胃腸があまり発達しておらず、食べたものが体内に溜まりにくいので内臓も食べても良いらしい。サンマと同じ。それならと4尾購入。
家に帰って、検索した通りに水で洗い、包丁の先を使い弱い力でこそいで鱗をとる。けれど鱗はもともと処理されていたのか、はじめからつるつるであまりとれた感じがない。キッチンペーパーで水を拭いて、塩をまぶして10分ほど放置。15分~30分ほど時間をおいた方が良いみたいだけど、お腹が減っていたので…。出てきた水分を再び拭き取って、二本切り込みを入れてグリルで焼く。強火で焼いたら途中からものすごくパチパチ言うので弱火にした。様子を見つつ表目が焼けたら裏返して焼きあがり。
おいしい。内臓はほろにがくて、甘い身と一緒に食べると奥深い味がする。しっかり焼いたから頭もパリッとしてまるごと食べれて、お皿に残ったのは2本の背骨と2つの小さな尾びれだけだった。
2023年6月21日
朝、婦人科にピルをもらいに行ったあと、荷物を出しに郵便局に向かって歩いていたらAさんに会った。近所に住んでいることはお互い知っていて、別の場所で会ったときにもよく使うスーパーの話などしていたけれど会うのは初めてだったので、ついに、という気持ち。自分の住んでいる近所で知り合いに会うという経験がいままでなかったのでちょっと嬉しい。Aさんはどう思ったかはわからないが。
Aさんが段ボールを見て「郵便局ですか」と言った。Aさんはホームセンターに行くところだった。じゃあまた、と言って別れた。
荷物を出し、Sさんの家に行ってゴミ出しや水やりをして、正月ぶりに実家に帰る。数日前に祖母が入院し、見舞いのためにKおばさんも来ていると母から連絡があった。母からのその控えめな誘いを断ってはいけない気がした。手土産にKで大きなマフィンを3つ買っていく。
正午に実家に着く。着いてすぐに、母が作った梅酢ジュースを差し出されて飲む。かなり酸っぱくて、少し飲んだあと水を足して飲む。
父は起きるのが遅かったようで朝ご飯を食べていた。
母はわたしに焼きそばを作るつもりだったみたいだが、多分、いまはなるべく料理をしたくないのだろう。持ってきたマフィンがみんなの昼ごはんになった。食べている途中に、母がベランダのプランターで育てているトマトを思い出し、ベランダに出て、もぎり、洗い、一個ずつ配り、食べた。青々しい香り。Kさんが食べる前に、「マフィンで甘くなった口を整えないと」と言って、お茶を含んでからトマトを食べたので、父とわたしも同じようにお茶を飲んでから食べた。香りは強かったが味に青くささはなく、さっぱりとした甘さのあるトマトだった。
-
Kさんが「島には無いから」と、昨夜実家に来る前に赤提灯の店に寄り、もつ煮込みで一杯やってきたという。父も母もわたしもあまりそういうことをしないので、珍しがって聞いた(という状況も面白かった)。
Kさんが話す店内の様子。隣のおじさんが「いままで食べたなかで一番おいしい」と言ったレバーの塩を、わたしも同じのを、と追加で頼んだこと。
島の「たのもし」の話(名称を忘れ、帰宅中にKさんにメールしもう一度教えてもらう)。
一人一万円ずつ持ち寄って飲み食いして、残額は順番で決まった一人が貰うというシステム。
花が咲くだけだったマンゴーの木が、今年は大量に実をつけていること。
庭のバナナはうまく実らないこと。
-
母が、友人に誘われ都写美の土門拳の古寺巡礼の展示を見に行ったら、母の故郷の三徳山の投入堂の写真があったらしい。それを思い返しながら話す母の声色が熱を帯びていて、相当な気持ちの揺れ動きがあったのだと思う。わたしがこの実家に思うのとは比べ物にならない、その土地への「望郷」が母にはある。
わたしがまだ幼かった頃、母や母の弟家族と投入堂の近くまで行った記憶が微かにある。かなりあやふやな記憶だけど、投入堂に行くためにはほぼ垂直の岩場を備え付けられた鎖を掴みながら登らなくてはいけなくて、危ないからやめておこうと登らずに帰ったのだった。母のほうがそれをよく覚えていて話してくれたのだけど、話す時に「愛がまだ小さかったから…」ではなく「子供がまだ小さかったから…」と、隣にいるわたしを名前ではなく「子供」と呼んだ時に、なんとなく、「母」というより「一人の人間」という感じがした。思わず「子供ってわたし?」と聞いてしまった。
もう何年も母は実家に帰っていない。仕事と、コロナと、祖母の介護で。何度も「行きたいんだけどね」と言っていた。退職し、祖母も昨年の今頃ようやく入居先が決まり、コロナも収まってきた今がその時なのだと思う。Kさんが「行こうと思ったときに行った方がいい」と強く勧めていた。祖母が退院し、またホームに戻ったらすぐにでも。Kさんは「兄さんが行かせてあげないと」というようなことを言っていたけど、父にはもう、そういうことを考え実行できる体力がない。わたしの役目なんだろう。
母の梅酢とKさんの島土産をもらって帰る。
2023年6月20日
航空機の時速
死んで横になり 肉が腐り骨になり 掘り返されるまでの時間
土
-
骨が移動する
2023年6月17日
部屋の密度を上げて自分の身体を支えるようなイメージが湧き、キッチンに置いていたIKEAのダイニングテーブルを作業部屋に移した。
Sさんから留守中の世話を頼まれたオリヅルランやポトスなどの植物も運び込まれ、部屋が賑やかになった。
-
深夜、タンネからの帰路でこれを書いている。解散し一人で歩き始めてから急にどっと疲れが出て、家の遠さが恨めしくなる。今日はよく描いた。
振り返れば今日というかこの1週間はいつもよりもそわそわしていた。Sさんとしばらく会えなくなるからなのだけど。昼にSさんを見送ったいまもまだそわそわしている。この夏よく顔を合わせることになるのはKさんとKさんとOくんなのだろう。あと職場の人々。
タンネはタンネでいろいろあった。一日が満ちている。しかしもうここに記す気力が今日はない…なんだかスポンジみたいな、すかすかの日記になってしまった。
考えることがたくさんある。
うまく時間を使いたい。身体も鈍っているから運動もしたい。
2023年6月14日
《おにぎりのメモ》
透明のラップに包まれた
米 大麦 小松菜 黒胡麻 ごま油 醤油 みりん 鰹削り粉
-
洗濯してご飯つくって事務作業して一日が終わる。
とくにご飯関係に時間をくわれている。自炊の手際が悪い。
今日も制作らしい制作ができなかった。
いま作ろうとしているものはまず道具を揃えなきゃいけなくて、そういう「段取り」の段階だと気分としてはほかの事務作業と近いので、ついやりやすい事務作業から「片付け」ようとしてしまい、制作が後回しになっている。
今日は道具を試して、それがあまりよくなく、また新しい道具をAmazonで注文して終わり。
2023年6月6日
夢の中で、高野文子がキャラクター原案として関わったアニメ「平家物語」のなかにわたしは居て、時期としては栄華を極めたその後、源氏に攻め込まれ西へと敗走している頃。夢の中でわたしはわたしであり平重盛でもあった(アニメだともっと前の時期に亡くなっている)。
重い甲冑を着せられ日本刀を持たされると、自然と「やらねばならぬ」という気持ちが湧いてくる。簡単に場の空気に飲まれてしまう自分の軽薄さに恥ずかしくなりながら。強さ、勇ましさへの憧れ。
脇差をどう身体に身につければいいか分からなくて、もたもたしている間に目が覚めた。
-
家事。
晴れた日に洗濯物を干す気持ち良さ。洗い立ての香り。乾いた香り。
洗濯した掛け布団カバーを再び掛け布団にセットするのは面倒。
ご飯を作るのは常に憂鬱と紙一重。
毎日毎日なぜお腹が減るのだろう。そして作らないといけないんだろう。
でも顆粒出汁ではなくちゃんと出汁をとってつくる味噌汁がおいしくて好きだからちょっと面倒だなと思いつつ水出しの出汁を仕込む。
スーパーで安く売ってる鯛のあらが好き。塩を振って焼いてそのまま食べるのも良いし、身を取って、あらと昆布でとった出汁で米を炊き、身を混ぜて鯛めしにしても良い。
少し前に仕事先のNさんと自炊の話をした。鯛めしの話をしたら、マグロの血合いを唐揚げにするのが好きだと教えてくれた。
Nさんの近所の河川敷には時期になると竹の子が沢山生えるので、それを採って食べるという。スーパーに出回る竹の子は大きく2種類あり、収穫時期が異なり、いまは後期の竹の子は出回る頃ですよとのこと。
2023年5月16日
3月からの体調不良の連鎖がやっと途切れた。肌も調子が良い。春、苦手な季節になってしまった。
-
楽になるために決めつけ、置いて、捨てたかったのだと思う。それにいつまでも囚われている自分が嫌だった。
しかし楽にはならなかった。自分のなかでかたちにしていなかったものが、移動し、かたちになっただけだから。わたしがそこに置いたから、それはずっとそこにある。
決めつけても、決めつけられなかった部分がもぞもぞ動いている。どうすればいいのだろう。触ると苦しいなら触らずにいたほうがいいのだろうか。
苦しくならないように触ることはできるのか。
2023年4月29日
体調を立て続けに崩し、不安に飲み込まれ悲しみに浸かってしまった
なぜ自分は人前で泣けるんだろうか
泣きたいときにちゃんと一人になって泣く人になりたい
情けなくて恥ずかしい
春をこんなにも辛いと思ったのは初めてだった
いつもこんなに風が吹き荒れていたっけ
2023年4月25日
「膨大」について
映画、40時間撮影して2時間まで削ぐこと
衣装、手縫いの刺繍は時間を内包した布 を探し回って見つけること
年月をかけて集められた布が棚に積み重ねられていること
その中から1枚を選び出すこと
「あの頃」を回想する「いま」と「あの頃」の間
2023年4月19日
ツツジのケーキ
交差点の黄色い花
ミントグリーンの繊維
2023年4月10日
自分はなにを信じ、愛しているのか
振り返って考えるべき
-
テーマはその都度食べる栄養
摂取するその身体そのものを考える
身体を考えてはいけないのがイラストレーションなのだと思う
わたしは身体を考えたい
devotionでわたしを突き動かしたもの
島々をなぞる、coastlineで隠れているもの
2023年3月30日
「〇〇しよう」
わたしが責任を持つから
愛すること 責任を持つこと
選んだ言葉を渡し、手を取り連れて行く
踏み越える
それは「ごめん」の対極にあるもの
2023年3月24日
45年間コードを書き続ける老年のプログラマーは、朝起きると"イメージスイミング"を行うのが日課だ。プールに通うのは時間も手間もかかる。それなら"イメージ"で泳げば良い。彼はまずバタフライから始める。実際にはバタフライの経験はない。しかしイメージならばあらゆる型で、スムーズに水中を泳ぐことができる。競泳の選手の肉体を想像しながら、肩甲骨を円を描くように動かす。息継ぎをする。手のひらに水の重みを感じながら掻き分ける。そしてクロール、平泳ぎ、背泳ぎをしてプールを出る。肌に伝う水滴を手でぬぐう。
「僕は芸術には手を出さない。なぜなら終わりがないからだ。だけどプログラミングは、人間がこの世界で唯一、完全に、コントロールできるものなんだ。自分の書いたコードが、世界の始まりと終わりを決定させるんだ。それがたまらなく楽しい」
2023年3月19日
立て付けの悪いドアを開けバックヤードへ入ると、客が残した焼きそばやレバニラを、誰が口をつけたかわからない箸で回し食べている。見て、と二つに折られた箸。これで一膳増えたと笑う。たくさんお酒を飲んだから何回もトイレに行く。用を足したあと、トイレットペーパーを三角に折る。バックヤードに戻るとビーフジャーキーが追加されている。「わたしこれ好き」と食べる。湿気たポップコーンを食べる。みんなお腹が空いている。副流煙を浴びた身体、しゃがれた声で「まだ2時なの」と彼女は言う。
-
「飲み物をどうぞ」と男は女にメニューを見せる。女はワインを、男はレモネードを選ぶ。年季の入った木製のカート2台に分けて「本日の食材」の魚介類、野菜、果物、証明書の付いた牛肉が運ばれてくる。「今日はこのホワイトアスパラガスは食べないとだね」と男は給仕に言う。「ボイル、もしくは炭火焼でお召し上がりいただけますが」「炭火焼で、1本ずつお願い」手作りのブッラティーナは苺または桜の塩漬けとのカプレーゼを勧められるが、男はハモンセラーノを選ぶ。「苺は苺でいただこう」。男が肉や魚介を選び、メニューを決め終えると、給仕はカートを押して帰っていく。
白く大きなブッラティーナにナイフを入れると、切れ目から生クリームとミルクが溢れ出す。ハモンセラーノと絡ませながら取り分け、塩を振り、青いオリーブオイルを垂らす。
2023年3月16日
夢。韓国から友人が泊まりに来た。ナム・ジュン・パイクという名前で、しかしあのナム・ジュン・パイクではない。わたしよりいくつか歳上のお姉さんで、黒い髪でショートパーマ。私は団地の高層階に住んでいて、時間は夕方。外はまだ明るい。室内は暗く、オレンジの照明を点けている。天井が低い。ナム・ジュン・パイクは来て早々に「絵描こうよ」と、ちゃぶ台の上に無造作に紙と鉛筆を広げる。その隙間にわたしはお茶を置く。
2023年3月14日
東畑開人『居るのはつらいよ ケアとセラピーについての覚書』ものすごく面白かった。没入した。読む前まで自分のなかで勝手にこの本に求めるなにかがあったのだけど、それを大きく大きく包んでくれる本だった。
後半は一気読みさせられてしまった。読まずにいられなかった。だからまだ巻き込まれている。冷静に振り返れない。とにかくよかったと思ったことだけを書き残す。
ひとつ、些細なことだけどP260で失うことについての例で「恋人に裏切られる」というフレーズが出てきた。多分その前のページのどこかでも出てきたような気がする(記憶違いかもしれない)
「恋人と別れる」ではなくて「恋人に裏切られる」と書く。「別れる」と書くと理性的な感じがするけど、「別れる」は動作を表していて、お互いの心に生じているのは「裏切られたと感じる」ことなのかもしれない。強い言葉だから書いた自分が今、当てられかけている。「裏切られた」は同時に相手が「自分を裏切った」人になり、同時に相手から「裏切った」人だと思われることにもなる。それに耐えられないと心は無意識に判断し、心を守るために「別れた」と表現する。
この本は不安定な心をどうにかおだやかに保とうともがく(おだやかになるためにもがくしかない)人々の話だった。登場人物全員がそうだった。
-
わたしをなぞる言葉
わたしの肌をやさしく撫でてくれる言葉
2023年3月12日
先日KELTYのリュックサックを買った。
KELTYは「バックパック」より「リュックサック」と呼ぶほうが合っている気がする。
それまでリュックサックを持っていなくて、いつも斜めがけのショルダーバッグを使うことが多かったけれど、MacBookやら荷物が増えるとあまりにも肩がつらくて耐えられず、函館から千葉に戻る帰路(まさに苦しんでいる時)の間にめぼしいブランドを検索し、Amazonで購入、翌日受け取った。それから伊勢に行き、戻ってきてからは職場に行くとき使っているけど、本当に良い買い物をしたと背負う度にうっとりしている。弁当と飲み物(水を入れた500mlのボトルと、温かいカフェインレスコーヒーを入れた350mlのボトル)のほかに、仕事帰りに外で作業をしたいときはMacBookも持っていくのだけど、同じ物量を背負っているのに全く重くない。いつもいつもげんなりしていたのが嘘のよう。無くせるストレスは(無理ない範囲で)無くしていこうと思った。
2023年3月10日
来年のわたしへ。早めに花粉症の薬を飲み始めること。肌がぼわぼわして、肌の深部の炎症が赤く目立ってきます。食事と保湿だけでは太刀打ちできません。今年はいよいよ目もかゆくなるようになりました。耳鼻科に行ったら花粉症の症状が肌に出ることも伝えること。
-
肌の問題によって、ぎりぎりのところで過食を抑えている気がする。
2023年3月9日
伊勢滞在中。午前は絵の制作、午後に鳥羽のミキモト真珠島に行く。
道中、電車内で近藤さくらさんの『視線の標本』を読んで、ほんとうに良くて、耐えられない気持ちになる。Vol.6に書かれている夫婦生活についての文章は、函館でさくらさんから貰った直後に読んで瞬間的にその場でもくらったのだけど、今日また読んで、やっぱりくらう。
『わざわざ「ずっと一緒にいる」というサインをして それからお互いを自由にする練習です。』
…これを読んで最近の自分について思ったことをいろいろこの後に書き連ねたけれど、函館から伊勢と体調を崩しながらの滞在で、考えることがあまり健康的ではないので消した。
真珠島は2時間半ほど滞在、何度か休憩しながら博物館をじっくり見て、帰る頃には疲労で頭痛。
併設のミキモトのお店には数十万から百万越えのネックレスはじめとするさまざまな装飾品が並んでいた。真珠が連なるネックレスの堂々とした姿は制作過程も知ったことで貫禄を感じたけれど、装飾品になった真珠にはどうにも興味が湧かなくて、一応一通り見て店を出る。これはデザインの問題が大いにある気もする。若年層向けの安価な淡水パールのアクセサリーもあるけど、デザインは時代が止まっているように感じる…。
そしてミキモトはやっぱり真円の真珠こそ、というところがあるんだろうか、バロック(いびつな形の真珠)を使用したものはなかったような。「一流」を維持する難しさ。
真珠は金具との相性も難しい気がした。真珠がなぜかチープに見えてしまう。いや、これもデザインの問題かもしれない。博物館の2階で展示されていた天然真珠を使用したアンティークジュエリーはうっとりするものがいくつもあったが、これと同等に考えるのは違うか…。
装飾品になった真珠よりも、昨日、菊池パールでの真珠取り出し体験で、アコヤ貝にナイフを入れて貝柱を切って開けてぐにょぐにょの内臓の間に挟まった真珠を自分は美しいと感じる。言葉にできないけれど、とても惹かれるものがある。
_
「たらちね」の近くの「つたや」で伊勢うどんも初めて食べた。話に聞いていた通りやわらかい。白玉よりもやわらかくて消化に良さそう。いまの体調に合っている気もする。やわやわな食感だけどつゆ(タレ?)は甘っ濃くて、そのバランスも好みかも。
2023年3月4日
喉が痛い。ものすごく久々に「風邪っぽさ」を感じ、念の為病院でコロナやインフルエンザの検査をして陰性、風邪と確定。
函館の家に泊まっている間は毎朝温泉で温まり、汗をかいて自律神経を整えていたのだけど、最終日だけドミトリーに泊まったら乾燥で喉がやられた。シャワーで済ましてしまったのもよくなかった。この冬、へんな寝汗をかくことが多い時点で危うさはあったのかもしれない。
肌が荒れないよう最近はほとんど外食せず、質素な食生活をしているけれど、函館では寿司やジンギスカン、洋菓子、パンも食べた。お酒は飲まなかったが、代わりにジュースを飲んだ。カルピスが美味しい。ジュースで一番好きなのはカルピスかもしれない。久々の贅沢をした。
ジンギスカンみたいなものは実家で何度か食べたことがあったけど、ジンギスカン屋に行くのは年末か年始に(思い出せない)シェアメンバーの4人で目黒のジンギスカン屋に行ったのが生まれて初めてで、今回函館で行ったところもものすごく美味しかった。野菜もたくさん食べられるし、牛肉と比べて胃がもたれない。焼肉より好きだと思った。
ジンギスカン屋は2回も行った。本当によく食べた。なので、身体がエネルギーで満ち満ちていくのを感じられる。指先までギュッと栄養が詰まっていく。
肌もいまは温泉と栄養でつややかだが、小麦の影響が遅れて遅れてやってくるのではないかと思う。どうか大きく崩れませんように。
本当のところ、しばらくは家にひとりでいたい気分ではあったけれど、行ってよかったと思うことがいくつもあった。SさんもUさんも優しい、GさんやKさんとみんなでご飯を食べれて嬉しい、Oさんと会えて作品見てもらってお茶もできて嬉しい、大家さんとの時間、ロフトで偶然Aさんに会えたこと、ホテルのフロントの方がトークイベント行きましたと話しかけてくれたこと、Sさんとお蕎麦屋さんで話したこと。
2023年3月3日
また、絵を描かない=自分の価値がない、と思いかけている自分に気づく。
気づけてよかった。引き戻すために書く。
価値づける時点で、自分の存在を他者に委ねてしまっている。いろんな面で「人からどう見られるか」を気にしてしまっている。(自分が気づかないところは、良くも悪くも気にしないでいられるのだけど)
嫌気がさす。好きなようにすればいいだけなのに。
2023年3月2日
誰かと一緒にいながらも、話しながらも、多くを打ち明けながらも、同時に「ひとり」の部分を持っている。
ひとりで考える、ひとりで決断する場所がある。
「微笑まれたら微笑み返す」振る舞いは、微笑み返すほど「ひとり」がないと人に思わせる。「全て」を打ち明け、共有してくれていると相手に思わせる。その微笑みは嘘ではない。微笑み返したいとわたしが思ったから微笑み返している。都度「わたし」を打ち明けている。しかしその打ち明けがわたしの全てではない。微笑み返しながらも、同時にひとりでもいる。
それは「全てを打ち明けてくれている」という期待を裏切ることになる。あんなに共有したと思ってたのに、この人は、この人にとって大事なことは「ひとり」で決めてしまう。
それはさみしい気持ちにさせる。
どうしたら、「微笑まれたら微笑み返す」ことを否定しないまま、「ひとり」を否定しないまま、人をさみしい気持ちにさせないようにできるのだろう。
2023年2月25日
自分で買ったのに、なんだか派手すぎるような気がして積極的に着れていなかった明るい緑色のトップスを久々に着る。
仕事場のソファに座り自分の胸元を見ながらこれを打っているけれど、眩しくて、気分が良い。
自分の考える身体の大きさよりも、実際の自分の身体が大きいと感じていたけれど、最近は積極的にこの身体の大きさに精神を合わせていこうと思うようになっている。
すると、同じ服、同じスタイリングなのに不思議ととても新鮮に感じる。以前よりも良い感じがする。新しく購入したスカートも、「小さなわたし」に寄り添うものではなく、「大きなわたし」に勇気を与えるものを選べたと思う。
-
好きになってもらいたいと思うことと、人の評価を求めることの近さ、危なさ。
2023年2月24日
奥誠之『ドゥーリアの舟』をゆっくりと読み返し、今日読み終えた。本が心に寄り添ってくれる。
わたしはいま、自分で自分に「セラピー」を施しているのかもしれない。「ケア」ではなく。
2023年2月20日
10年前とも違う
5年前とも違う
3年前とも違う
-
チューニングが得意
チューニングができる
チューニングができてしまう
チューニングをしてしまう
チューニング自体を「良いこと」「悪いこと」として捉えない。
「自分にはチューニングの性質がある」ことだけを認める。
それが何を引き起こしているか、を注視する。
-
楽しくあれないならば、楽しくあろうとする自分がゆるせないと思うのなら、とりあえず、それを一旦横に置いておく。ゆるす、ゆるせないの判断ごと、横に置いておく。
2023年2月19日
目は疲れていて、ここ数日は奥に重い痛みを感じていた。目は瞼を閉じて休みたかった。しかし目以外の身体は今日の春の陽気を喜んでいた。筋肉は布団の中で緊張を解き、リラックスしていた。のびのびと身体を起こし、目が瞼を閉じたままにすることをゆるさなかった。
身支度をする身体に、目はことごとく付き合わされる。ドアを開け、鍵を閉め、ドアノブを回して鍵がかかっていることを確認させられ、出発する。ホームでは電光掲示板を見させられ、電車内では持ってきた本を読まされ、スマートフォンの画面を見させられる。斜め向かいのベレー帽を被った髪の長い女性の、ドクターマーチンの3ホールシューズと赤いショートソックス、マスタード色に黒や赤や緑が重なり合うチェックのマフラー、手に持っている本の緑色のカバーを見させられる。
大手町駅で身体は降りて、出口案内表示の「C2c」を目に探させる。階段を踏み外さないよう注視させられ、外に出ると生暖かい空気。身体は「寒くない」と喜んでいるが、目は自分を覆うコンタクトレンズが乾いて息苦しい。曇天の眩しさも、高層ビル群によって乱反射し飛び込んでくる鋭い光も、目には嬉しいものではなかった。
しかし、大手町駅から身体の目的とする場所に向かって皇居の堀沿いを歩く途中、道路の反対側に一本の春の木を見つけたことで、目は今日の身体の横暴をゆるした。身体は春を見れない。目は春を見た。
2023年2月18日
ある人がある問題を抱えていて、それは事務的な手続きが関係することで、3つの相談先がある。その人はその内の2つに、自分が今困っていること、追い詰められた状況からどうにか抜け出せないか、その方法を教えてほしいと切実に訴える。2つの相談先はそれぞれの管轄で出来うる範囲の助言をする。
その人はとても追い詰められていた。最後に残った相談先に訪れたときには、その人はもう、どこまでが範囲でどこからが範囲外なのか考えることができず、説明するための順序立てや、どのように要点を伝えるかといった編集の思考・気力も失っていて、いま抱える苦しさをそのまま吐露するしかなかった。
相談員も、どうしたらいいかわからなかった。伝えられるのはいくつかの具体的な手続きの方法で、それはその人の苦しみへ対するものとしてはあまりにも温度のないものだと、相談員自身も感じていた。物事を具体的に進めるには相談先の専門性が必要だが、同時に、その人の抱える苦しみに寄り添ってくれるような存在が必要だと相談員は思った。
話は聞ける、しかし受け止めきれない。受け止める態勢を取れていない身体にはその人の訴える苦しみはあまりにも重く、その人が話し終える頃には相談員もその重みで身体が折れ曲がっていくのを感じた。引っ張られている。暗闇の淵に立ち、目を凝らし見出す必要のないなにかを見出だしはじめそうな自分を引き止めるために、その人が帰ったあと、相談員は強く、溜息を吐いた。
2023年2月16日
肌の治療のためにピルで女性ホルモンを補充し、薬で男性ホルモンを抑制している身体と、性自認と、「かわいい」の遠さと、〈〇〇〇〇〉への恐れ(過去の経験から深めてしまっているが、一種の偏見だとも思う。どうしたらいいのか。言い表せる言葉を見つけられていないため、〈〇〇〇〇〉で表記する)とがめちゃくちゃに絡み合っていて、解きほぐせる気がしない。
2023年2月12日
出先で「寒い」と思いたくなくてダウンを手放せない。15分も歩けばネックウォーマーには不快な熱がこもることも分かっているのに、欠かさず身につけ家を出る。冬はずっと寒さに組み敷かれていて抗えない。
ほんの数日間だけれど、昨年末に函館の冬を体験できたことはよかった。気持ちの良い寒さもあるのだなと思った。肌が痛くない。冷えた空気を吸って吐くことが、身体によいことをしているように思う。
いま着ているこのダウンを購入したことも大きい。軽くてものすごく暖かい。いままでのコートがどれも重いし寒いし、これまではとにかく着込んでいたが、ダウンはすごい。ヒートテックも必要ない。真冬に「ちょっと薄着にしようか」と考えるなんて、贅沢なことをしていると思う。
分厚いセーターの出番が減り、秋みたいな薄さのスウェットを着ている。身体が軽いのがとにかく嬉しい。だから夏が好き。
-
奥誠之『ドゥーリアの舟』を通勤中の電車内、昼休み、帰りの電車内で読み終えた。
「感情が筆に乗り、絵具がキャンバスに乗る。」の一説に驚いた。本当に驚いた。「感情が筆に乗る」ということが、わたしの「絵を描く」には起きていないから。そうやって描くのか、と素直に感心してしまった。
いや、ラフの段階で「鉛筆に乗る」ことはあるけれど、奥さんの言う「乗る」とは違う感じがする。
おそらく「線」ではできないことが油絵ではできる。そう思うと、楽しいけれどなにをどうすればわからない状態の油絵と、もう少し親しくなれそうそうな気がする。でもあまり急がず、ゆっくりやろう。
-
絵を描いて、人に見てもらって、話をして、
どれもそうだと思いたいし、どれも違うとも思いたい。
2023年2月11日
Mさんからフェミニズムに関連する書籍をいくつか紹介してもらい、導入としておすすめされた清水晶子『フェミニズムってなんですか?』をまず読み終える。
第一波フェミニズム運動から第二、第三、現在の第四波までのおおまかな流れ、それぞれの成果と同時に抱える課題点を、限られた文字数のなかでも丁寧に拾い上げられている。清水さんとゲストとの対談も挟まれていて、この対談が本を生き生きとさせている。小さな部屋で清水さんと読者が円になって座り、清水さんのレクチャーを受けているような気持ちになる。清水さんは東京大学構内に「駒場キャンパスSaferSpace(KOSS)」という場所をつくったらしく、基本的には在校生・大学関係者のための場所だが、大学外の人も参加できるような公開講座もあるとのこと。ちょうど日程が合うものがあったのでひとつ予約する。
生まれ、自我が芽生え、都度なにかを選択し、今の自分がいるのだけど、そのなかには振り返ると歪な選択をしていたと思うことがある。その選択をした自分を長い間「自分はこういう間違った選択をしてしまう、愚かな人間だ」と責めたが、どうしたら繰り返さないのかもわからず、あきらめ、もう過ぎたこととして考えないようにもした。
しかしいくら経っても忘れることはない。それは時が経つにつれて、反省とはまた違う、違和感としての「どうして自分はその時そう考え、そう選択してしまったのか」という疑問に変化し、それを考えていくなかで自然とフェミニズムに辿り着くのは、なにかがあるんじゃないかと思う。何一つ言い切れないけれど。言い切るのもよくない、もう考え続けないといけないんだと思う。後悔ではなく考える。考えないといけないのか、ああ、後悔に浸かるのは楽だよ。でも先がない。これから先また歪な選択をしないためにも、自分を守るために考えないといけない。
書きながらぐっと心が重くなったけれど、なにも苦しもうとしなくていい。この前Mさんとフェミニズムをきっかけに話した時間は楽しかった。お互いに女子校出身で、それに思うことももちろんわたしとMさんは違って面白かった。(これから先「女子校」も変わっていくのだろうなと思う。)
Mさんは、女子校だからこそ性別的な役割分担が生まれない点で平等を感じ、そこでの自分の主体性には自信を持っていたと言っていた。わたしはその点でいえば、バスケットボール部に所属し、髪を短くし、体育祭では鍛えた身体を活かし「自然と」主要な役割を負った時期もあったけれど、それも女子校という環境だからで、その役割を担いに行くわたしはどうなりたかったのだろうか。それは「男性的」になりたかったのか、なにが自分をそうさせようとしたのだろうか。共学だったらどうなっていたのだろうか。
あのとき華やかなダンス部とバトン部と自分を比べて、自分は「身体が大きくて、一重だから」かわいい女の子にはなれないと思っていた。その反動で、そうではないもので自分を認めようとしたのか。「かわいい女の子にはなれない」は、磯野真穂『ダイエット幻想』にもつながる。
悲しみに浸かりたくない。硬直したわたしから離れたい。歩いて景色を変えたい。楽しくありたい。
2023年2月8日
昨日は朝から曇りで薄暗いのにやけに気温は高かった。15時前後のオフィスは窓から伝わる熱と暖房によってぬるぬるした温さになる。
夜は梅雨みたいなにおいがした。予報が外れ雨が降らなかったのはよかった。
-
生まれてからこれまで積み重ねてきた自分の選択の結果ひとつひとつが複雑に捻り混ざり合い、癒着し、もうどうしようもならない。選択はどこまでが自分が招いたものなのか、選択「させられた」ものなのか、これも分けて考えられない。経緯がどうであれ数々の選択の結果が今、ということだけ。自分自身のどうにもならなさを、みんなどう向き合っているんだろうか。呼吸のようなものを。勝手に収縮拡張する肺が吸いたくない空気を取り込んでしまう。
微笑まれたら微笑み返してしまうことは「限りなく絶対的に」良いことだと思って生きてきてしまった。散々それが喜ばしくないことを招いているのに、今もまだどこかでそれを捨てきれない。絶対的なものなんてないのに、いつか見た雲間の光にすがるように信奉してしまっている。それはまぼろし、ただの天気の変化ですよ。悪い面をどうやって心身に覚え込ませればいいのか。
-
母から食品が届いた。添えられたメモには「誕生日おめでとう」の他に、最近オカリナを始めたこと、高音が難しいと書かれていた。母が近況を知らせてくれるのは初めてだった。顔文字まで添えられていた。もしや去年の日記を読んだのかと一瞬思ったが、それはないだろう。あれから交流の頻度を増やしたことで母のなかで緩やかな意識の変化が起きているのだとしたら嬉しい。そもそも話好きな人だ。会うとよくしゃべる。書き文字として表れないだけで。
2023年2月4日
「一刻も早くやめたい」とつぶやく人
枯れ草が擦れる音、下を向く豹
2023年1月27日
2023年1月22日
家族写真は壁に貼らないまましばらくデスクの端に置いていたが、時々は手に持って眺めたりもした。先日それを実家に送ったら、今日、写真立てに入れて飾ったと母からの連絡。
2023年1月14日
少し前から絵を描き始めた。ここまで来るのに前回の個展から丸々一年かかった。
まずはあるもので描こうと、余っていた大きめの水張りパネルがあるのでそれを使う。
取り掛かる瞬間はいつも息が詰まる。白い紙がこわい。自分が何をどう描きたいのか、きっかけの一片を見つけるまでのあいだ、ふつふつと沸いてくる「描けないかもしれない」を押し込めながら手を動かす。
それをやりすごせば、描いてみたいものが沢山あったことを、だんだんと手から思い出してくる。しばらく描いていない時期も「妄想」はするけれど、いまはもっと地に足のついた、実現へ近いものとしての「想像」。
勤務中に思い出したときは付箋にメモしておく。帰宅して、デスクライトのシェードや、机の横の壁に貼られた他の付箋や紙片の隙間に貼る。
壁にはUさんにもらった2枚の写真も貼っている。私ひとりが写ったものと、Kさんとわたしが写ったもの。9月の函館滞在では全員滞在終了日が異なり、それぞれの別れ際にUさんは写真を撮り、現像し、12月に再び滞在で会ったときにくれた。自分が写った写真をデータではなくプリントでもらうというのは初めてかもしれない。袋に入れたまま、写真を刺さないようにピンで壁にとめた。
先日実家に帰った時に、母の「写真撮ろうよ」の一声で、家族が揃った写真を撮った。
わたしも、今日はそう言おうと思っていた。
リビングの端のPCを置いている台に弟のiPhoneを立てかけて撮影したあとに、弟がiPhoneを手に持って自撮りもした。わたしが「ピースしようよ」と言ったら、両親は即座に両手を胸元まで挙げてピースをしたので笑った。両親も弟も同時に笑った。
この2枚の写真もデスクの横に貼ろうと思いコンビニでプリントしたが、プリントするとiPhoneの画面で見るよりも画質が粗く、Uさんにもらった写真のような瑞々しさは無く、写真のなかで空気が滞留しているような、埃っぽさを感じる。
2023年1月7日
「二人は同じ場所にいて、同じパースペクティブを共有している。ここから眺めるひとつひとつの位置は、二人でこう見えると良い感じだよねと共同作業によってその場所に置かれた。しかし片方は、目の前のものに一所懸命に反応してしまう。次から次へと無我夢中に向かい合う。その足が、二人で共有したものの位置を蹴散らしていることにも気付かずに。気付いた時には元いた場所からひとり離れて立っていて、見渡すと荒野。」
2023年1月1日
去年はこれまで自分が選択した「やりたいこと」の、精査の甘さのツケがきた一年だった。
日記を書くことで苦しかった気持ちを文字で認識し、覚えてしまい、読み直してまた苦しく思うのは健やかではない。自分の「苦しい」に浸るのは去年限りにしたい。
・「苦しい」に浸るのではなく、掴み、扱うものと捉える。
・日記を書くならばそういう姿勢で書く。「苦しい」に自分自身を沈めるような日記は書かない。
・もし書きそうになったら書かない。
・書かない代わりに好きな本を読む。自分の打った文字を読まないこと。
・もしくは描く。絵は自然と「工夫」が生まれる。しかし油断はしないこと。
-
昼に少し実家に帰った。弟も帰ってきて、7年くらいぶりに家族が揃った。母と会うと大抵は祖母を介護していた頃の話から始まり、ぼんやりし始めている父の様子や最近の食生活の話へ移るが、今日は珍しく母個人の話、最近の読書についてこぼした。原田マハを好んで読んでいるという。「本は買うと場所を取るから」と、昔から本は図書館で借りて読むのが習慣で、わたしが実家に住んでいた頃もよく夕食後のリビングで読んでいた。ピンクゴールドのフレームの老眼鏡をかけて、1時間もしないうちにうとうとしていた母を思い出す。「生活の運営」から離れた時間、母のひとりの楽しみの時間。
2022年12月19日 夜、電車内
生きている
生きている
生きている
2022年12月16日 朝
疲れているからか、寒いからか、気持ちが沈んでいる。良いことも悪いこともこの身体に積層していることを度々思い出し、普段は意識せずにいられた重さがこういう時は耐えられなくなる。頭が重い。
昔は実家、西東京から離れれば、住所の「東京都」ではない場所に住めば解決できると思っていたけれど、いまはどこに住まいを構えても、ぐちゃぐちゃに混ざり合った泥のようなこれがなくなるわけではないことも薄々気付いている。
-
風呂に入りながら本を読み、ワインを飲みながらシンクに溜まった食器を洗う。そろそろ寝ようと思いながら卵を茹でる。ガス料金票に書かれている数字を見ながら歯を磨く。
2022年11月25日
寒くなってきたからか、暗いからか、慣れないブーツを履いて左足の母指球と小指と右足の薬指を痛めながら歩いているからか、1日中暖かいが乾燥した空間でパソコンを見続け電話を取り、話し、調べ、整理し、書き留めた疲労からか、昨夜あまり寝ていないからか、どうしようもなくお腹が減って、避けていたパンを買って食べてしまったからか、制作費が足りず早急にお金を工面する必要があるからか、嬉しいメールをもらったのに返信する気力が湧きあがらずそのままにしていることが気になっているからか、いま全ての連絡が苦しく感じてしまっているからか、ふと、あのときと同じ気分になっていると思った。生きている温度がない気持ち。ひんやりもしない。でもスーパーで大根が1本100円だったから豚バラ大根にしようと思って買って帰った。
帰宅して、昨日のうちに作っておいたキャベツと手羽元のスープを電子レンジで温める。弱火で長い時間煮込まれた手羽元の、軟骨ごと骨から剥がれほぐれていく肉を食べながら、その無抵抗さに冷めてしまった。
2022年11月16日
佐藤泰志の『そこのみにて光り輝く』の、拓児が喜びによって表情がかわる描写
表情から表情へ、そのあわい
2022年11月15日
絵を描いている。というかコラージュをしている。そうなってしまった。見慣れなさか拙い感じがする。カッターで切った断面が紙面でちらつくのが気になる。普段使わない画材に翻弄される。このまま進むといつもの「完成」とは違う「完成」になってしまうことに緊張している一方で、なにが「美しい仕上がり」だ、何やってもいいだろうという気持ちにもなっている。チラシに描いているからか、子供の頃、新聞の折り込み広告の求人チラシに散りばめられている小さなイラストレーションが一番身近だったなあと思い出す。パソコンソフトなど使わない、ミリペンを使っているとわかるような絵。机に向かって、下を向いて、手で書いている感じがする絵。隣の部屋の台所の冷蔵庫にはプラスチックの磁石。
チラシから絵を探して、たくさん載ってると嬉しかった。好みのものを探した。実家を出てから新聞をとっていないから、いまでもああいうチラシはあるのかわからない。
大きい絵をしっかりと計画し作り込んでいく絵をいまは描ける感じがしないけれど、それでいいと思う。
2022年11月13日
Y駅からM駅の電車に乗るときはどの号車のどのドア付近に乗ればホームの階段近くで降りられると5回目の出勤で覚えられたのに、都内からM駅に戻るときは3年半経ってもどこに乗れば階段に近いのか全く見当が付いていないことに、自分の「足りないもの」を見てしまいそうだったけど、一時的なナイーブさから思うことのような気もする。単純にシンプルな経路だから覚えた、でいいんじゃないか。でもそれで済ましてしまっていいのだろうか。
「始まり」と「終わり」が分かることと、充分に準備ができない「始まり」に「翻弄されている」と「感じる」こと。
2022年11月11日
TABFくらいから手が乾燥し始めて、同時に顔も乾燥によって不織布マスクに反応するようになり、頬に全体的に赤みが浮き出てきてしまった。調子が悪い。今日も久々に顎にポツっと出て、緑軟骨を塗ってパッチをしてマスクで隠して出勤している。マスクは布マスクにした。
夏頃から最近までグルテンとカフェイン断ちはゆるくしていても大丈夫だったけど、肌がある程度安定するまでは再び厳しめに断つことにした。水分もとっているけれど、昨日からは中医学的に潤いを補うとされている食材を選ぶようにもしている。
一昨日はAmazonで象印のスチーム式加湿器を注文した。そして今日から出勤する日は時々、朝洗顔後に保湿のフェイスパックをすることにした。それなら暖房で乾燥したオフィスに1日いてもなんとか持ってくれるんじゃないか。敏感肌用でアルコールフリー、パッチテスト済、ノンコメドジェニックのフェイスパックで薬局で買えるものだとキュレルかミノンだけど、なかなか安くはないので毎回はできない。やりすぎもよくない気もする。夜は可能な限りシャワーではなく風呂に浸かる。スチーマーも検討。
また毎日が緊張してきた。でも前よりは肌の仕組みも、自分の身体の具合も多少はわかるようになってきたから対策も練れる。やってやろうという気持ち。肌がかなり良くなってからの初めての冬なので慎重に過ごしたい。
「吹き出」物ではあるので身体の調子を整える行動をとるけれど、気持ちとしては「付着」物だととらえた方が心が重くならない。自分とそれを分けて考えること。それが身体に付着しているだけで、自分は何一つ損なわれていないということ。
2022年11月4日
「慌てている」ときはつまり「自分しか見えていない」こと。特に余裕のない時はそれが顕著になる。自分を大きく組み立て直していかないといけない。
自分自身の指針を「自覚」すること。一種の宗教。誰にでもあるはずだが、それを「自覚」できているかどうかの違い。三島由紀夫が思想で死んだようなこと。わたしが降ってきたものにあたふた「させられている」のは、自分の宗教を持っていないから。
2022年11月3日
31日には郵便物に印鑑が必要と書いてあるのによく読まないまま締め切りの今日に郵便局に行き、必要な手続きをとろうとするも、印鑑がないので出来ず、しかしそのまま出かけなきゃいけないから印鑑を取りに戻る時間がなく諦める。今日は母にiPhoneの設定を頼まれ久々に実家に行くことになり、PCの充電器を忘れないようにとは覚えていたけれど、よく考えずにUSB変換ケーブルは必要ないと判断して行ったらUSB変換ケーブルは必要で、運良く隣駅に家電量販店があったから買いに行けてよかったけど、なかったらどうするのってことを起こす。
そういうことが多い。最近特に。なぜそんなに気が抜けてるかというと、もうずっといつもやることが詰まってるからとしか言いようがない。仕事が忙しいとかじゃなくて、なぜか本当に生活と雑務で毎日が過ぎていく。函館滞在中に無理矢理毎日つけた日記で疲れたのもあるが、しばらく日記をつける気力も時間もつくれていない。これは実家から帰る電車内で書いている。行きの電車では発送用のクリックポストの手続きとメールの返信をして、TABFでMさんにもらった冊子を途中まで読んだ。これを打ち終えたら残りを読む。
目の前に積まれていくやることに翻弄されていて、本当には先のことを考えられていない。「先のこと」が「目の前のこと」になると、準備不足だからそういうことが起きる。
少し前にもなかなかにしでかし、本当にまずいと思ったのに、また同じようなことをやってる。まだ波が続いている。立て直せない。
書籍関係のあれこれと、今引き受けてる二つの依頼を終えれば、やっと函館の制作とアルバイトという2つになる。それでも「時間がない」とかでおそらく未来の私は焦るだろう。というかもうずっと焦ってる、今年。何をしているんだろう。
今月から始まる制作とアルバイトという生活。しばらくはこうかな。これでリズムを整えたい。簿記の勉強がしばらくできていないけれど、もう函館が完了するまでは無理。
Kくんの「俺たちは軸がブレちゃいけない」とKさんの「(絵が描けないのは)環境のせいなんじゃないですか」の一言がずっと頭にある。
10年前もアルバイトしながら絵を描いていたけれど全く意味合いが違っていて、あの時は辛かったけれどいまはやっと落ち着けるという喜び。落ち着いて生活をし、絵を描く。
郵便物の件はそれで良いことは何もないけれど、変換ケーブルを探しに近所を歩いて、かつてよく行っていた鯛焼き屋に寄って帰れたのはよかった。父と母と三人で食べた。あんことカスタードと日替わりあんの3つを買い、父はあんこ、私と母はカスタードと日替わりあんを半分ずつ分けて食べた。母が「ここいつも行列なのよ~」と喜んでくれた。
歓談。父がリビングに来る前の母との会話で父がボケ始めていると聞いていたが、身構えていたよりは私の前での話し振りはまだしっかりとしているように感じた。帰り際に「あんまりないんだけど、もしこっち(実家)方面に用があったときにはまた寄るよ」と言ったら、父に「なんでもない時でも来ていいんだからね」と言われた。二度も言われた。父のそういう温度の発言は昔からあったが、父がかつて見せた横暴な面が父の本当の人間性だと思っていたからこそ、時々発する「優しい言葉」は家族内の社交辞令のような台詞に感じてしまって、これまで素直に受け取れなかったが、父が歳を取り、ぼんやりし始めて口数が少なくなったいま、そういう風に言われると胸にくるものがある。これが父なのだとやっと腑に落ちた。どれが本当とかではなくどれも父なのだと思った。
2時間半ほどの滞在だったが、以前よりは居られなくはなかった。今日がよく晴れていたのはよかった。前回来た時にリビングのTVが点いていたけれど、今回は点いていなかったのもよかったのかもしれない。
2022年10月30日
TABFでOさんに30分お店番をお願いし、地下階を急いで回っていたらKくんとバッタリ会って、お互いに忙しないタイミングだったので、ほんの数分間だけお互いの近況を話して別れた。一瞬だった。別れ際にKくんは「俺たちは軸がブレちゃいけないから」と言った。思わず足元を見た。都現美の鼠色の石の床。Lくんからは「自分のコンプレックスとの付き合い方を考えた方がいい。コンプレックスを人に向けないほうがいい」と言われた。
2022年10月22日
どちらかというと向いていないこと、初めてすることばかり今年はしてきて疲れた。頑張るだけじゃいけないということをまだ自分はわかっていない。そして「頑張って」できるものでもないから、当然できなくて、馬鹿みたいに自信を無くす。
2022年10月18日
アルバイトをしたり、仕事をしたり、本の作業をしたりしていた。毎日絵以外のやることがある。描くことが遠い。夜も起きていられない。タンネで油絵を描いたのは久々に「絵を描いている」と思った。
その前日にSさんと会った時に、どうしてか今年は全然絵を描けていない、と言ったら「環境もあるんじゃないんですか」と言われたことが心に残っている。
函館から戻って以来日記もほとんど書いていない。函館で二週間毎日付けたのは苦しかった。あれの反動の今なのかもしれない。日記というよりほとんどただの行動記録で、それでも毎日いろんなことがあったから、それを書き留めるだけでも疲れた。最後の方は自分の言動がきっかけでSさんとの関係が悪化し、帰ってきてからもしばらく続いた。10月何してたんだっけ。もう振り返ることに疲れてしまった。振り返らなくとももう十分やっていると思った。
生きているなかで自分にとってなにが一番「喜び」だろうか。一番、だなんて限られるものではないか。時々湧き立つあの気持ちを、あれを、最近感じられていない気がする。絵を描けていない。
昨日深夜に本の赤字修正を送らねばならず、夜の自分に自信がないので数年ぶりにレッドブルを飲んだら、翌日の今日そのつけがきて、室内干しした洗濯物の湿度によって気持ち悪くなってしまい、午後は畳の上でうずくまって寝ていた。夕方家にきてくれたSさんが、まったく乾く気配のない洗濯物を見てコインランドリーに行こうよと提案し、今日初めての外出。ぬるぬるとした湿度で決して良い天気ではなかったが、それでも外の空気は気持ちよかった。コインランドリーでふかふかになったタオルによって元気付けられる自分がいた。よかったことがあった。そういうことも書いておかないと、という気持ちになっている。
2022年9月30日
愛という信頼。工夫するのが愛。わたしは工夫をあまりしていない自覚がある。わたしがわたしにとってつくりやすい愛を渡しているだけで、それが相手のほしい愛とは限らない。
2022年9月3日
アルバイトでビラ配りをしていたら、60代くらいの淡いアロハシャツを着た男性に声をかけられた。私が配っているチラシの内容に対する市政の方針に文句があるらしく、「君は〇〇についてどう思うの?」とからまれる。どう言えば立ち去ってもらえるか、彼の話に「へえ」「はあ」と相槌をしながら考えていたのだけど良い文言が思い付かず、そのうちに男性もヒートアップして「国は」などど言い始めたので耐えきれずとっさに「あなたは、」と話を遮ったら男性は少し驚いた様子で、表情がほんの少しひきつった。それがあんまりよくない感じがした。気をそらそうと「こういった問題に関心があるんですね」と続けて言ったが的を外していた。その後もしばらく男性は話を続けたあとに「アルバイトしている人に言ってもしょうがないか」と言ったので、話しかける前に気付いてくれよと思った。「私に言われてもどうしようもないので、市に言ってくださいね」と伝えたら向こうもやっと「そうだよなあ」とか言って去ったのだが、遅すぎたと思った。
声をかけられたはじめに、冷たい声で、「そういうことを言われても困ります」と言って立ち去ればよかったのだが、それが思い付かなかったことが悔しかった。あとやっぱり自分より「若くて」「女」だから話しかけてきたんだろうとも思った。
2022年8月28日
イラストレーターともう名乗っていないのにイラストレーターと言われる。仕方ないとは思いながらも、書かれる度に心が潰れる。いまの自分の活動なんてまったく見てもらえていなくて、いつか描いた絵のイメージだけで語られていることを実感するから。絵をもっと「手段」にすることができればこんな気持ちにもならなかったのに。
2022年8月24日
先週からアルバイトを始めた。派遣で受付事務のようなもの。わりと暇な時間が多く、考え事をしたり日記を書いたりできる。イラストレーションの仕事をしているより、こういった仕事をしているほうがよっぽど心が落ち着いている。絵とイラストレーションの間で混乱しなくなり、いま取り組んでいることだけを考えられている。
とりたい資格の勉強がもう2週間ほどできていないけれど、本の締め切りが迫っているので仕方ないとする。描きたい絵の構想もある。
「アベやめろ」というフレーズについてSさんとの会話。「アベ」は「安倍さん」その人ではなく「辞めない安倍さん」という意味を示してしまっているから、シュプレヒコールなのにジレンマに陥っているように聞こえる、だから拡がっていかないんじゃないかという話。
わたしも安倍さんのしたことをよくは思ってないけど、名前を呼ぶときは「安倍(元)首相」とか「安倍さん」と言っている。「アベ」は「安倍さん」本人じゃなくてイマジナリーな存在のように聞こえて、本当の安倍さんとは距離が縮まりそうにない感じは気になっていた。安倍さんにとっては「アベやめろ」は本当には自分事に感じなかったんじゃないだろうか。(よくないんだけど)
2022年8月22日
「抱く」と「抱かれる」、「モテる」と「モテにいく」の差。
2022年8月8日
鼻の横の吹き出物が完治せず1ヶ月経つ。少し赤く膨らんだまま。そして一昨日から口元右側の皮膚も盛り上がってきた。最近外食が続いたことが原因だと思う。胃が疲れているんだろう。揚げ物食べたもんなあ。でも自炊で気をつけているのに、外食までヘルシーだからという基準で食べるもの選ぶのやだよ。疲れた。
Sさんは暴食しても肌に出ない。吹き出物になったとしても化膿しないのが羨ましい。
嫌になる。多分5年後も皮膚科に通い、薬を飲み続けているんだろう。確かに一時期よりは本当に良くなった。2年でここまで回復できて本当に嬉しい。でも薬を飲み続けて、こうして肌のことを考えていないと保てないと思うと、げんなりする。時々猛烈にげんなりする。保険外治療なので通院代もばかにならない。疲れた気持ちになっている。
2022年8月5日
帰りの電車内で、Sさんが最近ナイキのあるデザインのサンダルを履いている女性をよく見るから流行っているのかもしれない、と言ってメモ帳とボールペンを鞄から取り出し、そのサンダルを描いた。見たことあるような気もする。ついでに左腕にほくろを書かれた。Sさんも自分の腕に規則的な配列のほくろや三角形、ネッシーを描いた。
「最寄駅までにそれを履いてる人がいたら100円ちょうだい、そのくらい自信がある」と言ったので探す。すると本当に最寄駅の改札を出てすぐの店の前で履いている人を見つけたので2人とも興奮した。夜にビールを1本奢った。
最近しばらく胸が痛い。ホルモンバランスの変化か、下着があってないからであればいいのだけど。乳房を触るとしこりのようなものを感じたけれど、触ってもらったら肋骨なのではと。
2022年8月4日
調布の皮膚科へ。しかし初台付近にさしかかったところで予約日を間違えていることに気づき降車。Sさんが用事の合間に一緒にライアン・ガンダーを観てくれることになり、来てくれた。ライアン・ガンダーは作品がどうこうというより、いい人だなと思った。
2022年8月2日
受かるだろうと思っていたアルバイトが書類選考で落ちた。謎の自信を持っていたけど、落ちると「そりゃそうだよなあ」と思う。ほんの少し「なんでだ!」と思ったけど、ほぼ「そりゃそうだよなあ」と言ってもいい。その分野の未経験で働くにはあまりにも待遇が良すぎる募集内容だった。この前落ちたアーティストインレジデンスは「そりゃそうだよなあ」と「なんでだ!」は半々くらいだった。
先月、自分がしばらく無保険状態(国保と年金以外なにもない)だったことが判明し、近所にある保険の無料相談所に行き、医療保険に加入した。
初回の相談は入院・手術の費用や公的制度、医療保険の仕組みを教えてもらい、こちらの要望を伝え、相談員と具体的な補償内容を決める。それを元に相談員が複数の保険会社から希望に近いプランを探し、1週間後に提案してくれるという流れ。そこで契約しても、契約せずに相談終了でも構わない。そこで契約すると10日間ほどで保険会社から契約締結の書類が届く。今日は保険関係書類をひとつのファイルにまとめ、もろもろ説明を受けるという日。これで完了。
「がんになる人は2人に1人」とか「生存率」とかいろんな「確率」の話が出るので、今年読んだ『急に具合が悪くなる』や『他者を生きる』を思い出しながら話を聞いていた。
支払期間も終身にすると月々の支払額が安くなるが、例えば55歳までに払い終えるプランと比べると支払累計額が80歳くらいで同額になるので、その後長生きするとなると多く支払うことになるという話も、なんか、なんの話をしてるんだろうと思った。明日死ぬかもしれないことについてはこの話では無いことになっている。健康だろうがなんだろうが、生きることに「期限を設定する」のはよい気持ちがしない。そういうことからなるべく逃げたい。それに今後保険会社を変更する可能性のほうが多分にありそうなので終身にした。
勧められた特約のひとつに、「3年間のうちに10日間以上の入院手術がなければ支払われる」という健康給付金については、その特約分の料金3年分よりも給付額が少ない額で、これだけはいまもよくわからない。相談員の方がその分を累計額から引いたりして多少安くなるんですとも言われたけれど、「3年間健康が続いて◯歳まで生きたら」ってあまりにも想定の話すぎる。その結果得られるのがほんの少しの金銭って。そんなを複雑なことせずに生きた方がよっぽど心が健やかだと思った。
2022年7月31日
最近好きなお菓子は、外出先で食べるアイスクリームかもしれないと、ベローチェでコーヒーフロートを食べながら思った(久々のカフェイン)。先日もKさんとSさんとわたしで表参道に買い物に行った時に、途中休憩でソフトクリームのディスプレイが置いてあったカフェに寄り、ミルクとエスプレッソのソフトクリームを食べた。その前はFaroに行った時にWHYNOTでデカフェのアイスコーヒーにアイスをトッピングした。遡れば以前ここでアイスをトッピングできるのを知ってから「フロート」を好きになったと思う。WHYNOTのトッピングのアイスはサーティワンのような丸くくりぬいたもので、固くてボリュームもあり、食べ応えがあって嬉しい。気に入って、その後Faroに来た友人知人に「アイストッピングできるよ」と度々勧めた記憶がある。その前はTさんとMさんとMさんの展示を見た後に、これもまたギャラリーのそばの牛乳パンの店(たしか)の前にソフトクリームのディスプレイがあったのでミルクソフトを食べた。ここのアイスクリームは柔らかくてどんどん溶けていった。先月か先々月にN夫妻とNさんの妹とSさんの5人で五香から八柱まで散歩したとき、SさんとKさんが途中でマクドナルドのソフトクリームを食べていて美味しそうだなあと思ったことも覚えている。その前はSさんと一緒にSさんからもらったサーティワンの商品券でスモールダブルのアイスを食べた。チーズケーキとなにか限定のフレーバーを選んだ気がする。グルテンを避けている時期で、残り一口くらいのときにコーンが小麦粉なことに気づき、罪悪感からSさんに食べてもらった。
久々にジム。今日はあまりだるくなく、身体を動かすのが気持ちよかった。
念のため夜Sさんに体調はどうかメールする。すぐに着信があり、少し話した。お互いなんともなくてよかった。
2022年7月30日
Pの授業、3回連続の2回目。教えるということが多分向いてない。想定していたより講評に時間がかかり、本当なら1時間ほどかけて自分の場合のデッサンする意味のようなものを話したかったのだけど、30分で話すことになり、2時間講評した疲れと焦りで余裕がない。用意した文章が読めない。話し始め、話し終える頃には最初話した言葉の並びを忘れて、言いたいことが2つあったとしたらそれが混ざり合って、受け取りにくい形の「文章」になってしまう。
夕ご飯の準備。オクラと豚肉とニンニクの炒め物をレシピを見ながら作ったけれど、食べたら何故か肉の旨味がないどころか全く味がしなく、ただ仕上げにまぶした山椒の痺れだけを感じる。オクラはオクラの味がする。おかしいと思って七味を除いて肉だけを味わうと苦い。はっきりと苦い。普段あまり使わないスーパーで買った千葉県産の豚小間肉を使ったけれど、思い返すと本当に小間切れで、少し表面が水っぽく、火を通すと千切れて丸まった。もしかしたら腐っているんじゃないかとなり、捨て、食中毒の可能性も考えSさんはまな板等をハイターで殺菌。
Sさんは体調を崩せない時期に体調不良になる可能性があること、わたしは味見をしなかったせいでSさんを体調不良にさせる原因をつくってしまったこと、で落ち込む。銭湯に行き、帰りにコンビニで気休めではあるけれどLG-21を買って帰ったら、Sさんはノンアルコールビールを飲んでいて、Sさんもどうにか気持ちを切り替えていた。LG-21を食べてもらう。わたしも一口もらう。
その後しばらく作業をして、そろそろ寝ようかとベッドに横になる。お腹の具合について話しながら、料理中のことを振り返っていたらハッと気付いた。豚肉に片栗粉をまぶしたけれど、いつもの片栗粉のパックではなく、砂糖の容器のうえに置かれていたタッパーに入っていたものを使ったこと。その時はパックから容器に移し替えたんだなと思っていたけれど、その粉の正体を、最近のSさんとの会話から思い出す。あの豚肉の苦さは片栗粉ではなく重曹だった。
ふたりとも元気になって、ビールを買いに行こうと誘って、わたしはビール、Sさんはカルピスサワー、駄菓子を買った。
2022年7月29日
Sさんと森美術館の「ウェルビーイング」を見に行く。とくに堀尾昭子の作品の在り方がすごくよかった。
楽しみにしていたヴォルフガング・ライプは空間の広さに対して作品が多いのではと思った。蜜蝋の作品が場所をとり、ミルクストーンが追いやられているように見えてすこし残念だった。もっと静謐な空間であってほしかった。
さまざまな形式のラインナップに、いまの時代の「芸術」とされるもの、呼ばれるもの、扱われるものの幅広さを思い知らさせる。
一方で、この前タンネで絵を描く作家と絵について話したこともいままさに瑞々しく起こっていること。生きて絵を描くこと。自分は「行為の喜び」がないものは作れないかもしれないと思った。テーマが苦しくても「描く」ことそのものの喜びがある。
とくに社会問題をかなりダイレクトに表現したような作品を見ると、わたしが感じているような「行為の喜び」とはほんとうに程遠いところにあるように感じられて、これらを全て「芸術」の一言でまとめる、その途方もなさというか、かなわなさ(何に?)を思う。自分は一体なにをどうしたいんだろう。気が散っているのか?
2022年7月22日
午前中に婦人科。1年ほど処方してもらっているピルの後発薬が出たけれど、ドロエチというなんだか変な名前。先生も「ドロエチって…ねえ」と。パッケージデザインもなんだか古臭い。しかしずいぶん安くなってありがたい。主に肌荒れ改善を主目的として飲み始めたのだけど、結果的にPMS改善、月経の回数を減らせたことで以前よりも体調に心身が左右される日数が格段に減った。もっと早く知ってれば、という気持ち。
子宮頸がんの検査結果も異常無し。少し前に加入した保険が、加入から90日以内になにか異常が見つかると一部の特約が適用されないため、今回の検査結果も少し不安だった。でも検査したのが3ヶ月前で、病院から連絡がなかったということは大丈夫なんだろうとも思っていたので、ひとまず安心。乳がん検査は10月下旬にやることにする。
待合室にいたら外から雨の湿った匂い。病院を出たらもうすぐ止みそうな小雨が降っていた。
ギャラリーや美術館のアカウントだけをフォローしたブックマーク用アカウントを作ったことでTwitterをあまり見なくなり、精神が落ち着いているのがわかる。視界が澄んでいる。
風が強い。ベランダに干した洗濯物があおられる。黒いTシャツだけ落ちるのでそれは室内に移動。
2022年7月17日
目の前で不機嫌になっている人が相手に「気にしないで」ということのおかしさ、そして「そんなつもりはなかった」は弁明にならない。相手がその人への愛がないなら気にしないこともできるけれど、そうではないから困っていることをわかっていない。無視できないようにさせるのは相手への甘え。
2022年7月16日
Twitterは人を受動的にさせて堕落させる(かつて自らブックマークしたウェブサイトに能動的にアクセスすることから得られるものがあった)話。Twitterでぽつぽつと呟くのではなくて、ある程度まとめて伝えたいと言ったら、Mさんはそれを「爆弾としてだよね」と言った。ほかには、自分のすることが他の人にも絶対に良いものと思うこと(わたしの能力はイラストレーションではないところで本当に発揮されると思う、一種の肥大した自尊心、しかしそういうものこそが原動力。限られた時間のなかでできること)など話す。
磯野真穂「他者と生きる」を読み終えた。
2022年7月5日
CoCo壱番屋でカレーを食べる。アルバイトを除けは二度目のココイチ。一度目は数年前に京都に行った時にTさんに勧められて食べた。学生の頃のアルバイトのまかないは確か500円以内で、いつもキッズセットみたいなハーフカレーとジュースのセットを選んでいた。ハーフのチーズカレーもぎりぎり金額内に収まった気がする。じゃあなんで毎回チーズカレーにしなかったんだんだろう?記憶違いかもしれない。追加料金を払えばいくらでも好きに食べられるのけれどそんな贅沢は考えられなかった。あの時散々揚げて自分では一度も食べなかったロースカツにほうれん草(ハーフ)とチーズ(ハーフ)をトッピングしたカレーを今日食べた。ロースカツカレー、弁当で注文を受けたのにうっかり店内用の皿に盛り、そこで気づけば良かったのだけどルーをかけてしまって店長に怒られたことを思い出した。揚げ直したなあ。
夜『るくるく』を読む。絵柄にサイボーグクロちゃんに似たものを感じる。
2022年7月3日
鼻の横にひどい吹き出物ができて、もうどこにも行きたくない気持ちだったけれど、こなくそという気持ちで出かけ、曳舟のトークンアートセンターの八木恵梨「LIFE, SAVE, AH~ #6」最終日を見に行く。閉店1時間前に着いた。画材とその扱い方に親近感を覚える。2階のドローイングもよかった。ささやかでも描くことは、いま自分が一番離れていること。いろいろ話してみたかったけれど、お客さんが多かったのであまり込み入ったところまでは聞けず。
本当に今年は絵を描いていないなあと思う。毎日どうして制作以外のやらなきゃいけないことがたくさんあるのだろう。なぜか生活するだけで手一杯になってしまっている。
2022年7月2日
Faroのグループ展の最終日。わたしの絵は2枚とも売れなかった。新作はともかく、あの旧作は「かわいい」と思うのだけど売れなかった。そして時々思い出すけれど、同じサイズでもアクリルや油絵は倍近い販売価格になることに今日もハッとした。今の制作ペースでこの作品価格の生活は成り立たなくて当然だった。よこしまな気持ちで最近描けていない油絵を思い出す。
2022年6月27日
何事においても「一歩引いて見る」ことが苦手な気がする。
真摯に対象に向き合うことが必ずしも最適ではない状況でもそうしてしまう。そして無駄に消耗する。
2022年6月24日
OさんKさん夫妻の家に行く。Aちゃんは1歳半。面白くてかわいかった。しかし子供への接し方がわからず不自然にテンションの高い振る舞いをしてしまった。違った気がする。自分の笑顔が引きつっているのがわかる。OさんとKさんは子育てがとにかく大変で自分のことをする時間がないと言っていて、Aちゃんの様子を見て納得する。
わたしもぼんやりと子供を産みたいと思っているけれど、いつか本当に産もうとするのだろうか。自分とパートナーのそれぞれのタイミング、二人のタイミング、それと関係なく身体的な期限もある。そもそも妊娠できる身体なのかもわからない。もしかしてしないんじゃないか?とも思う。考えるたびに妊娠出産子育てというものが遠のいていくように感じる。
2022年6月18日
友人の信仰心は否定しないけれど、いま目の前にいる相手と、もうかつてのような会話ができないと思い知らされながら話すことが悲しかった。友人にとってはその信仰ありきの生活だとは思うけれど、わたしが入信するつもりはないよと言っても信仰の話から離れず、さらに他の宗教や、もう宗教要素は薄れて風習となって多くの人の生活に馴染んでいることまで悪く言うのは良いとは思えない。友人の入信している宗教が特に他宗教に厳しく排他的で、勧誘に力を入れている(それが功徳とされている)からなのだけど、わたしと「会話」をしたいと思っていないなら、「勧誘」以外の選択肢がないのなら、もう会いたくないと思った。
大切にしているであろうその気持ちをあなたはまっすぐに伝えてくれるけど、その先が槍のようにギラついて見えてしまうことを分かっているんだろうか。他人から他人本位の尺度で決めつけられるのも嫌だけど、こちらとしては決めつけられているだけなので知ったこっちゃないともいなせるが、こちらが嫌な気持ちになっていることをわかってもなおしつこく迫ったり、その尺度でなにかを強制させようとしてくるのなら離れます。これは今回に限ったことじゃない。そんな雑な手つきで人の心を扱わないでほしい。わたしも誰かにそうしたくない。
2022年6月2日
二日連続のトレーニングによって、寝起きの身体がひどく重い。お腹が筋肉痛で痛い。多分毎日は無理だと悟る。
先日知り合ったサックス奏者のYさんからお茶に誘ってもらった。思いがけず「ただ生活することの難しさ」で話が合う。結婚と離婚についてYさんはどちらにも盲目的ではないのも、話しやすくて嬉しかった。静かな調子で話せた。
Yさんから真珠の絵についてきかれて、皮膚疾患の話をした。肌の調子の良い時は疾患を「私のこと」(内在)ではなく「私に起きたこと」(外在)として話せるのだけど、今日は肌がまた少し荒れていて(ここ最近就寝時間が遅いこと?マーブルチョコレートを食べたこと?ジム用に買った通気性の良いマスクを購入して一度洗わずにそのまま使用して肌にこすれたこと?)うまく話せなかった。
この日、行きの電車でヨブ記を読み終えて、びっくりした。ヨブ記に書かれた神や苦難の捉え方を「書かれたものを読んで知った」のではなく「自分の心から込み上げてきた、自分自身で気付いた」ような実感を持たせる力がヨブ記にはあって、それは詩という形式の効果が大きいと思うのだけど、とにかく遠くに吹き上げられた気持ちになった。いま自分は「ヨブ記を読んだ以後の世界」にいるんだ、という気持ち。
2022年6月1日
一昨日になんとなく6月は毎日ジムに行くことに決めてみて(昨日も行った)、今日は通院先の近くに同じ系列のジムがあったので寄って帰った。マシンがいつものジムと違うため使い辛く、いまひとつな手応え。ランニングマシンは同じだったのでいつものように30分ほど、ウォーキングを挟みながら走る。
メニューは腹筋と有酸素運動をベースに、下半身と上半身を日替わりで行うことにしている。なんとなく気分が乗らない日や体調が今ひとつな時はメニューを減らしたり、気が向いたら使ったことのないマシンを試してみたりする。ウェイトトレーニングはまだやったことがない。
昨年の9月からジムに通い始め、熱心に通えば筋肉が目に見えて付くことが面白かったのだけど、通わない日が増えると身体がぶよぶよになるように思えて不安になるようになった。ジムに通い始める前と比べればそんなことはないのだけど。
これまでの10年間は体重も体型もほぼ一定だったのだけど、少しずつ「太る」ことへの恐怖心が増していって、極端な食事はしないにせよ(皮膚疾患も長年抱えているため、皮膚に悪影響を与えたくない気持ちがブレーキになっている)、一日中食事と体型のことを考えてしまう日が増えている。
磯野真穂さんの著書『ダイエット幻想』に出会ったことによって息苦しさはかなり軽減され、手放せそうだと思ったのだけど、その後体重を増えても良いと思うことにして、気にせず食べたら本当に増えたから動揺した。測る時の体調や過ごし方によってある程度幅はあるものだけれど、明らかに以前の域よりも少し数値が高い域で振れるようになった。そう簡単には「数値」を気にしないようにはなれない。
2022年5月24日
顔がひどくむくんでいる。ジムの準備をして、PCも持って自転車で出かける。ベローチェでメールを打とうかと思ったけれど、気持ち良い天気だったのでもう少し走る。米粉使用・グルテンフリーのパン屋をgooglemapで見つけ、買いに行き、近くの公園(シロツメクサが生えている)で食べる。風が少しあって揺れている木。太陽の光で透ける葉っぱ。葉に葉の影が重なるのをちゃんと見る。
2022年5月23日
小さな絵を描き終える。気が散ってとても時間がかかった。
2022年5月21日
タンネラウムのSさんに誘ってもらって、奥多摩美術館の三熊將嗣「生きろ③『行き場がないまま』」を観に行く。軍畑駅に12時に待ち合わせにしていたけれどちょうどよい電車がなく、11時33分着の電車で向かっていたら青梅駅の乗り換えでSさんに話しかけられる。同じ電車に乗っていた。
三熊さんは額職人。工房は奥多摩美術館内にある。かつて額屋に弟子入りしたとき、師匠から「作家として絵は描くな(額屋として作家に向き合え)」と言われ、それでも家で描き続けていた大量の絵をそろそろ廃棄しようとしていたらしい。それを知った奥多摩美術館の佐塚さんが「捨てるのはもったないない」と個展を提案、佐塚さんが作品を選び、三熊さんに額をオーダーし、三熊さんによって額装された三熊さんの作品が展示されていた。三熊さんはMさんに容姿と話しぶりがちょっと似てて勝手に親近感を覚えた。三熊さんがひとつひとつの作品の額装の仕様について説明をしてくれるのだけれど、絵の内容にはほとんど触れないので、いまはもう額屋としての三熊さんなのだなあと感じる。元々サッカー選手になろうとドイツに行ったり、建築の写真を学んだら建築写真が額装されている額そのものに惹かれて額屋に勤め、巡り巡って額屋を継ぎ、現在に至るそう。佐塚さんは三熊さんを良い意味で「気が散っている」と言った。
三熊さんにコーヒーを淹れてもらい、Sさんが「軍畑には何もないと思って」と家(パン屋)から持ってきてくれたサラミのサンドイッチとプレッツェルを食べながら駅まで戻り、思ったより時間があったので奥多摩駅まで行く。霧が立ち込めるくらいには湿度が高いなか、観光案内所で教えてもらった「むかし道」という旧青梅街道、山道を当てもなく歩いてみて、滝があったのでこれを折り返しとしてまた駅まで戻る。道中いろいろ話す。最近油絵を描き始めたことを話したら、Sさんは今日わたしに油絵を勧めようとしていたらしい。Sさんは油絵科出身なので、ここぞとばかりに油絵(の基本)について聞いた。テレピンを勧められた。油絵はなにより色彩の面白さがある、色と色が混じるキワの色味がアクリルだと濁るけれど、油絵はそこが面白いところ、とSさんは言っていた。
2022年5月20日
磯野真穂『ダイエット幻想』を読んで、数字に取り込まれないように心がけていたけれど、ジムで久々に体組成計で測ったら体脂肪率が上がり筋肉量が1kg減っていたことに動揺し、心がガタついて気持ちが荒む。自分の体をどう捉えれば良いのかまたよくわからなくなってしまった。自分の体なのに。
この前Sさんと竹下通りを歩いていたら、わたしたちのすぐ後ろを歩いていた三人組の男子高校生から二度も舌打ちされたことを思い出した。往来が多く雨の中傘を差していて人を追い越せず、少し詰まり気味で歩かざるをえなかったのだけど、彼らからしたら「カップルが周囲に気づかずトロトロ歩いている」ように感じられて邪魔だったのだろうか。振り返って「私たちに舌打ちしているんですか?」って言えばよかった。わたしが男なら舌打ちしないんでしょう。
2022年5月18日
1時間近く繋がらないカスタマーセンターの保留音を聞き続ける(スピーカーにして他の作業をしつつも)苦痛。ほんとうに最悪に「人間社会」を意識させられるよ、カスタマーセンターの保留音。こんなところで生きていたくない。いつまで人間は保留音を聞くんだろう。2300年にも保留音聞いてたら阿呆でしょ。保留音みたいなことに関わりたくない。保留音のあの音楽、かわいそうな音楽。あんな風に音楽を使うな。掃き溜めの気持ち。人をバカにし、よりバカにさせようとするテレビのワイドショーに思う気持ちと同じ。
2022年5月17日
昼、Sさんと駅に向かっていると、駅近くで駐車していた車のフロントの通気口にいろんなポーズのカービィのぬいぐるみがたくさん挟まっていた。
中華食材屋で黒酢を買い、昼寝して、ちょっと絵を描いて、ビリヤードに行って、夕ご飯にウー・ウェンの料理本を見ながらブロッコリーの豆板醤炒めと、豚肉とニラの黒酢炒めを作る。先日買ったグリップを付け替える。お風呂に入って寝る。
2022年5月15日
Tさんとの打ち合わせは珈琲西武でやることにしたけれど、当日にTさんからカフェアルルにしませんかとの提案。しかしアルル休みでしたと連絡。珈琲西武も先に着いたTさんから満席との報告、代わりに世界堂横のベローチェで落ち合う。Tさんはアイスコーヒーとスコーン、わたしはアイスルイボスミントティーとハムとタマゴのサンドイッチ。最近Tさんはスコーンにハマって何度か作っていると言っていた。わたしも最近まで米粉スコーンを研究していて、都度配合を変えてiPhoneのメモに記録していたものを見せたりする。Tさんはオーブンを持っていなくてオーブントースターで焼いているからかクッキーみたいに仕上がったり、ホットケーキミックスを使っているからかホットケーキのようなふかふかした仕上がりになると言う。ベローチェのスコーンもどちらかというとふかふからしい。研究すると言って食べ残しを鞄にしまっていた。表面が焼けすぎる場合は途中からアルミホイルを被せると良いですよと伝えた。
Tさんがスコーンという食べ物を知ったのはスタバのスコーンかもしれないと言っていて、わたしもそうかもしれないと思った。米粉スコーンを作り始めてから近所のパン屋のスコーンを食べたけれど、そこはザクザクボロボロとした方向性だった。スコーンはあんぱんやメロンパンよりもパン屋ごとの解釈の違いがある気がする。スコーンといえば「5月」の時にIさんがスコーンを焼いてきてお茶会をしたことを思い出した。わたしは参加できなかったのだけど、Sさんから聞くには「スコーンらしいスコーン」らしいので食べてみたい。
Tさんが言っていたように「みんなが楽しく撮影できればよか」なので、その準備を進める。もう一人誰かお手伝いを頼んだほうがいいかもしれない…一日中撮影の段取りを考えたりメールのやりとりで疲れてしまった。週に2日間は勉強に当てたく、今日がその日だったのだけど諦めて数日分の日記を書く。最近ピザやドーナツ、揚げ物をよく食べたからか久々に顎にニキビ。
2022年5月10日
夢。OさんとAさんと、独逸(地名、上野近辺らしい)か成田かどこかにあるOさんおすすめの蕎麦屋に行こうとしていた。その前に私は成田のほうになにかの用事で行っていたので、また成田に行くよりは独逸がいいなあと思ってそちらを推した。独逸の蕎麦屋に向かう途中に刀削麺のお店があって火鍋が美味しそうだった。最近、飯田橋の四川料理屋「芋品香」にまた行きたいと思って検索した影響だと思う。
油絵のらくがきも続けているけれどぴんとこない。たった10日間触れただけだから当然でもあるけれど、久々に「迷子」の気持ちになり不安。毎日不安。今月末の絵も描かないといけないのに、勉強しなきゃ、ジムいかなきゃ(太る)と、いろいろ気が散ってしまう。不安になると食事もストレスになってくる。昨日も昼ご飯が決められなくてスーパーをぐるぐるしていた。軽食にしたいとき、パンを避けると選択肢が消える。かろうじて太巻といなりずしのセットを選んだけれど、本当は心から食べたいものじゃない。
ヘアサロンで撮影された写真の自分の顔がひどく不細工に思ってしまったのも、今日のこの不安定さの大きな要因だと思う。ヘアスタイリストは当然「良い」と思って撮影し、掲載しているのだけど、嫌がらせなんじゃないかと思ってしまうくらいに超卑屈な気持ちになっている。自分の顔ほど自分のものなのに自分のものとして認識できないものはないよ。自分のものだけど自分「だけ」のものではない…他人からどう認識されているのだろう。認識の手触りを得たい。あの写真のように見えているのなら最悪。顔が風船のように膨れて見える。全身の肉がいやにぶよぶよに感じる。
どうにも最近ネガティブなことばかり思ってしまう。新しい髪型がちょっと決まらなかったのもあるかも。忘れていた嫌な記憶をどんどん思い出す。いまこれを昼に書いているのだけどもう夜の気分。気分の落ち込みを日記によってブーストさせてしまっている気もする。
(その後、髪型がかわいく思えてきて回復。)
2022年5月4日
夢に昔付き合った人が出てきた。声はそのままだけど、近くに寄っても身体というよりは丸筆で描いたような黒い輪郭線で身体がなぞられていて、部屋は明るいのに顔も暗くてよく見えない。
2022年4月29日
自転車でSさんの家に行く。午後から雨が降るという予報で着いたのは12時ごろだっけ。降られなくて良かった。ジンジャークッキーをプレゼントしたら喜んでくれた。味も好評。
Sさんは寒いらしく石油ストーブをつけていた。わたしもそばに座ってパソコン作業をする。顔が火照る。しばらくしてコンビニに遅い昼食として軽食を買いに行った頃には雨は本降り。その後銭湯に行って、戻って、駅に向かう。Aさんと合流し、三人で焼き鳥屋で飲み、さらに電車に乗って蕎麦屋に行く。蕎麦を食べる前にAさんはジャージー牛乳ソフトを食べていた。太蕎麦の立ち食い蕎麦屋。揚げ物が作り置きでも香ばしくて美味しい。メニューも豊富で店員さんもさっぱりとした接客で良い雰囲気だった。Aさんと別れ、帰宅してMOWを食べたところで二人とも満腹で何もできず、22時前には就寝。
2022年4月28日
国立新美のメトロポリタン美術館展。久々にゴリゴリの西洋絵画を見た。
ジャン=レオン・ジェローム《ピュグマリオンとガラテア》はとてもロマンチックで惹かれるけれどロマンチックだからこそブレーキがかかる。いや、あまりにもその願いが叶った瞬間を描けているからこそ「覗き見ちゃいけない!」と思ったのかも。男性の爆発する情感が伝わってくるようで。マリー・ドニーズ・ヴィレール《マリー・ジョゼフィーヌ・シャルロット・デュ・ヴァル・ドーニュ(1868年没)》表情が良い。少し前屈みで、画版に伸ばした腕が駆け出すような姿勢にも見える。ポストカードを買った。ゴッホの《花咲く果樹園》は「こうやって絵を描けたら」という気持ちになる。
タンネラウムで「パン屋と絵#14 中根唯展」を見る。Sさんがいて、他のお客さんがいなくなった頃に1階のタンネから持ってきたコーヒーを「どうぞ」と渡してくれた。これから時々会って話しながらゆくゆくは展示を、ということになった。タンネでドイツパンを買って近くの公園で昼食。その後シェアサイクル(初めて利用した)で御徒町まで移動。モンベルに寄って自転車のためのアンクルバンドを買い、3331のバンビナートギャラリーで蛭子未央「静かな湯」を見る。蛭子さんは予備校が一緒だった。先輩で志望学科も違ったからあまり交流はなかったのだけど、小さい研究所で同じ部屋にいたので覚えている。蛭子さんの絵も、ゴッホの絵ように「こうやって絵を描けたら」という気持ちになる。ちょうど財布にまとまったお金が入っていたこと、そしてFaroのSさんから入金の連絡もあったこともあり、せせこましい気持ちが消えていて、そのまま御徒町に戻り閉店間際の画材屋で油絵具をいくつかと、筆とオイル、筆洗具を買った。キャンバスは堅苦しく思えて買わなかった。
その後上野のHUBで1杯だけ飲んで帰宅。
夜はジンジャークッキーを作った。最近何度か米粉クッキーを作っていて、都度配合を変えていたのだけど今回はかなり良かった。シナモンも良い。前に買ったホワイトチョコのペンでデコレーションをする。
2022年4月20日
しっとりした空気。朝方雨が降っていたらしい。天気予報もしばらく小雨マークだったけれどちょっと持ちそうな気もしたので、耳鼻科まで自転車で行く。病院の雰囲気もよく、先生も親身に話を聞いてくれて、説明も丁寧で良かった。薬をもらった後ブロンコビリーで昼食。サラダバーが美味しくて食べ過ぎた。冷たいものを一気に食べたからか少しお腹が痛い。たけのこと水菜のサラダ。パクチーのサラダ。そら豆とクレソンの白和えは今度自分でも作ってみよう。ワイン屋で働いていた頃から気になっていたものの買わずじまいだったマルドンの塩がブロンコビリーでは使われていて、ハンバーグに少しまぶして食べたら美味しかった。
昨日から読み始めた「ダイエット幻想」のおかげで、体重の増加が少し怖くなくなった。これまで長いこと体重を一定に維持していたけれど、食べても食べなくても一日中食事のことを考える日が増えていて、精神的には良いとは言えなかった。そして肌のために健康的な食事を心がけるようになったら体重が増え、ジムに通い始め身体の変化に敏感になったことで更に不安は強くなり、普通に食べることができなくなりかけていた。
「数字」「成分」で食べることで失うもの。「避ける」ことは「避けた」そのものを中心に考えることになる。「痩せる」=「かわいくなる」は「選ぶ側」ではなく「選ばれる側」の考え方。「愛され女」からの脱却として「意思ある愛され女」と書いてしまう雑誌がある日本の風潮。「意志ある愛す女」ではなく。日本の女性が他国よりも「痩せ」願望があること。「かわいい」を求めることから目を覚ましたい。「選ばれる側」の行動をしてしまうのは、そういう風潮の世の中で生きてきたから仕方ないことでもあって、このことで自分自身をあまり責め過ぎないようにする。身を委ねないようにこれから気を付けていけばいい。
磯野さんの「大人になっていい」という一言に大きく救われる。
それでも、子供の頃に親から「かわいい」と言われなかった分の「かわいい」をいまも求めてしまう気持ちもある。「かわいい」と思ってくれていたんだろうか。「かわいい」という言葉で伝えて欲しかった。もうこんなこといつまでも言いたくない。ほんとうに大人になりたい。
多少は身体を引き締めたいけれど、体格的にスラッとした身体にはなれないんだと認めよう。なりたくなる必要もないのだから。顔は汗をかいて、お酒を飲み過ぎなければすっきりするし。容姿、体型、体重よりも、もっと思いを巡らすべきことがある。今日、ブロンコビリーでカロリーを気にせずお腹いっぱい美味しく食べれたこと、新鮮な組み合わせの料理を知って、作ってみようと思えたことが嬉しい。
mmmさんのライブを見に渋谷のWWWへ。始まる前にTさんと、YさんとMさん夫妻(初対面)と会場近くの博多ラーメンの店で飲む。Mさんはわたしと歳は近いけれど3児の母でもあって、「いろんな人生」と思った。会場に向かう道中、姓が変わることや結婚について少し話した。
「大人の女性」について考えながらmmmさんの歌う姿を見ていた。「かわいい」ではなく「優しい」口笛。
2022年4月19日
歯医者に行った。歯医者は最後に行ったのは昨年の8月くらいで、その後制作で慌ただしくて2ヶ月毎の定期検診をキャンセルして現在に至るため、なんとなく行きにくいので新しい医院に行った。結果的に良いセカンドオピニオンになって、歯の磨き方も褒められ、歯石もほとんど無いから定期検診は一年後で大丈夫と言われた。歯の隙間にほんの少しの虫歯があるけれど、これも無理に削ったりする必要もなく、この調子で維持し続ければ問題ないとのこと。一番驚いたのが下の歯二本の親知らずで、これもこのままで良いと言われた。前の歯医者ではなるべく抜いたほうがいいと言われたのに。抜きたいのならば顎の筋肉が柔らかい若いうちに抜いたほうが良いけれど、抜かないと決めているのならこのまま温存でも大丈夫ということ。先生自身も親知らずを抜いていない。話しぶりもあっさりとした方で、適度に素が出ていて人間味が感じられる。診療回数を減らしてくれる歯医者は良いな。
読み始めた磯野真穂「ダイエット幻想」がすごく良い。いま自分が求めていた本だった。
2022年4月17日
LくんとSさんとSさんと4人で千葉の大多喜にあるmitosayaのオープンデーに行く。東京駅で集合、高速バスに乗って。
夜は上野のLくんおすすめの火鍋の店に行く。最近あった「とほほ」な出来事を話す。それに対しSさんが発したクリアで力強い一言が、わたしの心に坐り付いていた「とほほ」を串刺し、そのまま身体の外に押し出してくれた。隣に座っていたSさんからも「刺さった音が聞こえた!」と言われた。
以前、横浜市民ギャラリーあざみのの関川航平「今日」の関連イベントで関川さんと小説家の山下澄人のトークイベントがあり、終盤に山下さんと観客の一人のやりとりで少し緊張する場面があった。そのときに山下さんが静かな声で言った「同じ土俵に立ちたくない」という一言が忘れられない。そういう気持ちになることが自分にもあったことに気づいた。でもその気持ちを自分の中で言い表す言葉をこれまで持ち合わせてなくて、ほかの言葉で表していたけれど、そうすると元々の気持ちとは少し違うニュアンスになっていて、対応の仕方も良かったとは言えない。だから根本的な解決にはならず、そういう気持ちになることを繰り返してしまっていたんだと思う。
「同じ土俵に立ちたくない」という気持ちの表れは、同時に「土俵から降りればいい」という対応ができることを自分に知らせてくれる。トークイベント以降、度々救われている。
2022年4月16日
Nを納品。
朝食兼昼食を求めにSさんと駅前に向かう。ケバブ屋で弁当を買って河原で食べる。チューリップが何色もカラフルに植えられている花壇。大きな鯉のぼりがなびいている。川沿いを歩いて、途中フリスビーを大人数でサッカーのようにプレーしている集団をいくつか見た。
2022年4月9日
Uの作業は早め早めに進められて良かった。明日ゆっくり作業して終えられる目処がついたので夕方にFaro kagurazakaの我喜屋位瑳務さんの個展初日に行く。
打ち上げに参加させてもらう。二軒目のカラオケスナックは想像するスナックよりは広く、半円状に座席が配置されていて、中央のカラオケステージに向かって少し見下ろすような高低差がある。着物姿のママとスタッフのお姉さんが数人。その一人がわたしたちの席につき、Sさんがわたしのことをアーティストだと紹介をしたところ「すごーい」と言われてしまう。時々起こる状況だけど、こういうときどう反応するのが一番良いのだろう。お姉さん側の思惑も考えてしまう。自分の話をしてもつまらないのでお姉さんのことを聞こうとしたけれど、無粋に思われた気もする。わたしがお姉さんだったら聞いてほしくないと思う。お姉さんは話しながらも合間にカラオケステージへ向かって拍手し、またこちらに振り向いて話を振ったり聞いたり、水滴で濡れたテーブルを拭いたり、トイレから帰ってきた客におしぼりを渡したり、帰るお客さんをお見送りしたり、いろんな気配りをしなくてはいけない。こういう場所はちょっと苦手かもしれない。
2022年4月8日
引き続きUの本番作業。
昼近くに起きてSさんと弁当を買いに行く。午後にジム。トレーニング中、昨日からの作業による目の疲れからか頭痛がして、力むと頭の血管が切れそう。体重が増えた気がする。もしくは昨夜のお酒のせいか身体が重い。下半身のトレーニングと有酸素30分で切り上げた。
2022年4月1日
今回の肌荒れはおそらく剃刀負けしたことが原因だという結論に行き着いた。安価な剃刀を使用していたのだけど、なぜかいままで気にしたことがなかった。最近手の甲も剃刀負けしていたのに。薬局で敏感肌用の剃刀を買う。この1週間くらい毎日お酒を飲んでいるのも当然良くなさそう。炎症に悪影響。最近はお酒を飲まないとやってられない気分だった。あとカカオも合わないのかもしれない。この肌荒れがおきる前日までの二日間、豆乳はちみつココアを作って飲んでいた。市販のチョコレートよりはシンプルな材料のココアを飲むほうがましだと思ったのだけど、シンプルな分高カカオでもあって、それがよくなかったのかも。チョコレートが食べたいよ。
本当はサイクリングしてどこか公園でお花見をする予定だったけれど、気温も低かったので、桜並木のある通りを歩いた。通りの幅が狭く、並木の高さも低いのでトンネルのよう。ずっと視界が薄ピンク色でふわふわしていた。寿司屋を見つけて遅い昼ごはん。テーブル席に座ったら大きな窓から桜並木が見えてお花見気分でよかった。
2022年3月31日
昨夜から口周りに吹き出物ができる気配の痛みがして、朝起きると顔の左半分の皮膚の感覚がなんとなく鈍い。はれぼったい感覚。不安になっていろいろ調べ、副鼻腔炎気味なのが原因なのではと思い、花粉症の症状も酷かったので耳鼻科に行く。
昼過ぎにSさんが来るが、久々に吹き出物がでたこと、最近気をつけている食生活のストレス、病院に行ってばかりなこと、ジムに行こうと思っているのに時間をつくれず(気力も体力も落ちている)行けていないこと、今朝もジムに行くために早起きしたのに病院に行くことになってしまったことなどが、Sさんの顔を見たら急に溢れ出てきてあっという間に泣いてしまった。話を聞いてもらい、少し落ち着いて、今日はもう良いのだとパン屋に行って久々にパンを食べた。美味しかった。
夜。ドライブ・マイ・カーに関する批判意見、ウィル・スミスのアカデミー賞授賞式での暴力の話などもする。
2022年3月30日
色校正を確認しに、成城学園前駅からバスで10分ほどのところにあるUさんの事務所に行く。今日は暖かくて、駅前の桜並木が満開だった。銀行に行く途中にハーブス、甘味処、成城アルプスの前を通る。成城アルプスには高校生の頃に一度だけ入った。時間があれば成城パンとセイビも一目見たかった。成城パン、グルテンを避けた生活をしていなければ寄っていたなあ。セイビに通っていた頃にいつか入りたいと思っていたシュベールに初めて入り、オムライスを食べる。佐々木中の本を読み終える。
一階の文房具屋は花屋も兼ねていたことを外まで香る匂いで思い出す。青山フラワーマーケットとは違う匂い。バス停近くの交差点の信号が消えていて、付近の店の店員達が道に出てきていた。電力会社の作業員らしき男性二人が配電盤をいじっていた。停電したからいじっているのか、いじって停電させてしまったのかは分からなかった。
帰りに寄った雑貨店で2年ほど欲しいと思い続けていたコームを見つけ、ついでに素朴なハンガーと植物を買って帰る。
2022年3月29日
夕方にNのラフを終え、今日こそジムに行こうと思ったのに、webのリニューアル作業をがっつりやってしまって深夜1時半。しかし「illustration」「etc」はほぼ完成、「product」もかなり進んだので良しとする。もうジムは午前中に行くようにする。
NもUの絵も作業量の多い絵なので少し気が重い。4月10日、15日と締切が続く。
先日誘われた5月末のグループ展は参加したいと思っているので、4月中旬以降はその制作をしたい。普段描くようなサイズだと2点が限度だろうなあ。小さいものだったらどうだろう…いや、数は結果でしかない。あまり考えないでおこう。
花粉症がきつい。目の痒みと鼻の奥、上顎の奥の痒み。
なかなか気温が上がらない。今日も暖房をつけるくらいには寒い日だった。
2022年3月28日
睡眠不足と花粉症の症状で目が痒く、少し風邪っぽい頭痛もあって体調が芳しくない。鼻もむずむず。喉も花粉なのか風邪のひき始めなのがわからないが少し焼ける感じ。鼻水が喉奥に垂れてきている感じ。耳鼻科でもらった薬があまり効いていない気がする。行った耳鼻科もちょっと雑な印象だったので別の耳鼻科に行こうかな。皮膚科と産婦人科に定期的に行くだけでも気分が削がれるのに、新たに耳鼻科も加わってげんなり。甘い物も食べたくて夕方にココアを作って飲み、じゃがりこを食べ(久々の市販のお菓子)、深夜に紅茶とココナッツのクッキーを焼いて半分食べた。
Nのラフ制作。
2022年3月27日
Uの最終ラフを書き終える。明日送信のメールを書いて予約をする。Tさんから頼まれていたタトゥーのラフも送る。洗面所と床の掃除。弟から譲ってもらった加湿器も掃除したけれど部品が足りなかったり元々が汚すぎてちょっと使うのに抵抗が出てきた。超音波式加湿器はカルキが固まった白い粉が付着しやすいとのこと。
銀行に記帳しに行った帰りにジェラートを食べる。桜味のジェラートと甘夏のソルベのダブル。夕方Oさんが来て三人で夕食。Sさんが雛豆とさつまいもと玉ねぎのヴィーガンカレー、手羽トロとブロッコリーの炒めものを作ってくれた。料理ができる前に結構飲んでしまった。
2022年3月26日
曇天。午前中からにわか雨、夕方から雨が降るという予報。風が強い。
Sさんと外出。FARO Kagurazakaの宮川慶子「みずの中のあなたと共に」とWISH LESSのLEE KAN KYO「NFT」に行く。FAROではSさんと三人でしばらく話す。家族、親孝行、運動の話など。
どちらも展示もよかった。宮川さんの小さな絵のシリーズのような気持ちで自分も絵を描けたらと思った。タイトルと名前をサインしていたのが自然ですごくよかった。LEEくんのサービス精神。作品単体のこだわりというよりは、それを完成させて、全体のイメージで伝えようとすること。
一日中天気が悪く身体が冷え、外出疲れもあって夜少し体調を崩しかけたけれど、風呂に浸かって葛根湯を飲んだら持ち直した。
2022年3月25日
Uのラフ作業。
先日smoke booksで購入した米粉のおやつのレシピ本に載っていたクッキーを作る。昨日からチョコレートを食べたい欲が湧いていたのでココアパウダーに変更。夜は四川風麻婆豆腐とわかめと豆腐と卵のスープを作る。
2022年3月24日
せめて行動記録だけでも書こう。
三食自炊。朝は納豆ご飯と味噌汁、昼は肉そば、夜はブロッコリーと鶏胸肉の酒蒸し、もやしとほうれん草のコチュジャン和え。数日前から白米の量をぐっと減らしている。
めんつゆは水出しの出汁に醤油とみりんを加えて作るのだけど、ベストなレシピが見つけられず、毎回濃さの調整に苦戦している。今日は薄めすぎた。
小泉悠氏がロシア情勢について語る講演会動画を聴きながらUの仕事のラフを進める。夕飯を食べたあとベローチェに行き勉強。甘いものが食べたくてコーヒーと一緒にチョコレートも買おうかと思ったけれどカフェモカで一応我慢ということにする。しかしカフェラテにチョコレートソースがかかっただけなので、思っていたより甘さがなくちょっと残念な気持ち。スターバックスのカフェモカ(もう何年も飲んでいないが)はこってりとした甘さだった気がする。
小麦粉とカフェインと甘いものを控える生活。始めた当初よりはずいぶんと慣れてきたけれどやっぱり窮屈な気持ちはある。パン食べてないなあ。この前朝マック食べたくらいだ。近所においしいパン屋もあるしいつだって食べたいのだけど、最近はブレーキがかかって自然と選択肢から消えている。しかし主食が米のみというのも飽きるので最近は十割蕎麦というレパートリーを増やした。ケバブ屋ではケバブ丼。
太っているわけではないのだけれど、もっと体脂肪を減らしたい。己の痩身願望にいろんな方法で抗ってはきたけれど、どうしても太るのが怖い。身体全体がむくんでいるような気持ち。自分の意識よりも身体が大きい。シュッとしたい。筋肉で引き締まって華奢な身体になりたい。筋肉がついてきたからかその上を覆う脂肪が気になる。
2022年3月22日
急に真冬の寒さ。雪に近いみぞれが降った。
2022年3月16日
Sのイラストレーションは今日中に提出する予定で、スキャンしてデータを整える。大体整った夕方頃、絵の一部がひどく歪んでることに気付き修正。一度にたくさん描くという仕事はこういうことが起きそうだなあと思っていたことが起きる。異常にお腹も空く。最近間食が止まらない。そろそろやめなければと思っていながらナッツを食べる。もうしばらくナッツ買うのはやめよう。
深夜に地震。かなり揺れた。福島と宮城で震度6強。Sさんと少し電話。ニュース映像とSpotifyでジャズを流しながら作業をする。ニュースの情報を入れすぎて少し忙しない気持ちになり、そのまま4時頃まで作業。
2022年3月5日
ホッピーはビールやワインとも違う、ホッピーの酔い方をするのが不思議。
天気予報では予想気温17度と言っていたけれど、室内にいるとまだ寒くてストーブをつけた。
2022年3月4日
最近ようやくランニングマシンが好きになった。クロストレーナーよりも格段に疲れるのだけど、全力で疲れ切りたい気分の時はランニングマシンが良い。というか体力がついてきたのかもしれない。クロストレーナーだと物足りなく思うようになった。腕を振って足を思い切り蹴り出すのが気持ちが良い。たくさん息を吸って吐く。いろんなリズムの呼吸を試す。汗もたくさんかくしカロリーも消費するし。
2022年3月3日
スペアリブと米粉スコーンを焼いてSさんの家に行く。暖かくなってきたのでスカートが履ける。久々にプリーツスカートを履く。
スコーンを食べて、作業をして、スーパーに行って、夕ご飯は野菜スープ(野菜とベーコン角切り。にんにくをすりおろして入れる。グローブ・カルダモンも一緒に煮出す。仕上げにバターをひとかけら入れる)とじゃがいもをローズマリーと塩で焼いたものとスペアリブを食べる。
2022年2月21日
今日は晴れているけれど気温が低い。芯から冷える。ポケットに手を入れないと指先の感覚がなくなる。
朝ごはんのあとに掃除と洗濯。オンラインストアの発送が1件。昼ごはん用に米粉スコーンをつくり、ちょっと食べて作業の準備。耳鼻科に行き、近くの自転車屋でスタンドを修理してもらう。変速ギアも調整してもらった。そのあとジム。帰宅してバナナとスコーンを食べて風呂。
2022年2月20日
〈去年の日記より〉
主体とは、どの呼びかけに応えるか、その応えによって形作られるという話のつづき。「応える」かたちのひとつに「受け入れる」がある。「なんでも受け入れてしまう」という性質は、同時に「なんでも渡してしまっている」恐れがあること。
渡したくない人に自分の大切なものを受け渡してしまったり(抱かれる、自分の価値を自ら下げる)、大切な人にその人が受け取りたくないものを渡してしまったりする。自分の場合、応答では揺らがない主体の「核」が極端に小さく、「準主体」の範囲が広い。だから呼びかけによって大きく揺らぐ。揺らぐ土台が弱い。どちらかと言うと、「受け入れない」ことを気にした方が良いのかもしれない。無自覚なふるまいが一番残酷。
昨日まで、だんだんと治療を始める前のような卑屈な気持ちになっていた。カフェインをやめたり食事内容を気にしたり化粧品を変えたり運動したり米粉つかったり、色々してるのに肌の回復はちょっと停滞期なのか、治らないことにモヤモヤが積もってた。心が狭くなり、ただ「肌の調子が悪い自分」という認識じゃなくて、治療を始める前のひねくれた気持ち、「肌の汚い自分はダメだ」と思うようになっていた。肌の調子が悪いということが自分の価値が下がっていることとイコールになっていた。
朝起きて顔を見たら二つのニキビはまだまだ治るには程遠い状態だけれど、他の大部分は悪くないと思えた。しっかり薬を塗る・飲むことと、食事に気をつけるという簡単なこと。なるべく早く寝ること。「禁止されてる」「食べちゃいけない」「できなかった」と思わなくて良い。
2022年2月19日
最近肌の調子が悪い。治療前に比べれば全体的にだいぶ良くはなっているけれど、それ以上回復しないというか、すぐに再び悪化しそうな不安定さがある。数日前から1日のうちの3割は肌荒れのことを考えている。だんだんと気持ちが滅入り、他のことで気を紛らわせられないまで落ち込む。
2022年2月16日
午後は池袋に向かう。世界堂に用事があったのだけど、それだけで帰るのもつまらないので映画も観た。「ドライブ・マイ・カー」。よかったな。観終わってからずっと頭がぼーっとしている。頭痛もする。良いものを見ると頭痛がする。最初から最後まで一定のテンポで「ハッ」とすることが起きる映画だった。
序盤から何度も流れる録音テープの妻の音声の抑揚を抑えた読み方が、映画全体の感情の起伏をぐっと押さえつけ均していて、押さえつけた手のひらには下からの脈打つ振動が微かに伝わってくるような。車の走行音もストーリーが進むにつれてだんだんと落ち着く音に思える。
『ワーニャ伯父さん』の本読みのシーンで台詞の終わりに机を拳で軽く叩くのもリズム。拳の石が水面に投げられて波紋が広がる。『ワーニャ伯父さん』の台詞が呪文のように身体に染み込む。ラストの家福の吐露が呪文を解く。まっすぐに届く。一直線。ゴミ処理工場の、原爆ドームと平和記念公園を結ぶ線を遮らないように設計されたガラス張りの通路、を通り抜ける風。
「好きな俳優」と聞かれてもそういう気持ちを持っていないのだけど、岡田将生は見かける度になんとなく愛着があるなあと思っていて、今回も思った。かわいい顔なんだけど、なんだか匿名性があるというか、人工皮膚で覆われているような顔つき。考えていることがわかりそうという油断をさせる顔。人の考えていることなんてわかるわけがないという当然のことに気づかされる顔。
-
以前よりも自分を守りたい気持ちが強くなっていて、それはこれまであまりにも無防備だったことで自分で自分を蔑ろにしていたことが多かったことに気づいたからなのだけど、自分が「嫌な気持ち」になることに敏感になるのは当然ながら良くも悪くもあるなあと思った。
人と相対して「嫌な気持ち」になったとき、つまりこちらは「傷ついている」とき、その原因が「相手」ではなく、自分自身の被虐的な考え方によって「傷ついている」と思っている場合もある。今回の出来事がそうだった。自分が「本来なら応えられるわけがない(心を動かせない)」呼びかけに応えてしまったがために、結果的に自分で自分を「傷つけている」ことに気づかず「傷ついている」と思ってしまっていた。
応え方こそが自分の主体をつくっているのだから、雑な呼びかけに応えるのはそういう主体になるということ。ブレーキのかけ方。今回動いてしまったのは、少ながらず自分のなかにもその欲があったからなんだけれど、それは考えがあっての動きではなく、刺激を受けての反射反応でしかない。動くべきではなかった。動いてはいけなかった。「傷ついた」として終わらせて良い話ではない。
2022年2月9日
母から送られてきた小包を受け取りにコンビニに行く。いまの家に引っ越してから年2回くらい届く。なぜかいつも自然食品。今回はバースデーカードと1万円が入った封筒が同封されていた。
大抵カードには「誕生日おめでとう」、封筒には「好きなもの買ってください」の一言が書かれているが、今年のバースデーカードは二つ折りの、開くと二羽の文鳥が首を傾げる仕掛けで、今年はついに「誕生日おめでとう」の一言も書かれていなかった。そんな。わたしも思わず首を傾げるよ。
「文章を考えて、書いて、渡す」という手段の愛情表現を用いないだけ。ただそれだけのことなんだけれど、無記入のカードはさすがに寂しくなってしまった。こういうとき、母を「母」ではなく「一人の人間」に思う。してほしいことをしてもらえなかったから思うという、身勝手で恥ずかしい話なんだけれど。その「人間」の子供、自分にもそういうところがあるのも感じる。癖、偏り。
細かいことは忘れたけれど、母がわたしの卒業制作の展示になぜか来ようとしなくて、「見にきてよ」と泣いて訴えたことを思い出した。さっき「愛情表現をしないだけ」と書いたけれど、正直、その頃にはもう母はわたしに興味がなくなっていたんじゃないかと思う。
ここまで書いてふと思った。わたしは中学から高校にかけて度々精神的に不安定になり、母に八つ当たりしていた時期があった。その頃から母はわたしから距離を置いたんじゃないだろうか。わたしの泣き喚きの直撃を避けるために、それまで抱いていたなにかを手放したんじゃないだろうか。いま初めて気付いた。そんな気がする。
それまではそんなことはなかったと思う。幼稚園の卒園アルバムに載せる似顔絵を何度も描き直させ(母は覚えていないと言う)、小学四年生から塾に通わせるくらいのわたしへの興味はあった。いや、それは「興味」とは言わないか。親としてのあれ。母がわたしや弟のこと、自分が産んだ子供のことをどう思っているのかわからない。
ホームセンターに行って土など購入。帰って多肉植物の植え替え。ベローチェに行き三日分の日記を描く。その後ジムに行こうと思ったけれど、スーパーで数日分の食材を買ったら荷物が重く、心折れてそのまま帰宅。
2022年2月6日
昼からMさんの家に行った。ポンカンのパウンドケーキを作って持っていく。福江島で買って誰かにプレゼントしたいと思っていたバスソルトも渡せてよかった。
Mさんの家の庭は近所で飼われている猫の散歩ルートになっていて、ちょうどわたしたちが帰ってきたときに庭の塀に座っていた。Mさんがカレーの準備をしている間、縁側でおもちゃをつかって猫と少し遊ぶ。ガラス戸で日差しが暖かい。
ルーローハン風のカレー(八角が効いていて美味しい)を食べ、パウンドケーキ、家に行く途中でMさんが買ってくれた和菓子、みかんと次々食べながらいろいろとしゃべる。
帰りに残りのカレーと宮崎牛のハンバーグ、みかんなどをおみやげにもらう。「おばあちゃんみたいだね」と言い合っていたら、Sさんにも「おばあちゃん家に行ってきたの?」と言われた。
2022年1月29日
何に対して「生きる喜び」を感じるのだろうか。
2022年1月24日
8時過ぎにチェックアウト、港の定食屋で朝食をとる。昨日も結構寝たけど疲れきっていて、福江島から長崎港へ向かうジェットフォイルのなかでもよく寝る。どこも臨時休館のため、ひとまず紀伊國屋書店でキリシタン関係の本を少し読み、松翁件本店にお土産のカステラを買いに行き、大正堂書店という古本屋でもキリシタン関係の本を探し、福砂屋で小さなカステラを買って、中華街の広場でおやつがわりに食べる。次回大浦天主堂とオランダ坂は合わせて行きたい。グラバー園も。あと浦上天主堂の近くにあるサンパウロ長崎センターにも行きたい。雲仙や島原にも行ってみたい。夕方に長崎空港に移動し、夕暮れに離陸、機内でヒレカツサンドを食べながら田中美津の本を読み返して過ごす。
成田着。Sさんが家に来てくれることになり、最寄駅で待ち合わせ。5日ぶりだけどちょっと新鮮な気持ち。ビールを飲みながらSさんが用意してくれた鰹のたたきを食べる。旅行をしながら思ったことなど話す。初めて口に出したからか、言おうとしたことじゃないことを言っている気がして気恥ずかしくなり、少し冗談めかして話してしまった。写真の量が多くて飛ばし飛ばしに見せていたらなんだか忙しないお披露目会になってしまった。
旅行中、潜伏キリシタン関係のものに触れながら、だんだんと、わたしは潜伏キリシタンのどこにこんなにも惹かれているんだろうと思った。潜伏キリシタンというよりは、潜伏キリシタンを鏡にして自分を見る。自分は何を求めているんだろうか。救いのようなことではあるんだろうけれど、まだ曇っていてよく見えない。
2022年1月23日
昨夜から雨。今日だけホテルの朝食を予約した。まさにホテルの朝食らしい内容で贅沢な気持ち。なめこと山菜のゆず風味の冷菜が美味しかった。ホテルのスクランブルエッグってなんであんなにとろとろで美味しいんだろう。
9時過ぎに出発、路線バスで水の浦教会へ。大浦天主堂の雰囲気に似ていて好みだった。ここで昨日のツアーガイドのUさんと合流する。あいにく天気も悪く、移動手段のないわたしを気遣ってくれて、ちょうどUさんも今日は予定がなかったそうで個人的に島を案内してくれることに。まず楠原牢屋跡、これは一度解体されたけれど、再び柱や引き戸を利用し一部復元されている。その近くの楠原教会は日曜ということもあり、ちょうど祭祀(葬儀?)が行われていて遠くから眺めた。この旅行でいろいろな教会に行ったけれど、唯一、使用されている様子を見ることができたのはよかった。次に井持浦教会へ。ここは日本で初めてのルルドがあり、神父の呼びかけで島内の信者が珍しいかたちの岩を持ち寄って造られたという。岩に生えた植物は亜熱帯の雰囲気があり、今日は雨が降っていて葉が濡れてつやつやしていた。敷地内には巡礼者のための宿泊施設があり、ロビーには無人の売店がある。ここに置いてあった井持浦教会の100年記念誌には昔の写真が数多く掲載されていて魅力的だったのだけど、Uさんを待たせていることもありちゃんと読めず心残り。また行く機会を設けたら次こそひとりで運転して向かい、じっくり読みたい。(帰ってから調べてみたら以前は販売されていたみたいで、いまからでも買えるなら買いたい。)
そのあと山を登って大瀬崎灯台が見える高台や浦頭教会(ノアの方舟をイメージして造られたという現代的な建築)に寄って、ホテルまで送ってもらって解散。これが13時頃。Uさんは74歳で、三井楽地区のまちづくり協議会の役員でもあり、つばきマラソンの実行委員会の副会長も務め、昨日のようなガイドもされている。だからまだまだ元気で、わたしの父が68歳ですでにボケ始めてきていることを話したら「なにかさせたほうがいいですよ」と言って、福江島への移住を勧めてきたのが面白かった。ここにいるとなんでも自分でしないといけないから、と。母がなんでもできちゃう(しちゃう)ことが大きな要因だという結論に至った。
ホテルで一息ついて、昼食をとりに近くの町中華の店へ。ちゃんぽんを食べる。塩味が下にピリピリくる、少しとんこつ臭くて甘いスープ。ちゃんぽんと言っても店によって結構違うんだろうなあと思った。その後は福江教会、五島観光歴史資料館、山本二三美術館を回り、スーパーに寄ってホテルに戻る。先に風呂に入り、食べ、22時くらいには寝たと思う。疲れが溜まっていた。
2022年1月22日
早朝起床、6時半に朝食を食べ7時にチェックアウト。長崎港ターミナルに向かい、7時40分発のジェットフォイルで福江島へ。福江港に着いたらそのまま福江島・久賀島・奈留島の教会を巡るツアーに参加。わたしの他に参加者は二人だった。
まず向かった奈留島の江上天主堂は地勢に適応した教会堂ということで世界遺産に登録されている。教会があるこの集落は小さな谷間にあり(平地は仏教徒が住んでいるため、あとから移住した潜伏キリシタンはわずかな土地を切り開かなければならなかった)、天主堂の前にはタブノキが生えていて、ごれが防風林として機能している。かわいらしい外観。天主堂内の見学は前日に「まん延防止重点措置」の影響で中止になり残念。
久賀島の旧五輪教会堂には海上タクシーで移動する。塗装が剥がれて年季の入った板張りの教会堂。清貧さ(使用されていないからでもあると思うけれど)を感じられて、とても勝手だけど「好み」だった。いまのところは教会堂内の見学は可能で、教会として使用されていないため撮影も可能。窓は珍しく引き戸。偶然、長崎に来る前にこの教会守の男性を特集した映像ニュースを見ていたので、ちょっとだけ話した。気恥ずかしいそうであの映像は見ていないらしい。
そのあと山道を歩き、タクシーに乗って久賀島の久賀島観光交流拠点センターで昼食、五島うどんを食べる。午後はまず牢屋の窄殉教記念教会に。ここでの凄惨な出来事は少し文章で読んでいたけれど、ガイドさんの口から聞き、殉教者の名前が刻まれた石碑、その場所から眺めるおだやかな湾を眺めると、ほんとうに何と言えばいいのか、酷い気持ちになる。幼児、妊婦から老人まで、12畳に200人、1畳に約17人が8ヶ月間押し込められた場所。
タクシーに乗り込み、浜脇教会を通り過ぎて港から福江島に戻る。そして堂崎天主堂へ。二十六聖人のひとり、五島出身のヨハネ五島を祈念して日本二十六聖人殉職者聖堂と命名されている教会堂。外観は赤煉瓦で重厚感があり、一部は煉瓦の角が見えるように45度回転させて積み重ねていてアクセントになっている。ここは教会堂内は資料館になっていて入れた。外に生えていた紫の花の植物(名前忘れた)は良い香りがする。ここも海辺にあり、波で削られて丸まった岩がふたつ並んでいた。そして福江港に戻り解散。
ホテルに行く前に少し商店街を歩く。小さなスーパーに寄ってひとまずビールを1缶買う。チェックインし、朝買った梅おにぎりと残りの千代香を食べ休憩。google mapで調べたら近所に大きなスーパーがあったので、ここで刺身など惣菜と、追加のビールを買う。食べ終わり、風呂に入り、Sさんと数日ぶりにテレビ通話(テレビ通話、他に言い方がありそう)。通話を終えて、ビールを飲みながら船越の作品集を読んでいたらいつの間にか寝落ちしていた。深夜に起きて歯を磨いて寝る。
2022年1月21日
ホテルの朝食を食べ、9時過ぎに出発。西坂の丘にある日本二十六聖人殉教地に行く。船越保武のレリーフが本当に良かった。その裏にある記念館に3時間ほど滞在。路面電車で平和公園で下車。坂を登る道中、パン屋でパンを買って浦上天主堂前の公園で食べる。浦上天主堂は教会内も見学できた。外には被爆し破損した聖人や天使の石像が置いてあった。表面がランダムな水玉模様のようになっていて、あれが原爆の熱なんだろうか。天主堂横には旧浦上天主堂の倒壊した鐘楼が当時のままそこにあって、それを見に行く途中の小道で見た2羽の小鳥がかわいかった。黄色と橙色の鳥。坂を下り、平和祈念像を見る。思っていたよりも小さくて、思っていた通り良くなかった。碑文にも違和感。「男性の健康美」。船越との違いを思う。その後原爆落下中心地の碑を見る。二度ほど上を向いた。雲は少し浮かぶくらいの澄んだ青空。
公園をあとにして、バスに乗って大浦天主堂に行くも、今日から「まん延防止重点措置」の適用でまさかの休館。ショック。天主堂の横の細い坂を登って、天主堂を横から眺めたりする。ついでに行こうと思っていたグラバー園も同じく休館。通常なら20時まで開館している長崎市美術館も18時までに変更になっていて、気づいたのは17時前。急いで向かう。いくつか常設展があり、もともと船越保武の二十六聖人レリーフにまつわるデッサン・ドローイングの展示を目当てにしていたけれど他の展示も面白かった。スペインで収集した美術品で構成されている須磨コレクションは宗教絵画が多くてラッキーだった。ピカソやダリもあって、特に「海の皮膚を引きあげるヘラクレスがクピドをめざめさせようとするヴィーナスにもう少し待って欲しいと頼む」という絵がかっこよかった。http://www.nagasaki-museum.jp/museumInet/coa/colGetByArt.do?command=view&number=345
閉館ぎりぎりにミュージアムショップで船越の作品集を購入し、スーパーで刺身や唐揚げなど惣菜を買ってホテルに戻る。お腹が減っていたので浦上天守堂に行く途中にある和菓子屋で買った千代香というお菓子をひとつ食べる。どらやきよりもちもちとした皮1枚で餡子が包まれている。かたちもかわいい。
2022年1月20日
早朝Sさんと家を出て、駅で別れてわたしは成田空港へ。昼前に長崎空港に着く。空港からリムジンバスに乗って40分ほどで長崎新地に着くも、移動続きで少し酔う。イオンのトイレに寄って、ひとまず昼食をとろうと中華街を歩き、品揃えのよい植物屋で多肉の鉢について店員に質問したり、飲み屋街に迷い込んだりした後、メインの通りから少し外れた中華料理屋に入る。皿うどんを食べる。具材がたくさんのっていて、麺は太めのそばのような麺で美味しかった。上品。
そのあと地図を見たら出島が近かったので寄ってみると、思っていたより見応えがあり2時間ほど滞在する。出島を出る頃にはもう夕方で、川沿いを歩いて眼鏡橋を見たり、凧(ハタ)屋さんでSさんへのお土産を買ったりしながら、長崎歴史文化博物館に行く。閉館まで1時間切っていて、歩き続けて疲れてもいたのでさらっと見て帰ろうと思ったけれど、虎の絵や陶器、ガラス細工、潜伏キリシタンのブースなど、これもまた面白いものが多くて閉館時間ぎりぎりに退館。
中町教会に立ち寄り、長崎駅近くのホテルに到着。一息ついて駅近くの町中華の店に皿うどんを食べに行く。昼食べた皿うどんとは真逆の方向性で、揚げ麺(太麺と細麺が選べる)にとろみの強い餡がかかっている。かなりジャンクな味で、少し残してしまった。揚げ麺は一人前も食べれないなあと思った。昼に食べたような、具材が多く餡は少なめで揚げ麺ではない皿うどんが食べたくて、翌日以降もそういった店を探してみたけれど見つからなかった。
食べ終わってホテルに戻る途中、胃を落ち着かせようとホテル近くの喫茶店に入り、コーヒーを2杯飲み(2杯目にチョコレートをサービスしてもらった)、田中美津の本も読み終えてホテルに戻る。風呂に入り、ほぼ寝落ちのように就寝。
2022年1月3日
去年の11月24日以来日記を書いていなかった。海老原商店での個展のための制作に追われていた頃。生活(主に睡眠時間)が乱れ、いろいろな出来事も重なり心身ともに追い込まれ、ジムで体力を消耗するのも惜しい気がして行くのをやめていた。12月4日に個展が始まってからもなんだかんだ慌ただしく、12月半ばにやっと再開、今日は今年最初のジム、の前にベローチェで日記も久々に書いている。
元旦の朝は用意したおせちを食べた。お屠蘇も用意して、一人暮らしを始めてから一番お正月らしい朝になった。
お煮しめは煮汁を二倍にしたことで濃すぎる仕上がり。白ごはん.comを参考に作ったお雑煮となますは美味しかった。田作りも味は良かったがたれが多くてカチコチ。購入した数の子も味付けがちょっとしょっぱいので来年は自分で用意したい。黒豆の代わりに素煎り黒大豆。かまぼこはすっきりした味でおいしい。醤油を使った料理が多いのでちょっと食傷気味。来年はお煮しめの代わりにミートローフを作るのもいいかも。赤海老もいいかも。伊達巻も購入したけれど、来年は代わりに大きな卵焼きを作るのもいいかも。
その後外出。川沿いを歩き、街を散歩。通りかかった神社二箇所にお参りして、わたしは忘れ物を取りに一旦家へ。Sさんは作業場で木工作業。夜は映画を見ながらおせちの残りと、お煮しめを刻んで炊き込みご飯にしたものを食べた。