少し前の日記を少しずつ更新しています
2023年4月19日
ツツジのケーキ

交差点の黄色い花

ミントグリーンの繊維




2023年4月10日
自分はなにを信じ、愛しているのか

振り返って考えるべき

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テーマはその都度食べる栄養
摂取するその身体そのものを考える
身体を考えてはいけないのがイラストレーションなのだと思う
わたしは身体を考えたい

devotionでわたしを突き動かしたもの
島々をなぞる、coastlineで隠れているもの




2023年3月30日
「〇〇しよう」
わたしが責任を持つから

愛すること 責任を持つこと
選んだ言葉を渡し、手を取り連れて行く
踏み越える

それは「ごめん」の対極にあるもの




2023年3月24日 
45年間コードを書き続ける老年のプログラマーは、朝起きると"イメージスイミング"を行うのが日課だ。プールに通うのは時間も手間もかかる。それなら"イメージ"で泳げば良い。彼はまずバタフライから始める。実際にはバタフライの経験はない。しかしイメージならばあらゆる型で、スムーズに水中を泳ぐことができる。競泳の選手の肉体を想像しながら、肩甲骨を円を描くように動かす。息継ぎをする。手のひらに水の重みを感じながら掻き分ける。そしてクロール、平泳ぎ、背泳ぎをしてプールを出る。肌に伝う水滴を手でぬぐう。
「僕は芸術には手を出さない。なぜなら終わりがないからだ。だけどプログラミングは、人間がこの世界で唯一、完全に、コントロールできるものなんだ。自分の書いたコードが、世界の始まりと終わりを決定させるんだ。それがたまらなく楽しい」




2023年3月19日
立て付けの悪いドアを開けバックヤードへ入ると、客が残した焼きそばやレバニラを、誰が口をつけたかわからない箸で回し食べている。見て、と二つに折られた箸。これで一膳増えたと笑う。たくさんお酒を飲んだから何回もトイレに行く。用を足したあと、トイレットペーパーを三角に折る。バックヤードに戻るとビーフジャーキーが追加されている。「わたしこれ好き」と食べる。湿気たポップコーンを食べる。みんなお腹が空いている。副流煙を浴びた身体、しゃがれた声で「まだ2時なの」と彼女は言う。

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「飲み物をどうぞ」と男は女にメニューを見せる。女はワインを、男はレモネードを選ぶ。年季の入った木製のカート2台に分けて「本日の食材」の魚介類、野菜、果物、証明書の付いた牛肉が運ばれてくる。「今日はこのホワイトアスパラガスは食べないとだね」と男は給仕に言う。「ボイル、もしくは炭火焼でお召し上がりいただけますが」「炭火焼で、1本ずつお願い」手作りのブッラティーナは苺または桜の塩漬けとのカプレーゼを勧められるが、男はハモンセラーノを選ぶ。「苺は苺でいただこう」。男が肉や魚介を選び、メニューを決め終えると、給仕はカートを押して帰っていく。

白く大きなブッラティーナにナイフを入れると、切れ目から生クリームとミルクが溢れ出す。ハモンセラーノと絡ませながら取り分け、塩を振り、青いオリーブオイルを垂らす。





2023年3月16日
夢。韓国から友人が泊まりに来た。ナム・ジュン・パイクという名前で、しかしあのナム・ジュン・パイクではない。わたしよりいくつか歳上のお姉さんで、黒い髪でショートパーマ。私は団地の高層階に住んでいて、時間は夕方。外はまだ明るい。室内は暗く、オレンジの照明を点けている。天井が低い。ナム・ジュン・パイクは来て早々に「絵描こうよ」と、ちゃぶ台の上に無造作に紙と鉛筆を広げる。その隙間にわたしはお茶を置く。




2023年3月14日
東畑開人『居るのはつらいよ ケアとセラピーについての覚書』ものすごく面白かった。没入した。読む前まで自分のなかで勝手にこの本に求めるなにかがあったのだけど、それを大きく大きく包んでくれる本だった。
後半は一気読みさせられてしまった。読まずにいられなかった。だからまだ巻き込まれている。冷静に振り返れない。とにかくよかったと思ったことだけを書き残す。

ひとつ、些細なことだけどP260で失うことについての例で「恋人に裏切られる」というフレーズが出てきた。多分その前のページのどこかでも出てきたような気がする(記憶違いかもしれない)
「恋人と別れる」ではなくて「恋人に裏切られる」と書く。「別れる」と書くと理性的な感じがするけど、「別れる」は動作を表していて、お互いの心に生じているのは「裏切られたと感じる」ことなのかもしれない。強い言葉だから書いた自分が今、当てられかけている。「裏切られた」は同時に相手が「自分を裏切った」人になり、同時に相手から「裏切った」人だと思われることにもなる。それに耐えられないと心は無意識に判断し、心を守るために「別れた」と表現する。

この本は不安定な心をどうにかおだやかに保とうともがく(おだやかになるためにもがくしかない)人々の話だった。登場人物全員がそうだった。

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わたしをなぞる言葉
わたしの肌をやさしく撫でてくれる言葉






2023年3月12日
先日KELTYのリュックサックを買った。
KELTYは「バックパック」より「リュックサック」と呼ぶほうが合っている気がする。
それまでリュックサックを持っていなくて、いつも斜めがけのショルダーバッグを使うことが多かったけれど、MacBookやら荷物が増えるとあまりにも肩がつらくて耐えられず、函館から千葉に戻る帰路(まさに苦しんでいる時)の間にめぼしいブランドを検索し、Amazonで購入、翌日受け取った。それから伊勢に行き、戻ってきてからは職場に行くとき使っているけど、本当に良い買い物をしたと背負う度にうっとりしている。弁当と飲み物(水を入れた500mlのボトルと、温かいカフェインレスコーヒーを入れた350mlのボトル)のほかに、仕事帰りに外で作業をしたいときはMacBookも持っていくのだけど、同じ物量を背負っているのに全く重くない。いつもいつもげんなりしていたのが嘘のよう。無くせるストレスは(無理ない範囲で)無くしていこうと思った。






2023年3月10日
来年のわたしへ。早めに花粉症の薬を飲み始めること。肌がぼわぼわして、肌の深部の炎症が赤く目立ってきます。食事と保湿だけでは太刀打ちできません。今年はいよいよ目もかゆくなるようになりました。耳鼻科に行ったら花粉症の症状が肌に出ることも伝えること。

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肌の問題によって、ぎりぎりのところで過食を抑えている気がする。






2023年3月9日
伊勢滞在中。午前は絵の制作、午後に鳥羽のミキモト真珠島に行く。
道中、電車内で近藤さくらさんの『視線の標本』を読んで、ほんとうに良くて、耐えられない気持ちになる。Vol.6に書かれている夫婦生活についての文章は、函館でさくらさんから貰った直後に読んで瞬間的にその場でもくらったのだけど、今日また読んで、やっぱりくらう。
『わざわざ「ずっと一緒にいる」というサインをして それからお互いを自由にする練習です。』
…これを読んで最近の自分について思ったことをいろいろこの後に書き連ねたけれど、函館から伊勢と体調を崩しながらの滞在で、考えることがあまり健康的ではないので消した。

真珠島は2時間半ほど滞在、何度か休憩しながら博物館をじっくり見て、帰る頃には疲労で頭痛。
併設のミキモトのお店には数十万から百万越えのネックレスはじめとするさまざまな装飾品が並んでいた。真珠が連なるネックレスの堂々とした姿は制作過程も知ったことで貫禄を感じたけれど、装飾品になった真珠にはどうにも興味が湧かなくて、一応一通り見て店を出る。これはデザインの問題が大いにある気もする。若年層向けの安価な淡水パールのアクセサリーもあるけど、デザインは時代が止まっているように感じる…。
そしてミキモトはやっぱり真円の真珠こそ、というところがあるんだろうか、バロック(いびつな形の真珠)を使用したものはなかったような。「一流」を維持する難しさ。
真珠は金具との相性も難しい気がした。真珠がなぜかチープに見えてしまう。いや、これもデザインの問題かもしれない。博物館の2階で展示されていた天然真珠を使用したアンティークジュエリーはうっとりするものがいくつもあったが、これと同等に考えるのは違うか…。

装飾品になった真珠よりも、昨日、菊池パールでの真珠取り出し体験で、アコヤ貝にナイフを入れて貝柱を切って開けてぐにょぐにょの内臓の間に挟まった真珠を自分は美しいと感じる。言葉にできないけれど、とても惹かれるものがある。
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「たらちね」の近くの「つたや」で伊勢うどんも初めて食べた。話に聞いていた通りやわらかい。白玉よりもやわらかくて消化に良さそう。いまの体調に合っている気もする。やわやわな食感だけどつゆ(タレ?)は甘っ濃くて、そのバランスも好みかも。






2023年3月4日
喉が痛い。ものすごく久々に「風邪っぽさ」を感じ、念の為病院でコロナやインフルエンザの検査をして陰性、風邪と確定。
函館の家に泊まっている間は毎朝温泉で温まり、汗をかいて自律神経を整えていたのだけど、最終日だけドミトリーに泊まったら乾燥で喉がやられた。シャワーで済ましてしまったのもよくなかった。この冬、へんな寝汗をかくことが多い時点で危うさはあったのかもしれない。

肌が荒れないよう最近はほとんど外食せず、質素な食生活をしているけれど、函館では寿司やジンギスカン、洋菓子、パンも食べた。お酒は飲まなかったが、代わりにジュースを飲んだ。カルピスが美味しい。ジュースで一番好きなのはカルピスかもしれない。久々の贅沢をした。
ジンギスカンみたいなものは実家で何度か食べたことがあったけど、ジンギスカン屋に行くのは年末か年始に(思い出せない)シェアメンバーの4人で目黒のジンギスカン屋に行ったのが生まれて初めてで、今回函館で行ったところもものすごく美味しかった。野菜もたくさん食べられるし、牛肉と比べて胃がもたれない。焼肉より好きだと思った。
ジンギスカン屋は2回も行った。本当によく食べた。なので、身体がエネルギーで満ち満ちていくのを感じられる。指先までギュッと栄養が詰まっていく。
肌もいまは温泉と栄養でつややかだが、小麦の影響が遅れて遅れてやってくるのではないかと思う。どうか大きく崩れませんように。

本当のところ、しばらくは家にひとりでいたい気分ではあったけれど、行ってよかったと思うことがいくつもあった。SさんもUさんも優しい、GさんやKさんとみんなでご飯を食べれて嬉しい、Oさんと会えて作品見てもらってお茶もできて嬉しい、大家さんとの時間、ロフトで偶然Aさんに会えたこと、ホテルのフロントの方がトークイベント行きましたと話しかけてくれたこと、Sさんとお蕎麦屋さんで話したこと。






2023年3月3日
また、絵を描かない=自分の価値がない、と思いかけている自分に気づく。
気づけてよかった。引き戻すために書く。

価値づける時点で、自分の存在を他者に委ねてしまっている。いろんな面で「人からどう見られるか」を気にしてしまっている。(自分が気づかないところは、良くも悪くも気にしないでいられるのだけど) 
嫌気がさす。好きなようにすればいいだけなのに。






2023年3月2日
誰かと一緒にいながらも、話しながらも、多くを打ち明けながらも、同時に「ひとり」の部分を持っている。
ひとりで考える、ひとりで決断する場所がある。

「微笑まれたら微笑み返す」振る舞いは、微笑み返すほど「ひとり」がないと人に思わせる。「全て」を打ち明け、共有してくれていると相手に思わせる。その微笑みは嘘ではない。微笑み返したいとわたしが思ったから微笑み返している。都度「わたし」を打ち明けている。しかしその打ち明けがわたしの全てではない。微笑み返しながらも、同時にひとりでもいる。
それは「全てを打ち明けてくれている」という期待を裏切ることになる。あんなに共有したと思ってたのに、この人は、この人にとって大事なことは「ひとり」で決めてしまう。

それはさみしい気持ちにさせる。

どうしたら、「微笑まれたら微笑み返す」ことを否定しないまま、「ひとり」を否定しないまま、人をさみしい気持ちにさせないようにできるのだろう。





2023年2月25日
自分で買ったのに、なんだか派手すぎるような気がして積極的に着れていなかった明るい緑色のトップスを久々に着る。
仕事場のソファに座り自分の胸元を見ながらこれを打っているけれど、眩しくて、気分が良い。

自分の考える身体の大きさよりも、実際の自分の身体が大きいと感じていたけれど、最近は積極的にこの身体の大きさに精神を合わせていこうと思うようになっている。
すると、同じ服、同じスタイリングなのに不思議ととても新鮮に感じる。以前よりも良い感じがする。新しく購入したスカートも、「小さなわたし」に寄り添うものではなく、「大きなわたし」に勇気を与えるものを選べたと思う。

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好きになってもらいたいと思うことと、人の評価を求めることの近さ、危なさ。





2023年2月24日
奥誠之『ドゥーリアの舟』をゆっくりと読み返し、今日読み終えた。本が心に寄り添ってくれる。
わたしはいま、自分で自分に「セラピー」を施しているのかもしれない。「ケア」ではなく。






2023年2月20日
10年前とも違う
5年前とも違う

3年前とも違う

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チューニングが得意
チューニングができる
チューニングができてしまう
チューニングをしてしまう

チューニング自体を「良いこと」「悪いこと」として捉えない。
「自分にはチューニングの性質がある」ことだけを認める。
それが何を引き起こしているか、を注視する。

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楽しくあれないならば、楽しくあろうとする自分がゆるせないと思うのなら、とりあえず、それを一旦横に置いておく。ゆるす、ゆるせないの判断ごと、横に置いておく。





2023年2月19日
目は疲れていて、ここ数日は奥に重い痛みを感じていた。目は瞼を閉じて休みたかった。しかし目以外の身体は今日の春の陽気を喜んでいた。筋肉は布団の中で緊張を解き、リラックスしていた。のびのびと身体を起こし、目が瞼を閉じたままにすることをゆるさなかった。
身支度をする身体に、目はことごとく付き合わされる。ドアを開け、鍵を閉め、ドアノブを回して鍵がかかっていることを確認させられ、出発する。ホームでは電光掲示板を見させられ、電車内では持ってきた本を読まされ、スマートフォンの画面を見させられる。斜め向かいのベレー帽を被った髪の長い女性の、ドクターマーチンの3ホールシューズと赤いショートソックス、マスタード色に黒や赤や緑が重なり合うチェックのマフラー、手に持っている本の緑色のカバーを見させられる。
大手町駅で身体は降りて、出口案内表示の「C2c」を目に探させる。階段を踏み外さないよう注視させられ、外に出ると生暖かい空気。身体は「寒くない」と喜んでいるが、目は自分を覆うコンタクトレンズが乾いて息苦しい。曇天の眩しさも、高層ビル群によって乱反射し飛び込んでくる鋭い光も、目には嬉しいものではなかった。
しかし、大手町駅から身体の目的とする場所に向かって皇居の堀沿いを歩く途中、道路の反対側に一本の春の木を見つけたことで、目は今日の身体の横暴をゆるした。身体は春を見れない。目は春を見た。





2023年2月18日
ある人がある問題を抱えていて、それは事務的な手続きが関係することで、3つの相談先がある。その人はその内の2つに、自分が今困っていること、追い詰められた状況からどうにか抜け出せないか、その方法を教えてほしいと切実に訴える。2つの相談先はそれぞれの管轄で出来うる範囲の助言をする。

その人はとても追い詰められていた。最後に残った相談先に訪れたときには、その人はもう、どこまでが範囲でどこからが範囲外なのか考えることができず、説明するための順序立てや、どのように要点を伝えるかといった編集の思考・気力も失っていて、いま抱える苦しさをそのまま吐露するしかなかった。

相談員も、どうしたらいいかわからなかった。伝えられるのはいくつかの具体的な手続きの方法で、それはその人の苦しみへ対するものとしてはあまりにも温度のないものだと、相談員自身も感じていた。物事を具体的に進めるには相談先の専門性が必要だが、同時に、その人の抱える苦しみに寄り添ってくれるような存在が必要だと相談員は思った。
話は聞ける、しかし受け止めきれない。受け止める態勢を取れていない身体にはその人の訴える苦しみはあまりにも重く、その人が話し終える頃には相談員もその重みで身体が折れ曲がっていくのを感じた。引っ張られている。暗闇の淵に立ち、目を凝らし見出す必要のないなにかを見出だしはじめそうな自分を引き止めるために、その人が帰ったあと、相談員は強く、溜息を吐いた。



2023年2月16日
肌の治療のためにピルで女性ホルモンを補充し、薬で男性ホルモンを抑制している身体と、性自認と、「かわいい」の遠さと、〈〇〇〇〇〉への恐れ(過去の経験から深めてしまっているが、一種の偏見だとも思う。どうしたらいいのか。言い表せる言葉を見つけられていないため、〈〇〇〇〇〉で表記する)とがめちゃくちゃに絡み合っていて、解きほぐせる気がしない。





2023年2月12日
出先で「寒い」と思いたくなくてダウンを手放せない。15分も歩けばネックウォーマーには不快な熱がこもることも分かっているのに、欠かさず身につけ家を出る。冬はずっと寒さに組み敷かれていて抗えない。
ほんの数日間だけれど、昨年末に函館の冬を体験できたことはよかった。気持ちの良い寒さもあるのだなと思った。肌が痛くない。冷えた空気を吸って吐くことが、身体によいことをしているように思う。

いま着ているこのダウンを購入したことも大きい。軽くてものすごく暖かい。いままでのコートがどれも重いし寒いし、これまではとにかく着込んでいたが、ダウンはすごい。ヒートテックも必要ない。真冬に「ちょっと薄着にしようか」と考えるなんて、贅沢なことをしていると思う。
分厚いセーターの出番が減り、秋みたいな薄さのスウェットを着ている。身体が軽いのがとにかく嬉しい。だから夏が好き。

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奥誠之『ドゥーリアの舟』を通勤中の電車内、昼休み、帰りの電車内で読み終えた。
「感情が筆に乗り、絵具がキャンバスに乗る。」の一説に驚いた。本当に驚いた。「感情が筆に乗る」ということが、わたしの「絵を描く」には起きていないから。そうやって描くのか、と素直に感心してしまった。
いや、ラフの段階で「鉛筆に乗る」ことはあるけれど、奥さんの言う「乗る」とは違う感じがする。
おそらく「線」ではできないことが油絵ではできる。そう思うと、楽しいけれどなにをどうすればわからない状態の油絵と、もう少し親しくなれそうそうな気がする。でもあまり急がず、ゆっくりやろう。

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絵を描いて、人に見てもらって、話をして、
どれもそうだと思いたいし、どれも違うとも思いたい。





2023年2月11日
Mさんからフェミニズムに関連する書籍をいくつか紹介してもらい、導入としておすすめされた清水晶子『フェミニズムってなんですか?』をまず読み終える。
第一波フェミニズム運動から第二、第三、現在の第四波までのおおまかな流れ、それぞれの成果と同時に抱える課題点を、限られた文字数のなかでも丁寧に拾い上げられている。清水さんとゲストとの対談も挟まれていて、この対談が本を生き生きとさせている。小さな部屋で清水さんと読者が円になって座り、清水さんのレクチャーを受けているような気持ちになる。清水さんは東京大学構内に「駒場キャンパスSaferSpace(KOSS)」という場所をつくったらしく、基本的には在校生・大学関係者のための場所だが、大学外の人も参加できるような公開講座もあるとのこと。ちょうど日程が合うものがあったのでひとつ予約する。

生まれ、自我が芽生え、都度なにかを選択し、今の自分がいるのだけど、そのなかには振り返ると歪な選択をしていたと思うことがある。その選択をした自分を長い間「自分はこういう間違った選択をしてしまう、愚かな人間だ」と責めたが、どうしたら繰り返さないのかもわからず、あきらめ、もう過ぎたこととして考えないようにもした。
しかしいくら経っても忘れることはない。それは時が経つにつれて、反省とはまた違う、違和感としての「どうして自分はその時そう考え、そう選択してしまったのか」という疑問に変化し、それを考えていくなかで自然とフェミニズムに辿り着くのは、なにかがあるんじゃないかと思う。何一つ言い切れないけれど。言い切るのもよくない、もう考え続けないといけないんだと思う。後悔ではなく考える。考えないといけないのか、ああ、後悔に浸かるのは楽だよ。でも先がない。これから先また歪な選択をしないためにも、自分を守るために考えないといけない。

書きながらぐっと心が重くなったけれど、なにも苦しもうとしなくていい。この前Mさんとフェミニズムをきっかけに話した時間は楽しかった。お互いに女子校出身で、それに思うことももちろんわたしとMさんは違って面白かった。(これから先「女子校」も変わっていくのだろうなと思う。)
Mさんは、女子校だからこそ性別的な役割分担が生まれない点で平等を感じ、そこでの自分の主体性には自信を持っていたと言っていた。わたしはその点でいえば、バスケットボール部に所属し、髪を短くし、体育祭では鍛えた身体を活かし「自然と」主要な役割を負った時期もあったけれど、それも女子校という環境だからで、その役割を担いに行くわたしはどうなりたかったのだろうか。それは「男性的」になりたかったのか、なにが自分をそうさせようとしたのだろうか。共学だったらどうなっていたのだろうか。
あのとき華やかなダンス部とバトン部と自分を比べて、自分は「身体が大きくて、一重だから」かわいい女の子にはなれないと思っていた。その反動で、そうではないもので自分を認めようとしたのか。「かわいい女の子にはなれない」は、磯野真穂『ダイエット幻想』にもつながる。

悲しみに浸かりたくない。硬直したわたしから離れたい。歩いて景色を変えたい。楽しくありたい。





2023年2月8日
昨日は朝から曇りで薄暗いのにやけに気温は高かった。15時前後のオフィスは窓から伝わる熱と暖房によってぬるぬるした温さになる。
夜は梅雨みたいなにおいがした。予報が外れ雨が降らなかったのはよかった。

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生まれてからこれまで積み重ねてきた自分の選択の結果ひとつひとつが複雑に捻り混ざり合い、癒着し、もうどうしようもならない。選択はどこまでが自分が招いたものなのか、選択「させられた」ものなのか、これも分けて考えられない。経緯がどうであれ数々の選択の結果が今、ということだけ。自分自身のどうにもならなさを、みんなどう向き合っているんだろうか。呼吸のようなものを。勝手に収縮拡張する肺が吸いたくない空気を取り込んでしまう。

微笑まれたら微笑み返してしまうことは「限りなく絶対的に」良いことだと思って生きてきてしまった。散々それが喜ばしくないことを招いているのに、今もまだどこかでそれを捨てきれない。絶対的なものなんてないのに、いつか見た雲間の光にすがるように信奉してしまっている。それはまぼろし、ただの天気の変化ですよ。悪い面をどうやって心身に覚え込ませればいいのか。

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母から食品が届いた。添えられたメモには「誕生日おめでとう」の他に、最近オカリナを始めたこと、高音が難しいと書かれていた。母が近況を知らせてくれるのは初めてだった。顔文字まで添えられていた。もしや去年の日記を読んだのかと一瞬思ったが、それはないだろう。あれから交流の頻度を増やしたことで母のなかで緩やかな意識の変化が起きているのだとしたら嬉しい。そもそも話好きな人だ。会うとよくしゃべる。書き文字として表れないだけで。





2023年2月4日
「一刻も早くやめたい」とつぶやく人
枯れ草が擦れる音、下を向く豹





2023年1月27日





2023年1月22日
家族写真は壁に貼らないまましばらくデスクの端に置いていたが、時々は手に持って眺めたりもした。先日それを実家に送ったら、今日、写真立てに入れて飾ったと母からの連絡。






2023年1月14日
少し前から絵を描き始めた。ここまで来るのに前回の個展から丸々一年かかった。

まずはあるもので描こうと、余っていた大きめの水張りパネルがあるのでそれを使う。
取り掛かる瞬間はいつも息が詰まる。白い紙がこわい。自分が何をどう描きたいのか、きっかけの一片を見つけるまでのあいだ、ふつふつと沸いてくる「描けないかもしれない」を押し込めながら手を動かす。
それをやりすごせば、描いてみたいものが沢山あったことを、だんだんと手から思い出してくる。しばらく描いていない時期も「妄想」はするけれど、いまはもっと地に足のついた、実現へ近いものとしての「想像」。

勤務中に思い出したときは付箋にメモしておく。帰宅して、デスクライトのシェードや、机の横の壁に貼られた他の付箋や紙片の隙間に貼る。
壁にはUさんにもらった2枚の写真も貼っている。私ひとりが写ったものと、Kさんとわたしが写ったもの。9月の函館滞在では全員滞在終了日が異なり、それぞれの別れ際にUさんは写真を撮り、現像し、12月に再び滞在で会ったときにくれた。自分が写った写真をデータではなくプリントでもらうというのは初めてかもしれない。袋に入れたまま、写真を刺さないようにピンで壁にとめた。

先日実家に帰った時に、母の「写真撮ろうよ」の一声で、家族が揃った写真を撮った。
わたしも、今日はそう言おうと思っていた。
リビングの端のPCを置いている台に弟のiPhoneを立てかけて撮影したあとに、弟がiPhoneを手に持って自撮りもした。わたしが「ピースしようよ」と言ったら、両親は即座に両手を胸元まで挙げてピースをしたので笑った。両親も弟も同時に笑った。
この2枚の写真もデスクの横に貼ろうと思いコンビニでプリントしたが、プリントするとiPhoneの画面で見るよりも画質が粗く、Uさんにもらった写真のような瑞々しさは無く、写真のなかで空気が滞留しているような、埃っぽさを感じる。





2023年1月7日
「二人は同じ場所にいて、同じパースペクティブを共有している。ここから眺めるひとつひとつの位置は、二人でこう見えると良い感じだよねと共同作業によってその場所に置かれた。しかし片方は、目の前のものに一所懸命に反応してしまう。次から次へと無我夢中に向かい合う。その足が、二人で共有したものの位置を蹴散らしていることにも気付かずに。気付いた時には元いた場所からひとり離れて立っていて、見渡すと荒野。」






2023年1月1日
去年はこれまで自分が選択した「やりたいこと」の、精査の甘さのツケがきた一年だった。

日記を書くことで苦しかった気持ちを文字で認識し、覚えてしまい、読み直してまた苦しく思うのは健やかではない。自分の「苦しい」に浸るのは去年限りにしたい。

・「苦しい」に浸るのではなく、掴み、扱うものと捉える。
・日記を書くならばそういう姿勢で書く。「苦しい」に自分自身を沈めるような日記は書かない。
・もし書きそうになったら書かない。
・書かない代わりに好きな本を読む。自分の打った文字を読まないこと。
・もしくは描く。絵は自然と「工夫」が生まれる。しかし油断はしないこと。

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昼に少し実家に帰った。弟も帰ってきて、7年くらいぶりに家族が揃った。母と会うと大抵は祖母を介護していた頃の話から始まり、ぼんやりし始めている父の様子や最近の食生活の話へ移るが、今日は珍しく母個人の話、最近の読書についてこぼした。原田マハを好んで読んでいるという。「本は買うと場所を取るから」と、昔から本は図書館で借りて読むのが習慣で、わたしが実家に住んでいた頃もよく夕食後のリビングで読んでいた。ピンクゴールドのフレームの老眼鏡をかけて、1時間もしないうちにうとうとしていた母を思い出す。「生活の運営」から離れた時間、母のひとりの楽しみの時間。





2022年12月19日 夜、電車内
生きている

生きている
生きている





2022年12月16日 朝
疲れているからか、寒いからか、気持ちが沈んでいる。良いことも悪いこともこの身体に積層していることを度々思い出し、普段は意識せずにいられた重さがこういう時は耐えられなくなる。頭が重い。
昔は実家、西東京から離れれば、住所の「東京都」ではない場所に住めば解決できると思っていたけれど、いまはどこに住まいを構えても、ぐちゃぐちゃに混ざり合った泥のようなこれがなくなるわけではないことも薄々気付いている。


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風呂に入りながら本を読み、ワインを飲みながらシンクに溜まった食器を洗う。そろそろ寝ようと思いながら卵を茹でる。ガス料金票に書かれている数字を見ながら歯を磨く。





2022年11月25日
寒くなってきたからか、暗いからか、慣れないブーツを履いて左足の母指球と小指と右足の薬指を痛めながら歩いているからか、1日中暖かいが乾燥した空間でパソコンを見続け電話を取り、話し、調べ、整理し、書き留めた疲労からか、昨夜あまり寝ていないからか、どうしようもなくお腹が減って、避けていたパンを買って食べてしまったからか、制作費が足りず早急にお金を工面する必要があるからか、嬉しいメールをもらったのに返信する気力が湧きあがらずそのままにしていることが気になっているからか、いま全ての連絡が苦しく感じてしまっているからか、ふと、あのときと同じ気分になっていると思った。生きている温度がない気持ち。ひんやりもしない。でもスーパーで大根が1本100円だったから豚バラ大根にしようと思って買って帰った。

帰宅して、昨日のうちに作っておいたキャベツと手羽元のスープを電子レンジで温める。弱火で長い時間煮込まれた手羽元の、軟骨ごと骨から剥がれほぐれていく肉を食べながら、その無抵抗さに冷めてしまった。





2022年11月16日
佐藤泰志の『そこのみにて光り輝く』の、拓児が喜びによって表情がかわる描写
表情から表情へ、そのあわい





2022年11月15日
絵を描いている。というかコラージュをしている。そうなってしまった。見慣れなさか拙い感じがする。カッターで切った断面が紙面でちらつくのが気になる。普段使わない画材に翻弄される。このまま進むといつもの「完成」とは違う「完成」になってしまうことに緊張している一方で、なにが「美しい仕上がり」だ、何やってもいいだろうという気持ちにもなっている。チラシに描いているからか、子供の頃、新聞の折り込み広告の求人チラシに散りばめられている小さなイラストレーションが一番身近だったなあと思い出す。パソコンソフトなど使わない、ミリペンを使っているとわかるような絵。机に向かって、下を向いて、手で書いている感じがする絵。隣の部屋の台所の冷蔵庫にはプラスチックの磁石。
チラシから絵を探して、たくさん載ってると嬉しかった。好みのものを探した。実家を出てから新聞をとっていないから、いまでもああいうチラシはあるのかわからない。

大きい絵をしっかりと計画し作り込んでいく絵をいまは描ける感じがしないけれど、それでいいと思う。





2022年11月13日
Y駅からM駅の電車に乗るときはどの号車のどのドア付近に乗ればホームの階段近くで降りられると5回目の出勤で覚えられたのに、都内からM駅に戻るときは3年半経ってもどこに乗れば階段に近いのか全く見当が付いていないことに、自分の「足りないもの」を見てしまいそうだったけど、一時的なナイーブさから思うことのような気もする。単純にシンプルな経路だから覚えた、でいいんじゃないか。でもそれで済ましてしまっていいのだろうか。
「始まり」と「終わり」が分かることと、充分に準備ができない「始まり」に「翻弄されている」と「感じる」こと。





2022年11月11日
TABFくらいから手が乾燥し始めて、同時に顔も乾燥によって不織布マスクに反応するようになり、頬に全体的に赤みが浮き出てきてしまった。調子が悪い。今日も久々に顎にポツっと出て、緑軟骨を塗ってパッチをしてマスクで隠して出勤している。マスクは布マスクにした。
夏頃から最近までグルテンとカフェイン断ちはゆるくしていても大丈夫だったけど、肌がある程度安定するまでは再び厳しめに断つことにした。水分もとっているけれど、昨日からは中医学的に潤いを補うとされている食材を選ぶようにもしている。
一昨日はAmazonで象印のスチーム式加湿器を注文した。そして今日から出勤する日は時々、朝洗顔後に保湿のフェイスパックをすることにした。それなら暖房で乾燥したオフィスに1日いてもなんとか持ってくれるんじゃないか。敏感肌用でアルコールフリー、パッチテスト済、ノンコメドジェニックのフェイスパックで薬局で買えるものだとキュレルかミノンだけど、なかなか安くはないので毎回はできない。やりすぎもよくない気もする。夜は可能な限りシャワーではなく風呂に浸かる。スチーマーも検討。

また毎日が緊張してきた。でも前よりは肌の仕組みも、自分の身体の具合も多少はわかるようになってきたから対策も練れる。やってやろうという気持ち。肌がかなり良くなってからの初めての冬なので慎重に過ごしたい。


「吹き出」物ではあるので身体の調子を整える行動をとるけれど、気持ちとしては「付着」物だととらえた方が心が重くならない。自分とそれを分けて考えること。それが身体に付着しているだけで、自分は何一つ損なわれていないということ。





2022年11月4日
「慌てている」ときはつまり「自分しか見えていない」こと。特に余裕のない時はそれが顕著になる。自分を大きく組み立て直していかないといけない。
自分自身の指針を「自覚」すること。一種の宗教。誰にでもあるはずだが、それを「自覚」できているかどうかの違い。三島由紀夫が思想で死んだようなこと。わたしが降ってきたものにあたふた「させられている」のは、自分の宗教を持っていないから。






2022年11月3日
31日には郵便物に印鑑が必要と書いてあるのによく読まないまま締め切りの今日に郵便局に行き、必要な手続きをとろうとするも、印鑑がないので出来ず、しかしそのまま出かけなきゃいけないから印鑑を取りに戻る時間がなく諦める。今日は母にiPhoneの設定を頼まれ久々に実家に行くことになり、PCの充電器を忘れないようにとは覚えていたけれど、よく考えずにUSB変換ケーブルは必要ないと判断して行ったらUSB変換ケーブルは必要で、運良く隣駅に家電量販店があったから買いに行けてよかったけど、なかったらどうするのってことを起こす。
そういうことが多い。最近特に。なぜそんなに気が抜けてるかというと、もうずっといつもやることが詰まってるからとしか言いようがない。仕事が忙しいとかじゃなくて、なぜか本当に生活と雑務で毎日が過ぎていく。函館滞在中に無理矢理毎日つけた日記で疲れたのもあるが、しばらく日記をつける気力も時間もつくれていない。これは実家から帰る電車内で書いている。行きの電車では発送用のクリックポストの手続きとメールの返信をして、TABFでMさんにもらった冊子を途中まで読んだ。これを打ち終えたら残りを読む。

目の前に積まれていくやることに翻弄されていて、本当には先のことを考えられていない。「先のこと」が「目の前のこと」になると、準備不足だからそういうことが起きる。
少し前にもなかなかにしでかし、本当にまずいと思ったのに、また同じようなことをやってる。まだ波が続いている。立て直せない。
書籍関係のあれこれと、今引き受けてる二つの依頼を終えれば、やっと函館の制作とアルバイトという2つになる。それでも「時間がない」とかでおそらく未来の私は焦るだろう。というかもうずっと焦ってる、今年。何をしているんだろう。
今月から始まる制作とアルバイトという生活。しばらくはこうかな。これでリズムを整えたい。簿記の勉強がしばらくできていないけれど、もう函館が完了するまでは無理。

Kくんの「俺たちは軸がブレちゃいけない」とKさんの「(絵が描けないのは)環境のせいなんじゃないですか」の一言がずっと頭にある。
10年前もアルバイトしながら絵を描いていたけれど全く意味合いが違っていて、あの時は辛かったけれどいまはやっと落ち着けるという喜び。落ち着いて生活をし、絵を描く。

郵便物の件はそれで良いことは何もないけれど、変換ケーブルを探しに近所を歩いて、かつてよく行っていた鯛焼き屋に寄って帰れたのはよかった。父と母と三人で食べた。あんことカスタードと日替わりあんの3つを買い、父はあんこ、私と母はカスタードと日替わりあんを半分ずつ分けて食べた。母が「ここいつも行列なのよ~」と喜んでくれた。
歓談。父がリビングに来る前の母との会話で父がボケ始めていると聞いていたが、身構えていたよりは私の前での話し振りはまだしっかりとしているように感じた。帰り際に「あんまりないんだけど、もしこっち(実家)方面に用があったときにはまた寄るよ」と言ったら、父に「なんでもない時でも来ていいんだからね」と言われた。二度も言われた。父のそういう温度の発言は昔からあったが、父がかつて見せた横暴な面が父の本当の人間性だと思っていたからこそ、時々発する「優しい言葉」は家族内の社交辞令のような台詞に感じてしまって、これまで素直に受け取れなかったが、父が歳を取り、ぼんやりし始めて口数が少なくなったいま、そういう風に言われると胸にくるものがある。これが父なのだとやっと腑に落ちた。どれが本当とかではなくどれも父なのだと思った。
2時間半ほどの滞在だったが、以前よりは居られなくはなかった。今日がよく晴れていたのはよかった。前回来た時にリビングのTVが点いていたけれど、今回は点いていなかったのもよかったのかもしれない。






2022年10月30日
TABFでOさんに30分お店番をお願いし、地下階を急いで回っていたらKくんとバッタリ会って、お互いに忙しないタイミングだったので、ほんの数分間だけお互いの近況を話して別れた。一瞬だった。別れ際にKくんは「俺たちは軸がブレちゃいけないから」と言った。思わず足元を見た。都現美の鼠色の石の床。Lくんからは「自分のコンプレックスとの付き合い方を考えた方がいい。コンプレックスを人に向けないほうがいい」と言われた。





2022年10月22日
どちらかというと向いていないこと、初めてすることばかり今年はしてきて疲れた。
頑張るだけじゃいけないということをまだ自分はわかっていない。そして「頑張って」できるものでもないから、当然できなくて、馬鹿みたいに自信を無くす。





2022年10月18日
アルバイトをしたり、仕事をしたり、本の作業をしたりしていた。毎日絵以外のやることがある。描くことが遠い。夜も起きていられない。タンネで油絵を描いたのは久々に「絵を描いている」と思った。
その前日にSさんと会った時に、どうしてか今年は全然絵を描けていない、と言ったら「環境もあるんじゃないんですか」と言われたことが心に残っている。
函館から戻って以来日記もほとんど書いていない。函館で二週間毎日付けたのは苦しかった。あれの反動の今なのかもしれない。日記というよりほとんどただの行動記録で、それでも毎日いろんなことがあったから、それを書き留めるだけでも疲れた。最後の方は自分の言動がきっかけでSさんとの関係が悪化し、帰ってきてからもしばらく続いた。10月何してたんだっけ。もう振り返ることに疲れてしまった。振り返らなくとももう十分やっていると思った。

生きているなかで自分にとってなにが一番「喜び」だろうか。一番、だなんて限られるものではないか。時々湧き立つあの気持ちを、あれを、最近感じられていない気がする。絵を描けていない。

昨日深夜に本の赤字修正を送らねばならず、夜の自分に自信がないので数年ぶりにレッドブルを飲んだら、翌日の今日そのつけがきて、室内干しした洗濯物の湿度によって気持ち悪くなってしまい、午後は畳の上でうずくまって寝ていた。夕方家にきてくれたSさんが、まったく乾く気配のない洗濯物を見てコインランドリーに行こうよと提案し、今日初めての外出。ぬるぬるとした湿度で決して良い天気ではなかったが、それでも外の空気は気持ちよかった。コインランドリーでふかふかになったタオルによって元気付けられる自分がいた。よかったことがあった。そういうことも書いておかないと、という気持ちになっている。





2022年9月30日
愛という信頼。工夫するのが愛。わたしは工夫をあまりしていない自覚がある。わたしがわたしにとってつくりやすい愛を渡しているだけで、それが相手のほしい愛とは限らない。






2022年9月3日
アルバイトでビラ配りをしていたら、60代くらいの淡いアロハシャツを着た男性に声をかけられた。私が配っているチラシの内容に対する市政の方針に文句があるらしく、「君は〇〇についてどう思うの?」とからまれる。どう言えば立ち去ってもらえるか、彼の話に「へえ」「はあ」と相槌をしながら考えていたのだけど良い文言が思い付かず、そのうちに男性もヒートアップして「国は」などど言い始めたので耐えきれずとっさに「あなたは、」と話を遮ったら男性は少し驚いた様子で、表情がほんの少しひきつった。それがあんまりよくない感じがした。気をそらそうと「こういった問題に関心があるんですね」と続けて言ったが的を外していた。その後もしばらく男性は話を続けたあとに「アルバイトしている人に言ってもしょうがないか」と言ったので、話しかける前に気付いてくれよと思った。「私に言われてもどうしようもないので、市に言ってくださいね」と伝えたら向こうもやっと「そうだよなあ」とか言って去ったのだが、遅すぎたと思った。

声をかけられたはじめに、冷たい声で、「そういうことを言われても困ります」と言って立ち去ればよかったのだが、それが思い付かなかったことが悔しかった。あとやっぱり自分より「若くて」「女」だから話しかけてきたんだろうとも思った。





2022年8月28日
イラストレーターともう名乗っていないのにイラストレーターと言われる。仕方ないとは思いながらも、書かれる度に心が潰れる。いまの自分の活動なんてまったく見てもらえていなくて、いつか描いた絵のイメージだけで語られていることを実感するから。絵をもっと「手段」にすることができればこんな気持ちにもならなかったのに。





2022年8月24日
先週からアルバイトを始めた。派遣で受付事務のようなもの。わりと暇な時間が多く、考え事をしたり日記を書いたりできる。イラストレーションの仕事をしているより、こういった仕事をしているほうがよっぽど心が落ち着いている。絵とイラストレーションの間で混乱しなくなり、いま取り組んでいることだけを考えられている。
とりたい資格の勉強がもう2週間ほどできていないけれど、本の締め切りが迫っているので仕方ないとする。描きたい絵の構想もある。

「アベやめろ」というフレーズについてSさんとの会話。「アベ」は「安倍さん」その人ではなく「辞めない安倍さん」という意味を示してしまっているから、シュプレヒコールなのにジレンマに陥っているように聞こえる、だから拡がっていかないんじゃないかという話。
わたしも安倍さんのしたことをよくは思ってないけど、名前を呼ぶときは「安倍(元)首相」とか「安倍さん」と言っている。「アベ」は「安倍さん」本人じゃなくてイマジナリーな存在のように聞こえて、本当の安倍さんとは距離が縮まりそうにない感じは気になっていた。安倍さんにとっては「アベやめろ」は本当には自分事に感じなかったんじゃないだろうか。(よくないんだけど)





2022年8月22日
「抱く」と「抱かれる」、「モテる」と「モテにいく」の差。





2022年8月8日
鼻の横の吹き出物が完治せず1ヶ月経つ。少し赤く膨らんだまま。そして一昨日から口元右側の皮膚も盛り上がってきた。最近外食が続いたことが原因だと思う。胃が疲れているんだろう。揚げ物食べたもんなあ。でも自炊で気をつけているのに、外食までヘルシーだからという基準で食べるもの選ぶのやだよ。疲れた。
Sさんは暴食しても肌に出ない。吹き出物になったとしても化膿しないのが羨ましい。

嫌になる。多分5年後も皮膚科に通い、薬を飲み続けているんだろう。確かに一時期よりは本当に良くなった。2年でここまで回復できて本当に嬉しい。でも薬を飲み続けて、こうして肌のことを考えていないと保てないと思うと、げんなりする。時々猛烈にげんなりする。保険外治療なので通院代もばかにならない。疲れた気持ちになっている。





2022年8月5日
帰りの電車内で、Sさんが最近ナイキのあるデザインのサンダルを履いている女性をよく見るから流行っているのかもしれない、と言ってメモ帳とボールペンを鞄から取り出し、そのサンダルを描いた。見たことあるような気もする。ついでに左腕にほくろを書かれた。Sさんも自分の腕に規則的な配列のほくろや三角形、ネッシーを描いた。
「最寄駅までにそれを履いてる人がいたら100円ちょうだい、そのくらい自信がある」と言ったので探す。すると本当に最寄駅の改札を出てすぐの店の前で履いている人を見つけたので2人とも興奮した。夜にビールを1本奢った。

最近しばらく胸が痛い。ホルモンバランスの変化か、下着があってないからであればいいのだけど。乳房を触るとしこりのようなものを感じたけれど、触ってもらったら肋骨なのではと。





2022年8月4日
調布の皮膚科へ。しかし初台付近にさしかかったところで予約日を間違えていることに気づき降車。Sさんが用事の合間に一緒にライアン・ガンダーを観てくれることになり、来てくれた。ライアン・ガンダーは作品がどうこうというより、いい人だなと思った。






2022年8月2日
受かるだろうと思っていたアルバイトが書類選考で落ちた。謎の自信を持っていたけど、落ちると「そりゃそうだよなあ」と思う。ほんの少し「なんでだ!」と思ったけど、ほぼ「そりゃそうだよなあ」と言ってもいい。その分野の未経験で働くにはあまりにも待遇が良すぎる募集内容だった。この前落ちたアーティストインレジデンスは「そりゃそうだよなあ」と「なんでだ!」は半々くらいだった。

先月、自分がしばらく無保険状態(国保と年金以外なにもない)だったことが判明し、近所にある保険の無料相談所に行き、医療保険に加入した。
初回の相談は入院・手術の費用や公的制度、医療保険の仕組みを教えてもらい、こちらの要望を伝え、相談員と具体的な補償内容を決める。それを元に相談員が複数の保険会社から希望に近いプランを探し、1週間後に提案してくれるという流れ。そこで契約しても、契約せずに相談終了でも構わない。そこで契約すると10日間ほどで保険会社から契約締結の書類が届く。今日は保険関係書類をひとつのファイルにまとめ、もろもろ説明を受けるという日。これで完了。
「がんになる人は2人に1人」とか「生存率」とかいろんな「確率」の話が出るので、今年読んだ『急に具合が悪くなる』や『他者を生きる』を思い出しながら話を聞いていた。

支払期間も終身にすると月々の支払額が安くなるが、例えば55歳までに払い終えるプランと比べると支払累計額が80歳くらいで同額になるので、その後長生きするとなると多く支払うことになるという話も、なんか、なんの話をしてるんだろうと思った。明日死ぬかもしれないことについてはこの話では無いことになっている。健康だろうがなんだろうが、生きることに「期限を設定する」のはよい気持ちがしない。そういうことからなるべく逃げたい。それに今後保険会社を変更する可能性のほうが多分にありそうなので終身にした。
勧められた特約のひとつに、「3年間のうちに10日間以上の入院手術がなければ支払われる」という健康給付金については、その特約分の料金3年分よりも給付額が少ない額で、これだけはいまもよくわからない。相談員の方がその分を累計額から引いたりして多少安くなるんですとも言われたけれど、「3年間健康が続いて◯歳まで生きたら」ってあまりにも想定の話すぎる。その結果得られるのがほんの少しの金銭って。そんなを複雑なことせずに生きた方がよっぽど心が健やかだと思った。





2022年7月31日
最近好きなお菓子は、外出先で食べるアイスクリームかもしれないと、ベローチェでコーヒーフロートを食べながら思った(久々のカフェイン)。先日もKさんとSさんとわたしで表参道に買い物に行った時に、途中休憩でソフトクリームのディスプレイが置いてあったカフェに寄り、ミルクとエスプレッソのソフトクリームを食べた。その前はFaroに行った時にWHYNOTでデカフェのアイスコーヒーにアイスをトッピングした。遡れば以前ここでアイスをトッピングできるのを知ってから「フロート」を好きになったと思う。WHYNOTのトッピングのアイスはサーティワンのような丸くくりぬいたもので、固くてボリュームもあり、食べ応えがあって嬉しい。気に入って、その後Faroに来た友人知人に「アイストッピングできるよ」と度々勧めた記憶がある。その前はTさんとMさんとMさんの展示を見た後に、これもまたギャラリーのそばの牛乳パンの店(たしか)の前にソフトクリームのディスプレイがあったのでミルクソフトを食べた。ここのアイスクリームは柔らかくてどんどん溶けていった。先月か先々月にN夫妻とNさんの妹とSさんの5人で五香から八柱まで散歩したとき、SさんとKさんが途中でマクドナルドのソフトクリームを食べていて美味しそうだなあと思ったことも覚えている。その前はSさんと一緒にSさんからもらったサーティワンの商品券でスモールダブルのアイスを食べた。チーズケーキとなにか限定のフレーバーを選んだ気がする。グルテンを避けている時期で、残り一口くらいのときにコーンが小麦粉なことに気づき、罪悪感からSさんに食べてもらった。

久々にジム。今日はあまりだるくなく、身体を動かすのが気持ちよかった。
念のため夜Sさんに体調はどうかメールする。すぐに着信があり、少し話した。お互いなんともなくてよかった。





2022年7月30日
Pの授業、3回連続の2回目。教えるということが多分向いてない。想定していたより講評に時間がかかり、本当なら1時間ほどかけて自分の場合のデッサンする意味のようなものを話したかったのだけど、30分で話すことになり、2時間講評した疲れと焦りで余裕がない。用意した文章が読めない。話し始め、話し終える頃には最初話した言葉の並びを忘れて、言いたいことが2つあったとしたらそれが混ざり合って、受け取りにくい形の「文章」になってしまう。

夕ご飯の準備。オクラと豚肉とニンニクの炒め物をレシピを見ながら作ったけれど、食べたら何故か肉の旨味がないどころか全く味がしなく、ただ仕上げにまぶした山椒の痺れだけを感じる。オクラはオクラの味がする。おかしいと思って七味を除いて肉だけを味わうと苦い。はっきりと苦い。普段あまり使わないスーパーで買った千葉県産の豚小間肉を使ったけれど、思い返すと本当に小間切れで、少し表面が水っぽく、火を通すと千切れて丸まった。もしかしたら腐っているんじゃないかとなり、捨て、食中毒の可能性も考えSさんはまな板等をハイターで殺菌。
Sさんは体調を崩せない時期に体調不良になる可能性があること、わたしは味見をしなかったせいでSさんを体調不良にさせる原因をつくってしまったこと、で落ち込む。銭湯に行き、帰りにコンビニで気休めではあるけれどLG-21を買って帰ったら、Sさんはノンアルコールビールを飲んでいて、Sさんもどうにか気持ちを切り替えていた。LG-21を食べてもらう。わたしも一口もらう。
その後しばらく作業をして、そろそろ寝ようかとベッドに横になる。お腹の具合について話しながら、料理中のことを振り返っていたらハッと気付いた。豚肉に片栗粉をまぶしたけれど、いつもの片栗粉のパックではなく、砂糖の容器のうえに置かれていたタッパーに入っていたものを使ったこと。その時はパックから容器に移し替えたんだなと思っていたけれど、その粉の正体を、最近のSさんとの会話から思い出す。あの豚肉の苦さは片栗粉ではなく重曹だった。

ふたりとも元気になって、ビールを買いに行こうと誘って、わたしはビール、Sさんはカルピスサワー、駄菓子を買った。





2022年7月29日
Sさんと森美術館の「ウェルビーイング」を見に行く。とくに堀尾昭子の作品の在り方がすごくよかった。
楽しみにしていたヴォルフガング・ライプは空間の広さに対して作品が多いのではと思った。蜜蝋の作品が場所をとり、ミルクストーンが追いやられているように見えてすこし残念だった。もっと静謐な空間であってほしかった。

さまざまな形式のラインナップに、いまの時代の「芸術」とされるもの、呼ばれるもの、扱われるものの幅広さを思い知らさせる。
一方で、この前タンネで絵を描く作家と絵について話したこともいままさに瑞々しく起こっていること。生きて絵を描くこと。自分は「行為の喜び」がないものは作れないかもしれないと思った。テーマが苦しくても「描く」ことそのものの喜びがある。
とくに社会問題をかなりダイレクトに表現したような作品を見ると、わたしが感じているような「行為の喜び」とはほんとうに程遠いところにあるように感じられて、これらを全て「芸術」の一言でまとめる、その途方もなさというか、かなわなさ(何に?)を思う。自分は一体なにをどうしたいんだろう。気が散っているのか?





2022年7月22日
午前中に婦人科。1年ほど処方してもらっているピルの後発薬が出たけれど、ドロエチというなんだか変な名前。先生も「ドロエチって…ねえ」と。パッケージデザインもなんだか古臭い。しかしずいぶん安くなってありがたい。主に肌荒れ改善を主目的として飲み始めたのだけど、結果的にPMS改善、月経の回数を減らせたことで以前よりも体調に心身が左右される日数が格段に減った。もっと早く知ってれば、という気持ち。
子宮頸がんの検査結果も異常無し。少し前に加入した保険が、加入から90日以内になにか異常が見つかると一部の特約が適用されないため、今回の検査結果も少し不安だった。でも検査したのが3ヶ月前で、病院から連絡がなかったということは大丈夫なんだろうとも思っていたので、ひとまず安心。乳がん検査は10月下旬にやることにする。
待合室にいたら外から雨の湿った匂い。病院を出たらもうすぐ止みそうな小雨が降っていた。

ギャラリーや美術館のアカウントだけをフォローしたブックマーク用アカウントを作ったことでTwitterをあまり見なくなり、精神が落ち着いているのがわかる。視界が澄んでいる。

風が強い。ベランダに干した洗濯物があおられる。黒いTシャツだけ落ちるのでそれは室内に移動。





2022年7月17日
目の前で不機嫌になっている人が相手に「気にしないで」ということのおかしさ、そして「そんなつもりはなかった」は弁明にならない。相手がその人への愛がないなら気にしないこともできるけれど、そうではないから困っていることをわかっていない。無視できないようにさせるのは相手への甘え。





2022年7月16日
Twitterは人を受動的にさせて堕落させる(かつて自らブックマークしたウェブサイトに能動的にアクセスすることから得られるものがあった)話。Twitterでぽつぽつと呟くのではなくて、ある程度まとめて伝えたいと言ったら、Mさんはそれを「爆弾としてだよね」と言った。ほかには、自分のすることが他の人にも絶対に良いものと思うこと(わたしの能力はイラストレーションではないところで本当に発揮されると思う、一種の肥大した自尊心、しかしそういうものこそが原動力。限られた時間のなかでできること)など話す。

磯野真穂「他者と生きる」を読み終えた。





2022年7月5日
CoCo壱番屋でカレーを食べる。アルバイトを除けは二度目のココイチ。一度目は数年前に京都に行った時にTさんに勧められて食べた。学生の頃のアルバイトのまかないは確か500円以内で、いつもキッズセットみたいなハーフカレーとジュースのセットを選んでいた。ハーフのチーズカレーもぎりぎり金額内に収まった気がする。じゃあなんで毎回チーズカレーにしなかったんだんだろう?記憶違いかもしれない。追加料金を払えばいくらでも好きに食べられるのけれどそんな贅沢は考えられなかった。あの時散々揚げて自分では一度も食べなかったロースカツにほうれん草(ハーフ)とチーズ(ハーフ)をトッピングしたカレーを今日食べた
。ロースカツカレー、弁当で注文を受けたのにうっかり店内用の皿に盛り、そこで気づけば良かったのだけどルーをかけてしまって店長に怒られたことを思い出した。揚げ直したなあ。

夜『るくるく』を読む。絵柄にサイボーグクロちゃんに似たものを感じる。






2022年7月3日
鼻の横にひどい吹き出物ができて、もうどこにも行きたくない気持ちだったけれど、こなくそという気持ちで出かけ、曳舟のトークンアートセンターの八木恵梨「LIFE, SAVE, AH~ #6」最終日を見に行く。閉店1時間前に着いた。画材とその扱い方に親近感を覚える。2階のドローイングもよかった。ささやかでも描くことは、いま自分が一番離れていること。いろいろ話してみたかったけれど、お客さんが多かったのであまり込み入ったところまでは聞けず。
本当に今年は絵を描いていないなあと思う。毎日どうして制作以外のやらなきゃいけないことがたくさんあるのだろう。なぜか生活するだけで手一杯になってしまっている。






2022年7月2日
Faroのグループ展の最終日。わたしの絵は2枚とも売れなかった。新作はともかく、あの旧作は「かわいい」と思うのだけど売れなかった。そして時々思い出すけれど、同じサイズでもアクリルや油絵は倍近い販売価格になることに今日もハッとした。今の制作ペースでこの作品価格の生活は成り立たなくて当然だった。よこしまな気持ちで最近描けていない油絵を思い出す。





2022年6月27日
何事においても「一歩引いて見る」ことが苦手な気がする。
真摯に対象に向き合うことが必ずしも最適ではない状況でもそうしてしまう。そして無駄に消耗する。





2022年6月24日
OさんKさん夫妻の家に行く。Aちゃんは1歳半。面白くてかわいかった。しかし子供への接し方がわからず不自然にテンションの高い振る舞いをしてしまった。違った気がする。自分の笑顔が引きつっているのがわかる。OさんとKさんは子育てがとにかく大変で自分のことをする時間がないと言っていて、Aちゃんの様子を見て納得する。
わたしもぼんやりと子供を産みたいと思っているけれど、いつか本当に産もうとするのだろうか。自分とパートナーのそれぞれのタイミング、二人のタイミング、それと関係なく身体的な期限もある。そもそも妊娠できる身体なのかもわからない。もしかしてしないんじゃないか?とも思う。考えるたびに妊娠出産子育てというものが遠のいていくように感じる。






2022年6月18日
友人の信仰心は否定しないけれど、いま目の前にいる相手と、もうかつてのような会話ができないと思い知らされながら話すことが悲しかった。友人にとってはその信仰ありきの生活だとは思うけれど、わたしが入信するつもりはないよと言っても信仰の話から離れず、さらに他の宗教や、もう宗教要素は薄れて風習となって多くの人の生活に馴染んでいることまで悪く言うのは良いとは思えない。友人の入信している宗教が特に他宗教に厳しく排他的で、勧誘に力を入れている(それが功徳とされている)からなのだけど、わたしと「会話」をしたいと思っていないなら、「勧誘」以外の選択肢がないのなら、もう会いたくないと思った。
大切にしているであろうその気持ちをあなたはまっすぐに伝えてくれるけど、その先が槍のようにギラついて見えてしまうことを分かっているんだろうか。他人から他人本位の尺度で決めつけられるのも嫌だけど、こちらとしては決めつけられているだけなので知ったこっちゃないともいなせるが、こちらが嫌な気持ちになっていることをわかってもなおしつこく迫ったり、その尺度でなにかを強制させようとしてくるのなら離れます。これは今回に限ったことじゃない。そんな雑な手つきで人の心を扱わないでほしい。わたしも誰かにそうしたくない。





2022年6月2日
二日連続のトレーニングによって、寝起きの身体がひどく重い。お腹が筋肉痛で痛い。多分毎日は無理だと悟る。

先日知り合ったサックス奏者のYさんからお茶に誘ってもらった。思いがけず「ただ生活することの難しさ」で話が合う。結婚と離婚についてYさんはどちらにも盲目的ではないのも、話しやすくて嬉しかった。静かな調子で話せた。
Yさんから真珠の絵についてきかれて、皮膚疾患の話をした。肌の調子の良い時は疾患を「私のこと」(内在)ではなく「私に起きたこと」(外在)として話せるのだけど、今日は肌がまた少し荒れていて(ここ最近就寝時間が遅いこと?マーブルチョコレートを食べたこと?ジム用に買った通気性の良いマスクを購入して一度洗わずにそのまま使用して肌にこすれたこと?)うまく話せなかった。

この日、行きの電車でヨブ記を読み終えて、びっくりした。ヨブ記に書かれた神や苦難の捉え方を「書かれたものを読んで知った」のではなく「自分の心から込み上げてきた、自分自身で気付いた」ような実感を持たせる力がヨブ記にはあって、それは詩という形式の効果が大きいと思うのだけど、とにかく遠くに吹き上げられた気持ちになった。いま自分は「ヨブ記を読んだ以後の世界」にいるんだ、という気持ち。





2022年6月1日
一昨日になんとなく6月は毎日ジムに行くことに決めてみて(昨日も行った)、今日は通院先の近くに同じ系列のジムがあったので寄って帰った。マシンがいつものジムと違うため使い辛く、いまひとつな手応え。ランニングマシンは同じだったのでいつものように30分ほど、ウォーキングを挟みながら走る。
メニューは腹筋と有酸素運動をベースに、下半身と上半身を日替わりで行うことにしている。なんとなく気分が乗らない日や体調が今ひとつな時はメニューを減らしたり、気が向いたら使ったことのないマシンを試してみたりする。ウェイトトレーニングはまだやったことがない。

昨年の9月からジムに通い始め、熱心に通えば筋肉が目に見えて付くことが面白かったのだけど、通わない日が増えると身体がぶよぶよになるように思えて不安になるようになった。ジムに通い始める前と比べればそんなことはないのだけど。

これまでの10年間は体重も体型もほぼ一定だったのだけど、少しずつ「太る」ことへの恐怖心が増していって、極端な食事はしないにせよ(皮膚疾患も長年抱えているため、皮膚に悪影響を与えたくない気持ちがブレーキになっている)、一日中食事と体型のことを考えてしまう日が増えている。
磯野真穂さんの著書『ダイエット幻想』に出会ったことによって息苦しさはかなり軽減され、手放せそうだと思ったのだけど、その後体重を増えても良いと思うことにして、気にせず食べたら本当に増えたから動揺した。測る時の体調や過ごし方によってある程度幅はあるものだけれど、明らかに以前の域よりも少し数値が高い域で振れるようになった。そう簡単には「数値」を気にしないようにはなれない。





2022年5月24日
顔がひどくむくんでいる。ジムの準備をして、PCも持って自転車で出かける。ベローチェでメールを打とうかと思ったけれど、気持ち良い天気だったのでもう少し走る。米粉使用・グルテンフリーのパン屋をgooglemapで見つけ、買いに行き、近くの公園(シロツメクサが生えている)で食べる。風が少しあって揺れている木。太陽の光で透ける葉っぱ。葉に葉の影が重なるのをちゃんと見る。





2022年5月23日
小さな絵を描き終える。気が散ってとても時間がかかった。





2022年5月21日
タンネラウムのSさんに誘ってもらって、奥多摩美術館の三熊將嗣「生きろ③『行き場がないまま』」を観に行く。軍畑駅に12時に待ち合わせにしていたけれどちょうどよい電車がなく、11時33分着の電車で向かっていたら青梅駅の乗り換えでSさんに話しかけられる。同じ電車に乗っていた。
三熊さんは額職人。工房は奥多摩美術館内にある。かつて額屋に弟子入りしたとき、師匠から「作家として絵は描くな(額屋として作家に向き合え)」と言われ、それでも家で描き続けていた大量の絵をそろそろ廃棄しようとしていたらしい。それを知った奥多摩美術館の佐塚さんが「捨てるのはもったないない」と個展を提案、佐塚さんが作品を選び、三熊さんに額をオーダーし、三熊さんによって額装された三熊さんの作品が展示されていた。三熊さんはMさんに容姿と話しぶりがちょっと似てて勝手に親近感を覚えた。三熊さんがひとつひとつの作品の額装の仕様について説明をしてくれるのだけれど、絵の内容にはほとんど触れないので、いまはもう額屋としての三熊さんなのだなあと感じる。元々サッカー選手になろうとドイツに行ったり、建築の写真を学んだら建築写真が額装されている額そのものに惹かれて額屋に勤め、巡り巡って額屋を継ぎ、現在に至るそう。佐塚さんは三熊さんを良い意味で「気が散っている」と言った。

三熊さんにコーヒーを淹れてもらい、Sさんが「軍畑には何もないと思って」と家(パン屋)から持ってきてくれたサラミのサンドイッチとプレッツェルを食べながら駅まで戻り、思ったより時間があったので奥多摩駅まで行く。霧が立ち込めるくらいには湿度が高いなか、観光案内所で教えてもらった「むかし道」という旧青梅街道、山道を当てもなく歩いてみて、滝があったのでこれを折り返しとしてまた駅まで戻る。道中いろいろ話す。最近油絵を描き始めたことを話したら、Sさんは今日わたしに油絵を勧めようとしていたらしい。Sさんは油絵科出身なので、ここぞとばかりに油絵(の基本)について聞いた。テレピンを勧められた。油絵はなにより色彩の面白さがある、色と色が混じるキワの色味がアクリルだと濁るけれど、油絵はそこが面白いところ、とSさんは言っていた。





2022年5月20日
磯野真穂『ダイエット幻想』を読んで、数字に取り込まれないように心がけていたけれど、ジムで久々に体組成計で測ったら体脂肪率が上がり筋肉量が1kg減っていたことに動揺し、心がガタついて気持ちが荒む。自分の体をどう捉えれば良いのかまたよくわからなくなってしまった。自分の体なのに。

この前Sさんと竹下通りを歩いていたら、わたしたちのすぐ後ろを歩いていた三人組の男子高校生から二度も舌打ちされたことを思い出した。往来が多く雨の中傘を差していて人を追い越せず、少し詰まり気味で歩かざるをえなかったのだけど、彼らからしたら「カップルが周囲に気づかずトロトロ歩いている」ように感じられて邪魔だったのだろうか。振り返って「私たちに舌打ちしているんですか?」って言えばよかった。わたしが男なら舌打ちしないんでしょう。





2022年5月18日
1時間近く繋がらないカスタマーセンターの保留音を聞き続ける(スピーカーにして他の作業をしつつも)苦痛。ほんとうに最悪に「人間社会」を意識させられるよ、カスタマーセンターの保留音。こんなところで生きていたくない。いつまで人間は保留音を聞くんだろう。2300年にも保留音聞いてたら阿呆でしょ。保留音みたいなことに関わりたくない。保留音のあの音楽、かわいそうな音楽。あんな風に音楽を使うな。掃き溜めの気持ち。人をバカにし、よりバカにさせようとするテレビのワイドショーに思う気持ちと同じ。






2022年5月17日
昼、Sさんと駅に向かっていると、駅近くで駐車していた車のフロントの通気口にいろんなポーズのカービィのぬいぐるみがたくさん挟まっていた。
中華食材屋で黒酢を買い、昼寝して、ちょっと絵を描いて、ビリヤードに行って、夕ご飯にウー・ウェンの料理本を見ながらブロッコリーの豆板醤炒めと、豚肉とニラの黒酢炒めを作る。先日買ったグリップを付け替える。お風呂に入って寝る。






2022年5月15日
Tさんとの打ち合わせは珈琲西武でやることにしたけれど、当日にTさんからカフェアルルにしませんかとの提案。しかしアルル休みでしたと連絡。珈琲西武も先に着いたTさんから満席との報告、代わりに世界堂横のベローチェで落ち合う。Tさんはアイスコーヒーとスコーン、わたしはアイスルイボスミントティーとハムとタマゴのサンドイッチ。最近Tさんはスコーンにハマって何度か作っていると言っていた。わたしも最近まで米粉スコーンを研究していて、都度配合を変えてiPhoneのメモに記録していたものを見せたりする。Tさんはオーブンを持っていなくてオーブントースターで焼いているからかクッキーみたいに仕上がったり、ホットケーキミックスを使っているからかホットケーキのようなふかふかした仕上がりになると言う。ベローチェのスコーンもどちらかというとふかふからしい。研究すると言って食べ残しを鞄にしまっていた。表面が焼けすぎる場合は途中からアルミホイルを被せると良いですよと伝えた。

Tさんがスコーンという食べ物を知ったのはスタバのスコーンかもしれないと言っていて、わたしもそうかもしれないと思った。米粉スコーンを作り始めてから近所のパン屋のスコーンを食べたけれど、そこはザクザクボロボロとした方向性だった。スコーンはあんぱんやメロンパンよりもパン屋ごとの解釈の違いがある気がする。スコーンといえば「5月」の時にIさんがスコーンを焼いてきてお茶会をしたことを思い出した。わたしは参加できなかったのだけど、Sさんから聞くには「スコーンらしいスコーン」らしいので食べてみたい。

Tさんが言っていたように「みんなが楽しく撮影できればよか」なので、その準備を進める。もう一人誰かお手伝いを頼んだほうがいいかもしれない…一日中撮影の段取りを考えたりメールのやりとりで疲れてしまった。週に2日間は勉強に当てたく、今日がその日だったのだけど諦めて数日分の日記を書く。最近ピザやドーナツ、揚げ物をよく食べたからか久々に顎にニキビ。






2022年5月10日
夢。OさんとAさんと、独逸(地名、上野近辺らしい)か成田かどこかにあるOさんおすすめの蕎麦屋に行こうとしていた。その前に私は成田のほうになにかの用事で行っていたので、また成田に行くよりは独逸がいいなあと思ってそちらを推した。独逸の蕎麦屋に向かう途中に刀削麺のお店があって火鍋が美味しそうだった。最近、飯田橋の四川料理屋「芋品香」にまた行きたいと思って検索した影響だと思う。


油絵のらくがきも続けているけれどぴんとこない。たった10日間触れただけだから当然でもあるけれど、久々に「迷子」の気持ちになり不安。毎日不安。今月末の絵も描かないといけないのに、勉強しなきゃ、ジムいかなきゃ(太る)と、いろいろ気が散ってしまう。不安になると食事もストレスになってくる。昨日も昼ご飯が決められなくてスーパーをぐるぐるしていた。軽食にしたいとき、パンを避けると選択肢が消える。かろうじて太巻といなりずしのセットを選んだけれど、本当は心から食べたいものじゃない。

ヘアサロンで撮影された写真の自分の顔がひどく不細工に思ってしまったのも、今日のこの不安定さの大きな要因だと思う。ヘアスタイリストは当然「良い」と思って撮影し、掲載しているのだけど、嫌がらせなんじゃないかと思ってしまうくらいに超卑屈な気持ちになっている。自分の顔ほど自分のものなのに自分のものとして認識できないものはないよ。自分のものだけど自分「だけ」のものではない…他人からどう認識されているのだろう。認識の手触りを得たい。あの写真のように見えているのなら最悪。顔が風船のように膨れて見える。全身の肉がいやにぶよぶよに感じる。
どうにも最近ネガティブなことばかり思ってしまう。新しい髪型がちょっと決まらなかったのもあるかも。忘れていた嫌な記憶をどんどん思い出す。いまこれを昼に書いているのだけどもう夜の気分。気分の落ち込みを日記によってブーストさせてしまっている気もする。

(その後、髪型がかわいく思えてきて回復。)





2022年5月4日
夢に昔付き合った人が出てきた。声はそのままだけど、近くに寄っても身体というよりは丸筆で描いたような黒い輪郭線で身体がなぞられていて、部屋は明るいのに顔も暗くてよく見えない。






2022年4月29日
自転車でSさんの家に行く。午後から雨が降るという予報で着いたのは12時ごろだっけ。降られなくて良かった。ジンジャークッキーをプレゼントしたら喜んでくれた。味も好評。
Sさんは寒いらしく石油ストーブをつけていた。わたしもそばに座ってパソコン作業をする。顔が火照る。しばらくしてコンビニに遅い昼食として軽食を買いに行った頃には雨は本降り。その後銭湯に行って、戻って、駅に向かう。Aさんと合流し、三人で焼き鳥屋で飲み、さらに電車に乗って蕎麦屋に行く。蕎麦を食べる前にAさんはジャージー牛乳ソフトを食べていた。太蕎麦の立ち食い蕎麦屋。揚げ物が作り置きでも香ばしくて美味しい。メニューも豊富で店員さんもさっぱりとした接客で良い雰囲気だった。Aさんと別れ、帰宅してMOWを食べたところで二人とも満腹で何もできず、22時前には就寝。






2022年4月28日
国立新美のメトロポリタン美術館展。久々にゴリゴリの西洋絵画を見た。

ジャン=レオン・ジェローム《ピュグマリオンとガラテア》はとてもロマンチックで惹かれるけれどロマンチックだからこそブレーキがかかる。いや、あまりにもその願いが叶った瞬間を描けているからこそ「覗き見ちゃいけない!」と思ったのかも。男性の爆発する情感が伝わってくるようで。マリー・ドニーズ・ヴィレール《マリー・ジョゼフィーヌ・シャルロット・デュ・ヴァル・ドーニュ(1868年没)》表情が良い。少し前屈みで、画版に伸ばした腕が駆け出すような姿勢にも見える。ポストカードを買った。ゴッホの《花咲く果樹園》は「こうやって絵を描けたら」という気持ちになる。

タンネラウムで「パン屋と絵#14 中根唯展」を見る。Sさんがいて、他のお客さんがいなくなった頃に1階のタンネから持ってきたコーヒーを「どうぞ」と渡してくれた。これから時々会って話しながらゆくゆくは展示を、ということになった。タンネでドイツパンを買って近くの公園で昼食。その後シェアサイクル(初めて利用した)で御徒町まで移動。モンベルに寄って自転車のためのアンクルバンドを買い、3331のバンビナートギャラリーで蛭子未央「静かな湯」を見る。蛭子さんは予備校が一緒だった。先輩で志望学科も違ったからあまり交流はなかったのだけど、小さい研究所で同じ部屋にいたので覚えている。蛭子さんの絵も、ゴッホの絵ように「こうやって絵を描けたら」という気持ちになる。ちょうど財布にまとまったお金が入っていたこと、そしてFaroのSさんから入金の連絡もあったこともあり、せせこましい気持ちが消えていて、そのまま御徒町に戻り閉店間際の画材屋で油絵具をいくつかと、筆とオイル、筆洗具を買った。キャンバスは堅苦しく思えて買わなかった。

その後上野のHUBで1杯だけ飲んで帰宅。
夜はジンジャークッキーを作った。最近何度か米粉クッキーを作っていて、都度配合を変えていたのだけど今回はかなり良かった。シナモンも良い。前に買ったホワイトチョコのペンでデコレーションをする。






2022年4月20日
しっとりした空気。朝方雨が降っていたらしい。天気予報もしばらく小雨マークだったけれどちょっと持ちそうな気もしたので、耳鼻科まで自転車で行く。病院の雰囲気もよく、先生も親身に話を聞いてくれて、説明も丁寧で良かった。薬をもらった後ブロンコビリーで昼食。サラダバーが美味しくて食べ過ぎた。冷たいものを一気に食べたからか少しお腹が痛い。たけのこと水菜のサラダ。パクチーのサラダ。そら豆とクレソンの白和えは今度自分でも作ってみよう。ワイン屋で働いていた頃から気になっていたものの買わずじまいだったマルドンの塩がブロンコビリーでは使われていて、ハンバーグに少しまぶして食べたら美味しかった。

昨日から読み始めた「ダイエット幻想」のおかげで、体重の増加が少し怖くなくなった。これまで長いこと体重を一定に維持していたけれど、食べても食べなくても一日中食事のことを考える日が増えていて、精神的には良いとは言えなかった。そして肌のために健康的な食事を心がけるようになったら体重が増え、ジムに通い始め身体の変化に敏感になったことで更に不安は強くなり、普通に食べることができなくなりかけていた。
「数字」「成分」で食べることで失うもの。「避ける」ことは「避けた」そのものを中心に考えることになる。「痩せる」=「かわいくなる」は「選ぶ側」ではなく「選ばれる側」の考え方。「愛され女」からの脱却として「意思ある愛され女」と書いてしまう雑誌がある日本の風潮。「意志ある愛す女」ではなく。日本の女性が他国よりも「痩せ」願望があること。「かわいい」を求めることから目を覚ましたい。「選ばれる側」の行動をしてしまうのは、そういう風潮の世の中で生きてきたから仕方ないことでもあって、このことで自分自身をあまり責め過ぎないようにする。身を委ねないようにこれから気を付けていけばいい。

磯野さんの「大人になっていい」という一言に大きく救われる。
それでも、子供の頃に親から「かわいい」と言われなかった分の「かわいい」をいまも求めてしまう気持ちもある。「かわいい」と思ってくれていたんだろうか。「かわいい」という言葉で伝えて欲しかった。もうこんなこといつまでも言いたくない。ほんとうに大人になりたい。

多少は身体を引き締めたいけれど、体格的にスラッとした身体にはなれないんだと認めよう。なりたくなる必要もないのだから。顔は汗をかいて、お酒を飲み過ぎなければすっきりするし。容姿、体型、体重よりも、もっと思いを巡らすべきことがある。今日、ブロンコビリーでカロリーを気にせずお腹いっぱい美味しく食べれたこと、新鮮な組み合わせの料理を知って、作ってみようと思えたことが嬉しい。


mmmさんのライブを見に渋谷のWWWへ。始まる前にTさんと、YさんとMさん夫妻(初対面)と会場近くの博多ラーメンの店で飲む。Mさんはわたしと歳は近いけれど3児の母でもあって、「いろんな人生」と思った。会場に向かう道中、姓が変わることや結婚について少し話した。
「大人の女性」について考えながらmmmさんの歌う姿を見ていた。「かわいい」ではなく「優しい」口笛。





2022年4月19日
歯医者に行った。歯医者は最後に行ったのは昨年の8月くらいで、その後制作で慌ただしくて2ヶ月毎の定期検診をキャンセルして現在に至るため、なんとなく行きにくいので新しい医院に行った。結果的に良いセカンドオピニオンになって、歯の磨き方も褒められ、歯石もほとんど無いから定期検診は一年後で大丈夫と言われた。歯の隙間にほんの少しの虫歯があるけれど、これも無理に削ったりする必要もなく、この調子で維持し続ければ問題ないとのこと。一番驚いたのが下の歯二本の親知らずで、これもこのままで良いと言われた。前の歯医者ではなるべく抜いたほうがいいと言われたのに。抜きたいのならば顎の筋肉が柔らかい若いうちに抜いたほうが良いけれど、抜かないと決めているのならこのまま温存でも大丈夫ということ。先生自身も親知らずを抜いていない。話しぶりもあっさりとした方で、適度に素が出ていて人間味が感じられる。診療回数を減らしてくれる歯医者は良いな。

読み始めた磯野真穂「ダイエット幻想」がすごく良い。いま自分が求めていた本だった。





2022年4月17日
LくんとSさんとSさんと4人で千葉の大多喜にあるmitosayaのオープンデーに行く。東京駅で集合、高速バスに乗って。
夜は上野のLくんおすすめの火鍋の店に行く。最近あった「とほほ」な出来事を話す。それに対しSさんが発したクリアで力強い一言が、わたしの心に坐り付いていた「とほほ」を串刺し、そのまま身体の外に押し出してくれた。隣に座っていたSさんからも「刺さった音が聞こえた!」と言われた。

以前、横浜市民ギャラリーあざみのの関川航平「今日」の関連イベントで関川さんと小説家の山下澄人のトークイベントがあり、終盤に山下さんと観客の一人のやりとりで少し緊張する場面があった。そのときに山下さんが静かな声で言った「同じ土俵に立ちたくない」という一言が忘れられない。そういう気持ちになることが自分にもあったことに気づいた。でもその気持ちを自分の中で言い表す言葉をこれまで持ち合わせてなくて、ほかの言葉で表していたけれど、そうすると元々の気持ちとは少し違うニュアンスになっていて、対応の仕方も良かったとは言えない。だから根本的な解決にはならず、そういう気持ちになることを繰り返してしまっていたんだと思う。
「同じ土俵に立ちたくない」という気持ちの表れは、同時に「土俵から降りればいい」という対応ができることを自分に知らせてくれる。トークイベント以降、度々救われている。






2022年4月16日
Nを納品。
朝食兼昼食を求めにSさんと駅前に向かう。ケバブ屋で弁当を買って河原で食べる。チューリップが何色もカラフルに植えられている花壇。大きな鯉のぼりがなびいている。川沿いを歩いて、途中フリスビーを大人数でサッカーのようにプレーしている集団をいくつか見た。





2022年4月9日
Uの作業は早め早めに進められて良かった。明日ゆっくり作業して終えられる目処がついたので夕方にFaro kagurazakaの我喜屋位瑳務さんの個展初日に行く。
打ち上げに参加させてもらう。二軒目のカラオケスナックは想像するスナックよりは広く、半円状に座席が配置されていて、中央のカラオケステージに向かって少し見下ろすような高低差がある。着物姿のママとスタッフのお姉さんが数人。その一人がわたしたちの席につき、Sさんがわたしのことをアーティストだと紹介をしたところ「すごーい」と言われてしまう。時々起こる状況だけど、こういうときどう反応するのが一番良いのだろう。お姉さん側の思惑も考えてしまう。自分の話をしてもつまらないのでお姉さんのことを聞こうとしたけれど、無粋に思われた気もする。わたしがお姉さんだったら聞いてほしくないと思う。お姉さんは話しながらも合間にカラオケステージへ向かって拍手し、またこちらに振り向いて話を振ったり聞いたり、水滴で濡れたテーブルを拭いたり、トイレから帰ってきた客におしぼりを渡したり、帰るお客さんをお見送りしたり、いろんな気配りをしなくてはいけない。こういう場所はちょっと苦手かもしれない。





2022年4月8日
引き続きUの本番作業。
昼近くに起きてSさんと弁当を買いに行く。午後にジム。トレーニング中、昨日からの作業による目の疲れからか頭痛がして、力むと頭の血管が切れそう。体重が増えた気がする。もしくは昨夜のお酒のせいか身体が重い。下半身のトレーニングと有酸素30分で切り上げた。






2022年4月1日
今回の肌荒れはおそらく剃刀負けしたことが原因だという結論に行き着いた。安価な剃刀を使用していたのだけど、なぜかいままで気にしたことがなかった。最近手の甲も剃刀負けしていたのに。薬局で敏感肌用の剃刀を買う。この1週間くらい毎日お酒を飲んでいるのも当然良くなさそう。炎症に悪影響。最近はお酒を飲まないとやってられない気分だった。あとカカオも合わないのかもしれない。この肌荒れがおきる前日までの二日間、豆乳はちみつココアを作って飲んでいた。市販のチョコレートよりはシンプルな材料のココアを飲むほうがましだと思ったのだけど、シンプルな分高カカオでもあって、それがよくなかったのかも。チョコレートが食べたいよ。
本当はサイクリングしてどこか公園でお花見をする予定だったけれど、気温も低かったので、桜並木のある通りを歩いた。通りの幅が狭く、並木の高さも低いのでトンネルのよう。ずっと視界が薄ピンク色でふわふわしていた。寿司屋を見つけて遅い昼ごはん。テーブル席に座ったら大きな窓から桜並木が見えてお花見気分でよかった。






2022年3月31日
昨夜から口周りに吹き出物ができる気配の痛みがして、朝起きると顔の左半分の皮膚の感覚がなんとなく鈍い。はれぼったい感覚。不安になっていろいろ調べ、副鼻腔炎気味なのが原因なのではと思い、花粉症の症状も酷かったので耳鼻科に行く。
昼過ぎにSさんが来るが、久々に吹き出物がでたこと、最近気をつけている食生活のストレス、病院に行ってばかりなこと、ジムに行こうと思っているのに時間をつくれず(気力も体力も落ちている)行けていないこと、今朝もジムに行くために早起きしたのに病院に行くことになってしまったことなどが、Sさんの顔を見たら急に溢れ出てきてあっという間に泣いてしまった。話を聞いてもらい、少し落ち着いて、今日はもう良いのだとパン屋に行って久々にパンを食べた。美味しかった。


夜。ドライブ・マイ・カーに関する批判意見、ウィル・スミスのアカデミー賞授賞式での暴力の話などもする。





2022年3月30日
色校正を確認しに、成城学園前駅からバスで10分ほどのところにあるUさんの事務所に行く。今日は暖かくて、駅前の桜並木が満開だった。銀行に行く途中にハーブス、甘味処、成城アルプスの前を通る。成城アルプスには高校生の頃に一度だけ入った。時間があれば成城パンとセイビも一目見たかった。成城パン、グルテンを避けた生活をしていなければ寄っていたなあ。セイビに通っていた頃にいつか入りたいと思っていたシュベールに初めて入り、オムライスを食べる。佐々木中の本を読み終える。
一階の文房具屋は花屋も兼ねていたことを外まで香る匂いで思い出す。青山フラワーマーケットとは違う匂い。バス停近くの交差点の信号が消えていて、付近の店の店員達が道に出てきていた。電力会社の作業員らしき男性二人が配電盤をいじっていた。停電したからいじっているのか、いじって停電させてしまったのかは分からなかった。


帰りに寄った雑貨店で2年ほど欲しいと思い続けていたコームを見つけ、ついでに素朴なハンガーと植物を買って帰る。





2022年3月29日
夕方にNのラフを終え、今日こそジムに行こうと思ったのに、webのリニューアル作業をがっつりやってしまって深夜1時半。しかし「illustration」「etc」はほぼ完成、「product」もかなり進んだので良しとする。もうジムは午前中に行くようにする。
NもUの絵も作業量の多い絵なので少し気が重い。4月10日、15日と締切が続く。
先日誘われた5月末のグループ展は参加したいと思っているので、4月中旬以降はその制作をしたい。普段描くようなサイズだと2点が限度だろうなあ。小さいものだったらどうだろう…いや、数は結果でしかない。あまり考えないでおこう。
花粉症がきつい。目の痒みと鼻の奥、上顎の奥の痒み。
なかなか気温が上がらない。今日も暖房をつけるくらいには寒い日だった。






2022年3月28日
睡眠不足と花粉症の症状で目が痒く、少し風邪っぽい頭痛もあって体調が芳しくない。鼻もむずむず。喉も花粉なのか風邪のひき始めなのがわからないが少し焼ける感じ。鼻水が喉奥に垂れてきている感じ。耳鼻科でもらった薬があまり効いていない気がする。行った耳鼻科もちょっと雑な印象だったので別の耳鼻科に行こうかな。皮膚科と産婦人科に定期的に行くだけでも気分が削がれるのに、新たに耳鼻科も加わってげんなり。甘い物も食べたくて夕方にココアを作って飲み、じゃがりこを食べ(久々の市販のお菓子)、深夜に紅茶とココナッツのクッキーを焼いて半分食べた。
Nのラフ制作。






2022年3月27日
Uの最終ラフを書き終える。明日送信のメールを書いて予約をする。Tさんから頼まれていたタトゥーのラフも送る。洗面所と床の掃除。弟から譲ってもらった加湿器も掃除したけれど部品が足りなかったり元々が汚すぎてちょっと使うのに抵抗が出てきた。超音波式加湿器はカルキが固まった白い粉が付着しやすいとのこと。
銀行に記帳しに行った帰りにジェラートを食べる。桜味のジェラートと甘夏のソルベのダブル。夕方Oさんが来て三人で夕食。Sさんが雛豆とさつまいもと玉ねぎのヴィーガンカレー、手羽トロとブロッコリーの炒めものを作ってくれた。料理ができる前に結構飲んでしまった。






2022年3月26日
曇天。午前中からにわか雨、夕方から雨が降るという予報。風が強い。
Sさんと外出。FARO Kagurazakaの宮川慶子「みずの中のあなたと共に」とWISH LESSのLEE KAN KYO「NFT」に行く。FAROではSさんと三人でしばらく話す。家族、親孝行、運動の話など。
どちらも展示もよかった。宮川さんの小さな絵のシリーズのような気持ちで自分も絵を描けたらと思った。タイトルと名前をサインしていたのが自然ですごくよかった。LEEくんのサービス精神。作品単体のこだわりというよりは、それを完成させて、全体のイメージで伝えようとすること。

一日中天気が悪く身体が冷え、外出疲れもあって夜少し体調を崩しかけたけれど、風呂に浸かって葛根湯を飲んだら持ち直した。






2022年3月25日
Uのラフ作業。
先日smoke booksで購入した米粉のおやつのレシピ本に載っていたクッキーを作る。昨日からチョコレートを食べたい欲が湧いていたのでココアパウダーに変更。夜は四川風麻婆豆腐とわかめと豆腐と卵のスープを作る。






2022年3月24日
せめて行動記録だけでも書こう。
三食自炊。朝は納豆ご飯と味噌汁、昼は肉そば、夜はブロッコリーと鶏胸肉の酒蒸し、もやしとほうれん草のコチュジャン和え。数日前から白米の量をぐっと減らしている。
めんつゆは水出しの出汁に醤油とみりんを加えて作るのだけど、ベストなレシピが見つけられず、毎回濃さの調整に苦戦している。今日は薄めすぎた。

小泉悠氏がロシア情勢について語る講演会動画を聴きながらUの仕事のラフを進める。夕飯を食べたあとベローチェに行き勉強。甘いものが食べたくてコーヒーと一緒にチョコレートも買おうかと思ったけれどカフェモカで一応我慢ということにする。しかしカフェラテにチョコレートソースがかかっただけなので、思っていたより甘さがなくちょっと残念な気持ち。スターバックスのカフェモカ(もう何年も飲んでいないが)はこってりとした甘さだった気がする。

小麦粉とカフェインと甘いものを控える生活。始めた当初よりはずいぶんと慣れてきたけれどやっぱり窮屈な気持ちはある。パン食べてないなあ。この前朝マック食べたくらいだ。近所においしいパン屋もあるしいつだって食べたいのだけど、最近はブレーキがかかって自然と選択肢から消えている。しかし主食が米のみというのも飽きるので最近は十割蕎麦というレパートリーを増やした。ケバブ屋ではケバブ丼。
太っているわけではないのだけれど、もっと体脂肪を減らしたい。己の痩身願望にいろんな方法で抗ってはきたけれど、どうしても太るのが怖い。身体全体がむくんでいるような気持ち。自分の意識よりも身体が大きい。シュッとしたい。筋肉で引き締まって華奢な身体になりたい。筋肉がついてきたからかその上を覆う脂肪が気になる。





2022年3月22日
急に真冬の寒さ。雪に近いみぞれが降った。






2022年3月16日
Sのイラストレーションは今日中に提出する予定で、スキャンしてデータを整える。大体整った夕方頃、絵の一部がひどく歪んでることに気付き修正。一度にたくさん描くという仕事はこういうことが起きそうだなあと思っていたことが起きる。異常にお腹も空く。最近間食が止まらない。そろそろやめなければと思っていながらナッツを食べる。もうしばらくナッツ買うのはやめよう。
深夜に地震。かなり揺れた。福島と宮城で震度6強。Sさんと少し電話。ニュース映像とSpotifyでジャズを流しながら作業をする。ニュースの情報を入れすぎて少し忙しない気持ちになり、そのまま4時頃まで作業。






2022年3月5日
ホッピーはビールやワインとも違う、ホッピーの酔い方をするのが不思議。
天気予報では予想気温17度と言っていたけれど、室内にいるとまだ寒くてストーブをつけた。






2022年3月4日
最近ようやくランニングマシンが好きになった。クロストレーナーよりも格段に疲れるのだけど、全力で疲れ切りたい気分の時はランニングマシンが良い。というか体力がついてきたのかもしれない。クロストレーナーだと物足りなく思うようになった。腕を振って足を思い切り蹴り出すのが気持ちが良い。たくさん息を吸って吐く。いろんなリズムの呼吸を試す。汗もたくさんかくしカロリーも消費するし。






2022年3月3日
スペアリブと米粉スコーンを焼いてSさんの家に行く。暖かくなってきたのでスカートが履ける。久々にプリーツスカートを履く。
スコーンを食べて、作業をして、スーパーに行って、夕ご飯は野菜スープ(野菜とベーコン角切り。にんにくをすりおろして入れる。グローブ・カルダモンも一緒に煮出す。仕上げにバターをひとかけら入れる)とじゃがいもをローズマリーと塩で焼いたものとスペアリブを食べる。






2022年2月21日
今日は晴れているけれど気温が低い。芯から冷える。ポケットに手を入れないと指先の感覚がなくなる。

朝ごはんのあとに掃除と洗濯。オンラインストアの発送が1件。昼ごはん用に米粉スコーンをつくり、ちょっと食べて作業の準備。耳鼻科に行き、近くの自転車屋でスタンドを修理してもらう。変速ギアも調整してもらった。そのあとジム。帰宅してバナナとスコーンを食べて風呂。






2022年2月20日
〈去年の日記より〉
主体とは、どの呼びかけに応えるか、その応えによって形作られるという話のつづき。「応える」かたちのひとつに「受け入れる」がある。「なんでも受け入れてしまう」という性質は、同時に「なんでも渡してしまっている」恐れがあること。
渡したくない人に自分の大切なものを受け渡してしまったり(抱かれる、自分の価値を自ら下げる)、大切な人にその人が受け取りたくないものを渡してしまったりする。自分の場合、応答では揺らがない主体の「核」が極端に小さく、「準主体」の範囲が広い。だから呼びかけによって大きく揺らぐ。揺らぐ土台が弱い。どちらかと言うと、「受け入れない」ことを気にした方が良いのかもしれない。無自覚なふるまいが一番残酷。

昨日まで、だんだんと治療を始める前のような卑屈な気持ちになっていた。カフェインをやめたり食事内容を気にしたり化粧品を変えたり運動したり米粉つかったり、色々してるのに肌の回復はちょっと停滞期なのか、治らないことにモヤモヤが積もってた。心が狭くなり、ただ「肌の調子が悪い自分」という認識じゃなくて、治療を始める前のひねくれた気持ち、「肌の汚い自分はダメだ」と思うようになっていた。肌の調子が悪いということが自分の価値が下がっていることとイコールになっていた。
朝起きて顔を見たら二つのニキビはまだまだ治るには程遠い状態だけれど、他の大部分は悪くないと思えた。しっかり薬を塗る・飲むことと、食事に気をつけるという簡単なこと。なるべく早く寝ること。「禁止されてる」「食べちゃいけない」「できなかった」と思わなくて良い。






2022年2月19日
最近肌の調子が悪い。治療前に比べれば全体的にだいぶ良くはなっているけれど、それ以上回復しないというか、すぐに再び悪化しそうな不安定さがある。数日前から1日のうちの3割は肌荒れのことを考えている。だんだんと気持ちが滅入り、他のことで気を紛らわせられないまで落ち込む。






2022年2月16日
午後は池袋に向かう。世界堂に用事があったのだけど、それだけで帰るのもつまらないので映画も観た。「ドライブ・マイ・カー」。よかったな。観終わってからずっと頭がぼーっとしている。頭痛もする。良いものを見ると頭痛がする。最初から最後まで一定のテンポで「ハッ」とすることが起きる映画だった。

序盤から何度も流れる録音テープの妻の音声の抑揚を抑えた読み方が、映画全体の感情の起伏をぐっと押さえつけ均していて、押さえつけた手のひらには下からの脈打つ振動が微かに伝わってくるような。車の走行音もストーリーが進むにつれてだんだんと落ち着く音に思える。
『ワーニャ伯父さん』の本読みのシーンで台詞の終わりに机を拳で軽く叩くのもリズム。拳の石が水面に投げられて波紋が広がる。『ワーニャ伯父さん』の台詞が呪文のように身体に染み込む。ラストの家福の吐露が呪文を解く。まっすぐに届く。一直線。ゴミ処理工場の、原爆ドームと平和記念公園を結ぶ線を遮らないように設計されたガラス張りの通路、を通り抜ける風。


「好きな俳優」と聞かれてもそういう気持ちを持っていないのだけど、岡田将生は見かける度になんとなく愛着があるなあと思っていて、今回も思った。かわいい顔なんだけど、なんだか匿名性があるというか、人工皮膚で覆われているような顔つき。考えていることがわかりそうという油断をさせる顔。人の考えていることなんてわかるわけがないという当然のことに気づかされる顔。

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以前よりも自分を守りたい気持ちが強くなっていて、それはこれまであまりにも無防備だったことで自分で自分を蔑ろにしていたことが多かったことに気づいたからなのだけど、自分が「嫌な気持ち」になることに敏感になるのは当然ながら良くも悪くもあるなあと思った。
人と相対して「嫌な気持ち」になったとき、つまりこちらは「傷ついている」とき、その原因が「相手」ではなく、自分自身の被虐的な考え方によって「傷ついている」と思っている場合もある。今回の出来事がそうだった。自分が「本来なら応えられるわけがない(心を動かせない)」呼びかけに応えてしまったがために、結果的に自分で自分を「傷つけている」ことに気づかず「傷ついている」と思ってしまっていた。
応え方こそが自分の主体をつくっているのだから、雑な呼びかけに応えるのはそういう主体になるということ。ブレーキのかけ方。今回動いてしまったのは、少ながらず自分のなかにもその欲があったからなんだけれど、それは考えがあっての動きではなく、刺激を受けての反射反応でしかない。動くべきではなかった。動いてはいけなかった。「傷ついた」として終わらせて良い話ではない。






2022年2月9日
母から送られてきた小包を受け取りにコンビニに行く。いまの家に引っ越してから年2回くらい届く。なぜかいつも自然食品。今回はバースデーカードと1万円が入った封筒が同封されていた。
大抵カードには「誕生日おめでとう」、封筒には「好きなもの買ってください」の一言が書かれているが、今年のバースデーカードは二つ折りの、開くと二羽の文鳥が首を傾げる仕掛けで、今年はついに「誕生日おめでとう」の一言も書かれていなかった。そんな。わたしも思わず首を傾げるよ。


「文章を考えて、書いて、渡す」という手段の愛情表現を用いないだけ。ただそれだけのことなんだけれど、無記入のカードはさすがに寂しくなってしまった。こういうとき、母を「母」ではなく「一人の人間」に思う。してほしいことをしてもらえなかったから思うという、身勝手で恥ずかしい話なんだけれど。その「人間」の子供、自分にもそういうところがあるのも感じる。癖、偏り。
細かいことは忘れたけれど、母がわたしの卒業制作の展示になぜか来ようとしなくて、「見にきてよ」と泣いて訴えたことを思い出した。さっき「愛情表現をしないだけ」と書いたけれど、正直、その頃にはもう母はわたしに興味がなくなっていたんじゃないかと思う。

ここまで書いてふと思った。わたしは中学から高校にかけて度々精神的に不安定になり、母に八つ当たりしていた時期があった。その頃から母はわたしから距離を置いたんじゃないだろうか。わたしの泣き喚きの直撃を避けるために、それまで抱いていたなにかを手放したんじゃないだろうか。いま初めて気付いた。そんな気がする。
それまではそんなことはなかったと思う。幼稚園の卒園アルバムに載せる似顔絵を何度も描き直させ(母は覚えていないと言う)、小学四年生から塾に通わせるくらいのわたしへの興味はあった。いや、それは「興味」とは言わないか。親としてのあれ。母がわたしや弟のこと、自分が産んだ子供のことをどう思っているのかわからない。


ホームセンターに行って土など購入。帰って多肉植物の植え替え。ベローチェに行き三日分の日記を描く。その後ジムに行こうと思ったけれど、スーパーで数日分の食材を買ったら荷物が重く、心折れてそのまま帰宅。





2022年2月6日
昼からMさんの家に行った。ポンカンのパウンドケーキを作って持っていく。福江島で買って誰かにプレゼントしたいと思っていたバスソルトも渡せてよかった。
Mさんの家の庭は近所で飼われている猫の散歩ルートになっていて、ちょうどわたしたちが帰ってきたときに庭の塀に座っていた。Mさんがカレーの準備をしている間、縁側でおもちゃをつかって猫と少し遊ぶ。ガラス戸で日差しが暖かい。
ルーローハン風のカレー(八角が効いていて美味しい)を食べ、パウンドケーキ、家に行く途中でMさんが買ってくれた和菓子、みかんと次々食べながらいろいろとしゃべる。
帰りに残りのカレーと宮崎牛のハンバーグ、みかんなどをおみやげにもらう。「おばあちゃんみたいだね」と言い合っていたら、Sさんにも「おばあちゃん家に行ってきたの?」と言われた。






2022年1月29日
何に対して「生きる喜び」を感じるのだろうか。






2022年1月24日
8時過ぎにチェックアウト、港の定食屋で朝食をとる。昨日も結構寝たけど疲れきっていて、福江島から長崎港へ向かうジェットフォイルのなかでもよく寝る。どこも臨時休館のため、ひとまず紀伊國屋書店でキリシタン関係の本を少し読み、松翁件本店にお土産のカステラを買いに行き、大正堂書店という古本屋でもキリシタン関係の本を探し、福砂屋で小さなカステラを買って、中華街の広場でおやつがわりに食べる。次回大浦天主堂とオランダ坂は合わせて行きたい。グラバー園も。あと浦上天主堂の近くにあるサンパウロ長崎センターにも行きたい。雲仙や島原にも行ってみたい。夕方に長崎空港に移動し、夕暮れに離陸、機内でヒレカツサンドを食べながら田中美津の本を読み返して過ごす。
成田着。Sさんが家に来てくれることになり、最寄駅で待ち合わせ。5日ぶりだけどちょっと新鮮な気持ち。ビールを飲みながらSさんが用意してくれた鰹のたたきを食べる。旅行をしながら思ったことなど話す。初めて口に出したからか、言おうとしたことじゃないことを言っている気がして気恥ずかしくなり、少し冗談めかして話してしまった。写真の量が多くて飛ばし飛ばしに見せていたらなんだか忙しないお披露目会になってしまった。


旅行中、潜伏キリシタン関係のものに触れながら、だんだんと、わたしは潜伏キリシタンのどこにこんなにも惹かれているんだろうと思った。潜伏キリシタンというよりは、潜伏キリシタンを鏡にして自分を見る。自分は何を求めているんだろうか。救いのようなことではあるんだろうけれど、まだ曇っていてよく見えない。





2022年1月23日
昨夜から雨。今日だけホテルの朝食を予約した。まさにホテルの朝食らしい内容で贅沢な気持ち。なめこと山菜のゆず風味の冷菜が美味しかった。ホテルのスクランブルエッグってなんであんなにとろとろで美味しいんだろう。
9時過ぎに出発、路線バスで水の浦教会へ。大浦天主堂の雰囲気に似ていて好みだった。ここで昨日のツアーガイドのUさんと合流する。あいにく天気も悪く、移動手段のないわたしを気遣ってくれて、ちょうどUさんも今日は予定がなかったそうで個人的に島を案内してくれることに。まず楠原牢屋跡、これは一度解体されたけれど、再び柱や引き戸を利用し一部復元されている。その近くの楠原教会は日曜ということもあり、ちょうど祭祀(葬儀?)が行われていて遠くから眺めた。この旅行でいろいろな教会に行ったけれど、唯一、使用されている様子を見ることができたのはよかった。次に井持浦教会へ。ここは日本で初めてのルルドがあり、神父の呼びかけで島内の信者が珍しいかたちの岩を持ち寄って造られたという。岩に生えた植物は亜熱帯の雰囲気があり、今日は雨が降っていて葉が濡れてつやつやしていた。敷地内には巡礼者のための宿泊施設があり、ロビーには無人の売店がある。ここに置いてあった井持浦教会の100年記念誌には昔の写真が数多く掲載されていて魅力的だったのだけど、Uさんを待たせていることもありちゃんと読めず心残り。また行く機会を設けたら次こそひとりで運転して向かい、じっくり読みたい。(帰ってから調べてみたら以前は販売されていたみたいで、いまからでも買えるなら買いたい。)
そのあと山を登って大瀬崎灯台が見える高台や浦頭教会(ノアの方舟をイメージして造られたという現代的な建築)に寄って、ホテルまで送ってもらって解散。これが13時頃。Uさんは74歳で、三井楽地区のまちづくり協議会の役員でもあり、つばきマラソンの実行委員会の副会長も務め、昨日のようなガイドもされている。だからまだまだ元気で、わたしの父が68歳ですでにボケ始めてきていることを話したら「なにかさせたほうがいいですよ」と言って、福江島への移住を勧めてきたのが面白かった。ここにいるとなんでも自分でしないといけないから、と。母がなんでもできちゃう(しちゃう)ことが大きな要因だという結論に至った。

ホテルで一息ついて、昼食をとりに近くの町中華の店へ。ちゃんぽんを食べる。塩味が下にピリピリくる、少しとんこつ臭くて甘いスープ。ちゃんぽんと言っても店によって結構違うんだろうなあと思った。その後は福江教会、五島観光歴史資料館、山本二三美術館を回り、スーパーに寄ってホテルに戻る。先に風呂に入り、食べ、22時くらいには寝たと思う。疲れが溜まっていた。






2022年1月22日
早朝起床、6時半に朝食を食べ7時にチェックアウト。長崎港ターミナルに向かい、7時40分発のジェットフォイルで福江島へ。福江港に着いたらそのまま福江島・久賀島・奈留島の教会を巡るツアーに参加。わたしの他に参加者は二人だった。
まず向かった奈留島の江上天主堂は地勢に適応した教会堂ということで世界遺産に登録されている。教会があるこの集落は小さな谷間にあり(平地は仏教徒が住んでいるため、あとから移住した潜伏キリシタンはわずかな土地を切り開かなければならなかった)、天主堂の前にはタブノキが生えていて、ごれが防風林として機能している。かわいらしい外観。天主堂内の見学は前日に「まん延防止重点措置」の影響で中止になり残念。
久賀島の旧五輪教会堂には海上タクシーで移動する。塗装が剥がれて年季の入った板張りの教会堂。清貧さ(使用されていないからでもあると思うけれど)を感じられて、とても勝手だけど「好み」だった。いまのところは教会堂内の見学は可能で、教会として使用されていないため撮影も可能。窓は珍しく引き戸。偶然、長崎に来る前にこの教会守の男性を特集した映像ニュースを見ていたので、ちょっとだけ話した。気恥ずかしいそうであの映像は見ていないらしい。
そのあと山道を歩き、タクシーに乗って久賀島の久賀島観光交流拠点センターで昼食、五島うどんを食べる。午後はまず牢屋の窄殉教記念教会に。ここでの凄惨な出来事は少し文章で読んでいたけれど、ガイドさんの口から聞き、殉教者の名前が刻まれた石碑、その場所から眺めるおだやかな湾を眺めると、ほんとうに何と言えばいいのか、酷い気持ちになる。幼児、妊婦から老人まで、12畳に200人、1畳に約17人が8ヶ月間押し込められた場所。
タクシーに乗り込み、浜脇教会を通り過ぎて港から福江島に戻る。そして堂崎天主堂へ。二十六聖人のひとり、五島出身のヨハネ五島を祈念して日本二十六聖人殉職者聖堂と命名されている教会堂。外観は赤煉瓦で重厚感があり、一部は煉瓦の角が見えるように45度回転させて積み重ねていてアクセントになっている。ここは教会堂内は資料館になっていて入れた。外に生えていた紫の花の植物(名前忘れた)は良い香りがする。ここも海辺にあり、波で削られて丸まった岩がふたつ並んでいた。そして福江港に戻り解散。
ホテルに行く前に少し商店街を歩く。小さなスーパーに寄ってひとまずビールを1缶買う。チェックインし、朝買った梅おにぎりと残りの千代香を食べ休憩。google mapで調べたら近所に大きなスーパーがあったので、ここで刺身など惣菜と、追加のビールを買う。食べ終わり、風呂に入り、Sさんと数日ぶりにテレビ通話(テレビ通話、他に言い方がありそう)。通話を終えて、ビールを飲みながら船越の作品集を読んでいたらいつの間にか寝落ちしていた。深夜に起きて歯を磨いて寝る。






2022年1月21日
ホテルの朝食を食べ、9時過ぎに出発。西坂の丘にある日本二十六聖人殉教地に行く。船越保武のレリーフが本当に良かった。その裏にある記念館に3時間ほど滞在。路面電車で平和公園で下車。坂を登る道中、パン屋でパンを買って浦上天主堂前の公園で食べる。浦上天主堂は教会内も見学できた。外には被爆し破損した聖人や天使の石像が置いてあった。表面がランダムな水玉模様のようになっていて、あれが原爆の熱なんだろうか。天主堂横には旧浦上天主堂の倒壊した鐘楼が当時のままそこにあって、それを見に行く途中の小道で見た2羽の小鳥がかわいかった。黄色と橙色の鳥。坂を下り、平和祈念像を見る。思っていたよりも小さくて、思っていた通り良くなかった。碑文にも違和感。「男性の健康美」。船越との違いを思う。その後原爆落下中心地の碑を見る。二度ほど上を向いた。雲は少し浮かぶくらいの澄んだ青空。
公園をあとにして、バスに乗って大浦天主堂に行くも、今日から「まん延防止重点措置」の適用でまさかの休館。ショック。天主堂の横の細い坂を登って、天主堂を横から眺めたりする。ついでに行こうと思っていたグラバー園も同じく休館。通常なら20時まで開館している長崎市美術館も18時までに変更になっていて、気づいたのは17時前。急いで向かう。いくつか常設展があり、もともと船越保武の二十六聖人レリーフにまつわるデッサン・ドローイングの展示を目当てにしていたけれど他の展示も面白かった。スペインで収集した美術品で構成されている須磨コレクションは宗教絵画が多くてラッキーだった。ピカソやダリもあって、特に「海の皮膚を引きあげるヘラクレスがクピドをめざめさせようとするヴィーナスにもう少し待って欲しいと頼む」という絵がかっこよかった。http://www.nagasaki-museum.jp/museumInet/coa/colGetByArt.do?command=view&number=345
閉館ぎりぎりにミュージアムショップで船越の作品集を購入し、スーパーで刺身や唐揚げなど惣菜を買ってホテルに戻る。お腹が減っていたので浦上天守堂に行く途中にある和菓子屋で買った千代香というお菓子をひとつ食べる。どらやきよりもちもちとした皮1枚で餡子が包まれている。かたちもかわいい。






2022年1月20日
早朝Sさんと家を出て、駅で別れてわたしは成田空港へ。昼前に長崎空港に着く。空港からリムジンバスに乗って40分ほどで長崎新地に着くも、移動続きで少し酔う。イオンのトイレに寄って、ひとまず昼食をとろうと中華街を歩き、品揃えのよい植物屋で多肉の鉢について店員に質問したり、飲み屋街に迷い込んだりした後、メインの通りから少し外れた中華料理屋に入る。皿うどんを食べる。具材がたくさんのっていて、麺は太めのそばのような麺で美味しかった。上品。

そのあと地図を見たら出島が近かったので寄ってみると、思っていたより見応えがあり2時間ほど滞在する。出島を出る頃にはもう夕方で、川沿いを歩いて眼鏡橋を見たり、凧(ハタ)屋さんでSさんへのお土産を買ったりしながら、長崎歴史文化博物館に行く。閉館まで1時間切っていて、歩き続けて疲れてもいたのでさらっと見て帰ろうと思ったけれど、虎の絵や陶器、ガラス細工、潜伏キリシタンのブースなど、これもまた面白いものが多くて閉館時間ぎりぎりに退館。
中町教会に立ち寄り、長崎駅近くのホテルに到着。一息ついて駅近くの町中華の店に皿うどんを食べに行く。昼食べた皿うどんとは真逆の方向性で、揚げ麺(太麺と細麺が選べる)にとろみの強い餡がかかっている。かなりジャンクな味で、少し残してしまった。揚げ麺は一人前も食べれないなあと思った。昼に食べたような、具材が多く餡は少なめで揚げ麺ではない皿うどんが食べたくて、翌日以降もそういった店を探してみたけれど見つからなかった。
食べ終わってホテルに戻る途中、胃を落ち着かせようとホテル近くの喫茶店に入り、コーヒーを2杯飲み(2杯目にチョコレートをサービスしてもらった)、田中美津の本も読み終えてホテルに戻る。風呂に入り、ほぼ寝落ちのように就寝。






2022年1月3日
去年の11月24日以来日記を書いていなかった。海老原商店での個展のための制作に追われていた頃。生活(主に睡眠時間)が乱れ、いろいろな出来事も重なり心身ともに追い込まれ、ジムで体力を消耗するのも惜しい気がして行くのをやめていた。12月4日に個展が始まってからもなんだかんだ慌ただしく、12月半ばにやっと再開、今日は今年最初のジム、の前にベローチェで日記も久々に書いている。


元旦の朝は用意したおせちを食べた。お屠蘇も用意して、一人暮らしを始めてから一番お正月らしい朝になった。
お煮しめは煮汁を二倍にしたことで濃すぎる仕上がり。白ごはん.comを参考に作ったお雑煮となますは美味しかった。田作りも味は良かったがたれが多くてカチコチ。購入した数の子も味付けがちょっとしょっぱいので来年は自分で用意したい。黒豆の代わりに素煎り黒大豆。かまぼこはすっきりした味でおいしい。醤油を使った料理が多いのでちょっと食傷気味。来年はお煮しめの代わりにミートローフを作るのもいいかも。赤海老もいいかも。伊達巻も購入したけれど、来年は代わりに大きな卵焼きを作るのもいいかも。
その後外出。川沿いを歩き、街を散歩。通りかかった神社二箇所にお参りして、わたしは忘れ物を取りに一旦家へ。Sさんは作業場で木工作業。夜は映画を見ながらおせちの残りと、お煮しめを刻んで炊き込みご飯にしたものを食べた。