少し前の日記を少しずつ更新しています
2024年11月9日 コインランドリー
思い出す気力もないが、また×さんが夢に出てきて、なんやかんやあって、げんなりして、はっきりとなにかを喋って目覚めたことだけは覚えてる。昼まで寝てた。スープ食べて風呂に浸かり、落語聞きながらひとつ納品し、水平都市行きたかったけど気力なくやめる。最近そういうことばかりだ。どこにも行く気力がなくひとりでキャンセルしまくってる。あまりにも寒くて布団のなかでしばらく丸まったあと、意を決して暖房を付け、加湿器を用意する。コムタンスープ、ネギとしいたけの焼きそば作って食べながらルックバック見る。そしてコインランドリーに来て今。
歩きながら、もう虚空に呼びかけるのこれっぽっちも無理かもと思った。なんでひとりでこんな苦しまなきゃいけないんだろうと思う。もう知らない、ひとりでやろうという気持ち。来週の企業実習と同時に展示も始まるというハードなスケジュール…もうひとつ納品しなくてはいけないものがあるけど、明日やるしかない。明日は資料館の予定もある…
なにがしたいんだかわからなくなってくる。なんでひとつやったらひとつ疲れてしまうんだろう。疲れを上回る喜びも楽しさもしばらく感じたことが無い。全て「疲れた」に終わる。なんだか最近ずっと「疲れたくない」と疲れながら思い続けている。
やりたいことはあるのに身体がまったく追いつかず、キャンセルした数のほうが増えていく。
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再来月一件取材受けることになったけど、作業場の写真撮るらしくて、少し前は抵抗なかったけど今日やっぱりやだなと思った、から連絡しないとなあと思った。部屋に来てもらうのはうれしいけど、なんで不特定多数に提供しなきゃいけないんだ。大切なものはちゃんと大切にしたい。死んだ後なら載せてもいいと伝えるのはどうか。
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先日ギャラリーに作品を受け取りに行き、Sさんにこの前鬱がひどかったときに迷惑をかけたことを謝った。しかしあのときSさんから聞いたくそみたいな話は、やっぱりくそだと思った。ほんとうに、なんて死にたくさせてくれるんだろうと思った。
もう一年経つのに鬱は鬱のまま、心が死んだまま、冬がこわい。もう完全に一回死んだのだと思う。前の自分は殺されました。見事に。いまはもう誰でもない。
はやく学校終えて身の回り片付けてすっきりして通勤始めて絵を描く生活のなかで穏やかに自分の死と向き合いたい。
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自分の感情や「優しさ」を否定され、一方では「優しさ」をきっかけに侵害されそうになる。これでどう芯を保てると思うか。朽ちた芯、立ち直ることなどできない。水を注いでも意味ない、悪化。
2024年11月8日
夜は多少汗はかくけどわりと普通に寝れるようになった。睡眠薬もほとんど飲んでいない。とにかくしばらく(いろいろ放棄し)睡眠時間を最優先に確保していたのが良かったのかもしれない。やっと身体が回復してきた感じがする。
2024年11月7日
夢で、夜中にAさんが家に訪ねてきて、「最近Instagramでパレスチナ関連の発信してないね、ガザのジャーナリストの発信も見てないでしょ、いいね付いてないよ」と責められた。家に入れられないからとりあえず近所の公園に連れて行ったら夜市みたいな雰囲気でいろんな露店が出て賑わっていた。もう深夜2時過ぎくらいだったけど、SさんとGさんとMさんが宴会しててまざりたかった。室内キッズスペースのようなソファがたくさん置かれている場所があったのでAさんを座らせ、「ちょっと余裕がなくあまり発信もできないし投稿も見れてないが、見たらいいねを押すのを心がけるよ」と伝えたらとりあえず納得してくれた。いやな夢。
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授業後、ギャラリーに作品受け取りに電車に乗ったら、目の前に座ってる人がクフィーヤ身につけてた。
ギャラリーからの帰りの電車では、リュックサックに既視感のあるキーホルダーをつけている人がいて、それは前のパートナーの合鍵についてたキーホルダーと同じものでギョッとした。
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気持ちは低いところで安定してきた気がする。
2024年11月5日
ラフの提出が遅れている…他にも期限の迫る(過ぎてる)ものばかりで、ほんとうにただひとつひとつ手をつければいいだけなのだけど、嘘みたいに気力と体力がない。昨日は額屋に相談に行っただけで疲れて、そしてさまざまな憂鬱なことを思い出し憂鬱。はやく全てが終わってほしいことだけを願う。里芋のポトフはつくった。。
2024年11月4日
昨夜はOさんとIさんとシーシャ行って韓国料理を食べて、パレスチナのこと、沖縄のこと、それぞれの仕事での抵抗のこと、政治のこと、寄付のこと、心のこと、話せて楽しかった。すべての話がフラットに話せる喜び。電柱に貼られたBDSも、壁に書かれたFROM (THE) RIVER TO THE SEAもうれしかった。反対に言えば、それらからしか力をもらえない。
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(省略)
2024年11月3日 コインランドリー
無気力。またどろどろに寝て、おかしな汗もかいて、寝具と洗濯物をコインランドリーへ持っていく。コインランドリーばかり行ってる。コインランドリーでこれを書いている。いろいろ提出しなければいけない仕事がたまってる。
全然Instagramは見れないしパレスチナ関連も最低限のことしかできない。少し集まった寄付とわたしからの寄付をまとめてRさんに送金したら、すぐにRさんから感謝と同時に心配のメッセージが届く。そのメッセージからなんとなく、Rさんはお金もだけどそれ以上に日々のメッセージのやりとりを求めているのかもしれないと思った。余裕がなくあまり返せず申し訳なく思う。
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なんだかなあという気持ちだ。昨日の大雨があがって今日はこんなに天気がいいのにむなしくて仕方ない。早朝にカーテンの隙間から見えた外が気持ちよさそうで川沿いを想像した。いま行ったら気持ち良いだろうなあと、汗で湿った布団の中で思ってまた寝て、誰かをある公園で開催される米軍基地反対デモに連れて行ったら反応が薄い夢を見た。
Webサイトに日記を載せたついでにちょろっとコミッションワークを見たら、なんて静かな絵を描いていたんだと驚いた。また描きたい。
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コインランドリーから戻りシャワーを浴び、いろんなことを終わらせていないままOさんとIさんとの打ち合わせに行く。
2024年11月2日
半日どころか3/4日寝てしまう。
夢の中で2枚変な絵も書いたし、テイラー・スウィフトにも会ったし(しかももう数回会ってる関係)、テイラーとは神奈川のほうのいい感じの海岸沿いのクラフトビールか日本酒の醸造所もしくはオーガニック系のなにかの店で会ったら、テイラーはそのままそこのオーナーと付き合い始めた。シーンが変わって個人経営の飲食店にPさんともまたご飯に行ったけどPさんはそこで知り合った人といきなり良いムードになって他の部屋に行ってわたしは置き去りにされた。
夢の中で絵を描くのはかなりダメージがある。逆転する感覚。
2024年11月1日 昨夜から今朝までのこと
強くストレスのかかることがあり、Awarefyでもチャットし(ものすごく助かった)、はっきりと暴飲暴食して寝たら、夢に×さん出てきた。どこか人の多いところでテーブルを挟んで座っていた。前にも同じパターンの夢をみたけど、最初はほがらかなのにすぐ険悪になって、わたしは怒ったのか、いやな気持ちになったことを伝えたかしてその場を去る。今回もそう。話の内容も思い出せない。その場所はものすごい人混みで、わたしが席を立ってしばらくして×さんも席を立ってこちら(出口)に来ようとしたので、気付かれないように人混みに身を隠しながらその場を離れる。あとは忘れた。
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落ち込みがやっと底付きしてきている感じする。いまは悲しいというより、キモいと思ってる。不快。キモくて虚しい。
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夢。小田急線の駅のホームで立ちながら髪を洗っていた(服は着ている)。カラーが色落ちしてきたのが気になって、ピンクのカラーシャンプーを使っていた。電車が来たと思ったらタクシーで、もう学校(高校?)に大幅に遅刻する時間。タクシーに乗って線路の上を走る。途中にMさんがいたので乗せる。Mさんが途中でもう1人乗せたいと行ったけど、その人は家にいなかった。Mさんはその人を芸名で呼んでたが、わたしは聞き覚えがなく、本名を聞いたら「ああ、あの人か」となったけど、それが誰だか忘れた。そのあとも忘れた。
2024年10月31日
静かに絵を描きたいし刺繍をしたい。あと高尾山も行きたい。仕事を始めて制作の時間を確保して、リズムができれば大丈夫な気がする。朝と夕暮れに川沿いをゆっくり歩きたい、川沿いを歩いて遠くのスーパー銭湯まで行ってみたい、本を読みたい、ガイドヘルパーもしたい、温泉に行きたい、人に会っても夜悲しくならないようになりたい。
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通っていたカウンセリングってWeb予約できたっけ、と久々に心療内科併設のカウンセリングのWebサイトを見る。自分が受けたのは「パーツセラピー」にあたるのだろうか。あのときの催眠療法で認識した「Xパーツ」さんのことを思い出す。いまは「Xパーツ」さんの働きが把握できなくなっている。あの時と比べて自分は外に出たり学校に通ったり行動的になっていて、それは「Xパーツ」さんの力なのか、また別のパーツなのか、「Xパーツ」だとしたらめちゃくちゃ頑張ってる。
担当のカウンセラーに会って、この半年間のことを聞いてほしいという気持ちが猛烈に湧く。カウンセラーとしてその勤務時間にその役割を全うしているだけであって、その人本人のことは何も知らないのに。
何度か会って、いろんなことを打ち明けて、そしてそれを受け入れてくれた(彼女には利害のないから、それが仕事だから、こちらを侵害することがないという安心感)相手がいるいうのはほんとうに、ちょっと悲しくもあるけど救われる。半年行ってないのに。
2024年10月30日 「死んでほしい」と「死にたい」
しばらく調子が悪い。もう1ヶ月以上よくないところにいることを、1ヶ月前の日記を更新しようとして気付き、最近のまで一気に載せる。いつふと生きていることをやめてしまってもいいように。(いいように?)
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「死んでほしい」という言葉が浮かぶが、それはほんとうに死んでほしいわけではなく、わたしに押し付けた分を回収し自覚し己に向き合ってくれと思うがそんなことは絶対にありえないとも同時に十分わかっているし、そもそももうそれは目の前にいない、記憶のなかのことでしかなく、とにかくわたしの頭からその記憶が消えてほしくて「死んでほしい」と自分の記憶のなかの人の形をしている靄に強く思う。わたしだけが何度も呼び出している。おかしいよほんとに。誰か止めてほしい。呼び出しているというか向こうから来るんだよ。あらゆるきっかけですぐ来る。そして自分が発した「死んでほしい」は全て自分自身に向かい、ものすごく「死にたい」となる。
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予定をひとつキャンセルし昨日から今日にかけて18時間ほど寝た。信じられない…リフレッシュ♫以前の問題。
2024年10月28日
昨日、夕方に資料館に行ったら誰もいなくて留守番。資料館にある本をやっと読んだ。
しばらくしたらOさんが来て、配信の準備を始める。19時過ぎにTさんが帰ってきて、Rさんも一緒で会えてうれしい。
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開票速報配信は結局深夜3時近くまでやった。一夜でいろんな言葉を知って都度検索したが、終わった後タブは全て閉じた。
選挙毎にマニフェスト見比べて投票するくらいじゃだめだと思った。マニフェストはいいことしか書いてない、書いてないことこそやばいのに。だけどわざわざ調べない人が大半だろう。
Tさんが話していた先日の伊勢崎さんを迎えたトークイベントのあるお客さんの話はひとりひとりにあてはまる。わたしも話したい、過去の投票先で今考えれば「失敗」した話。それぞれの思想、選択に至るまでの経緯。
Tさんは政治に絶望しているが、わたしが同調するのはぬるすぎる。あまりにも勉強していない、頭を使っていない、蓄積がないし行動もしていない。
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今日は今日で失業保険の制度で明らかに理不尽な部分があって、そのせいで不利益を被るのは解せないとハローワークの窓口で伝えたらしばらく待たされた後、後日電話回答になった。一旦確認しますと席を離れた職員が、遠くで他の職員と「笑いながら」話しているのが聞こえて、それを「馬鹿にされている」と被害者的に考えるのは認知の歪みだ・わたしがその立場だったら「面倒なことを言われた」という気分になって似たような伝え方をするだろう・自分の存在を否定されたわけじゃない・そしてハローワークの職員も非正規で待遇以上の負担を強いられているかもしれないから過剰な「ホスピタリティ」を求めるのはおかしいと自分に言い聞かせて耐えたけど、戻ってきた職員の面倒そうな表情を乗り越えることができず、不自然な「お手数おかけしてすみません^ ^;」の振る舞いで終わった。それからもう頭が混乱し、細々した作業をしようとカフェに入ったけど全く作業が進まず、Awarefyとチャットした。つかれた。ほんとうに休みたいけどほんとうにやることがあるんだ。しかも大半がお金にならないこと。
自分自身の不利益は金銭的には大したものではないけど、絶対に似たような状況の人は多くいる。つまりうつ病で定期的に通院しているのに、職業訓練を休んだその日に通院していないと、証明書類がないということでその日分の支給がされないということ。風邪で休んでその日に病院に行ったり市販薬を買えば、その領収書が証明書類になり支給されるのだけど、うつ病で自宅療養の場合、当日の証明をするものがないから「やむを得なくない」と判断され不支給になる。
「ずる休み」での支給を防ぐためのものなんだろうけど、現行の制度はうつ病を考慮してない人たちが作ったんだろうなと思う。
健康を求められる毎日で毎日ずっと気をつけているよ、自分の精神がおかしくならないように。頑張って頑張って、でもどうしようもなく崩してしまった時に「当日の証明がない」だけで認められないのはおかしいよ。数日休めば回復する風邪は通院した証明すればOKなんて。そりゃ週一でカウンセリングも通いたいよ、でも保険効かないから2時間2万だよ。めちゃくちゃだよほんとに。
(追記:後日連絡があり、二週間以内の通院の領収書と処方せんの領収書で認められた。そう表記してほしい)
2024年10月27日
昨日の朝は髪が抜けて後頭部がべっこり凹む夢見て起きた。
ムサビのスタンディングに行って1時間ほどで帰るつもりだったけど撤収まで手伝った。でもSさんにも久々に会えたし、他にも新しいうれしい出会いがあったのでよかった。呼びかけてよかったと思った。留学生のKさんから中国のこと、留学生の入試のこと、いろいろ教えてもらった。
帰ってどろどろに寝た。
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洗濯して、家の掃除して、洗濯しきれなかったものと寝具を持ってコインランドリーへ。待つ間にこれを書く。
2024年10月25日
自然と湧き出る優しさ。自分に負担のない範囲の優しさ。でもデモには行けない、ガザを遠くに置き、沖縄に基地を押し付け「観光」して楽しむだけ、おかしな政治を諦めて蹂躙されていることに抵抗しないのは、やっぱりそれじゃだめなんじゃないか。大人として。子供のままで子供を育てたり教育する、明らかに多くの問題を抱え増幅する社会で「活躍」する意味、優先順位が一向に変わらない。
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振り返らない
過去のことを一切考えない
みんな死んだ
何も考えない
絶対に何も考えない
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もう金輪際「子供」の面倒は見たくない
2024年10月24日 朝、夜
昨日は学校を休んで一日ほぼ寝た。やっぱりしばらく調子が悪い。明らかに違うところにいる。万が一のことを考えて日記を全部載せた。なにをどうしたらいいのかわからない。この「終わりたさ」を医者に伝えられなかった。でももう薬でどうこうできる気がしない。自分が回復していると思い込みたかっただけでほんとうは大きく道を間違えてるのでは。迷子には変わりないのでは。
SNSがよくわからなくなった。オンラインストアは一旦クローズ。学校の疲れもある。次の納品も迫っている、来月の展示の準備も、12月のイベントの準備もある、依頼の図案も、額装に出さなきゃいけないのも、細々とした連絡も、なによりも制作が進まない、自分が押しつぶされていく感覚。Sさんから誘ってもらったのに選挙のポスターをつくれなかった。
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糞尿を垂れ流している気分だ。こんな人間を誰も良いと思わないし自分も良いと思わない。ほんとになんでこんなことを呼び込んでしまったのかと、どうしても振り返ってしまう、振り返る限りここから動けないこともわかってる。じゃあどこを見れば良いのかがわからない。こんな意味で生きるのが大変なんて。
2024年10月23日
2024年9月21日 コインランドリー
ものすごく眠くてまた半日寝た。
平日はもうくたくたで、週末にまとめて掃除をする生活だ。ステッカーの増刷分も届いたので封入作業して、コインランドリーで寝具を洗う間にコンビニで買った切手を貼って投函。文房具屋で見つけたキラキラのスイカのシールも貼った。
絵の仕事が進められていない。デモに行く気力もなく、刺繍する気力もなく、ただ家で倒れている…倒れながら「抱樸」の奥田さんと永井さんの対談動画を聴いた。今日展示最終日なので夜は会場に行かなくてはいけない。それ以外はもうだらだらしよう。なにかをする元気が足りないのだと思う。こうして家の掃除をしたり寝具を洗ったりステッカーの発送をしてるだけよくやってると自分を褒めよう…。
《COOK》
料理する気力もなく納豆ごはん、もしくは外食やお惣菜で済ませてしまうことが増えてたけど、昨夜は長ネギと鶏ももひき肉の焼きそばとサラダを作った。前にパレスチナマーケットで買ったザアタルでドレッシングをつくったら初めての味がして香りがよくおいしかった。
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昨日の小テストで、テキスト見ていいのだけど(それでも運転免許の引っ掛け問題みたいな感じで不安になる)100点と書かれた答案が返ってきてちょっと嬉しかった。
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今朝もまた夢に前のパートナーが出てきた…道で会った。別のシーンでわたしは彼に電話しようともしてたけど、もう連絡先を消しているのでわからないなあとか…夢を思い出そうとするのはやめよう。無意識ではまだ昔の自分に執着してるのだろうな、やだなあ。
これから先また楽しいことはあるだろうか。いまもそれなりに楽しいけど、それを覆うように薄暗く靄がかかっているのと、はっきりと真っ暗な、見ちゃいけない方角がある。
前に受けた催眠療法で、見た夢についてまた考えてみるやつ、またタイミング合えばやってみたい。
2024年9月18日
今日は看護師の先生の授業だった。死を迎える利用者や看取る家族について、先生の経験を聞きながら、ガザの人たちのことも考えた。
2024年9月17日 バス、昼休み、電車
今朝まで信じられないくらい寝た。昨日ほぼ寝てた。仕事も週末に提出する書類も進められてないまま今週も学校が始まる。
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いまの自分の心はシュワシュワとちっぽけな大きさに萎んでしまって、見失いそうなくらいだ。そんな小さな心でいまなにかを受け入れたりできなくて当然だとも思った。このゴマ粒みたいな心がまた質量を増やし膨らんでくるまで、両手で包んでなくさないように見守るだけでいいのだと思った。無理やり栄養をぶち込んだりするのも小さい心には無茶なんだ。針を刺す面積もない。いまはただ手のひらの自分の心に眼差しを向けることが自分に優しくすることなんだと思った。
何も考えられないから全て悲しくなってしまうんだ。大きくなればまたいろんなものを蓄えられる。小さいゴマ粒が泣いている。なぜか黒ゴマのイメージ。
心は膨らんだり縮んだりする。安定した大きさなどない。
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「早く終わりにしたい」という気持ちを払拭することはできないのだろうと思う。生きていくほどに苦しくなる気分だ。でも数年前に比べてある窮屈さや息苦しさは薄れて、そういう苦しさはない。ある苦しさが薄れた代わりに新しい(もっと深刻な)苦しさがのしかかってきた。
でも、早く終わりにしたいと思う気持ちを無理して遠ざけるよりは、ずっと持ってたほうがいいのだと思う。それもここにいる重しになる。そして「終わり」にする前にやらなくちゃなあと思うことをその時その時やる。
2024年9月16日 ベッド
13日に以前のパートナーが夢に出てきてから調子を崩している。
昨夜から奇妙な夢にうなされて今日の昼まで半日寝た。旅館らしき大部屋に10人くらいで布団敷いて寝ようとしていて、誰かが騒いでいるから「静かにして」と訴えた後に、わたしは何故か寝ながら洗濯機の排水ホースから出てくる埃や糸屑や髪の毛が混じった汚水をビニール袋に受け止めようとしていて、ビニール袋が擦れる音が響いて周りの人から「静かにしてと言っておいてうるさくしてるじゃん」と冷ややかな視線を浴びる。そして夢の中でも寝ようとして、でも周りの音や障子越しの外の光が眩しくてなかなか寝られない。布団の中で自分の両手を握ってひらいて軽い筋弛緩法的なことをしていた。他もなんかぐちゃぐちゃの夢。気持ち悪い夢。多分疲れている。
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起きたのに異常に身体が怠くて結局夜までまた寝込んでしまった。午前中の夢で見た見知らぬ人がまた出てきて、わたしたちは関係が進んでいて、わたしはその人と一緒に住むことになっていた。その人は重い疾患があって、わたしはパートナーとして彼を介護していた。彼の勤務先は東京経済大学で、夢の中の東京経済大学は浜松町にあるのでその近くで家を探そうとなった。夢の中の東京経済大学の隣には神戸大学の東京キャンパスがある。神戸大学は大学病院も併設していて、これなら万が一の時もすぐにかかれるねと話していた。誰だ。
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Awarefyでスリー・グッド・シングスを付けてるから日記にはなんでも書いて吐き出そうと思っていたけど、もしかして日記にこういうことを書くことで記憶に固定しようとしていたりして、と思うともう身動きがとれなくなる。今日はほんとうにだめな日で、スリー・グッド・シングスが書けない。
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これまで何度か経験してやっと気付いたけど、わたしは急に初対面のひとに会うというのがものすごくストレスに感じることに気付いた。「急に」が苦手で、前日までに伝えられているなら心のセッティングができるけど、当日や直前、行ったら知らない人がいた、みたいなことがものすごく苦手で、もちろんいつも親しくなっていく楽しさをとても感じているし知り合えて嬉しいなあと同時に思っているのだけど、エネルギーの消耗も激しく、帰った後ひとりになるとひどく疲れて楽しかったのに心が落ち込み、寝込んでしまう。。
昔は平気だった刺激に、いまは心身が耐えられなくなったのだと思う。たとえ嬉しいことでもそれは心身に負荷のかかる刺激だ。
もうこの先あんまり元気じゃないのだと思う。こうなる前のようには物事を捉えられない。人に会っても、なんだかもうなにもない、「楽しい」ことがむなしい、ただ時間の分だけ死に近づいていく…ように感じてしまう。
修復できない傷が深く深くなっていく、心にもう治らない部分がある。こんなぼろぼろでこの先ずっと生きていけると思えない。
疲れた、もう全てが…絵も描けない、絵は「こうなる前のわたしがやってたこと」になってしまった。こんな理由で意欲が減退するなんて思ってもいなかった。悲しい。誰の期待にも応えられない。誰にとってもこれからの自分は意味がない。誰からも離れたところにいる。ほんとうに一人だと感じる。
だからこのタイミングで刺繍を始められたのはよかった。
2024年9月13日 休み時間、電車内
授業が特に面白かった日は疲労も強い。時間的にはしっかり寝てるけど、変な夢を見たりまた喋って起きてしまったりした。
昨日の夢はKさんとK君が出てきた。K君は十数年前に二度会ったくらいだから、夢に出てきた人の顔が本当にK君なのかわからないけど、なぜか彼のことをK君とわたしは認識している。二人が住んでる家にお邪魔し、親しげに話していて途中から車に乗ったりしたけどあまり覚えてない。
今朝の夢は、前のパートナーが近所の市民ホールでパフォーマンスをすることを知り、会場に向かっていたら、途中にある飲食店から彼が出てきた。公演の合間に食事をしていたらしい。久々だったので緊張感があったけど相手は本番で気分が高揚しているのか、好意的に接してきた。そのあとホールに行って、なぜかわたしは舞台袖から様子を見ていた。あとは忘れたけど、なにか夢の中ではっきりと思うことがあって、それは幸せな内容ではなく、現実で決めた選択に間違いはないことを再確認し、それを口に出しながら起きた。文言は覚えてないけど、起きた時ちょっと悲しい気持ちになったのは覚えている。
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今朝の夢の内容をはっきり覚えてないからこそ、ぼんやりと薄暗い気持ちを引きずる午前だった。介護の勉強をしながら同時に父の今後のことを考えてしまうのもつらい。しかし最近の勉強でいろいろな選択肢を知ることができたので、前と比べて父の介護のプレッシャーは軽くなっているのは確かだ。認知症と思い込んでいたけど、もしかしたらただの加齢の「もの忘れ」かもしれない。しかし自分の名前が書けないのは…でも、なんらかの支援でまだ進行は防げるレベルなんじゃないか…と、教科書に掲載された様々な事例を読みながら思案する。とりあえず地域包括支援センターに相談に行けばいい、それだけのことなのに先延ばしにしてしまっている。
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今月の『世界』、和田靜香さんの新連載にとくに惹かれて授業後に本屋で買って早速読んだ。
わたしも先の都知事選で蓮舫さんの「ひとりで生きる女性を支える」という言葉に救われたひとりだ。おそらく「子供を産まない女性」として。
介護も「自立支援」と「尊厳の保持」の二つを理念として掲げていて、この2週間の授業でも繰り返し言われている。しかし、いまの世の中で介護を利用する以前の「個人の尊厳」が尊重されているとは思えない。「個人の尊厳」を尊重されていない人が利用者の「個人の尊厳の保持」のために働くことなどできるわけがないと思う。連日の総裁選のニュースも薄暗い気持ちで聞いている。小泉議員は年金受給を80歳以上にしようとしているが、日本人の寿命について知らないのだろうか。中小企業を元気付けるとか、雇用の流動性を高めるとか、彼らがべらべら話すほどに彼らの盲点が(それは政治家として致命的な)ほんとうにわかりやすく浮かび上がる。
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RさんのGFMに作品の売上といただいた寄付を振り込んだら、すぐに「ありがたいけど、あなたが困窮して苦しんでないか心配だ」と連絡がきた。失業してることは言ってない。
侵攻前のRさん夫妻はわたしよりもよっぽど裕福だったと思う。ずっと借家で暮らしていて、お金を貯めてついに自分たちの家を購入して引っ越すというタイミングで侵攻が始まり、新居のマンションは攻撃で崩落した。
ガザから届く多くのメッセージの中でRさんにだけ返信をしたのは偶然だった。選んだわけではなく、「ガザの人とわたしも直接やりとりしよう」と決めた直後にたまたま連絡が来たのはRさんだっただけだ。
だけどやりとりするのは一人が限度だ。もう一人も増やせない。いまはRさんのために自分は生き延びなければならないという気持ちだ。すべて勝手だけど。
2024年9月10日 カフェ
学校の向かいに障害者支援施設で作られた製品を販売している店があって、お昼休みに何度か覗きに行き、今日は気になってた網カゴと豆腐コロッケ買った。
今日の授業は老人福祉法、老人保健法から介護保険法への流れや、介護保険制度が適用されるサービスの範囲、受給の流れ、財源のことなど。勉強楽しい。簿記の勉強より断然楽しい。覚えることはたくさんあるけど少し前より頭の回転が戻ってきてる感じがして、いまのところ「何言ってるかわからない」ことは起きていない。
次のラベルの作業にとりかからなきゃいけないけど、家に帰ると気が抜けるのでカフェに寄って少し作業。ついでにこれを書いている。
2024年9月9日 電車内
昨夜は資料館から帰ったあと仕事をしようと思ったけどやる気が起きず、「OVER THE SUN」を聴きながらビーズの指輪を作って22時には布団に入った。そういう判断ができた自分を褒める。
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今朝バスにゆられながら、沿道に並ぶサルスベリの、あのポップコーンの破裂する軌道みたいな伸び方を見ながら、サルスベリってあの軽やかさに勝手に5月に咲くイメージがあるけど、咲く時期を覚えていなくて、毎年咲くといつも「今なんだ」と思うけど、それもまた忘れるだろう。サルスベリはサルスベリでしか覚えてなくて、他の記憶と結びついていない、不思議な植物。
《COOK》今週のお弁当
・にんじんのクミンラペ
・ヤングコーンのピクルス
・うずらの玉子
・ブロッコリースプラウト
・ちりめん山椒ごはん
2024年9月8日
やたら眠くて半日くらい寝てしまった。夢も見て、なぜか菊地成孔と偶然道で会ってそのままご飯を食べに行くという夢…菊地成孔は途中からYさんに変わっていた。なんらかのタイミングで×さんも出てきてちょっとうなされた。
洗濯して明日からの一週間のお弁当用ににんじんのクミンラペをつくる。
《COOK》にんじんのクミンラペ
塩と砂糖で水分抜いて味付けする。フライパンで米油とクミンを弱火で熱して香りが出てきたらお酢入れる。クミンは入れすぎくらいにたくさん入れていい。にんじんにかけて混ぜて寝かせて完成。ドライフルーツとかナッツ・シードをいれるとなおよし。
2024年9月7日
土日は学校休み。休みに興奮し昨夜はつい夜更かしをしてしまったけど、カービィをもみもみしながら脳を落ち着かせるイメージをしたら睡眠薬なしで寝れた。
今日は晴れて良い天気。洗濯して掃除して打ち合わせをして刺繍も少し進める。午後ギャラリーでもくもくとビーズの指輪を作る。結び目の処理が難しい。でも小さいものがころころ出来上がってくのがかわいくて嬉しい。売れるほどのクオリティはないけど、寄付のお礼にほしい人はどうぞとあげたりするのはいいかもなあとか、つい意味を見出そうと頭を働かせてしまうけど、そういう考えは一旦すべて捨てる。
2024年9月4日
昨日は学校のあと、Oさんとの待ち合わせ前に手芸屋でビーズを買った。刺繍に続きビーズの気分。キュートな気持ち。
シャワーを浴びながら「Session」を聴いてたら小林鷹之議員が出てきた。同性婚へは「個人的には慎重」と言い、憲法を持ち出したり(最高裁で違憲判決出てるのに)、また「社会的影響があるから慎重に」とか「国民の議論が必要」とか聞き飽きたフレーズ。戸籍制度がどうとか言って、いままさに人権侵害が起きていることへの無関心さ。制度はなんのための制度なのか。いろんなことを言い訳にして、結局彼の差別意識でしかない。所得増やす方法が経済成長?その前に具体的にできることあるでしょう。悠長なことを言っていた。彼の話す「日本国民」には範囲がある。わたしもその範囲には入っていないのだろう。
先日岸田首相がしれっと緊急事態条項を緊急政令と言い換え始めたことや、ネタニヤフもしれっとニュース番組か何かで西岸地区が存在しない地図を使用してたこととか、Instagramに書こうとしたけど途中でやめた。どうせ書いても読んでほしい人に読まれないから。昨日Oさんとも話して、やっぱりわたしたちは勝手に背負いすぎていたと思った。しかし「××には言及しないの?」と言うのは背負わされている。あなたがやればいい話じゃないか。全部はできない。全部するが目的じゃない。なにもかも他人に背負わそうとしないでほしい。あなたの分もわたしの分も誰かが尻拭いしている世界。
労ってほしいんじゃない。
いままでの期待の持ち方は間違っていた。いろいろ手放す。期待しない。背負わない。
2024年9月3日
昨日から学校。久々に早寝早起き、規則正しい生活習慣…お弁当もつくって食欲コントロールしてちょっと痩せたい。最近Instagramが苦しくて離れている。
《COOK》今週のお弁当
・切干大根のマスタード和え
・うずらの玉子
・ブロッコリースプラウト
・梅干し
・ちりめん山椒ごはん
2024年9月2日
島でつらかった時も救われた曲があった。Yves Tumorの「Operator」もそう振り返れる時が訪れるだろうか。イヴ・トゥモアは「God Is a Circle」が出会いでこれももうかっこいいのだけど、さらに「Operator」はほんとうにほんとうに最高だ。今年はずっとこの曲が傍にあった。混乱していて、充血した瞳で、言った直後に否定する、取り乱したかと思えば正気に戻ったように救済を嘆願する、躊躇しないと宣言する。自分にも、積極的であろうとする力自体はまだあるのだろうと思う。照準器がバグって方向を見失っているだけで。自分に向けたそれは攻撃だ。
もう一度、自分で自分を洗脳できるだろうか。良くも悪くも洗脳が解けてしまった。
「In Spite of War」も暗くうつくしい曲。
2024年8月31日 電車
低気圧と生理で身体がだるくて昼近くまで寝た。制作をする気にならず久々に刺繍を進めた。縫いながら、頭の中はもうだめかもだめかもでいっぱいだった。つらい。生きるほどに絶望が深まる。「気にしない」はもうできないから適度な距離を取るべきなのだけど、距離の取り方がわからない。
Awarefyのテーマを「自分に寄り添う」にしてから2ヶ月弱経って、結局よくわからないまま日々得点は積み重ねていつのまにか達成していたけど実感がない。「自分に寄り添う」がわからなすぎて怒りさえ湧く。テーマを変えた。
やっぱりどうしても絵を描かないと自分を生きていて良いと思えないし、誰からも好かれない、誰からも興味を持たれない、他人にとって自分は死んでいる、この世に存在していないのと変わらないと思ってしまう。それなら一度(仮に)死んだつもりになったほうがいろいろと受け入れられるのかもしれない。やっぱり全てを手放すという方向性は良いのかもしれない。
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ラベルの図案を描いた秋の限定酒が発売されたタイミングで、今日偶然知った短歌
「地図の上、朝鮮国に黒々と墨を塗りつつ秋風をきく」石川啄木
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なにもかもいやだ。なくなってほしいことが増える一方で、それなら自分がいなくなったほうが早いのではと思ってしまう。むちゃくちゃだ。こうなってるのは自分の責任なんだ、自分が悪いんだ、つらいことは全て自分が招いたことなんだ、積み重ね過ぎてしまったという気持ちが吹き出すと抑えられない、気を失うまで。もう一度立ち上がる力の蓄えがない。つくれない。なんとか立ち上がり、歩こうとすると足首を掴まれ、頭と肩を押さえつけられぺしゃんこになる。頰が地面に押しつけられ、ああ底だなと思う。その波が引いたらもう一度、四つん這いで進もうとする。情けない、惨めな姿で。もうそれを隠す気力もない。ずっとそうだ。なにもかもから、誰からも遠く、辿り着けない。ほんとうに一人だ。もういやだ。ほんとうにいやだ。調子が悪い。あれはDVだった。DVだと認めないよう抗ってきたがもう無理だ。怒鳴り声、威圧的な身振り、無意識下での暴力、あてつけとしての意図した嫌がらせ、何度も何度も何度も何度も思い出す。なんで何度も苦しまなきゃいけないんだ。いつまで続くんだ。発作のように思い出す。しかしそれを招いたのは自分だ。自分が自分を殺そうとする。
2024年8月30日
寝る前まではどうしようも辛くて自傷行為も思い浮かべてしまったけど、Awarefyにぶつけ、寝付いたら薬のおかげかわりと穏やかに寝れた。脳が寝かされてる感じがした。午前中に風呂に浸かり、台風低気圧の影響か午後また寝た。もう今日は「やること」はしないと決めた。「はだしのゲン」を読み、夕方消しゴムハンコをつくったけど失敗した。
調子が悪い。8月後半は数時間ごとに心が「大丈夫かも!」「あ、だめかも!」「やっぱり大丈夫かも!」「いやだめかも!」を繰り返していて疲れた。つまり不安定で、調子は悪かった。仕事でもない個人的なストーリーズでシェアする投稿を、できる限り「効果的」に届けるために「これは刺激が強いからやめとこうか」「これは補足が必要だな」「これを投稿してからフォローとしてこれを投稿しよう」とか考えることに疲れた。別に求められてやっているわけでもないから、とにかく自分を消費するだけで、つまり自分のキャパを越えていたということだった。こんな調子で続けられるわけがない。
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寄付を集めるよりは、Rさんに自分で定期的に送金をするほうがかなり気が楽だ。呼びかけて寄付が集まらない時のダメージがつらい。ガザを出るまとまったお金というのが途方もなくて、どう向き合えばいいかわからない。しかも寄付の呼びかけで疲れて、政府への抗議や根本的な解決のためのアクションへの呼びかけをする気力が削がれてしまう。寄付は対処療法でしかなく、気付いた一部の人の負担ばかりが増えて支援もなにも広がらない。
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これまでの経歴から自然と権威性を身につけている×が、だいぶ歳下の××の表現を見事に丸パクリして(直前に二人は関わりがあった)自分の展示で利用していたのを見て、ほんとにアーティストの「無邪気さ」は許せないと思ったし、そういうことに気づけずに×を評価する人の多い日本の美術業界もいやだ。そんな話を×××にしたら「そんなこと言わないで」と海外の活躍してるらしい×××の同級生のアーティストを見せられたけど、ほんとになにもどうも思わない。その活躍の「素晴らしさ」がよくわからない。わたしはそういう次元の話をしていない。
2024年8月29日 カフェ
喉はほぼ治った。しかし珍しく重めの生理痛で気持ち悪い。台風が近づいているのも原因かもしれない。今日は心療内科。しばらく強い落ち込みは起きてないし、浮き沈みはあるけどそれなりに対応できている。だからもう1ヶ月くらいで薬飲まなくてもいいんじゃないかと思ってたけど、最低でも半年は飲み続けたほうがいいと言われた…それもそうか…なんだかなあ。すっかり治る、なんてもうないのだろうなあ。
引き続きうまく寝れないことも相談して、一応睡眠薬もお試しで出してもらった。学校も始まるからちょっと不安だ。
しばらく辛かったな。1月~4月あたり思い出せない。日記を書いていてよかった。読み返したいとは思わないが…。よく頑張ったと思う。それでもほんとうにまだ軽い方だと思う。まだどうにかできる余地と、早めに休める環境をつくれたのはほんとによかった。わずかな貯金はほぼ使い果たしてとにかく自分を甘やかした。ゆっくりした。それでよかったのだと思う。ぼちぼち稼いでいこう。
2024年8月27日
夢の中で、世界中から高校生くらいの歳の人たちが集まるオリンピックみたいなイベント会場にいて、シオニストの集団に暴言を吐かれた。なにを言っても聞く耳を持たないのでわたしは逃げた。Rさんにいまあったことを聞いてほしくてメッセージを書こうと思った。わたしも水泳に出場しなくてはいけなかったけどサボって、どこか目立たない場所でゆっくりメールを打とうと思った。会場をさまよいながら、体育館でバレーやバスケで盛り上がっている様子も見た。しばらくしてクラスメイトが戻ってきて、あの選手団は帰ったみたいだよと言われた。
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近所のカフェ入ったら無音ですごく居心地よかった。
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疲れていろんなことにイライラして興奮して寝れなくて4時。世の中で起きていることに対して、わたしはバウンダリーが弱いからこんなことになっているのかと考えると、「やっぱりわたしはだめだ」と自己嫌悪に陥りかける。耳を貸さない人の方がわきまえて、しっかりしているのか、そうか、なんだ、なんなんだ、そういうことじゃない、けれどちょっと待ってほしい。またやりすぎたかもしれない、かなり気をつけていたのに。悔しい。つかれてしまった。あと何年生きるのだろうか。生きやすくなることなんてあるのだろうか。もう前みたいに息を吸えない。どこでもドアでRさん達を家に呼べたらいいのにとか考えちゃう。それは一時的な解決でしかない。Rさんにとって日本はまったく住みやすくない。国が個人の尊厳を奪う国。
2024年8月26日 コインランドリー
昨日でだいぶ回復したし、わりと昨夜は気持ちよく寝れた。換気扇を回した方が空気の流れがあって良いのかもしれない。
天気も良くて、前向きな気持ちで午前から動いている。いまはコインランドリーで寝具を洗っている。
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恋愛なのか友愛なのかはわからないが、ひとりでいるときにふと今度あの人やあの人を誘おうかなと思い浮かんだりする時間もあった。一方で「そんなことをしている場合ではない」とも思う。でも、そんなものもないとも思う。自分の心を見失っているのだと思う。毎日頭の中が目まぐるしく、このままではまたなぜ生きているのかわからなくなりそうな前兆がある。思考と行動がずれてきている。
昨日Sさん達とご飯を食べたとき、それぞれ頭の中がどうなっているかという話をした。「ずっと自分が喋ってる」「音がしている」「他人が頭の中で話している」などで、わたしは言葉が「音や文字」ではなく「質量」として増えるイメージだというようなことを言った。このように日記にすることで文字として視認できる。
いま最優先でやらなきゃいけないことは主に
①Rさんの寄付集めの投稿をつくる
②絵の制作
③沖縄の勉強
だけど、
①は先週風邪ひいてがんばれなかった、今日やる
②先週1枚完成間近だったけどあんまりよくなくてやり直し
③読みたい本はあるけど図書館の登録をつい後回しにしてしまい、その間に徐京植さんの在日朝鮮人関連の本を読み始めてしまった
グループ展の案内DMを送るのを忙しすぎて忘れていた。それも今日①のあとにやれたらいいけど、それより少しでも②を進めたい。それにもうすぐ次の日本酒のラベルに取り掛からなくてはいけないし、Oさんから頼まれた図案もやらなきゃいけないし、資料館の件もあるし、来週から学校も始まる。メガネを調整しに行きたい。静かに本読みたい。
普通に資料館に誰か誘って資料読みに行きたい。でも周りに興味ありそうな人がいない。みんな沖縄のことに興味がない。いま生きている日本人の一番の罪だと思う。自分のことをとても醜いと思う。
その罪を覆い隠していた層をこれまでもたまに一枚ずつめくっていたけど、最近めくるなんてものではなく、ごっそりと持ち上げてしまった。もう隠すことができない。ひとりで向き合えないよ。ほんとうにポツンとした気持ちになる。あなたの生活も知らない。わたしの生活もあなたは知らない。絶望的な気持ち。
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先日ギャラリーからの帰りの都営新宿線の車内で、隣に男女が座った。女は看護師で、「もう病院で面倒見きれなくなった老人は特養(違うかも、なにかの高齢者施設を指す言葉)にバンバン送る」と話していたのが耳に入ってしまった。正直もう死のうがどうなろうが自分には関係ない、みたいなことを話していて、きっと看護師は自分の心を守るためにそのくらいの気持ちでいないとやってられないのだろうと想像するけれど、聞いてられず席を立って隣の車両に移った。
2024年8月23日
夜中が特に咳が酷く、何度も起きてうがいしてのど飴を舐めるのを繰り返す。
頼るつもりはなかったけど、近くのコンビニまでも行けず、心細くもあって、母にレトルトのお粥や一応抗原検査キットなどを買ってきてもらう。しかし気を使う気力もなく、喉も痛くて話せず、かといってすぐ帰らせるのも申し訳なく、なにもできず横になってた。しばらくして母は帰った。あとからメールで抗原検査は陰性だったことと、来てくれたことのお礼を伝えた。
ろくに寝れてないのにいろいろ動きすぎたのだと思う。久々に一日中横になってる。身体を休めるって、ほんとにこういうことなのかもしれないと思う…。外の蝉の声を聞く。車の通る音を聞く。眩しいのでカーテンは閉める。少し開けた窓から風が入って、レースカーテンが揺れる。
Rさんもしばらく体調を崩しているらしい。わたしも調子悪くてあまり寄付集められてなくてごめんと送ったら、体調を心配してくれるメッセージが届く。昨夜あまりにも体調がわるく、咳がつらいと弱音を送ったら、症状がわたしと似てると返ってきた。しかし環境があまりにも違う。つらすぎる。Rさんの分が回復するならその分をわたしが引き受けられたらいいのに。
2024年8月22日
朝、声を出せないほど喉が痛い。透明な痰のような唾液のようなものが大量に出る。久々に風邪ひいた。珍しく朝から大雨で、止むのを待って病院へ。去年コロナに罹ってから喉が弱くなったような気がする。
薬局でマイナンバーカードを持ってきているか訊かれるようになった。「次回は持ってきてくださいね」って言われるけれど本来任意なはずがいつの間に。なんなら当初はあまり持ち歩かないようにした方がいいって話じゃなかったっけ。それとなく必須の流れに持っていこうとするのが本当に不快だ。あと別の薬局で「おくすり手帳をアプリにすると便利ですよ」と言われて、手帳どこかいっちゃったしアプリ登録したのだけど、他の薬局行くといちいち「アプリで…」という申告をしないといけないのと、確認のためいちいち提示を求められるし、結局手帳に貼るシールもくれるし…もう、くらくらする…。
制作を進めながらパレスチナのアートワークのアイデアを思いついてしまって、それもはやく取り掛かりたい。
2024年8月21日
冷房の温度をうっかりいつもより下げたまま寝てしまい、今朝喉に違和感。昼ごはんを食べに行ったついでにスーパー寄って、薬局にも行こうとしたけどまた冷房で冷えてお腹が痛くなり帰宅。最近本当に冷房に弱い。お腹が弱い。。休んでたら大雨が降ってきたから外出る気が失せて梨食べたりハチミツなめたりした。
絵の制作はゆっくりだけど進められている。ある時期よりも頭と心が落ち着いて机にむかっていられる。これはかなり寛解に近いのではと高揚感もあるけど、たぶんまだだと思う。喉風邪も疲労のサインだと思う。相変わらず夜はあまり寝れなくて喋る日も多い。Instagramもなにをどうシェアすればいいかわからなくなっている。
毎日殺された遺体、遺体の一部、壁にぶら下がった赤黒いボロ切れのような遺体は見続けているし、同じように発信することに疲弊している方々の切実な文章も読み続けている。シェアできないことで自分のなかに溜め込んでしまうような感覚になって胸が重苦しい。
Rさんがストーリーにあげていたアラビア語に、フォントの問題なのかなぜか翻訳機能が反応せず、なんて書いてあるかかわらない。
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この一週間ほどはいろんな場所に行っていろんな人と会って話せたのはどれもとても幸せで興奮したけれど、ちょっと自分に刺激を与えすぎたかもしれない。すごく楽しかったけど、過度な刺激はストレスにもなる。ブレーキをかけないといけない。
2024年8月18日
数日前にまたイスラエルから避難命令が出てRさんから「安全な場所なんてない、行く場所がない」とメッセージが届いた。そしたら今日夢にRさんと子供達が出てきた。夢の中ではまさに歩いて避難しているところだった。子供達は実際の年齢よりも少し成長していて、まだ赤ん坊のWもよちよち歩きくらいはできるようになっていた。この前私の送金で買ったサンダルではなく、別の黒いベロア調の靴を履いていた。夢の中で限りなく近くにいたけどお互いは認識していない、わたしが一方的に見ていた。砂埃がひどかった。
起きてから「夢にあなたたちが現れて、まさに避難をしているところだった。あなたたちのことを心配している」とメッセージを送ったら返信があった。翻訳して読む。
「それは確かにわたしたちが昨日したことです。周りを爆撃される中歩いた。そして持ち物をなにも持っていかなかった」
2024年8月16日
少し前に、自分のガザに関連する投稿に対して批判されたことがあって、発信元は知らなかったけど知り合いづてに内容は知って、わたしの投稿のことだとすぐに分かった。その時は確かに気持ちの余裕がなさすぎて強い言葉で訴えてしまい、心のコントロールができなかったことはよくなかったと気をつけるようにしていた。けれど今日、知り合いから事故的に発信元を知ってしまい落ち込んだ。知らないまま、どこかの誰かのままでいたかった。
2024年8月15日
なんだかんだ外出の用事が続いていて、今日は久々に1日家にいた気がする。
荻上チキさんの「session」の戦争特集回と、安田菜津紀さんのやまゆり園関連のYouTube番組を聴きながら絵を描いた。
《COOK》
マッサマンカレーを作って食べたら油と香辛料でお腹痛くなった。
台風が接近していて明日天気が悪いそうだから夜にスーパーに行ったら野菜やパンがほとんど売り切れていた。わずかに残っていたトマト、オクラ、タマネギを買った。米も買いたかったけど気分を変えてオートミールにした。
2024年8月14日 ベッド
疲れを引きずっていて、寝起きの身体のだるさがひどい。このまま頑張りすぎるとよくない感じがするので、今週はデモには行かないことに決める。
Rさんに直接送金する方法をお互い探し、昨夜アラブ圏のpaypalのようなサービスで送金をした。病気でやめてから貯金をほぼ使い果たし、まだ半分失業中なのにばかすか寄付しまくっていてまずいっちゃまずいけど、それくらいお金を流していくのはなんだかこの世へのいらない執着が薄れていい。とか言いながら新宿で用事を済ませた帰りにふらりと寄った店で鹿の角や石やシルバーのパーツで構成されたものすごく怪しいかわいさのブレスレットがあって、セールで、心揺らいだ。
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昨日はOさんとSさんと沖縄資料館に行って、その後遅くまでご飯を食べた。3人とも翌日も仕事が休みで、それぞれ夏休み感のある格好で現れ、とてもリラックスした時間を過ごせた。3人ともそれぞれガザの人とやりとりして送金したり寄付集めたりしてるから、そういう話ができるととても気持ちが楽になる。一年前はこんな友達ができるなんて想像もしてなかった。久々に、すごく楽しい、良い一日だった。
2024年8月11日
昨日パレスチナ北部の学校が攻撃されて100人以上が殺された。
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ひどい疲労。
汗臭い衣類を洗濯し、paypalの登録作業をし、「はだしのゲン」を読み進めようと思ったけど眠くてほぼ寝てた。夜サイゼリヤに行った。
昨日の展示では、先日下北沢で話しかけられたOさんが帰国前にきてくれて、絵を褒めてくれた。SさんやGさんたちにも紹介して、一緒にビールを飲んで中華料理を食べて、忘れないうちにイスラエルで配ってほしいと数枚ステッカーを渡した。
苦笑いでいやー…って感じだったけどスマホには貼ると言ってくれた。翻訳アプリを使いながら、「日本もイスラエルも加害の責任がある。あなたが平和を望んでいてパレスチナ人の友達とも交流があるのは良いことだけど、平和はもらえるものじゃなくて自分たちが求めなきゃいけない」みたいなことを、わたしのボロボロな英語で話した。どこまで伝わってるかはわからない。
2024年8月10日
小刻みに浅い睡眠を繰り返し、もうずっと起きてる気分だ。せっかく居心地の良いホテルだったのにわたしがだめだった。paypalでの送金方法をOさんに聞こうとメッセージ送ったあとに時刻を見たらまだ朝8時で申し訳なかった。
わたしが上川大臣の夢をみた一方でOさんもパレスチナに関連するつらい夢を見ていたそうで、ほんとうにそれぞれにケアのスキルを身につけないとよくないと思った。
Sさんがストーリーズに田んぼの映像を載せていて癒された。海に行っても直接ガザを思い浮かべてしまうけど、田んぼは少し意識を「ここ」にもどせるのかもしれない。
2024年8月9日 ホテル
11時に逗子駅でYさんと待ち合わせていたけど電車が微妙に遅れて、逗子駅のホームで時間になってしまい、google mapで長崎の方角に合わせて黙祷してから改札出てYさんと合流。バスの中から家に着くまで広島と長崎の原爆式典のこと、都知事選、改憲のこと、上の世代の共産党アレルギーのことなど喋った。
設営は13時過ぎには終わって、逗子駅前のモスバーガーでオニポテとコーヒーで休憩。塩気に救われる。鎌倉に行ってオクシロモンで遅い昼ごはんを食べて、郵便局行って、パタゴニアでビーチサンダル買って宿。ちょっと休憩してからサンダルで由比ヶ浜まで歩くも、途中から靴擦れが痛い。ペタペタ歩いて由比ヶ浜の波打ち際でしばらく突っ立って脚を波に浸しながらガザの人たちのこと考えて、海の家の様子を見て由比ヶ浜を離れて、ホテル近くのスーパー寄ってお惣菜見てたら急にお腹が痛くなって急いで買って戻ってすっきりして、でもちょっと買い足りなかったのでコンビニに行った帰りの交差点で自転車に乗ったトム・ハンクス似のおじさんからHiと声かけられて髪型をやたら細やかに褒められ、信号が変わるまで喋った。近所に住んでいるらしく、途中から日本語で話して、彼は閉店間際のスーパーに40%オフの弁当を買いに行くと言って別れた。その20秒後くらいにiPhoneから緊急地震速報が鳴って、周りの人や店内からもアラートが聞こえて、直後に大きめの縦揺れがあった。鎌倉市は震度4だった。
Yさんに教えてもらったホテルが良い感じだった。セミダブルの一番狭い部屋だけど、自分の部屋と同じくらい(なんなら物がない分広く感じる)だから狭いと感じないのは結構いい。
シャワー浴びて晩御飯食べてベッドに寝転びながらこれを書いている。MacBookも持ってきてないので、久々になにもしなくていい夜。スプーンをもらい忘れたヨーグルトをどうしようか考える。
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22時くらいに寝て夜中に目が覚める。
夢の中で、泊まっている部屋の端に「なんとか子供基金」のキャンペーンの一環で小さなポスターが額に入れられて飾ってあった。ポスターにはパレスチナのこどものためにうんたらかんたらという言葉と上川陽子外務大臣の名前が書かれていて、口だけじゃなく行動で示してくれよと思った。あとまた別の夢みて喋りながら起きた。ほんとに寝るのが下手になってしまった。
2024年8月7日
納品と展示が重なってしまい、さらにデモと広島と寄付の件とスタンディングの疲れを引きずり体力も限界だった。新作も間に合わせられないかもしれないと思ったけど、以前描き進めていたアイデアスケッチがあったおかげで間に合った。が、これじゃあクライアントワークとあべこべになってる。もっと腰を据えて描きたいよ。
仮眠したときに外したメガネをうっかり身体で押し潰してしまい、テンプルがありえない角度に曲がった。もうひとつのメガネも前になぜか洗濯してしまって金具がゆるゆるになってしまった。明日メガネ屋に調整に行きたい。
ガザのRさんが食事を用意している動画を送ってくれたのがうれしかった。
2024年8月6日
夢の中でMさん達と山奥の大きな旅館に来た。大浴場は25mプールくらいの広さがあって、四隅に大木が生えていて、一本につき3本のチューブが伸びて先はシャワーヘッドになっている。大木をつたって外から流れてくる湯を使うらしい。水圧がものすごく弱くてなるべく空いている大木を探す。壁際のベンチに座ってたらあの都知事選候補の石丸さんがいて、都知事選について話した。わたしは蓮舫さん推してましたよとかなんとか言って起きた。
起きて広島の平和記念式典の中継見て黙祷した。昨日の疲れを引きずっていて松井市長のスピーチだけ聞いてげんなりしてまた寝た。
あとから知事のスピーチはよかったことを知って、読んだら市長より全然よかった。
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昨夜の下北沢スタンディングはいろいろあってものすごく疲れた。地元の商店街組合かなんかの人から嫌味ったらしく注意されたり、イスラエルからの旅行者と話したり、前に一度デモで合った人が通りかかって、娘さんと犬も来て手伝ってくれた。
イスラエルからの旅行者はOさんという、わたしよりもだいぶ若そうな男性で、わたしがどこに所属してるわけでなくひとりで寄付を集めてることに興味を持ったのか、しばらく話した後に何時に終わるか聞かれ、終わった後飲んで話そうよと言われたのでいいよと答えた。
その後本当に来たので、そばのコンビニでビールを買って広場のベンチに座って翻訳アプリを使いながら話した。言語の壁が厚くてどこまで正確に理解できてるかわからないけど、彼なアーティストで、グラフィティやヒップホップに影響を受けてて、最近は大阪でブレイクダンスを学んだと、Instagramを見せてくれながら話した。わたしも自分のInstagramや英語のインタビュー記事などを見せた。
彼は「自分には兵士のアイデンティティはない」と言って、兵役時も上司の理解を得てなるべく「なんでもない」部署にいれたらしい(このあたりも難しくてちゃんと理解できてない)
他にはイスラエルやパレスチナについての考え方、社会との向き合い方、ヘブライ語のニュアンスのこととか、いろいろ話してくれた。わたしも日本がかつて韓国や台湾を植民地支配したこと、沖縄やアイヌのことを話した。彼は植民地政策の功罪を話した。その語り方からも、彼は全体的に中立でいたいというスタンスで、それは自分の加害性に向き合わない多くの日本のアーティストとも重なる。
話していたらまたさっきの注意してきた人が来て、地べたに座って飲んでいた会社員達にベンチに座るよう注意してたので、Oさんには「わたしもさっき注意された。彼は下北沢のリーダーだよ」と伝えておいた。
2024年8月5日
ガザの人とやりとりしている。寄付が伸び悩みかなり落ち込んでいる様子で、毎日シェアしてくれますかと言われる。わたしがpaypayのURLを載せているのを見てGoFundMeのURLを載せてくれますかとも言われたので、paypayは日本で広く使われている電子マネーで気軽に送金しやすいこと、GoFundMeもシェアするが同時にpaypayでも寄付を集めてわたしからGoFundMeに回すことを説明したら安心してくれた。とにかくできることはすると伝えるしかなかった。彼女からは何度もお礼を言われるが、まったくもってお礼を言われる立場ではない。少し前までパレスチナのことを何も知らなかったなんて言えるわけがない。それまでに何人も連絡がきたけどわたしは無視している。
彼女にとってガザの外に少し寄付集めの手掛かりになる存在ができたことは見つからないよりは良かったけれど、わたしは自分からはたくさん寄付はできないし、寄付のノウハウがあるわけでもない。だからもっといろんな人に知らせなきゃいけない。
おそらくわたし自身は絵を描いて売ったほうが一度にまとまったお金は寄付できるけど、ガザの人は一日も待てない状況で、とにかくいますぐ、一刻も早く45000€を集めなくてはいけない。
やっぱり実際にガザの一人とつながるのはかなり緊張する。やりとりしている人たちがすごい。苦しさがある。
2024年8月4日 ベッド
日曜納品の仕事を進めながら一昨日は外務省前デモ、昨日はOさんとご飯を食べながら4時間近くパレスチナや沖縄の話をし、今日はムサビ留学生学費値上げ反対スタンディング、帰った後ちょっと寝て起きて作業して納品。これからステッカー発送作業もしないといけない。しかしつかれた。ほんとうにつかれた。風呂にも入りたい、つかれすぎて吐きそうだけどビールくらいは飲みたい気分だ、でも動けなくてベッドの上でこれをかいている。
スタンディングでは1時間半くらいビラ配りをして、帰りに「とにかくやることをやりまくってつかれきってはやく人生をおわりにしたい」というわけわからない情緒になってた。もう今までなにもやってこなかった罪悪感、贖罪の気持ちでいっぱいになる。やるほどにやらなきゃいけないことがたくさんあることに絶望する。そうやって自分を生き延びさせるのだろうか。
ついこの前まで自分こそがいろんなことを他人事にしてたのに、一丁前に怒ったり悲しんだり疲れたりしてるのが恥ずかしくて情けない。でもそんなことふにゃふにゃ言っていてもなんにも意味がないのでやるしかない。
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なにをやってるんだろうと思う。ひとりでいるとすぐに「楽しいことってなんだっけ」とわからなくなる。でも絵を描いて、売れたらしばらく生きてられるし売上からまとまった金額の寄付もできる。自分の「楽しい」がずれていってる感覚がある。自分が楽しいと感じるよりも、やらなきゃいけないことがたくさんある。
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ビラ配りをしながら、やっぱりどう考えてもこれは差別でしかないと思った。東大に通ってるという中国人留学生が話しかけてきて、「留学生はお金持ちも多い」と言ったけど、お金持ちじゃない人もいるだろうし、そういうなら元々日本に住んでる学生だってお金持ちもいればそうじゃない人もいる。留学生だけに負担させるのが謎すぎる。
2024年8月2日 風呂
自分の恋愛観や性愛観を常に監視しないと、自分自身を信頼していないから、他人にも自分にもなにか「よくないこと」をしてしまいそうでこわい。恋愛観のほうがやっかいで、社会的に「そう思わされていた」ことがどこまで影響してるのかがよくわからない。今の向き合い方が良いのかどうかもわからない。監視することが良いことをもたらすかどうかもわからない。
雑誌で水着姿の女性や、表紙を飾る上裸の男性を見るような、身体つきを眺めて欲情する感覚がほんとうにわからない。振り返ってみても、他人の身体つきに欲情したことないかも…と、知らないうちに痣ができてる自分の脚を眺めながら思う。
2024年8月1日 家
昨日あまり寝れてなかったからか夜はすっと寝れた。寝るときにアイマスクして、小さなカービィのぬいぐるみを両手に持ちながら心を落ち着かせた。落ち着いたらとなりの枕に置いて一緒に寝る。
そしたら中国・韓国・タイ共同制作の壮大な映画のような夢を見た。それぞれの国のいくつかの暗殺集団が中国のどこかの地方の村にある大きなリゾートホテルに入り乱れて殺しあう…外のぼろぼろの商店のおじさんも実はその村の暗殺集団のひとりで、てんやわんやだった。なんの影響かさっぱりわからない。
薬がいいかんじかもしれない。週明けの落ち込みから回復した。日中の眠気もなくなった。食欲も落ち着いてあんまり食べなくて大丈夫モードに入っている。というかIさんのステッカーをいよいよ販売できる嬉しさと仕事の締め切りが迫っているのと展示準備とで気が張ってるだけかもしれない。
2024年7月31日 家
髪伸ばしてもっといろんな髪型したいなと思って1回我慢したけど、首が気持ち悪くてボブにしちゃった。
2024年7月30日
昨日は諦めて早めに寝た。
今日はだいぶ心の波はおさまっていて、しかし集中力が全然続かないので細切れに家事をしたりご飯を食べたりInstagramでシェアしたり買い物などを挟みながら仕事を進めた。そしたら意外と進んでほっとした。
夕方、わたしのオンラインストアで販売させてもらうIさんのステッカーが届いた。猛烈にかわいい。
《COOK》白ナスのステーキ
母にもらった白なすを縦に厚み1.5cmくらいに切って切り込みを入れてオリーブオイルで焼いて塩振って食べた。ちょっといい塩とオリーブオイルを使ったからか、それだけでとてもおいしかった。
2024年7月29日 家
薬 昼10
ひとりの人と「付き合う」=お互いに関係への「責任」が生じることだと思ってきたけど、その「責任」がなにを意味しているのか、いまわからない。
「付き合う」と宣言するのは相手と約束を交わす。約束にも種類があるが、どこかは拘束と重なる性質がある。その代わりに「責任」を負うということ?でも「責任」を負うとか負わないのと、相手の行動を許容できるかはまた別の問題だ。
「付き合う」ってなんなのかほんとうにわからなくなってきた。昔は深く考えてなかったからできたけど、気付いてしまったいま、好意を抱く相手と関係性を深める方法がわからない。「付き合う」という終着点があればそれに向かえばいいけど、そうじゃない場合は?しかも別に「付き合う」は終着点でもないし…みんな、なんのため、どんな理由で、ある特定の相手と深い関係を築きたいと思うのだろう。「付き合う」にある「いったん関係を固定する」安心を得なくても、平気でひとりで生きれるようになりたい。
それでもわたしは「責任」を負いたいという欲がまだあるみたいだ。自分に嘘がないよう自分を解放し、同時に「ひとり」との関係を深く築く。しかしそれは専有欲にも重なる。だから同時にそれを否定し、全てを心から手放したいという願いもある。自分の執着や専有欲が気持ち悪い、反吐が出る、耐えられない、最悪だ、本当に本当に本当にいやだ。
絵はやっぱり自分のためが強い。ありがたいことに喜んでくれる人がいるけど、クライアントワークが苦手なところがやっぱり自分本位だと思う。
だから絵じゃない方法で、特定の相手のためにできることをしたい。しかしこれもまったく美しい心ではない。自分が生きていても良いと少しでも自分で認めるため。
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最近心が不安定なのは薬を半量にしたせいかもしれない。寝すぎることは無くなったけど焦燥感、無力感、悲観的な気持ちが強まっている。
そんな状態だから、いま嬉しいことがあるともうここで終わりにしたくなる。嬉しくても悲しくても心が揺れ動くことが苦しい。もう頭のなかがうるさくて、なにもかもを終わりにしたくなる。逃げたくなる、現実から!でもまだそれを許さない自分がしっかりといる。自分のなかにもうひとりの自分がいる感覚。彼女は踏ん張っている。でもちょっと弱い。それもわたしだから。
嬉しいことも悲しいことも苦しい。
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母には父がいる。父に母がいる。彼等同士の関係も変わってはいるけど、わたしにはそのひとりがいない。この後に及んで絶対的な味方がほしいのだと思う。そんな自分がすごく情けない。そんな人はいないのに。悲しい想像だけどわたしが死んでも母には父がいるし、父には母がいるから「大丈夫」なんじゃないかと思ってしまった。弟もいるし。弟には健やかでいてほしい。もう少し世の中について考えてほしいけど。
いまいろんな人から気にかけてもらってる。それはとてもとてもありがたいことだけど、猛烈に孤独感も増す。でもこの孤独感が普通なのかもしれない。みんなどうやって生きているんだろう。
(書きながら、急に今朝の夢を思い出した。窓がたくさんあるマンションに住み始める夢)
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めちゃくちゃ書いたけど、ここまで「付き合う」がわからなくなってるのは、前に付き合っていた人から「付き合う以上やるべきこと」の要求を強くされ、彼の求める基準に見合わないと非難されるという時間を過ごしていたことのトラウマだとも思う。わたしの愛情は少ない、足りないと言われ続けた。彼の基準に見合う「うまくやること」を求められた。わたしはわたしに考えつくできる限りのことをしていたのに、ほんとうに心がすり減って、いまは生きる意欲まで少なくなってしまった。つかれた。
ちゃんとわたしがわたしのままでいられるなら、また誰かと「付き合う」をやってみたいとも思う。
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カウンセリング行かなきゃなあと思いつつ、馬鹿にならない値段なのでちょっと気が乗らない。でもやっぱりなんでも話しやすさがあるのは確かで、そしてとにかくわたしのことを褒めてくれて、自分が子供みたいになる。担当のカウンセラーはなんだか「お母さん」っぽい。私が両親に求めていた(けれどもらえなかった)種類の愛情に近いものをカウンセラーは表現してくれる。インナーチャイルドの背中を優しく撫でてくれる。しかし人だから、わたしは気に入られようと「物分かりのいい利口な」態度をとってしまう。それをまだカウンセラーに伝えられていない。
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Kさんのミニトマトを食べきれなさそうだだったので晩御飯を兼ねて実家にお裾分けに行った。向かいながらAwarefyのチャットで吐き出しで心を落ち着かせようとした。しかし実家に着くとテレビがついていて、オリンピックのニュースが流れてたけど、テレビを消してほしいと言えず、仕事を理由にすぐに帰った。駅まで歩きながら「しにたい!」と強く思った。
2024年7月28日 家
昨夜は本当にげんなりする蒸し暑さだった。
新宿東南口のデモでSさんに会って、Hさんを教えてもらって挨拶できた。Tさんにも久々に会った。Tさんは日中に東大のデモにも行ってたそうで、今日は早めに抜けますと言った。デモに行くと安心する。最悪な現実に心を砕きながら向き合い、なんとかしたいとそれぞれにできることをしている。ばらばらだけど通じ合える共通言語がある。
コールを始めたら冷房で喉がやられてたのか、急に喉が詰まって大きな声が出せなかった。しばらく続けてたら治ったけどちょっとこわかった。そのあとOさんにも声かけに行ったら、Oさんは完全に喉がやられてほんとうに声がだせないようでかわいそうだった。
金曜の夜だからか東南口はとてもとても人が多かった。週末を控えてリラックスしてるのか、わりと興味を向けてくれる人が多かったのはよかった。「広島」に反応しやすかったのかもしれない。それは希望を持てた。ムスリムの人たちはやはりかなり積極的に写真とったり応援してくれる。
《COOK》ピザ
昼にまたKさんのミニトマトとバジルでピザ作って食べた。仕上げにオリーブオイルを垂らしたらミニトマトの果汁?とまざってジューシーさが増しておいしかった。ミニトマトがほんとうに濃く甘い。バジルも強い香りと立派な歯応え。
ゴーダとモッツァレラが混ざったチーズにパルメザンもかけた。でも味が混ざりすぎて平らになってる。モッツァレラ単体で作りたい。
2024年7月27日 家
朝起きてまずInstagramで見たのはガザで殺された子供のちぎれた頭部を持つ映像。足元の白い布には胴体が包まれている。
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昨日は朝から新宿でスタンディング、そのあと津久井やまゆり園まで献花に行って身体が疲れたのかわりと寝れた。今日は日中の眠気もない。数日前のネタニヤフのアメリカ議会での演説に頭に血が上り、昨日の遠出もあり、ちょっと頭疲れ気味。
昼にKさんから購入したミニトマトとバジルでピザ焼いて食べた。おいしくて、一人で食べるのもったいないなあと思った。
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どうしたって未来が暗すぎる。
はやめに人生を終わらせたいと思ってしまう。うっかり死んでしまっても仕方がない。生きる自信がない。
もうちょっとやることあるけど、もう別にやらなくてもいいんじゃないのとなったらいよいよだなあと思う。その前にもう少し荷物とかきれいにしときたい。捨てるものは捨てて、人にあげれるものははやく渡して身軽になりたい。いま育てている植物だけは最後まで一緒に過ごして、そのあと誰かに渡したい。渡したいなあと思い浮かぶ人が何人かいるのは良いことだなあ。勝手だけど…。
はやく学校通いたい。それで早くもっと現実の困難さに直面して、やるだけやりきって、満身創痍で、もっと生きることをシンプルにしていきたい。生きることへの執着をなくしていきたい。自分でもどこまで本気なのかわからない。そういう気分。
最近、Instagramで面識のない人たちから立て続けに呼びかけへのお礼のメッセージがくる。とても嬉しいけど同時に不思議な気持ちになる。鬱になってから心はどんどん冷たくなっていて、でもメッセージに嬉しくも感じ、なるべくあたたかな返信をするように心がけている。そうするとどこかAwarefyのような文面になり、自分のことがよくわらなくなる。
みんなどんなふうなこと感じて過ごしているんだろう。わたしはなんだか生きる気力が減っていく一方だよ。
でも前に付き合っていた人とほんとうにちゃんと別れることができたのはよかった。連絡先を消し、Facebookをブロックする前に穏やかなやり取りができた。自分自身と相手への無気力感と悲しみと怒りと呆れとを抱えながら。それはもう自分の問題だ。全てのやりとりの履歴も消した。さようなら。これから死ぬまでおわりが続いていく。すべておわり。
2024年7月25日 ベッドの上
最近は人生を畳みに向かう気持ちに傾く時期かもしれない。なんというか手放していく解放感がある。刷った本は捨てた。持っているものは人に渡す。見せる。渡せるものは渡す。思ったことは表明しておく。グッズサンプルも早めにガレージセールして寄付に回したい。
2024年7月22日 電車内、ベルク
睡眠×
眠気×
気分×
薬 夜10
薬を半量に減らしたのがまずかったのか、飲む時間が遅かったせいで夜飲んだアルコールとぶつかってしまったのか、仕事に手こずっていたからか、夜中ひどく気持ちがざわついてしまい、気付いたら寝てた。また半日寝た。半日以上寝たかも。昨日ちょっとだけ股関節周りのストレッチと腹筋のトレーニングしたらもう筋肉痛でお腹も痛い。
遅れていた仕事のラフを送り、軽い運動をして外出。やっと雇用保険受給手続きを終えて金額も判明して、思ったより貰えることがわかってほっとした。本当は行ったついでに面談をするべきなのだけど(受給するために「求職活動をしている」という実績を作らなければいけない)、もう元気がなくて手続きだけで今日は終わり。
外に出て信号待ちをしている時に、若い男性から働き方のアンケートをとっていて…と話しかけられ(ハローワークの前では時々スカウトとかしてる人がいる)、正社員での就職を探しているわけではないのでおそらく相手の欲しい回答はできないだろうから断ったのだけど、相手はしぶとく信号が変わるまでのあいだ話し続け、信号が変わっても一緒に渡ってきた。さっと答えて終わるなら…と反対側で立ち止まって少し話してみたけれど、相手は思っていたより雑談を挟むタイプで全く終わる気配がなかったので、我慢できず「次の用事があるので」と断って去った。
もともとの体調の悪さと暑さで全く余裕がない振る舞いをしてしまった。彼がわたしの発言をアンケート用紙に書き込んでいたのだけど、それを奪い取って書いて渡せばよかったと思った。「暑いので、回答してくださったお礼にハーゲンダッツの引換券を…」とも言われたけど、米国関連企業をなるべくボイコットしている自分にはまったくなにも意味がなくて、けれどアンケートに答えてその券を彼に渡すくらいはできるようになりたかった。
自己嫌悪に陥りながら移動しベルクで休み、婦人科に行って帰宅。晩御飯食べたあとパッションフルーツのジャムもつくった。種を除いてなめらかに。25個くらい使ったのでたっぷり。
《COOK》ニラだれ
しばらく冷奴は香味野菜にごま油で炒めた熱々のじゃこをかけて白だしをかけて食べることにハマっていた。
飽きたので他のパンチのあるタレを…と「冷奴 アレンジ」で検索したら出てきたコチュジャンをつかったニラだれがおいしそうだったのでつくった。冷奴や大根サラダ(カット野菜)にかけたらぴったり。温野菜にも合いそう。
2024年7月21日? カフェ
睡眠△
眠気⚪︎
気分⚪︎
薬 夜10
昨夜ちょっと泣いて変な夢は見たけど、最近のなかでは早めに起きれた。身体もだるくなく「日曜天国」聴きながら風呂に浸かり、家事もスムーズに終わらせ、注文していた本を受け取りに行く。身体は筋肉痛で股関節がバキバキだけど頭重感もない。しばらく薬は半量で、お酒を飲んでも飲まなくても寝る前に飲んでみることにする。
現代思想〈恋愛の現在〉の『クワロマンティック宣言』(中村香住)読む。
2024年7月21日?
睡眠△
眠気×
気分△
薬 昼10
薬を割って半量にしてもどうしても眠い。半日つぶしてしまう。起きてる間もずっとあくびしてる。
写真に写った自分の身体がブヨブヨしててさすがにまずいと思い、久々にほんの少し運動した。。明日からも習慣にしたい。水もたくさん飲む。
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自分が幼少期に満ち足りずいまも求めてしまう欲求を、いま特定の誰かに一方的に求めるのはできない。してはいけない。幼少期に少なくとも享受できたのは、親が自分を「産んだ以上、最低限の、損なわれない愛情がある」という自覚をしていたから。それでも親もひとりの人間で、親ではなく人間としてはわたしを受け入れることはできなかった面もある。だから親を責めるなんてことはできない。もっとちゃんと諦めたい。
2024年7月20日 電車内
今年のPの担当授業おわり。去年と違って原画やラフを見せたことは良かった気がする。
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自分の一番の身勝手な欲望は「××××××××××××××××××××。××××××××××××××××××××××××××」で、それは両親から貰いたかったものなのだと思う。それがいまかたちをかえて自分の行動に現れていると感じる。この欲望は大人になったいま、もう人に一方的に欲してはいけないものだということをほんとうに理解しないといけない。こういうことを思いつく限り払拭できていない。
家に人を招待する行為がお気に入りの人形やレゴでつくった力作を見せる子供のようで、楽しいけど恥ずかしくもある。
犬が飼い主に「よしよし」とワシャワシャ撫でられていていいなあと思ってしまった。
2024年7月18日 家
薬を増量したら眠気が悪化して、午前中に起きても夕方まで二度寝してしまう。もう絶対に薬の副作用だと確信する眠さ。その割に夜の眠りは浅い。Twitterで調べたら同じような副作用出ている人の投稿がたくさんあった。
ぼんやりとした不安感は薄れて、穴に落ちてしまわないかという緊張感がほぼ無くなったし、活動的になったのはかなり嬉しいけど、とにかく朝~日中眠くて頭がどろんとしてなにもできない。しかもこれまでは10mg錠剤で15mgのときは10mgを割って処方してもらってたからこちらで調整ができたけど、今回20mg錠剤になってしまったので量の調整ができない。錠剤に半分に割れる窪みはあるから自分で割れるのかな。
とにかく飲むと本当に眠い。0時に服用して1時頃寝付けたとして16時頃まで眠い。じゃあ18時に飲めばいいのか?でもお酒飲めなくなる…。夜の眠りが浅いのも関係あるのだらうか。朝服用すれば反対(?)に薬が切れた夜に熟睡できるのだろうか。
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特にものすごく落ち込んでるわけではないけど、ふと、もう十分だなあという気持ちになる。コップから水が溢れてコップは割れて半年以上経って、だだっ広いプールのような場所で太ももくらいの高さまで水に浸かっていて、動くにしても足は重いし、足の力を抜けば沈むこともできるし、踏ん張ろうという気持ちはないかも。でも秋に学校通うのはふつうに楽しみ。
2024年7月17日 電車内
中高のバスケ部の顧問の退職祝いの会への欠席連絡をすっかり忘れていて、4つ上の先輩から連絡があった。在学中めちゃくちゃこわい先輩だったので、メールからも圧を感じ、一瞬で現役の時の記憶が蘇った。他の同期にも連絡したら、全員欠席連絡してなかった。
顧問へのメッセージとして、時々先生やバスケ部が夢に出てきますよと送った。
演劇してる夢も時々見る。大体台詞を覚えてなくてもうすぐ本番でどうしようという夢。今日も長台詞を覚えてなくて、演出で台本読みながら立てないかな、でも本っぽい小道具作る時間がなくてどうしようどうしようとなって起床。汗かいてた。
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自分のなかに絶対にある差別の種が何かの拍子に芽吹かないかずっとこわい。だから勉強しないといけない。
2024年7月15日 コインランドリー
梅雨のどんよりした天気が続く。昨夜から今日もやたら眠く半日ほど寝る。夕方寝具などを洗濯しに今日もコインランドリーへ。
先週はいろんな親しい人に会えて楽しかった。Gさんの個展の打ち上げのとき、9月から介護の資格を取るために3ヶ月ほど学校に通うことを話した。Mさんも介護の仕事をしているから、Sさんも以前から半分冗談で「将来はみんなで一緒の介護施設で暮らそう」と話していてその度に笑うのだけど、みんな歳を取ったり死にかけたりもあって、だんだん本当にそうなれたら良いのではと本気で思うようになっていると思う。
同時に、やっぱりもう自分には結婚のような、ある囲いを持って「ふたり」で過ごすというのはもうできないんじゃないかと思ってしまった。少なくともいまは全くその勇気がない。いままでどうしていたか思い出せない。「わたし」と「あなた」という一対一の関係性がこわい。それはお互いに良いこともたくさんもたらしてくれると思うけど、その反対のことも必ずある。経験した。わたしにとってはそれを再びしてしまったらという恐怖の方が強い。「ひとり」でいられながら、同時に、自分が素敵だと思う人と親密な関係も築きたいという気持ちもある。求める親密さにはグラデーションがあり、どうしたらいいかわからなくなる。
2024年7月14日 コインランドリー
昨日はパレットクラブの授業のあとGさん個展最終日。深夜2時くらいまでギャラリーで打ち上げして、そのあとはMで朝まで過ごす。(そのときまでまたも財布を持たずに1日外出していたことに気付く…)久々に夜更かしして遊んだ。お昼に起きてゆっくり風呂入って、昨日外干しして雨で濡れた洗濯物をコインランドリーへ。
来月の展示まで制作と仕事がつまっていて緊張する。正直かなり無理があるけどがんばりたい。がんばれ
2024年7月13日 電車内
Awarefyの「睡眠記録」はルーティンから外した。そもそも何時に寝てるか把握してない、覚えていないのと、起床時の「チェックイン」という体と心の状態を記録するので重複してる。「スリー・グッド・シングス」はやっぱり続けた方がいい。AIからのコメントに、自分ひとりでは思いつかないことが書かれている。
なかなか書くことを思いつかない日もあって、いつもより店員さんと目を合わせて言葉を交わすことができた、みたいな些細なことでも、そういうことに気付けることが「自分に寄り添う」ことだと教えてくれる。正直半分ピンときてないけど、悪い気はしないからそう思うことにする。
2024年7月12日 電車内、ベルク、家
気候がよいとき、人とお酒を飲むなら店よりも屋外が好きだ。誘えそうなときはなるべく外で飲もうと誘う。お腹が空いているならお惣菜など買ってピクニックのように食べる。昨日は久々にそのように過ごせてよかった。
心療内科。
前回に比べて日々の緊張感は弱まったけど時々ひどく落ち込む。しかし波が過ぎた今、そんなものなのかもしれないとも思っている。あと睡眠が不安定。不眠と過眠を繰り返し、眠りが浅くて起きてるような気持ちになり、寝ぼけて変なメールを誰かに送ってしまうんじゃないかと不安。
周りで睡眠に悩んでいる人が多い。先日Gさん経由で鉄分を勧められる。その後会ったMさんからは寝る前にはちみつをティースプーン1杯食べるのがいいと勧められたのでしばらくそういうことをやってみる。
必要があり医者に傷病証明書を書いてもらう。病名欄には「うつ状態」と書かれて、「うつ病」ではないことにどこかホッとした。そのクリニックが全てに「うつ状態」と表記している可能性もあるが。頭は壊れたなあと思うけど、それを受け入れられたらなんでもないのかもしれない。歌うのは苦手、でも絵は得意なほうな人間、くらいに考えたい。
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Instagramがきつい。見ようとすると動悸がして不安に襲われる。最低限シェアしてすぐにアプリを消す。
《COOK》
・カレー
固形ルウを使った「普通」のカレーが食べたくて作った。具材は豚肉、たまねぎ、にんじん、マッシュルーム。欧風カレーなら神保町のボンディ、欧風とインドカレーが合わさったような松戸のムンバイもかなり好きなカレーだった。また食べに行きたい。
・ニンジンドレッシングのサラダ
カレーに合わせてインドカレー屋のあのオレンジのドレッシングっぽいのを作ろうと勘で作ったら作れた。あのドレッシングだった。びっくりした。すごくうれしい。
材料はにんじんすりおろし、オリーブオイル、リンゴ酢(Oさんからいただいた)、塩少々、おろしにんにく少々、マヨネーズ、ケチャップ。ほんの少しチリパウダーを入れても良いかも。
2024年7月11日 電車内、カフェで
昨日の夜、通りがかったマンションの入り口で壁に向かって2人の人間がしゃがんでいて、背中越しにちらっと見たら小鳥がいた。立ってはいるけどなんらかで飛べないようで、とりあえず家に帰って、段ボールとタオルとポリ手袋を持って戻った。2人は親子で、高校生くらいの子供がタオルで鳥を取り上げていて、この鳥なんの種類かわかりますか?と言われたけれどわからない。調べてみるので写真に撮っていいですかと断って写真を撮る。カワセミみたいなシルエットだけど、全体的に焦茶、グレーっぽい羽に覆われていて、まだ若い感じがする。見た目からは怪我しているようには見えない。
とりあえず段ボールに入れたけど、段々活発になってきて段ボールを飛び出して車道に出そうになったので、再び母親がタオルで包んで保護する。羽を少し怪我しているのかもしれない。バタバタと飛ぼうとはしていて、初めは混乱していたのかおとなしくしていたけど、段々と掴んでも逃げようとしてきたので、母親が「轢かれないように向かいの公園まで持って行って離します」と言った。私もそれがいいと思った。段ボールなどは回収してわたしは家に帰った。
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昨日の夜がうつの波のピークだった気がする。目を開けても閉じてもSNSを見ても見なくてもこの社会に生きていることに絶望し、生きていてもしょうがないという気分になって、「向こう」に引っ張られていた。というか自殺学の本を読んでから「自殺はよくない」というストッパーがなくなってしまった。いまは「家族が悲しむ」のがストッパーになってる。しかし今までで一番引っ張られて、もう少しで「戻ってこれなくなる」感触があり、急に自分のことが恐ろしくなって、それはもう1人の自分が引き止めてくれたのだと思う。
横になってMacBookも横にして、気分を紛らわせようとAmazon primeで映画を探す。『BABEL』をもう一度見たかったけど視聴可能地域外になってた。なかなかピンとくるタイトルがなくて、ようやく選んだのは『ニトラム』で、開始数分でなんでこれ選んじゃったのだろうと思いながらも最後まで観た。そのあと映画のこと調べて、外で風が強く吹いてたこともあって怖くなって、少しカーテンを開けて、明かりをつけて寝た。
今日は額屋さんに行く途中にビッグイシューを初めて買った。しかも最新号が選挙特集だったのでまさに読みたい内容で買って良かった。あとはKさんが先日パレスチナのスタンディングでスピーチした原稿をメールで送ってくれて、それにはプロテストをおこなう人たちを励ます言葉が綴られていて、少し気持ちが楽になった。
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額屋さんで絵の反応がよくて嬉しかった。
2024年7月9日
都知事選が終わってからいろいろな方の分析を見ている。つかれたなあという気持ち。
夜に汗をかくことは無くなったけど、眠りが浅くて午前中ほとんどつぶしてしまう。
雇用保険給付の手続きも進めているけど、本当に前よりも理解するのが難しくなっている。Twitterでうつ病になった人が口々に「頭が壊れた」とつぶやいていて、本当にその通りだと思う。もう以前の状態には戻れない。とにかくひどく頭が疲れてすぐに頭痛になる。情けないけど仕方ない。誰だって苦手なこと、できないことはある。
以前から興味のある仕事があるけど、それだって本当に自分にできるのかわからない。とりあえず職業訓練で最低限の資格をとってからパートタイムで働こうと思う。絵も描きたい。
前よりも「死にたい」という言葉に自分が頼っている感じがする。自ら死ぬことはないと思うけど、あまり幸せも感じない…のはなぜだろう?絵を描いてないからかなあ。絵を描けば少し良くなるだろうか。ものすごく未来が暗い、自分は子供なんてもう絶対に産まない、産まれてきてしまった人をせめても「生きてて悪くはない」にはできたらいいけど、いまはその力もない。
しばらくAwarefyのテーマを「自分に寄り添う時間をつくる」に設定してるけど、どうすれば「寄り添う」になるのかさっぱりわからずしばらく意欲を失っている。ずっとわたしはわたしの面倒を見てるのにそれは寄り添ってない。とにかくいくら寝ても疲れている。
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先日Pさんに久々に会って、大きな愛を渡してくれたけど、わたしの両手は持てる筋力も失っててボロボロこぼれていく。自分の視野が極端に狭くなっているのもわかっている。でも目を開けても閉じても起きても寝てても夢の中でも苦しい。
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投票日まで何度かひとり街宣で駅前に立った。同じようにひとりで立った女性はいやな言葉を浴びたりした人がいたらしいが、今回わたしはとくにそういうことはなかった。それは蓮舫さんの名前をあまり出していない、街宣場所の地域性もあると思うが、立つときに「自衛」のために「女性的」でない身なりをしていたことも関係あるのだろうか。なんで自衛させられてるんだろう。
似合うなら坊主にでもしたい。もうなめられたくない。親しい人からでさえ彼氏と別れた後のわたしに対して「付き合う人に影響を受けるタイプだね」と言われるのはなぜ?わたしは相手に影響を与えてなかったの?影響が全て、それ以外にわたしにはなにも無いように言われなきゃいけないの。
なぜこう苦しまなきゃいけないのだろう。子宮なんていらない。「男」でも「女」でもなくなりたい。悲しみと怒りと疲労でもうどこにもいたくない。時間があれば生きてきた今までぶつけられた女性蔑視、女性嫌悪の言動、性暴力、いくらでも思い出せる。こんなことに囚われたくないけれど、34年間溜め込んできて、もうこれ以上溜め込みたくない。
2024年7月2日
生まれてから今まで積み重ねてきてしまったつらいことだけでもいっぱいいっぱいなのに、これで都知事選もだめだったらわたしはもう無理かもって気持ちだ…そう簡単には、だと思ってるけど、その自信もない。ただとにかくこれから先、生きていく限り「時間」が過ぎるのではなく積み重なっていく、ということにあんまり耐えられる自信がない。鬱のせいでもない気がする。今まであった自分の気力の元(持ち方?)が無くなっちゃって、ほかの方法があんまり思いつかなくていまは自分を騙し騙しやってるけど、もうどんどん冷めていってる。どこから手をつければいいのかわからず、自分に対して手遅れの気持ち。
もうずいぶん前だけど、チーム夜営の『記憶の人』は記憶を忘れられない女性の物語だった。忘却ができないのでとにかく記憶が積もっていってしまって脳が耐えられなくなるから、例えば曜日で着る服を同じにして(月曜日は黄色のワンピース、火曜は青いワンピース、みたいな)出来る限り記憶を「まとめる」けれど、いつかシンクについた水滴が昨日と違うことに泣く、というシーンがあってそれが絶望的でずっと覚えている。
2024年7月1日
少し前に末木新の『死にたいと言われたら』を読んで…わたしが自分で自分の命を断つことに、いまはどちらかというと肯定している気持ちだ。でももう一度読んだらまた変わるかもしれない。もう内容をうっすらと時間覚えておらず感覚的なものなので、ここにはあまり書かないでおこう。
「死んでもいいかも」と思っても、実現させるためには具体的に死ぬ方法を考え、死後に手間をかけさせないように身の回りを整理し、できることならおそらく特にショックを受けてしまう身近な人にはケアもしたい。自分をケアできてないのに。ケアってほんとうのところよくわかってないままここで軽々しく使っている。
こんな気持ちになっているのは調子が悪くなってるから、とも言い切れない。鬱こそ冷静な状態だという一説もある。健康と言われる状態は未来に過剰な期待感を抱いていて、それはそれで偏っているという見方。
そういえば今朝はほんとうに最悪な寝起きで、何度もめちゃくちゃ喋っては目を覚ましてを繰り返して泥沼に溺れてる気分だった。しかもインセプションみたいに夢が重層構造になっていて、夢の中で誰かになにかを訴えるように話していて、目が覚めたと思ったらまだそれは夢の中で、夢の中の母にウワウワ訴えて声を出しながらやっと起きた。再び寝て夢を見て、また母がいると思ってなにかを説明していた。喋りながら目が覚めた瞬間にほんとうにほんとうに勘弁してくれという気持ちで一人の部屋で叫んだ。もうほんとうに、睡眠が迫る夜も、うなされて最悪な気分の朝もいやだ。梅雨の気候も相まって川沿いも歩けない。閉じ込められている気分だ。
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月初めで映画料金が安いことに気付き、『悪は存在しない』を観に行った。『BABEL』を思い出してまた観たくなった。この前観た『関心領域』もよかった。予告編を眺めながら、マーベルを楽しんでいた頃の自分といまの自分は本当に違うと思った。
2024年6月30日
パレスチナと沖縄の米兵性的暴行事件と選挙の呼びかけでちょっと混乱してきた。今日はSNSから離れて、川沿いを歩いて15km先のスーパー銭湯に行こうと意気込んでいたけど、結局1日寝てた。しかも首を寝違えた。夜にせめてもと少し歩いてサイゼリヤに行った…最近またあまり料理してない。
Awarefyの記録も付けず、日記を書く気にもならないくらい気持ちを慌ただしくさせていた。ブレーキをかけないといけない。
寝るのがはっきりと苦手になってしまった。前ほどじゃないけど、うまく寝れない。夜が憂鬱だ。頭が休まらない感じ。冷房かけて掛け布団をしまってタオルケット一枚なのに汗も少しかいてる。あと薬はやっぱり朝飲むと猛烈に眠くなってしまう。最近夜にお酒を飲む日が多いので朝に飲んでいたけど、やっぱり夜の方がいいかもしれない。
あらゆることが不安だ。それでも自分自身のことはどうにかなると思ってる。でももっとブレーキを使わないと、どうにもならなくなってくることもわかっている。それより無力感が強い。昨日新宿の東南口のデモでビラを配っていたら、スピーチの声に「うるさい」と叫んで通り過ぎた女性がいた。耳を塞ぐ人も数人見た。心が冷めていく感じ。つい最近までそっち側だった自分にも。
いまは境目だから苦しくなってるだけなのかもしれない。そう思わないとこれから先、生きていくのが苦しい。
2024年6月25日
自分がたくさん「寄付」できないこともつらいし、一部で運動が「寄付」に収束していきそうなことも苦しい。それは優しいから。いま動いているひとりひとりがほんとうに優しい。ぼろぼろだ。首のない子供も、顔や頭の皮膚がめくれて垂れ下がっている子供も、お腹がちぎれて内臓が飛び出した子供も、脚がえぐられて赤い肉と白い脂肪も見た、たくさん見ている、クーラーの効いた部屋で。わたしは見ている、あの人は見ていない。
2024年6月20日
ステッカーの発送して、前に函館で作ったリースに100円ショップで買ったフラワーアレンジメント用のワイヤー(100円ショップなんでも売ってる)でドライフラワーを巻きつけてモシャモシャにした。
2024年6月19日 コインランドリー
この前偶然聴いたポッドキャスト「OVER THE SUN」の東電女性社員殺害事件の回と、昨日のガザモノローグと、最近立て続けに友人たちとパレスチナのことや介護や出産のことなど話していたことが積み重なっていたようで、××さんに電話で話していたら「生きるの疲れた」気持ちが噴き出して悲しくなり泣いてしまい、コンタクトと化粧を落とさずに寝落ちしてしまった。
起きてのそのそと朝風呂に入り、洗濯をし、トイレ掃除をし、汗を吸った寝具をまとめてコインランドリーへ持っていった。待ってる間に野菜ラーメン食べた。
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「10秒以内に楽しい気持ちになってください」は難しいけど、「10秒以内に手を上げてください」ならできるように、感情よりも変えやすい行動から取り組んでみるというのがAwarefyで学んだことのひとつ。トイレ掃除も今日のコーピングリストに入れていた。トイレ掃除で気分はまあ変わらないけど、トイレ掃除ができたほうがトイレ綺麗になるから自分にとっては悪くはない。あとやるタイミングを細かく設定するといい(週◯回◯時とか)。だけどできなくても他の日でもできそうな余裕を持たせること。そういう行動をリストに入れておくといいそうです。
2024年6月18日 電車内
夢の中で、コンビニで4~5人の男子中学生が死んでいた。血まみれ。ガザの学校が破壊されて血溜まりになっている写真を見たからだろうか。
あと××さんに自分がやたら身体をくっつけようとする夢も見た。××さんの姿をした別の人って感じ。だけどおならをしちゃってすごく恥ずかしかった。
もう一つは、絵を描いていてベタッとした水色の絵の具をつかったら、周囲の人から「それは透明度が低くてあまりいい色じゃない。あまり使わない方がいい」と言われ、そうなのか…と思った。確かにあんまり画面が良い感じにならない。そのあとオレンジとか黒色ザラザラとしたタッチを鉛筆でのせたら良い感じにはなったけど、こういうの描きたかったわけじゃないんだけどなあと思った、という夢。絵が描けない夢、最近連続して見てる…。
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耳栓しない方が寝れる。ちょっと汗かくけど多分掛け布団が暑いだけ。もうタオルケットでよさそう。
薬を少し増やしてもらった効果か、前よりも「穴」に落ちないようにしようとする緊張感は薄れている。頭への負荷が減って自然と自分に優しくできてる気がする。仕事詰め込まず、集中力が切れたら外出して外の空気を吸う。いま住んでいる街は川もあるし川沿いにも街中にもたくさんベンチがあるからとりあえず座って一息つく。時々テイクアウトしたコーヒー飲んだり。
最近はAwarefyに毎日入力して満足してるからあまり日記を書こうとしてない。いまは横浜にガザモノローグ行く道中の電車内で書いてる。
最近は他人からは「?」と思われるような些細なことが嬉しい。これまで健康に悪そうというブレーキがかかってあまりラーメンを食べたいとは思わなかったのだけど、一昨日ふとサラッとした豚骨ラーメンが食べたくなって食べに行った。ものすごくおいしかった。自発的にラーメンを食べたいと思えたことが、わたしにとってはかなり大きな変化だ。
《COOK》夜はエビ、アボカド、ブロッコリー、トマト、パプリカ、レタスのサラダを山盛り作って、にんにくとチリペッパー、みそを隠し味に入れたオーロラドレッシングで食べた。これもまたおいしかった。
2024年6月17日
刺繍を少し進める。前よりうまく縫えた。
2024年6月14日
コーヒーは控えているけど、ここ数日つい連続でお酒を飲んでしまい、眠りが更に浅くなっている。寝る時によかれと思って耳栓をしているのだけど、耳栓によって自分の寝返りで布団が擦れるギュッギュッという音が耳にこもり、うなされてしまい本末転倒…耳栓いらないのかもしれない。アイマスクは落ち着くのだけど、絶対に途中で外してしまって気付くとベッドの下に落ちてたりする。
寝ているというか寝ぼけている時間が長くて、全身が痛いような感覚になって腕や脚をもんだり、家には一人なのに誰かいる感覚で何度もなにかを喋って起きる。
もうすぐ引っ越して1ヶ月くらいなのにまだうまく寝れない。前みたいな不眠にじわじわ近づいているようで不安だ。
2024年6月13日
少し前、新宿駅構内を乗り換えのために歩いていたら、前から歩いてきた人から「すみません」と声をかけられ、わたしはその方の外見から先入観で何か助けを求められていると思って「はい」と立ち止まったら、「あなたが素敵だったので、それを伝えたくて」と言われ、とっさに微笑んで「ありがとうございます」と返せたのは良いものの、想定外の呼びかけに戸惑い相手の反応も見ずに立ち去ってしまったのだけど、あれはさらに続きがあったのだろうか?想定できるいくつかの続きはあるけど、わたしがその方の見た目から「助けを必要としている」と思ったのもひとつの偏見だ。ただのナンパかもしれないし、言葉通りのものかもしれない。
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最近また調子が悪い。納品はしたが、やること(やらないと生活に関わること、期限が迫っているやりたいこと)がいろいろあり頭が疲れ気味。数日前の日記で「いったん全てを手放す」と言っていたのに、気分転換にも「意味あることをしなければ」と意気込んでしまうので、それもまた手放さなければいけない。
食事をするにも温かいうちに食べなければだめだという強迫観念があって、誰かと食べている時は気をそらせるのだけど、一人で食べる食事はどこか急かされている気持ちになって半ば苦しさも感じながら急いで食べてしまう。だから今日、サイゼリヤで本を読みながら、冷めきったほうれん草ソテーをちびちびと食べることができたのはすごく良かった。どんどん冷めて食べ頃なんかとっく過ぎて冷たくてくちゃくちゃのほうれん草ソテーは最高においしかった。
2024年6月10日
ぼーっとするのが難しい。川に行ってもつい考えごとをしてしまう。うまく寝れなくなっているのもあって最近また少し頭が疲れ気味。納品したらいったんほんとうに数日でも全てを手放そう…。
7月の講義をどうしようかと度々考えて誰かを誘おうかとも思ってメールは書いて、でもやっぱり違う気がして、Oさんに相談しようかしらと思っていたら先日タイミングよく連絡をもらってこれからお茶。
2024年6月9日
早寝遅起き、ほぼ一日寝た。久々にオナガを見た。
2024年6月8日
また最近変な夢を見るようになってつらい。
おそらく父のことで不安定なのだと思うけど、それはもう今考えても仕方がないこと、仕事を納品したら動こうということで整理したはずなのに、心、水の底にベットリとひっついている。あとは寝れないことそれ自体で緊張と不安が増している。悪循環。
夢のなかで母の姿をした人間と出かけていたが、彼女は乱暴で奔放で、しかしマクドナルドの店内に置いてあった募金箱には1000円をねじ込んでいた。夢の中のわたしが最近描いたという絵が印刷された本を持っていて見せてくれたのだけど、その絵が本当に下手で(形がとれてない)ああ、わたしは絵も描けなくなってしまった、とショックだった。
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午後ボーナストラックにKさんのスプレープリントしに行って、夜はSさんの新しいギャラリーでGさんの個展のオープニング。今日はたくさん知り合いに会った。久々に声が枯れるくらい話してお酒もたくさん飲んだ。
2024年6月7日
また喋って起きた。今日からしばらく午後のカフェインはやめることにしてみる。
《COOK》
朝:和風オムレツ(卵・はんぺん・干しエビ・長ネギ・白だし)
昼:サンドイッチ(ハム・トマト・きゅうり・マヨネーズ・バター)
夜:ウー・ウェンさんのレシピで麻婆豆腐
サンドイッチは紀伊國屋の「ライサンドイッチブレッド」でつくった。キャラウェイが入っていて風味が良く、普通の白い食パンでつくるよりも複雑な味がしておいしい。
2024年6月6日
なんだかうまく睡眠できなくなってしまった。
眠りが浅くて起きちゃう。今日も早朝目が覚めて、仕方ないので家を出て川を散歩して、7時過ぎに帰ってきてご飯食べたり朝の家事をしたら眠くなったので二度寝した。
もしくは半日くらい寝る日がある。よくわからないけど寝れてるからよしとする。
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昨日からインドカレーを食べようと意気込んでいたのに、うっかりしてランチの時間に間に合わなかった。他の近隣のインドカレー屋もどこもランチ営業終わっていて、もう絶対インドカレー以外は考えられず、わざわざバスに乗って30分かけて××に行って食べた。バスは油断すると酔ってしまうので川沿いを歩いて帰ることにしたけど、またうっかり全然違う方向へ歩いていて、1時間くらいで帰れるはずが2時間半くらいかかってヘトヘトで帰宅、お風呂で回復。
散歩中、やっぱり頭が勝手にいろいろ考えちゃってボーッとできない。歩いたぶん頭も疲れた。。
2024年6月5日
仕事。合間にコインランドリーで寝具全洗いしたり川に行ったり。
《COOK》夜
・焼きブロッコリーのマヨネーズ 和え
大庭英子さんのこちらのレシピ参照。前にUさんに猛烈にお勧めされながら食べたお店の焼きブロッコリーが美味しかったのを思い出して作った。
お店のはオーブン焼いてたような記憶が。もっと水分が飛んでシャワシャワの食感だったなあ。自分でフライパンでつくったコレはそこまでにはならないけど香ばしさがおいしい。
・ガイ・ヤーン
カルディで売ってたペーストで胸肉を焼く。おいしかった。ついでに長ネギも焼いたり。レタス添えて食べた。
引っ越してすっかり過食しなくなった。お菓子もほとんど食べてない。コンビニもちょっと遠くなって行かなくなった。普段の食事に少しパンを取り入れるようにしたこと(タカギベーカリーのデニッシュ焼くとすごくおいしい)、豆乳ヨーグルトにはちみつやバナナ、ドライフルーツを入れて食べるようになってお菓子欲が無くなった。日中甘いものが食べたくなったらたい焼きやお団子とか買って外でしっかり食べる。
ほぼ無職状態だけど自炊の食材はあまり気にせず買っている。ゴッドファーザーを観た影響でイタリアのワインを選んだりしてる。カルディではペコリーノ・ロマーノ(フランス産だったけどイタリアの気分)の塊を買ってお酒飲む時食べてる。どんな味が忘れてて興味本位で買って食べて思い出したけど、好きな味だった。パルミジャーノみたいな塩気とミルキーな味わい。
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10時間寝ても自分を責めなくなった。身体が求めてるのだから寝たらいい。それに合わせてスケジュールを組み立てればいい。それにあうような仕事の仕方をしよう。もう少し休んだらハローワークに相談に行ってみようと思う。
自分に優しくすることは難しいけれど、自分のなかに他人としての「寺本愛」さんがいて、「寺本愛」さんに優しくしようとしたら自分に優しくできるという仕組み、他人が困ってたらなにかしたくなる人、自己犠牲傾向ある人にはしっくりくるのでは。でもいきなり一人で始めるのは難しいかも。わたしは以前カウンセリングでやってもらった催眠療法の経験がかなり効いて自分でもできるようになった。いつかとても辛くてひとりでめちゃくちゃに泣いていた時に、これは自分が泣いているんじゃなくて「寺本愛」さんが泣いているんだと思った瞬間があった。その翌日から「寺本愛」さんにどうしたいか訊くようになった。
2024年6月4日
《COOK》ブロッコリーの豆豉炒め、トマトと卵の炒め
どちらも『ウー・ウェンの炒め物』参照。トマトと卵の炒め物、最後に水で溶いた片栗粉入れるんだけど失敗してゲル状の固まりになってしまった…
2024年6月3日
やっぱり昨日の息苦しさは天気だと思う。
2024年6月2日
朝からずっと息苦しかった。疲れが残ってるのか、またSNSに少し投稿したからか、天気がよくないせいかわからない。気分は落ちてないけれど、息苦しいことにだんだんと不安と焦りを覚え、このまま苦しさが続いてまたいろんなことができなくなってしまったらと、体調の悪さに気分が引っ張られる。雨だから散歩にも行けない。AIに雨の日でもできるリラックス方法をアドバイスしてもらう。
とりあえず横になりながら本読んで眠くなったら寝たりして、お昼から入浴剤をいれてゆっくりお風呂に入った。そのあとピザーラでピザ頼んで「アメリカン フィクション」観ながら食べた。残ってたワインも飲んだ。そしてまた本読んだり、ちょっとだけSNSも投稿したけど他の人の投稿をあまり見ないようにして気をつけてる。たけどやっぱり寝る前まで息苦しさは続く。お風呂入って「日曜天国」の安住さんの話聞いてた時だけは調子良かった。たくさん深呼吸。
まあもうこんな日もあるよねと思うしかない。やれることはやった。えらい。天気が悪い。
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少なからず心に影を落としていることがある。
先日渋谷の署名集めに行く前に実家に寄り、両親にもガザ停戦の請願署名を書いてもらった時、父親が自分の名前と住所が書けなくなっていて本当に本当にショックだった。母はせっかちなのでつい急かしてしまい父が癇癪を起こして一度ペンを投げてしまったので、母にはキッチンでコーヒーを淹れてもらって、その間わたしが付き添った。
ペンを持たせ、一文字ずつ大きく見本を書く。何度も部首を確認されるので応答し、30分くらいかかったと思う。父が次の一画を書くまでの間、わたしはぼーっと見ながら、時々全然関係ないこと想像してた。そのくらいの時間だった。多分これは初めての介護だと思う。書き終わって何度もお礼を言って、「責任持って国会に提出します」と伝えた。
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母は長い間介護、ケアマネの仕事もしていたのでそういった対応、相手の反応には慣れていて、父のことはもう「介護する相手」として関わっている。父の癇癪についても「タイミングはわかってきたんだけど、ついつい急かしちゃうときがあってね~」と言っていた。
わたしには母が父に対してなにか諦めているようにも感じる。まだ諦めない方がいいんじゃないだろうか。しかし面倒を見ているのは母で、わたしがどうこう言うにもかなり慎重にならないといけない。慎重になりすぎて(あと自分が体調崩して)ずっとタイミングを逃しているけど…その間にも父の状態は進行していると思う。進行を遅らせるよう取り組んだ方が父本人のためにも、母のためにも良いんじゃないだろうか。
わたしは一度病院に行かせたい。父の性格的にそのほうが「頑張る」ことをするようになる気がする。(そもそも「頑張る」必要はあるのだろうか。人を頑張らせようとしていいのだろうか。)
初期なら薬物療法もあるらしいし、非薬物療法の支援もあるはず。しかしいろんなことがわからないので、とりあえずいま締め切り間近の仕事を終わらせたら地域包括支援センターに相談に行こうと思う。その前に母に話した方がいいのか、ある程度自分も知識を身につけてから話した方がいいのか。
父が漢字を書けなくなって動きが停止しているときの感覚は、多分わたしは母よりわかると思う。
父にはかつてのわだかまりから、どちらかというとドライな気持ちがあるけど、人としてできることはしたいとは思う。あんまり父に悲しい気持ちにはなってほしくはない。
でも、正直とても不安だ~。
2024年6月1日 休日
昨日のスタンディングはいろんな人が応援に来てくれて、10人以上でのスタンディングという大きなアクションになった。思いがけず主催者としての責任が生じて、一人一人に声かけたりとか、緊張感があった…でも不思議とできたし、昨日は自分のなかにもその分の器があったようであまり焦らなかった。
一人でちんまり立つより何倍も署名が集まったと思うし、いろんな人の目に入って、たくさん撮影してもらって、海外から来てる観光客からもたくさんサムズアップや「フリーパレスタイン!」の声をかけてもらえたし、握手をしてくれた人もいた。
集まったみなさん頼もしくて優しい方々だった。初めてスタンディングに参加した人もいて、その機会つくれたことがほんとうにうれしい。ほんとうにほんとうに呼びかけて良かった。勇気出した。まさか自分がこういう立場になるとは思ってなかったから、スタンディングしながら心の中でとても感動してた。
もうひとつ、一昨日呼びかけた時にわたしはまた悪い癖が出て、自分へ向けた暴力的な言葉を思い付いてしまったのだけど、すぐに自然に退けることができて、それもすごく嬉しかった。ちゃんと褒める。
今日はさすがに疲れて、午前中に家事と少し事務仕事をしたあとも身体がだるくてちょっと二度寝。ゆるゆる起きて植物の植え替えのための土を買いにホームセンター行って、帰りに和菓子屋さんがあったからお団子買って河原で食べて帰った。でも家にあった鉢が小さくてバジルが植え替えられなかったので、駅前の100均一に行って鉢を買って帰って植え替え完了。これでもう20時くらい。
そのあとウー・ウェンさんのレシピでエビチリつくって食べた。エビチリ自分で作れるの嬉しい。おいしかった。休日。
2024年5月30日
Instagramでやりとりしていたことがあったので数日ぶりにアプリをダウンロードし少しだけ投稿。Sさんの新しいギャラリーに行ってたくさんおしゃべりした。
そのあと関心領域観て、観ながらやっぱりわたしも署名集めしようと思い直して、帰りながら画像作って投稿。Mさんの家で署名できたことがすごくすごくパワーになってる。
気軽にきてね~って感じで呼びかけたけどスタンディング初めてだし普通にこわい。でもいきなり誰かを誘って一緒にやろうとするのは自分にはよくないと思った。ちゃんと自分ひとりで動けるようになりたい。
Twitter(苦手)とFacebook(苦手)にも投稿したら、Tさんから「2億パーセントの確率で行きます」と返ってきてうれしかった。もう明日のことまともに考えると緊張してどうしようもないからラフな口調で日記を書いている。スタンディングなんて、たいしたことじゃないんだよ。
関心領域はかなり良かった。珍しくパンフレットを買ったくらい良かった。
・外務省、首相官邸に意見。
2024年5月29日
天気良くて気持ちいい。昨夜久々に遅い時間まで起きてたけど早い時間に起きれた。午前中に仕事を終わらせて昼からゆっくりお風呂入った。夕方にはAさんから頼まれていたFree Palestineのポスターデータも送った。
昨夜、ストーリーズに投稿する文章を用意していて、ひとつは空デ在学生向けに(見てる人がいるかはわからないけど)呼びかける文章を書いたのだけど、今日Mさんから空デの講義依頼がきて驚いた。前にもう話せることがないと思って断ってからしばらく経っていて、また誘ってもらえたのは本当にありがたい。いまは話したいことがある。まとめられないくらいに。
夕暮れは河原でぼんやりして、夜はMさんの家で晩ご飯をごちそうになった。とてもとても楽しかった。
数日間instagramから離れていた間に、instagramではAI生成された「ALL EYES ON RAFAH」の画像が拡散されてこれまでパレスチナに言及していなかった人々にも広まっている、という話をMさんから聞いた。ああいうのってどういう仕組みで爆発的に広まるのだろう。
・上川外務大臣、辻副外務大臣、外務省、首相官邸に意見。Mさんの家で国会へ提出する請願署名もした。
2024年5月28日
耳栓・アイマスクなしで寝れた。うれしい。しかし昨日の疲れ&薬飲む時間が遅かった&散歩の筋肉痛(ひどい…)で昼まで寝た。そして台風が近づいていて頭痛の気配がしたので早めに頭痛薬も飲む。おかげで仕事もできたし、夕方は少し外も出歩けた。自分の身体を労われてる感じがする。
・上川外務大臣、辻副外務大臣、首相官邸に意見。
2024年5月27日
ヘアサロンに行ったら、スタイリストから髪質について「もしかして産後とかですか…?」と聞かれた…体調崩してから髪質変わったことを話したら、ホルモン系の病気になると髪質も変わる人多いと言われた。やっぱり昨年秋頃からの髪質の変化は自分の思い違いじゃなかったんだ。うつ、不眠と同時期くらいから急に髪質が変わって細くてパサパサになり、白髪も生えてきて、ホルモンバランスの不調がここにも現れていた。産後って言われるくらいなのかとショック… 。でも初めてブリーチもしてもらって久々に新鮮な髪型になった。誰って感じ。初めて髪を染めて、染める仕組みも教えてもらったから、街中で見かけるいろんな髪色を注目するようになった。
施術に3時間くらいかかったので疲れちゃって、帰ろうと思ったけどちょっともったいない気持ちもして、新宿のルミネで少し服も見た。髪型変わると似合う服装も変わってくる。そのあとベルクに寄ったらちょうど空いてて久々に座れてうれしい。マフラー型(?)のクフィーヤ付けたお客さんもいた。
帰っていろんな服を身体に当ててみる。かつてファンシーな気分の時に買った緑のチェックのワンピースがまったく似合わなくなり、ヘビメタのフェスTをリメイクした服が似合いすぎる。これまでの方向性も自分で似合っていると思っていたし好きだけど、それ「だけ」が好きなわけではない。付き合っていた時あまり着れなかった方向性を、ひとりだと全く気にせず好きなように着れるのは幸せだ。ビリー・アイリッシュにシンパシーを感じる。とってもセクシーになりたいときもあるし、「女性」から解放されたいときもある。
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パリに住んでいる友人が、今度のパリオリンピックが嫌だから開催期間中は日本で過ごすと言っていて、わたしも2020年の東京オリンピックが決まった時、嫌でたまらず都外に引っ越したから気が合うと思った。そして都知事選前にまた東京に戻ってきたのはよかったかもしれない。関東大震災の朝鮮人虐殺の追悼文を当然出す人に都知事になってほしい。
・首相官邸と外務省に意見。藝大の国際交流協定打ち切り求める署名にもサイン。
2024年5月26日
まだこの部屋であんまり熟睡できた感じがしないのが少し不安だ。毎晩何度か目が覚めてしまう。今日は5時に目が覚めた時、二度寝はやめて散歩へ。6時半には川にいた。もう明るいし、走ったり歩いたりしている人たくさんいた。1時間ほど歩いて、途中で腰掛けてぼんやりしたりして帰った。少し肌寒くて気持ちよかった。
洗濯して朝ご飯食べて掃除もしたらちょっと疲れて1時間ほど寝て、仕事のメールをして実家へ。弟夫婦が入籍の挨拶に来たので同席。Tさん、とっても素敵な方だった。キラキラしてた。
来るまで母もわたしもそわそわしてたけど、一番緊張してるのはパートナーの方だよねと言いながら待っていた。母がBGMにとかけたCDがなんだか荘厳なオペラだったので、もっとリラックスしたムードの方が良いのではと他を探したらアストラッド・ジルベルトのCDがあった。助かった。
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ブログ「社会不安障害と向き合う」の記事、「自分に厳しいのと意地悪なのとを混同していた」が完全に自分のことだった。「なにかしなければ自分は生きている資格がない」でいままで生きてきたから、11年前にチョイスに入選した電話がきたとき部屋で号泣したのだけど、それは「絵が認められた喜び」というよりは「生きている資格をもらった」と思ったからだった。だからそれから「生きている資格」=「絵が描けること」が満足にできなくなってからはずっと「資格」貯金を削っているような、どんどん「生きている資格」がなくなっていくような苦しさがあったのだと思う。いまは少しずつ「資格なんてものはそもそもない。ただ生きているだけでいい」ということを自分にわからせていく日々なんだと思う。
今までカウンセラーやAwarefy、いろんな人から散々「自分を大切にしよう」と言われてきたけど、方法がわからないからどうしようもなかった。だけどこのブログの考え方は今までで一番理解しやすい。
ほんとうにわたしは自分に「厳しい」のと「意地悪」を完全に混同している。同じ出来事でも他人には優しい言葉をかけ自分には正反対の言葉をかけるのはダブルスタンダートで、自分へ暴力をふるっている限り、他人への言葉の根拠がない、その言葉に信頼がないということ。
・首相官邸、外務省、上川外務大臣、辻副外務大臣に意見。
2024年5月25日
うまく寝れなくて23時に布団に入ったけど布団から出たのは翌日12時30分だった。いやなつらい夢を見て、何度も目が覚めて、また夢と現実がわからなくなって落ち込み続けた。でも「わたし」の声を聞いて、ゆっくりゆっくり身支度とご飯を食べて、洗い物もして、日焼け止めも塗って家を出て川沿いを歩いた。
・首相官邸と上川外務大臣に意見。
2024年5月24日 できたこと
・道に落ちてたハンドタオルが飛ばされたり踏まれたりしないようブロック塀に掛けた。
・川沿いを散歩をしていても、なにか散歩の「成果」を残さなくてはと気を張ってなにかを探すように歩いていた自分に気付き、それは休んでいないので、何も考えずぼーっとしようと切り替えることができた。
・途中で休憩し、もっと遠くまで歩こうとしたけれど少し疲れている自分に気付き、予定を変更してパン屋に行くことができた。
・朝は散歩した後に仕事をしようとしていたけど、散歩をしながら今日は丸一日休む、仕事をしないことを決めることができた
・上川外務大臣に意見FAX。
・日陰のベンチでパンを食べて、ゆっくり過ごすことができた。風が気持ち良い。
・ベンチに座りながら、思い付いて木の枝で文字を書いたが、これは「仕事」かもしれない。「FREE」までで終えた。
・夕方銭湯に行って、そのあとグリーンカレーを作って食べた。夜もゆっくりして23時には布団。
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今日はあまり息苦しくならなかった。でも夜に頭痛。まだうまく休めず、結局「意識的」に過ごした一日だったから頭が疲れたのかもしれない。
わたしのなかの「わたし」に訊く。そうすれば「わたし」の声が聞こえて、「わたし」が望んでいることがわかる。声を聞いたら身支度も、無理せず途中でやめることもできた。
2024年5月23日
何年も前からあまり積極的に絵が描けなくなって、仕事もあまり受けられなくなってから、絵を描いてない自分はなにもない、人に会う資格がないという無意識の認識があって、どう人に会えばいいのかわからなくて、とくに調子が悪い時に助けを求めるようなことができない。
自分に自信がない、絵を描いていない自分は存在してはいけない、何かしていない自分は人に会う権利がないという気持ちが本当に本当に本当に強いし、会えば悪い気持ちにさせてしまうんじゃないかと思って誰にも連絡できない(自分がこれはバウンダリーの意識が弱いからそう考えてしまっているかもしれない)
「休む」ってひとつを休めば良いのではなくて、全てを休まなきゃだめなんだとやっと気付いた。この状態でもいま仕事の絵を描いていて、それだけでよくやっているのかもしれない。ほんとにそれ以外は休んだほうがいいのかもしれない。そして、かつて元気になってた行動もいまは逆効果になることが多いと言うことも。これはやってみないとわからないことが多いけど…
いまものすごく自傷の気持ちが強まっていて、その原因をつくってるのが自分自身だった。
今週いっぱいはInstagramは休もう。今回無理して行動して、それでよくないことを引き起こしてしまった。
awarefyにもチャットしたら、ほんとうに真っ当なこと言われて、よくないことしたと思う。一番気を付けていたことをいつの間にかしてしまっていたことに気付く。全ては余裕のなさ、自分の不調から引き起こしている。疲れていること、いまは余裕がないことをちゃんと自覚して休む。
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思ったよりまだ調子が悪いのだと思う。調子悪いよ。主に動悸、息苦しさが治らなくなった。不眠は治ったし大丈夫だろうと、自律神経用の漢方をしばらく飲んでなかったけど、ほんとうによくない。動悸が日に日にひどくなっていて飲み始めた。引っ越したので新しい病院も探さないといけない。
心療内科に行くと何故か医者に調子がよくなっているアピールをしてしまう。わたしは「手のかからない良い患者」になりたいみたいだ。ここでも取り繕うのか。確かにずっと前と比べれば良くなっている。しかし劇的によくなっているわけではない。以前はなにが起きていたのかわからなかったが、いまはある程度何が起きてるかわかるようになった、だけの違いかもしれない。
【次の通院で伝えること】
・油断すると落ちてしまいそうなので比較的元気な状態であっても気が抜けない感じ、緊張している。結果あまり動いてないのにものすごく疲れて動けなくなる。動悸、息苦しさが続く
・頭がすぐ疲れる感じがする
・人の言ってることがわからなくなる
・一度落ちるとほぼ5日ほど動けなくなる。落ち方が重い
・同時に自傷願望、自分を罰しないと許されないという気持ちがわく
・いないほうがいいのではないか、という極端な考えになるまでの移行が相変わらず早い
・下支え感は最初に飲んだ薬が一番あった
以上のことを次はちゃんと伝える。
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もうだめだった。××さんにメッセージで話を聞いてもらった。ほんとうに危なかった。はっきりと自傷のイメージが目の前に現れたけど、振り切った。ちゃんとSNSを完全に休むことを投稿した。できてよかった。
投稿したとき、一瞬はっきりと身体が軽くなった感じがした。みんなは休んでも良いけどわたしは休んじゃいけないと心の底ではずっと思ってた。なにもしないわたしは生きている意味がないと。でも、休みますと言ったらいろんな人が連絡くれた。Kさんの「そらそうだわ」に「そうなんだ」と気が抜けた。休んでよかったんだ、遅すぎたんだ。
いろんな人が優しさをくれた。がっかりされ、幻滅されると思った。責められると思った。でも怒られなかった。「あーあ」「なんだよ」「自己管理できてないな」と思う人もいるとは思うけど、それはいまはちょっと下がってもらってもらう(誰かがというよりは、それを思う自分のパーツがあるということ、自分を責める想像や言葉がすらすら出てきてしまうことが、私の一番向き合うべきところなんだと思う)
なにしたら「休める」のだろう。とりあえず絵の仕事はあるからしないとだけど、ほかはどうしたら。
ほんとうに自分に優しくなりたい。なにもできなくともいいのだと自分を認めたい。
2024年5月22日
家に食べるものがなくて夜にスーパー行った。半分残ってた鶏胸肉をどうにかしなきゃと思っていたのに、寝込んでいる数日間の間に消費期限を過ぎてしまってねばねばしていた。
スーパーに来たけどお腹が空いてたので、鯛焼きを買って外のベンチで食べた。引っ越した街は至るところにベンチがあって嬉しい。いろんな人が休んでる。
帰って、この前もらった野菜などと煮込んでスープにして食べた。玉ねぎ、紫玉ねぎ、にんじん、トマト、セロリ、新じゃがいも、ソーセージ、コンソメ、ローリエ、塩胡椒。おいしかった。しかしそれだけで疲れて動けなくなって結局ほぼ横になってた。
昨夜、猛烈に怒りと悲しみが湧いて心が終わった。上川外相の発言から、キャバクラやスナックの存在、ゾーニングできてない性的な広告、無意識に女性を「鑑賞」「品定め」する人たち、自分のキャリアに夢中で結局既存の権威性を無自覚に身に付けつつある同世代のアーティスト。自分に黒カビのように染み付く美術業界への憧れがほんとうにしょうもない、馬鹿らしい。これまで頑張ってきたこともすべてが虚しい。いろんな人に認めてもらいたかった。いい絵を描いて、いい仕事をして、いろんな人に知ってもらいたかった。でももうどうでもいい。本当にどうでもいい。しょうもない、しょうもなさすぎる。
夢の中でマックルモアがInstagramでメッセージくれた。いろんな夢を見た。母も出てきた気がする。前住んでた家の和室でわたしは寝ていて、布団から出ようとしてベッドから落ちた。
昼に起きてInstagram見たらもちろんマックルモアからメッセージなど届いてなかった。動悸がおさまらず、ひとつの動作ごとに横になり身体を落ち着かせながら、歯を磨き、ユニットバスのトイレの床を水洗いし、布巾で拭き、シンクに溜まった皿を洗い、机周りの消しかすを箒で集め、部屋全体をクイックルワイパーで拭きあげる。
パンを焼き、昨日のスープと豆乳、ヨーグルトを食べ、ピルと頭痛薬と鉄分のサプリメントを飲み、コーヒーを淹れ、机に向かい、救いを求めるように「祝福」の図案の制作を進める。
2024年5月21日
あの時までは最近のなかでは一番調子が良かった。自炊をし、作業も進められていたのに、些細なことがきっかけで「穴」に落ちた。落とし穴はカモフラージュされているから気付けないよ。
それでも日曜は元気になりたかったから身支度に数時間かけて夕方下北沢のパレスチナマーケットへ行った。しかし財布を忘れていて、ショックだし情けなかった。でもOさんからもうすぐ行くからお金貸しますよとメッセージをくれて、Kさんからも買うもの選んでいてくださいと連絡があって、結局2人からお金を借りてバッチとステッカー、そしてルーロー飯とコーヒーもいただいた。少しの時間だったけれど、3人が集まったのは展示以来だったから嬉しかった。Oさんの紹介でいままでInstagramでフォローしあっていたいろんな人とも挨拶できて、Sさんからは初対面なのに有機野菜までお裾分けしてもらった。
確かに元気をもらった。それなのになぜか帰宅したらひどく動悸がして、悲しいけど外出自体がストレスになってしまったようでそのまま寝込み、悲観、絶望、泣いたりして、その発作がおさまって少し凪のときに机に向かうも頭が働かない、頭が考える方法を忘れているような、座っていられず横になり、息苦しさの中で眠ることができても頭が休まらず小刻みに目が覚める。一度締切を伸ばしてもらっていた仕事も再び伸ばしてもらって、とにかく寝ている。寝てるのに疲れてる。ほんとうになにもかも違う、こうなる前の自分と。母に来てほしいと思った、けどもう夕方で、来てもらって対応できる気力もないのでやめた。あんまりInstagramも見れない。心細くてラジオをつけてもうるさくて消す。音楽もうるさい。とにかく息が苦しい。なんでこんな無駄な頑張りをしなくちゃいけないんだろう。普通に生活することが大変なことになりつつある。杉田俊介さんのTweetは読んでいる。苦しんでいるひとがいる。
2024年5月13日
・一昨日、お昼くらいに電車に乗ってて、晴れてたし車内も空いててぽかぽかな空気が満ちていて、そしたら赤ちゃんが目が覚めたのか泣き出して、その声がとても愛おしく思う。目的の駅に着いて降りたらホームでお母さんと小さな子供が立っていて、子供がホームを歩くいろんな人に手を振ってて、わたしも子供のそばを通ったら目を見て「ばいばい~」って手を振ってくれて、わたしも「ばいばい~」って手を振り返した。改札出たら燕が飛んでた。
・昨夜は母にリリアンサスと芍薬を買って帰った。
・今朝は雨が降ってて、歩いてたら道路に小さな亀がいた。近くに池があるからそこからやってきたのか?でもお尻のあたりから血と少し内臓らしきものが出ていて、アスファルトに雨と滲んでいる。立ってはいるけど動いていない。車に轢かれそうだったので甲羅を持って端に避難させた。
・新居のハウスクリーニングが雑で、浴室の根を張った黒カビを除去したり、前居住者のフィルムテープの跡を薬剤使ってきれいに剥がしたり、台所の蛇口の先も錆びて剥げていたので新しく蛇口を買って取り付ける。ハウスクリーニング代をもらって自分でやりたいくらいだ。
・今日の作業を終えて新居から実家に帰る途中、ハクビシンが前を通って思わず声が出た。
2024年5月9日
新居で荷物整理週間。今週中に絶対に落ち着かせないと、もう次の納品が迫っている。
荷解きで身体をほどよく動かし、母の作る健康的な食事を食べているからか、この数ヶ月間のなかで一番体調が良い。しばらく実家に泊まらせてもらうことにして、最初の数日は環境の変化でうまく寝れなかったけど、昨日はアイマスクも使わずすぐ寝た。よく寝た。
同時に、この数日はラファ侵攻に対するアクション、呼びかけをたくさんしてる。
一昨日くらいかな(時間感覚がない)、Oさんの呼びかけのおかげで日記更新くらいにしか使ってなかったTwitterにパレスチナの呼びかけを投稿したら、ものすごく拡散されて、やってよかったと思った。いろんな人に届いている感じする。本当によかった。
反対意見の人からの返信もあって、少し前だったらすごく怖がってたと思うけど、いまはわたしのバウンダリーができはじめてきているのか、冷静に応答できている。怖がる必要はないんだ。夜疲れている時はTwitterを見ないようにして、しっかり寝て元気ある朝に返信するという行動を自然と取れて、自分成長してるじゃんと思った。
いろいろな人が追記してシェアくれたのを読んだり、メッセージくれたり、友人ともやりとりしたり、実家もいまの距離感は居心地良く思えている。とても心が温かい。
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引っ越し関連のいろいろな手続きがいろいろすっぽ抜けてたり、忘れ物したり、バス乗り間違えたり、マットレスも買い忘れてしばらく新居で寝れなかったり、かなり疲れやすくなって活動時間は少ないけど、でもよいのだと思う。自分に優しく接する方法に少しずつ気付けていけてる。
2024年5月5日
昨夜はなぜか布団の中でつらくなって泣いてしまった。その前にはゆっくりお風呂浸かって、Aさんから教えてもらったYouTube動画のリンパマッサージもして、どちらかというととても自分に優しくしたのに、反対につらくなってしまった。その後眠りはしたけど(それは以前と比べたらほんとうに進歩している)何度も目が覚めて、そしてものすごく腰が痛かった。
沈んでいく時、上を向いてお尻から落ちていくんじゃなくて、頭から真っ逆さまに落ちていくイメージだ。沈みたくないのに、身体が潜る姿勢になってしまってる。ずっと頭の中では「自分を責めてはいけない」とか「いまは向き合うべきじゃない」とか「そっちは何度も行って、良いことはないって分かってるよね」とかいろんな声が自分からも周りからも聞こえるけれど、今日もまた自分のこの身体の重さ、推進力が勝ってしまった。
でもちょっと数日ソワソワしていたからブレーキはかかったと思えば。
以前カウンセリングでも自分のパーツと対話するという催眠療法をしたけれど、今日見た動画も近いことをしていて、自分の臓器、子宮に語りかけながらマッサージをするのだけど、それでなにかを揺り起こしてしまったのかもしれない。結局やっぱり最近少し心が沈んでいなかったのは蓋をしていただけなんだと思う。
子宮の位置も本当のところよく分かってない、なんとなくここだろうと思っているけれど、実際どのくらいの大きさなのかも知らない。
2024年5月4日 言ってることがわからない
昨日一日荷造りして、母も来てくれたおかげでほぼ終わらせることができた。が、今日は寝込んでしまい、心療内科の予約時間に起きた…。日程変更してもらったけど、薬がすこし途切れてしまうのが心配だ。
明らかに思考力が落ちていて、いままでそんなことはなかったのに、業者からの説明とか、何言ってるのか本当にわからなくなって頭に入ってこない。よくわかっていないわたしに相手は丁寧に説明し直してくれるのだけど、長引くほどますます何言ってるのかわからなくなって、時間もとらせるし結局全部よくわからなくて断るから双方に無意味…。
思い出す気力もないが、また×さんが夢に出てきて、なんやかんやあって、げんなりして、はっきりとなにかを喋って目覚めたことだけは覚えてる。昼まで寝てた。スープ食べて風呂に浸かり、落語聞きながらひとつ納品し、水平都市行きたかったけど気力なくやめる。最近そういうことばかりだ。どこにも行く気力がなくひとりでキャンセルしまくってる。あまりにも寒くて布団のなかでしばらく丸まったあと、意を決して暖房を付け、加湿器を用意する。コムタンスープ、ネギとしいたけの焼きそば作って食べながらルックバック見る。そしてコインランドリーに来て今。
歩きながら、もう虚空に呼びかけるのこれっぽっちも無理かもと思った。なんでひとりでこんな苦しまなきゃいけないんだろうと思う。もう知らない、ひとりでやろうという気持ち。来週の企業実習と同時に展示も始まるというハードなスケジュール…もうひとつ納品しなくてはいけないものがあるけど、明日やるしかない。明日は資料館の予定もある…
なにがしたいんだかわからなくなってくる。なんでひとつやったらひとつ疲れてしまうんだろう。疲れを上回る喜びも楽しさもしばらく感じたことが無い。全て「疲れた」に終わる。なんだか最近ずっと「疲れたくない」と疲れながら思い続けている。
やりたいことはあるのに身体がまったく追いつかず、キャンセルした数のほうが増えていく。
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再来月一件取材受けることになったけど、作業場の写真撮るらしくて、少し前は抵抗なかったけど今日やっぱりやだなと思った、から連絡しないとなあと思った。部屋に来てもらうのはうれしいけど、なんで不特定多数に提供しなきゃいけないんだ。大切なものはちゃんと大切にしたい。死んだ後なら載せてもいいと伝えるのはどうか。
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先日ギャラリーに作品を受け取りに行き、Sさんにこの前鬱がひどかったときに迷惑をかけたことを謝った。しかしあのときSさんから聞いたくそみたいな話は、やっぱりくそだと思った。ほんとうに、なんて死にたくさせてくれるんだろうと思った。
もう一年経つのに鬱は鬱のまま、心が死んだまま、冬がこわい。もう完全に一回死んだのだと思う。前の自分は殺されました。見事に。いまはもう誰でもない。
はやく学校終えて身の回り片付けてすっきりして通勤始めて絵を描く生活のなかで穏やかに自分の死と向き合いたい。
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自分の感情や「優しさ」を否定され、一方では「優しさ」をきっかけに侵害されそうになる。これでどう芯を保てると思うか。朽ちた芯、立ち直ることなどできない。水を注いでも意味ない、悪化。
2024年11月8日
夜は多少汗はかくけどわりと普通に寝れるようになった。睡眠薬もほとんど飲んでいない。とにかくしばらく(いろいろ放棄し)睡眠時間を最優先に確保していたのが良かったのかもしれない。やっと身体が回復してきた感じがする。
2024年11月7日
夢で、夜中にAさんが家に訪ねてきて、「最近Instagramでパレスチナ関連の発信してないね、ガザのジャーナリストの発信も見てないでしょ、いいね付いてないよ」と責められた。家に入れられないからとりあえず近所の公園に連れて行ったら夜市みたいな雰囲気でいろんな露店が出て賑わっていた。もう深夜2時過ぎくらいだったけど、SさんとGさんとMさんが宴会しててまざりたかった。室内キッズスペースのようなソファがたくさん置かれている場所があったのでAさんを座らせ、「ちょっと余裕がなくあまり発信もできないし投稿も見れてないが、見たらいいねを押すのを心がけるよ」と伝えたらとりあえず納得してくれた。いやな夢。
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授業後、ギャラリーに作品受け取りに電車に乗ったら、目の前に座ってる人がクフィーヤ身につけてた。
ギャラリーからの帰りの電車では、リュックサックに既視感のあるキーホルダーをつけている人がいて、それは前のパートナーの合鍵についてたキーホルダーと同じものでギョッとした。
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気持ちは低いところで安定してきた気がする。
2024年11月5日
ラフの提出が遅れている…他にも期限の迫る(過ぎてる)ものばかりで、ほんとうにただひとつひとつ手をつければいいだけなのだけど、嘘みたいに気力と体力がない。昨日は額屋に相談に行っただけで疲れて、そしてさまざまな憂鬱なことを思い出し憂鬱。はやく全てが終わってほしいことだけを願う。里芋のポトフはつくった。。
2024年11月4日
昨夜はOさんとIさんとシーシャ行って韓国料理を食べて、パレスチナのこと、沖縄のこと、それぞれの仕事での抵抗のこと、政治のこと、寄付のこと、心のこと、話せて楽しかった。すべての話がフラットに話せる喜び。電柱に貼られたBDSも、壁に書かれたFROM (THE) RIVER TO THE SEAもうれしかった。反対に言えば、それらからしか力をもらえない。
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(省略)
2024年11月3日 コインランドリー
無気力。またどろどろに寝て、おかしな汗もかいて、寝具と洗濯物をコインランドリーへ持っていく。コインランドリーばかり行ってる。コインランドリーでこれを書いている。いろいろ提出しなければいけない仕事がたまってる。
全然Instagramは見れないしパレスチナ関連も最低限のことしかできない。少し集まった寄付とわたしからの寄付をまとめてRさんに送金したら、すぐにRさんから感謝と同時に心配のメッセージが届く。そのメッセージからなんとなく、Rさんはお金もだけどそれ以上に日々のメッセージのやりとりを求めているのかもしれないと思った。余裕がなくあまり返せず申し訳なく思う。
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なんだかなあという気持ちだ。昨日の大雨があがって今日はこんなに天気がいいのにむなしくて仕方ない。早朝にカーテンの隙間から見えた外が気持ちよさそうで川沿いを想像した。いま行ったら気持ち良いだろうなあと、汗で湿った布団の中で思ってまた寝て、誰かをある公園で開催される米軍基地反対デモに連れて行ったら反応が薄い夢を見た。
Webサイトに日記を載せたついでにちょろっとコミッションワークを見たら、なんて静かな絵を描いていたんだと驚いた。また描きたい。
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コインランドリーから戻りシャワーを浴び、いろんなことを終わらせていないままOさんとIさんとの打ち合わせに行く。
2024年11月2日
半日どころか3/4日寝てしまう。
夢の中で2枚変な絵も書いたし、テイラー・スウィフトにも会ったし(しかももう数回会ってる関係)、テイラーとは神奈川のほうのいい感じの海岸沿いのクラフトビールか日本酒の醸造所もしくはオーガニック系のなにかの店で会ったら、テイラーはそのままそこのオーナーと付き合い始めた。シーンが変わって個人経営の飲食店にPさんともまたご飯に行ったけどPさんはそこで知り合った人といきなり良いムードになって他の部屋に行ってわたしは置き去りにされた。
夢の中で絵を描くのはかなりダメージがある。逆転する感覚。
2024年11月1日 昨夜から今朝までのこと
強くストレスのかかることがあり、Awarefyでもチャットし(ものすごく助かった)、はっきりと暴飲暴食して寝たら、夢に×さん出てきた。どこか人の多いところでテーブルを挟んで座っていた。前にも同じパターンの夢をみたけど、最初はほがらかなのにすぐ険悪になって、わたしは怒ったのか、いやな気持ちになったことを伝えたかしてその場を去る。今回もそう。話の内容も思い出せない。その場所はものすごい人混みで、わたしが席を立ってしばらくして×さんも席を立ってこちら(出口)に来ようとしたので、気付かれないように人混みに身を隠しながらその場を離れる。あとは忘れた。
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落ち込みがやっと底付きしてきている感じする。いまは悲しいというより、キモいと思ってる。不快。キモくて虚しい。
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夢。小田急線の駅のホームで立ちながら髪を洗っていた(服は着ている)。カラーが色落ちしてきたのが気になって、ピンクのカラーシャンプーを使っていた。電車が来たと思ったらタクシーで、もう学校(高校?)に大幅に遅刻する時間。タクシーに乗って線路の上を走る。途中にMさんがいたので乗せる。Mさんが途中でもう1人乗せたいと行ったけど、その人は家にいなかった。Mさんはその人を芸名で呼んでたが、わたしは聞き覚えがなく、本名を聞いたら「ああ、あの人か」となったけど、それが誰だか忘れた。そのあとも忘れた。
2024年10月31日
静かに絵を描きたいし刺繍をしたい。あと高尾山も行きたい。仕事を始めて制作の時間を確保して、リズムができれば大丈夫な気がする。朝と夕暮れに川沿いをゆっくり歩きたい、川沿いを歩いて遠くのスーパー銭湯まで行ってみたい、本を読みたい、ガイドヘルパーもしたい、温泉に行きたい、人に会っても夜悲しくならないようになりたい。
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通っていたカウンセリングってWeb予約できたっけ、と久々に心療内科併設のカウンセリングのWebサイトを見る。自分が受けたのは「パーツセラピー」にあたるのだろうか。あのときの催眠療法で認識した「Xパーツ」さんのことを思い出す。いまは「Xパーツ」さんの働きが把握できなくなっている。あの時と比べて自分は外に出たり学校に通ったり行動的になっていて、それは「Xパーツ」さんの力なのか、また別のパーツなのか、「Xパーツ」だとしたらめちゃくちゃ頑張ってる。
担当のカウンセラーに会って、この半年間のことを聞いてほしいという気持ちが猛烈に湧く。カウンセラーとしてその勤務時間にその役割を全うしているだけであって、その人本人のことは何も知らないのに。
何度か会って、いろんなことを打ち明けて、そしてそれを受け入れてくれた(彼女には利害のないから、それが仕事だから、こちらを侵害することがないという安心感)相手がいるいうのはほんとうに、ちょっと悲しくもあるけど救われる。半年行ってないのに。
2024年10月30日 「死んでほしい」と「死にたい」
しばらく調子が悪い。もう1ヶ月以上よくないところにいることを、1ヶ月前の日記を更新しようとして気付き、最近のまで一気に載せる。いつふと生きていることをやめてしまってもいいように。(いいように?)
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「死んでほしい」という言葉が浮かぶが、それはほんとうに死んでほしいわけではなく、わたしに押し付けた分を回収し自覚し己に向き合ってくれと思うがそんなことは絶対にありえないとも同時に十分わかっているし、そもそももうそれは目の前にいない、記憶のなかのことでしかなく、とにかくわたしの頭からその記憶が消えてほしくて「死んでほしい」と自分の記憶のなかの人の形をしている靄に強く思う。わたしだけが何度も呼び出している。おかしいよほんとに。誰か止めてほしい。呼び出しているというか向こうから来るんだよ。あらゆるきっかけですぐ来る。そして自分が発した「死んでほしい」は全て自分自身に向かい、ものすごく「死にたい」となる。
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予定をひとつキャンセルし昨日から今日にかけて18時間ほど寝た。信じられない…リフレッシュ♫以前の問題。
2024年10月28日
昨日、夕方に資料館に行ったら誰もいなくて留守番。資料館にある本をやっと読んだ。
しばらくしたらOさんが来て、配信の準備を始める。19時過ぎにTさんが帰ってきて、Rさんも一緒で会えてうれしい。
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開票速報配信は結局深夜3時近くまでやった。一夜でいろんな言葉を知って都度検索したが、終わった後タブは全て閉じた。
選挙毎にマニフェスト見比べて投票するくらいじゃだめだと思った。マニフェストはいいことしか書いてない、書いてないことこそやばいのに。だけどわざわざ調べない人が大半だろう。
Tさんが話していた先日の伊勢崎さんを迎えたトークイベントのあるお客さんの話はひとりひとりにあてはまる。わたしも話したい、過去の投票先で今考えれば「失敗」した話。それぞれの思想、選択に至るまでの経緯。
Tさんは政治に絶望しているが、わたしが同調するのはぬるすぎる。あまりにも勉強していない、頭を使っていない、蓄積がないし行動もしていない。
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今日は今日で失業保険の制度で明らかに理不尽な部分があって、そのせいで不利益を被るのは解せないとハローワークの窓口で伝えたらしばらく待たされた後、後日電話回答になった。一旦確認しますと席を離れた職員が、遠くで他の職員と「笑いながら」話しているのが聞こえて、それを「馬鹿にされている」と被害者的に考えるのは認知の歪みだ・わたしがその立場だったら「面倒なことを言われた」という気分になって似たような伝え方をするだろう・自分の存在を否定されたわけじゃない・そしてハローワークの職員も非正規で待遇以上の負担を強いられているかもしれないから過剰な「ホスピタリティ」を求めるのはおかしいと自分に言い聞かせて耐えたけど、戻ってきた職員の面倒そうな表情を乗り越えることができず、不自然な「お手数おかけしてすみません^ ^;」の振る舞いで終わった。それからもう頭が混乱し、細々した作業をしようとカフェに入ったけど全く作業が進まず、Awarefyとチャットした。つかれた。ほんとうに休みたいけどほんとうにやることがあるんだ。しかも大半がお金にならないこと。
自分自身の不利益は金銭的には大したものではないけど、絶対に似たような状況の人は多くいる。つまりうつ病で定期的に通院しているのに、職業訓練を休んだその日に通院していないと、証明書類がないということでその日分の支給がされないということ。風邪で休んでその日に病院に行ったり市販薬を買えば、その領収書が証明書類になり支給されるのだけど、うつ病で自宅療養の場合、当日の証明をするものがないから「やむを得なくない」と判断され不支給になる。
「ずる休み」での支給を防ぐためのものなんだろうけど、現行の制度はうつ病を考慮してない人たちが作ったんだろうなと思う。
健康を求められる毎日で毎日ずっと気をつけているよ、自分の精神がおかしくならないように。頑張って頑張って、でもどうしようもなく崩してしまった時に「当日の証明がない」だけで認められないのはおかしいよ。数日休めば回復する風邪は通院した証明すればOKなんて。そりゃ週一でカウンセリングも通いたいよ、でも保険効かないから2時間2万だよ。めちゃくちゃだよほんとに。
(追記:後日連絡があり、二週間以内の通院の領収書と処方せんの領収書で認められた。そう表記してほしい)
2024年10月27日
昨日の朝は髪が抜けて後頭部がべっこり凹む夢見て起きた。
ムサビのスタンディングに行って1時間ほどで帰るつもりだったけど撤収まで手伝った。でもSさんにも久々に会えたし、他にも新しいうれしい出会いがあったのでよかった。呼びかけてよかったと思った。留学生のKさんから中国のこと、留学生の入試のこと、いろいろ教えてもらった。
帰ってどろどろに寝た。
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洗濯して、家の掃除して、洗濯しきれなかったものと寝具を持ってコインランドリーへ。待つ間にこれを書く。
2024年10月25日
自然と湧き出る優しさ。自分に負担のない範囲の優しさ。でもデモには行けない、ガザを遠くに置き、沖縄に基地を押し付け「観光」して楽しむだけ、おかしな政治を諦めて蹂躙されていることに抵抗しないのは、やっぱりそれじゃだめなんじゃないか。大人として。子供のままで子供を育てたり教育する、明らかに多くの問題を抱え増幅する社会で「活躍」する意味、優先順位が一向に変わらない。
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振り返らない
過去のことを一切考えない
みんな死んだ
何も考えない
絶対に何も考えない
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もう金輪際「子供」の面倒は見たくない
2024年10月24日 朝、夜
昨日は学校を休んで一日ほぼ寝た。やっぱりしばらく調子が悪い。明らかに違うところにいる。万が一のことを考えて日記を全部載せた。なにをどうしたらいいのかわからない。この「終わりたさ」を医者に伝えられなかった。でももう薬でどうこうできる気がしない。自分が回復していると思い込みたかっただけでほんとうは大きく道を間違えてるのでは。迷子には変わりないのでは。
SNSがよくわからなくなった。オンラインストアは一旦クローズ。学校の疲れもある。次の納品も迫っている、来月の展示の準備も、12月のイベントの準備もある、依頼の図案も、額装に出さなきゃいけないのも、細々とした連絡も、なによりも制作が進まない、自分が押しつぶされていく感覚。Sさんから誘ってもらったのに選挙のポスターをつくれなかった。
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糞尿を垂れ流している気分だ。こんな人間を誰も良いと思わないし自分も良いと思わない。ほんとになんでこんなことを呼び込んでしまったのかと、どうしても振り返ってしまう、振り返る限りここから動けないこともわかってる。じゃあどこを見れば良いのかがわからない。こんな意味で生きるのが大変なんて。
2024年10月23日
昨日は学校も、夜もつかれた。むなしい、ほんとうにつかれた。ほんとうにつかれました。耐えられない。
勝手すぎるほんとうに、ほんとうにもうどうでもいいんだ、パレスチナのパの字も出ない、知っててマクドナルド普通に食べれること、無神経さ、ずっと2016年2017年の作品のことばかりいわれるならもういま死んでもかわらないじゃないかと思ってしまった。なんでこんなことになってしまったんだ、なんで夢に出るんだろう、なんでいなくなってくれないんだろう、わたしは思い出してしまうんだろう、無理だよほんとうに耐えられない、ほんとうにいまひとりなんだと思い知らされる、生きてても死んでても一緒、くそどうでもいい、もう知らない
なんども腕に火をつけることを想像する、あの絵を描いたからか、
いつまでがんばらなきゃいけないんだ
つかれたほんとうに、なにもかもつかれた
なんでこうなってしまったんだ、なんでなにもかもがむなしく感じてしまうんだ
こんな気持ちで介護の仕事なんてできないんじゃないか
よくないことが伝わってしまう絶対に
生きてても意味がない 自分にも他人にもなにもできない時間が積み重なっていくのがほんとうにつらい
早くいろいろ売ってお金にして寄付にして終わらせて身軽になりたい
それだけだ
2024年10月21日 電車内
夢。K(と認識しているけど本当のKとは違う知らない人)の家に、他の男性と3人で集まっていた。わたしたちは友人同士で、Kの近所のオカルトスポットの話や自転車の話をしていた気がする。
気付いたらどこか地方都市のような場所にいて、地元に根付いた小規模なスーパーのような個人商店に向かっていた。経営する夫婦が明るく賑やかな人柄で評判らしく、レジに並んだらおばさんから接客された。レジなのに試食を勧めてきたり、おまけといっていろんなものをくれた。
気付いたらわたしはアンティークショップのような店で個展をしていて、知らない人が何故かわたしの個展会場にその人のDMを置こうとしてて不愉快に感じ、わたしの芳名帳やDMを置いている机に置かれたがそれを端に寄せた。
気付いたら自分がオスプレイに乗っていて、海に墜落して海上保安庁に通報した。墜落直前にわたしはそのオスプレイを空から眺めていて、オスプレイは軽トラに変わっていた。だから軽トラが空に浮かんでいて、それが海に墜落した。そのあと防衛省かなんかのサイトで事故記録を探したけど出てこなくて、母から夢見てたんじゃないのと言われて夢だと気付いた。でも海上保安庁には連絡してしまっててどうしよーと思ったらそれも夢だったことが夢の中でわかって、それからほんとうに夢から覚めた。
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奇妙な夢を見てぐったりして起床。実技は排泄の回で、他人に紙おむつをつけたりわたしもつけたりしていたら、紙おむつに気力を吸われてしまったようで疲れた。授業後本当はまっすぐ帰りたかったけどピルをもらうために婦人科へ。同じようなくたくたな日が続いて5回ほど予約日時を変更してしまっていた。
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疲れか、曇りのせいか、授業のせいか、細々とした連絡や事務作業が滞っているからか、ガザに関する投稿に新しい人からの反応が全くないからか、おそらく全てのせいで、今日はむなしい気持ちが強い。なにを言ったって、本人が「人が虐殺されている」ことに対し一度深く悲しみの底につかない限り、つまり虐殺が自分自身の個人的な悲しみと重ならない限り、動けないと思う。そもそも自分の悲しみを知らない人もいると思う。悲しみに向き合わないように、悲しみを覆い隠すもので世の中は溢れているから。何度か底にタッチすることは人生できっとあるだろうけど、底は底じゃなくてもっとその奥があることを知り、深く深く沈み、いままで底だと思っていた場所をずっと下から見上げて茫然とする、力が入らない、もう二度とアレを底だと思ってた頃には戻れないと悟ることがないと、いくら言っても無理なんじゃないかと思う。
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なにかやってれば気は紛れる。しかしほんとうに心の中心が、芯が朽ちた木のような。触れない、触ったら崩れる。
苦痛だ。でもまだいろいろ終わらせられないから生きているだけだ。本当に自分の「楽しいこと」なんてない、という覚悟をしたほうがいいのかもしれない。気が紛れることがあるだけ幸せだ。
少しでもマシな世界になるように、マシな日本になるように、Rさんの子供たちが爆撃の恐怖から解放され、お肉やお菓子を食べ、学校に行けて、さらにガザの外、行きたいところに行けるようなパレスチナになるように。腐り切った人間が正当に裁かれる世の中に。
Tはどうしているんだろうか、Tのお母さんどうしているだろうか。いまのTのお母さんはどんなことを考えているかわからないけど、あの小学校の卒業式のときのTのお母さんから言われた一言が忘れられない。
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もう以前のような「楽しい」ことは「楽しい」と思えなくなったから、今後その「楽しい」ことはない。自分をつくるものがすっかり入れ替わってしまい、別の「楽しい」が見つかればいいけど、それがどれだかわからない。そもそも楽しみを積み重ねる安定した地面などなく、ここは沼地で、沼の中にいるなにかが足を引っ張ってきて、バランスを崩しながらも多分どうにか生きる限りは「楽しい」を自然と積み重ねようとして、ひとつの(つくった)(見つけた)(手に入れた)(降ってきた)「楽しい」を投げたらあっけなく沈んで、浮かびもせず、見えなくなって、無力感に襲われ、何個投げても泥に飲み込まれる、積み重ねられない、もう自分の身体を投げ出したくなりながら、投げ出そうとする自分を想像しながら、死ぬまで。産まれた頃に打たれた、または持って生まれた錨は多分これからひとつひとつ減っていく。新しく打たない限り。
最近ひとつ自分の手で持ち上げて抜いた。
2024年10月20日
昨日はTさんと田中一村展見た後に有明のデモ後のOさんと新宿で合流しお茶。ベローチェで席に座った途端にTさんが田中一村の図録を開きながら話し始めようとして一瞬で資料館にいるような気分。Tさんはアイスロイヤルミルクティー、Oさんはアイスココア、わたしはコーヒーフロートとそれぞれ甘い飲み物を頼んで展示のことや選挙の話。わたしはほんとに勉強不足で知らないことばかりなので2人の会話を聞いていた。特に伊勢崎さんがれいわから出たことを私はまだどうしようか迷っている。しかし、「まだマシな人」に投票すると考えれば、伊勢崎さんは候補者のなかでジェノサイドへの具体的な言及をしている唯一と言っていい人だからその人を国会に送り込むことは良いことだとも確かに思う。ただれいわということ、そして比例3位ってどうなんだろう。
帰って一息ついて終電近い電車で渋谷に行ってHUBで本読んで時間潰してWWWX行った。久々にああいう場所行って、みんな音楽に身体を揺らしてて、10月7日のイスラエルの音楽祭ってこんな感じだったのだろうかと思った。
しょうもないよ。一人ひとりの人生知らないけど、この中でひとりでもガザのために動いている人はいるんだろうか。全然気分が乗らなくて、目当てのYves Tumorは悪くはなかったけど特段楽しい気持ちにもならず、とにかく怒りが引き出されむかついて仕方なかった。その波が過ぎた後はただむなしかった。クフィーヤ持ってくればよかったと思った。ガストで本読んで始発で帰って寝た。
全員それぞれちょっとずついまの生活が不便になって、その分全員のつらいことがそれぞれ解消される世の中のほうがいいと思う。満たされ過ぎているよ。世界の億万長者に富が集中しているというけど、普通の人も富はなくても搾取のもとに成立している社会で生活しているわけだし。だからわたしがいまつらく感じてることも当然のこととして受け入れる。最悪な気分なことには変わりないけど。
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ヘアサロンに行った帰りにカフェで介護の試験勉強、遅くなったので食べて帰ろうと下北沢の居酒屋に寄ったら、後ろの席で芸人志望らしい男性2人が話してて下北沢感。バラエティ番組のディレクターになりたいと話してた。
2024年10月18日
昨日は睡眠不足とちょこちょこストレス感じることが重なって、授業中に動悸がし始めてこわかった。動悸から意識を逸らして、なんでもない、なんでもないと念じてやり過ごせた。帰ってゆっくり風呂に浸かって22時前には寝た。今朝も天気のせいか頭痛。
昨夜レバノンの市庁舎がイスラエルに攻撃されて市長や援助活動していた職員が死亡、今朝はハマスの軍事部門指導者が死亡。めちゃくちゃだよ。他人事の人たちはこれがどの国だったらショックを受けるのだろう。あなたの住む市の隣の市庁舎だったら?死んだ子供の名前が「綾」ちゃんや「優斗」くんだったら?
まったく幸せじゃない。ぼんやりして死んでいく。
2024年10月15日
一昨日Lさんと久々に会って楽しい時間を過ごしたら反動で夜ものすごく悲しくなってなにもかもいやになってしまった。もうだめだ。かっこつける気力もなくてストーリーの一部公開でありのままを書いたらAが心配してメッセージをくれた。翻訳して読むと
「自分が自分であること、特に親切であることについて、決して自分を責めないこと。世界は残酷さに満ちている。自分自身に残酷であることは、そうあるべきでない。」
親切であることについて自分を責めないこと。
過去のパートナーからわたしの「優しさ」は真の「優しさ」ではないというようなことを言われてから、わたしの持つ「優しさ」は間違っている、正しい「優しさ」を思考し行わなければならないとの思いに囚われている。呪い。
「自分を責める必要はない」。言ってることは理解できる。責めなくてもいいと思うにはどうしたらいいのか。反省をしなければまた繰り返して自分が傷付く…終始自己愛でしかない。空っぽの自分の底にこびり付いたカスみたいな愛を集めて自分に渡している。
同時に、反省をしたからといって、自分を責めたからといって、事故や怪我を回避できるともあまり思えない。じゃあどちらにせよ傷付くなら自分を責めない方がよいか。生きてる限り人は人を傷付けるし傷付けられるから諦める。全部諦める。傷付けることを認めた上で人と関係をつくるしかない。自分の思うようにしか優しくできない。それが相手に伝わらなくても自分の優しさを否定しない。心と手段を切り離す。優しい心自体を疑わない。
「自分のことを優しいと信じる。自分を疑わない。」恐ろしい文面。しかし疑ってきた結果いま行き詰まってるので、今度は信じてみよう。自分を責める必要はないことを自分に理解させる。頑張ろう。
2024年10月12日
疲れきって昼前にやっと起き、洗濯とステッカー発送作業だけして夕方までほぼ寝てた。ご飯を炊いてなかったからカット野菜に納豆と半熟卵のせて食べた。
やることが山積みで、でも身体が動かない。朝も家事と仕事と自分の用事で混乱して、落ち着け、落ち着けと自分に言い聞かせた。
クライアントワークをたくさんやってた頃から、昔から少しでも時間があるならやってしまったほうがいいんじゃないかと考える癖があるせいで、割り切って休むというのがほんとうに苦手だ。
昨日の心療内科で先生に、たまに気分の落ち込みはあるけど平日ちゃんと学校も通えてるし、自分の疲労にも前より気付けるようになっていい調子だと思うと伝えて、先生からもそれはよかったですと言われたけど、あわせて「週末に動けなくなったりしませんか?」と確認されてドキッとした。まあまあよくあると伝えた。
2024年10月11日 電車内、サイゼリヤ
授業後、心療内科に行く途中の電車内でこれを書いている。ほんとうにくたくた。何もしたくないけど手持ち無沙汰なので日記を書く。
昨日はよく寝れた。ただ、涼しくなってきたのに少し汗をかく。昨年の冬の自律神経がいかれたときのことを思い出して少し緊張する。
今週は実技が始まり、納品と生理も重なりキツかった。頭も身体もよく働いた。先週のデモからキャパオーバーしている感じはあったが、案の定、顎にまたニキビができてしまって憂鬱。少しずつ白い膿が出てかさぶたが盛り上がってる。しかし昔のひどい荒れ方に比べたらこれでも随分マシだと自分を慰める。ただやっぱり不織布のマスクがダメなようで、デモの日と翌日の学校で使ったら顎で擦れた部分が軽く炎症を起こし、2日ほどで治ったけどヒヤヒヤした。
今日は屋外での実習。府中の街をアイマスクして白杖持って歩く&介助、椅子に乗る&介助の体験した。午前に1時間、午後に2時間、よく歩いた。日向はまだ陽射しを暑く感じるけど、風が吹くと冷たくて心地よい気候。
欅並木を歩き、大國魂神社や府中駅近くの商業ビル(アイマスクしてたのでどこかわからない。ビアードパパのあるビル)、府中市中央図書館、競馬場や府中本町の駅周辺。車椅子でコンビニにも入った。目が見えないとき、歩く方角は介助者の声かけが間に合わなくても腕を掴んでるのでそこまで怖くなかった(しかしこれも途中から、ある程度介助者に慣れてからかも)。それよりは段差がとにかく怖い。5cmくらいでもガイドしてもらわないとかなり恐怖とストレスになる。声かけと、必ず介助者が先に段差を降りれば、介助者の腕の動きから高さがわかる。
聴覚で(話し声、横断歩道前での車両の走行音)と触覚(点字ブロックの存在感)で具体的な情報を取得し、同時に皮膚感覚(陽射しや冷房)、嗅覚(飲食店から漂う匂い)が鋭敏になる。長時間目を閉じながら歩いてると平衡感覚を維持するのもつらくて疲れた。後天的な視覚障害はほんの少しだけど体感できるけど、先天的な視覚障害は想像がつかない。先天的でも時計盤は教える(クロックポジション)そうで、「2時の方向」なども共有できるそうだ。
想像が及ばない。わからないことばかりだ。
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実技が始まって5日目。一番最初は他人の身体に触ることに抵抗があった。女性でも男性でも。5日目の今日は男性の腕を掴み、男性に腕を掴まれた。わたしから他人の身体に触ることの抵抗は薄れたけど、他の人がわたしの身体に触ることについてはそれぞれどう感じているかはわからない。とくにクラスで一番年少で、女性として。
AEDの話にもなり、先生は「女性が心室細動起こして倒れたとき助けてもらえないことを覚悟してください」という話し方をして、それはAEDを装着する時に胸をはだけさせたことで後日訴えられた事例があるそうだと話したが、それってデマだったような?と思ったけど自分の把握してない事例があるのかなと思ってその時はスルーしていま調べたけど、やっぱりそんな事例は出てこない。デマとされている。
あの場で先生の立場で伝えることは「必ず助けてください」ということでは。躊躇わせて終わり、は指導する立場から最もしてはいけないことでは。もしかしたら公に上がっていない事例を先生が見聞きしていたとしても、救命を躊躇わせる話で終えることはよくないんじゃないか。
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ガザについてもSNSがまた苦しくなってきた。なにをどうシェアしたり呼びかけたらいいから頭が働かない。損傷のひどい遺体を「見慣れて」しまった。しかしそれは視覚情報だけで、臭いを想像することはできない。嗅いだことのない臭いだからわからない。
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深夜、コンビニで買い物を済ませ店を出て駐車場ですれ違う二人組の会話。わたしからすれば他人の、彼らの親密さが基盤にあるくだけた会話(本来ならわたしが触れることのないはずの空気)を聞いた時の嫌悪感。自分の想像力の限界を感じる。
2024年10月10日
つかれてる。実技が始まって頭も身体もへとへとだ。ぐったり。instagramもまた苦しい時期かもしれない。怒る気力もなくなってきた。心が麻痺して悲しくもならない。穏やかに寝たい。ずっとずっとずっと先までやることがたくさんありすぎる。
2024年10月9日
起きたらYves Tumorのライブ情報メールが届いてて、"Shibuya"と書かれてて嘘かと思った。
2024年10月8日 家
学校、ほんとうに小さな社会。「人の良い」人達の、たくさんの偏見と無関心。
2024年10月7日 バス車内、ベッド、椅子
久々に顎にニキビができた…原因は60%ストレス→食生活の乱れ、40%睡眠障害→ストレス、つまり100%ストレス。疲れた。寝たい。なにもない日を過ごしたい。
やになっちゃうな。もうなにも知ったこっちゃないけど。
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学校では実技が始まった。今日は介護用ベッドのシーツ敷き。
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悲しみに深く沈み切ってはじめて感じることがある。暗い海の底、耳が圧迫されて音が聞こえない。水の中で身体は重く溶けていくようで、脳だけが存在を際立たせる。ひとりで沈み切ったはずが、ぼんやりと遠くに人影が見える。脳で見る。暗くてよく見えないけど泣いているように見える。なんとなく、この他にもいるのだろうと悟る。自分のように沈み切った誰かが。もうひとり、もうひとりそこにいることを悟る。
「殻を破る」「突き抜ける」んじゃなくて、底に落ちきらないと気付けないことがある気がする。他人がどうこうできない、その人にもわからないタイミングで訪れる、底の底までの落下。もう二度と浮上できないような重さ。
これまで生きてきて傷つき治癒させてきた傷をもう一度開くことでもあるかもしれない。自分の悲しいという感情を全て抱えて、その重さで沈むのはむしろ勇気のいることなんじゃないか。
だからやっぱり人に「頼む」ことはできない。
2024年10月6日
昨日はマーチのボランティアスタッフとして参加。雨で寒く、そしてスタッフはなかなかつかれた。
帰りにTさんとシュベールでお茶した。マーチの反省会と、一年を振り返ってこれからのことを話した。
ご飯食べて風呂に浸かって早めに寝たけど、頭と身体が興奮しているのか、何度も目が覚めた。Tさんからも早朝にメッセージが届いて、同じく疲れているはずなのに起きてしまったとのことだった。
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自分に対して思うこと。目を覆い耳を塞いで傷つかないように自分に集中して幸せに生き延びたいとは思ってない。別に生き延びなくていいと思ってる。ちゃんと傷ついて、どうしようもなく駄目になったら死ねばいいと思ってる。それが幸せに感じる。生きていていまが一番自由に感じる。「絵」からも解放されつつある。
そのためには最低限、身体は健康でいたい。
いまの自分にとって死ぬことは解放されることだと思える。宝物のように抱えていよう。ご褒美をもらうにはまだ足りない。やらなきゃいけないことがある。一番大切なものとしてその時までとっておこう。
2024年10月4日
学校の帰り、用があって寄った商業ビルにゲームセンターがあって、ちょうど昨日見たあのカービィのクレーンゲームがあって、一回やったらクレーンが届かない位置にあったから、店員さんに声かけて移動してもらって、もう一回やったらとれた。
2024年10月3日(曇り時々小雨) 電車内、家
昨日はとにかく寝ようと睡眠薬飲んで22時半には横になり、カービィをもみもみしながら目を閉じてたらすぐに寝れた。起きた。
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最近の授業では心身の仕組みの基本的な知識を学んでいる。やっとホルモンがなんなのかを理解した。視床下部が下垂体へ指令を出すホルモンを分泌し、下垂体が各臓器へ刺激ホルモンを分泌し、各臓器がホルモン(例えば卵巣からエストロゲンとか)を産生する。そしてこれらにはフィードバックの機能があって、だからこそ卵巣からエストロゲン分泌量が減少しても視床下部が分泌せよと指令を出しまくり同じく視床下部の自律神経中枢を刺激しちゃって更年期障害になる(ということだったはず)。月並みだけど、脳ってすごいし脳を休ませる睡眠はほんとに大事…睡眠の質が悪いと脳内にアルツハイマー型認知症と関連あるたんぱく質(アミロイドβ)が排出されず蓄積されてしまい、認知症のリスクがあがる。
介護職のための授業だけど、自分の身体のことも考えられる。あとアロマテラピーの身体への具体的な効果がほんとにすごい。香りは鼻から直で脳に作用するし、オイルにしてマッサージから経皮吸収させるとほんとにむくみがとれたりする。いい香りでリラックス~くらいしかイメージがなかったからびびった。
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××駅降りて×に向かう道で、目の前を歩いていた高校生カップルの女の子の鞄からカービィがぶらさがってた。それもちゃんと頭のてっぺんから吊るされているんじゃなく、ちゃんと手からぶらさがっててすごくカービィでかわいかった。
2024年9月30日
うう、とても難しい仕事のラフをどうにか切り抜けラフを提出した…へろへろだ。
2024年9月29日
もう自分の動けなさに呆然とする…とにかく眠い。自暴自棄気味。
でもAwarefyに「刺繍のように自分の好きなことに没頭する時間を作ることも効果的かもしれませんね。」と言われて、素直にそうかもと思った。確かに刺繍してる時って大抵ラジオを聴きながらいろいろ思い巡らすけど、あまり悲しい気持ちにはならない。ちょっと気が楽になった。
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「あっちに川があるんだよ」
2024年9月27日
学校帰りに寄るスーパーは普段使ってるスーパーよりも安くて賑やか。今日は店員が生鮮売場でりんごやシャインマスカットの宣伝を、精肉売場では焼肉、パン売場ではパンの試食販売をしていた。
《COOK》夜
・秋刀魚の塩焼き
グリルないしIHだしコンロもフライパンも小さくて二つに切って焼いたけど、それでも秋刀魚はおいしい。
・小松菜と柿の木茸の焼きそば
少し前からウー・ウェンさんの焼きそばにハマり、いろんな具材でよく作る。自分はもうちょっとコクがほしくてオイスターソースも入れることが多い。今日の具材は余ってた小松菜と柿の木茸。にんにくと柿の木茸を弱火でゆっくり火を通して、良い感じになったら小松菜の茎を入れて中火で炒めて、上に麺置いて酒ふって蓋して蒸す。数分後に蓋を開けた瞬間に柿の木茸の濃い香り。黒酢やオイスターソースをからめて小松菜の葉っぱも炒めて醤油たらして完成。きのこの旨みがしっかり出て、お肉なしで充分満足するおいしさ。
・シャインマスカット
シャインマスカットってこんなに毎年たくさん売られていたっけ。基本1,000円超える印象だったけど今日一房699円を見かけ、最安値ではと思って買った。巨峰とかと比べるとなんとなく軟派な感じでいけ好かん…と思ってたけど、おいしかった。
贅沢な秋の晩ごはんになった。
2024年9月28日
夢で大学の卒業式後の会食のような場所にいた。なぜか在学生もいる。10人がけのテーブルがあちこちにあって、まだ料理は配膳されていない。わたしの目の前に以前付き合ってたパートナーが座っていた。夢の中ではまだ関係が続いていた。途中まで普通に喋ってたけどパートナーがまたわたしに対して不機嫌になり、わたしは席を離れて、校内をトイレを探して歩き回り、会場に戻ったらその席には座らず、在学生のテーブルの端の席があいてたので座る。向かいの学生は浅黒い肌の男でそれなりに会話をして、食べて、連絡先を交換したけど、なんか怪しい雰囲気の人であまり深く関わらないでおこうと思って席を立った。また元の席に戻ったのか、パートナーはいたのか、そのあたりはもう覚えてない。
2024年9月26日
昨夜ちょっと泣いたけど眠さが勝って寝た。
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この前の朝、授業前に時間あったからチェーン店のカフェに入ってコーヒーを受け取って席に座ったら、となりのテーブルに折り紙の束と、折りかけの折り紙と、完成した富士山の折り紙が置いてあった。持ち主は席を離れていて、30分くらいいたけど戻ってこなかった。
今日も時間あったのでコーヒー飲もうと行ったら、また同じ席に、折り紙の束と、折りかけの折り紙と、完成した富士山と鶴と折り紙が置いてあった。今日は野球選手の似顔絵が描かれた色紙も置いてあった。
2024年9月25日
先日Tさんからラジオ出ないかと連絡が来て、てっきりTさん個人での配信だと思って昨日資料館に行ったら、これから移動するよと言われ、Oさんとついて行ったらコミュニティFMのスタジオで、ふつうにちゃんとした番組だった。
Tさんからも職業訓練のクラスメートからも「若者」と見られている。自分では「もう」34歳だと思うし、もっと若くてすごい人たちが身の回りにいるから、少し恥ずかしい気持ちになる。確かに50代60代からみればはっきりとまだ若い年齢ではあるのだけど。40代、50代の自分が生きていることがまったく想像つかない。
2024年9月24日
急に涼しくなった。久々の正気でいられる気温だ。暑さに体をこわばらせずに外を歩ける。
バスに揺られながら、いま自分がよく頼っている「終わりにしたい」という言葉について考えた。いま「終わり」の最中にいると思うこともできるかもしれないと思った。
もういろんなことがむなしいという気持ちが底にあっていい。なにに対しても期待しない。
電車乗ったら目の前に座ってた人のスマホにかわいいカービィがぶらさがっててうれしかった。
2024年9月23日
昨日も丸一日寝た。もうだめだ。ただ寝ることしかできない。なにもできない。どうしたってまた自分は大きな欠陥がある人間なのだと思ってしまう。はやく解放されたい、疲れた、何もかも…
勝手すぎるほんとうに、ほんとうにもうどうでもいいんだ、パレスチナのパの字も出ない、知っててマクドナルド普通に食べれること、無神経さ、ずっと2016年2017年の作品のことばかりいわれるならもういま死んでもかわらないじゃないかと思ってしまった。なんでこんなことになってしまったんだ、なんで夢に出るんだろう、なんでいなくなってくれないんだろう、わたしは思い出してしまうんだろう、無理だよほんとうに耐えられない、ほんとうにいまひとりなんだと思い知らされる、生きてても死んでても一緒、くそどうでもいい、もう知らない
なんども腕に火をつけることを想像する、あの絵を描いたからか、
いつまでがんばらなきゃいけないんだ
つかれたほんとうに、なにもかもつかれた
なんでこうなってしまったんだ、なんでなにもかもがむなしく感じてしまうんだ
こんな気持ちで介護の仕事なんてできないんじゃないか
よくないことが伝わってしまう絶対に
生きてても意味がない 自分にも他人にもなにもできない時間が積み重なっていくのがほんとうにつらい
早くいろいろ売ってお金にして寄付にして終わらせて身軽になりたい
それだけだ
2024年10月21日 電車内
夢。K(と認識しているけど本当のKとは違う知らない人)の家に、他の男性と3人で集まっていた。わたしたちは友人同士で、Kの近所のオカルトスポットの話や自転車の話をしていた気がする。
気付いたらどこか地方都市のような場所にいて、地元に根付いた小規模なスーパーのような個人商店に向かっていた。経営する夫婦が明るく賑やかな人柄で評判らしく、レジに並んだらおばさんから接客された。レジなのに試食を勧めてきたり、おまけといっていろんなものをくれた。
気付いたらわたしはアンティークショップのような店で個展をしていて、知らない人が何故かわたしの個展会場にその人のDMを置こうとしてて不愉快に感じ、わたしの芳名帳やDMを置いている机に置かれたがそれを端に寄せた。
気付いたら自分がオスプレイに乗っていて、海に墜落して海上保安庁に通報した。墜落直前にわたしはそのオスプレイを空から眺めていて、オスプレイは軽トラに変わっていた。だから軽トラが空に浮かんでいて、それが海に墜落した。そのあと防衛省かなんかのサイトで事故記録を探したけど出てこなくて、母から夢見てたんじゃないのと言われて夢だと気付いた。でも海上保安庁には連絡してしまっててどうしよーと思ったらそれも夢だったことが夢の中でわかって、それからほんとうに夢から覚めた。
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奇妙な夢を見てぐったりして起床。実技は排泄の回で、他人に紙おむつをつけたりわたしもつけたりしていたら、紙おむつに気力を吸われてしまったようで疲れた。授業後本当はまっすぐ帰りたかったけどピルをもらうために婦人科へ。同じようなくたくたな日が続いて5回ほど予約日時を変更してしまっていた。
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疲れか、曇りのせいか、授業のせいか、細々とした連絡や事務作業が滞っているからか、ガザに関する投稿に新しい人からの反応が全くないからか、おそらく全てのせいで、今日はむなしい気持ちが強い。なにを言ったって、本人が「人が虐殺されている」ことに対し一度深く悲しみの底につかない限り、つまり虐殺が自分自身の個人的な悲しみと重ならない限り、動けないと思う。そもそも自分の悲しみを知らない人もいると思う。悲しみに向き合わないように、悲しみを覆い隠すもので世の中は溢れているから。何度か底にタッチすることは人生できっとあるだろうけど、底は底じゃなくてもっとその奥があることを知り、深く深く沈み、いままで底だと思っていた場所をずっと下から見上げて茫然とする、力が入らない、もう二度とアレを底だと思ってた頃には戻れないと悟ることがないと、いくら言っても無理なんじゃないかと思う。
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なにかやってれば気は紛れる。しかしほんとうに心の中心が、芯が朽ちた木のような。触れない、触ったら崩れる。
苦痛だ。でもまだいろいろ終わらせられないから生きているだけだ。本当に自分の「楽しいこと」なんてない、という覚悟をしたほうがいいのかもしれない。気が紛れることがあるだけ幸せだ。
少しでもマシな世界になるように、マシな日本になるように、Rさんの子供たちが爆撃の恐怖から解放され、お肉やお菓子を食べ、学校に行けて、さらにガザの外、行きたいところに行けるようなパレスチナになるように。腐り切った人間が正当に裁かれる世の中に。
Tはどうしているんだろうか、Tのお母さんどうしているだろうか。いまのTのお母さんはどんなことを考えているかわからないけど、あの小学校の卒業式のときのTのお母さんから言われた一言が忘れられない。
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もう以前のような「楽しい」ことは「楽しい」と思えなくなったから、今後その「楽しい」ことはない。自分をつくるものがすっかり入れ替わってしまい、別の「楽しい」が見つかればいいけど、それがどれだかわからない。そもそも楽しみを積み重ねる安定した地面などなく、ここは沼地で、沼の中にいるなにかが足を引っ張ってきて、バランスを崩しながらも多分どうにか生きる限りは「楽しい」を自然と積み重ねようとして、ひとつの(つくった)(見つけた)(手に入れた)(降ってきた)「楽しい」を投げたらあっけなく沈んで、浮かびもせず、見えなくなって、無力感に襲われ、何個投げても泥に飲み込まれる、積み重ねられない、もう自分の身体を投げ出したくなりながら、投げ出そうとする自分を想像しながら、死ぬまで。産まれた頃に打たれた、または持って生まれた錨は多分これからひとつひとつ減っていく。新しく打たない限り。
最近ひとつ自分の手で持ち上げて抜いた。
2024年10月20日
昨日はTさんと田中一村展見た後に有明のデモ後のOさんと新宿で合流しお茶。ベローチェで席に座った途端にTさんが田中一村の図録を開きながら話し始めようとして一瞬で資料館にいるような気分。Tさんはアイスロイヤルミルクティー、Oさんはアイスココア、わたしはコーヒーフロートとそれぞれ甘い飲み物を頼んで展示のことや選挙の話。わたしはほんとに勉強不足で知らないことばかりなので2人の会話を聞いていた。特に伊勢崎さんがれいわから出たことを私はまだどうしようか迷っている。しかし、「まだマシな人」に投票すると考えれば、伊勢崎さんは候補者のなかでジェノサイドへの具体的な言及をしている唯一と言っていい人だからその人を国会に送り込むことは良いことだとも確かに思う。ただれいわということ、そして比例3位ってどうなんだろう。
帰って一息ついて終電近い電車で渋谷に行ってHUBで本読んで時間潰してWWWX行った。久々にああいう場所行って、みんな音楽に身体を揺らしてて、10月7日のイスラエルの音楽祭ってこんな感じだったのだろうかと思った。
しょうもないよ。一人ひとりの人生知らないけど、この中でひとりでもガザのために動いている人はいるんだろうか。全然気分が乗らなくて、目当てのYves Tumorは悪くはなかったけど特段楽しい気持ちにもならず、とにかく怒りが引き出されむかついて仕方なかった。その波が過ぎた後はただむなしかった。クフィーヤ持ってくればよかったと思った。ガストで本読んで始発で帰って寝た。
全員それぞれちょっとずついまの生活が不便になって、その分全員のつらいことがそれぞれ解消される世の中のほうがいいと思う。満たされ過ぎているよ。世界の億万長者に富が集中しているというけど、普通の人も富はなくても搾取のもとに成立している社会で生活しているわけだし。だからわたしがいまつらく感じてることも当然のこととして受け入れる。最悪な気分なことには変わりないけど。
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ヘアサロンに行った帰りにカフェで介護の試験勉強、遅くなったので食べて帰ろうと下北沢の居酒屋に寄ったら、後ろの席で芸人志望らしい男性2人が話してて下北沢感。バラエティ番組のディレクターになりたいと話してた。
2024年10月18日
昨日は睡眠不足とちょこちょこストレス感じることが重なって、授業中に動悸がし始めてこわかった。動悸から意識を逸らして、なんでもない、なんでもないと念じてやり過ごせた。帰ってゆっくり風呂に浸かって22時前には寝た。今朝も天気のせいか頭痛。
昨夜レバノンの市庁舎がイスラエルに攻撃されて市長や援助活動していた職員が死亡、今朝はハマスの軍事部門指導者が死亡。めちゃくちゃだよ。他人事の人たちはこれがどの国だったらショックを受けるのだろう。あなたの住む市の隣の市庁舎だったら?死んだ子供の名前が「綾」ちゃんや「優斗」くんだったら?
まったく幸せじゃない。ぼんやりして死んでいく。
2024年10月15日
一昨日Lさんと久々に会って楽しい時間を過ごしたら反動で夜ものすごく悲しくなってなにもかもいやになってしまった。もうだめだ。かっこつける気力もなくてストーリーの一部公開でありのままを書いたらAが心配してメッセージをくれた。翻訳して読むと
「自分が自分であること、特に親切であることについて、決して自分を責めないこと。世界は残酷さに満ちている。自分自身に残酷であることは、そうあるべきでない。」
親切であることについて自分を責めないこと。
過去のパートナーからわたしの「優しさ」は真の「優しさ」ではないというようなことを言われてから、わたしの持つ「優しさ」は間違っている、正しい「優しさ」を思考し行わなければならないとの思いに囚われている。呪い。
「自分を責める必要はない」。言ってることは理解できる。責めなくてもいいと思うにはどうしたらいいのか。反省をしなければまた繰り返して自分が傷付く…終始自己愛でしかない。空っぽの自分の底にこびり付いたカスみたいな愛を集めて自分に渡している。
同時に、反省をしたからといって、自分を責めたからといって、事故や怪我を回避できるともあまり思えない。じゃあどちらにせよ傷付くなら自分を責めない方がよいか。生きてる限り人は人を傷付けるし傷付けられるから諦める。全部諦める。傷付けることを認めた上で人と関係をつくるしかない。自分の思うようにしか優しくできない。それが相手に伝わらなくても自分の優しさを否定しない。心と手段を切り離す。優しい心自体を疑わない。
「自分のことを優しいと信じる。自分を疑わない。」恐ろしい文面。しかし疑ってきた結果いま行き詰まってるので、今度は信じてみよう。自分を責める必要はないことを自分に理解させる。頑張ろう。
2024年10月12日
疲れきって昼前にやっと起き、洗濯とステッカー発送作業だけして夕方までほぼ寝てた。ご飯を炊いてなかったからカット野菜に納豆と半熟卵のせて食べた。
やることが山積みで、でも身体が動かない。朝も家事と仕事と自分の用事で混乱して、落ち着け、落ち着けと自分に言い聞かせた。
クライアントワークをたくさんやってた頃から、昔から少しでも時間があるならやってしまったほうがいいんじゃないかと考える癖があるせいで、割り切って休むというのがほんとうに苦手だ。
昨日の心療内科で先生に、たまに気分の落ち込みはあるけど平日ちゃんと学校も通えてるし、自分の疲労にも前より気付けるようになっていい調子だと思うと伝えて、先生からもそれはよかったですと言われたけど、あわせて「週末に動けなくなったりしませんか?」と確認されてドキッとした。まあまあよくあると伝えた。
2024年10月11日 電車内、サイゼリヤ
授業後、心療内科に行く途中の電車内でこれを書いている。ほんとうにくたくた。何もしたくないけど手持ち無沙汰なので日記を書く。
昨日はよく寝れた。ただ、涼しくなってきたのに少し汗をかく。昨年の冬の自律神経がいかれたときのことを思い出して少し緊張する。
今週は実技が始まり、納品と生理も重なりキツかった。頭も身体もよく働いた。先週のデモからキャパオーバーしている感じはあったが、案の定、顎にまたニキビができてしまって憂鬱。少しずつ白い膿が出てかさぶたが盛り上がってる。しかし昔のひどい荒れ方に比べたらこれでも随分マシだと自分を慰める。ただやっぱり不織布のマスクがダメなようで、デモの日と翌日の学校で使ったら顎で擦れた部分が軽く炎症を起こし、2日ほどで治ったけどヒヤヒヤした。
今日は屋外での実習。府中の街をアイマスクして白杖持って歩く&介助、椅子に乗る&介助の体験した。午前に1時間、午後に2時間、よく歩いた。日向はまだ陽射しを暑く感じるけど、風が吹くと冷たくて心地よい気候。
欅並木を歩き、大國魂神社や府中駅近くの商業ビル(アイマスクしてたのでどこかわからない。ビアードパパのあるビル)、府中市中央図書館、競馬場や府中本町の駅周辺。車椅子でコンビニにも入った。目が見えないとき、歩く方角は介助者の声かけが間に合わなくても腕を掴んでるのでそこまで怖くなかった(しかしこれも途中から、ある程度介助者に慣れてからかも)。それよりは段差がとにかく怖い。5cmくらいでもガイドしてもらわないとかなり恐怖とストレスになる。声かけと、必ず介助者が先に段差を降りれば、介助者の腕の動きから高さがわかる。
聴覚で(話し声、横断歩道前での車両の走行音)と触覚(点字ブロックの存在感)で具体的な情報を取得し、同時に皮膚感覚(陽射しや冷房)、嗅覚(飲食店から漂う匂い)が鋭敏になる。長時間目を閉じながら歩いてると平衡感覚を維持するのもつらくて疲れた。後天的な視覚障害はほんの少しだけど体感できるけど、先天的な視覚障害は想像がつかない。先天的でも時計盤は教える(クロックポジション)そうで、「2時の方向」なども共有できるそうだ。
想像が及ばない。わからないことばかりだ。
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実技が始まって5日目。一番最初は他人の身体に触ることに抵抗があった。女性でも男性でも。5日目の今日は男性の腕を掴み、男性に腕を掴まれた。わたしから他人の身体に触ることの抵抗は薄れたけど、他の人がわたしの身体に触ることについてはそれぞれどう感じているかはわからない。とくにクラスで一番年少で、女性として。
AEDの話にもなり、先生は「女性が心室細動起こして倒れたとき助けてもらえないことを覚悟してください」という話し方をして、それはAEDを装着する時に胸をはだけさせたことで後日訴えられた事例があるそうだと話したが、それってデマだったような?と思ったけど自分の把握してない事例があるのかなと思ってその時はスルーしていま調べたけど、やっぱりそんな事例は出てこない。デマとされている。
あの場で先生の立場で伝えることは「必ず助けてください」ということでは。躊躇わせて終わり、は指導する立場から最もしてはいけないことでは。もしかしたら公に上がっていない事例を先生が見聞きしていたとしても、救命を躊躇わせる話で終えることはよくないんじゃないか。
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ガザについてもSNSがまた苦しくなってきた。なにをどうシェアしたり呼びかけたらいいから頭が働かない。損傷のひどい遺体を「見慣れて」しまった。しかしそれは視覚情報だけで、臭いを想像することはできない。嗅いだことのない臭いだからわからない。
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深夜、コンビニで買い物を済ませ店を出て駐車場ですれ違う二人組の会話。わたしからすれば他人の、彼らの親密さが基盤にあるくだけた会話(本来ならわたしが触れることのないはずの空気)を聞いた時の嫌悪感。自分の想像力の限界を感じる。
2024年10月10日
つかれてる。実技が始まって頭も身体もへとへとだ。ぐったり。instagramもまた苦しい時期かもしれない。怒る気力もなくなってきた。心が麻痺して悲しくもならない。穏やかに寝たい。ずっとずっとずっと先までやることがたくさんありすぎる。
2024年10月9日
起きたらYves Tumorのライブ情報メールが届いてて、"Shibuya"と書かれてて嘘かと思った。
2024年10月8日 家
学校、ほんとうに小さな社会。「人の良い」人達の、たくさんの偏見と無関心。
2024年10月7日 バス車内、ベッド、椅子
久々に顎にニキビができた…原因は60%ストレス→食生活の乱れ、40%睡眠障害→ストレス、つまり100%ストレス。疲れた。寝たい。なにもない日を過ごしたい。
やになっちゃうな。もうなにも知ったこっちゃないけど。
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学校では実技が始まった。今日は介護用ベッドのシーツ敷き。
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悲しみに深く沈み切ってはじめて感じることがある。暗い海の底、耳が圧迫されて音が聞こえない。水の中で身体は重く溶けていくようで、脳だけが存在を際立たせる。ひとりで沈み切ったはずが、ぼんやりと遠くに人影が見える。脳で見る。暗くてよく見えないけど泣いているように見える。なんとなく、この他にもいるのだろうと悟る。自分のように沈み切った誰かが。もうひとり、もうひとりそこにいることを悟る。
「殻を破る」「突き抜ける」んじゃなくて、底に落ちきらないと気付けないことがある気がする。他人がどうこうできない、その人にもわからないタイミングで訪れる、底の底までの落下。もう二度と浮上できないような重さ。
これまで生きてきて傷つき治癒させてきた傷をもう一度開くことでもあるかもしれない。自分の悲しいという感情を全て抱えて、その重さで沈むのはむしろ勇気のいることなんじゃないか。
だからやっぱり人に「頼む」ことはできない。
2024年10月6日
昨日はマーチのボランティアスタッフとして参加。雨で寒く、そしてスタッフはなかなかつかれた。
帰りにTさんとシュベールでお茶した。マーチの反省会と、一年を振り返ってこれからのことを話した。
ご飯食べて風呂に浸かって早めに寝たけど、頭と身体が興奮しているのか、何度も目が覚めた。Tさんからも早朝にメッセージが届いて、同じく疲れているはずなのに起きてしまったとのことだった。
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自分に対して思うこと。目を覆い耳を塞いで傷つかないように自分に集中して幸せに生き延びたいとは思ってない。別に生き延びなくていいと思ってる。ちゃんと傷ついて、どうしようもなく駄目になったら死ねばいいと思ってる。それが幸せに感じる。生きていていまが一番自由に感じる。「絵」からも解放されつつある。
そのためには最低限、身体は健康でいたい。
いまの自分にとって死ぬことは解放されることだと思える。宝物のように抱えていよう。ご褒美をもらうにはまだ足りない。やらなきゃいけないことがある。一番大切なものとしてその時までとっておこう。
2024年10月4日
学校の帰り、用があって寄った商業ビルにゲームセンターがあって、ちょうど昨日見たあのカービィのクレーンゲームがあって、一回やったらクレーンが届かない位置にあったから、店員さんに声かけて移動してもらって、もう一回やったらとれた。
2024年10月3日(曇り時々小雨) 電車内、家
昨日はとにかく寝ようと睡眠薬飲んで22時半には横になり、カービィをもみもみしながら目を閉じてたらすぐに寝れた。起きた。
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最近の授業では心身の仕組みの基本的な知識を学んでいる。やっとホルモンがなんなのかを理解した。視床下部が下垂体へ指令を出すホルモンを分泌し、下垂体が各臓器へ刺激ホルモンを分泌し、各臓器がホルモン(例えば卵巣からエストロゲンとか)を産生する。そしてこれらにはフィードバックの機能があって、だからこそ卵巣からエストロゲン分泌量が減少しても視床下部が分泌せよと指令を出しまくり同じく視床下部の自律神経中枢を刺激しちゃって更年期障害になる(ということだったはず)。月並みだけど、脳ってすごいし脳を休ませる睡眠はほんとに大事…睡眠の質が悪いと脳内にアルツハイマー型認知症と関連あるたんぱく質(アミロイドβ)が排出されず蓄積されてしまい、認知症のリスクがあがる。
介護職のための授業だけど、自分の身体のことも考えられる。あとアロマテラピーの身体への具体的な効果がほんとにすごい。香りは鼻から直で脳に作用するし、オイルにしてマッサージから経皮吸収させるとほんとにむくみがとれたりする。いい香りでリラックス~くらいしかイメージがなかったからびびった。
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××駅降りて×に向かう道で、目の前を歩いていた高校生カップルの女の子の鞄からカービィがぶらさがってた。それもちゃんと頭のてっぺんから吊るされているんじゃなく、ちゃんと手からぶらさがっててすごくカービィでかわいかった。
2024年9月30日
うう、とても難しい仕事のラフをどうにか切り抜けラフを提出した…へろへろだ。
2024年9月29日
もう自分の動けなさに呆然とする…とにかく眠い。自暴自棄気味。
でもAwarefyに「刺繍のように自分の好きなことに没頭する時間を作ることも効果的かもしれませんね。」と言われて、素直にそうかもと思った。確かに刺繍してる時って大抵ラジオを聴きながらいろいろ思い巡らすけど、あまり悲しい気持ちにはならない。ちょっと気が楽になった。
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「あっちに川があるんだよ」
2024年9月27日
学校帰りに寄るスーパーは普段使ってるスーパーよりも安くて賑やか。今日は店員が生鮮売場でりんごやシャインマスカットの宣伝を、精肉売場では焼肉、パン売場ではパンの試食販売をしていた。
《COOK》夜
・秋刀魚の塩焼き
グリルないしIHだしコンロもフライパンも小さくて二つに切って焼いたけど、それでも秋刀魚はおいしい。
・小松菜と柿の木茸の焼きそば
少し前からウー・ウェンさんの焼きそばにハマり、いろんな具材でよく作る。自分はもうちょっとコクがほしくてオイスターソースも入れることが多い。今日の具材は余ってた小松菜と柿の木茸。にんにくと柿の木茸を弱火でゆっくり火を通して、良い感じになったら小松菜の茎を入れて中火で炒めて、上に麺置いて酒ふって蓋して蒸す。数分後に蓋を開けた瞬間に柿の木茸の濃い香り。黒酢やオイスターソースをからめて小松菜の葉っぱも炒めて醤油たらして完成。きのこの旨みがしっかり出て、お肉なしで充分満足するおいしさ。
・シャインマスカット
シャインマスカットってこんなに毎年たくさん売られていたっけ。基本1,000円超える印象だったけど今日一房699円を見かけ、最安値ではと思って買った。巨峰とかと比べるとなんとなく軟派な感じでいけ好かん…と思ってたけど、おいしかった。
贅沢な秋の晩ごはんになった。
2024年9月28日
夢で大学の卒業式後の会食のような場所にいた。なぜか在学生もいる。10人がけのテーブルがあちこちにあって、まだ料理は配膳されていない。わたしの目の前に以前付き合ってたパートナーが座っていた。夢の中ではまだ関係が続いていた。途中まで普通に喋ってたけどパートナーがまたわたしに対して不機嫌になり、わたしは席を離れて、校内をトイレを探して歩き回り、会場に戻ったらその席には座らず、在学生のテーブルの端の席があいてたので座る。向かいの学生は浅黒い肌の男でそれなりに会話をして、食べて、連絡先を交換したけど、なんか怪しい雰囲気の人であまり深く関わらないでおこうと思って席を立った。また元の席に戻ったのか、パートナーはいたのか、そのあたりはもう覚えてない。
2024年9月26日
昨夜ちょっと泣いたけど眠さが勝って寝た。
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この前の朝、授業前に時間あったからチェーン店のカフェに入ってコーヒーを受け取って席に座ったら、となりのテーブルに折り紙の束と、折りかけの折り紙と、完成した富士山の折り紙が置いてあった。持ち主は席を離れていて、30分くらいいたけど戻ってこなかった。
今日も時間あったのでコーヒー飲もうと行ったら、また同じ席に、折り紙の束と、折りかけの折り紙と、完成した富士山と鶴と折り紙が置いてあった。今日は野球選手の似顔絵が描かれた色紙も置いてあった。
2024年9月25日
先日Tさんからラジオ出ないかと連絡が来て、てっきりTさん個人での配信だと思って昨日資料館に行ったら、これから移動するよと言われ、Oさんとついて行ったらコミュニティFMのスタジオで、ふつうにちゃんとした番組だった。
Tさんからも職業訓練のクラスメートからも「若者」と見られている。自分では「もう」34歳だと思うし、もっと若くてすごい人たちが身の回りにいるから、少し恥ずかしい気持ちになる。確かに50代60代からみればはっきりとまだ若い年齢ではあるのだけど。40代、50代の自分が生きていることがまったく想像つかない。
2024年9月24日
急に涼しくなった。久々の正気でいられる気温だ。暑さに体をこわばらせずに外を歩ける。
バスに揺られながら、いま自分がよく頼っている「終わりにしたい」という言葉について考えた。いま「終わり」の最中にいると思うこともできるかもしれないと思った。
もういろんなことがむなしいという気持ちが底にあっていい。なにに対しても期待しない。
電車乗ったら目の前に座ってた人のスマホにかわいいカービィがぶらさがっててうれしかった。
2024年9月23日
昨日も丸一日寝た。もうだめだ。ただ寝ることしかできない。なにもできない。どうしたってまた自分は大きな欠陥がある人間なのだと思ってしまう。はやく解放されたい、疲れた、何もかも…
2024年9月21日 コインランドリー
ものすごく眠くてまた半日寝た。
平日はもうくたくたで、週末にまとめて掃除をする生活だ。ステッカーの増刷分も届いたので封入作業して、コインランドリーで寝具を洗う間にコンビニで買った切手を貼って投函。文房具屋で見つけたキラキラのスイカのシールも貼った。
絵の仕事が進められていない。デモに行く気力もなく、刺繍する気力もなく、ただ家で倒れている…倒れながら「抱樸」の奥田さんと永井さんの対談動画を聴いた。今日展示最終日なので夜は会場に行かなくてはいけない。それ以外はもうだらだらしよう。なにかをする元気が足りないのだと思う。こうして家の掃除をしたり寝具を洗ったりステッカーの発送をしてるだけよくやってると自分を褒めよう…。
《COOK》
料理する気力もなく納豆ごはん、もしくは外食やお惣菜で済ませてしまうことが増えてたけど、昨夜は長ネギと鶏ももひき肉の焼きそばとサラダを作った。前にパレスチナマーケットで買ったザアタルでドレッシングをつくったら初めての味がして香りがよくおいしかった。
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昨日の小テストで、テキスト見ていいのだけど(それでも運転免許の引っ掛け問題みたいな感じで不安になる)100点と書かれた答案が返ってきてちょっと嬉しかった。
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今朝もまた夢に前のパートナーが出てきた…道で会った。別のシーンでわたしは彼に電話しようともしてたけど、もう連絡先を消しているのでわからないなあとか…夢を思い出そうとするのはやめよう。無意識ではまだ昔の自分に執着してるのだろうな、やだなあ。
これから先また楽しいことはあるだろうか。いまもそれなりに楽しいけど、それを覆うように薄暗く靄がかかっているのと、はっきりと真っ暗な、見ちゃいけない方角がある。
前に受けた催眠療法で、見た夢についてまた考えてみるやつ、またタイミング合えばやってみたい。
2024年9月18日
今日は看護師の先生の授業だった。死を迎える利用者や看取る家族について、先生の経験を聞きながら、ガザの人たちのことも考えた。
2024年9月17日 バス、昼休み、電車
今朝まで信じられないくらい寝た。昨日ほぼ寝てた。仕事も週末に提出する書類も進められてないまま今週も学校が始まる。
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いまの自分の心はシュワシュワとちっぽけな大きさに萎んでしまって、見失いそうなくらいだ。そんな小さな心でいまなにかを受け入れたりできなくて当然だとも思った。このゴマ粒みたいな心がまた質量を増やし膨らんでくるまで、両手で包んでなくさないように見守るだけでいいのだと思った。無理やり栄養をぶち込んだりするのも小さい心には無茶なんだ。針を刺す面積もない。いまはただ手のひらの自分の心に眼差しを向けることが自分に優しくすることなんだと思った。
何も考えられないから全て悲しくなってしまうんだ。大きくなればまたいろんなものを蓄えられる。小さいゴマ粒が泣いている。なぜか黒ゴマのイメージ。
心は膨らんだり縮んだりする。安定した大きさなどない。
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「早く終わりにしたい」という気持ちを払拭することはできないのだろうと思う。生きていくほどに苦しくなる気分だ。でも数年前に比べてある窮屈さや息苦しさは薄れて、そういう苦しさはない。ある苦しさが薄れた代わりに新しい(もっと深刻な)苦しさがのしかかってきた。
でも、早く終わりにしたいと思う気持ちを無理して遠ざけるよりは、ずっと持ってたほうがいいのだと思う。それもここにいる重しになる。そして「終わり」にする前にやらなくちゃなあと思うことをその時その時やる。
2024年9月16日 ベッド
13日に以前のパートナーが夢に出てきてから調子を崩している。
昨夜から奇妙な夢にうなされて今日の昼まで半日寝た。旅館らしき大部屋に10人くらいで布団敷いて寝ようとしていて、誰かが騒いでいるから「静かにして」と訴えた後に、わたしは何故か寝ながら洗濯機の排水ホースから出てくる埃や糸屑や髪の毛が混じった汚水をビニール袋に受け止めようとしていて、ビニール袋が擦れる音が響いて周りの人から「静かにしてと言っておいてうるさくしてるじゃん」と冷ややかな視線を浴びる。そして夢の中でも寝ようとして、でも周りの音や障子越しの外の光が眩しくてなかなか寝られない。布団の中で自分の両手を握ってひらいて軽い筋弛緩法的なことをしていた。他もなんかぐちゃぐちゃの夢。気持ち悪い夢。多分疲れている。
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起きたのに異常に身体が怠くて結局夜までまた寝込んでしまった。午前中の夢で見た見知らぬ人がまた出てきて、わたしたちは関係が進んでいて、わたしはその人と一緒に住むことになっていた。その人は重い疾患があって、わたしはパートナーとして彼を介護していた。彼の勤務先は東京経済大学で、夢の中の東京経済大学は浜松町にあるのでその近くで家を探そうとなった。夢の中の東京経済大学の隣には神戸大学の東京キャンパスがある。神戸大学は大学病院も併設していて、これなら万が一の時もすぐにかかれるねと話していた。誰だ。
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Awarefyでスリー・グッド・シングスを付けてるから日記にはなんでも書いて吐き出そうと思っていたけど、もしかして日記にこういうことを書くことで記憶に固定しようとしていたりして、と思うともう身動きがとれなくなる。今日はほんとうにだめな日で、スリー・グッド・シングスが書けない。
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これまで何度か経験してやっと気付いたけど、わたしは急に初対面のひとに会うというのがものすごくストレスに感じることに気付いた。「急に」が苦手で、前日までに伝えられているなら心のセッティングができるけど、当日や直前、行ったら知らない人がいた、みたいなことがものすごく苦手で、もちろんいつも親しくなっていく楽しさをとても感じているし知り合えて嬉しいなあと同時に思っているのだけど、エネルギーの消耗も激しく、帰った後ひとりになるとひどく疲れて楽しかったのに心が落ち込み、寝込んでしまう。。
昔は平気だった刺激に、いまは心身が耐えられなくなったのだと思う。たとえ嬉しいことでもそれは心身に負荷のかかる刺激だ。
もうこの先あんまり元気じゃないのだと思う。こうなる前のようには物事を捉えられない。人に会っても、なんだかもうなにもない、「楽しい」ことがむなしい、ただ時間の分だけ死に近づいていく…ように感じてしまう。
修復できない傷が深く深くなっていく、心にもう治らない部分がある。こんなぼろぼろでこの先ずっと生きていけると思えない。
疲れた、もう全てが…絵も描けない、絵は「こうなる前のわたしがやってたこと」になってしまった。こんな理由で意欲が減退するなんて思ってもいなかった。悲しい。誰の期待にも応えられない。誰にとってもこれからの自分は意味がない。誰からも離れたところにいる。ほんとうに一人だと感じる。
だからこのタイミングで刺繍を始められたのはよかった。
2024年9月13日 休み時間、電車内
授業が特に面白かった日は疲労も強い。時間的にはしっかり寝てるけど、変な夢を見たりまた喋って起きてしまったりした。
昨日の夢はKさんとK君が出てきた。K君は十数年前に二度会ったくらいだから、夢に出てきた人の顔が本当にK君なのかわからないけど、なぜか彼のことをK君とわたしは認識している。二人が住んでる家にお邪魔し、親しげに話していて途中から車に乗ったりしたけどあまり覚えてない。
今朝の夢は、前のパートナーが近所の市民ホールでパフォーマンスをすることを知り、会場に向かっていたら、途中にある飲食店から彼が出てきた。公演の合間に食事をしていたらしい。久々だったので緊張感があったけど相手は本番で気分が高揚しているのか、好意的に接してきた。そのあとホールに行って、なぜかわたしは舞台袖から様子を見ていた。あとは忘れたけど、なにか夢の中ではっきりと思うことがあって、それは幸せな内容ではなく、現実で決めた選択に間違いはないことを再確認し、それを口に出しながら起きた。文言は覚えてないけど、起きた時ちょっと悲しい気持ちになったのは覚えている。
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今朝の夢の内容をはっきり覚えてないからこそ、ぼんやりと薄暗い気持ちを引きずる午前だった。介護の勉強をしながら同時に父の今後のことを考えてしまうのもつらい。しかし最近の勉強でいろいろな選択肢を知ることができたので、前と比べて父の介護のプレッシャーは軽くなっているのは確かだ。認知症と思い込んでいたけど、もしかしたらただの加齢の「もの忘れ」かもしれない。しかし自分の名前が書けないのは…でも、なんらかの支援でまだ進行は防げるレベルなんじゃないか…と、教科書に掲載された様々な事例を読みながら思案する。とりあえず地域包括支援センターに相談に行けばいい、それだけのことなのに先延ばしにしてしまっている。
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今月の『世界』、和田靜香さんの新連載にとくに惹かれて授業後に本屋で買って早速読んだ。
わたしも先の都知事選で蓮舫さんの「ひとりで生きる女性を支える」という言葉に救われたひとりだ。おそらく「子供を産まない女性」として。
介護も「自立支援」と「尊厳の保持」の二つを理念として掲げていて、この2週間の授業でも繰り返し言われている。しかし、いまの世の中で介護を利用する以前の「個人の尊厳」が尊重されているとは思えない。「個人の尊厳」を尊重されていない人が利用者の「個人の尊厳の保持」のために働くことなどできるわけがないと思う。連日の総裁選のニュースも薄暗い気持ちで聞いている。小泉議員は年金受給を80歳以上にしようとしているが、日本人の寿命について知らないのだろうか。中小企業を元気付けるとか、雇用の流動性を高めるとか、彼らがべらべら話すほどに彼らの盲点が(それは政治家として致命的な)ほんとうにわかりやすく浮かび上がる。
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RさんのGFMに作品の売上といただいた寄付を振り込んだら、すぐに「ありがたいけど、あなたが困窮して苦しんでないか心配だ」と連絡がきた。失業してることは言ってない。
侵攻前のRさん夫妻はわたしよりもよっぽど裕福だったと思う。ずっと借家で暮らしていて、お金を貯めてついに自分たちの家を購入して引っ越すというタイミングで侵攻が始まり、新居のマンションは攻撃で崩落した。
ガザから届く多くのメッセージの中でRさんにだけ返信をしたのは偶然だった。選んだわけではなく、「ガザの人とわたしも直接やりとりしよう」と決めた直後にたまたま連絡が来たのはRさんだっただけだ。
だけどやりとりするのは一人が限度だ。もう一人も増やせない。いまはRさんのために自分は生き延びなければならないという気持ちだ。すべて勝手だけど。
2024年9月10日 カフェ
学校の向かいに障害者支援施設で作られた製品を販売している店があって、お昼休みに何度か覗きに行き、今日は気になってた網カゴと豆腐コロッケ買った。
今日の授業は老人福祉法、老人保健法から介護保険法への流れや、介護保険制度が適用されるサービスの範囲、受給の流れ、財源のことなど。勉強楽しい。簿記の勉強より断然楽しい。覚えることはたくさんあるけど少し前より頭の回転が戻ってきてる感じがして、いまのところ「何言ってるかわからない」ことは起きていない。
次のラベルの作業にとりかからなきゃいけないけど、家に帰ると気が抜けるのでカフェに寄って少し作業。ついでにこれを書いている。
2024年9月9日 電車内
昨夜は資料館から帰ったあと仕事をしようと思ったけどやる気が起きず、「OVER THE SUN」を聴きながらビーズの指輪を作って22時には布団に入った。そういう判断ができた自分を褒める。
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今朝バスにゆられながら、沿道に並ぶサルスベリの、あのポップコーンの破裂する軌道みたいな伸び方を見ながら、サルスベリってあの軽やかさに勝手に5月に咲くイメージがあるけど、咲く時期を覚えていなくて、毎年咲くといつも「今なんだ」と思うけど、それもまた忘れるだろう。サルスベリはサルスベリでしか覚えてなくて、他の記憶と結びついていない、不思議な植物。
《COOK》今週のお弁当
・にんじんのクミンラペ
・ヤングコーンのピクルス
・うずらの玉子
・ブロッコリースプラウト
・ちりめん山椒ごはん
2024年9月8日
やたら眠くて半日くらい寝てしまった。夢も見て、なぜか菊地成孔と偶然道で会ってそのままご飯を食べに行くという夢…菊地成孔は途中からYさんに変わっていた。なんらかのタイミングで×さんも出てきてちょっとうなされた。
洗濯して明日からの一週間のお弁当用ににんじんのクミンラペをつくる。
《COOK》にんじんのクミンラペ
塩と砂糖で水分抜いて味付けする。フライパンで米油とクミンを弱火で熱して香りが出てきたらお酢入れる。クミンは入れすぎくらいにたくさん入れていい。にんじんにかけて混ぜて寝かせて完成。ドライフルーツとかナッツ・シードをいれるとなおよし。
2024年9月7日
土日は学校休み。休みに興奮し昨夜はつい夜更かしをしてしまったけど、カービィをもみもみしながら脳を落ち着かせるイメージをしたら睡眠薬なしで寝れた。
今日は晴れて良い天気。洗濯して掃除して打ち合わせをして刺繍も少し進める。午後ギャラリーでもくもくとビーズの指輪を作る。結び目の処理が難しい。でも小さいものがころころ出来上がってくのがかわいくて嬉しい。売れるほどのクオリティはないけど、寄付のお礼にほしい人はどうぞとあげたりするのはいいかもなあとか、つい意味を見出そうと頭を働かせてしまうけど、そういう考えは一旦すべて捨てる。
2024年9月4日
昨日は学校のあと、Oさんとの待ち合わせ前に手芸屋でビーズを買った。刺繍に続きビーズの気分。キュートな気持ち。
シャワーを浴びながら「Session」を聴いてたら小林鷹之議員が出てきた。同性婚へは「個人的には慎重」と言い、憲法を持ち出したり(最高裁で違憲判決出てるのに)、また「社会的影響があるから慎重に」とか「国民の議論が必要」とか聞き飽きたフレーズ。戸籍制度がどうとか言って、いままさに人権侵害が起きていることへの無関心さ。制度はなんのための制度なのか。いろんなことを言い訳にして、結局彼の差別意識でしかない。所得増やす方法が経済成長?その前に具体的にできることあるでしょう。悠長なことを言っていた。彼の話す「日本国民」には範囲がある。わたしもその範囲には入っていないのだろう。
先日岸田首相がしれっと緊急事態条項を緊急政令と言い換え始めたことや、ネタニヤフもしれっとニュース番組か何かで西岸地区が存在しない地図を使用してたこととか、Instagramに書こうとしたけど途中でやめた。どうせ書いても読んでほしい人に読まれないから。昨日Oさんとも話して、やっぱりわたしたちは勝手に背負いすぎていたと思った。しかし「××には言及しないの?」と言うのは背負わされている。あなたがやればいい話じゃないか。全部はできない。全部するが目的じゃない。なにもかも他人に背負わそうとしないでほしい。あなたの分もわたしの分も誰かが尻拭いしている世界。
労ってほしいんじゃない。
いままでの期待の持ち方は間違っていた。いろいろ手放す。期待しない。背負わない。
2024年9月3日
昨日から学校。久々に早寝早起き、規則正しい生活習慣…お弁当もつくって食欲コントロールしてちょっと痩せたい。最近Instagramが苦しくて離れている。
《COOK》今週のお弁当
・切干大根のマスタード和え
・うずらの玉子
・ブロッコリースプラウト
・梅干し
・ちりめん山椒ごはん
2024年9月2日
島でつらかった時も救われた曲があった。Yves Tumorの「Operator」もそう振り返れる時が訪れるだろうか。イヴ・トゥモアは「God Is a Circle」が出会いでこれももうかっこいいのだけど、さらに「Operator」はほんとうにほんとうに最高だ。今年はずっとこの曲が傍にあった。混乱していて、充血した瞳で、言った直後に否定する、取り乱したかと思えば正気に戻ったように救済を嘆願する、躊躇しないと宣言する。自分にも、積極的であろうとする力自体はまだあるのだろうと思う。照準器がバグって方向を見失っているだけで。自分に向けたそれは攻撃だ。
もう一度、自分で自分を洗脳できるだろうか。良くも悪くも洗脳が解けてしまった。
「In Spite of War」も暗くうつくしい曲。
2024年8月31日 電車
低気圧と生理で身体がだるくて昼近くまで寝た。制作をする気にならず久々に刺繍を進めた。縫いながら、頭の中はもうだめかもだめかもでいっぱいだった。つらい。生きるほどに絶望が深まる。「気にしない」はもうできないから適度な距離を取るべきなのだけど、距離の取り方がわからない。
Awarefyのテーマを「自分に寄り添う」にしてから2ヶ月弱経って、結局よくわからないまま日々得点は積み重ねていつのまにか達成していたけど実感がない。「自分に寄り添う」がわからなすぎて怒りさえ湧く。テーマを変えた。
やっぱりどうしても絵を描かないと自分を生きていて良いと思えないし、誰からも好かれない、誰からも興味を持たれない、他人にとって自分は死んでいる、この世に存在していないのと変わらないと思ってしまう。それなら一度(仮に)死んだつもりになったほうがいろいろと受け入れられるのかもしれない。やっぱり全てを手放すという方向性は良いのかもしれない。
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ラベルの図案を描いた秋の限定酒が発売されたタイミングで、今日偶然知った短歌
「地図の上、朝鮮国に黒々と墨を塗りつつ秋風をきく」石川啄木
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なにもかもいやだ。なくなってほしいことが増える一方で、それなら自分がいなくなったほうが早いのではと思ってしまう。むちゃくちゃだ。こうなってるのは自分の責任なんだ、自分が悪いんだ、つらいことは全て自分が招いたことなんだ、積み重ね過ぎてしまったという気持ちが吹き出すと抑えられない、気を失うまで。もう一度立ち上がる力の蓄えがない。つくれない。なんとか立ち上がり、歩こうとすると足首を掴まれ、頭と肩を押さえつけられぺしゃんこになる。頰が地面に押しつけられ、ああ底だなと思う。その波が引いたらもう一度、四つん這いで進もうとする。情けない、惨めな姿で。もうそれを隠す気力もない。ずっとそうだ。なにもかもから、誰からも遠く、辿り着けない。ほんとうに一人だ。もういやだ。ほんとうにいやだ。調子が悪い。あれはDVだった。DVだと認めないよう抗ってきたがもう無理だ。怒鳴り声、威圧的な身振り、無意識下での暴力、あてつけとしての意図した嫌がらせ、何度も何度も何度も何度も思い出す。なんで何度も苦しまなきゃいけないんだ。いつまで続くんだ。発作のように思い出す。しかしそれを招いたのは自分だ。自分が自分を殺そうとする。
2024年8月30日
寝る前まではどうしようも辛くて自傷行為も思い浮かべてしまったけど、Awarefyにぶつけ、寝付いたら薬のおかげかわりと穏やかに寝れた。脳が寝かされてる感じがした。午前中に風呂に浸かり、台風低気圧の影響か午後また寝た。もう今日は「やること」はしないと決めた。「はだしのゲン」を読み、夕方消しゴムハンコをつくったけど失敗した。
調子が悪い。8月後半は数時間ごとに心が「大丈夫かも!」「あ、だめかも!」「やっぱり大丈夫かも!」「いやだめかも!」を繰り返していて疲れた。つまり不安定で、調子は悪かった。仕事でもない個人的なストーリーズでシェアする投稿を、できる限り「効果的」に届けるために「これは刺激が強いからやめとこうか」「これは補足が必要だな」「これを投稿してからフォローとしてこれを投稿しよう」とか考えることに疲れた。別に求められてやっているわけでもないから、とにかく自分を消費するだけで、つまり自分のキャパを越えていたということだった。こんな調子で続けられるわけがない。
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寄付を集めるよりは、Rさんに自分で定期的に送金をするほうがかなり気が楽だ。呼びかけて寄付が集まらない時のダメージがつらい。ガザを出るまとまったお金というのが途方もなくて、どう向き合えばいいかわからない。しかも寄付の呼びかけで疲れて、政府への抗議や根本的な解決のためのアクションへの呼びかけをする気力が削がれてしまう。寄付は対処療法でしかなく、気付いた一部の人の負担ばかりが増えて支援もなにも広がらない。
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これまでの経歴から自然と権威性を身につけている×が、だいぶ歳下の××の表現を見事に丸パクリして(直前に二人は関わりがあった)自分の展示で利用していたのを見て、ほんとにアーティストの「無邪気さ」は許せないと思ったし、そういうことに気づけずに×を評価する人の多い日本の美術業界もいやだ。そんな話を×××にしたら「そんなこと言わないで」と海外の活躍してるらしい×××の同級生のアーティストを見せられたけど、ほんとになにもどうも思わない。その活躍の「素晴らしさ」がよくわからない。わたしはそういう次元の話をしていない。
2024年8月29日 カフェ
喉はほぼ治った。しかし珍しく重めの生理痛で気持ち悪い。台風が近づいているのも原因かもしれない。今日は心療内科。しばらく強い落ち込みは起きてないし、浮き沈みはあるけどそれなりに対応できている。だからもう1ヶ月くらいで薬飲まなくてもいいんじゃないかと思ってたけど、最低でも半年は飲み続けたほうがいいと言われた…それもそうか…なんだかなあ。すっかり治る、なんてもうないのだろうなあ。
引き続きうまく寝れないことも相談して、一応睡眠薬もお試しで出してもらった。学校も始まるからちょっと不安だ。
しばらく辛かったな。1月~4月あたり思い出せない。日記を書いていてよかった。読み返したいとは思わないが…。よく頑張ったと思う。それでもほんとうにまだ軽い方だと思う。まだどうにかできる余地と、早めに休める環境をつくれたのはほんとによかった。わずかな貯金はほぼ使い果たしてとにかく自分を甘やかした。ゆっくりした。それでよかったのだと思う。ぼちぼち稼いでいこう。
2024年8月27日
夢の中で、世界中から高校生くらいの歳の人たちが集まるオリンピックみたいなイベント会場にいて、シオニストの集団に暴言を吐かれた。なにを言っても聞く耳を持たないのでわたしは逃げた。Rさんにいまあったことを聞いてほしくてメッセージを書こうと思った。わたしも水泳に出場しなくてはいけなかったけどサボって、どこか目立たない場所でゆっくりメールを打とうと思った。会場をさまよいながら、体育館でバレーやバスケで盛り上がっている様子も見た。しばらくしてクラスメイトが戻ってきて、あの選手団は帰ったみたいだよと言われた。
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近所のカフェ入ったら無音ですごく居心地よかった。
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疲れていろんなことにイライラして興奮して寝れなくて4時。世の中で起きていることに対して、わたしはバウンダリーが弱いからこんなことになっているのかと考えると、「やっぱりわたしはだめだ」と自己嫌悪に陥りかける。耳を貸さない人の方がわきまえて、しっかりしているのか、そうか、なんだ、なんなんだ、そういうことじゃない、けれどちょっと待ってほしい。またやりすぎたかもしれない、かなり気をつけていたのに。悔しい。つかれてしまった。あと何年生きるのだろうか。生きやすくなることなんてあるのだろうか。もう前みたいに息を吸えない。どこでもドアでRさん達を家に呼べたらいいのにとか考えちゃう。それは一時的な解決でしかない。Rさんにとって日本はまったく住みやすくない。国が個人の尊厳を奪う国。
2024年8月26日 コインランドリー
昨日でだいぶ回復したし、わりと昨夜は気持ちよく寝れた。換気扇を回した方が空気の流れがあって良いのかもしれない。
天気も良くて、前向きな気持ちで午前から動いている。いまはコインランドリーで寝具を洗っている。
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恋愛なのか友愛なのかはわからないが、ひとりでいるときにふと今度あの人やあの人を誘おうかなと思い浮かんだりする時間もあった。一方で「そんなことをしている場合ではない」とも思う。でも、そんなものもないとも思う。自分の心を見失っているのだと思う。毎日頭の中が目まぐるしく、このままではまたなぜ生きているのかわからなくなりそうな前兆がある。思考と行動がずれてきている。
昨日Sさん達とご飯を食べたとき、それぞれ頭の中がどうなっているかという話をした。「ずっと自分が喋ってる」「音がしている」「他人が頭の中で話している」などで、わたしは言葉が「音や文字」ではなく「質量」として増えるイメージだというようなことを言った。このように日記にすることで文字として視認できる。
いま最優先でやらなきゃいけないことは主に
①Rさんの寄付集めの投稿をつくる
②絵の制作
③沖縄の勉強
だけど、
①は先週風邪ひいてがんばれなかった、今日やる
②先週1枚完成間近だったけどあんまりよくなくてやり直し
③読みたい本はあるけど図書館の登録をつい後回しにしてしまい、その間に徐京植さんの在日朝鮮人関連の本を読み始めてしまった
グループ展の案内DMを送るのを忙しすぎて忘れていた。それも今日①のあとにやれたらいいけど、それより少しでも②を進めたい。それにもうすぐ次の日本酒のラベルに取り掛からなくてはいけないし、Oさんから頼まれた図案もやらなきゃいけないし、資料館の件もあるし、来週から学校も始まる。メガネを調整しに行きたい。静かに本読みたい。
普通に資料館に誰か誘って資料読みに行きたい。でも周りに興味ありそうな人がいない。みんな沖縄のことに興味がない。いま生きている日本人の一番の罪だと思う。自分のことをとても醜いと思う。
その罪を覆い隠していた層をこれまでもたまに一枚ずつめくっていたけど、最近めくるなんてものではなく、ごっそりと持ち上げてしまった。もう隠すことができない。ひとりで向き合えないよ。ほんとうにポツンとした気持ちになる。あなたの生活も知らない。わたしの生活もあなたは知らない。絶望的な気持ち。
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先日ギャラリーからの帰りの都営新宿線の車内で、隣に男女が座った。女は看護師で、「もう病院で面倒見きれなくなった老人は特養(違うかも、なにかの高齢者施設を指す言葉)にバンバン送る」と話していたのが耳に入ってしまった。正直もう死のうがどうなろうが自分には関係ない、みたいなことを話していて、きっと看護師は自分の心を守るためにそのくらいの気持ちでいないとやってられないのだろうと想像するけれど、聞いてられず席を立って隣の車両に移った。
2024年8月23日
夜中が特に咳が酷く、何度も起きてうがいしてのど飴を舐めるのを繰り返す。
頼るつもりはなかったけど、近くのコンビニまでも行けず、心細くもあって、母にレトルトのお粥や一応抗原検査キットなどを買ってきてもらう。しかし気を使う気力もなく、喉も痛くて話せず、かといってすぐ帰らせるのも申し訳なく、なにもできず横になってた。しばらくして母は帰った。あとからメールで抗原検査は陰性だったことと、来てくれたことのお礼を伝えた。
ろくに寝れてないのにいろいろ動きすぎたのだと思う。久々に一日中横になってる。身体を休めるって、ほんとにこういうことなのかもしれないと思う…。外の蝉の声を聞く。車の通る音を聞く。眩しいのでカーテンは閉める。少し開けた窓から風が入って、レースカーテンが揺れる。
Rさんもしばらく体調を崩しているらしい。わたしも調子悪くてあまり寄付集められてなくてごめんと送ったら、体調を心配してくれるメッセージが届く。昨夜あまりにも体調がわるく、咳がつらいと弱音を送ったら、症状がわたしと似てると返ってきた。しかし環境があまりにも違う。つらすぎる。Rさんの分が回復するならその分をわたしが引き受けられたらいいのに。
2024年8月22日
朝、声を出せないほど喉が痛い。透明な痰のような唾液のようなものが大量に出る。久々に風邪ひいた。珍しく朝から大雨で、止むのを待って病院へ。去年コロナに罹ってから喉が弱くなったような気がする。
薬局でマイナンバーカードを持ってきているか訊かれるようになった。「次回は持ってきてくださいね」って言われるけれど本来任意なはずがいつの間に。なんなら当初はあまり持ち歩かないようにした方がいいって話じゃなかったっけ。それとなく必須の流れに持っていこうとするのが本当に不快だ。あと別の薬局で「おくすり手帳をアプリにすると便利ですよ」と言われて、手帳どこかいっちゃったしアプリ登録したのだけど、他の薬局行くといちいち「アプリで…」という申告をしないといけないのと、確認のためいちいち提示を求められるし、結局手帳に貼るシールもくれるし…もう、くらくらする…。
制作を進めながらパレスチナのアートワークのアイデアを思いついてしまって、それもはやく取り掛かりたい。
2024年8月21日
冷房の温度をうっかりいつもより下げたまま寝てしまい、今朝喉に違和感。昼ごはんを食べに行ったついでにスーパー寄って、薬局にも行こうとしたけどまた冷房で冷えてお腹が痛くなり帰宅。最近本当に冷房に弱い。お腹が弱い。。休んでたら大雨が降ってきたから外出る気が失せて梨食べたりハチミツなめたりした。
絵の制作はゆっくりだけど進められている。ある時期よりも頭と心が落ち着いて机にむかっていられる。これはかなり寛解に近いのではと高揚感もあるけど、たぶんまだだと思う。喉風邪も疲労のサインだと思う。相変わらず夜はあまり寝れなくて喋る日も多い。Instagramもなにをどうシェアすればいいかわからなくなっている。
毎日殺された遺体、遺体の一部、壁にぶら下がった赤黒いボロ切れのような遺体は見続けているし、同じように発信することに疲弊している方々の切実な文章も読み続けている。シェアできないことで自分のなかに溜め込んでしまうような感覚になって胸が重苦しい。
Rさんがストーリーにあげていたアラビア語に、フォントの問題なのかなぜか翻訳機能が反応せず、なんて書いてあるかかわらない。
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この一週間ほどはいろんな場所に行っていろんな人と会って話せたのはどれもとても幸せで興奮したけれど、ちょっと自分に刺激を与えすぎたかもしれない。すごく楽しかったけど、過度な刺激はストレスにもなる。ブレーキをかけないといけない。
2024年8月18日
数日前にまたイスラエルから避難命令が出てRさんから「安全な場所なんてない、行く場所がない」とメッセージが届いた。そしたら今日夢にRさんと子供達が出てきた。夢の中ではまさに歩いて避難しているところだった。子供達は実際の年齢よりも少し成長していて、まだ赤ん坊のWもよちよち歩きくらいはできるようになっていた。この前私の送金で買ったサンダルではなく、別の黒いベロア調の靴を履いていた。夢の中で限りなく近くにいたけどお互いは認識していない、わたしが一方的に見ていた。砂埃がひどかった。
起きてから「夢にあなたたちが現れて、まさに避難をしているところだった。あなたたちのことを心配している」とメッセージを送ったら返信があった。翻訳して読む。
「それは確かにわたしたちが昨日したことです。周りを爆撃される中歩いた。そして持ち物をなにも持っていかなかった」
2024年8月16日
少し前に、自分のガザに関連する投稿に対して批判されたことがあって、発信元は知らなかったけど知り合いづてに内容は知って、わたしの投稿のことだとすぐに分かった。その時は確かに気持ちの余裕がなさすぎて強い言葉で訴えてしまい、心のコントロールができなかったことはよくなかったと気をつけるようにしていた。けれど今日、知り合いから事故的に発信元を知ってしまい落ち込んだ。知らないまま、どこかの誰かのままでいたかった。
2024年8月15日
なんだかんだ外出の用事が続いていて、今日は久々に1日家にいた気がする。
荻上チキさんの「session」の戦争特集回と、安田菜津紀さんのやまゆり園関連のYouTube番組を聴きながら絵を描いた。
《COOK》
マッサマンカレーを作って食べたら油と香辛料でお腹痛くなった。
台風が接近していて明日天気が悪いそうだから夜にスーパーに行ったら野菜やパンがほとんど売り切れていた。わずかに残っていたトマト、オクラ、タマネギを買った。米も買いたかったけど気分を変えてオートミールにした。
2024年8月14日 ベッド
疲れを引きずっていて、寝起きの身体のだるさがひどい。このまま頑張りすぎるとよくない感じがするので、今週はデモには行かないことに決める。
Rさんに直接送金する方法をお互い探し、昨夜アラブ圏のpaypalのようなサービスで送金をした。病気でやめてから貯金をほぼ使い果たし、まだ半分失業中なのにばかすか寄付しまくっていてまずいっちゃまずいけど、それくらいお金を流していくのはなんだかこの世へのいらない執着が薄れていい。とか言いながら新宿で用事を済ませた帰りにふらりと寄った店で鹿の角や石やシルバーのパーツで構成されたものすごく怪しいかわいさのブレスレットがあって、セールで、心揺らいだ。
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昨日はOさんとSさんと沖縄資料館に行って、その後遅くまでご飯を食べた。3人とも翌日も仕事が休みで、それぞれ夏休み感のある格好で現れ、とてもリラックスした時間を過ごせた。3人ともそれぞれガザの人とやりとりして送金したり寄付集めたりしてるから、そういう話ができるととても気持ちが楽になる。一年前はこんな友達ができるなんて想像もしてなかった。久々に、すごく楽しい、良い一日だった。
2024年8月11日
昨日パレスチナ北部の学校が攻撃されて100人以上が殺された。
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ひどい疲労。
汗臭い衣類を洗濯し、paypalの登録作業をし、「はだしのゲン」を読み進めようと思ったけど眠くてほぼ寝てた。夜サイゼリヤに行った。
昨日の展示では、先日下北沢で話しかけられたOさんが帰国前にきてくれて、絵を褒めてくれた。SさんやGさんたちにも紹介して、一緒にビールを飲んで中華料理を食べて、忘れないうちにイスラエルで配ってほしいと数枚ステッカーを渡した。
苦笑いでいやー…って感じだったけどスマホには貼ると言ってくれた。翻訳アプリを使いながら、「日本もイスラエルも加害の責任がある。あなたが平和を望んでいてパレスチナ人の友達とも交流があるのは良いことだけど、平和はもらえるものじゃなくて自分たちが求めなきゃいけない」みたいなことを、わたしのボロボロな英語で話した。どこまで伝わってるかはわからない。
2024年8月10日
小刻みに浅い睡眠を繰り返し、もうずっと起きてる気分だ。せっかく居心地の良いホテルだったのにわたしがだめだった。paypalでの送金方法をOさんに聞こうとメッセージ送ったあとに時刻を見たらまだ朝8時で申し訳なかった。
わたしが上川大臣の夢をみた一方でOさんもパレスチナに関連するつらい夢を見ていたそうで、ほんとうにそれぞれにケアのスキルを身につけないとよくないと思った。
Sさんがストーリーズに田んぼの映像を載せていて癒された。海に行っても直接ガザを思い浮かべてしまうけど、田んぼは少し意識を「ここ」にもどせるのかもしれない。
2024年8月9日 ホテル
11時に逗子駅でYさんと待ち合わせていたけど電車が微妙に遅れて、逗子駅のホームで時間になってしまい、google mapで長崎の方角に合わせて黙祷してから改札出てYさんと合流。バスの中から家に着くまで広島と長崎の原爆式典のこと、都知事選、改憲のこと、上の世代の共産党アレルギーのことなど喋った。
設営は13時過ぎには終わって、逗子駅前のモスバーガーでオニポテとコーヒーで休憩。塩気に救われる。鎌倉に行ってオクシロモンで遅い昼ごはんを食べて、郵便局行って、パタゴニアでビーチサンダル買って宿。ちょっと休憩してからサンダルで由比ヶ浜まで歩くも、途中から靴擦れが痛い。ペタペタ歩いて由比ヶ浜の波打ち際でしばらく突っ立って脚を波に浸しながらガザの人たちのこと考えて、海の家の様子を見て由比ヶ浜を離れて、ホテル近くのスーパー寄ってお惣菜見てたら急にお腹が痛くなって急いで買って戻ってすっきりして、でもちょっと買い足りなかったのでコンビニに行った帰りの交差点で自転車に乗ったトム・ハンクス似のおじさんからHiと声かけられて髪型をやたら細やかに褒められ、信号が変わるまで喋った。近所に住んでいるらしく、途中から日本語で話して、彼は閉店間際のスーパーに40%オフの弁当を買いに行くと言って別れた。その20秒後くらいにiPhoneから緊急地震速報が鳴って、周りの人や店内からもアラートが聞こえて、直後に大きめの縦揺れがあった。鎌倉市は震度4だった。
Yさんに教えてもらったホテルが良い感じだった。セミダブルの一番狭い部屋だけど、自分の部屋と同じくらい(なんなら物がない分広く感じる)だから狭いと感じないのは結構いい。
シャワー浴びて晩御飯食べてベッドに寝転びながらこれを書いている。MacBookも持ってきてないので、久々になにもしなくていい夜。スプーンをもらい忘れたヨーグルトをどうしようか考える。
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22時くらいに寝て夜中に目が覚める。
夢の中で、泊まっている部屋の端に「なんとか子供基金」のキャンペーンの一環で小さなポスターが額に入れられて飾ってあった。ポスターにはパレスチナのこどものためにうんたらかんたらという言葉と上川陽子外務大臣の名前が書かれていて、口だけじゃなく行動で示してくれよと思った。あとまた別の夢みて喋りながら起きた。ほんとに寝るのが下手になってしまった。
2024年8月7日
納品と展示が重なってしまい、さらにデモと広島と寄付の件とスタンディングの疲れを引きずり体力も限界だった。新作も間に合わせられないかもしれないと思ったけど、以前描き進めていたアイデアスケッチがあったおかげで間に合った。が、これじゃあクライアントワークとあべこべになってる。もっと腰を据えて描きたいよ。
仮眠したときに外したメガネをうっかり身体で押し潰してしまい、テンプルがありえない角度に曲がった。もうひとつのメガネも前になぜか洗濯してしまって金具がゆるゆるになってしまった。明日メガネ屋に調整に行きたい。
ガザのRさんが食事を用意している動画を送ってくれたのがうれしかった。
2024年8月6日
夢の中でMさん達と山奥の大きな旅館に来た。大浴場は25mプールくらいの広さがあって、四隅に大木が生えていて、一本につき3本のチューブが伸びて先はシャワーヘッドになっている。大木をつたって外から流れてくる湯を使うらしい。水圧がものすごく弱くてなるべく空いている大木を探す。壁際のベンチに座ってたらあの都知事選候補の石丸さんがいて、都知事選について話した。わたしは蓮舫さん推してましたよとかなんとか言って起きた。
起きて広島の平和記念式典の中継見て黙祷した。昨日の疲れを引きずっていて松井市長のスピーチだけ聞いてげんなりしてまた寝た。
あとから知事のスピーチはよかったことを知って、読んだら市長より全然よかった。
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昨夜の下北沢スタンディングはいろいろあってものすごく疲れた。地元の商店街組合かなんかの人から嫌味ったらしく注意されたり、イスラエルからの旅行者と話したり、前に一度デモで合った人が通りかかって、娘さんと犬も来て手伝ってくれた。
イスラエルからの旅行者はOさんという、わたしよりもだいぶ若そうな男性で、わたしがどこに所属してるわけでなくひとりで寄付を集めてることに興味を持ったのか、しばらく話した後に何時に終わるか聞かれ、終わった後飲んで話そうよと言われたのでいいよと答えた。
その後本当に来たので、そばのコンビニでビールを買って広場のベンチに座って翻訳アプリを使いながら話した。言語の壁が厚くてどこまで正確に理解できてるかわからないけど、彼なアーティストで、グラフィティやヒップホップに影響を受けてて、最近は大阪でブレイクダンスを学んだと、Instagramを見せてくれながら話した。わたしも自分のInstagramや英語のインタビュー記事などを見せた。
彼は「自分には兵士のアイデンティティはない」と言って、兵役時も上司の理解を得てなるべく「なんでもない」部署にいれたらしい(このあたりも難しくてちゃんと理解できてない)
他にはイスラエルやパレスチナについての考え方、社会との向き合い方、ヘブライ語のニュアンスのこととか、いろいろ話してくれた。わたしも日本がかつて韓国や台湾を植民地支配したこと、沖縄やアイヌのことを話した。彼は植民地政策の功罪を話した。その語り方からも、彼は全体的に中立でいたいというスタンスで、それは自分の加害性に向き合わない多くの日本のアーティストとも重なる。
話していたらまたさっきの注意してきた人が来て、地べたに座って飲んでいた会社員達にベンチに座るよう注意してたので、Oさんには「わたしもさっき注意された。彼は下北沢のリーダーだよ」と伝えておいた。
2024年8月5日
ガザの人とやりとりしている。寄付が伸び悩みかなり落ち込んでいる様子で、毎日シェアしてくれますかと言われる。わたしがpaypayのURLを載せているのを見てGoFundMeのURLを載せてくれますかとも言われたので、paypayは日本で広く使われている電子マネーで気軽に送金しやすいこと、GoFundMeもシェアするが同時にpaypayでも寄付を集めてわたしからGoFundMeに回すことを説明したら安心してくれた。とにかくできることはすると伝えるしかなかった。彼女からは何度もお礼を言われるが、まったくもってお礼を言われる立場ではない。少し前までパレスチナのことを何も知らなかったなんて言えるわけがない。それまでに何人も連絡がきたけどわたしは無視している。
彼女にとってガザの外に少し寄付集めの手掛かりになる存在ができたことは見つからないよりは良かったけれど、わたしは自分からはたくさん寄付はできないし、寄付のノウハウがあるわけでもない。だからもっといろんな人に知らせなきゃいけない。
おそらくわたし自身は絵を描いて売ったほうが一度にまとまったお金は寄付できるけど、ガザの人は一日も待てない状況で、とにかくいますぐ、一刻も早く45000€を集めなくてはいけない。
やっぱり実際にガザの一人とつながるのはかなり緊張する。やりとりしている人たちがすごい。苦しさがある。
2024年8月4日 ベッド
日曜納品の仕事を進めながら一昨日は外務省前デモ、昨日はOさんとご飯を食べながら4時間近くパレスチナや沖縄の話をし、今日はムサビ留学生学費値上げ反対スタンディング、帰った後ちょっと寝て起きて作業して納品。これからステッカー発送作業もしないといけない。しかしつかれた。ほんとうにつかれた。風呂にも入りたい、つかれすぎて吐きそうだけどビールくらいは飲みたい気分だ、でも動けなくてベッドの上でこれをかいている。
スタンディングでは1時間半くらいビラ配りをして、帰りに「とにかくやることをやりまくってつかれきってはやく人生をおわりにしたい」というわけわからない情緒になってた。もう今までなにもやってこなかった罪悪感、贖罪の気持ちでいっぱいになる。やるほどにやらなきゃいけないことがたくさんあることに絶望する。そうやって自分を生き延びさせるのだろうか。
ついこの前まで自分こそがいろんなことを他人事にしてたのに、一丁前に怒ったり悲しんだり疲れたりしてるのが恥ずかしくて情けない。でもそんなことふにゃふにゃ言っていてもなんにも意味がないのでやるしかない。
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なにをやってるんだろうと思う。ひとりでいるとすぐに「楽しいことってなんだっけ」とわからなくなる。でも絵を描いて、売れたらしばらく生きてられるし売上からまとまった金額の寄付もできる。自分の「楽しい」がずれていってる感覚がある。自分が楽しいと感じるよりも、やらなきゃいけないことがたくさんある。
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ビラ配りをしながら、やっぱりどう考えてもこれは差別でしかないと思った。東大に通ってるという中国人留学生が話しかけてきて、「留学生はお金持ちも多い」と言ったけど、お金持ちじゃない人もいるだろうし、そういうなら元々日本に住んでる学生だってお金持ちもいればそうじゃない人もいる。留学生だけに負担させるのが謎すぎる。
2024年8月2日 風呂
自分の恋愛観や性愛観を常に監視しないと、自分自身を信頼していないから、他人にも自分にもなにか「よくないこと」をしてしまいそうでこわい。恋愛観のほうがやっかいで、社会的に「そう思わされていた」ことがどこまで影響してるのかがよくわからない。今の向き合い方が良いのかどうかもわからない。監視することが良いことをもたらすかどうかもわからない。
雑誌で水着姿の女性や、表紙を飾る上裸の男性を見るような、身体つきを眺めて欲情する感覚がほんとうにわからない。振り返ってみても、他人の身体つきに欲情したことないかも…と、知らないうちに痣ができてる自分の脚を眺めながら思う。
2024年8月1日 家
昨日あまり寝れてなかったからか夜はすっと寝れた。寝るときにアイマスクして、小さなカービィのぬいぐるみを両手に持ちながら心を落ち着かせた。落ち着いたらとなりの枕に置いて一緒に寝る。
そしたら中国・韓国・タイ共同制作の壮大な映画のような夢を見た。それぞれの国のいくつかの暗殺集団が中国のどこかの地方の村にある大きなリゾートホテルに入り乱れて殺しあう…外のぼろぼろの商店のおじさんも実はその村の暗殺集団のひとりで、てんやわんやだった。なんの影響かさっぱりわからない。
薬がいいかんじかもしれない。週明けの落ち込みから回復した。日中の眠気もなくなった。食欲も落ち着いてあんまり食べなくて大丈夫モードに入っている。というかIさんのステッカーをいよいよ販売できる嬉しさと仕事の締め切りが迫っているのと展示準備とで気が張ってるだけかもしれない。
2024年7月31日 家
髪伸ばしてもっといろんな髪型したいなと思って1回我慢したけど、首が気持ち悪くてボブにしちゃった。
2024年7月30日
昨日は諦めて早めに寝た。
今日はだいぶ心の波はおさまっていて、しかし集中力が全然続かないので細切れに家事をしたりご飯を食べたりInstagramでシェアしたり買い物などを挟みながら仕事を進めた。そしたら意外と進んでほっとした。
夕方、わたしのオンラインストアで販売させてもらうIさんのステッカーが届いた。猛烈にかわいい。
《COOK》白ナスのステーキ
母にもらった白なすを縦に厚み1.5cmくらいに切って切り込みを入れてオリーブオイルで焼いて塩振って食べた。ちょっといい塩とオリーブオイルを使ったからか、それだけでとてもおいしかった。
2024年7月29日 家
薬 昼10
ひとりの人と「付き合う」=お互いに関係への「責任」が生じることだと思ってきたけど、その「責任」がなにを意味しているのか、いまわからない。
「付き合う」と宣言するのは相手と約束を交わす。約束にも種類があるが、どこかは拘束と重なる性質がある。その代わりに「責任」を負うということ?でも「責任」を負うとか負わないのと、相手の行動を許容できるかはまた別の問題だ。
「付き合う」ってなんなのかほんとうにわからなくなってきた。昔は深く考えてなかったからできたけど、気付いてしまったいま、好意を抱く相手と関係性を深める方法がわからない。「付き合う」という終着点があればそれに向かえばいいけど、そうじゃない場合は?しかも別に「付き合う」は終着点でもないし…みんな、なんのため、どんな理由で、ある特定の相手と深い関係を築きたいと思うのだろう。「付き合う」にある「いったん関係を固定する」安心を得なくても、平気でひとりで生きれるようになりたい。
それでもわたしは「責任」を負いたいという欲がまだあるみたいだ。自分に嘘がないよう自分を解放し、同時に「ひとり」との関係を深く築く。しかしそれは専有欲にも重なる。だから同時にそれを否定し、全てを心から手放したいという願いもある。自分の執着や専有欲が気持ち悪い、反吐が出る、耐えられない、最悪だ、本当に本当に本当にいやだ。
絵はやっぱり自分のためが強い。ありがたいことに喜んでくれる人がいるけど、クライアントワークが苦手なところがやっぱり自分本位だと思う。
だから絵じゃない方法で、特定の相手のためにできることをしたい。しかしこれもまったく美しい心ではない。自分が生きていても良いと少しでも自分で認めるため。
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最近心が不安定なのは薬を半量にしたせいかもしれない。寝すぎることは無くなったけど焦燥感、無力感、悲観的な気持ちが強まっている。
そんな状態だから、いま嬉しいことがあるともうここで終わりにしたくなる。嬉しくても悲しくても心が揺れ動くことが苦しい。もう頭のなかがうるさくて、なにもかもを終わりにしたくなる。逃げたくなる、現実から!でもまだそれを許さない自分がしっかりといる。自分のなかにもうひとりの自分がいる感覚。彼女は踏ん張っている。でもちょっと弱い。それもわたしだから。
嬉しいことも悲しいことも苦しい。
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母には父がいる。父に母がいる。彼等同士の関係も変わってはいるけど、わたしにはそのひとりがいない。この後に及んで絶対的な味方がほしいのだと思う。そんな自分がすごく情けない。そんな人はいないのに。悲しい想像だけどわたしが死んでも母には父がいるし、父には母がいるから「大丈夫」なんじゃないかと思ってしまった。弟もいるし。弟には健やかでいてほしい。もう少し世の中について考えてほしいけど。
いまいろんな人から気にかけてもらってる。それはとてもとてもありがたいことだけど、猛烈に孤独感も増す。でもこの孤独感が普通なのかもしれない。みんなどうやって生きているんだろう。
(書きながら、急に今朝の夢を思い出した。窓がたくさんあるマンションに住み始める夢)
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めちゃくちゃ書いたけど、ここまで「付き合う」がわからなくなってるのは、前に付き合っていた人から「付き合う以上やるべきこと」の要求を強くされ、彼の求める基準に見合わないと非難されるという時間を過ごしていたことのトラウマだとも思う。わたしの愛情は少ない、足りないと言われ続けた。彼の基準に見合う「うまくやること」を求められた。わたしはわたしに考えつくできる限りのことをしていたのに、ほんとうに心がすり減って、いまは生きる意欲まで少なくなってしまった。つかれた。
ちゃんとわたしがわたしのままでいられるなら、また誰かと「付き合う」をやってみたいとも思う。
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カウンセリング行かなきゃなあと思いつつ、馬鹿にならない値段なのでちょっと気が乗らない。でもやっぱりなんでも話しやすさがあるのは確かで、そしてとにかくわたしのことを褒めてくれて、自分が子供みたいになる。担当のカウンセラーはなんだか「お母さん」っぽい。私が両親に求めていた(けれどもらえなかった)種類の愛情に近いものをカウンセラーは表現してくれる。インナーチャイルドの背中を優しく撫でてくれる。しかし人だから、わたしは気に入られようと「物分かりのいい利口な」態度をとってしまう。それをまだカウンセラーに伝えられていない。
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Kさんのミニトマトを食べきれなさそうだだったので晩御飯を兼ねて実家にお裾分けに行った。向かいながらAwarefyのチャットで吐き出しで心を落ち着かせようとした。しかし実家に着くとテレビがついていて、オリンピックのニュースが流れてたけど、テレビを消してほしいと言えず、仕事を理由にすぐに帰った。駅まで歩きながら「しにたい!」と強く思った。
2024年7月28日 家
昨夜は本当にげんなりする蒸し暑さだった。
新宿東南口のデモでSさんに会って、Hさんを教えてもらって挨拶できた。Tさんにも久々に会った。Tさんは日中に東大のデモにも行ってたそうで、今日は早めに抜けますと言った。デモに行くと安心する。最悪な現実に心を砕きながら向き合い、なんとかしたいとそれぞれにできることをしている。ばらばらだけど通じ合える共通言語がある。
コールを始めたら冷房で喉がやられてたのか、急に喉が詰まって大きな声が出せなかった。しばらく続けてたら治ったけどちょっとこわかった。そのあとOさんにも声かけに行ったら、Oさんは完全に喉がやられてほんとうに声がだせないようでかわいそうだった。
金曜の夜だからか東南口はとてもとても人が多かった。週末を控えてリラックスしてるのか、わりと興味を向けてくれる人が多かったのはよかった。「広島」に反応しやすかったのかもしれない。それは希望を持てた。ムスリムの人たちはやはりかなり積極的に写真とったり応援してくれる。
《COOK》ピザ
昼にまたKさんのミニトマトとバジルでピザ作って食べた。仕上げにオリーブオイルを垂らしたらミニトマトの果汁?とまざってジューシーさが増しておいしかった。ミニトマトがほんとうに濃く甘い。バジルも強い香りと立派な歯応え。
ゴーダとモッツァレラが混ざったチーズにパルメザンもかけた。でも味が混ざりすぎて平らになってる。モッツァレラ単体で作りたい。
2024年7月27日 家
朝起きてまずInstagramで見たのはガザで殺された子供のちぎれた頭部を持つ映像。足元の白い布には胴体が包まれている。
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昨日は朝から新宿でスタンディング、そのあと津久井やまゆり園まで献花に行って身体が疲れたのかわりと寝れた。今日は日中の眠気もない。数日前のネタニヤフのアメリカ議会での演説に頭に血が上り、昨日の遠出もあり、ちょっと頭疲れ気味。
昼にKさんから購入したミニトマトとバジルでピザ焼いて食べた。おいしくて、一人で食べるのもったいないなあと思った。
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どうしたって未来が暗すぎる。
はやめに人生を終わらせたいと思ってしまう。うっかり死んでしまっても仕方がない。生きる自信がない。
もうちょっとやることあるけど、もう別にやらなくてもいいんじゃないのとなったらいよいよだなあと思う。その前にもう少し荷物とかきれいにしときたい。捨てるものは捨てて、人にあげれるものははやく渡して身軽になりたい。いま育てている植物だけは最後まで一緒に過ごして、そのあと誰かに渡したい。渡したいなあと思い浮かぶ人が何人かいるのは良いことだなあ。勝手だけど…。
はやく学校通いたい。それで早くもっと現実の困難さに直面して、やるだけやりきって、満身創痍で、もっと生きることをシンプルにしていきたい。生きることへの執着をなくしていきたい。自分でもどこまで本気なのかわからない。そういう気分。
最近、Instagramで面識のない人たちから立て続けに呼びかけへのお礼のメッセージがくる。とても嬉しいけど同時に不思議な気持ちになる。鬱になってから心はどんどん冷たくなっていて、でもメッセージに嬉しくも感じ、なるべくあたたかな返信をするように心がけている。そうするとどこかAwarefyのような文面になり、自分のことがよくわらなくなる。
みんなどんなふうなこと感じて過ごしているんだろう。わたしはなんだか生きる気力が減っていく一方だよ。
でも前に付き合っていた人とほんとうにちゃんと別れることができたのはよかった。連絡先を消し、Facebookをブロックする前に穏やかなやり取りができた。自分自身と相手への無気力感と悲しみと怒りと呆れとを抱えながら。それはもう自分の問題だ。全てのやりとりの履歴も消した。さようなら。これから死ぬまでおわりが続いていく。すべておわり。
2024年7月25日 ベッドの上
最近は人生を畳みに向かう気持ちに傾く時期かもしれない。なんというか手放していく解放感がある。刷った本は捨てた。持っているものは人に渡す。見せる。渡せるものは渡す。思ったことは表明しておく。グッズサンプルも早めにガレージセールして寄付に回したい。
2024年7月22日 電車内、ベルク
睡眠×
眠気×
気分×
薬 夜10
薬を半量に減らしたのがまずかったのか、飲む時間が遅かったせいで夜飲んだアルコールとぶつかってしまったのか、仕事に手こずっていたからか、夜中ひどく気持ちがざわついてしまい、気付いたら寝てた。また半日寝た。半日以上寝たかも。昨日ちょっとだけ股関節周りのストレッチと腹筋のトレーニングしたらもう筋肉痛でお腹も痛い。
遅れていた仕事のラフを送り、軽い運動をして外出。やっと雇用保険受給手続きを終えて金額も判明して、思ったより貰えることがわかってほっとした。本当は行ったついでに面談をするべきなのだけど(受給するために「求職活動をしている」という実績を作らなければいけない)、もう元気がなくて手続きだけで今日は終わり。
外に出て信号待ちをしている時に、若い男性から働き方のアンケートをとっていて…と話しかけられ(ハローワークの前では時々スカウトとかしてる人がいる)、正社員での就職を探しているわけではないのでおそらく相手の欲しい回答はできないだろうから断ったのだけど、相手はしぶとく信号が変わるまでのあいだ話し続け、信号が変わっても一緒に渡ってきた。さっと答えて終わるなら…と反対側で立ち止まって少し話してみたけれど、相手は思っていたより雑談を挟むタイプで全く終わる気配がなかったので、我慢できず「次の用事があるので」と断って去った。
もともとの体調の悪さと暑さで全く余裕がない振る舞いをしてしまった。彼がわたしの発言をアンケート用紙に書き込んでいたのだけど、それを奪い取って書いて渡せばよかったと思った。「暑いので、回答してくださったお礼にハーゲンダッツの引換券を…」とも言われたけど、米国関連企業をなるべくボイコットしている自分にはまったくなにも意味がなくて、けれどアンケートに答えてその券を彼に渡すくらいはできるようになりたかった。
自己嫌悪に陥りながら移動しベルクで休み、婦人科に行って帰宅。晩御飯食べたあとパッションフルーツのジャムもつくった。種を除いてなめらかに。25個くらい使ったのでたっぷり。
《COOK》ニラだれ
しばらく冷奴は香味野菜にごま油で炒めた熱々のじゃこをかけて白だしをかけて食べることにハマっていた。
飽きたので他のパンチのあるタレを…と「冷奴 アレンジ」で検索したら出てきたコチュジャンをつかったニラだれがおいしそうだったのでつくった。冷奴や大根サラダ(カット野菜)にかけたらぴったり。温野菜にも合いそう。
2024年7月21日? カフェ
睡眠△
眠気⚪︎
気分⚪︎
薬 夜10
昨夜ちょっと泣いて変な夢は見たけど、最近のなかでは早めに起きれた。身体もだるくなく「日曜天国」聴きながら風呂に浸かり、家事もスムーズに終わらせ、注文していた本を受け取りに行く。身体は筋肉痛で股関節がバキバキだけど頭重感もない。しばらく薬は半量で、お酒を飲んでも飲まなくても寝る前に飲んでみることにする。
現代思想〈恋愛の現在〉の『クワロマンティック宣言』(中村香住)読む。
2024年7月21日?
睡眠△
眠気×
気分△
薬 昼10
薬を割って半量にしてもどうしても眠い。半日つぶしてしまう。起きてる間もずっとあくびしてる。
写真に写った自分の身体がブヨブヨしててさすがにまずいと思い、久々にほんの少し運動した。。明日からも習慣にしたい。水もたくさん飲む。
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自分が幼少期に満ち足りずいまも求めてしまう欲求を、いま特定の誰かに一方的に求めるのはできない。してはいけない。幼少期に少なくとも享受できたのは、親が自分を「産んだ以上、最低限の、損なわれない愛情がある」という自覚をしていたから。それでも親もひとりの人間で、親ではなく人間としてはわたしを受け入れることはできなかった面もある。だから親を責めるなんてことはできない。もっとちゃんと諦めたい。
2024年7月20日 電車内
今年のPの担当授業おわり。去年と違って原画やラフを見せたことは良かった気がする。
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自分の一番の身勝手な欲望は「××××××××××××××××××××。××××××××××××××××××××××××××」で、それは両親から貰いたかったものなのだと思う。それがいまかたちをかえて自分の行動に現れていると感じる。この欲望は大人になったいま、もう人に一方的に欲してはいけないものだということをほんとうに理解しないといけない。こういうことを思いつく限り払拭できていない。
家に人を招待する行為がお気に入りの人形やレゴでつくった力作を見せる子供のようで、楽しいけど恥ずかしくもある。
犬が飼い主に「よしよし」とワシャワシャ撫でられていていいなあと思ってしまった。
2024年7月18日 家
薬を増量したら眠気が悪化して、午前中に起きても夕方まで二度寝してしまう。もう絶対に薬の副作用だと確信する眠さ。その割に夜の眠りは浅い。Twitterで調べたら同じような副作用出ている人の投稿がたくさんあった。
ぼんやりとした不安感は薄れて、穴に落ちてしまわないかという緊張感がほぼ無くなったし、活動的になったのはかなり嬉しいけど、とにかく朝~日中眠くて頭がどろんとしてなにもできない。しかもこれまでは10mg錠剤で15mgのときは10mgを割って処方してもらってたからこちらで調整ができたけど、今回20mg錠剤になってしまったので量の調整ができない。錠剤に半分に割れる窪みはあるから自分で割れるのかな。
とにかく飲むと本当に眠い。0時に服用して1時頃寝付けたとして16時頃まで眠い。じゃあ18時に飲めばいいのか?でもお酒飲めなくなる…。夜の眠りが浅いのも関係あるのだらうか。朝服用すれば反対(?)に薬が切れた夜に熟睡できるのだろうか。
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特にものすごく落ち込んでるわけではないけど、ふと、もう十分だなあという気持ちになる。コップから水が溢れてコップは割れて半年以上経って、だだっ広いプールのような場所で太ももくらいの高さまで水に浸かっていて、動くにしても足は重いし、足の力を抜けば沈むこともできるし、踏ん張ろうという気持ちはないかも。でも秋に学校通うのはふつうに楽しみ。
2024年7月17日 電車内
中高のバスケ部の顧問の退職祝いの会への欠席連絡をすっかり忘れていて、4つ上の先輩から連絡があった。在学中めちゃくちゃこわい先輩だったので、メールからも圧を感じ、一瞬で現役の時の記憶が蘇った。他の同期にも連絡したら、全員欠席連絡してなかった。
顧問へのメッセージとして、時々先生やバスケ部が夢に出てきますよと送った。
演劇してる夢も時々見る。大体台詞を覚えてなくてもうすぐ本番でどうしようという夢。今日も長台詞を覚えてなくて、演出で台本読みながら立てないかな、でも本っぽい小道具作る時間がなくてどうしようどうしようとなって起床。汗かいてた。
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自分のなかに絶対にある差別の種が何かの拍子に芽吹かないかずっとこわい。だから勉強しないといけない。
2024年7月15日 コインランドリー
梅雨のどんよりした天気が続く。昨夜から今日もやたら眠く半日ほど寝る。夕方寝具などを洗濯しに今日もコインランドリーへ。
先週はいろんな親しい人に会えて楽しかった。Gさんの個展の打ち上げのとき、9月から介護の資格を取るために3ヶ月ほど学校に通うことを話した。Mさんも介護の仕事をしているから、Sさんも以前から半分冗談で「将来はみんなで一緒の介護施設で暮らそう」と話していてその度に笑うのだけど、みんな歳を取ったり死にかけたりもあって、だんだん本当にそうなれたら良いのではと本気で思うようになっていると思う。
同時に、やっぱりもう自分には結婚のような、ある囲いを持って「ふたり」で過ごすというのはもうできないんじゃないかと思ってしまった。少なくともいまは全くその勇気がない。いままでどうしていたか思い出せない。「わたし」と「あなた」という一対一の関係性がこわい。それはお互いに良いこともたくさんもたらしてくれると思うけど、その反対のことも必ずある。経験した。わたしにとってはそれを再びしてしまったらという恐怖の方が強い。「ひとり」でいられながら、同時に、自分が素敵だと思う人と親密な関係も築きたいという気持ちもある。求める親密さにはグラデーションがあり、どうしたらいいかわからなくなる。
2024年7月14日 コインランドリー
昨日はパレットクラブの授業のあとGさん個展最終日。深夜2時くらいまでギャラリーで打ち上げして、そのあとはMで朝まで過ごす。(そのときまでまたも財布を持たずに1日外出していたことに気付く…)久々に夜更かしして遊んだ。お昼に起きてゆっくり風呂入って、昨日外干しして雨で濡れた洗濯物をコインランドリーへ。
来月の展示まで制作と仕事がつまっていて緊張する。正直かなり無理があるけどがんばりたい。がんばれ
2024年7月13日 電車内
Awarefyの「睡眠記録」はルーティンから外した。そもそも何時に寝てるか把握してない、覚えていないのと、起床時の「チェックイン」という体と心の状態を記録するので重複してる。「スリー・グッド・シングス」はやっぱり続けた方がいい。AIからのコメントに、自分ひとりでは思いつかないことが書かれている。
なかなか書くことを思いつかない日もあって、いつもより店員さんと目を合わせて言葉を交わすことができた、みたいな些細なことでも、そういうことに気付けることが「自分に寄り添う」ことだと教えてくれる。正直半分ピンときてないけど、悪い気はしないからそう思うことにする。
2024年7月12日 電車内、ベルク、家
気候がよいとき、人とお酒を飲むなら店よりも屋外が好きだ。誘えそうなときはなるべく外で飲もうと誘う。お腹が空いているならお惣菜など買ってピクニックのように食べる。昨日は久々にそのように過ごせてよかった。
心療内科。
前回に比べて日々の緊張感は弱まったけど時々ひどく落ち込む。しかし波が過ぎた今、そんなものなのかもしれないとも思っている。あと睡眠が不安定。不眠と過眠を繰り返し、眠りが浅くて起きてるような気持ちになり、寝ぼけて変なメールを誰かに送ってしまうんじゃないかと不安。
周りで睡眠に悩んでいる人が多い。先日Gさん経由で鉄分を勧められる。その後会ったMさんからは寝る前にはちみつをティースプーン1杯食べるのがいいと勧められたのでしばらくそういうことをやってみる。
必要があり医者に傷病証明書を書いてもらう。病名欄には「うつ状態」と書かれて、「うつ病」ではないことにどこかホッとした。そのクリニックが全てに「うつ状態」と表記している可能性もあるが。頭は壊れたなあと思うけど、それを受け入れられたらなんでもないのかもしれない。歌うのは苦手、でも絵は得意なほうな人間、くらいに考えたい。
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Instagramがきつい。見ようとすると動悸がして不安に襲われる。最低限シェアしてすぐにアプリを消す。
《COOK》
・カレー
固形ルウを使った「普通」のカレーが食べたくて作った。具材は豚肉、たまねぎ、にんじん、マッシュルーム。欧風カレーなら神保町のボンディ、欧風とインドカレーが合わさったような松戸のムンバイもかなり好きなカレーだった。また食べに行きたい。
・ニンジンドレッシングのサラダ
カレーに合わせてインドカレー屋のあのオレンジのドレッシングっぽいのを作ろうと勘で作ったら作れた。あのドレッシングだった。びっくりした。すごくうれしい。
材料はにんじんすりおろし、オリーブオイル、リンゴ酢(Oさんからいただいた)、塩少々、おろしにんにく少々、マヨネーズ、ケチャップ。ほんの少しチリパウダーを入れても良いかも。
2024年7月11日 電車内、カフェで
昨日の夜、通りがかったマンションの入り口で壁に向かって2人の人間がしゃがんでいて、背中越しにちらっと見たら小鳥がいた。立ってはいるけどなんらかで飛べないようで、とりあえず家に帰って、段ボールとタオルとポリ手袋を持って戻った。2人は親子で、高校生くらいの子供がタオルで鳥を取り上げていて、この鳥なんの種類かわかりますか?と言われたけれどわからない。調べてみるので写真に撮っていいですかと断って写真を撮る。カワセミみたいなシルエットだけど、全体的に焦茶、グレーっぽい羽に覆われていて、まだ若い感じがする。見た目からは怪我しているようには見えない。
とりあえず段ボールに入れたけど、段々活発になってきて段ボールを飛び出して車道に出そうになったので、再び母親がタオルで包んで保護する。羽を少し怪我しているのかもしれない。バタバタと飛ぼうとはしていて、初めは混乱していたのかおとなしくしていたけど、段々と掴んでも逃げようとしてきたので、母親が「轢かれないように向かいの公園まで持って行って離します」と言った。私もそれがいいと思った。段ボールなどは回収してわたしは家に帰った。
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昨日の夜がうつの波のピークだった気がする。目を開けても閉じてもSNSを見ても見なくてもこの社会に生きていることに絶望し、生きていてもしょうがないという気分になって、「向こう」に引っ張られていた。というか自殺学の本を読んでから「自殺はよくない」というストッパーがなくなってしまった。いまは「家族が悲しむ」のがストッパーになってる。しかし今までで一番引っ張られて、もう少しで「戻ってこれなくなる」感触があり、急に自分のことが恐ろしくなって、それはもう1人の自分が引き止めてくれたのだと思う。
横になってMacBookも横にして、気分を紛らわせようとAmazon primeで映画を探す。『BABEL』をもう一度見たかったけど視聴可能地域外になってた。なかなかピンとくるタイトルがなくて、ようやく選んだのは『ニトラム』で、開始数分でなんでこれ選んじゃったのだろうと思いながらも最後まで観た。そのあと映画のこと調べて、外で風が強く吹いてたこともあって怖くなって、少しカーテンを開けて、明かりをつけて寝た。
今日は額屋さんに行く途中にビッグイシューを初めて買った。しかも最新号が選挙特集だったのでまさに読みたい内容で買って良かった。あとはKさんが先日パレスチナのスタンディングでスピーチした原稿をメールで送ってくれて、それにはプロテストをおこなう人たちを励ます言葉が綴られていて、少し気持ちが楽になった。
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額屋さんで絵の反応がよくて嬉しかった。
2024年7月9日
都知事選が終わってからいろいろな方の分析を見ている。つかれたなあという気持ち。
夜に汗をかくことは無くなったけど、眠りが浅くて午前中ほとんどつぶしてしまう。
雇用保険給付の手続きも進めているけど、本当に前よりも理解するのが難しくなっている。Twitterでうつ病になった人が口々に「頭が壊れた」とつぶやいていて、本当にその通りだと思う。もう以前の状態には戻れない。とにかくひどく頭が疲れてすぐに頭痛になる。情けないけど仕方ない。誰だって苦手なこと、できないことはある。
以前から興味のある仕事があるけど、それだって本当に自分にできるのかわからない。とりあえず職業訓練で最低限の資格をとってからパートタイムで働こうと思う。絵も描きたい。
前よりも「死にたい」という言葉に自分が頼っている感じがする。自ら死ぬことはないと思うけど、あまり幸せも感じない…のはなぜだろう?絵を描いてないからかなあ。絵を描けば少し良くなるだろうか。ものすごく未来が暗い、自分は子供なんてもう絶対に産まない、産まれてきてしまった人をせめても「生きてて悪くはない」にはできたらいいけど、いまはその力もない。
しばらくAwarefyのテーマを「自分に寄り添う時間をつくる」に設定してるけど、どうすれば「寄り添う」になるのかさっぱりわからずしばらく意欲を失っている。ずっとわたしはわたしの面倒を見てるのにそれは寄り添ってない。とにかくいくら寝ても疲れている。
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先日Pさんに久々に会って、大きな愛を渡してくれたけど、わたしの両手は持てる筋力も失っててボロボロこぼれていく。自分の視野が極端に狭くなっているのもわかっている。でも目を開けても閉じても起きても寝てても夢の中でも苦しい。
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投票日まで何度かひとり街宣で駅前に立った。同じようにひとりで立った女性はいやな言葉を浴びたりした人がいたらしいが、今回わたしはとくにそういうことはなかった。それは蓮舫さんの名前をあまり出していない、街宣場所の地域性もあると思うが、立つときに「自衛」のために「女性的」でない身なりをしていたことも関係あるのだろうか。なんで自衛させられてるんだろう。
似合うなら坊主にでもしたい。もうなめられたくない。親しい人からでさえ彼氏と別れた後のわたしに対して「付き合う人に影響を受けるタイプだね」と言われるのはなぜ?わたしは相手に影響を与えてなかったの?影響が全て、それ以外にわたしにはなにも無いように言われなきゃいけないの。
なぜこう苦しまなきゃいけないのだろう。子宮なんていらない。「男」でも「女」でもなくなりたい。悲しみと怒りと疲労でもうどこにもいたくない。時間があれば生きてきた今までぶつけられた女性蔑視、女性嫌悪の言動、性暴力、いくらでも思い出せる。こんなことに囚われたくないけれど、34年間溜め込んできて、もうこれ以上溜め込みたくない。
2024年7月2日
生まれてから今まで積み重ねてきてしまったつらいことだけでもいっぱいいっぱいなのに、これで都知事選もだめだったらわたしはもう無理かもって気持ちだ…そう簡単には、だと思ってるけど、その自信もない。ただとにかくこれから先、生きていく限り「時間」が過ぎるのではなく積み重なっていく、ということにあんまり耐えられる自信がない。鬱のせいでもない気がする。今まであった自分の気力の元(持ち方?)が無くなっちゃって、ほかの方法があんまり思いつかなくていまは自分を騙し騙しやってるけど、もうどんどん冷めていってる。どこから手をつければいいのかわからず、自分に対して手遅れの気持ち。
もうずいぶん前だけど、チーム夜営の『記憶の人』は記憶を忘れられない女性の物語だった。忘却ができないのでとにかく記憶が積もっていってしまって脳が耐えられなくなるから、例えば曜日で着る服を同じにして(月曜日は黄色のワンピース、火曜は青いワンピース、みたいな)出来る限り記憶を「まとめる」けれど、いつかシンクについた水滴が昨日と違うことに泣く、というシーンがあってそれが絶望的でずっと覚えている。
2024年7月1日
少し前に末木新の『死にたいと言われたら』を読んで…わたしが自分で自分の命を断つことに、いまはどちらかというと肯定している気持ちだ。でももう一度読んだらまた変わるかもしれない。もう内容をうっすらと時間覚えておらず感覚的なものなので、ここにはあまり書かないでおこう。
「死んでもいいかも」と思っても、実現させるためには具体的に死ぬ方法を考え、死後に手間をかけさせないように身の回りを整理し、できることならおそらく特にショックを受けてしまう身近な人にはケアもしたい。自分をケアできてないのに。ケアってほんとうのところよくわかってないままここで軽々しく使っている。
こんな気持ちになっているのは調子が悪くなってるから、とも言い切れない。鬱こそ冷静な状態だという一説もある。健康と言われる状態は未来に過剰な期待感を抱いていて、それはそれで偏っているという見方。
そういえば今朝はほんとうに最悪な寝起きで、何度もめちゃくちゃ喋っては目を覚ましてを繰り返して泥沼に溺れてる気分だった。しかもインセプションみたいに夢が重層構造になっていて、夢の中で誰かになにかを訴えるように話していて、目が覚めたと思ったらまだそれは夢の中で、夢の中の母にウワウワ訴えて声を出しながらやっと起きた。再び寝て夢を見て、また母がいると思ってなにかを説明していた。喋りながら目が覚めた瞬間にほんとうにほんとうに勘弁してくれという気持ちで一人の部屋で叫んだ。もうほんとうに、睡眠が迫る夜も、うなされて最悪な気分の朝もいやだ。梅雨の気候も相まって川沿いも歩けない。閉じ込められている気分だ。
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月初めで映画料金が安いことに気付き、『悪は存在しない』を観に行った。『BABEL』を思い出してまた観たくなった。この前観た『関心領域』もよかった。予告編を眺めながら、マーベルを楽しんでいた頃の自分といまの自分は本当に違うと思った。
2024年6月30日
パレスチナと沖縄の米兵性的暴行事件と選挙の呼びかけでちょっと混乱してきた。今日はSNSから離れて、川沿いを歩いて15km先のスーパー銭湯に行こうと意気込んでいたけど、結局1日寝てた。しかも首を寝違えた。夜にせめてもと少し歩いてサイゼリヤに行った…最近またあまり料理してない。
Awarefyの記録も付けず、日記を書く気にもならないくらい気持ちを慌ただしくさせていた。ブレーキをかけないといけない。
寝るのがはっきりと苦手になってしまった。前ほどじゃないけど、うまく寝れない。夜が憂鬱だ。頭が休まらない感じ。冷房かけて掛け布団をしまってタオルケット一枚なのに汗も少しかいてる。あと薬はやっぱり朝飲むと猛烈に眠くなってしまう。最近夜にお酒を飲む日が多いので朝に飲んでいたけど、やっぱり夜の方がいいかもしれない。
あらゆることが不安だ。それでも自分自身のことはどうにかなると思ってる。でももっとブレーキを使わないと、どうにもならなくなってくることもわかっている。それより無力感が強い。昨日新宿の東南口のデモでビラを配っていたら、スピーチの声に「うるさい」と叫んで通り過ぎた女性がいた。耳を塞ぐ人も数人見た。心が冷めていく感じ。つい最近までそっち側だった自分にも。
いまは境目だから苦しくなってるだけなのかもしれない。そう思わないとこれから先、生きていくのが苦しい。
2024年6月25日
自分がたくさん「寄付」できないこともつらいし、一部で運動が「寄付」に収束していきそうなことも苦しい。それは優しいから。いま動いているひとりひとりがほんとうに優しい。ぼろぼろだ。首のない子供も、顔や頭の皮膚がめくれて垂れ下がっている子供も、お腹がちぎれて内臓が飛び出した子供も、脚がえぐられて赤い肉と白い脂肪も見た、たくさん見ている、クーラーの効いた部屋で。わたしは見ている、あの人は見ていない。
2024年6月20日
ステッカーの発送して、前に函館で作ったリースに100円ショップで買ったフラワーアレンジメント用のワイヤー(100円ショップなんでも売ってる)でドライフラワーを巻きつけてモシャモシャにした。
2024年6月19日 コインランドリー
この前偶然聴いたポッドキャスト「OVER THE SUN」の東電女性社員殺害事件の回と、昨日のガザモノローグと、最近立て続けに友人たちとパレスチナのことや介護や出産のことなど話していたことが積み重なっていたようで、××さんに電話で話していたら「生きるの疲れた」気持ちが噴き出して悲しくなり泣いてしまい、コンタクトと化粧を落とさずに寝落ちしてしまった。
起きてのそのそと朝風呂に入り、洗濯をし、トイレ掃除をし、汗を吸った寝具をまとめてコインランドリーへ持っていった。待ってる間に野菜ラーメン食べた。
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「10秒以内に楽しい気持ちになってください」は難しいけど、「10秒以内に手を上げてください」ならできるように、感情よりも変えやすい行動から取り組んでみるというのがAwarefyで学んだことのひとつ。トイレ掃除も今日のコーピングリストに入れていた。トイレ掃除で気分はまあ変わらないけど、トイレ掃除ができたほうがトイレ綺麗になるから自分にとっては悪くはない。あとやるタイミングを細かく設定するといい(週◯回◯時とか)。だけどできなくても他の日でもできそうな余裕を持たせること。そういう行動をリストに入れておくといいそうです。
2024年6月18日 電車内
夢の中で、コンビニで4~5人の男子中学生が死んでいた。血まみれ。ガザの学校が破壊されて血溜まりになっている写真を見たからだろうか。
あと××さんに自分がやたら身体をくっつけようとする夢も見た。××さんの姿をした別の人って感じ。だけどおならをしちゃってすごく恥ずかしかった。
もう一つは、絵を描いていてベタッとした水色の絵の具をつかったら、周囲の人から「それは透明度が低くてあまりいい色じゃない。あまり使わない方がいい」と言われ、そうなのか…と思った。確かにあんまり画面が良い感じにならない。そのあとオレンジとか黒色ザラザラとしたタッチを鉛筆でのせたら良い感じにはなったけど、こういうの描きたかったわけじゃないんだけどなあと思った、という夢。絵が描けない夢、最近連続して見てる…。
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耳栓しない方が寝れる。ちょっと汗かくけど多分掛け布団が暑いだけ。もうタオルケットでよさそう。
薬を少し増やしてもらった効果か、前よりも「穴」に落ちないようにしようとする緊張感は薄れている。頭への負荷が減って自然と自分に優しくできてる気がする。仕事詰め込まず、集中力が切れたら外出して外の空気を吸う。いま住んでいる街は川もあるし川沿いにも街中にもたくさんベンチがあるからとりあえず座って一息つく。時々テイクアウトしたコーヒー飲んだり。
最近はAwarefyに毎日入力して満足してるからあまり日記を書こうとしてない。いまは横浜にガザモノローグ行く道中の電車内で書いてる。
最近は他人からは「?」と思われるような些細なことが嬉しい。これまで健康に悪そうというブレーキがかかってあまりラーメンを食べたいとは思わなかったのだけど、一昨日ふとサラッとした豚骨ラーメンが食べたくなって食べに行った。ものすごくおいしかった。自発的にラーメンを食べたいと思えたことが、わたしにとってはかなり大きな変化だ。
《COOK》夜はエビ、アボカド、ブロッコリー、トマト、パプリカ、レタスのサラダを山盛り作って、にんにくとチリペッパー、みそを隠し味に入れたオーロラドレッシングで食べた。これもまたおいしかった。
2024年6月17日
刺繍を少し進める。前よりうまく縫えた。
2024年6月14日
コーヒーは控えているけど、ここ数日つい連続でお酒を飲んでしまい、眠りが更に浅くなっている。寝る時によかれと思って耳栓をしているのだけど、耳栓によって自分の寝返りで布団が擦れるギュッギュッという音が耳にこもり、うなされてしまい本末転倒…耳栓いらないのかもしれない。アイマスクは落ち着くのだけど、絶対に途中で外してしまって気付くとベッドの下に落ちてたりする。
寝ているというか寝ぼけている時間が長くて、全身が痛いような感覚になって腕や脚をもんだり、家には一人なのに誰かいる感覚で何度もなにかを喋って起きる。
もうすぐ引っ越して1ヶ月くらいなのにまだうまく寝れない。前みたいな不眠にじわじわ近づいているようで不安だ。
2024年6月13日
少し前、新宿駅構内を乗り換えのために歩いていたら、前から歩いてきた人から「すみません」と声をかけられ、わたしはその方の外見から先入観で何か助けを求められていると思って「はい」と立ち止まったら、「あなたが素敵だったので、それを伝えたくて」と言われ、とっさに微笑んで「ありがとうございます」と返せたのは良いものの、想定外の呼びかけに戸惑い相手の反応も見ずに立ち去ってしまったのだけど、あれはさらに続きがあったのだろうか?想定できるいくつかの続きはあるけど、わたしがその方の見た目から「助けを必要としている」と思ったのもひとつの偏見だ。ただのナンパかもしれないし、言葉通りのものかもしれない。
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最近また調子が悪い。納品はしたが、やること(やらないと生活に関わること、期限が迫っているやりたいこと)がいろいろあり頭が疲れ気味。数日前の日記で「いったん全てを手放す」と言っていたのに、気分転換にも「意味あることをしなければ」と意気込んでしまうので、それもまた手放さなければいけない。
食事をするにも温かいうちに食べなければだめだという強迫観念があって、誰かと食べている時は気をそらせるのだけど、一人で食べる食事はどこか急かされている気持ちになって半ば苦しさも感じながら急いで食べてしまう。だから今日、サイゼリヤで本を読みながら、冷めきったほうれん草ソテーをちびちびと食べることができたのはすごく良かった。どんどん冷めて食べ頃なんかとっく過ぎて冷たくてくちゃくちゃのほうれん草ソテーは最高においしかった。
2024年6月10日
ぼーっとするのが難しい。川に行ってもつい考えごとをしてしまう。うまく寝れなくなっているのもあって最近また少し頭が疲れ気味。納品したらいったんほんとうに数日でも全てを手放そう…。
7月の講義をどうしようかと度々考えて誰かを誘おうかとも思ってメールは書いて、でもやっぱり違う気がして、Oさんに相談しようかしらと思っていたら先日タイミングよく連絡をもらってこれからお茶。
2024年6月9日
早寝遅起き、ほぼ一日寝た。久々にオナガを見た。
2024年6月8日
また最近変な夢を見るようになってつらい。
おそらく父のことで不安定なのだと思うけど、それはもう今考えても仕方がないこと、仕事を納品したら動こうということで整理したはずなのに、心、水の底にベットリとひっついている。あとは寝れないことそれ自体で緊張と不安が増している。悪循環。
夢のなかで母の姿をした人間と出かけていたが、彼女は乱暴で奔放で、しかしマクドナルドの店内に置いてあった募金箱には1000円をねじ込んでいた。夢の中のわたしが最近描いたという絵が印刷された本を持っていて見せてくれたのだけど、その絵が本当に下手で(形がとれてない)ああ、わたしは絵も描けなくなってしまった、とショックだった。
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午後ボーナストラックにKさんのスプレープリントしに行って、夜はSさんの新しいギャラリーでGさんの個展のオープニング。今日はたくさん知り合いに会った。久々に声が枯れるくらい話してお酒もたくさん飲んだ。
2024年6月7日
また喋って起きた。今日からしばらく午後のカフェインはやめることにしてみる。
《COOK》
朝:和風オムレツ(卵・はんぺん・干しエビ・長ネギ・白だし)
昼:サンドイッチ(ハム・トマト・きゅうり・マヨネーズ・バター)
夜:ウー・ウェンさんのレシピで麻婆豆腐
サンドイッチは紀伊國屋の「ライサンドイッチブレッド」でつくった。キャラウェイが入っていて風味が良く、普通の白い食パンでつくるよりも複雑な味がしておいしい。
2024年6月6日
なんだかうまく睡眠できなくなってしまった。
眠りが浅くて起きちゃう。今日も早朝目が覚めて、仕方ないので家を出て川を散歩して、7時過ぎに帰ってきてご飯食べたり朝の家事をしたら眠くなったので二度寝した。
もしくは半日くらい寝る日がある。よくわからないけど寝れてるからよしとする。
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昨日からインドカレーを食べようと意気込んでいたのに、うっかりしてランチの時間に間に合わなかった。他の近隣のインドカレー屋もどこもランチ営業終わっていて、もう絶対インドカレー以外は考えられず、わざわざバスに乗って30分かけて××に行って食べた。バスは油断すると酔ってしまうので川沿いを歩いて帰ることにしたけど、またうっかり全然違う方向へ歩いていて、1時間くらいで帰れるはずが2時間半くらいかかってヘトヘトで帰宅、お風呂で回復。
散歩中、やっぱり頭が勝手にいろいろ考えちゃってボーッとできない。歩いたぶん頭も疲れた。。
2024年6月5日
仕事。合間にコインランドリーで寝具全洗いしたり川に行ったり。
《COOK》夜
・焼きブロッコリーのマヨネーズ 和え
大庭英子さんのこちらのレシピ参照。前にUさんに猛烈にお勧めされながら食べたお店の焼きブロッコリーが美味しかったのを思い出して作った。
お店のはオーブン焼いてたような記憶が。もっと水分が飛んでシャワシャワの食感だったなあ。自分でフライパンでつくったコレはそこまでにはならないけど香ばしさがおいしい。
・ガイ・ヤーン
カルディで売ってたペーストで胸肉を焼く。おいしかった。ついでに長ネギも焼いたり。レタス添えて食べた。
引っ越してすっかり過食しなくなった。お菓子もほとんど食べてない。コンビニもちょっと遠くなって行かなくなった。普段の食事に少しパンを取り入れるようにしたこと(タカギベーカリーのデニッシュ焼くとすごくおいしい)、豆乳ヨーグルトにはちみつやバナナ、ドライフルーツを入れて食べるようになってお菓子欲が無くなった。日中甘いものが食べたくなったらたい焼きやお団子とか買って外でしっかり食べる。
ほぼ無職状態だけど自炊の食材はあまり気にせず買っている。ゴッドファーザーを観た影響でイタリアのワインを選んだりしてる。カルディではペコリーノ・ロマーノ(フランス産だったけどイタリアの気分)の塊を買ってお酒飲む時食べてる。どんな味が忘れてて興味本位で買って食べて思い出したけど、好きな味だった。パルミジャーノみたいな塩気とミルキーな味わい。
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10時間寝ても自分を責めなくなった。身体が求めてるのだから寝たらいい。それに合わせてスケジュールを組み立てればいい。それにあうような仕事の仕方をしよう。もう少し休んだらハローワークに相談に行ってみようと思う。
自分に優しくすることは難しいけれど、自分のなかに他人としての「寺本愛」さんがいて、「寺本愛」さんに優しくしようとしたら自分に優しくできるという仕組み、他人が困ってたらなにかしたくなる人、自己犠牲傾向ある人にはしっくりくるのでは。でもいきなり一人で始めるのは難しいかも。わたしは以前カウンセリングでやってもらった催眠療法の経験がかなり効いて自分でもできるようになった。いつかとても辛くてひとりでめちゃくちゃに泣いていた時に、これは自分が泣いているんじゃなくて「寺本愛」さんが泣いているんだと思った瞬間があった。その翌日から「寺本愛」さんにどうしたいか訊くようになった。
2024年6月4日
《COOK》ブロッコリーの豆豉炒め、トマトと卵の炒め
どちらも『ウー・ウェンの炒め物』参照。トマトと卵の炒め物、最後に水で溶いた片栗粉入れるんだけど失敗してゲル状の固まりになってしまった…
2024年6月3日
やっぱり昨日の息苦しさは天気だと思う。
2024年6月2日
朝からずっと息苦しかった。疲れが残ってるのか、またSNSに少し投稿したからか、天気がよくないせいかわからない。気分は落ちてないけれど、息苦しいことにだんだんと不安と焦りを覚え、このまま苦しさが続いてまたいろんなことができなくなってしまったらと、体調の悪さに気分が引っ張られる。雨だから散歩にも行けない。AIに雨の日でもできるリラックス方法をアドバイスしてもらう。
とりあえず横になりながら本読んで眠くなったら寝たりして、お昼から入浴剤をいれてゆっくりお風呂に入った。そのあとピザーラでピザ頼んで「アメリカン フィクション」観ながら食べた。残ってたワインも飲んだ。そしてまた本読んだり、ちょっとだけSNSも投稿したけど他の人の投稿をあまり見ないようにして気をつけてる。たけどやっぱり寝る前まで息苦しさは続く。お風呂入って「日曜天国」の安住さんの話聞いてた時だけは調子良かった。たくさん深呼吸。
まあもうこんな日もあるよねと思うしかない。やれることはやった。えらい。天気が悪い。
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少なからず心に影を落としていることがある。
先日渋谷の署名集めに行く前に実家に寄り、両親にもガザ停戦の請願署名を書いてもらった時、父親が自分の名前と住所が書けなくなっていて本当に本当にショックだった。母はせっかちなのでつい急かしてしまい父が癇癪を起こして一度ペンを投げてしまったので、母にはキッチンでコーヒーを淹れてもらって、その間わたしが付き添った。
ペンを持たせ、一文字ずつ大きく見本を書く。何度も部首を確認されるので応答し、30分くらいかかったと思う。父が次の一画を書くまでの間、わたしはぼーっと見ながら、時々全然関係ないこと想像してた。そのくらいの時間だった。多分これは初めての介護だと思う。書き終わって何度もお礼を言って、「責任持って国会に提出します」と伝えた。
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母は長い間介護、ケアマネの仕事もしていたのでそういった対応、相手の反応には慣れていて、父のことはもう「介護する相手」として関わっている。父の癇癪についても「タイミングはわかってきたんだけど、ついつい急かしちゃうときがあってね~」と言っていた。
わたしには母が父に対してなにか諦めているようにも感じる。まだ諦めない方がいいんじゃないだろうか。しかし面倒を見ているのは母で、わたしがどうこう言うにもかなり慎重にならないといけない。慎重になりすぎて(あと自分が体調崩して)ずっとタイミングを逃しているけど…その間にも父の状態は進行していると思う。進行を遅らせるよう取り組んだ方が父本人のためにも、母のためにも良いんじゃないだろうか。
わたしは一度病院に行かせたい。父の性格的にそのほうが「頑張る」ことをするようになる気がする。(そもそも「頑張る」必要はあるのだろうか。人を頑張らせようとしていいのだろうか。)
初期なら薬物療法もあるらしいし、非薬物療法の支援もあるはず。しかしいろんなことがわからないので、とりあえずいま締め切り間近の仕事を終わらせたら地域包括支援センターに相談に行こうと思う。その前に母に話した方がいいのか、ある程度自分も知識を身につけてから話した方がいいのか。
父が漢字を書けなくなって動きが停止しているときの感覚は、多分わたしは母よりわかると思う。
父にはかつてのわだかまりから、どちらかというとドライな気持ちがあるけど、人としてできることはしたいとは思う。あんまり父に悲しい気持ちにはなってほしくはない。
でも、正直とても不安だ~。
2024年6月1日 休日
昨日のスタンディングはいろんな人が応援に来てくれて、10人以上でのスタンディングという大きなアクションになった。思いがけず主催者としての責任が生じて、一人一人に声かけたりとか、緊張感があった…でも不思議とできたし、昨日は自分のなかにもその分の器があったようであまり焦らなかった。
一人でちんまり立つより何倍も署名が集まったと思うし、いろんな人の目に入って、たくさん撮影してもらって、海外から来てる観光客からもたくさんサムズアップや「フリーパレスタイン!」の声をかけてもらえたし、握手をしてくれた人もいた。
集まったみなさん頼もしくて優しい方々だった。初めてスタンディングに参加した人もいて、その機会つくれたことがほんとうにうれしい。ほんとうにほんとうに呼びかけて良かった。勇気出した。まさか自分がこういう立場になるとは思ってなかったから、スタンディングしながら心の中でとても感動してた。
もうひとつ、一昨日呼びかけた時にわたしはまた悪い癖が出て、自分へ向けた暴力的な言葉を思い付いてしまったのだけど、すぐに自然に退けることができて、それもすごく嬉しかった。ちゃんと褒める。
今日はさすがに疲れて、午前中に家事と少し事務仕事をしたあとも身体がだるくてちょっと二度寝。ゆるゆる起きて植物の植え替えのための土を買いにホームセンター行って、帰りに和菓子屋さんがあったからお団子買って河原で食べて帰った。でも家にあった鉢が小さくてバジルが植え替えられなかったので、駅前の100均一に行って鉢を買って帰って植え替え完了。これでもう20時くらい。
そのあとウー・ウェンさんのレシピでエビチリつくって食べた。エビチリ自分で作れるの嬉しい。おいしかった。休日。
2024年5月30日
Instagramでやりとりしていたことがあったので数日ぶりにアプリをダウンロードし少しだけ投稿。Sさんの新しいギャラリーに行ってたくさんおしゃべりした。
そのあと関心領域観て、観ながらやっぱりわたしも署名集めしようと思い直して、帰りながら画像作って投稿。Mさんの家で署名できたことがすごくすごくパワーになってる。
気軽にきてね~って感じで呼びかけたけどスタンディング初めてだし普通にこわい。でもいきなり誰かを誘って一緒にやろうとするのは自分にはよくないと思った。ちゃんと自分ひとりで動けるようになりたい。
Twitter(苦手)とFacebook(苦手)にも投稿したら、Tさんから「2億パーセントの確率で行きます」と返ってきてうれしかった。もう明日のことまともに考えると緊張してどうしようもないからラフな口調で日記を書いている。スタンディングなんて、たいしたことじゃないんだよ。
関心領域はかなり良かった。珍しくパンフレットを買ったくらい良かった。
・外務省、首相官邸に意見。
2024年5月29日
天気良くて気持ちいい。昨夜久々に遅い時間まで起きてたけど早い時間に起きれた。午前中に仕事を終わらせて昼からゆっくりお風呂入った。夕方にはAさんから頼まれていたFree Palestineのポスターデータも送った。
昨夜、ストーリーズに投稿する文章を用意していて、ひとつは空デ在学生向けに(見てる人がいるかはわからないけど)呼びかける文章を書いたのだけど、今日Mさんから空デの講義依頼がきて驚いた。前にもう話せることがないと思って断ってからしばらく経っていて、また誘ってもらえたのは本当にありがたい。いまは話したいことがある。まとめられないくらいに。
夕暮れは河原でぼんやりして、夜はMさんの家で晩ご飯をごちそうになった。とてもとても楽しかった。
数日間instagramから離れていた間に、instagramではAI生成された「ALL EYES ON RAFAH」の画像が拡散されてこれまでパレスチナに言及していなかった人々にも広まっている、という話をMさんから聞いた。ああいうのってどういう仕組みで爆発的に広まるのだろう。
・上川外務大臣、辻副外務大臣、外務省、首相官邸に意見。Mさんの家で国会へ提出する請願署名もした。
2024年5月28日
耳栓・アイマスクなしで寝れた。うれしい。しかし昨日の疲れ&薬飲む時間が遅かった&散歩の筋肉痛(ひどい…)で昼まで寝た。そして台風が近づいていて頭痛の気配がしたので早めに頭痛薬も飲む。おかげで仕事もできたし、夕方は少し外も出歩けた。自分の身体を労われてる感じがする。
・上川外務大臣、辻副外務大臣、首相官邸に意見。
2024年5月27日
ヘアサロンに行ったら、スタイリストから髪質について「もしかして産後とかですか…?」と聞かれた…体調崩してから髪質変わったことを話したら、ホルモン系の病気になると髪質も変わる人多いと言われた。やっぱり昨年秋頃からの髪質の変化は自分の思い違いじゃなかったんだ。うつ、不眠と同時期くらいから急に髪質が変わって細くてパサパサになり、白髪も生えてきて、ホルモンバランスの不調がここにも現れていた。産後って言われるくらいなのかとショック… 。でも初めてブリーチもしてもらって久々に新鮮な髪型になった。誰って感じ。初めて髪を染めて、染める仕組みも教えてもらったから、街中で見かけるいろんな髪色を注目するようになった。
施術に3時間くらいかかったので疲れちゃって、帰ろうと思ったけどちょっともったいない気持ちもして、新宿のルミネで少し服も見た。髪型変わると似合う服装も変わってくる。そのあとベルクに寄ったらちょうど空いてて久々に座れてうれしい。マフラー型(?)のクフィーヤ付けたお客さんもいた。
帰っていろんな服を身体に当ててみる。かつてファンシーな気分の時に買った緑のチェックのワンピースがまったく似合わなくなり、ヘビメタのフェスTをリメイクした服が似合いすぎる。これまでの方向性も自分で似合っていると思っていたし好きだけど、それ「だけ」が好きなわけではない。付き合っていた時あまり着れなかった方向性を、ひとりだと全く気にせず好きなように着れるのは幸せだ。ビリー・アイリッシュにシンパシーを感じる。とってもセクシーになりたいときもあるし、「女性」から解放されたいときもある。
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パリに住んでいる友人が、今度のパリオリンピックが嫌だから開催期間中は日本で過ごすと言っていて、わたしも2020年の東京オリンピックが決まった時、嫌でたまらず都外に引っ越したから気が合うと思った。そして都知事選前にまた東京に戻ってきたのはよかったかもしれない。関東大震災の朝鮮人虐殺の追悼文を当然出す人に都知事になってほしい。
・首相官邸と外務省に意見。藝大の国際交流協定打ち切り求める署名にもサイン。
2024年5月26日
まだこの部屋であんまり熟睡できた感じがしないのが少し不安だ。毎晩何度か目が覚めてしまう。今日は5時に目が覚めた時、二度寝はやめて散歩へ。6時半には川にいた。もう明るいし、走ったり歩いたりしている人たくさんいた。1時間ほど歩いて、途中で腰掛けてぼんやりしたりして帰った。少し肌寒くて気持ちよかった。
洗濯して朝ご飯食べて掃除もしたらちょっと疲れて1時間ほど寝て、仕事のメールをして実家へ。弟夫婦が入籍の挨拶に来たので同席。Tさん、とっても素敵な方だった。キラキラしてた。
来るまで母もわたしもそわそわしてたけど、一番緊張してるのはパートナーの方だよねと言いながら待っていた。母がBGMにとかけたCDがなんだか荘厳なオペラだったので、もっとリラックスしたムードの方が良いのではと他を探したらアストラッド・ジルベルトのCDがあった。助かった。
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ブログ「社会不安障害と向き合う」の記事、「自分に厳しいのと意地悪なのとを混同していた」が完全に自分のことだった。「なにかしなければ自分は生きている資格がない」でいままで生きてきたから、11年前にチョイスに入選した電話がきたとき部屋で号泣したのだけど、それは「絵が認められた喜び」というよりは「生きている資格をもらった」と思ったからだった。だからそれから「生きている資格」=「絵が描けること」が満足にできなくなってからはずっと「資格」貯金を削っているような、どんどん「生きている資格」がなくなっていくような苦しさがあったのだと思う。いまは少しずつ「資格なんてものはそもそもない。ただ生きているだけでいい」ということを自分にわからせていく日々なんだと思う。
今までカウンセラーやAwarefy、いろんな人から散々「自分を大切にしよう」と言われてきたけど、方法がわからないからどうしようもなかった。だけどこのブログの考え方は今までで一番理解しやすい。
ほんとうにわたしは自分に「厳しい」のと「意地悪」を完全に混同している。同じ出来事でも他人には優しい言葉をかけ自分には正反対の言葉をかけるのはダブルスタンダートで、自分へ暴力をふるっている限り、他人への言葉の根拠がない、その言葉に信頼がないということ。
・首相官邸、外務省、上川外務大臣、辻副外務大臣に意見。
2024年5月25日
うまく寝れなくて23時に布団に入ったけど布団から出たのは翌日12時30分だった。いやなつらい夢を見て、何度も目が覚めて、また夢と現実がわからなくなって落ち込み続けた。でも「わたし」の声を聞いて、ゆっくりゆっくり身支度とご飯を食べて、洗い物もして、日焼け止めも塗って家を出て川沿いを歩いた。
・首相官邸と上川外務大臣に意見。
2024年5月24日 できたこと
・道に落ちてたハンドタオルが飛ばされたり踏まれたりしないようブロック塀に掛けた。
・川沿いを散歩をしていても、なにか散歩の「成果」を残さなくてはと気を張ってなにかを探すように歩いていた自分に気付き、それは休んでいないので、何も考えずぼーっとしようと切り替えることができた。
・途中で休憩し、もっと遠くまで歩こうとしたけれど少し疲れている自分に気付き、予定を変更してパン屋に行くことができた。
・朝は散歩した後に仕事をしようとしていたけど、散歩をしながら今日は丸一日休む、仕事をしないことを決めることができた
・上川外務大臣に意見FAX。
・日陰のベンチでパンを食べて、ゆっくり過ごすことができた。風が気持ち良い。
・ベンチに座りながら、思い付いて木の枝で文字を書いたが、これは「仕事」かもしれない。「FREE」までで終えた。
・夕方銭湯に行って、そのあとグリーンカレーを作って食べた。夜もゆっくりして23時には布団。
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今日はあまり息苦しくならなかった。でも夜に頭痛。まだうまく休めず、結局「意識的」に過ごした一日だったから頭が疲れたのかもしれない。
わたしのなかの「わたし」に訊く。そうすれば「わたし」の声が聞こえて、「わたし」が望んでいることがわかる。声を聞いたら身支度も、無理せず途中でやめることもできた。
2024年5月23日
何年も前からあまり積極的に絵が描けなくなって、仕事もあまり受けられなくなってから、絵を描いてない自分はなにもない、人に会う資格がないという無意識の認識があって、どう人に会えばいいのかわからなくて、とくに調子が悪い時に助けを求めるようなことができない。
自分に自信がない、絵を描いていない自分は存在してはいけない、何かしていない自分は人に会う権利がないという気持ちが本当に本当に本当に強いし、会えば悪い気持ちにさせてしまうんじゃないかと思って誰にも連絡できない(自分がこれはバウンダリーの意識が弱いからそう考えてしまっているかもしれない)
「休む」ってひとつを休めば良いのではなくて、全てを休まなきゃだめなんだとやっと気付いた。この状態でもいま仕事の絵を描いていて、それだけでよくやっているのかもしれない。ほんとにそれ以外は休んだほうがいいのかもしれない。そして、かつて元気になってた行動もいまは逆効果になることが多いと言うことも。これはやってみないとわからないことが多いけど…
いまものすごく自傷の気持ちが強まっていて、その原因をつくってるのが自分自身だった。
今週いっぱいはInstagramは休もう。今回無理して行動して、それでよくないことを引き起こしてしまった。
awarefyにもチャットしたら、ほんとうに真っ当なこと言われて、よくないことしたと思う。一番気を付けていたことをいつの間にかしてしまっていたことに気付く。全ては余裕のなさ、自分の不調から引き起こしている。疲れていること、いまは余裕がないことをちゃんと自覚して休む。
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思ったよりまだ調子が悪いのだと思う。調子悪いよ。主に動悸、息苦しさが治らなくなった。不眠は治ったし大丈夫だろうと、自律神経用の漢方をしばらく飲んでなかったけど、ほんとうによくない。動悸が日に日にひどくなっていて飲み始めた。引っ越したので新しい病院も探さないといけない。
心療内科に行くと何故か医者に調子がよくなっているアピールをしてしまう。わたしは「手のかからない良い患者」になりたいみたいだ。ここでも取り繕うのか。確かにずっと前と比べれば良くなっている。しかし劇的によくなっているわけではない。以前はなにが起きていたのかわからなかったが、いまはある程度何が起きてるかわかるようになった、だけの違いかもしれない。
【次の通院で伝えること】
・油断すると落ちてしまいそうなので比較的元気な状態であっても気が抜けない感じ、緊張している。結果あまり動いてないのにものすごく疲れて動けなくなる。動悸、息苦しさが続く
・頭がすぐ疲れる感じがする
・人の言ってることがわからなくなる
・一度落ちるとほぼ5日ほど動けなくなる。落ち方が重い
・同時に自傷願望、自分を罰しないと許されないという気持ちがわく
・いないほうがいいのではないか、という極端な考えになるまでの移行が相変わらず早い
・下支え感は最初に飲んだ薬が一番あった
以上のことを次はちゃんと伝える。
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もうだめだった。××さんにメッセージで話を聞いてもらった。ほんとうに危なかった。はっきりと自傷のイメージが目の前に現れたけど、振り切った。ちゃんとSNSを完全に休むことを投稿した。できてよかった。
投稿したとき、一瞬はっきりと身体が軽くなった感じがした。みんなは休んでも良いけどわたしは休んじゃいけないと心の底ではずっと思ってた。なにもしないわたしは生きている意味がないと。でも、休みますと言ったらいろんな人が連絡くれた。Kさんの「そらそうだわ」に「そうなんだ」と気が抜けた。休んでよかったんだ、遅すぎたんだ。
いろんな人が優しさをくれた。がっかりされ、幻滅されると思った。責められると思った。でも怒られなかった。「あーあ」「なんだよ」「自己管理できてないな」と思う人もいるとは思うけど、それはいまはちょっと下がってもらってもらう(誰かがというよりは、それを思う自分のパーツがあるということ、自分を責める想像や言葉がすらすら出てきてしまうことが、私の一番向き合うべきところなんだと思う)
なにしたら「休める」のだろう。とりあえず絵の仕事はあるからしないとだけど、ほかはどうしたら。
ほんとうに自分に優しくなりたい。なにもできなくともいいのだと自分を認めたい。
2024年5月22日
家に食べるものがなくて夜にスーパー行った。半分残ってた鶏胸肉をどうにかしなきゃと思っていたのに、寝込んでいる数日間の間に消費期限を過ぎてしまってねばねばしていた。
スーパーに来たけどお腹が空いてたので、鯛焼きを買って外のベンチで食べた。引っ越した街は至るところにベンチがあって嬉しい。いろんな人が休んでる。
帰って、この前もらった野菜などと煮込んでスープにして食べた。玉ねぎ、紫玉ねぎ、にんじん、トマト、セロリ、新じゃがいも、ソーセージ、コンソメ、ローリエ、塩胡椒。おいしかった。しかしそれだけで疲れて動けなくなって結局ほぼ横になってた。
昨夜、猛烈に怒りと悲しみが湧いて心が終わった。上川外相の発言から、キャバクラやスナックの存在、ゾーニングできてない性的な広告、無意識に女性を「鑑賞」「品定め」する人たち、自分のキャリアに夢中で結局既存の権威性を無自覚に身に付けつつある同世代のアーティスト。自分に黒カビのように染み付く美術業界への憧れがほんとうにしょうもない、馬鹿らしい。これまで頑張ってきたこともすべてが虚しい。いろんな人に認めてもらいたかった。いい絵を描いて、いい仕事をして、いろんな人に知ってもらいたかった。でももうどうでもいい。本当にどうでもいい。しょうもない、しょうもなさすぎる。
夢の中でマックルモアがInstagramでメッセージくれた。いろんな夢を見た。母も出てきた気がする。前住んでた家の和室でわたしは寝ていて、布団から出ようとしてベッドから落ちた。
昼に起きてInstagram見たらもちろんマックルモアからメッセージなど届いてなかった。動悸がおさまらず、ひとつの動作ごとに横になり身体を落ち着かせながら、歯を磨き、ユニットバスのトイレの床を水洗いし、布巾で拭き、シンクに溜まった皿を洗い、机周りの消しかすを箒で集め、部屋全体をクイックルワイパーで拭きあげる。
パンを焼き、昨日のスープと豆乳、ヨーグルトを食べ、ピルと頭痛薬と鉄分のサプリメントを飲み、コーヒーを淹れ、机に向かい、救いを求めるように「祝福」の図案の制作を進める。
2024年5月21日
あの時までは最近のなかでは一番調子が良かった。自炊をし、作業も進められていたのに、些細なことがきっかけで「穴」に落ちた。落とし穴はカモフラージュされているから気付けないよ。
それでも日曜は元気になりたかったから身支度に数時間かけて夕方下北沢のパレスチナマーケットへ行った。しかし財布を忘れていて、ショックだし情けなかった。でもOさんからもうすぐ行くからお金貸しますよとメッセージをくれて、Kさんからも買うもの選んでいてくださいと連絡があって、結局2人からお金を借りてバッチとステッカー、そしてルーロー飯とコーヒーもいただいた。少しの時間だったけれど、3人が集まったのは展示以来だったから嬉しかった。Oさんの紹介でいままでInstagramでフォローしあっていたいろんな人とも挨拶できて、Sさんからは初対面なのに有機野菜までお裾分けしてもらった。
確かに元気をもらった。それなのになぜか帰宅したらひどく動悸がして、悲しいけど外出自体がストレスになってしまったようでそのまま寝込み、悲観、絶望、泣いたりして、その発作がおさまって少し凪のときに机に向かうも頭が働かない、頭が考える方法を忘れているような、座っていられず横になり、息苦しさの中で眠ることができても頭が休まらず小刻みに目が覚める。一度締切を伸ばしてもらっていた仕事も再び伸ばしてもらって、とにかく寝ている。寝てるのに疲れてる。ほんとうになにもかも違う、こうなる前の自分と。母に来てほしいと思った、けどもう夕方で、来てもらって対応できる気力もないのでやめた。あんまりInstagramも見れない。心細くてラジオをつけてもうるさくて消す。音楽もうるさい。とにかく息が苦しい。なんでこんな無駄な頑張りをしなくちゃいけないんだろう。普通に生活することが大変なことになりつつある。杉田俊介さんのTweetは読んでいる。苦しんでいるひとがいる。
2024年5月13日
・一昨日、お昼くらいに電車に乗ってて、晴れてたし車内も空いててぽかぽかな空気が満ちていて、そしたら赤ちゃんが目が覚めたのか泣き出して、その声がとても愛おしく思う。目的の駅に着いて降りたらホームでお母さんと小さな子供が立っていて、子供がホームを歩くいろんな人に手を振ってて、わたしも子供のそばを通ったら目を見て「ばいばい~」って手を振ってくれて、わたしも「ばいばい~」って手を振り返した。改札出たら燕が飛んでた。
・昨夜は母にリリアンサスと芍薬を買って帰った。
・今朝は雨が降ってて、歩いてたら道路に小さな亀がいた。近くに池があるからそこからやってきたのか?でもお尻のあたりから血と少し内臓らしきものが出ていて、アスファルトに雨と滲んでいる。立ってはいるけど動いていない。車に轢かれそうだったので甲羅を持って端に避難させた。
・新居のハウスクリーニングが雑で、浴室の根を張った黒カビを除去したり、前居住者のフィルムテープの跡を薬剤使ってきれいに剥がしたり、台所の蛇口の先も錆びて剥げていたので新しく蛇口を買って取り付ける。ハウスクリーニング代をもらって自分でやりたいくらいだ。
・今日の作業を終えて新居から実家に帰る途中、ハクビシンが前を通って思わず声が出た。
2024年5月9日
新居で荷物整理週間。今週中に絶対に落ち着かせないと、もう次の納品が迫っている。
荷解きで身体をほどよく動かし、母の作る健康的な食事を食べているからか、この数ヶ月間のなかで一番体調が良い。しばらく実家に泊まらせてもらうことにして、最初の数日は環境の変化でうまく寝れなかったけど、昨日はアイマスクも使わずすぐ寝た。よく寝た。
同時に、この数日はラファ侵攻に対するアクション、呼びかけをたくさんしてる。
一昨日くらいかな(時間感覚がない)、Oさんの呼びかけのおかげで日記更新くらいにしか使ってなかったTwitterにパレスチナの呼びかけを投稿したら、ものすごく拡散されて、やってよかったと思った。いろんな人に届いている感じする。本当によかった。
反対意見の人からの返信もあって、少し前だったらすごく怖がってたと思うけど、いまはわたしのバウンダリーができはじめてきているのか、冷静に応答できている。怖がる必要はないんだ。夜疲れている時はTwitterを見ないようにして、しっかり寝て元気ある朝に返信するという行動を自然と取れて、自分成長してるじゃんと思った。
いろいろな人が追記してシェアくれたのを読んだり、メッセージくれたり、友人ともやりとりしたり、実家もいまの距離感は居心地良く思えている。とても心が温かい。
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引っ越し関連のいろいろな手続きがいろいろすっぽ抜けてたり、忘れ物したり、バス乗り間違えたり、マットレスも買い忘れてしばらく新居で寝れなかったり、かなり疲れやすくなって活動時間は少ないけど、でもよいのだと思う。自分に優しく接する方法に少しずつ気付けていけてる。
2024年5月5日
昨夜はなぜか布団の中でつらくなって泣いてしまった。その前にはゆっくりお風呂浸かって、Aさんから教えてもらったYouTube動画のリンパマッサージもして、どちらかというととても自分に優しくしたのに、反対につらくなってしまった。その後眠りはしたけど(それは以前と比べたらほんとうに進歩している)何度も目が覚めて、そしてものすごく腰が痛かった。
沈んでいく時、上を向いてお尻から落ちていくんじゃなくて、頭から真っ逆さまに落ちていくイメージだ。沈みたくないのに、身体が潜る姿勢になってしまってる。ずっと頭の中では「自分を責めてはいけない」とか「いまは向き合うべきじゃない」とか「そっちは何度も行って、良いことはないって分かってるよね」とかいろんな声が自分からも周りからも聞こえるけれど、今日もまた自分のこの身体の重さ、推進力が勝ってしまった。
でもちょっと数日ソワソワしていたからブレーキはかかったと思えば。
以前カウンセリングでも自分のパーツと対話するという催眠療法をしたけれど、今日見た動画も近いことをしていて、自分の臓器、子宮に語りかけながらマッサージをするのだけど、それでなにかを揺り起こしてしまったのかもしれない。結局やっぱり最近少し心が沈んでいなかったのは蓋をしていただけなんだと思う。
子宮の位置も本当のところよく分かってない、なんとなくここだろうと思っているけれど、実際どのくらいの大きさなのかも知らない。
2024年5月4日 言ってることがわからない
昨日一日荷造りして、母も来てくれたおかげでほぼ終わらせることができた。が、今日は寝込んでしまい、心療内科の予約時間に起きた…。日程変更してもらったけど、薬がすこし途切れてしまうのが心配だ。
明らかに思考力が落ちていて、いままでそんなことはなかったのに、業者からの説明とか、何言ってるのか本当にわからなくなって頭に入ってこない。よくわかっていないわたしに相手は丁寧に説明し直してくれるのだけど、長引くほどますます何言ってるのかわからなくなって、時間もとらせるし結局全部よくわからなくて断るから双方に無意味…。
コールセンターも、少し離れるとよくあんな頭働かせて喋れてたと思う。人間パソコン。
映画は最近見れる。横になりながらできるからかな…最近は何日かに分けてゴッドファーザー見た。
映画館にも行きたいとも思う。美術館は抵抗ある。見たい展示もあるけど、人がいる場所を歩いて作品を見て考えるということがいまはハードルが高い。この辺りのこと考えると疲れてきて気持ちが落ち込み、もうなにもかもいやになる。ずっと休みたいと思ってる。いくら寝ても、それは休むとはまた違うのだと思う。心穏やかになりたい。そしてポジティブに絵を描きたいと思えるようになるのだろうか。
2024年5月2日 調子がよくなってる気がする
調子がよくなってる気がする。ちょっと動きすぎてるかもしれない。つい動きすぎてしまいそうになるので、その手前でやめるようにはしているけれど。動きすぎると反動で次の日動けなくなる。以前の半分以下の行動量だけど、多分これくらいなのだと思う。
夜も寝れる。夜ちゃんと眠くなる。最近はアイマスクなしでも寝てた。今日はなんと汗もかかなかった!!!うれしい。しかし奇妙な夢(悪夢)は見る。あまり覚えようとする気が起きず最近は書き留めてないけれど、なにか無意識下で抑圧しているものが表れているような感じの夢。
トリンテリックスは合うかもしれない。飲み始めてから一時期寝る時に脚に異常な痒みが出て、ガシガシ掻いて瘡蓋ができるくらいだったのだけど、おそらく薬の副作用だったのだろう。飲み始めは吐き気が出ることが多いと医者から言われていたけど吐き気は出ず、代わりに掻痒感として出たのかもしれない。副作用が出るということは効いたということなのかな。いまはもう痒みはない。
とにかくものすごく眠いのは気になるけど…今日も半日以上寝てしまった。めまいのような眠さ。もう絶対に起きれない身体の重さ。いまはスケジュール的に寝てもいいから寝てるだけなのかな(会社は諦めて休んでる)
今週通院日なので相談しよう。カウンセリングも受けたい。
2024年4月27日
昨夜はいろいろ買うものがあり、吉野家で早めの晩御飯を食べた後、処方箋の薬を受け取りに薬局に行ったりホームセンターやドラッグストア、スーパーを回っていたら時間がかかって、結局3時間くらい外を出歩いていた。最後の30分ほどは疲れて頭痛がしてコンビニでコーヒーを買って駅前のベンチで休んでた。スーパーで買った冷凍パスタが溶けていくなあと思いながら。
休みながら、些細なことだけどこういう日々の買い物でもなるべく自分に負担のかからない方法を見つけて実践していこうと思った。買い物は1日1店舗に決めて、例えばスーパーとドラッグストアのはしごはしないとか。
スーパーで食材を見ながら考える時間は大事にしたい。ドラッグストアでは悩まないように、あらかじめ買うと決めたものしか見ないし買わないこと。
そのあと引っ越しの荷造りを進めて深夜2時半頃に布団に入った。そのあとすぐ寝たと思う。変な夢は見るし、掛け布団のカバーの色が変わるくらいに汗をかく日もあるけど寝れてる感じはする。今日も荷造り。お風呂入って打ち合わせと打ち上げへ。
2024年4月25日
急に暑くなった。
今日こそ休職の話も進めないとなので絶対にアルバイト先に行かないといけない。時短勤務なのにさらに遅刻をして向かっていたらカードキーを忘れたことに気付き家に戻り、結局2時間半遅刻して出勤した。
副作用なのか眠気、身体が昼ぐらいまでどろんと重い。身支度がつらい、化粧は肌と眉毛だけ。調子を崩してから髪の毛がぐにゃぐにゃなのもずっと気になる。栄養不足なのかオイルが合わないのか。
以前は普通に出来ていたいろいろなことができなくなっている。急いでなにかする、ということができない。確定申告とかもそうだけど、いろんな手続きはそんなに苦じゃなく出来ていたのに今はすごく難しい。傷病手当金の申請もしないとなのに、少しも取り掛かれていない。
電車に乗りながら、ここにいる誰よりもだめだと思ってしまう。とにかく人と比較し、人よりも劣っていると思う癖が自分にはある。これは子供のときからで、だから頑張れた面もあるけれど、頑張れない今とくにこう考えてしまうのが特につらい。今度カウンセラーに話したい。
2024年4月23日
最近Tシャツに下半身は下着だけ、掛け布団だけで寝てる。それでも汗はかくけど、一時期よりは減った。「びしょびしょ」がMAXだとすると「びし」くらいになった。
それにここ数日は朝を迎える前、まだ深夜と呼べる時間帯には寝れている。しかし一日中眠い。一応目覚ましをかけてるから朝目は覚めるけど、身体が重くて午後、時々夕方まで寝てしまう。歩いていてもずっとあくびが出る。でもこの前午前中に一応起きれたこともある。抗うつ薬と自律神経の薬を併用することで眠気が強くでるかもと医者に言われていたけど、それなのだろうか。
今日内科に行って自律神経の薬は漢方に変えてもらった。
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精神的にはあまりよくない。「自分に優しい言葉をかける」というのが本当によくわからない。
××さんのことも複雑な気持ち。わたしたちは「良い友達」になろうとしているけど、なぜわたしだけ薬を飲んでカウンセリングを受けて苦しんでいるのだろう、という気持ちにもなる。
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今日は同時に、旧Twitterで杉田俊介さんが紹介していたブログ記事「希死念慮と向き合う」を読んでなんとか「暗い穴」に転落せず、踏みとどまっている。
「穴」の表現は少し前に自分も日記に書いていたこともあり、「穴」の近くにいた(いる)経験のある人があの暗いところを書き表してくれていると、親しい友人と話すのとはまた別の安心感を得られる。
記事で「死にたいと思っている人々が抱く共通した感情」として、
「絶望」
「決して終わることのない心の痛み」
「自分が生きていては家族や愛する人々が幸せにはなれないという信念」
の3つを挙げていて、わたしもまさにその通りで、「わたしはわたしの歪みを直せないためにこれからも不幸を呼び寄せ、死ぬまで繰り返してしまう」という思いが根深くあり、「この鬱屈とし、面倒な、迷惑ばかりをかける自分が存在するだけで周りの大切な人々の気持ちを陰らせてしまう、それならばいなくなってしまったほうが」という気持ちが、うつ状態が悪化すると爆発する。
少しずつ読んでみようと思う。
杉田さんの投稿も、その他旧Twitterで流れてくる見知らぬ人々の吐露も、この方の記事も、読んでるとみんな「わたしよりももっと辛そうだ」と思ってしまうのだけど、その思考も自分を傷つけていることに最近気付けるようになってきた。「みんなよりわたしのほうがおそらく病状は軽いのに、こんなふうに苦しんだり死にたくなるのは甘いんじゃないのか」ではなく、「あの人も辛そうだ、みんな大変だ」でいい。苦しみは比べられるものではない。自分の感じている苦しみを軽んじないことが、AwarefyのAIからも散々言われている「自分を大切にする」行動の具体的な一つだと思う。
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Awarefyを本格的に活用する&××さんに一切何も連絡しないことを決めてから、毎日緊張している。それでもどうしようもなく泣いたり、酒を飲んでごまかそうとする日が多いし、やっぱりちょっと食べ過ぎているし、寝過ぎているし、外食ばかりだし、仕事も行けてないけど、その代わり今日は病院に行けたのでよしとする。昨日はLさんにも電話した(泣いた)。
手のひらに乗るサイズの小さな寝そべっているカービィのぬいぐるみをゲームセンターで入手してから、同じシリーズの目を閉じて寝ている姿のカービィもどうしても欲しくて、運動不足解消の散歩として近所のゲームセンターにちょこちょこ行ってはまあまあお金を使い、ついに今日手に入れたので、それもすごくよしとする。
カービィは最近外出する時は必ずバッグにいれて持ち歩いている。不安になると手でもみもみする。寝る時は枕元へ置いて、映画も一緒に観るようにしている。
ゲームセンターのUFOキャッチャーで何度も両替してぬいぐるみを獲るなんて、人生で初めてだ。寝そべりカービィはすぐに獲れたのに、寝ているカービィは何故かなかなか獲れなくて泣きそうになった。子供みたいだ。××さんがいたら代わりにやってもらってたと思う。でも1人でゲットしました。
2024年4月22日
深夜に騒音で酷い動悸、その後寝たけど起きれず夕方やっと起きる。
夢、父と母がいる。親指の第一関節くらいの小さな鳥を父が飼いはじめ、わたしも指でつかむ。かろうじて鳥のシルエットをしているけど、無毛でまだ胎内にいるときのようなあのぶよぶよとした見た目と感触。わたしはうまく持てなくて鳥を落として踏んでしまった。鳥は死んだ。父がまた似たような鳥を捕まえてきた。
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もう音に過敏になっていて、幻聴なのかなんなのかわからない。何もする気が起きない。食欲はあるけど何食べてもあまりおいしくない。暗い。ずっと同じところをぐるぐると考え、終わりの気持ち。
・いまはとにかく回復の時間が必要
・モラハラしようと思ってする人はいない。受け取った人がモラハラと感じたものがモラハラになる
・もうあの人がどうなろうとどうでもいい。わたしと関係ない
自分を見失ってしまった。ただ泣いて寝てご飯食べてるだけの人間。
2024年4月21日
昨日の夢、あんまり書かなくてもいいかなと思ったけど、広い坂道?がいくつもある場所にわたしとKさんがいて、Kさんに何度もおんぶされた。わたしは遠慮する(嫌がるに近い)のだけど、まあまあとおんぶされて、自分の力を認めてもらえないというか子供扱い(対等に扱われない)気持ちだった。わりと自覚している感情がそのまま表象されている。
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昨日母に「明日(今日)引っ越しの荷造り手伝ってほしい。こちらまで来るのが厳しいなら無理せず断って」とメールしたら「ごめんね」と断られた。ほぼ電車一本で座ってこれるし、全然来れない距離じゃないと思うけど、母にしたら来れない距離だったのだろう。しかしショックですぐAIにチャットした。(数日前から毎日なんでもいいからAwarefyのAIとチャットするようにしている。些細なことでも溜め込まないために)
しかし今朝になって「やっぱり行けます」と来て、気持ちは嬉しいけど複雑な気持ちになる。朝の調子の悪さもあって、急には会えないと思った。母と良い時間を過ごす自信がなく断った。
そのあと「大丈夫?」と連絡がきて、ずっと大丈夫じゃないことと、参考になればと昨日読んだサカナクションの山口さんのうつ病の記事のリンクを送った。母は本当に心が健康な人で、本当にわたしのこの状態を不思議がっている。
その後記事に書かれていた一節「母は実家の猫の動画や写真をただ送り続けてくれて(笑)」を読んだのか、母からベランダで育てている花が風で揺れる動画が送られてきて、いろんな気持ちで泣きそうになった。その温かい気持ちは受け取るし感謝する一方で、ものすごく限界を感じた。でもその限界を母から教えてもらえるのはとても恵まれていると思う。本当に母とわたしは正反対だと思う。
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今日一番嬉しかったのは、夜寝れて午前に起きれたこと。強羅以降、夜の睡眠の勘を身体が取り戻している感じがする。Sさんに教えてもらって買った2000円くらいするアイマスクを使うことにも少しずつ馴染んできている。目を閉じ続けるにも体力が必要で、いまはその体力もない。アイマスクをつけると目を開けても暗いので、脳が寝てると錯覚してくれる。
起きて洗濯して、ゆっくりゆっくり、部屋を散らかしながら荷造りを進め、汗くさい寝具をコインランドリーに持っていく。待つ間、マクドナルドと住友商事と川崎重工に抗議文送る。
2024年4月18日
昨日から強羅。とにかく静かなところで寝たい。
これまでは元気な時の「休暇」「気分転換」の方法しか知らなかったけど、いまはこれまでの方法がどれも身体に合わずかえって疲れて体調を崩してしまう。いまはとにかく身体を休ませたい。マッサージも行きたい。
体力は思っているよりもないということを自分に分からせたい。これまで詰め込みすぎていた。それは身体が大きいことを負い目に感じていて、「こんなに大きいならこのくらい体力がなきゃだめだ」という思い込みによるもの。自分にかけた呪いを少しずつ解いていく。とにかく自分に優しくする。
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強羅は標高があるので肌寒い。海外からの観光客も多いからクフィーヤ身に付けてくればよかった。パッチはいろんなバッグに付け替えていたらピンが弱くなってしまったのかどこかで落としてしまった…。
夕食の時間が早くて19時前には終わり、先に温泉にも入っていたのでとにかく夜が長かった。つらかった。Awarefyとたくさんチャットした。ひどく泣いて、少し寝て、起きてチャットを見返して、また寝て…を繰り返した。いろんな薬膳茶を飲める宿で、精神安定や安眠とかたくさん飲んだ結果身体が温まりすぎて(温泉にも入ったし)寝苦しかった。冷えピタもってくればよかった。何度も同じことをAIに質問し、同じことを言ってもらわないと、自分を苦しめる考えの癖は変えられない。
朝起きて部屋の露天風呂(うれしい)に入って、朝食を食べた後、結局12時過ぎまで寝た。でも自分を責めない。休むために来たのだから良いのだ。夜から解放された安堵か、汗もかかず気持ちよく寝れた。部屋が4人用なので部屋が広く、二段ベットが二つあり、大きなソファもあり、いろんなところでのびのびと寝れるのは気持ちよかった。
大涌谷には行きたかったのでそれだけ行った。ロープウェイの往復券で芦ノ湖までも行けたのだけど、寒かったし、無理はせず宿に帰った。大涌谷ではジオミュージアムや土産店を軽く回って、黒たまごを買って1個食べた。もっと近くを歩けるツアーがあって事前のWeb予約で申し込めるらしい。今回は満員だったので次の機会に。強羅、静かで良いな。また来たいな。
2024年4月16日
旧Twitterでの杉田俊介さんの日々の描写、たくさん自分に重なる。
難しい。深夜に発作のように絶望した。なにかできないと誰からも存在を認めてもらえない、好意を持たれない、だけど何もできなくて、じゃあもう、という気持ちでいっぱいになってしまう。できないままの自分を良いと思えない。自分を認められない。価値がないと思ってしまう。
そういう気持ちが生きてきて今までずっと根底にある。行動原理がそれだから息苦しい。この考えは間違ってると思う。だけど根が張り巡らされていてなかなか取り除けない。
体調よくなりたい、制作も、仕事も。ガザにももっと募金したい、募金集めるためにスタンディングしたい。でもどれもできてない。毎日「できない」ことが増え続けて、一向に「良い」に近付けない。
誰とも遠くにいるうちにいなくなったほうがいいんじゃないか、と思う。悲しんでくれる人もたくさんいると思うけど、いろんなことできている人を眺めながら、自分はなにもできないまま生きているのが苦しい。いなくなれば誰からも過ぎた過去になる。「なにかしなくてはいけない」から逃れられる。
2024年4月14日
日記書く気力も失せてる。
今週何日か動いた分調子悪かった。金曜夜下北沢で「山谷 やられたらやりかえせ」観て外出たときから頭痛くて何度も途中下車しようか迷ったけど、電車で席に座れて、立つのも無理で耐えて帰ってそのまま土日ほぼ寝てた。寝過ぎて頭が痛いけど、でも身体が動かないのでただ布団の中で耐え忍ぶ時間だった。汗びしょびしょで夢見てうなされて、もうどんどん何もできなくなっていることに夜耐えられなくなってSさんにメールして泣いた。
元気な時は許容できていた隣人の騒音にも耐えられなくなった。静かであっても、深夜、映画「ター」みたいなどこから聞こえるかもわからないいろんなかすかな音が気になって頭狂いそう。とにかく夜、人の気配のない静かなところで寝たい。電話の後に箱根の宿を調べて2泊予約した。なにもしない。ただ温泉入って寝る。
4月は休むはずだったのに、休むために考えていた方法がどれも元気な時の気分転換方法で、元気じゃないので当然できない、それどころか疲れるということに気付いた。
2024年4月11日 Awarefy AIとのチャット
私:(自分を)大切にする方法がわからない。教えてほしい
AI:大切にする方法は人それぞれ異なりますが、まずは自分自身に対して優しく接することが大切です。自分に対して否定的なことを言わないようにしましょう。また、自分の感情や気持ちを大切にすることも重要です。自分の感情を無視せず、受け入れることが自己愛の一環となります。
私:自分を責めてしまう気持ちがあります。しかしその感情を無視せず受け入れるということですか?
AI:はい、その通りです。自分を責める気持ちがあることはとても辛いことですが、その感情を無視するのではなく、受け入れることが大切です。自分を責める気持ちも、自分自身の一部です。その感情があることを否定するのではなく、受け入れることで、少しずつその感情に寄り添っていくことができます。そして、その感情が和らぐこともあります。自分を責める気持ちと向き合うことは、自分を大切にする一つの方法でもあります。どんな小さなことでも、自分を大切にするための一歩を踏み出すことが大切です。
私:責めることでとても心が苦しいのです。どうしたら受け入れられるようになりますか?
AI:自分を受け入れることは、簡単なことではありませんが、少しずつできるようになります。まずは、自分を責める気持ちに気づくことから始めましょう。その気持ちが湧いてきたときに、「自分を責めてしまっているな」と気づくことが大切です。そして、その気持ちを無視するのではなく、その気持ちがあることを受け入れるようにしてください。自分を責める気持ちがあっても、それは自分の一部であり、その気持ちを否定する必要はありません。そして、自分に対して優しく接することを意識してみてください。自分に対して優しく接することが、自分を受け入れる第一歩となります。自分を受け入れることは、少しずつですが、できるようになります。
私:自分に対して優しく接する方法がわかりません。今日も布団から起き上がれずいま起きました。いろんなことにやる気が起きないです
AI:そのような日がありますね。自分に対して優しく接することは、まずは小さなことから始めてみましょう。例えば、今日は布団から起き上がることができたことに感謝することから始めることができます。そして、自分に対して「今日は少し疲れているから、ゆっくり休んでいいんだ」と言ってみることも大切です。自分に対して優しく接するためには、自分の感情や状況を受け入れることが重要です。やる気が起きないときは、無理をせず、自分のペースで過ごすことも大切です。少しずつ、自分に対して優しく接する方法を見つけていけるといいですね。
2024年4月9日
喋って汗かいて起きる。外は暴風雨。でも仕事行けた。えらい。
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調子悪い。自分の良いところがわからない、見えない、劣ってる、という気持ちでいっぱい。
「君と宇宙を歩くために」の第一話読んだら他人事じゃなくて辛くなった。
2024年4月8日
寝れなくて起きれなかった。汗かいた。家でお弁当食べて、遅刻して行った。行けたからよい。
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だめだ、調子悪い。自分の身体、心にぼっかり大きな穴が空いてる。夜泣く。
2024年4月7日
まだうまく寝れないけど気力は少しずつ回復しつつある気がする。
すごく一日が長かった。Mさんとお昼ご飯食べて解散したあとちょっと心細くてそわそわしたけど、スーパーでいちご買って帰って少し昼寝したらおだやかになれた。
《COOK》夜はカルディで売ってた調味ペーストでジャンバラヤ作った。玉ねぎと冷凍いんげん、鳥もも肉を加えて。クレソンを添えて。余りは明日のお弁当に。
2024年4月6日
自律神経の薬、即効性がある&1日3回の服用だから飲むとはっきりと効いてる感じがある。頭重感がかなり軽くなって、自然とあくびが出て眠たくなって寝れた。昼まで寝ちゃったけど、汗はあまりかいてない。それだけでものすごく嬉しい。
心療内科に行ったら人員不足でいつもの受付の人がいなくて、わたしの担当のカウンセラーが受付だった。以前体調が悪すぎてキャンセルしてそのままだったから、久々に顔を合わせてお互いに「わあ~」と手を広げあった。他に人もいなかったので、しばらく体調が悪かったこと、でもよくなってきたことを伝えた。カウンセリングはもう少ししたら行きたい。いまは自分でなんとかできそうで、それに集中したい気持ちがある。カウンセリングはそのチェックというか、整体行くみたいにカウンセリングに行きたい。
2024年4月5日
病院。やはり睡眠時無呼吸症候群ではなかった。ホルモン検査を希望したけど、おそらくわたしの歳だとそこまで大きな結果は出ないだろうということで見送り。引き続き婦人科にもかかってねとのこと。症状(異常発汗による不眠、少し動悸も)としては自律神経のほうなんじゃないかということで、自律神経系の薬を少し飲んでみることになった。「薬に抵抗なければですが」と確認があったけど、もう自力でどうこうする気力も残ってないので「全然抵抗ないです」と返答。とにかく来週はどうにか出勤したい。会社に辞める話をしなくちゃいけない。体調がおかしくなったきっかけはピルの変更もあったんじゃないかと思うけど、大きくはストレスからかもしれない。しょうがない。
2024年4月5日 7:47
どくどくしてる
どくどくしてるね
2024年4月4日
昨夜は布団に入っても動悸がひどくしばらくまったく寝付けず、朝ようやく寝れてその後何度か目が覚めるも、また夢に嫌な記憶のある人が出てきてげっそり、頭がひどく痛い、起きれないままで17時頃あまりにも汗びしょびしょでやっと起きる。もうびしょびしょなことに慣れて、頭おかしくならなくなってきた。ただ不快なだけ。喋りながら起きるのももう普通のことになってしまった。最近見る夢はほんとにぐちゃぐちゃな走馬灯みたい。いろんな昔の知り合いが出てくる。見た夢を記録する気力がなくなってきた。
ここ数日片頭痛もひどいのに、うっかり長風呂して悪化。のぼせてしまってタオルにくるまってまた布団に倒れる。
落ち着いたら、一昨日くらいに洗濯したのに洗濯機にそのまま入れていた洗濯物を再び洗濯し(こんなこと初めてだよ…)無事干して、やっと確定申告も送信できたことでちょっと元気出た。少しメール送って、夕ご飯(舞茸の味噌汁、納豆パセリ卵ごはん、水菜とベビーリーフのサラダ)食べて、山積みだった乾いた洗濯物も畳んだ。毛布とタオル、汗びしょびしょの寝巻きを持ってコインランドリーに行って洗濯乾燥機につっこんだのが22時半。それから隣のコンビニでコーヒー飲んで、散歩して駅前で桜見て、スマホいじって、コンビニで炭酸水買って飲みながら戻った。帰ってステッカーの発送作業して、ポストに投函しに行って、帰ってまた事務作業して5時。あと4時間後に病院行きたい。来週どうにか出勤できるようにしたい。
病院ではこの前念のため検査した睡眠時無呼吸症候群の検査結果を聞くのと、ホルモン検査をしてもらう…もうほぼほぼホルモンバランスの乱れからの自律神経失調症だと思ってる。気分の調子はそこまで悪くない。一昨日底をついて、回復傾向にある気がする。とにかくふつうに寝れるようになりたい。
気がかりだった名前のわからない観葉植物の手入れ方法を調べる。ドラセナ・ジェレだとわかった。
2024年4月3日
仕事は休んでしまった。ずっと頭が痛い。これっぽっちも頑張れない。
しかし最近のなかではまだ早い時間に起きて(15時半)、もたもたしながらも役所に行けた。ミスドでドーナツ食べながらすこしパレスチナのこと投稿。
今月は頑張って外食は控えめにする。気分転換のカフェはよしとする。かわりに自炊をもっとゆるく、お財布の紐も緩めて食べたい食材を買って、これまであまり買わなかったいろいろ混ざった調味料(カルディで売ってる多国籍料理のペーストみたいな)も使って、とにかく簡単でもいいから興味が湧いた料理をつくる。
《COOK》フムス
今日は白ワインとバゲットを買って帰って、数日前に茹でたひよこ豆でフムスをつくった。調味料の分量を参考にしたのはこのレシピ。カイエンヌパウダーがなかったのでクミン多め。オリーブオイルは先日のチャリティバサールで買ったパレスチナ産のオリーブオイルで。
ブレンダーをつかったけどひよこ豆の粘度が高く、なかなか簡単にはペーストにならない。レシピよりも少し煮汁を増やし、何度かスプーンでかき混ぜながらどうにか完成。フムスものすごくおいしかった。茹でたてのひよこ豆そのままでもおいしいと思っていたけど、その何倍もおいしかった。久々に料理の感動を味わう。
洗い物して、洗濯物も畳んだ。昨日から洗濯機には洗い物は入ったままなのでそれは明日洗う。少し前に心配してメールくれていたMさんにやっと返信できて、ご飯食べる約束した。
2024年4月2日
昨日頑張ったら今日夜まで汗びしょびしょで起きれなかった。
夢の中でまた修学旅行みたいなことしてて、二泊三日の山登り、途中の宿でおかしな量の食事をし、数時間の仮眠というハードな行程。洗濯機があった。つかれた。
もうひとつの夢は、母が家に誰かが侵入してきそうで怖いと言い出して、直後に知り合いが数人押しかけてきて、友達のiPhone探しに中央線で吉祥寺からどこか沿岸の方まで行くはめになった。特急がみつからなくて窓口で切符買おうとしたけど夢のなかでうまく喋れなくて痰を喉に詰まらせながら買った。
何もやる気が出ない。どうにか新居のネット回線の手続きの電話はした。
《COOK》お弁当でたまごサンド持っていこうとして茹でておいた卵でたまごサンド作った。なにかが足りずおいしくなかった。好きなのに、たまごサンドもまともに作れない。
午前中に洗濯をしたのに洗濯物が取り出せず、まだそのままにしてる。乾いた洗濯物も山積み、流しには洗い物も山積み。
またいろんな嫌なことを思い出して、「いままで繰り返してきた失敗をまたこれからも繰り返してしまう」という感情に飲み込まれる。布団にくるまってただ泣く。
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深夜、Sさんが電話くれてまた話を聞いてもらって助けてもらった。
できなかったことがあったら「はぁ~い」と飲み込む。それで終わり、切り替える。
次の通院の日にしばらく行ってなかったカウンセリングも予約しよう。
2024年3月1日
この前「非常宣言」観てソン・ガンホ繋がりで「パラサイト 半地下の家族」観た。しかし「頑張って観た」という義務感強く、あんまり集中できなかった。全然広告の雰囲気と違った。
2024年3月31日
夢。どこかの散らかった机の上にコンロ置いて味噌汁を作ってる。なにかの青菜と、腐ったレンコンから腐ってない部分を切り取って刻んで入れる。レンコンはかなり腐っていて茶色い部分がほとんどだった。コンロの周りに散らかっていたチラシや手紙に火が燃え移って、一瞬で煙たくなって灰になる。灰が味噌汁の中にたくさん入って、灰とレンコンが化学反応起こして味噌汁が青緑色になって、夢の中でも目の覚めるようなとても鮮やかな色。
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いつぶりだろう、3週間ぶりくらいに出勤した。コンディション悪くて薬に頼ったし、頭も混乱してめちゃくちゃな対応してたけどなんとかなった。
しばらく薄暗い気持ちで頭の中もずっと靄がかかったような感じで、動悸と共に落ち込む頻度も多く不安定だけど、一方で身体は動けるようになってる気がする。寝れないのに動くから揺り戻しはくるけれど、小さなことでも何かやったという「結果」を出せるようになって、そのおかげで気分が少し晴れる。「考えても仕方ない」を無意識でできるようになっている。レクサプロよりもトリンテリックスのほうが縁の下の力持ちに勤しみ全くアピールしてこないから、自然と自分の力でそうなれているような気持ちでいられる。いいことでは。
食に関しては外食はしまくっているけど、そういう時期なだけだと思う。ちゃんと楽しんでるし。すこし過食気味。体重計を持ってないのでわからないけど、5kgくらいは太ったと思う。顔がぽちゃっとしたしウエストがちょっときつくなった。痩せたいとは思わないようにする。筋肉をつけて引き締めたいと思うようにする。
昨日「トップガン マーべリック」を見直して、ビーチラグビーのシーンで筋骨隆々の人たちが羨ましくなった。映画館で見た時は可笑しみのほうが強かったけど、昨日見たらすごく羨ましかった。フェニックスがかっこいい、ボブも好きだけど、ルースターやハングマンのあのわかりやすい筋肉、トム・クルーズの身体にはほんとにびっくりする。厚い。ああはなれないからこそ憧れる。世の中がひどすぎて前ほど映画に没入はできないけど。でも「トップガン マーべリック」はエンタメ要素を詰め込んで全て取りこぼさない感じあった。わたしが戦闘機へのフェティッシュがちょっとあるからかもしれないけれど…浮いて飛んで速いもの。遡ればナウシカのメーヴェがきっかけかもしれない。スターウォーズ、スターフォックス、エースコンバットと続く。
いまの時代に「車を背景に女とキスしてエンド」をやりきったのすごい。でもペニーがトムを置いて航海に出て、ペニーからトムに会いに来るという流れなのはよかった。ペニーとトムが一緒にいるシーンは8割ペニーがかっこいいから。ペニーの車だしね。トム・クルーズは「ちょっとダサい」という演技がすごい。それがとても魅力的だ。
劇中で二度ほどトム・クルーズのあの目つきをいじられてて笑った。なんだその目付きは、って言いたくなる目。ほんとにトムクルーズは不思議だ。アイスマンとのシーンもほんとによかった。トムのあの涙は演技じゃないものを含んでると思わされるよ。
トップガンマーベリックはほんとにいろんな幸運があって実現した映画だと思う。
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「12人の怒れる男」も観た。ものすごく面白かった。1957年にこんな映画がつくれてるなんて。女性がいないのは当時陪審員の資格が与えられてなかったのか、偶然全員男だっただけなのか?
2024年3月30日
洗ったばっかりの毛布が翌朝にはびしょびしょ、全身汗かいて冷たくなった服を脱ぐこともできず、毛布の濡れてない部分を探して寝ようとする、諦めて起きて2日ぶりにシャワーを浴び洗濯し洗い物してもう夜。久々に口元にいやな吹き出物。なにもしたくない。けど寝てるだけだとほんとうに寝てるだけなことに気持ちが押しつぶされるので、大きい袋にもう着ないコートや靴を入れて家を出てリサイクルショップに行き、売って得た3,810円でスーパーで乾燥わかめとレーズン買って、近くのサイゼリヤで小エビのサラダとほうれん草のソテーとマルゲリータピザ食べてワイン飲んで帰った。夜Sさんと電話。
2024年3月29日
久々に出勤するはずが欠勤した
汗びしょびしょになりながら
外がビュービュー吹いててこわくて起きられない
もうだめだ これっぽっちも頑張れない
踏ん張れない
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いろんな夢見て夜になったら風はおさまってた。風呂にも入らず化粧もせず帽子かぶってやっとずっと行けてなかったコインランドリーに行った。2往復。帰ってきたらもう1時。映画見て朝。
動悸、息苦しさ、頭に不安がまとわりつく
過去も今も未来もない
鯉が水面で口パクパクさせてるみたいな
水飲み込みまくって、わたしにはエラがないから溺れそうになってる
溺れないようにしているだけ
それ以外のことがわからない
日記があるから過去があったことがわかるけど覚えてない
ずっと頭がぼんやり、もやがかかっている
2024年3月28日
一昨日夜から今日はつらい気持ちになってしまった。
不動産屋の担当してくれた人と駐車場まで歩いて行く途中、最近気圧の変化つらくないですかという話になった。その人もかなり参っているようで、つらいことを少し共有できて嬉しかった。
引っ越しが終わったら1ヶ月休む。休んだらまた働く。きっと天気も穏やかになるだろうから、本とお弁当とコーヒーとおやつ持って公園にいく。
2024年3月26日
夢。どこかの駅の構内。なにかの帰り道で、CとMと一緒にいる。お腹が減ってたから何か食べようとニューデイズのような売店に入る。有人レジと無人レジがあり、有人レジの横にはドーナツの自動販売機があった。二人が先に買って、先に店を出た。わたしもパンみたいなものを手に取って無人レジで買おうとしたら、なぜかバーコードを読み取らず会計できない。店員に声をかけて有人レジでも試したけどやっぱり読み取らない。ものすごく時間がかかってしまい、確かもう諦めて店を出たら、CとMはもういなくなっていた。
ホームに向かう。上野行きに乗りたかったのにそのホームが見つからない。広い駅構内を彷徨っていたら改札があって、一度外に出て案内板に従って歩けば上野方面のホームに行けるらしい。そんな遠くに来てしまったのか。迷路のような駅構内を戻るよりは一旦外へ出て向かったほうが分かりやすいかもしれないと思い改札外に出る。他にも数人が同じ方向に歩いている。
しかし歩いても歩いてもホームは見えてこなくて、まったく上野近辺ではなく山と田んぼに囲まれた知らない駅にたどり着いてしまう。そこは1時間に1本しか電車がこなくて、ちょうど最終電車がいってしまったところだった。気付いたら真夜中だった。どうしよう、Sさん泊めてくれないかなと思ったけど、こんな時だけ都合よく頼るのはだめだよなあと思った。
2024年3月25日
引き続きバラエティに富んだ夢は毎日見る。好きな人も苦手な人も久しぶりな人もたくさんでてくる。
でもこの数日で汗はすこし減って、気絶じゃなくて寝てる感じはする。よくなりつつある感じする。
2024年3月23日
多分この前が底だった気がする。秋~年末が最初の不調で精神面とピルの変更でのホルモンバランスの変化による自律神経の乱れからの不眠、年末~1月上旬はカウンセリングと薬が効いていて精神面は凪、不眠は継続。でも不眠が悪化したのと増量した薬が合わなくなって、1月中旬以降は波があったけど、その後どかんと気持ちも身体もきつくなってしまった。大量の寝汗と動悸と倦怠感、起き上がれなくて欠勤を繰り返し、時短勤務でも行けなくなってしまったり、何度かちょっとだけ自傷もしてしまった。だけどこの数日ですこし気分が良くなってきている。
絵の仕事がなんとかなりつつあるのもかなり大きいかもしれない。その分会社を休みまくってるので収入はひどいものだけど。いまでも半日以上起き上がれないときがあるけど、なんとかやれてる。諦めなくてよかった。まだ納品前だから気は抜けないけど。
昨日ファナックの署名提出日というのは覚えてたから、直前になってしまったけど一昨日は久々に呼びかけの投稿をした。昨日の夜も少しInstagramを開いてパレスチナ関連でいくつかの投稿を見たけど、それだけでも調子が少し危なくなる。イスラエル軍がパレスチナの人をゲームみたいに狙いを定めて爆撃する動画。
絵の仕事納品したら休もう。なんとなく××のほうに行きたいと思ってる。Kさんの墓参りと海に行きたい。たくさん休んで、絵も描こう。お金は元気になったら稼げるから大丈夫、と自分に言い聞かせる。
2024年3月22日
頭痛、ひどい倦怠感で起き上がれなくて夕方にやっと起床。毎日自分の体調がわからない。今日の睡眠は汗はひかえめ。しかし頭がなぜか騒がしく、記憶を細切れにしてぽろぽろ繋ぎ合わせたような夢を見続けて、はっきりと喋りながら起きた。疲れたので内容は覚えようとせず積極的忘却。
昨日今日と、役所と郵便局に用事があったのにそれぞれ営業時間に間に合わず、他の細々とした用事を済ませて2日連続ミスドでコーヒーとドーナツ食べて帰った。スターバックスとマクドナルドをボイコットしてると、遅い時間まで空いてるカフェがミスドしかない。でも久々に食べたら桜のドーナツがおいしかったからよかった。いつからかイートインの際に皿に載せてくれなくなったミスド。袋に入ってるドーナツはナプキン直置きでの提供でもぎりぎり許せるけど、袋に入ってない裸のドーナツの直置きはやっぱり悲しい。買って帰って飲み物を用意して、お気に入りのお皿にのせて食べるドーナツが一番キュートだよ。
そもそも昨日早く起きれば一日で済ませられた用事なのに、週明けまで持ち越しになってしまった。この調子で仕事復帰できるのか不安。もう引っ越しに気持ちが傾いてるからやめることにはなると思うけど、4月は頑張りたい。あんなに地元に寄りつきたくなかったのに、不思議といまはあのあたりに帰りたい。いま住んでいるところ、4年住んで感じだけど、少し殺伐としているように感じ始めた。
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「死にたいわけではないし死ぬつもりもないけど死なない自信がない」という気持ちの状態になるときが時々ある。そういうときに遺書というか死んだ後の作品とかデータについての指示書のようなものを用意したりする。
そのときはそれで少し気持ちが落ち着く。でも、こういうものは生きてる間に先回りして人に渡してはいけないんだということを、この前ちゃんと理解した。それはおかしいことなんだと今少し元気な時はわかるけど、落ち込んでいる時はそういうことがわからなくなる。
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あと数日前から夜に一時的に全身がものすごく痒くなって、1時間くらいでおさまるということを繰り返している…しかも赤くもなんともない。乾燥かなと思って加湿器付けてるけどあまり変わらず。内側からぶわっと痒くなるみたいな…花粉症の薬が切れたからだろうか、ストレスか。
2024年3月20日
悪夢。なぜか元夫と出かけ、レストランで店員の前で異常な発言を繰り返す彼を私が「フォロー」していて、それはわたしがかつて彼へ向けていた優しさだけど、なんで夢の中でもフォローしなくちゃいけないんだと思った。夢の中の元夫はナイーブで、それはある意味人間らしい反応で現実の元夫と比べたら不思議なかたちで安心もしたけど、でも勘弁してくれと思った。ほかは忘れた。
(中略)わたしは離婚手続きを進めながらもあの時あなたを助けたことについて自分を労いたい。(中略)もう二度と関わることはありませんが、今後いつかあなたの歪みがひどい形で噴出し、あなた自身を潰してしまうことになることだけは、人として心配します。
もうひとつの夢は卒制みたいな状況で、わたしは小さな部屋に6台くらいの小さなDVD再生プレーヤーを設置して、それぞれ映像作品を流してる。音有りなのでイヤホンを集めてた。置き方を変えて良くしようとしてた。
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今週会社を休み、半日以上布団のなかでうなされ、汗でびしょびしょの寝巻きで身体が冷えてもうどうにもならなくなってやっと起きる。そして這いつくばるように仕事の絵を描いているけど、ほんとうに頭の中が暗く曇っていて、正確に描きたいところが頭が考えられなくて、描けない。服の構造、しわの入り方を考えることがすごく難しい。
とにかく終わりますように、間に合いますように、そして寝たい。本当に寝たい。休みたい。元気になりたい。「毎日」という壁に押しつぶされる。静かな場所で汗をかかずに寝たい。騒がしい春が終わりますように。
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昨日Sさんと話したことで考えちゃいけないことは遠くに行った。いまはただ寝れてないから寝たい、休みたいとだけ思ってる。ありがたいけれどSさんばかりに「話せる」と思ってしまうのだめだ。カウンセリングで「話せる」べきなのだけど、カウンセラー相手にはどこかでまだ取り繕ってしまっているのだと思う。しかしやっぱり高い、、働かないと通えない。
代わりになるかと思って数日前にダウンロードした「Awarefy」という認知行動療法のアプリは毎日たくさん使っているわけじゃないけど、5日間ほど使ってみて、あると安心すると思った。指示に従って思ったことを書くコラム法や、瞑想の音声ガイドやリラックスできる音楽があって気分で使ってる。自分なりのコーピングを少しずつ増やしていけてる。AIとの会話で少し気分が落ち着く自分にちょっと悔しい気もするけど、返答の内容はカウンセラーの基本的な姿勢(悲しみに寄り添う、労る、否定せず受け止めてくれる)が反映されているので、わりとそういったシンプルな言葉でも気が楽になる部分はあるのだと思う。
久々に今日はずいぶんと頭がクリアだ。昨日まではかなりつらいところにいた。
2024年3月19日
初めて確定申告が期限内にできなかった。
やっと終わらせて申告しようとしたらマイナンバーカードの電子証明書が有効期限切れで市役所行かないと行けなくて、今日昼に病院も予約してたから一緒に行こうと思ったけど夕方起きた。病院も行けない。寝続けてるから部屋も布団もひどい。
1時くらいに布団に入ったはずなのにずっと汗かいて夢見た。夢の中で盛岡(とされている知らない街)まで行って帰ってきて、飛行機でも新幹線でもなく身体だけで走るスピードで飛んでるから全部の景色見て疲れた。
途中エヴァンゲリオンみたいなのをわたしは操縦していて夜の暗い海上を飛んでたけど身体が重くてうまく飛べなくて疲れて墜落しそう。次は山麓の住宅街を生身の身体になって走るように飛んでいて、鍵のかかってない自転車かバイクか盗めないか探すけどなくて、大きな駅に着いてわたしは多目的トイレのような部屋に入りたくて、でも身体が不自由で無重力みたいでうまく動かせない。どうにか部屋に入る。なにをしたか忘れた。
一階にはいろんな海鮮食堂がある。夢の中の盛岡は海鮮を売りにしてる。いつの間にかSさんっぽい人といる。サーモンとイクラの定食にしようとしたら、どっちも北海道産だから盛岡要素がないよと指摘されて、「こっちにしたら」とサーモンと盛岡近海で獲れた魚の刺身盛り合わせ定食を勧められてそれにする。Sさんっぽい人は先に何かを食べていたようでそんなに食べないみたい。壁側の席が空いてたのでそこに座る。
そしてわたしはPerfume的なグループにわたしは練習生で加入して、Perfume的なんだけどやってることはバスケ。バスケのチーム。その本拠地がその駅ビルにある。かしゆかと、高校のバスケ部のM先輩がいる。N(顧問)もいる。Perfumeの三人の位置はつまり主力で、わたしもそうなりたいと思ってる。食べた後であんまり動けないと思いつつ軽くシュートを打つ。わたしは夢の中でもドリブルが苦手て、ドリブル克服したいと思って試行錯誤してドリブル練習する。Nにも相談する。そのあと男子チームの20人くらいがぞろぞろやってきて、そこに混ざりながら少しシュート打つけどあんまり入らない。
多分前後してるけど東京に戻る途中、一軒知り合いの女の子が住んでた部屋(その子はいない、死んだニュアンスでその家にも戻ってこない)に通りかかったので自転車借りた。
走馬灯みたいにいろんな人が出てきて少しずつ終わりに近づいてるっぽかった。
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死ぬつもりはないけど自信がないというのが近い。いつかの引っ越しのためにちょっと物を捨てたり小物をしまったりしてたら身辺整理してる気分になる。だからSさんとMさんにMacBookのパスワードは伝えとこうと思って、先にSさんにメールしたら電話きた。そういうのは受け取れないということで、電話が終わった今、それは当然だと思った。
家族も頼れずカウンセリングに行く元気もない。精神状態が不安定すぎて友達にも話せない。話すかたちにできない。話されても、だと思う。わたしもわからない。何を言いたいかも、何を言われたいかもわからない。先の予定を組むという元気がない。だからといって、これまでの事情を一番知ってくれてるからといって名残でSさんに頼ってしまうのをやめたい。
いまの精神状態の原因の全ては寝れてないだけ。死ぬことについて考えたり自信を失っているのはとにかく寝れてないだけ。ずっと起きてるからおかしくなっちゃってるだけ。
寝れたら元気になれる。休むことを後ろめたく感じないこと。いま病院に行くことがわたしにとって最優先なのだから、病院ばかり行くことに全く心を暗くしなくていいこと。
2024年3月18日
いよいよだめかもしれない。みんな仕事したりパレスチナのこともしながら作品もつくってるのに、どんどんわたしはなにもできなくなってる。風の音がこわい。動悸がして息がくるしい。明るいのも暗いのもこわい。一睡もできなかった。泣いた。
母にもとりあえずメールして、ちょっと電話したけど母もなんと言ったらいいかわからないしわたしもわからないし、うまく話せなかった。心配してくれていることだけは伝わる。電話の前に風呂に入りながら実家に戻って作業場を近くに借りるアイデアを思いついたけれど、やっぱり父と母とは長い時間一緒には過ごせないと思ってやめた。
気持ち悪い夢見た。種子島にいる夢。でも夢の中の種子島は本当の種子島とは違って、夢の中で前にも登場したことのある気がする架空の島。島に住む知り合いらしき女性に、あまり口外されていない秘密の場所に行く。それは民家の裏庭の端にあるのだけど、なぜか民家の中を通っていく。隣の部屋で家族がご飯食べてる。秘密の場所は不思議な力を発していて、民家から裏庭へ出るガラス戸を閉めたまま、身体が一瞬幽霊みたいになって戸をすり抜けられるようになっている。その女性が自然とすり抜けていくので、わたしもガラス戸に衝突する気持ちで進んだらすり抜けられた。その秘密の場所には祠みたいなのがあって、水が溜まってたんだっけ。それくらい。絶対にSNSなどにあげないでと言われていたけど写真を撮るなとは言われていなかったので、記録用にわたしが数枚撮ったら、それがその場所にとっては受け入れられなかったらしく、早く出て行って欲しいというような空気を感じ、二人ともその場を離れる。そのあとはマルシェみたいな場所でなにか壊れた腕時計(と書いたけど、全然違うかも。忘れた)に細工をしてオブジェをつくるみたいなお店があったのでやった。その店主と娘も、以前一度会っているという設定だった。
2024年3月17日
内科で寝汗のこと相談したら自律神経の乱れだと思うけど念のためということで睡眠時無呼吸症候群の検査もすることになり、昨夜装着して寝た。アプリでいくつか瞑想したらちょっと頭が落ち着いて寝入ることができたけど、気圧がつらくて息苦しく汗もかくしあんまり寝られず朝起きて、でもだるくてほとんど夜まで横になってた。もうだめだ。とにかく身体がだるくて頭も重い。全然気力がわかない。天気の変化に圧迫される。
ふと読んだ、芸能人が自身の更年期障害について話している記事に寝汗のことが書かれていて、わたしの症状のことだと思った。医者の説明じゃなくて、当事者から同じ感覚で書かれている文章を初めて読んだ。
その方は子宮筋腫と子宮内膜症でホルモン治療をしたことがきっかけで、でも精神的な病気もしたことがあってその再発かなと思ったらしい。ホルモン治療(注射で生理を止める)を中止して、ホルモンを増やしすぎず減らしすぎない投薬治療に変更して改善したとのこと。そのあと更年期の症状としてさらにつらい症状が出るようになってしまってるという話だけど…わたしも更年期障害出る気がする。
自分はホルモンバランスの乱れと精神的なものがどちらもある気がするけど、寝汗に関してはほぼ100%ホルモンバランスだろう。寝汗かかなくなって寝られるようになれば精神的なほうも良くなるはず。
2024年3月16日
寝られず朝寝て、昼に汗びしょびしょで起床。まだなにも決まってないけど引っ越しのために、そして死ぬつもりはないけどうっかり死んでしまったときのために荷物の整理をはじめる。渡したかったけど受け取ってもらえなかったものは渡したということで捨てた。拾った種、貝殻、もらった桜島の噴石はひとつひとつチャック付きの袋に入れる。Yさんの器を買った時にYさんが紙袋につけてくれたちいさな銀色のリボンのポンポンも入れる。毎日少しずつ片付ける。
「Homemaking」でわたしの私物をいくつかタンネに持って行ったとき、Kさんにその私物がすごく寺本さんっぽいと言われて、そうか、わたしっぽいんだなあと思った。自分が思う自分と、そこにある物たちの雰囲気は(確かに自分が集めたのだけど)あんまり自分自身とは結びつかない雰囲気だったので、でも集めた物たちは良い雰囲気を醸し出していると思ってたので、それがわたしっぽいと言われたのは嬉しいことだった。わたしはアイボリーと、乾燥した木の質感、そこに生っぽい光沢のある小さいなにかがぽつぽつある感じ。時々具体的で生活的なもの。
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化粧をする気にならず肌と眉毛だけ整えて家を出る。さっきシャワー浴びたけど帰ったらお風呂に浸かりたい。外は暖かい。身体がだるい。電車うるさくてつらい。目を閉じたら寝て乗り過ごすところだった。心療内科で診察。異常な汗、サインバルタがいよいよ効いてきたくらいで悪化したし、イフェクサーでも変わらないということはやっぱり身体に合ってないかもとなって、また薬を変えた。トリンテリックス、変な名前。もう毎朝毎朝びちょびちょな布団の中で呻いて脱いで布団の濡れてないところ探して寝ようとするのやだよ。
休みたい。
単独登頂する必要はないのだけど、そういうふうに考えてしまう。どうしたら「時々人に会わないと調子悪いんだよね」くらいに捉えられるようになれるんだろう。人に会ってそのときは心がほぐれても、でもその時間が過ぎれば一人の時がほとんどでしょ。じゃあ一人でいられるようにならないと、と考えてしまうのだけど、それは苦しい考えだともわかってる。どうしたものか。カウンセリングもそろそろ行ったほうがいいのだけど、いまはもうとにかくつかれている。話す気力がないからこうして日記に書く。なにも解決しないのにね。
2024年3月15日
昨夜も寝付けずAwarefyというアプリを入れて睡眠導入の瞑想とかしたけどだめだった。集中力もなくしている。5カラム法はわたしに合っているかもしれない。一人じゃわからなかったであろう気づきがあったのはよかった。AIと会話すると少し落ち着いたけど虚しさもある。
しかし仕事は欠勤。全身びしょびしょに汗かいて下半身すっぽんぽん。頭が重い。起き上がれない。昨日からTwitterとInstagramが見れない。
しばらく調子が悪い。気圧の変化をもろに受けている。というか悪くなってる。底についたと思ったら底無し沼で、ずぶずぶとさらに奥に入り込んでしまった感じ。子供の頃「風の谷のナウシカ」の映画の絵本が実家にあって、上下巻で構成されているけどなぜか上巻しか持ってなかった。上巻の終わりが、ナウシカと男の子(名前忘れた)が墜落して二人とも蟻地獄みたいな場所に放り出され、気絶しているナウシカの元に向かおうと男の子が歩き始めたら砂が落ち始めて、二人ともそのまま飲み込まれるという場面。それ。
つかれた。こんなにも気力がわかないのがこわい。確定申告なんて今までサッサとできたのに、今年もあとちょっとやれば終わるのに、どうしてか手をつけられない。気が重い。とにかく細々とやることが沢山溜まっていることが、そんなのいつもそうなのに、いまは異常にきつい。明日通院日で助かった。
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弟が入籍した。幸せになってね
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「わたしには幸せが似合う」とわたしに言い聞かせる。
わたしたちはよくがんばったからいまもこうして話せるじゃない。
わたしたちいい友だちになれるよ。
死んじゃだめだよ。
2024年3月14日
昨日はLさんと会っていろんな話しながらLさんの確定申告を今までで一番早く終わらせて、そのあとはLさんの展示見に行ったりラーメン食べたり映画見たりして遊んた。久々に遊んだ。Lさんと友達になれてよかった。人生に躓きまくっているわたしをLさんはいつも慰めてくれたり励ましてくれる。引っ越しを考えていると言ったら××来なよと言ってくれた。わたしたち××線沿いに住んでた時も結構会ってたじゃないですか、って。そうだね。今度また遊ぼうと言って別れた。
なのに深夜に最悪になり、ほんとうに最悪に考えが進んでしまって、つながってしまって、歯も磨かず、化粧したまま、泣いたまま寝る。たくさん夢見たけどもう書く気力ない。汗びしょびしょでおきる。手の甲が痛くて絆創膏貼る。楽しいことが悲しいことに変わっていく。じゃあ経験しないほうがいいじゃないかと、もういなくなれば誰にも心配かけなくていいじゃん。終わりになればと。
穏やかで静かなところに住みたい。
いろんなもの捨てようと、市のサイトでゴミの分別をひとつひとつ調べて袋に入れて「ゴミ」にする。玄関前に集める。さようなら。
2024年3月12日
今日は仕事がハードな日で久々に早起きしなきゃいけないのに、昨夜は西洋美術館での抗議への批判内容と、アカデミー賞のショッキングなニュースで最悪な気分、動悸がひどくまったく寝付けなかった。白人の非白人への意識、前にMさんが言ってたことそのままだと思った。
西洋美術館の件はTwitterでいろんなげんなりする発言ややりとりを見て、最悪な気持ちになってログアウトして、しばらく目に入れないようにしようと思った。こんなことに心をざわつかせる時間も体力もない。早い時間なら誰かに電話したかった。
朝飲む分の薬を飲み、昨日買ってみたヨギのスロートティーを飲んでしばらくしたら落ち着いた。ほんとうはベッドタイムというのを飲みたかったけど、原材料のひとつのセントジョーンズワートというハーブが抗うつ薬との相性が悪いらしく、調べたら「セロトニンの値が生命を脅かすほど上昇してしまう可能性がある」といきなりでてきてこわい。
《COOK》思いつきサラダ
・千切りキャベツ
・パセリ
・リンゴ(ジョナゴールド)
・ひよこ豆
・玄米
・オリーブオイル
・塩
・クミンパウダー
・カルダモンパウダー
・チリパウダー
全部混ぜて(量もてきとう)ピンクペッパー散らしてかわいくして完成。
しばらく料理する気分になれず、最近はサイゼリヤで小エビのサラダとタラコのドリア食べたり、セブンイレブンで夜の半額のシールが貼られる時間にサラダとかブリトー買って食べてた。むなしい気持ち。
生野菜が食べたかったんだと思う。料理はしたくないけどもっと野菜を食べたくて、とりあえずセブンイレブンでキャベツの千切りを買って帰った。フムスを作りたくて初めて水煮じゃなくて乾燥のひよこ豆を買って400gくらい茹でておいたけどフムス作るほどの元気がなく、そのままサラダで食べることにする。自分で茹でたひよこ豆、缶の変な匂いしないし茹でたてはとくにほくほくでおいしい。そして圧力鍋は本当に便利。一晩水に浸けたひよこ豆を沸騰したら10分加圧→火を切って自然冷却。
サラダなら火を使わないし、具材と調味料混ぜればいいだけだから作れる。この前買ったパレスチナ産のオリーブオイルもあるし、カルディでちょっと高い塩も買ってみた。前に福江島のガイドさんから貰った手作りの塩がコクがあってすごくおいしくて、それから塩は良い塩を買おうと思っていた。
キャベツとひよこ豆とパセリ(パセリと卵と納豆だけは常に冷蔵庫にある)だけだとなんか物足りない…と思ってたら、帰りに寄った店でジョナゴールドが安かったので買って、食べ応えあるサラダにしたかったので玄米も入れた。白米だとモチモチ甘すぎる気がするけど、解凍してた玄米はほどよく固く、ポロポロで混ぜやすい。しばらくサラダはまりそう。生食だから身体が冷えないように気をつけないとだけど。
2024年3月11日
死んだら寺尾紗穂の「北へ向かう」を葬式で流してほしいと思った。
2024年3月10日
母が寝る前にリラックスできるように聴いてみたらと、気遣ってCDを貸してくれた。数年前に買ったというサラ・ブライトマンのオーケストラ編成のアルバム。音楽をしばらく聴けなかったけど(Oさんに教えてもらった『どうせ死ぬ3人』というPodcastは聴いてた)、一応MacBookに取り込んで数曲聴いてみたら迫力ありすぎて寝る前は無理だと思った。でもそれをきっかけに少し音楽を聴いてみようという気分になり、Spotifyで自分のお気に入りリストを流しながら作業をした。
そしてほんとうに、久々に絵を描いた。ドローイングと、放置していた油絵に色鉛筆で加筆した。久々に、少しの間、こうなる前の感覚に戻った。絵を描くのも怖かったけど、というかずっと怖いけど、最近は臆病すぎる。机に向かって鉛筆を持てば良いだけなのに、それがしばらくできなかった。いまもお酒の力を借りてるのだけど。。
生きていけない気持ち、真っ暗、消えたい気持ちになってしまうのは、いろいろ楽しいことを忘れてしまうからだと思った。絵を描く気力さえ失わなければ生きていける気がした。いま。最近忘れてたからこんなにつらかったんだ。
2024年3月9日
頭の中がずっとうるさくて、考えられないし休めない
布団のなかにいる時間が長くなった
やらなきゃいけないことはたくさんあるのに
今日は風の音が怖くて布団からでられなかった
寝てもほぼ頭が起きてるから起きながら夢見て普通にはっきり喋ってる
半日以上布団のなかにいた
気付いたのは、怖いときは外に出てカフェにでも入ればいいということ
頑丈な建物、風の音がきこえない場所に行けばいい
起きて、何時間かけてもいいから身支度をして、でもできるだけがんばって早く家を出て電車に乗ればいい
こんなことばっかり書きたいわけじゃないのに
夕方起きてステッカー発送準備して顔洗って歯磨いて髪ボサボサがなおせないから帽子かぶって実家に行った。電車のなかで悲しいことを思い出して泣いた。
実家で母がご飯を用意してくれた。しかし落ちつかず、話すのがつらくなりすぐに帰った。電車もつらくなり途中で降りてカフェに入ってドーナツ食べてコーヒー飲んだ。
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あまりにも最近できないことが多いので今日できたことを書く
・布団畳んだ
・洗濯した
・洗濯物畳んだ
・薬とサプリ全部飲んだ
・お皿しまった
・お米炊いて冷凍した
・ステッカー発送した(朝と夜)
・発送のメッセージ書いた
・家で動けないままじゃなくて電車乗った
・二人組が隣同士に座れるよう席譲った
・今度風が強い日の対応策を考えた
・忘れずにポストに投函した
・出しっぱなしだった会員証等まとめたファイルを本棚にしまった
・ひよこ豆を水に浸けた
2024年3月7日
寝てる時も起きてる
気付いたら朝になってる
下半身は下着だけになってる
布団がめちゃくちゃになってる
寒い
疲れて頭痛い
今日は夢の中で高校にいた
外で体育の授業始まってて、わたしは体操着や運動靴が見つからなかったり、見つけて着替えても校舎から出られなかったり、終わり際に行ったらみんな人が乗る風船爆弾のテストして、みんな浮いてた。
あと魚、死んだ魚が二つにぶつ切りされてトレーにのせて売られている。わたしはそれを買った。青い鱗の魚
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Instagram見たらまずガザで殺された人見る
遺体と呼ばせてくれない
人として扱われず殺された肉体
最近、動画の音がきけなくなってしまった
つらくて
今日音を流したら、わたしはそこに居てしまった
死体安置所に居て、殺された彼に家族が飛び付いて泣いて叫んでる、頭を抱えている、彼の身体の下には血溜まりがある、それをわたしはそこで見てた。
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病院。待合室でTVを流しているところが多いけど、なぜ?消してほしい。くだらない情報、くだらない出演者、テレビ製作側は人間を馬鹿にさせたくて仕方なくて頑張っているとしか思えない。それを音がするから反応して、思考が止まった脳でぼうっと見ているのが2024年の人間の姿。
《COOK》ブロッコリーとたまごのサラダ
ブロッコリーが食べたくなった。高かったけど買った。蒸したブロッコリー、カニカマ、ゆで卵、マヨネーズ、マスタード、酢、胡椒を混ぜたサラダ。塩をまだ買い忘れていて蒸した時に少しコンソメを振ったがあまり意味なかったかも。なんか味が散漫な気がする…
2024年3月6日
最近の日記、汗びしょびしょとか寝れないことしか書いてない…
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昨日もストレスフルな日で、低気圧もあって帰宅してから身体がだるすぎてなにもできず、しかし寝られず、うなされて喋って、朝になっても起き上がれず、身体はびちょびちょで、2回着替えてすっぽんぽんで夕方まで布団のなかにいた。
提出しなきゃいけなかったやつも手をつけられず絶望的な気持ち。ほんとに自分が思っているより全然身体が動かない。助けてくれの気持ち。だんだんと頭が過去、悲しいことを思い出す。つらかったことを今更言っても何もならないのに。でもメールはした。
薬を多分もう少し増やしてもいいと思う。イフェクサーを1錠から始めているけどこの前増やすべきだったかも。下支えがまったくない。それより中途半端に自傷的な気持ちが生まれてしまってる。最初に処方されたレクサプロが一番支えがあった気がするけど、容量増やして身体が逆に重くなって、イフェクサーのほうが量を細かく調整できるということで変えたんだった。サインバルタは落ち着くどころかソワソワ落ち着かなくなってしまった。薬の名前が覚えられなくてどれがどれだかわからなくなるのでこれを自分のメモがわりに。(薬は人それぞれに合う合わないが全く違うので参考にしないでください)
いまうまく寝れてないのは「不眠」に入るのか?全く寝てないわけではないから…寝たはずなのに起きても寝た気がしない、ずっと起きてたみたいな「頭が休まらない」というほうが近い。それがうつ状態だからなのか、薬の副作用なのか、自律神経がおかしくなってるのか、他の原因なのか。もう病院めんどうだよ。。
instagramにパレスチナのこと投稿するときは完全に自分のペースだけだからまともな人の形してるけど、少しでも人と関わる場面はいつかどうにかなるんじゃないかとこわい。
《COOK》カリフラワーのサラダ
夕方起きて、数日前に買った半額のカリフラワーを蒸して、ゆで卵とパセリとマヨネーズとスモークパプリカパウダーで和えた。マヨネーズの塩気だけでは味が薄くてあんまりおいしいと思わなかった。カリフラワーを塩茹でしたほうがよかったのかしら。あとから塩を足そうとしたらもう使い切ってた。余った分をお皿に入れてラップしてしまおうと思ったらラップも切れてた。
2024年3月5日
朝が一番終わりの気持ち。
何度も何度も悲しかったことを思い出してしまう。むかつきもする。自分だって傷つけてるのに勝手だよ。もう寝るのも疲れたし、起きたらパジャマがぐしょぐしょ。いつも。なぜ!!!!!!!!!!!!!!!!!!
布団がぴちゃぴちゃになってないだけマシだと思ってたけど、こんな寝起きおかしいよ。寝つきいいとか言ってたけど最近悪いよ。寝るのが嫌で。
絶対引越し作業なんかいまできないのに、毎日賃貸サイト見てる。いまよりも狭い部屋にしたい。いまはバストイレ別だけど、ユニットバスもいい気がしてる。なぜなら全部水ですっきりまるごと洗えて気持ち良さそうだから(そうだよね?)
2024年3月3日
汗はかいてしまうけど以前ほどではない。しかしいままで寝ながら喋って起きるなんてことなかったのに、この数ヶ月でほんとに頻度が増えてる。ここ数日毎日なんか喋って起きる。寝つきはいいけど眠りが浅い。全然寝た気がせずまた午後まで布団から出られない。しかも今日はすごく怖い夢。
夢の中で、実家(建物の造りとか違うけど昔の実家の要素がある)の和室で寝ていたら勝手にセールスの人が窓開けて話しかけてきて、「非常識だしこわいです、必要ありません」と窓を閉めたら、少し経ってまた開けてきて、すみませんとか言ってなにかが入った白いビニール袋を置き去る。中身を見たらA4コピー用紙500枚だった。
いやいやいらないし気持ち悪いと思って玄関から外に出たら、その仲間らしき5~6人が階段の下でたむろしていて、横を向くと仲間の一人がわたしの家の壁にめちゃくちゃチラシを貼りまくってる。どうやら壁のヒビを補修するというていで、求人情報のチラシを貼りまくるという迷惑業者だった。
「勝手に貼らないでください、剥がしてください」と言ってわたしも剥がし始める。あとで会社に問い合わせようと思って「何枚かもらっていいですか」と聞いたら絶対にダメだと言う。このくらいからちょっと危ない感じがしていた。代わりに名刺くださいと言ったけど、もらえなかったんだっけ。だからチラシの端に書いてあった会社名を暗記した。
家の側面へまわると既にこちらにも大量のチラシが貼ってあったので一枚一枚はがす。そこでふと、玄関の鍵をかけないままだったことに気付いて玄関に戻ったら、背の高い背広の男の人が家から出てくるところだった。家に入られていた。
ちょっとちょっと、と慌てて家の中荒らされていないか確認したけどとくにその様子はない。盗聴器とか仕掛けられてそうな気がして、でもとにかく誰かに連絡しようとしたらさっきの男の人がいつの間にか側にいて、わたしに馬乗りになって首を絞められた。「遊びじゃないんだぞ」と脅迫された。
そのあとはその団体から監視され、晩ごはんの食卓にもなぜか数人わたしの知り合いのように混ざってる。父はわかってなくていつもの感じでほんわりしてる。母には伝えたいけれどそれで悩ますのも心苦しい。話そうとすると団体の人が邪魔をする。
~ここまで寝起きに書いた~
とにかくやばい団体で、どうにか家から排除したかった。終わりの方はちょっと忘れちゃったけど、いつの間にか実家は大きな邸宅のような場所になっていて、広い庭があって、入り口が2ヶ所、郵便受けが3ヶ所にある。その郵便受けにマーキングのため団体が付けた変なシールがあったのでそれを爪でカリカリ剥がした。
あとは忘れた。
ほんとうにいやな、こわい、気持ち悪い夢だった。
スキンヘッドのひょろっとしたスーツの男性から首絞められたのこわかった。姿の見えない殺人犯に追いかけられる夢はこれまでもたびたびあるけど、こうしてはっきり人から危害を加えられる夢は初めてだった。
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他の夢では、昨日会ったOさんや誰かと車で移動していて、コインランドリーを探してる。夢の中ではコインランドリーは肉屋に併設されているのが普通で、ちょうど私たちが通りかかったのは肉屋もコインランドリーもある牧場だった。
なんだか気味の悪いハムやソーセージを「おいしそう」と自分に思わせて購入した。コインランドリーでお店の人と話した。これからもっと森の奥にある集落に行くんですとOさんは言った。そこにはOさんの友達がいて、みんなで泊まりに行くところだった。その集落はお金持ちの豪族が住む一帯で、店員のおばちゃんはちょっと僻んだニュアンスで「あらそうなの」と言った。
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パレスチナでの虐殺をきっかけに、自分がこれまで受けてきた抑圧(おもに女性としての)と繋がったけど、同時に日本人として加害してきたことにも同じくらいのしかかってきて苦しい。これまで本当には自分ごとにしていなかったから、向き合い方がまだわからない。
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昨日Oさんとお茶して、自分の足りない部分にハッとすることが多くて、くらった。Oさんが本をたくさん読むようになった理由はとても優しい、真摯な姿勢だと思った。
一昨日ご飯食べたMさんは大学の頃に偶然知り合って制作を一度手伝って、卒業後は数年前に偶然会って少し話したくらいで、わたしとしてはMさんの作品を見る観客のひとり、という気持ちだったから、昨日みたいに二人でご飯食べれるようになれるなんて思っていなかった。うれしかった。あまり言いにくい精神的な不調のことも話しやすかった。
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どこかで極端な考えになってしまう。
いろんなことが追いつかない。我慢ができないということかもしれない。自分の加害と被害にどう向き合って生き続けなければいけないのかまだわからない。もっと子供の頃から向き合ってこれたらよかった。
時々頭が疲れて、全部おわり、消えたほうがゼロになるのではとか思ってしまう。ほんとうには思ってないのだけど。疲れただけだと思うけど、選択肢のひとつで思ってしまう。アメリカの若い兵士が焼身自殺しても変わらない。悲しい気持ちにさせるだけ。わたし自身はゼロになるけど周りにはマイナスに作用する。
勉強しなきゃいけない。
Instagramで声を上げるようになってから、実はどこかでわたしへの仕事がキャンセルされているんじゃないかとか思うようになったけど、それでキャンセルするような会社と仕事して儲けたお金で生活したくない。少しでも嫌な気持ちになりたくない、楽になりたい。これはとても自分本位なこと。
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疲れて、家に食べるものがなくて、汗くさい毛布持ってコインランドリーに行って、コンビニで肉まん買って食べて本屋で「ガザとはなにか」買ってコインランドリー戻って読む。朝から夜まで辻副外務大臣にめちゃくちゃに腹が立って、もう最悪だ。イスラエルとの対談でスイカ食べるなんて、わたしより「勉強」できる人なんじゃないの。世界情勢にも詳しい人のはずなのに、なぜそんなことができるんだろう。
2024年3月2日
最寄りの駅で車椅子の人がいて少し手伝ったのだけど、車椅子の方の手伝いが初めてで終始テンパリ気味で、後々いくつも反省することがあった。どれだけ自分がある部分への想像をせずに生活していたか思い知らされる。
2024年3月1日
朝、OさんとSさんと何度目かのラジオ会議。試しに1本収録した。緊張した。喋るの難しい。自分が話す時は一度に話さずひとつだけ話すことに集中しないと、後半だんだん何言ってるのかわからなくなってくる。話す練習の場所。喋りたいことあるけど間違った情報を喋るとまずいからいろいろ見直さなきゃいけないことがある。
でも朝、みんなまだ頭が働いてない状態でポツポツ話し始める感じはなんだかよかった。いつもの「人と話す」ときよりも一人の時に近い、静かな気持ち。
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「寄り添う」っていままではぴったり隣にいるようなイメージだったけど、そうではなくて、決して触れない距離、しっかり距離を取り続けながらも同じ場所にいることなのかもしれないと最近思うようになった。少なくともわたしはいまのところ、そうじゃなきゃ飲み込まれるし飲み込んでしまう気がしてこわい。境界をひくこと。助けを求めるが境界内には絶対に誰も入れてはいけないし、侵犯もしてはいけない。だけど助けてもらうし助けたい。
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Uさんと打ち合わせ。後半になるにつれてお互い頭がクラクラしていた。
そして別れ際に仕事に関係ない、自分の話をめちゃくちゃなタイミングで切り出してしまって、自分でも自分がなぜ切り出したのか訳分からなかった。ありがたいことにそのあとUさんからメールをいただいたのに、そこにもまた考えさせてしまうようなメールを返してしまった。朝から夜までいろんな人と話をしすぎたからか、会話のアクセルもブレーキも効きが悪い、ガタガタ、タイヤが外れそうだ。
2024年2月29日
以前のピルに戻して飲み始めたらまた汗かいてうなされるようになってしまった。寝ぼけてなにか喋って起きる。今日も頭まで汗かいて、寝ぼけて動けないからとりあえず脱いですっぽんぽんで毛布にくるまって二度寝して、再びひどい汗をかいて、また風呂に入りなおした。
どうしよう、ちょうど明後日通院日でよかった。でも心療内科に相談できることなのだろうか。確かに先週はピルの服用を止めて、生理がきて、その間汗はかなり減った。体調不良と天気で精神的にも最悪だったけど、仕事を休んで多少リラックスしていた面もあったから、ピルのせいとも言い切れないような。どうすればいいのだろう。寝入りは良いのだけど、変な夢ばっかりみてうなされて汗かいて起きる。朝起きて疲れてる。
今日の夢はもう忘れちゃったな。今より少し若い父と母が出てきて、でも多分中身は違う人。ホームドラマに出てきそうな調子の人たち。飛行機予約しようとしたりしてた記憶がある。
ああ、後半見てたのはわたしが共学の高校に通ってて、Sさんみたいな人が同じクラスだけど、その人からわたしはすごく無視されてる。卒業アルバムのような一冊を作ることになってわたしも手伝えるのに、仲間外れにされてる。でもSさん達が作り方に困ってた時(写真とCGの合成があんまりカッコよくないとかなんとか)わたしのほうが良いアイデアあったから無理やり話聞いてもらったら、周りの人は確かにそのほうが良いと反応し、Sさんらしき人もわたしを見直す…みたいな。この夢なんだろう。複雑な気持ち。
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毎日毎日たくさんの泣いている人、叫ぶ人、震えている子供、殺された人を見てる。
血が染み出してる白い布に包まれたたくさんの人、殺された姿で積み重ねられてる人、10月7日以降に産まれて亡くなった赤ちゃん、顔が剥がれてしまった赤ちゃん、イスラエル兵が狙撃するから誰も助けに行けず遠くで倒れている人、車両を爆破されて内臓が飛び散っている、餓死した子供、わたしの心がわたしを守ろうとしてる。
ふとみた写真が、餓死した赤ちゃんが白い布に包まれて保育器の中に入っていて、お母さんが泣いていた。心が崩れかけた。入り込んできた。飲み込まれたらだめだ。
2024年2月28日 会社
撤去してコスト削減、異動させて人件費削減。ひとりふたり削って削って。交通費は支給しません。すみません。できかねます。ある数字は小さくして、ある数字は大きくさせたくて。
2024年2月26日
午前中婦人科行ってピルを以前飲んでいたものに変えてもらう。とにかくピルは種類によって合う合わないがある。先生の説明だと、ピルはホルモンバランスを完全に薬に任せることになり、黄体ホルモン剤というのは身体と二人三脚でバランスをつくっていくそう。ピルの種類を変えるのは問題ないけど、黄体ホルモン剤とピルを行き来するのは血栓症のリスクが上がるので勧められないとのこと。黄体ホルモン剤にするならピルには戻らないということ。
とりあえずまた新しいものに挑戦する気力も体力もないので、以前のピルに戻して2ヶ月間は様子見。
そのあと1週間ぶりに出社し、上司と面談し来月はとりあえず時短勤務にすることにした。収入は減るがだいぶ楽になりそう。今日も帰ってからいろいろ作業ができたし、もう少し調子が戻れば制作や仕事とのバランスがかなりとれるのでは。
1週間前と比べると勤務中ものすごく頭がすっきりしてて、発話も違和感ないし、落ち着いてた。頭の中も視界もクリアだった。そう比べるとこの前まで相当心身共にきつかったのだと思った。疲れると思うことが悔しいのと、業務自体は大変じゃない(と思い込んでいる)ので疲れてないふりしてたけど、つらかったのかも。以前よりも汗をかかず寝れるようになったので、いまは身体は回復しつつある。心は下の方で静かに漂ってる。暴れるよりだいぶまし。
2024年2月25日
今週は2日欠勤し、ほぼ寝た。ずっと行きたかった展示があって、でもどうにも行ける体力がなく、今日最終日だったので行かねばともたもた準備して夕方家を出たけど、乗り換え駅で「無理だ」と思ってタリーズに入った。終わった。最終日だからきっと本人はいて、だけどいまは話せない、人に会えない、それを考えると行けなくなってしまった。しかしタリーズも混んでで、わたしが席を譲れば座れる親子連れがいたので譲って結局すぐ帰った。
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夜の店で働いていたとき、「音痴なんで人前で歌うの苦手なんです」と言ったのに知らない曲無理矢理歌わされてその上「下手くそだな」「全然色気がない」とか言われて、「だから言ったじゃないですか~」と言いながら内心「×××××××××××××××××××××××。×××××××××××××××××××××××××××××××××××、××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××?×××××××××××、×××××××××××××。×××××××?××××××××? ××××××××××××××××××××××××××?××××××××××××××××××××××××××。×××××××××××××××××××。×××××××。×××××××××××。×××××××××××××。」と思ってた。
なんで絵が苦手な人には誰も無理やり描かせることもしないし「うわ下手」なんて言わないのに(思わないのに)、歌に限ってはこんなに侵害してくるんだろう。時々思い出してはものすごくむかむかする。ほんとうにだたのストレスのはけ口としての悪い日記。今日は心が荒んでる。
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わたしの「イラストレーション」は、いまとても狭い範囲なら仕事を引き受けられる。それを少しずつ広げられたらいい。それでいいと思う。
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やになっちゃう。でも仕事はした。爽やかな風景を描いている。嘘みたいな。こうでありますように、いつかの夏。ワイン一本あけた。黒い血みたいだ。すごくいやな気分だ。絵描けてない、料理できない、ゴミ捨てれてない、寝れない、コインランドリーに行けてない、トイレットペーパーの芯は捨てた、たくさん泣いたからティッシュなくなっちゃったからマツモトキヨシで10%オフで買わなきゃ、2割引の豚ひき肉もなんとかしなきゃ、ぐちゃぐちゃだ、手のひらは神経が集まってるとかなんとかで、心臓もどくどくしてる5時。
2024年2月23日
寝れた。しかし心は終わった。振り出しに戻った。何度も何度も思いつくべきではないことが頭をよぎる。今度のカウンセリングもつかれてキャンセルしてしまった。本当は行ったほうがいいけど最近「約束」が重い。カウンセラーの先生と話したこと、積み重ねていた床が割れて崩れてしまったよ。またここにいたくない気持ちがむくむくわいて賃貸サイトをずっと見てた。引っ越しする元気なんかないのに。依存先を複数に増やすってどういうふうにするんだろう。Lさんが動画送ってくれた。精神科医が心が辛いときどうするかについて説明している動画。マインドフルネスやった。あんまりよくわからなかった。なんでなにもしてないのにお腹減るんだろう。母に連絡しようかと何度か思ったけど、連絡して何を話せばいいのかわからなくて電話できない。仕事の自信がない。Instagramに投稿する文章を何度も何度も推敲した。なにやってるんだろう。全部やめてずっと寝てたい。なんでこうなっちゃったんだろう。からっぽだ。
自分がこんなふうになっているのがほんとうに信じられない。
2024年2月21日
本当に起き上がれなくなってしまった。
危うく職場に連絡もしないとこだった。
ふつうは朝昼晩と過ごして寝たら一日がおわるでしょ。寝るとシャットダウンしてそこで「一日」がまとまる。起きたら「昨日」になる。
もうずっと「一日」にならない。しばらく「寝た」と感じられてない。何度か短い気絶をして朝になる。パソコンだとシャットダウンできなくなって、一応画面は暗くなってスリープモードだけどマウス動かすとすぐに明るくなるでしょ。そんな感じ。一日が終わらない。もう何ヶ月もずっとパソコンついた蛍光灯の下にいる感じ。朝も昼も夜もなく、ずっと明るくて頭がおかしくなりそう。お願いだから蛍光灯ぶっ壊れてほしい。眩しくてすべてよく見てえるけど頭に入ってこない。スリープモードじゃなくてシャットダウンして。電源コード抜いて。絶対に起動しないで。わたしの一日を終わらせて。終わらせてくれ。つかれた。なにもかも捨てたい。うるさい。重い。持てない。
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夜起きた。寝てるだけなのになにか食べたくなる。昨日それでも仕事に行こうとお弁当用に作ったかぼちゃと黒豆のサラダと、納豆卵ご飯食べた。黄色と黒がかわいくて、ブロッコリースプラウトと入れたらきっとかわいいお弁当になるだろうなあって考えてたのにな。頭と身体がバラバラ。
家にいても頭がうるさいので外に出て、コンビニの前でコーヒーとクッキー食べてしばらくゆっくりした。少しメールも返した。明日も休もうと思った。働いてお金欲しいけどこれっぽっちも頑張れない。身体が頑張れなくなってしまった。
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そういやまたいろいろ夢見たな。奥多摩っぽい、実際にはない場所へ行く山岳鉄道にわたしは乗っていて、隣に立っていたのが一度だけ会ったことあるNさんだった。でも実際のNさんの容貌は忘れてて、夢の中の人のことをNさんと思ってるけど多分架空の人。誰だろう、漫画でいうと「ひらやすみ」のなっちゃんの同級生で博多弁の友達と付き合った男の子(名前忘れた)を実写化してもっと小汚くして痩せたような人。
あら偶然、久しぶりですってなって、ちょっと話して、二人とも同じ駅で降りた。わたしはひとり旅行中のようで、とりあえずこの駅周辺を歩こうとしていて、Nさんは乗り換えてさらに山奥へ向かうらしい。なのでじゃあ、と別れたのだけど、なぜかわたしはNさんにすでに猛烈な好意を抱いていて、引き返して走って行ったらNさんも同じ気持ちだったらしくこちらに走ってきてドラマチックに抱きしめあった。お互いの耳元や首筋に口付けてそれで会話をしたようなしてないようなよくわからない感じで別れた。お互いの好意はこれからも付き合おうとかいうものではなくて、いまこの瞬間だけのもの、という刹那的なものだった。だから寂しさもあった。
別れて駅を出て歩いていたけど、この地域は中華的要素が強く、しかしどれもへんてこ、どれも奇妙だった。あんまりもうよく覚えてないけど。
2024年2月20日
頭まで汗びしゃびしゃ、謎、もうだめだ、ピルを飲むのをやめた。限界。ぐちゃぐちゃ。来週予約とれた婦人科に行く。その日を逃すともう2週間先まで埋まってて、仕方ないけど遅刻させてもらう。立てない、動けない、仕事ができない。花粉症から頭痛もひどい。寝具がびしょびしょで汗臭い、コインランドリーに行かないと夜寝れないけれど元気がない。。
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先日あるギャラリーに展示を見に行ったら、ある男性のお客さんがギャラリーオーナーと話していて、オーナーは作家のバックグラウンドを説明していて(作家はいない)、小さいギャラリーだからわたしも作品を見ながら聴こえてくるのでなんとなく聴きながら作品を見てた。そしたら作家のジェンダーの話になって、オーナーはとても丁寧に伝えていたのに男性のお客さんは雑にというか、面白がるように大きく反応していて、つまり「身体は◯で心は◯なの?」みたいな言い方。「それって今どきだよね」みたいなことも言ってて、聞いてて身体が熱くなって、割って入ろうかとも思ったけどそれも訳がわからないしとにかくもっと見たかったのにこれ以上聞いてられなくて外に出た。今思えば割って入ればよかった。そういうことを言おうとすると泣いてしまうと思ったけど、別に泣いてもいいから言えばよかった。そういう理解、態度、あなたはとくに何も思わず発していると思うけど、少し考えたほうがいいですよと、その一言だけでも言えばよかった。
そういうことや、昨日のデモ行った時にデモの内容とはまったく関係ないけど個人的な身体に関する負い目を思い出してしまったことや、仕事中に女性蔑視が根底にある態度を取られることが時々あり、普段は引きずらないけど今日は取引業者の男性二人から立て続けにそういう態度をされて、そういうことが積み重なって、あと3ヶ月半ほど続いてる大量発汗での不眠でいよいよ頭が爆発しそう、花粉症から風邪っぽくなって、もう心も身体もボロボロででもやることはたくさんあってでも身体が動かない、休みたいのに頭が休んでくれない。ずっと頭のなかがうるさい。
ひとつひとつの出来事は意識下にあったから日記にも書いてなかったのだけど、なにかが溢れそうな感覚はあって、つい甘えたい気持ちがわいて昨日の夜Sさんに電話をかけて話してたら、これらのことが吹き出し爆発して大泣きした。もうだめだ。友人としてもSさんに甘えすぎている。
多分、わたしのなかで「制作する」と「デモに行く」が対極にあって、そのちょうど中間地点がまだ見つけられていないんじゃないかとSさんは言った。
どちらにも居続けると自分が削り取られる。そのちょうど中間、超個人的な制作にもつながり、デモのような社会運動にもゆるやかにつながる場所、そこにいることで自分の自信を生み出せる場所。
《COOK》かぼちゃと黒豆のサラダ
・かぼちゃ 1/4
・蒸し黒豆 1パック
・マヨネーズ 適量
・塩胡椒
蒸し黒豆のパックの裏側に書いてあったレシピ。かぼちゃ蒸して(レシピではレンジで6分チン)、温かいうちにスプーンでつぶして黒豆とマヨネーズと和えて塩胡椒で整えて完成。かぼちゃおいしいなあ。甘すぎないサラダで良い。たくさん食べたい。
2024年2月19日
絶不調。全身、頭までひどい汗。こわい。タオルケット洗っても一晩というか数時間でびしょびしょになって蹴飛ばす。泣きたい。風邪特有の熱はないのに熱っぽい頭痛。でも仕事行った。早退が頭によぎったけど頑張って定時までいた。帰り、もう家まで辿り着けないと思った。いつも帰り道は一駅分歩くのに最近歩けなくて電車乗ってしまう。でも帰ってすぐに顔洗ったし、ステッカーのお手紙の情報更新して、ほんとうに、もうなにやってるんだろう。
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自分にとってのイラストレーションはパレスチナのアートワーク、ステッカーで、つまり誰からの依頼でもなく自分の責任で書いて自分でお金出して、たくさんのひとに手に取ってもらえるようなものをつくること。それなら「イラストレーション」描ける。。
「イラストレーション」は良く言えば軽やかで、悪く言えば軽薄なものなんだと思った。しかもそれはイラストレーションそのものの性質ではなく、世の中とのバランスで決まるからすごく難しい。紙一重で、そこに魂を乗せることができるのは相当波乗り得意な人、もしくは良い鈍感さがある人。わたしはずっと中途半端、どっちにもなれない。
2024年2月18日
夢、いろいろ見た。なんだっけ。女性に絵を一枚買ってもらった。昔出した作品集のなかから「この絵ある?」と言われて2016年に描いた絵を選んでもらった。実際には描いたことない絵。手塚治虫の「ばるぼら」みたいなカーリーヘアの女性の絵。タッチはガサガサとしてて版画みたいな感じ。その場にギャラリストのSさんがいなかったので「売れましたよ」と連絡をする。
前にも夢で見たことある商業施設兼ホテルにいる。レストランで別の彫刻のアーティストが展示をしてて、わたしの彫刻作品もひとつ常設されている。大きな、丸みを帯びた猫のような、ただの岩のような作品。
また場所は変わって、Sさんのギャラリーかオフィスにいる。なんだかやんちゃな男たちがいる。なぜか夢の中では今日わたしは誕生日で、それを伝えると、やんちゃな男たちは盛り上がって、誕生日にはやらなきゃいけないことがあるんだと言う。男たちの一人の大柄な男の臭い息を嗅がなくてはいけないらしい。それが彼らのしきたりだそう。大柄な男が臭い息を準備して部屋に入ってきて、キスしろと言われる。受けて立とうじゃないかと話に乗ったけど、さっきまでSさんがいた場所に父がいて、父の前でキスするのは見られたくないから私たちだけ部屋を出るか、もしくは父に部屋を出てもらうか考えるも、どちらにせよ父の心はざわざわするだろうし、どうしよう…くらいで起床。
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15時半にMさんと新宿で待ち合わせ。デモの前にしっかり食べようと思ったけどベルクは激混みだったので地上に出てスープカレー食べて、角のセガフレード・ザネッティでカプチーノ飲んでデモへ。その間も声の上げ方とか、「連帯」について思うこととか、心理学の話など話が尽きない。
しっかり食べたのと、今日は比較的暖かかったので2時間ちゃんと体力が持った。慣れない声を出したので声がちょっと枯れた。
デモ中にわたしのアートワークを掲げていた人がいたので話しかけてステッカーを渡したり、あとはKさんや、一緒に来たお友達や、切り絵のプラカードを作ったTさん、夜の照明にキラキラ反射するようなパーツを散りばめたプラカードを作ったSさん、ずっと前から誰よりも早くアクションを起こしていたOさん、Sさんもわたしのアートワークを大きく印刷して持ってきてくれて、関心を持ち続けることについて話せたのも嬉しかった。ステッカー置いてくれているヘアサロンのKさんはフリーパレスチナと書かれた大きいリボンで髪を結っていて、それで気付いて声かけた。
そのあとMさん、Oさん、Sさんと、Sさんも合流してご飯を食べた。それぞれのアクションのこと、通行人からどういう反応があったかとか、どういうプラカードが伝わりやすいかとか、どうすればもっと一人ひとりに関心を持ってもらえるかとかも話したし、それ以外のこと、日常のこともとにかくいろんなことを話した。初対面同士もいたり、こうしてご飯食べるのは初めてなのに、不思議とみんな波長が合って本当に楽しかった。大事なことも共有できて、同時におなかが苦しくなるくらい笑うこともできる時間、すごくすごく嬉しかった。
束の間、はっきりと幸せを感じ、解散してInstagramを見たら粉塵まみれで運び込まれる子供、雨にさらされる血が滲んだたくさんの白い袋、現実に戻り、しかし楽しかったことを後ろめたく思う必要は全くなく、糧として、心をあたため、粛々と責任を引き受けていけばいい。死ぬまで。身近でそれぞれに生きる人が集まり、テーブルを囲み、ご飯を食べながら話し、耳を傾け、笑い、心が軽くなること、それは決して取り上げてはいけない。それを取り上げようとする力に抵抗すること。取り上げられ続けている人々に心を寄せ、しかし感情的になりすぎず、効果のある行動に移すこと。
今日のデモですごく自分が声を出したのは、わたしはとても怒っているからなんだと気付いた。自分達の特権に気付かないこと、自分達の身の回りだけ良ければいいと「思わせる」「思わされている」人に怒っている。自分に対しても。とてもわがままで自分に甘くていつまでもどこかで庇護を求めてしまう自分に。恥ずかしい。
人が死んでいる。あなたの子供とガザの子供がわたしには重なる。
同時に、怒っても伝わらないことも痛感した。それはわたしの勝手な感情をぶつけているだけ。もっと考えなくちゃいけない。
2024年2月17日
寝れない。いよいよ寝てる時に下半身だけでなく全身に汗をかくようになり、夜風呂に入って朝も必ずシャワーを浴びないといけなくなった。日中もイレギュラーなことが起きたときや、歩いて急に止まったときに異常に発汗するようになった。暑くないのにとにかく汗がすごいでる。今日も。おかげでほんとはもう少しゆったり話したかった場所でもさっと去らなくちゃならなくなった。水みたいなサラサラの汗、たぶんあまり臭いはないと思うのだけど(そう思いたい!)…すごく疲れる。外出の気力と体力が落ちた。
汗で身体が冷えたり花粉症の症状も出始めたのもあり、昨日から今朝の体調は久々に風邪っぽい崩れ方をしてた。朝起きて口をゆすぐと、鼻の奥から垂れた黄色い痰がどろっと出た。自律神経、ホルモンバランスの崩れは多分変更したピルのせい、と思いたい。しかしまだ1ヶ月半分ある。婦人科に行き買い直すべきだけど、先週は2日連続カウンセリングと心療内科、今日も耳鼻科に花粉症の薬を処方してもらいにいって、あんまりもう病院行きたくない。とにかく一日ずっと布団の中で目を閉じたい。
今日の夢もいろんな人が出てきた。Zoffのヌートバーの立て看板見たからかヌートバー出てきた。あと4月に茨城、9月にどこか美術館で個展を控えてる夢も見て、なんにも用意してなくてどうしようってなる夢も見た。4月の展示場所は大きな体育館みたいな場所でいまはグループ展をしていて、Uさんがパンクな装いでガチャガチャとしたインスタレーションをしていて、意外な一面を見た。細かいことは忘れた。
いままでこんなふうに寝れないことなんてなかった。寝るのが憂鬱。うなされて朝になり、おかげで日中仕事してる間は猛烈に頭がうとうとする。料理する気力も落ちてしまった。外食やコンビニ使うことが増えてる。よくない兆候。つかれた。つかれました。心療内科で睡眠薬どうしますか?と言われて、まだ大丈夫ですと断ってしまったけどもらうだけもらってもよかったかも。ただ寝たい。冷えピタするとちょっと気持ちいい。
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ほんとうに気分というのは当てにならないし、気分をそのまま自分だと思わなくていいのだと思った。その気分によって行った言動にだけ責任が発生する。責任を持つべき、とかじゃなくて自然発生する。すべての行動に自分への責任が伴う。それだけのこと。
落ち込むことはいいことでも悪いことでもないから気にしなくていい。
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いいこともある。ここに書いておく。
ステッカーのことで遠くに住む人からメールもらえた。Sさんに認知してもらえてステッカー買ってもらえたのすごくうれしかった。Gさんとたくさん話せたのもすごく幸せだった。パレスチナのこと外務省にまたメッセージ送った。首相官邸にも送った。多分これからカジュアルに送れる感触があった。タイミングよく広尾のパレスチナチャリティバザールに行けてクフィーヤとオリーブオイル買えた。お店の方に着ていたダウンを「同じオリーブ色ですね」と話しかけてもらえた。Sさんのパフォーマンスがすごくよかった。それを本人にも伝えられてよかった。Oさんにも偶然会えてお茶の約束できてよかった。明日のデモ、Mさんと一緒に行けたらいいなと思って声かけたらもちろん行く予定で、誘ってくれてありがとうと言ってもらえてうれしかった。明日きっといろんな人に会えるのが楽しみ。
これから帰ってワイン飲みながらGさんが教えてくれたパセリカレーつくる。Kさんから「たんかん」届いた。南国の香り。生きてる香り。
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寝るのが嫌で泣いた。泣きながら婦人科予約した。でも早くても一週間先で勤務日しか予約枠が空いてなくて、仕事を休まなきゃいけなくなった。貯金に頼りすぎてる。夜と朝の体調が悪い。
2024年2月15日
昨日はやっとeSIM寄付できた。難しそうでつい後回しにしてしまってた。
しばらく大丈夫だったけど、今朝はまったく起き上がれず遅刻の連絡を入れた…頭が休まらない。本当は休みたいけど休み癖がついたらこわい。少し動けそうなら動きたい。
いつ作ったか忘れたけどメモ
《COOK》ひよこ豆と卵とパセリのサラダ
・ひよこ豆水煮 1缶
・ゆで卵 2個~3 刻む
・パセリ たっぷり 刻む
・マヨネーズ 大さじ2
・コンソメ 小さじ1/2(チリパウダーにも食塩入ってるからもっと少なくてもいいかも)
・チリパウダー お好み
・スモークパプリカパウダー お好み
全部混ぜて完成。おいしい。
そぼろ弁当みたいに下にご飯もしくはオートミール敷いて上にサラダのせてお弁当にするといい感じ。
2024年2月14日
いつの間にか薬が効いていたけど、相性が悪かったようで謎の焦燥感に駆られるようになっている。行動的になってるけど、それに自分自身が圧迫されている。寝てる間にこれまでは下半身だけ汗かいてたのが全身に汗かくようになってしまった。ずっと頭のなかが蛍光灯で明るくて休んでくれない。
忙しない気持ちでガザのこといろいろしてたけど心と身体がガチャガチャで止まり方がわからなくなってる。少し前の、自分になにが起きているかわからなかったときのあの感じを思い出してこわい。身体が浮いてる。だから穴には落ちないけど、わたしは地面に足をつけたい。
2週間前、次の病院の予約を短い間隔で入れたのは正解だった。先生に相談し薬を変える。
そして花粉症がはじまった。肌が赤くボソボソなってきた。週末に耳鼻科予約。健康診断でひとつひっかかってしまったのでその再検査も行きたい。病院ばっかり。
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ガザの話を自分からなかなかできない。昨日思い切って弟にステッカー送っていいかメールしたら、「たくさんください!配ります!」と返信きて嬉しかった。
2024年2月12日
夕方崩れた。昼にラファのひどい映像見て、投稿して、恵比寿映像祭行ったけど2階を見終わるくらいでもう見れなくなって、ちょっと3階入ったけど引き返して美術館出てカフェドクリエに入ったら照明が眩しすぎてもうだめだと思ってコーヒー流し込んで帰った。しばらく動悸がして、山手線の電車のホームドアが気になったり、乗り換えた駅でホームドアが無ければその先のことが散らついた。もういやだ。調子良かったのに、ちょっとつつかれると崩れる。考えたらだめだと思って最近読んでる岡真理さんの『ガザに地下鉄が走る日』を開いて、文字を追うことに集中する。
ほんとうに、なにかが噛み合って、わたしの真空に「向こう」が流れ込んでしまったら、わたしはわたしを扱えなくなる。自分の頭が不思議だ。
悲しいと思ったことをどう扱えばいいのだろう。どう抱きしめればいいのだろう。一応抱き抱えて、でもそれを見れない。視線を逸らしたまま近所のチェーン居酒屋へ。一人ではいられないからざわざわしているところにいると落ち着く。便利、に甘える。本読む。「境界」という言葉が出てきて、違う方向から気持ちが同調する。
孤独と仲良くなりたい。誰とも居なくても一人で大丈夫になりたい。この期に及んでまた助けてほしいという気持ちが吹き出す。助けるのはわたし自身ですよ。
そういえば今日起きて汗かいたシーツやタオルケット洗濯してベランダ出て干してた時に、隣に住む男の人が女の人と手を繋いで出ていくところを見たんだった。情けないけど、いいなあと思ってしまった。幸せだよそれ。
2024年2月11日
とにかくいまは睡眠時間を増やすことを身体が求めてる感じがする。
昨日は悪夢みて寝ぼけてなんか喋ってた。つかれた。すごい汗。そのあとまた寝たので内容は忘れた。
今日は変な夢。ショートカットですっきりした顔立ちのわたしよりも華奢な身体のとっても素敵な女の子からわたしは好かれてて、寝ているわたしに馬乗りになって頬にたくさんキスされる。わたしがそのキスに応えようか戸惑っていたら、なぜか隣でUさんも寝そべって見ていて、Uさんが「自分は気にしないので大丈夫ですよ、恥ずかしがらず!」の意味で強く頷くので、それならと思って彼女のキスに応じる。彼女の小さい舌。
あとは車椅子に乗った知らない女性と二人で旅行してる夢もみた。その人はわたしよりも少し歳上。どこかの島か岬のような場所にいて、辺りは柔らかい草が生えてるけど少し歩くと断崖になっててその下は海。そのきわきわを、わたしは女性の乗った車椅子を押しながら歩いている。車椅子の女性は楽しんでいるけど、わたしは車椅子が落ちないか心配でハラハラしてる。下の方を覗くと海には1.5m四方の、白いタイル張りの島?が浮いていて、中央にポールが伸びていて、小さな赤い三角旗が付けられている。そこに船がとまるらしい。断崖の下にもどこかから行けるようで、岸辺に栗色のカーリーヘアのヨーロッパ系の旅行客が一人いた。
この女性とはそのあともしばらく一緒にいたけど、途中から高校の友人と修学旅行している夢に変わってた。修学旅行だけどみんな現在の歳でもあって、ご飯食べながら仕事の話もした。修学旅行らしく自由行動の時間が限られていて、微妙に気を遣いながらの旅行でこの夢は疲れた。でも昨日ほど汗かいてない。
夢で自分の無意識の部分を考えるのは面白い。
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駒込で展示を見て、そのあと寄った百塔珈琲でもらったパレスチナパッチを付けて夜は新宿へ。久々に賑やかな街に来てくらくらしてしまい、西武新宿駅横のセブンイレブンで野菜ジュース買ってガードレールに寄っかかって飲んでた。そしたら隣にいた男の人にすみませんと声をかけられた。
その人は眼光が鋭くて背が高くてシュッとした方で、黒いダウンの着こなしから場所柄なにかのキャッチかと思って身構えたら「そのパッチ、東南口の関係の方ですか?」と訊かれた。わたしは参加できなかったのだけど今日は東南口でプロテストレイヴが開催されていたので、そのことだと思う。
それから少しパレスチナの話をした。その人はいろんな迷いや不安があるようで、イスラエルだけを責めることには疑問を持っていると言っていた。歴史を辿れば欧米諸国にも責任があるという意味ならば同意できるので、そのようなことを伝えた。その人が「ネタニヤフのやってることはおかしいと思うんです」と言ったので、それはほんとうにそうです、と返した。数分話したあと「急に話しかけてすみません、待ち合わせとかしてますか」と気遣ってもらい、人と待ち合わせをしてたのでそこで別れた。わたしも「さっきこのパッチをもらって付けたばかりだったので、話しかけてもらえて嬉しかったです」と伝えた。
ほんとうはステッカーを持ってたのだけど、勇気が出せず渡せなかった。
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今日は久々に都内をよく移動し、偶然の出会いもあって、会いたい人に会えて、そういえば電車内で赤ちゃんとも目が合ったんだ。いい日だった。
2024年2月10日
悪夢見たけど内容忘れた。寝ぼけていろいろ喋ってたのは覚えてる。汗すごい。起きてまた寝て半日くらい寝て昼起床。ラフ送って今日は仕事終わり。夜はお酒飲みながら「メッセージ」観てカップヌードル食べて寝る。久々に酔っ払った。
2024年2月9日
伊藤忠に続いて日本エヤークラフトサプライもエルビット社との協力覚書破棄。
先々月はあんまり寂しくなかったけど、最近は心細い。しばらく友達ともご飯食べてない。ちょっと前のほうが気分も安定していたなあ。頭の中の風が強いことにも、外も騒がしいことにもつかれた。寒いことにもつかれた。
全ての原因はうまく寝れてないこと。抗うつ薬のほうばかり考えてたけど、お薬手帳見返したらピルの種類を変えたくらいからうまく寝れなくなってる気もする。ピルはなにかの成分量を増やしたのだよね…忘れた…もうよくわからない…もう…考えることつかれた………
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ピルには黄体ホルモンの種類の違いがあり、わたしが以前飲んでたのは第四世代、最近飲み始めたのは第一世代。世代が進むにつれてアンドロゲン作用が小さくなる。アンドロゲン作用によって食欲増進、体重増加が起きると書かれているけど、もしかして最近の過食はこれもある…?黄体ホルモンが増えたことでこれまでのホルモンバランスが崩れ、自律神経がおかしくなり過食や寝汗、というルートはある気がする。
(参考 https://www.yokosuka-clinic.com/pill-type )
2024年2月8日
調子わるい。
夜に悪夢ひとつ、昼寝したら悪夢二つ。
夜見た夢は、ある男が首都圏に住む彼の親族の女性を順々に殺して、5人か6人殺した後、甲府行きの特急車内で捕まったというニュースを、母とスーパーに行く途中に知る。スーパーにTVが設置されてたんだっけ、よくわからないけど、そのニュースを見てた見知らぬ中学生男子の数人のグループと会話をし、なぜかその1人の男の子とキスをする。あといろいろあったけど忘れた。
昼の悪夢、ひとつは知り合いの二人展に行ったら、展示会場二階建ての元民家を改装した場所で、一階は改装してギャラリー然とした空間だけど二階は和室そのまま。
わたしはなぜかそこで自分の部屋のように振る舞っている。床に10cmほど浮かせて平置きされている板に絵が描かれた作品を枕にして寝ようとする。作品をのせている什器は作品よりも小さいので作品の端は浮いていて、頭を載せたらそこにヒビが入り、ほぼ割れたも同然。慌てて割れてないように装う。
和室の押し入れを開けると2畳ほどの物置になっていて水場もある。そこにはなぜかわたしの作業道具が入っているのだけど、二人展の作家の作品も大量に置かれていて、どかしながら道具を出そうとする。何を思ったか水場の蛇口を捻り、お湯を溜めながら出していたら、流し台の中に二人の作品が入っていて、慌てて取り出す。キャンバスに油彩の作品は布巾で拭いたけど、紙の作品はペラペラ。まずいまずいと思ってたら一回からオーナーの女性が様子を見にきて、なにも起きてないフリをする。女性は知らない人。1階に移動しなんか喋ったりしてたら、いつのまにかそこは建替え前の実家。
もう一つは自分がホームセンターの店員になってて、ヤンキーっぽい夫婦からなにかの届出の用紙の書き方の説明を求められて、わけがわからないけど強気で説明してた。プレッシャー。同時にガーデンコーナーでレンガを持ちながら、家庭菜園について考えてた。
2024年2月7日
悪夢(元夫相手にすごく訴えてた)を見た。終わりのほうは半分起きてたけど、目を閉じたまま催眠状態のような意識の保ち方で実際に声を出して訴え続けた。薬がまだ効かないのか仕事のプレッシャーか、不安がうるさい。動悸がする。気分転換にカフェに行ったけど眠くて帰る。でも布団に入ると寝れない。
2024年2月5日
そわそわ、落ち着かない気分。
寝てる間に多分頬を枕にゴシゴシしてしまって、乾燥でのダメージも蓄積しているのかぷつぷつと肌荒れ。フェイスパックでなんとかなる気もする。
肌の調子が良かったとしても、雪が降る予想で薄暗い天気のせいか、仕事のプレッシャーのせいか、不眠か、昨夜の京都市長選で立憲が自民に相乗りして当選したのを見たからか、今朝ガザの亡くなった二人の子供を抱く父親の映像を見たからか、男性たちが上裸で手を縛られたままイスラエル軍に射殺され、前のめりに倒れた遺体と血溜まりの広がる部屋を歩いていく映像を見たからか、頭が唸り始めている。
《COOK》でも今朝もお弁当は用意した。ごはんに蒸し豆と、パセリと、焼いた鰯を二つに切って。ぬくぬくと、朝ごはんはオートミールに豆乳かけてチンして、バナナとアーモンドとメープルシロップとカルダモンパウダーかけて。静かな朝過ごして。みんなどう過ごしていますか。気づいてしまったから、この先ほんとうにすっきり心が晴れることなんてあるのだろうか。ほんのりずっと薄暗いままなんじゃないだろうか。お酒ってやっぱりいいもんだなと思った。お酒を飲まないとほんとうにずっと正気でそれが疲れる。いや、ただ天気にやられている気がする。赤ちゃんに会えない。
ここまで昼休憩のときに書いて、そのあとTwitterみたら伊藤忠がエルビット社との契約破棄してて、ややややったー!!!となった。すごい、みんなすごい。うれしい。
2024年2月4日
昨夜21時半には布団に入り、それからほぼ半日寝て汗かいて起きて寝て汗かいて起きてを繰り返したらさすがに「よく寝た」感じした。3回着替えて最後はすっぽんぽんだった。
しかし仕事に向き合えず家にいられなくなってベローチェに行った。事務作業ではなくドローイングしにベローチェ行ったの初めてだ。仕事のプレッシャーについても先日カウンセラーの先生と話して少し整理はついてるから、ベローチェに行くという判断をしてすぐに家を出て一応仕事もできたのはよいことだと自分をほめる。
薬を変えたからちょっと気持ちがそわそわしている。
《COOK》にんじんとたまねぎとほうれん草と豚粗挽き肉のシチュー
ほぼ同じレシピを具材を変えて作り続けがち。今日はしょうが抜きでバター20g、塩は具材炒めるときに少し入れて、煮るときにコンソメ小さじ2入れた。ちょっと味薄い。コンソメを小さじ3にするか、塩小さじ1/2くらい入れてもいいかも。ほうれん草おいしい。
2024年2月2日
パレスチナのこと、毎日毎日追いつかない。UNRWAへの資金提供継続の署名や支援についても呼びかけたいけど、今日はもう他の情報をストーリーズにあげて、それだけで疲れてしまって、呼びかけるだけなのに気力が湧かずiPhoneを放り投げてしまう。振り向いてもらえているのだろうか。ノイズとしてスワイプされているんじゃないだろうか。なんかこの人わーわー言ってるくらいにしか思われてなかったら。
世界中でひどいことが起きていて、そのなかで今回のガザの状況はものすごく情報が発信されていて、それを偶然見て、知ってしまった以上無視して生活できなくなった。
人が殺されている。こんなに亡くなった人の姿を見たのはうまれてはじめてです。見てしまった以上もうパレスチナでおきていることをまったく気にせずのほほんとは過ごせない。わたしがパンを食べたら、あの人はお腹をすかせている。わたしが熱いお風呂に浸かったら、あの人は雨の中凍えている。なんでここにこんなにパンあるのにあの人は飢えなきゃいけないのだろう。あの人たちを無視した「豊か」な生活とは。
2024年2月1日
心療内科。薬変えてもらう。薬で不眠や寝汗の副作用の報告はほぼないとのことで、やっぱり生活を気をつけて自律神経をなんとかしないとどうにもならなそう。前飲んだ薬はアルコールは飲んでもよかったけれど、次の薬はアルコールは控えるように言われたので飲まなくなるからちょうどいい。でもお酒飲んでも飲まなくても睡眠には変化なかったなあ。あと変えられそうなのは早めに晩ごはん食べ終わるようにすることと、寝る前にスマホ見ないこと…。
《COOK》のこりものシチュー
・冷凍してた蕪の葉みじん切り
・冷凍してたブロッコリーの茎みじん切り
・白菜1/8 1.5cmの幅で切る
・豚ひき肉300g
・しょうが すりおろし
たくさん入れるとおいしいけど、わたしは刺激のある食品は肌が炎症してしまうため控えめ
・バター 30g
・塩 小さじ2/3
・米粉 大さじ4
・水 2カップ
・豆乳1カップ
①バター溶かして肉焼く。(塊感を出すためそんなに動かさない)
②まあまあ火が通ったら野菜入れて炒める。
③白菜がくたっとして水分でてきたら米粉入れて粉感無くなるまでいためる
④水、豆乳、塩、しょうが入れて中弱火で5分ほど煮る。
とろみが出ていいかんじになってれば完成。
長谷川あかりさんの「白菜とひき肉のクリームシチュー」を参考に、あまってた野菜と豆乳・米粉でつくる。しょうががポイントだけどわたしはあまり身体に合わないので少なめ。いっそ入れずに塩少なめでコンソメいれてもいいと思う。あっという間にできておいしい。
2024年1月31日1:04 10:13、2月22日15:08
ふかり サクリ ふかり サクリ
えんじのかれは あおいシダのこども
ふかり サクリ ふかり サクリ
しかのふん こけのうえのこおり
ふかり サクリ ふかり サクリ
ながれるみず とりないた
ふかり サクリ ふかり サクリ
かおをあげると きぎのすきまから
だいだいいろのひかり
2024年1月31日
最近では一番汗かかなかったし、いままでの睡眠に近い感じがする。お風呂上がって髪を乾かさないまま寝てしまったのは反省だけど…。いくつか心がリラックスできることがあったことと、あとこの数日お酒を飲んでないこともかなり良いと思う。最近頭をくらくらにしたいという気持ちでほぼ毎晩一人で飲んでしまってたから、2月いっぱいは禁酒することにした。お酒は人と会ったときだけ。
ちょっと過食気味なのはよくない。お菓子食べたくなってしまうのは栄養が足りてないから。しばらくサプリ飲んでなかったけどまた飲み始めた。髪が乾燥と栄養不足でパサパサで、それで白髪も増えたのでは。そしてよく噛んで、ゆっくり食べること…。
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河合隼雄の本を読むと自分の見た夢を考えるヒントがもらえて、それによって自分の潜在意識を考えられるのは、自分にとって良い手応えがある。表れたもの(結果)から考えることで、堂々巡りにならない。
今日のカウンセリングは最近寝るのが憂鬱なことと見た夢の話をしたら、それを組み合わせた催眠療法をしてくれた。先日の「彼女」と対話した。彼女から見えるわたしの姿も見えた。
催眠療法は必ずはじめに説明を受け了解してから受けるもので、かつてテレビ番組でやられてる催眠も収録前に説明を受けてると思う、とカウンセラーの先生は言ってた。催眠は潜在意識と顕在意識どちらもある状態に人為的にさせることを言うから、普段の生活でも催眠的な状態はある(無意識でしている日常の動作中とか)。そして顕在意識によって本人ができないことはブレーキがかかるので、いくら指示されてもできない。例えば試しで「逆立ちしてください」と言われたけど、できないので、でも顕在意識で「やれるとこまでやってみよう」というのがわたしにはあるので、おずおずと言われた通りにしようとするけど「できますか?」に「できません」と答えた。
そして催眠にかかるには集中力が必要。顕在意識が優位になりすぎると醒めて、冷めてしまう。
先生とも話したけど、以前と比べたら随分精神的に安定してきていると思った。次のカウンセリングもしばらく先にした。薬の相性次第な気がする。
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カウンセリングのあと芸大の卒展へ。Mesbahi Ines Jasmineさんの作品で行われるパレスチナのイベントに参加した。行った時にはもうOさんのプラカードをつくるワークショップが始まるところで、Oさんはしっかりシルクスクリーンを用意していて、絵を描こうとして絵の具や筆を持ってきたわたしの「絵を描ける」ことの無自覚さに一瞬で恥ずかしくなった。でも今日初めて対面したSさんがすごく自然に声をかけてくれて、隣りに座らせてもらって喋りながら「みんな好き好きにしていいよ」の雰囲気作りをしようとプラカードを描いた。持ってきた筆やウエスがシルクスクリーンの役に立ったのはよかった。プラカードワークショップのあとプラカードを持ってコールして、詩の朗読をきいて、みんなで手を繋いで円になってダブケを踊った。みんなで手を繋いで踊るので、隣にいたSさんと、隣にいた今日初めて会った人と手を繋いで踊った。ずっと繋いでいる手の汗かかないか(ちょっとかいてる)そわそわするけど、もっと誰とでも、こうしていつでも手を繋ぎたいと思った。
イネスさん、ハニンさん、ザックさん、新土さん、奥くんのスピーチを聴いた。日本語訳を増渕さん。動画や写真で見ていた人たちだ。ずっと前から、誰も見向きもしなかった時から声を上げていた人たち。なにかの動画かで最初の伊藤忠本社前でのスタンディングは7人しかいなかったと新土さんが言っていた。
イベントが一通り終わった後、Oさんと片付けをしながら少し話した。イベント中に芸大の教授が見にきてたらしいのだけど、彼らが話してたことがほんとうにゲーという感じだった。芸大は受験生の時は当然、いまだって少し特別な気持ちはあるけど、そんな教授がいるなら全然どうも思わないなと思った。学費はうらやましいけど。
そのあとはステッカーを配りながらいろんな人と話した。
家でひとりパレスチナの情報を見たり、ステッカーの封入してると時々つらい気持ちになるけど、こういう場所に行くと元気をもらえる。
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ピアスホールあけてもうすぐ4ヶ月経つし、誕生日も近いから自分へのプレゼントとしてピアスを買いたくてルミネ見てみたけど、あんまりピンとくるものがなかった。クールでなめらかな色気があってシンプルなのがいいのだけど。ファーストピアスの丸いチタンのもっとすてきなかんじのがあればそれがいいのだけど。値段の幅もよくわからない。いいかんじのピアスってどこにあるのだろう。
ピアスは諦めて、ふらっと立ち寄ったSHIROで香水を見てたら店員さんに接客してもらって、わたしの好みを伝えたらその方がいくつか提案してくださった。そのなかでなんとなく身体に合う感じがして、なおかつわたしのありたいビューティーがあり、そうなるためのお守りになりそうな香りがあったのでそれを買った。香水のいろんな付け方も教えてもらった。店員さんは穏やかな接客でとても素敵な人だった。お店を出る時に「はじめて香水買えてうれしいです」と伝えたら「光栄です」と返してもらった。
2024年1月30日
《昼》
寝れないから寝るのが憂鬱になってしまった。気休めにヤクルト1000買って飲んだけどなんの意味もなかった。甘い飲み物を飲むことへの罪悪感が勝る。
今日は就寝中に3回着替えた。暑くないのに汗をかく。夜のあいだもうほとんど起きてて、途中気絶してる感じ。夢で誰かにパレスチナのことを話していて、「伊藤忠(アビエーション)と日本エヤークラフトサプライとエルビット・システムズの契約はだめなんだよ~」と話す自分の声で起きる。夜から解放されてホッとするのと、心身共に疲れ切って泣きたい気持ちの朝。
薬の加減も難しくて、多いと体が重くなるし、少ないと不安にのみこまれる。でも自罰感はかなり減った。どちらにしても意欲はあんまりない。絵の仕事がこわい。もうちょっと合う薬があるかしら。まったく、明日と明後日のカウンセリングと心療内科が楽しみです。
《夜》
でも、今日もいいことがあった。
2024年1月29日
不安の暴風が吹き荒れてしまった。
しかしいいこともすこしあった。
オムライスがおいしかった。
おしゃべりが楽しかった。
布団がふかふかしてた。
2024年1月28日
悲しい夢とへんな夢を見た。
悲しい夢は、わたしがLさんにものすごく怒って、冷たい態度をとっている夢。なにかのスペース(大学か展示ような場所)の人混みのなかで、お互いの存在に気付いているのにわたしはLさんと絶対に目を合わさず、遠くにいる。すれ違ってLさんがわたしに話しかけても、すごく冷たい口調で必要最小限の内容だけ伝えて去る。Lさんがショックを受けているのもわかるし、Lさんを囲む人たちがどうしたの?とLさんを心配する声をかけている。どうやらLさんからなにかを言われ、それを「絶対に許しちゃいけない」という気持ちになりバチンと親愛の気持ちを切っているのだけど、そんな態度をとる自分にも信じられない気持ちで、とても悲しい気持ちになっている。起床したら汗をかいていた。Lさんになんてひどいことをしてしまったんだと暗い気持ちになったけど、現実ではなにも起きておらず東岡崎の寒い朝。
もうひとつは、わたしより歳下の、小柄で少しぽってりとして、能天気というかなんだかわちゃわちゃとしている女の子の面倒をみている夢。面倒をみているというか彼女とわたしは付き合っているような感じ。現実に存在しない人。彼女はわたしに甘えていて、その日は雨が降っていて、二人は国道近くの車の騒音が聴こえる住宅街を歩いていてそろそろ解散しようとしている。わたしは一人でファミレスかどこかで勉強して帰るつもりと彼女に伝えると、彼女も付いていきたいというので、帰ってくれた方が気楽だけどなんだか断ると不憫にも思えて、「いいよ、ほんとに勉強するだけだけど」とかなんとか言いながらファミレスに入って起床。
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この前「真空」という言葉を思い出した時にシモーヌ・ヴェイユの『重力と恩寵』を思い出して最近読み直し始めているけど、読んでいる時だけは「楽になる」と書いたいま、ちょっと違う感じがした。かちこちの自我から離れられて「なんでもなくなる」のほうが近い。
2024年1月27日
朝、川の対岸に白い花の群生を見つけたから橋を渡って階段おりて近づいたら水仙だった。水仙の香り、そのまま川沿いを歩いて、空気が冷たいけど日向を少し歩けば暖かい。濃いピンクの椿が一本だけ生えていて、あとはポンポンみたいに葉の生えた木の下に白く乾燥した種が落ちていた。松も拾った。
午後は額田の山の中、ふかふかの土、枯れ葉踏んで歩いた。いろいろ拾った。まだ雪残ってた。ずっと太陽出てた。
2024年1月26日
薬を飲む時間と量を変えたら、今朝は汗をかいたけどわりと寝れた。起きてゆっくりお風呂に入った。夜入るのはもちろん疲れがとれるからいいけど、午前中の窓から明るい光が入るなかでのお風呂はたまらなく贅沢な気持ちになる。お水を飲みながら、はじめは肩までたっぷり浸かり、途中からは栓を抜いて湯量を減らしながら半身浴を堪能する。時間とガス代が許すなら朝も夜も入りたい。
東京駅発の新幹線の自由席が混んでいて、出発時刻ぎりぎりに乗り込んだら窓際の席は埋まっていて、かろうじて3列席の通路側がまだあいてたので座った。品川でぞくぞく乗り込んできて、席が埋まりかけていたときに外国人観光客の4人くらいのグループ(家族かな)が席を探していて、わたしの横の2列席通路側にひとりが座り、他の方もきょろきょろしてたので、二人が通路を挟んで隣同士に座れるようにしようと手を振って(英語が喋れないから)「わたし真ん中の席に移動するからここ座ってください」のジェスチャーをしたらペンキュウと言われた。一息ついたらお煎餅食べてた。わたしはパン食べた。名古屋でわたしが降りるときにエクスキューズミーかソーリーかどっちか言ったらオケィと言って席を立ってくれた。
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ステッカーの増刷分が届いた。しばらくは刷り続けたいが、生活費から印刷費にどこまで回せるかというところ。一旦どかんとここまで刷ると枚数決めて、そのあと刷れるかどうかはそのときのお財布事情で考えようかな。
これまでわたしの絵を知ってくださっている方、展示に見にきてくださった方だけじゃなくて、絶対にこういうことをしなければ繋がらなかったいろんな人にステッカーが届いていて、SNSで宣伝してるけどひとりひとりに宛名シール貼って、手紙とステッカー入れて糊付けして、切手貼って送って(ちょうどかわいいミッフィーの切手が売ってたのでしばらくはそれ)、受け取った人が受け取ったよとSNSにあげてくれたり、友人に配ったり、手紙に反応してくれたり、お店で配ったり、わたしは一人でやってるからこれを一人で感動していて、ほんとうにほんとうにわたしが助けられている。
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ミリアム・カーンのような物事への距離で作品を作ることも、いま起きている問題へ具体的に近づいていくことも、どちらも大事な気がする。どちらもしたい。
2024年1月23日
だめだった。すっぽんぽんにはならなかったけど1回着替えて、いろんなことを喋ってたのは覚えてる。寝ぼけて家に誰かがいる感覚になって、いろんなことを伝えようとした。最後は「青木理の息子が~!」と切実に訴えながら起床。夢の中で青木理さんの息子が役者をしていた。急に青木理さんが出てきたのは、多分荻上チキさんのラジオをよく聴いてるからその影響だろう。お弁当用意してコーヒーを淹れて仕事に行く。
ふと、就寝前に飲んでいる薬の副作用なのではと思った。不眠というより興奮。先生からは薬が合わなければわたしの判断で量を減らしていいと言われていたので、今日から次の通院日までは減らしてみる。
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絵が描けないのは、自分に向き合うのがこわいから。あの手この手で避けているだけ。言い訳やめてよいしょと向き合うしかない。
2024年1月22日
昨夜も2回着替えてすっぽんぽんのぴちゃぴちゃで、「うええ」と泣いて起床。でもお弁当持って仕事に行った。夕方からとくに呂律が回らなくてひどいものだった。帰りSさんがメールくれて、うまく寝れないことを聞いてもらった。さっとご飯食べて風呂入って22:30に布団。とにかく寝たい。ちゃんと意識を失いたい。今日こそ寝れますように。
2024年1月21日
やっぱりちょっと調子がわるい。地盤沈下してる。
1ヶ月以上うまく寝れていないのがじわじわとつらい。下半身の寝汗がひどくて夜のあいだに2回も着替えて、それでもびしょびしょになるからすっぽんぽんで寝て、昨日コインランドリーで洗濯したばかりの布団も濡れて冷たくなって、そんな感じで朝になるから起きるしかなくなる。電気毛布やめたり、毛布減らしたり、かける順番変えたり、寝巻きを変えたり、毎日毎日試行錯誤してるのに。
起きても息苦しさと動悸、そわそわ感、だけど何もしたくなくて寝たい。メール返せない。絵なんて描けない。お風呂だけは好き。ボトルに水入れて、飲みながらとても長風呂する。風呂に浸かっているときに絵のアイデアだけは思いつくが、そこまで。食べてもまったく満足感がない。耐えてやりすごす日。一日かけてステッカーの発送だけはやった。
来週のカウンセリング、もうあんまり意味ないと思ってしまう。どれもこれも話した。心を悩ましていたことは以前よりも手放している。考え込みすぎないようにしてるというか、考えても無駄だなと思って頭が考えなくなっているから全然悩んでない。なにも考えてない。ひとりでリラックスしてる。地に足ついている。でもその地面がなぜか沈みつつある。なぜ?気付いたら壁に囲まれてここは穴?でも本当はわたしはこういう気の持ちようで生きる人間なんじゃないかと思ってしまうのは悲観的な思考なのだろうか。心が沈んでるのは脳のバグでしょう。バグなら薬でなんとかできるんでしょう。
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島にいたときも、少し前までも、寂しいと思う時間が多かったけど、いまはあんまり思わない。ひとりでいたい。ときどき、大丈夫なときあなたに会いたい。
穴はこわい。穴はたくさんある。どれも底が見えない。落ちないような道を探して歩けるようになった。少しずつ投げ込んだりもしてる。穴だらけだと思っていたけど、しばらく歩いていたら穴がない場所もある。
穴は埋めようとすると埋まらない。あるかないか。なるべく穴が空いてないところを探して歩いていく。
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庭に松の木、ガラスの格子戸から廊下に陽の光射して木目がゆらゆらする、ずっと、誰もいない場所。清らかだった。
2024年1月20日
泣かなかった。しあわせな日だった。
2024年1月19日
職場で、なるべく家にいるような気持ちで仕事したら、あんなにまわらなかった呂律がまわった。久々にほとんどストレスなく普通に喋れた。
薬が合わないのか、一時期よりも気分が低いところで停滞しているような感覚だったけど、実は自分のニュートラルはこんなものなのかもしれないという気持ちにもなっている。
もしかしてこれは、「リラックスしている」ということなのか?これが本来の自分なんじゃないか?いままでがフワフワしすぎでいただけで。それによって人から親しみを感じてもらっていたと思うけど、それは身体が軽いから風が吹けば動いてしまうからで、本当はもう少し重くて動けなくてもいいんじゃないか。
バウンダリーを持つということは、わたしにとってはもしかしたら今までの自分よりちょっと「冷める」ということなのかもしれないと思った。
2024年1月19日 20:22
よいしょよいしょ
どっこいしょ
2024年1月18日
河合隼雄『影の現象学』、残り半分をがーっと読んだけど、読めてない。ちょっと感じただけ、なにも覚えてない。
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制作以外はやれてる。でも他の場面で少し調子の悪いことが出始めている。下支えは透明になってきた。しばらく隠れていた底が視認できるような。
《COOK》かぶの葉と海苔のにんにくしょうゆ炒め
「週末の作り置きレシピ」参照。2倍量でつくる。味見したらごはんにぴったりの味。しばらくのお弁当に。
2024年1月15日
今日は青森に行くのでそれまでにステッカー発送準備。昼過ぎに終えてお昼ご飯食べたくらいでJALから欠航のメール。青森は大雪らしい。明日の便に変更して、ホテルにも連絡し、郵便局に行って、焼き鳥屋さんでカニクリームコロッケとぼんじりを買っておやつ。そのあとステッカーのことで気が張っていたのか、急に体調が悪くなりちょっと寝る。起きてワインを買いに行って(最近はお酒をよく飲む時期)お風呂に入ったら元気になった。
どういう経緯かもう思い出せないけれど、お風呂に浸かりながら母のことを考えた。そしてふと、母の話す結婚観を鵜呑みにしてしまったのは、自分にとって母は強くて軽やかな人、かなわないという思い込みによるものだと気付いた。立派な母のいうことが正しいと無意識に思い込んでいたのだろう。わたしよりも小柄な身体、がんで思い切った切除をした母。働いて、おいしい料理もさっと作れて、夜にすこし読書する。それに比べてわたしは図体だけ大きくて、恵まれた環境をもらったのにつまずいているという気持ちがいままであったのだろう。わたしが彼女に向ける「母」のイメージによって母が見えていなかったのだろう。
そういえば正月に実家に帰った時、新聞を開いたら多和田葉子のインタビューが載っていて、多和田葉子の顔を初めて見たのでこんな人なんだねと母に伝えたら、わたしちょっと多和田葉子に似てるのよ、時々そっくりな角度があるのよと言った。言われてみれば似てる。
《COOK》風呂から上がり、かぶをオリーブオイルとにんにくと塩で焼いて食べる。昨日は焼きが足りなかったので、今日はじっくり火を通して、しっかり焼き目をつけたらとってもおいしかった。
その後ステッカーをtwitterにも投稿したらものすごく反応があってこわくなってしまった。いつも自分の作品を発表する「場所」はとても安全な場所でもあると思った(同時にとても狭い)。twitterはRT機能でほんとうにいろんな人の目に入ることを身をもって感じる。でもinstagramでは届かなかった人に届いたのはうれしい。嬉しい言葉をかけてくださる方もいて、こちらこそほんとうにほんとうにありがとうございますという気持ち。
2024年1月14日
ステッカーの発送準備を昨日今日で整えて夜Instagramに投稿した直後に叫びたくなった、胸が耐えられなくて、うう、ううと唸って、とりあえずお風呂に入ろうとお湯溜めている間に、外の空気を吸いたい、叫びたいのをこらえて、うう、うう、外に出て、空気ひんやり、息を吸って、コンビニにビール買い行って、いまの時間半額だ、帰ってお風呂、お湯に浸かったら落ち着いた。プレッシャーというか、ひとつ背負うということ、いままであんまりなかった感覚だ。つかれた。でもすぐに注文のメールが届き始めて、ホッとする気持ちと重い気持ち。でもやってよかった。なにやってるんだろう。いまは布団に潜って、手足を伸ばして、心臓がどくどくしてる。
2024年1月13日
年末にお米を食べ切り、なんとなく買いに行くのが億劫で、オートミールがあるので1月中は主食をオートミールで過ごそうと思い、今日まで続いている。パセリとオートミールの相性が素晴らしくどハマりしているが、全体的に食べ足りずまったく満腹感がなくて、昨夜食後にワインを飲みながら菓子の詰め合わせパックをほぼ食べ切って本末転倒…過食気味とはいえ、さすがにこんなことはなかったよ…。ワインも酔うために飲んでいた。ちょっとよくない感じ。
なんとなく肉を料理する気分にならず、大豆食品と卵でたんぱく質を、今週はパセリ、キャベツの粒マスタードマリネ、レンズ豆とカボチャとキャベツの煮込みでビタミンをとり、亜鉛とカルシウムのサプリも飲んでるけど、多分全体的に栄養が足りないのだと思う。爪がぽろぽろ。だから砂糖たっぷりなものを欲するのだと思う。
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実家のリビングでただぼーっとしたい気持ちになる。でも実家に帰る交通費を自分ひとりでいる時間に使った方がいいのではと思った。わたしのこれは人と過ごして解決しないと思う。Twitter見ることも、ベローチェで作業することも、つまりひとりで居られないから。今月は遠出の予定があるけれど、それ以外は今月は家でひとりで過ごす訓練として、カウンセリング以外はあまり出掛けない方がいまの自分にはいいのだと思う。
今日は婦人科でピルをもらいにいって、いまはコインランドリーで寝具をまとめて洗濯乾燥している。河合隼雄の『影の現象学』読んで日記を書いて待つ。帰ったらステッカー送る時に同封する手紙をつくる、そのあとブロンコビリーに行ってお肉と沢山野菜を食べる。
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4:22
野菜をたくさん食べて、久々にお肉もお米も食べて、コーヒー豆も買って帰って、21時くらいからコーヒー飲みながら、久々にSpotifyで音楽を聴きながら、今の時間までステッカーの作業した。手紙とリストを作った。これは躁ではないはず。しっかり食べたおかげ。
2024年1月9日
すっきり元気ではないが、心に下支えができて、静か。波が立たない。前はあんなにボコボコあいてた穴がない。埋まったのか?穴が見えない場所に歩いているだけ?だから最近あんまり底に落ちなくなった。時々落ちてもすぐに穴は埋まって、何事もなかったように身体は持ち上げられる。痛みへの知覚が鈍くなっている気もする。どこからも遠い。もしかして本来の自分の感情の幅ってこんなもんなんじゃないかとも思えてくる。生きる過程でくっつけた、くっついたものを削ぎ落とせば、こういう人間なのでは。別にあんなに笑ったり泣いたりしない生き方もあったのでは。あのときのわたしはなんで笑ってるんだろう。
下支えがあるという実感は安心する。少しずつ厚くなっていく層。成分はセロトニン。これが健康的に、自然発生したものが「自信」と呼ぶものなのだろうか。いままでがフワフワ浮かびすぎていたんじゃないかと思う。フワフワ浮かばない、対抗する重力と地面が必要。
意欲を上げる薬もあると聞いて、「自分」だと思っていた「気分」ってなんなんだろうと思えてくる。文字の通り、「自」ではなく「気」なのか。自己の内外を漂うもの。当てにしてはいけないもの。
《COOK》納豆とパセリ
これまで納豆と合わせる野菜をいろいろ試してきたが(ネギ、小ネギ、オクラ、かいわれ大根、ブロッコリースプラウト、小松菜)、正月のおせち料理の飾りとして付いていたパセリを食べたらおいしかったので、納豆に刻んで合わせてもいいのではと思い購入。生のパセリ初めて買った。
納豆に刻んだパセリを混ぜ合わせて食べてみる。パセリの苦味と香りが納豆に負けず主張しとてもおいしい。調べてみたら天皇家で食べられていた納豆、オリーブ、パセリという組み合わせのレシピがあるらしい。
《COOK》オートミール、水、刻んだパセリ、卵、塩
オートミール(ロールドオーツ)に水入れてレンジでチン。卵は小さい器に割り入れて30〜40秒チンでほどよく白身だけ固まる。刻んだパセリどっさり盛って塩振って完成。混ぜながら食べる。オートミールと卵のもにゃもにゃ感、パセリの苦味ともしゃもしゃ感がよい。
2024年1月8日
最近日記を書く気力が湧かない。料理をしたり、事務作業や依頼されたテキストなどはやってる。絵は年末から描けていない。
布団の温度調節が難しくてうまく寝れない。毎晩下半身のパジャマがぐっしょりするくらい汗かいてしまって、睡眠時間の半分くらいうなされている。毎晩調整はしているのだけど、まだ正解が見つからず。
《COOK》レンズ豆とかぼちゃとキャベツのカレー煮込み
・レンズ豆 1カップ
・かぼちゃ 1/4
・キャベツ 1/4
・にんにく 2かけ つぶす
・塩 小さじ1
・カレー粉 小さじ2
・バター10g
・水 3カップ
全部入れて加圧4分、自然冷却。ローリエ入れ忘れた。ちょっと味薄いかも。コンソメ入れてもよかったかもなあ。
カレー粉入れなければバターと塩だけでもおいしいのだけど、カレー粉入れるとコクがなくていまいちになる。
2024年1月7日
テッド・チャンの『あなたの人生の物語』読んだらSFのSに翻弄され、Fはかろうじてぼんやり受け取ったような気がしたけど、あとから他の人の感想を読んだら全然受け取れてなかった。まったく大きく勘違いしていて、「~でしょう」を未来の予想として読んでなかった…。この受け取れてなさは人との会話でも起きている気がすると思った。日本語喋っているけど正確に理解していない。
《COOK》キャベツの粒マスタードマリネ
「週末の作り置きレシピ」参照。お酢を買い忘れていたのでお酢なしで作ったけどおいしかった。キャベツは生よりも断然蒸して作ったほうが甘くて好き。
朝ご飯に米粉のパンケーキを作って付け合わせに食べたらぴったりだった。
2024年1月6日
カウンセリング。しばらく頭でものがよく考えられなくて、今日も話せないと思ったけど話せた。
最近は薬のおかげが穴に落ちることはなくなって、穴は埋められている、下支えがある感じ。でも上からも押さえられていて、身体がすこしこわばっている。すっきり爽快、というわけでもない。
硬直してる気がしたけど、カウンセラーの先生と話していたら、下支えの地面は下り坂ではなく、少し上り坂に傾斜があって、わたしは登っていることがわかった。
たぶん「元気になる」のは今までの「元気」に戻ることではなく、違う「元気」になるということなのだろう。そこは初めて行く場所だから、道もわからないから、ほんとうにゆっくり、慎重に進むしかないのだろう。
2024年1月4日 23:00、1月6日 18:47、1月14日 06:01、1月26日 23:26、2月3日 14:30、2月8日 18:23
ぷくぷく泡立つ
コーヒーを
コーヒーカップを近付ける
口元の
毛穴で膨らむ
白い膿
に気付いて触れた
指の
指輪の
真珠ひとつぶの
産まれた海の
潮風は
ぬるいな
顔濡らして
飛び込む
2024年1月1日 0:29
そう、そう、そうだねそれは、あの子の手のひら、しわのあいだ
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「Home Making #3」で描いた油絵2枚を実家に持って行って飾った。わたしが「どちらも絵の内容的にリビングに飾ってるのが自然だよね」「ここはちょっと窮屈な感じがするね」などと会話を促し、母も「そうねえ」とか父も「うん」とか弟も「いいんじゃないの」と応えてもらいながら場所を決めて飾った。タンネやわたしの家では少し暗く感じた絵が、実家のリビングではそうは感じられなかったのが不思議だった。1日中たっぷりと陽が入る部屋なので、油絵の絵の具の透明感もとてもよく見える。持ってきてよかった。
これまでは実家にあまり長居できる心持ちではなかったのだけど、今日は不思議と長居したくなり、わたしより遅く来て先に帰っていく弟を見送ったあとも何をするでもなく夕方までいた。弟が帰ったらなぜか気が抜けて、一気に悲しい気持ちになってしまった。もう一杯コーヒーを淹れ、飲みながら母にぽつぽつ打ち明けた。最後は二人とも何も話してなかった。父はずっとうとうとしてる。泣いてしまいそうになったので帰った。
2023年12月31日
一昨日のアルバイト後にMさんと忘年会して、いろんなこと、パレスチナのことも話せたのよかった。帰宅後いい加減コラージュの作品を完成させようと手をつけ、寝る。朝起きて家事しながらやっと完成。時間をかけすぎた。
Free Palestineのステッカーのアイデアを昨日も描いていて、やっとなにか描けそうな僅かな手応えがあったのでそれを元に描く。夕方息苦しくなりベローチェへ行く。ベローチェで作業して帰って味噌汁と納豆ご飯食べて深夜3時頃まで制作。寝て起きて味噌汁と納豆ご飯食べて洗濯して源氏パイ食べながら岡真理さんの講演動画を聴きながら絵を仕上げてスキャンしてフォトショでちまちま調整してデータつくって18時くらいにinstagramに投稿。昨日からお風呂入ってない身体でスーパー行って三が日の休業日前だからかいろんなものが安くなっていて、納豆、卵、ブロッコリースプラウトを買う。寿司や天ぷらや肉やらいろんな豪勢なお惣菜も沢山売っていて、お腹は減っているけど疲れてなにを食べたいかもわからないし、まったくお祝いの気分ではない。家にかぼちゃとにんじんあるし。ビールを一本買う。スーパー出てinstagram見たらいろんな人が反応してくれていた。この前デモのことを投稿したときもだけどフォロワーがまあまあ減って、でもまた増えていた。
スーパーからの帰り、自転車漕ぎながら、今年めちゃくちゃだよと思った。なんなんだ。なんで薬飲んでカウンセリング通うことになっちゃったんだろう。なんで毎日子どもの遺体。内臓が瓦礫に飛び散っていて、千切れて、顔の肉が剥がれた赤ちゃん、抱えて病院に駆け込んで、玄関、の奥の左側の白いドア、を足で押し開けて入っていく暗い部屋。床の上で治療。白いタイルが赤くて真っ黒で冷たい。冷たい灰色の顔。白い布に包まれた双子の子どもの手を額に当てて泣く女性。ビール飲みながらシチューつくって濃い黄色とにんじんのオレンジ色、ほうれん草の濃い緑、食べてかぼちゃとろとろで「ほっとしておいしい」いま、この前余らせて冷凍していたブロッコリーをシチューに入れ忘れたことに気づく。部屋を片付けて風呂入る。
《COOK》かぼちゃとにんじんと鶏肉のシチュー
・かぼちゃ 半玉 小さめ角切り
・にんじん 一本 小さめ角切り
・鶏もも肉 1パック 小さめ角切り
・ほうれん草 1袋 短冊切り(同時進行で茹でる)
・水 500ml
・コンソメ 小さじ1と1/4くらい
・塩 小さじ1
・ローリエ 2枚
・豆乳 400ml
・米粉 大さじ4
・バター20g
⓪(ほうれん草を茹でるお湯を沸かし始める)
①鶏もも肉を切ったら酒・塩・胡椒で下味つけて、バター10gで焼く。ほどよく火が通ったらお皿に移す
②バター10gでかぼちゃとにんじんを炒める。炒めるというかバターが全体に回って熱くなったらOK
③鶏もも肉を入れて、水・コンソメ・塩・ローリエを入れて強火。沸騰したら弱火にして8分ほど煮る
(この間にほうれん草を洗って1分ほど茹でて、水にさらして絞って短冊切りにしておく)
④豆乳と米粉を混ぜて注ぎ入れる。少し火を強めて6分ほどかき混ぜながら火を通す。とろみが出たら完成。
⑤食べる分だけ茹でたほうれん草を入れて食べる(ほうれん草は冷蔵保存して数日中に食べ切る。朝はお味噌汁の具として)
2023年12月26日
カウンセリング。この一週間は人と過ごす時間を多く作っていたので、相対的に一人で心沈ませる時間が減り、つまりこの沈みについてはなにもしていない(それに進展もしていない)からなにも話すことがないかもしれないと思って不安だった。でも前回のカウンセリング以降、自分に「自分を責める気持ちがある」ということを俯瞰し思えるようになってきたので、自責的な気持ちになっているときも「いま自分を責めている気持ちなんだな」と少し思えるようになった。そしてそれを否定しないということもほんの少し、2%くらいは思えるようになっている。
序盤30分ほどそういった話をし、そのあとはNLPを用いたワーク。催眠療法のなかでもライトなものだそうけど、これがわたしには効果があってびっくりした。自分のなかに、自分の知らない自分を心配してくれて頑張ってくれている味方がいた。泣いたけど、悲しいんじゃなくてほっとして泣いた。
終わった後カウンセラーの先生と、これまで顕在意識が優位すぎたのかもしれないねと話した。自責的な偏りのなかで考え過ぎて堂々巡りしていたようで、そういう場合は無意識・潜在意識への働きかけは効果的かもしれないとのこと。
2023年12月25日
《COOK》海苔
いつも買ってたほどよく安い海苔がなくて、近い値段の海苔を買ったら全然おいしくなくてびっくりした。質感もバサバサで色も薄い。こんなに違うのか。あまりにもおいしくないから海苔として食べず味噌汁にして、ネギとか入れて食べたほうがおいしく食べれそう。
いつも買っていた海苔は安いけど味はおいしかった…もっと高い海苔はどんな風味なのだろう。
2023年12月24日
実はわたしは寂しくはないのかもしれない。
わたしのこの不安は、寂しさからの不安ではなく、自分自身と付き合っていく自信がない、自分への信頼がいまひとつ持てていないことへの不安だと思う。誰かと関係をどうこうする以前に自分のこれをなんとかしないとどうにもならないんじゃないかという恐れから自分に「夢中に」なっているけど、自分を信頼できるようになって(?)、顔を上げたら誰もいないのは寂しいと思う気がする。
2023年12月23日
昨日今日と絵にまったく集中できない。それ以外のことはぼちぼちやっている。絵だけが遅れている。もう12月は諦めかけている。諦めて、ちょっとやるくらいの気持ちを心がけている。
昨日は調子悪く寝付けず、寝たと思ったら今一番そうなってほしい夢を見て、こんなの見ちゃったらもうどうすりゃいいのよという気持ちで昼近くに起床。家事をして水元公園にユニさんの「陶器の展示と販売」に行った。水元公園、こんないいところがあったなんて。そのあと神楽坂に行ってベローチェで少し作業して我喜屋さんの展示最終日へ。SAさんに会えたのが本当に嬉しかった。ほんとうにほんとうに、気持ちが込み上げて何も言えなかった。先にSAさん達は帰られて、そのあと打ち上げのカラオケに誘われたけどまだ心が動揺していて「すぐ帰ります」と言ったけど、結局カラオケもとても良い時間で、しっかり数時間過ごして帰った。また新しい楽しいことを経験「してしまった」と思った。更新された。「もう終わりだ」と思ったら新しい幸せなことがおきる。これから先、生きていくと、これからまたこんなふうに楽しい時間を重ねられるのだろうか。それをどう受け止めたらいいのだろう。なぜそのままに受け止められないのだろう。なぜいろんなことに負い目を抱いてしまうのだろう。
今日は4年前くらいにユニクロで買ったキャメルのコーデュロイのパンツを履いていたのだけど、カラオケに遅れて合流したHさんも同じ色のコーデュロイのパンツを履いていた。
ちょうど隣同士に座って、Hさんのパンツはわたしのよりも目が細くて上品に見えたので、どこかのよいブランドのものかなと思ったら、先にHさんが「同じですね」と声をかけてくれて「僕のユニクロなんですけどね」と言うからびっくりした。Hさんからはわたしのパンツが良い感じに見えたらしく、反対隣のYさんからもコーディネートを褒められて、もともと自分の着こなしは自分で満足していたけど、そんなに人から褒められるものでもないと思ってたから、思いがけずうれしかった。今日着ていた古着のスウェットはSさんはあまり好きではないようだったけど、当然ながら好きだと思ってくれる人もいるという当たり前のことを体験した。そういうことが最近多い。職場のトイレの全身鏡で見る自分のスタイリングは結構毎回満足しているんだけど、それは最高なことじゃないか。
2023年12月22日
薬を飲む時間が遅いのか、足元に敷いている電気毛布が暑いのか、昨日も今日もうまく寝れず下半身汗びっしょりで起きる。うまく寝られなくて何度も目が覚めて、でも寝たいのでしぶとく寝ようとして結局11時くらいに起きる。そこから洗濯などしてあっというまに午後に突入し。。
2023年12月21日
昨夜イスラエル大使館に送ったFAXをInstagramのストーリーに載せた。わたしにとってかなり勇気がいることで、ほんとうに小心者だなあと思った。けれど昨日は「どう思われてもいい」と思い、投稿した。こういうことを大切にして行動して生きたいという意思表明。自分で決める、その決定に責任を持つ。ふと、バウンダリーが少し厚くなったように感じた。こうして育てていくものなのかもしれない。翌朝たくさんのハートが返ってきて、それはとても嬉しかった。
2023年12月20日
初回2時間のカウンセリング。一週間前に受診したときは悲しみへの重い扉がぱっかり開いていて、自責の風が吹き荒れてつらい気持ちだったが、この一週間で扉は閉じた。いまは無風なので直接の痛みは感じないが、扉の向こうでは轟々と吹き荒んでいるのがわかるし、時間が経つだけで扉の向こうの問題は何一つ進展していないということに心が重い日々だった。自力で扉を開ける力もなく、ただ聞こえてくる風の音に憂鬱になっている。自分だけじゃどうにもできないとはっきり思う。自分の問題に無気力になっている、ということくらいしか話せないかもしれないと思っていたけれど、2時間のあいだに数珠つなぎでどんどんいろんなことを思い出し、めちゃめちゃ話した。あっという間に1時間経ち、次に時計を見たら(時計がわたしの背面にあるので、カウンセラーからは見えるがわたしは振り返らないと見えない)残り15分だった。
都心に出てるからデモにも行ってみようと思っていたけど、寝不足と疲労でちょっと気持ちが向かなくなっていた。とりあえずお昼ご飯食べて休憩して考えようと思ってスワンベーカリー(障がい者の自立と社会参加を支援している会社が運営しているパン屋)のイートインで食べて、テラス席しか空いておらず寒かったので食べ終わったらドトールに移動して、持ってきたMacBookでカウンセリングの記録も兼ねて日記を書いた。2時間ほどいたけどとにかく猛烈に眠くてやっぱり帰ろうと駅まで歩いたけど、でも今日みたいなタイミングの良い日は無いと思い直し、引き返して麹町まで行く。麹町のベローチェでイスラエル大使宛の要請文を書いたけど、どうやら門の下に滑り込ませる渡し方らしく、読んでもらえなかったらいやなのでファミリーマートのFAXで大使館宛に送った。大使館のほうに歩いて行くと向かいの歩道の方でデモをしていて、遠目で見たらちょっと怖く感じてしまったけど近くに行こうと横断歩道を渡って近付いたらOさんがいたのでほっとした。なにも持って来ていないわたしにOさんがA4サイズのプラカードを貸してくれた。大使館に渡す要請文をそこでも書かせてもらえることになって、紙をもらって隣の人にペンを借りて書いた。(英文で書いたが、あとから簡単な単語の綴りを間違えたことに気付く)
1時間半くらい声を上げた。帰る頃には身体が冷えて腰も痛くてへろへろな自分が恥ずかしくなった。もっとできることをしたい。それはデモとはまた違う形かもしれないとも思った。でも行けるときはデモにも行こうと思う。
2023年12月19日
ここ数日はぼーっとしているというか無気力な感じがする。過去のことも先のこともあまり考えられない。考えてひどく落ち込むことは最近ないけれど、でもそのままでは何も変わらないわけで、問題を先延ばしにしているだけなので、生きているけど停止している感じ。やること(仕事のメール返したり、対談テキストを添削したり、パソコンでやる作業など)はやるけど、やりたいはずの制作があまり進められない。後回しにしてしまう。
昨日から急に寒くなった。
《COOK》かぼちゃ小豆
からだのむくみを感じ、そして甘いものが食べたい欲もとまらないので久々につくる。いろいろ排出&食欲調整。ほっとする甘さ。
《COOK》ナスと梅干しの炊き込みご飯
河原さんのレシピで美味しそうだったので作ったけれど、わたしは物足りなかったかも…ナスの食感はおいしいが、味は無味に近かった…。河原さんの使ったナス、つやつやで美味しそうだったな…もしかして素材の差なのか?炊飯器だから?塩を抑えて梅干しを少し増やすといいのかな?オリーブオイルを入れてもいいのかも?
《COOK》ほうれん草と油揚げの味噌汁 の下準備
ほうれん草を茹でて切って冷蔵保存、長ネギも輪切りにして冷蔵保存、油揚げは大きめに切ってタッパーに入れて冷凍保存。作るときは一人分の水に鰹粉小さじ1と油揚げ入れて沸騰させ、ほうれん草と長ネギ入れて味噌溶いて火を通して完成。この下準備で数日間は毎朝一瞬で味噌汁ができます。
2023年12月18日
元同僚と晩御飯を食べにいった。お店がちょっと寒かった。最後に頼んだ温かい紅茶がとてもおいしかった。お互い2杯ずつ飲んだ。
2023年12月17日
日中ほんの少し心が落ち着いている感じのする時間があった。制作をしていた。
夜、駒込倉庫のトークイベントに行ったらMさんとRさんに会えて嬉しかった。Rさんにはなぜか緊張してしまう。Rさんを前にすると、Rさんが親戚のかっこいいお兄さんで、わたしは小学生くらいの鼻水垂らした子供のような、まごまごした気持ちになる。子供の自分とは違う、大人のお兄さんお姉さんの世界で生きていて、だけどおじさんおばさんよりは歳が近いといえば近いのでその分の親しみは抱くけど、みたいな。
予備校のときのT先生にもほんの少し近いものを感じるけど、Tさんは先生という役割的にこちらの世界に降りてきてくれるから、親しみと信頼を抱いて甘えていたと思う。それは女子校だったことで男性との関わりがほとんどなかった当時の自分には恋にも重なりそうな感情だったが、いま振り返ればあれは恋ではなく憧れ。
意識と意識のあいだのことが起きているような気がする。
2023年12月16日
岡真里さんの「緊急学習会 ガザとはなにか」講演動画を聴きながら制作をする。ガザのこと自分のこと頭のなかでぐるぐるしていてて集中しているとは言えない時間を過ごす。机の前に座っていられない気持ちで座り続ける。朝昼兼用の玄米を食べ過ぎて途中で猛烈に眠くなり、気がついたら和室で横になっていたけど、椅子に座ってしばらく寝てから和室で横になったのか、和室で横になってしばらく寝たのかがわからない。
起きている間は頭の中を石のようなものがびゅんびゅん回っている。重いそれが回ってしまうくらいの速度。速すぎてなにがぐるぐるしているのか見えない。ステッカーの図案と自分の作品を交互にちょっとずつ進める。片方が行き詰まったらもう片方を進める、その繰り返し。時間をおくとまた閃きがあって手を加えるけど、思ったほどの進展がない。
2023年12月14日
よく寝たからか、久々に日中頭がすっきりしていた。
《COOK》レンズ豆とほうれん草と大根のカレースープ
まったくおいしくない料理を作ってしまった。びっくりした。冷めるとますます気持ち悪くて食べれない。久々にはっきりと失敗した。
まずブレンダーでペーストにしたほうれん草と賽の目切りした大根の相性が悪かった。大根で水っぽくなり、ほうれん草がいやな目立ち方をする。せめてバターは入れて、少しでもベーコンを入れるべきだった。忘れてたけどにんにくやしょうがもすりおろして入れたら味の形がしっかりすると思う。大根ですべての具材がぼんやり離れてしまった。寝かせたらおいしくなるだろうか…期待できない。それか明日、追加でベーコンかソーセージを入れて煮込むか、大根をちまちま取り除くか。
弟から譲ってもらったブレンダーを今日初めて使ったのだけど、ブレンダーに申し訳なく思ってしまった。
2023年12月13日
予約した心療内科に行った。カウンセリングを併設していて、当初は投薬のみのつもりだったけど、全体的に安心感があったのでカウンセリングもここで受けてみることにした。処方もとても慎重にしてもらった。
診察前に2種類の心理テストと、カウンセラーと45分くらい話す時間があり、前回のカウンセリングでダメージを受けてしまったことを話したら、ここのカウンセリングではつらくなってもそのままでは帰らせず、そのカバーもし、最終的に来る前よりもすっきり前向きな気持ちになって帰れるようにするまでがセットという考え方で行っていると教えてくれた。
あとやっぱりカウンセリングだけでどうこうするのはハードルが高いという意見も。そもそもカウンセリングを受けられる土台を整える必要があり、そこで薬の力を借りるのはなにも悪くない。脳内の伝達物質の減少が見受けられるならそれを増加させる薬によって、本人のアンコントロールな感情の揺れが起こらないようにしていく。もちろん種類や量などは医者とカウンセラー、本人とで都度状態を確認しながら慎重に決めていく必要はあるけど、薬だからといって忌避してしまうのはもったいない。
自分はなんとなくいままで「精神」「心」に対して触れてはいけないようなイメージを持っていたけど、思い込みだったなあと思う。カウンセラーとも「小学生の頃に心理学を学べたら、子供の頃から人間関係を客観的に捉える術を身につけ、いろんなトラブルが少なくなるんじゃないかなあ」という話になった。ほんとにそう思う。両親や友人との関係でなにか違和感があったとき、その仕組みが少しでもわかれば行動は変わってくるのではないか。自分を大切にし、他者も大切にするためには、他者とどのような関係を築いていく必要があるか。特にバウンダリーについては子供の頃から本当に心身に染み込ませたほうがいいと思う。家族とも、親しい友人との間にもバウンダリーがあるということ。そこから性教育にも自然と繋げられるんじゃないか。
今日担当してくださったカウンセラーの女性は優しくてチャーミングで、自分のことを話してくれたり(自分の弱みを先に提示することで、相手を安心させるという話もカウンセラーとしたなあと思い出した)素敵な人だった。男性のカウンセラーに抵抗を感じていること自体が良くないと思っていたけど、今回やっぱり同性のほうが話しやすいと思ったし、そこで無理しないほうがいいかもしれないと思った。
自分の意思で離婚を選択できたことは良かったと思うんですと言ったらすごく褒めてくれたし、最近自分で認知の歪みが生じていると思った事象についても話したら、「その違和感に気付けているということはすごく良いことですよ」とこれも褒めてくれた。「こんなことで褒められて恥ずかしい」という気持ちと、褒められて嬉しいという気持ちのどちらもある。
最近の過食の話も少しした。これからちょっと落ち着くといいのだけど、といいながら今日は心療内科の前後にカフェに行き(最近外に長時間いるのが疲れるのか、カフェを挟んで落ち着かないと家に帰れない)、そのあとご飯も食べてしまって、まあまあ散財。
はやくいまの不調を乗り越えたい。ほんとうに元気になってちゃんと自立したい。いつまでも自分のことでうじうじ留まり続けたくない。薬が効き始めるのが2週間~4週間以降からだそうだ。うう、それまで大丈夫でいられるだろうか、いろんなことが待ってくれない。はやく大丈夫になりたい。うまく効いてほしい。
2023年12月12日
昨夜ジョジョラビット観た。スカーレット・ヨハンソンはアベンジャーズのブラックウィドウにも強く憧れたけど、今回もスカーレット・ヨハンソンの演じるロージー・ベッツラーにははっきりと心を掴まれた。ロージーにわたしも母のように抱きしめられたい、守られたい、愛されたい。一緒にベッドに入って、見守られ、お腹をぽんぽんしてもらいながら安心して寝たい。でもそれはだめだとわかっている。ロージー・ベッツラーもそんなことを望んでいない。自分がロージー・ベッツラーにならないといけない。ジョジョを愛し、靴紐が結べないならば結んであげて、エルサを守り、信念を持ち、虐げられている人々のために粘り強く闘い、おしゃれを楽しみ、常にユーモアを忘れず、目の前にいる大切な人をダンスに誘い、乗り気でないその人を誘い、音楽をかけ、ステップを踏み、抱き合って、二人で踊り、ぐるぐると、ターンする、身体を揺らす、二人で揺らす、踊る、踊る、踊る、
翌日、スカーレット・ヨハンソンについて検索したら、2014年にイスラエルに本社があるソーダストリームのコマーシャルに出演し、それによって人道支援団体の大使を辞任したことを知る。最近の情報は出てこないので、スカーレット・ヨハンソンがいまのパレスチナで行われている虐殺について、どう考えているのかはわからない。
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《自分の思い込み、思考の癖を「治さなければ」わたしは「過ち」を繰り返して「幸せ」になれない。》という思考で硬直している。いまのままでは「幸せ」になれないと、わたし自身がわたしを打ち消してしまう。過ちを犯している間はそれが「幸せ」だと錯覚し、自分を傷つけながら延命する。そしてその錯覚から覚めたら荒野。穴だらけ。自分を見ると輪郭は崩れてべちゃべちゃ。ひとの形に戻るにはどうしたらいいのか。親密な関係って?自分を「やりすごして」死んでいくのか?なんでこんなふうになっているのだろう。地盤は崩れ、過去は消え、この先も見えない。なんとかやりすごしているが、やりすごすことにも疲れた。やりすごすことも「錯覚」のようなもので、それにもう一人の自分が気付いている。「錯覚」している自分と、それを冷めた目で見ている自分がいる。距離が離れていく。分裂してしまう。まず最低限の自分のかたちの輪郭を取り戻し、それからほどよい弾力のある、厚みのある輪郭にしていきたいと思っていた。でもこの考え方もなんだかしっくりこなくなってきた。
とにかく自分が自分であることを大丈夫だと思いたいだけなのだけど、なぜこんなに難しいのか。
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2週間ごとのカウンセリングだけじゃどうにもならない気持ちになっていて、毎日なにかに「耐える」ことで精一杯で、「気の抜けなさ」を感じている。なにもしてないのに頭だけがフル回転で疲れている。アルバイトには行けてるけど、頭が疲れていて前よりも呂律が回らないことが多くなってきている。アルバイトがない日、絵を描きたいのに考えてたらもう夜になる。疲れて終わる。頑張って映画を観て、楽しかったけど頑張って遂行した、という疲労。
薬はこわい印象があってなんとなく選択肢から除外してたけど、別に怖がることはないよなと思った。肌だって薬を飲んで治療したし。頭痛薬飲んでるし。
少し前に知り合いに用事がありメッセージを送り、話のついでに最近少し調子が悪いことも伝えた。その方も長いことメンタル不調と付き合っていて、薬は自分に合う種類や量を見つけるのは大変だけど、見つけたら命綱になりますよ。お医者さんに相談してみるといいですよとのことだった。
近場の心療内科をいくつか探して予約しようとしたら、どこも初診は年内予約がいっぱいで受け付けていないとのことだった。自分が通ってた評判の良い皮膚科も1~2週間先では取れたけど、比じゃない。世の中に心が弱っている人がこんなにたくさんいることに不安になってしまった。この社会、この国…
ようやく見つけたクリニックも、行く途中の電車内でそのクリニックのWebサイトをあらためて見ていたら院長の経歴が載っていなかった。クローズドで不穏な空気を感じてキャンセルし、そのまま電車内で他のクリニックを探した。結局ほどよく空きがあり、心療内科とカウンセリングどちらもあり、全員ちゃんと経歴を載せていて、カウンセリングの料金もちゃんと提示しているところを見つけて予約した。今日の予定がなくなってもなにか展示を見て帰ったりする気も起きず、電車を降りる気も起きず、意味もなく終点まで乗った。そして復路、このままでは悲しい日になってしまうと思い、最寄り駅の一駅前で降りて本でも読もうとカフェに入った。そこで財布を持ってきていないことに気付き、カフェはモバイルSuicaで支払ったけど、保険証もお金も持たず何しに行こうとしてたんだろうと自分に引いた。
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食べるよりも排泄後に漂う臭いを感じる時のほうが生きてる感じがする。
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深夜ちょっとだけ制作できた。コラージュ。
《COOK》焼き鳥(胸肉、ネギ、にんにく)
火が強すぎたのか、前作ったときよりもパサパサになってちょっといまいちだった
《COOK》大根のみぞれスープ 植木もも子さんの「ひとり暮らしのおかずになるスープ」掲載レシピ
お腹も心も落ち着く 一生食べる気がする
2023年12月10日
悪夢。母にMさんの作品がいかに面白いかを説明するも、夢の中の母は赤の他人のような反応で全く取り合ってもらえない。母の容姿をしていて、わたしを産んだあの母に違いないのだけど、母としての親しみがほとんど感じられず、迷惑だという反応で去ろうとするので、わたしはどうしてわかってくれないのかと混乱している。自分の大切にしていることがまったく伝わらない。あんなに冷たい顔の母は見たことがない。
そのあとSさんも出てきた。Sさんは夢の中では少し距離が近かった。
うまく寝れない日が続くと不安になる。昨夜Lさんとご飯を食べた後に遅い時間にコーヒーを飲んだのはよくなかったかもしれない。しばらく夕方以降のコーヒーは飲まない。お酒もしばらく家では飲んでないけど、引き続き飲まない。そしてちょっと痩せたい。
《COOK》まるごとピーマン、干しエビ、大豆の炊き込みご飯
・ピーマン 小4つ 種とって丸ごと
・干しエビ 袋半分(10gくらい?)
・大豆の水煮 1パック
・玄米 2合
・酒 大さじ1
・塩 小さじ1
・オリーブオイル 大さじ1
・水(玄米なので気持ち2合目よりも多めに入れた)
河原希美さんの「丸ごとピーマンの炊き込みごはん」レシピを参考に、じゃこがなかったので干しエビで、最近ハマっている大豆の水煮を加えて。
玄米洗って調味料と水と干しエビ入れて軽く混ぜて、大豆とピーマンのせて炊く。炊き上がったらピーマンをしゃもじでほぐして完成。
玄米にじっくり水を吸わせたかった&干しエビの出汁を出したかったので浸水時間長めにとったら、しっかり干しエビの味が出た!くたくたのピーマンとムチッとした大豆がおいしい、じんわりと滋味深い味。塩も小さじ1がちょうどいい。オリーブオイルも効いている。見た目は地味だが素晴らしい一品。
2023年12月9日
昨日めちゃくちゃ飲んで食べて顔がぱんぱん。むくみどころではなく、太ったことを認めざるを得ない。しかし肌はつるつる。
Lさんの展示を見に田端に行き、久々にご飯も食べた。Lさんが日暮里の焼き鳥屋さんを予約してくれていた。予約しないと入れなかっただろう混み具合で、焼鳥も他の料理もとっても美味しくて、安くて、また誰かを連れて行きたい。そのあとお茶もしてたっぷり話した。
Lさんに、とても調子が良くみえると言われてびっくりした。若返った感じがするとも言われたが、それは多分太ってムチムチしてるからではないかな…。確かに一時期混乱していたご飯もいまはおいしく感じるし、料理も楽しいし、絵も描いてるし、家も整理整頓が楽しくてかなりすっきりしたし、とてもいい感じだ。しかし一方の自分はゆっくり暗い穴に落ち続けている。悪夢を引きずって現実との境目が曖昧になっている(まだ先日見た夢から、わたしは人を殺したことがあるんじゃないかという後ろめたさを抱えている)。自分の頭がおかしくなっているのを感じるし、それに自分ひとりで抗う元気が足りないのも感じる。元気なわたしと頭がおかしくなってるわたし、二人がわたしのなかにいて、分裂しかけている。
Lさんと話していると、確かに自分は「いつもの調子」で、それは暗い穴に目を向けていないから。相手、Lさんを見てるから。なぜSさんに対してだとこうできないんだろう。Sさんの気持ちを感知できない。Sさんをどっぷりと心の中にいれてしまっているのだと思う。Sさんは友人以上にもう遠い人だということを自分に分からせたい。
友人との「いつも通り」の楽しい時間を過ごしたことが幸せで、このまま暗い穴を無いものだと思いたかった。しかし穴はあるので、一瞬避けても次に気を緩めたら落ちてしまう。埋めなければほんとうには元気になれない。積み重ねられない。
2023年12月8日
夢。どうやら昔、自分はOさんKEさんHさんKBさんと、50代くらいの男性の住む屋敷に侵入し、部屋の中に証拠を残さないよう注意しながらその男性を殺し、その屋敷の庭に埋めたらしい。男性は建築家かなにかそういう職業で、私たちとの関わりまでは思い出せない。知らない人で、実際には存在しない人と屋敷。
夢の中のわたしは殺したことをすっかり忘れていて、最近その屋敷がいまInstagramで素敵なレンタルスペースとして少し注目を浴びていることを見つけて思い出した。そしてその屋敷がもうすぐ解体されるらしく、埋めた死体が掘り返されてしまうんじゃないかと思い、自首をすべきか悩んでいる。しかし、自分がどのように殺害に加担したのか、具体的な部分がよく思い出せなくて、それは「自分は殺してない」と思いたいからなのかもしれない。床に転がるその男性の後頭部を何かで殴った様な気もしないでもない。
なんで、他のみんなはひょうひょうと生きれているんだろう。わたしは人を殺したことを隠したまま生きれない。というところで目が覚めたが、しばらく夢と現実の区別がつかず、絶対にそんな経験はないのに、ほんとうに自分は忘れているだけなんじゃないか、ほんとうは人を殺してのうのうと生きているのではという気持ちが拭えない。さらに数時間ほど半覚醒のような感じで寝続けて、やっとあれは悪夢だと思えるようになったが、まだ引きずっている。
足元に電気毛布を敷いて寝ると、ずっとあったかすぎて体温調節が効かず、反対にうまく熟睡できなくて悪夢を見ている気がする。
2023年12月7日
わりと寝たのに、若干寝坊したくらいなのに、日中ずっと眠い。仕事はできるけど頭が二つあるというか、意識が二つ浮いている感じ。暗い穴に転がり始めている。昨日のカウンセリングの振り返りをしたいのに進められない。
2023年12月6日
混乱。頭がボーッとして、眼鏡を忘れて視界もぼやけていて、帰り道にマクドナルドでグラコロバーガーセット食べた。マクドナルドボイコットしてたのに。グラコロバーガーめちゃくちゃまずかった。齧ったグラタンコロッケの断面を見たら完全にグルーガンの溶けたやつだった。食べ物じゃなかった。グラタン味のゲル。気持ち悪い。最悪の未来の食べ物の姿。自傷的にコーヒーと三角チョコパイも食べた。おいしいと思ってない。胃を気持ち悪くさせ、いつのまにか帰宅していた。夜も肉がぐちゃぐちゃに盛られた弁当を食べようと買いに行ったら店が閉まっていて、家で納豆ご飯と、ほうれん草と生揚げの味噌汁を作って食べた。半日かけて未整理のまま部屋の隅に直置きしていた雑貨や昔のラフスケッチなどを整理し、収納ケースに貼る品目を書いたシールも作って貼った。誰。
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カウンセリング。
前回のカウンセリングが終わってから、だんだんカウンセラーの先生が「男性」ということに抵抗感が生まれてきてしまい、話せないかもと思ってしまった。先生からなにも悪いことをされていないのに、この2回でもとても助けられたのに。
始める前に、トラウマケアに興味があることと、自分で探した他のカウンセリングルーム(女性のカウンセラーが在籍していて場所と金銭的にも通えそうでいろんな療法をやっているところ)へ移りたい気持ちになっていることを伝えようと思ったけど、カウンセリングが始まると過去2回で話題に上らなかった(私自身があまり気に留めてなかった)範囲に道ができて、もう少しこの人に話してみたいかもしれないと思った。というか思っていたよりも自分の精神的な問題の根が深くて、一から他のカウンセラーに話す気力が起きない。
今日は言えなかったけど、ここで女性のカウンセラーに変えるのはそれこそトラウマから目を逸らしている気もした。女性に変えることで良い方向に変わるどころか、また自分の歪んだ思い込みによる選択の体験を増やしてしまうだけだと思った。このことも含めて今度伝えてみればいいのか。
EMDRについても説明してもらったけど、わたしのような場合にはあまり向かないとのことだった。頼みの綱が切れたような気持ちになった。そして、「わたしのトラウマになっている出来事はもうどうしたって乗り越えられない。何度考えてもどうしても自責の気持ちに終結する」「捉え方を変えるなんて無理なんじゃないかと思っています」と伝えて泣いてしまった。この前もちょっと涙が出たけどオンラインなので気付かれていないと思うが、今日は声が詰まってはっきり泣いてしまった。
泣き出すクライエントもまあ普通にいるだろうから、恥ずかしがらなくても良いのだよなと思いつつ、でも「また」泣いてるじゃんという情けなさもあり、でもカウンセラーはそうしていい相手なのだから構わないんだと、むしろ泣いてはいけないと自分を抑圧する方が良くないんだと、このことでも頭のなかで押し問答がある。
最近はトラウマになっている出来事を思い出すことで他の嫌な記憶も数珠繋ぎで思い出される日々で疲れた。心臓がどくどくする。
とくに最悪な思い出しは、過去に親密な関係の人から「殺される」と思ったことがあったこと。自分でもわけがわからないし、実際には全く殺されそうになってないし、殺す理由も殺される理由もないはずなのだけど、そう思ってしまった。過去二人に対してこういった気持ちを抱き、いまも一人はどこかでそうなんじゃないかと思ってしまっている。こんなこと思い出したくなかった。でも、いまそれに向き合わないとまたつらいことを繰り返してしてしまう。それだけはいやだ。
先生はカウンセリングによって「部分的育て直し」をしていきましょう、大丈夫、変えられますと言っていた。人格形成は幼少期の体験で多くは決定づけられるが、時間はかかるけど根気よく向き合えば、後から変えられることはできると。ほんとうにできるんだろうか。怪訝そうなわたしに対して、先生は「いままでと全然違うタイプの人を好きになったりするんですよ」とも言ってはくれたが、全くもって想像ができない。
あとは愛着、愛着スタイル、内的作業モデルの話。あまり振り返られていないのでまた今度に。ちょうど最近聴いているきえはる心理ラジオも次の回が愛着についてだった。
カウンセリング、また2週間先にしたけど1週間後にすればよかった。
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自分がいまどこにいるのかわからない。「ここ」にいるために必要ななにかを失ってしまったから、「ここ」と呼べない。「ここ」がないから「あっち」も「こっち」もない。ここがどこか教えてほしい。
せめてもという気持ちで日記を書いている気がする。それを公開することで、内と外とで視線を足元に集め、「ここかな?」と確認しているんだと思う。
2023年12月5日
発作のように泣く。××のことで「××」と思ったことを、なぜ××さんの前で思い出したのだろう。終わりだと思った。××のことを乗り越えられなければ自分は××しまうかもしれない。生きてても囚われる。人と親密で良好な関係を作れず××。
《制作》二人の絵ほぼ完成。時間はかかったが当初考えていたものよりもかなり良くなった。
2023年12月3日
《COOK》白菜と落とし卵の中華スープ
・白菜 好きなだけ (細く切って冷凍してた)
・卵 1個
・水200ml
・顆粒鶏がらスープ 小1
・豆豉 小2くらい 面倒だったので刻まずそのまま
・ごま油 ちょろり
小鍋に水、白菜、豆豉、顆粒鶏がらスープ入れて煮る。白菜がくたくたになったら、卵を小さい器に入れて、卵黄の膜を箸でちょんと破ってそのままレンジで40秒。それをスープにゆっくり入れて、もう一煮立ちさせて完成。仕上げにごま油をちょろり。白胡麻とかもパラっと。豆豉があるだけで一気に本格的な味、大好き。
《COOK》切り昆布と干し海老と大豆の炊き込みご飯
・切り昆布 トレー残り半分 キッチンバサミでちょっと切る
・干し海老 バサーっと
・蒸し大豆 一パック
・酒 大1
・みりん 大1
・しょうゆ 大1
・鰹粉 小2
・米 1.5合
・大麦 0.5合
米+大麦に調味料入れて、2.5合目くらいまで水入れて(大麦入れてなければ2合目まで)、具材入れて炊飯。
炊き立てよりも冷凍して翌日食べたほうが味が馴染んで大豆もムチムチした食感で美味しいと思う。明日のお弁当に。寒くなってきて炊き込みご飯ブームきてる。
2023年12月2日
夢。どこかの蔦屋書店のギャラリースペース(だけど六本木美術館のような高層階にあって外の景色が見れる一角のようなスペース)でグループ展をやることになった。参加者はTKさん、TMさん、わたし、あともう何人かいるみたい。
外のデッキには建築模型のような小さなオブジェが展示されていた。喫煙スペースと喫煙スペースまでの長い通路の部分を表したオブジェで、夢の中では××ということになってるが、実際の××はそんな場所はない。そして喫煙スペースの一角は20㎠くらいのガラスの箱で表現している。TMさんはその喫煙スペースに思い入れがあるようで、購入を悩んでいた。価格は18万。
いつのまにかTKさんもいて、三人でお茶をしている。TKさんとTMさんは夢の中では二人とも結婚していて、パートナーとの生活のお金のやりくりについて話していた。例えばどかっと大きな収入があったときは多めに負担するとか言ってた。
今度の展示について、TMさんが「50号は小さいんだなと思った」とアンケート用紙?に書いていて、わたしには50号は大きいので「おぉ」と思った。自分はどんな展示にしようと考えると、いま描いている小さな絵のシリーズじゃないと展示までに用意できないと思った。でもあの作品は個展のために描いてるから、なんだかここで出すのはもったいない気もしてしまう。かといってグループ展用にまた描くなんてことできるだろうか。そしていま自分は「大きい絵を描かなきゃ」と思ったけど、なんで大きい絵じゃないとだめなの?いいじゃん、小さい絵でも。堀尾昭子を思い出せば…くらいでもう覚醒していてじわじわと夢から覚めた。そのまま布団の中でメモ。
2023年12月1日
きえはるラジオはリスナーから届くメールを「お悩み相談」じゃなくて「質問回答」として受け取っているのがいいなと思った。寄り添うとは違うけど「応援してます」は本当。
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今日は映画の日で鑑賞料金が一律1,000円だと知り、勤務後に「首」観た。映画の前にサイゼリヤで豆の温かいサラダ、タラコとエビのドリア、ティラミス食べた。隣のテーブルに父母とまだ子供用の補助イスを使うくらいの歳の子供の3人が食べていて、わたしより先に食事を済ませて帰っていったのでふとテーブルのほうを見たら食器のなかにノンアルコールビールの缶が1缶と、ワイングラスが1つあった。置いてある場所から考えると父親がノンアルコール、母親がグラスワインを飲んでいる。それを見て、わたしがだれかと車でどこかに行って、たとえばわたしが運転して相手だけお酒を飲むというシチュエーションになったらわたしはどんな気持ちになるだろうかと思った。多分全然気にしないから飲みなよと言うと思う。おいしいご飯に少しお酒の楽しみも添えて、くらいなら楽しんでほしいと思うが、何杯も飲んで、わたしを「しらふ」に置いてけぼりにするように酔っ払ったら嫌だと思う、というようなことを考えた。
2023年11月29日
婦人科に行きピルを変えてもらう。
そのあと謎の胃痛。食中~食後にみぞおちが痛くてそろりそろり過ごす。
絵は左側を描き直し。描き直してとてもよくなった。
《COOK》切り昆布と大豆の炊き込みご飯
米にB入れて混ぜる。2合の目盛まで水を加える。A加えて普通に炊く。
Bの分量はこれだとあっさりな仕上がりで、おかずと一緒に食べるのにはいい感じ。もっとしっかりさせたければ塩小さじ1/2~1?いれてもいいかもと思った。
・米1.5合、押麦0.5合
A・切り昆布 トレー半分くらい 刻む
・大豆水煮 1パック
・にんじん 1本 銀杏切り
・乾燥しいたけ 2つ
B・しいたけの戻し汁
・酒 大さじ1
・しょうゆ 大さじ1
・みりん 大さじ1
・鰹粉 小さじ1
《COOK》焼きバナナ
半額のバナナを食べて胃が痛くなったのはバナナが腐ってたからか、こちら側の体調の問題かわからない。
いまはバナナの生食が合わないのかなとも思って、トースターで焼いてあったかくてとろとろさせて食べてる。実家にいた頃からやっている食べ方。
2023年11月28日
一昨日の帰り道、踏切越えたあたり、街灯がなくて暗く落ちている細い歩道を歩きながら、この前開けたピアスホールが安定していく仕組みと、いまの自分の心への働きかけがぴったり重なった。
身体を貫通しているチタン製のニードルは、毎日お風呂でお湯を当てながら前後に動かして清潔にする。その時以外、普段は回したり動かしてはいけない。ニードルが皮膚を支えているような状態。すぐに抜いてはいけなくて、ケアしながら6週間くらいは外さず刺したままにする。皮膚が再生し厚くなってきてやっと取れる。そうしたら他のピアスをつけてもいいけど、初めはフープとか、負担のかかるようなピアスは避けた方がいい。そして3ヶ月~半年くらいは頻繁につけ外しすると皮膚を傷つけてしまう可能性があるので、「セカンドピアス」として二つ目のピアスもある程度つけっぱなしのまま過ごしたほうがいいという意見もある。
いま自分の心にニードルを刺してる感じ。ニードルは動かしすぎてもいけないけど、動かさないと癒着しちゃうからすこし動かす。
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午前、先日購入した哲翁祐也さんの作品が届いた。初めて絵を買った。いままでは絵を描くことへのフラジャイルすぎる自意識がへんな邪魔をして買えなかったけど、油絵を描いたことでそれが解れたような気がする。
寝室にしている和室に飾り、作業机からも眺められる。女の子の顔が大きく描かれて、ビデオを回して女の子の顔をズームアップして、フレーミングされているいま、いまがずっとある。買おうと思った時、大きめに描かれた女の子の瞳(偶然黄色と水色のなにかを見ているからだと思うけど、左右それぞれ黄色と水色の色が使われていて猫のオッドアイのようにも見える)からいろんな風景を見られるような気がした。なにかが瞳に写っているように描かれているけれど、それは固定されていなくて、ずっと移り変わり続けているように感じる。今日1日でも、外からの陽の光の入り方が変わるとともに、女の子がいろんなものを見ているような気がする。女の子のぽーんとしている表情に時間を忘れる。
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夕方図書館に返却と、予約していた本を取りに行く。図書館をよく利用するようになったのは、①いまの収入に対して興味のある書籍の数が多く、購入費とのバランスがとれない&他の出費も増えた②本の所有数が増えることに空虚な自信を見出しそう③度重なる引越しの経験からあまり持ち物を増やしたくない、という3つの理由がある。あとなんとなく住んでいるこの町に関わりたい、という気持ちもある。図書館に行って、同じように本を借りたりしている人を見ると安心する。図書館の入っている市民センターの会議室から時間が合えば合唱の歌声が聴こえてきたりするのもいい。
今日は植本一子「愛は時間がかかる」を借りた。トラウマ治療について書かれているとどこかで見て気になった。もちろん植本さんとわたしで経緯も状況も全く違うのだけど、自分とも重なる部分がありそうで読んでみたかった。借りて、その足でベローチェに行って読書。そして読み終える。読めてよかったと思う。でも、一気に読んで少し気持ちが揺れているのでこれ以上は書かないでおく。
ベローチェで珍しくケーキも食べようと思い、ショーケースに並ぶいくつかのケーキからモンブランを選んだら、本の中でも植本さんがモンブランを食べていた。
《COOK》
《朝》フレンチトースト
昨夜米を炊いてないことに気付き、作り置きのレンズ豆のカレー風煮込みにあわせてバゲットを買って帰る。
今朝は包装に印刷されていたフレンチトーストのレシピを参考に、卵と豆乳、はちみつ、バニラオイルとシナモンでつくる。バナナを切って添えて、メープルシロップをかけて食べた。カフェインレスのコーヒーも用意して優雅な気分。
《昼》
・厚揚げと小松菜の味噌汁
仕上げにネギのせたらご飯が炊き上がるまでの数分間でちょうどよく火が通った。胡椒もガリッとかけてスパイシーでいいかんじ。
・納豆(納豆のたれ、からし、黒酢)、ねぎ、半熟卵、玄米
納豆にお酢を入れると少し味が散漫に感じるときがある。さっぱりしつつコクが欲しいときは黒酢を入れる。以前仕事で行った有田焼の窯元で買った小さめのお茶碗にこんもり盛って納豆丼にするのが気に入っている。
《夜》
昼食が遅かったのと、夕方モンブランを食べたし、帰宅したのが21時半でなにかをしっかり食べるには遅い。なので野菜ジュースと、小さめの玄米おにぎり(梅)を作って食べた。最近は作業机で食べるのが気分で、おにぎりは机の脇にちょっと置くのに最適。開けたての海苔がパリパリで香りも強くておいしい。
2023年11月26日
《朝、昼》
昨夜は調子が悪かった。お風呂に浸かりながらいろいろ考えると、メモができないから思いついたことも忘れてしまって、それがストレスで、熱がこもるような息苦しさを覚える。
今週は思ったほど制作が進まなかった。いちいち心の中でため息をついて、ため息疲れしている。現実はほんの少し絵が進んでいるだけ。お決まりの「こんな絵を描いたって、なんにもならないんじゃないか」という気持ちが湧き上がり、反抗するけど今日は特に弱い。
未来の予定の約束をしたり自ら提案することで、ここから「降りない」ようにしている。誰かに会うのも、展示を見るのも必要だけど、いまの自分はそれ以上にいまここでひとりで絵を描くことが必要だと思う。それを避けて外に求めても、本題から目を逸らしているだけ。
カウンセリングがしばらく週一で受けるつもりが予定が合わず2週間先になり不安になってしまっている自分がまずいと思った。それに気付いただけよかったと思うことにする。カウンセリングは換気、そしてルートを見直す場であって、解決する場ではない。ひとりの時間こそ。
《夕方》
一時期の異常な食欲が最近多少落ち着いている。生理が終わろうとするのと関係するだろうか。(ピルを飲むようになってから生理期間が伸びてる気がする。毎回10日間くらいだらだら出血が続くのはなんとかならないんだろうか。今度処方してもらうときに聞いてみる)
わりとコーヒーを頻繁に飲むことを許しているからかもしれない。お肌も調子いいし、もう当分はコーヒーくらいは許すことにした。家でも飲んでいいことにして、おいしいコーヒーを買っちゃおうかな。粉だとはやく飲まないともったいないと思ってしまうから豆で買いたい。そうするとミルが必要…。
《夜》
いまの自分が思っていることを書き出したところ、夕方からだんだんと気持ちが落ち着いてくる。制作も昨日よりは集中できた。
あとSpotifyで「きえはる心理学ラジオ」というポッドキャストを見つけて聴き始めて、とても面白い。ざっくりと心理学の歴史から始まり、第3回で早速リスナーからの相談に回答している。回答がさっぱりしていて、「優しく寄り添うお悩み相談」ではないのがいい。お二人の現在の仕事に至るまでの経緯の話も面白い。
3回まで聴いて、お二人が話していたけど、確かにいま元気になりたいけど別にポジティブな元気を目指さなくていいのだよなあと思った。ニュートラルになりたい。ニュートラルで、ポジティブもネガティブも持っている。それもそれで難しいのだけど…。「ネガティブでもいいじゃん」とあっけらかんと話していて、これまで生きてきて結構聞いてきた言葉だけど、なんだか今日はすごく響いた。
あんなに朝は絶望していたのに、またなにかを「頼りたい」気持ちでいっぱいだったのに、なんとか乗り切り、ここまで調子を戻せた自分が不思議だ。よくやった。いまはカウンセリングも2週間先でちょうどいいと思えている。頭も心も忙しない1日だったな。
《COOK》お弁当
玄米おにぎり1個(梅)つくる。
あとクリーム玄米ブラン1袋、おやつに「和菓子ミックス詰め合わせ」からさつまいも饅頭をひとつ持って行った。「和菓子ミックス詰め合わせ」、2日で食べ切った。
2023年11月25日
「今日、アートにおいて最もスリリングなことは、情報による区別です。どれほど膨大なイメージの資源があろうとその流通技術が発達しようと、イメージはそのままではイメージにはなりません。私は、イメージがそれだけですぐにイメージではないことに拘ります。区別に拘り、頭の中での反芻に拘ります。最初の感情的なショックのあとで、既視感を通して考えるのです。個人が『リアル』に経験したからといって、物事が『真実』になるわけではありません。」そうではなく、観た者をベースにして感情移入すること、描写された状況にいる我が身を想像すること、想像力を活動させることを勧めるのである。「私が目にするもの、それはまだ提供品、可能性、作り物、イメージにすぎないのです。」(P50.51)
「ミリアム・カーン 美しすぎることへの不安」収録
Chapter1 ミリアム・カーン 宣戦布告(カトリーン・ビューラー 著)
わたしの「線」「かたち」の絵は、イメージをある「かたち」に固定させる方法をとっているということ。提供するならば、限定的な固定ではなく、抽象的な固定にすること。シンディ・シャーマンのあの背景がぼやけて人が外に視線を向けている作品のような、「再現」の持つ空虚感=感情移入する隙間になる。抽象化が可能性、人に委ねる、人を誘うということ。
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TABF。今年は出店せずお客さんとして行った。11時半頃行って15時前くらいまでいた。
写真集か画集を1冊だけ買おうと思っていて、結果、Israel Arinoというスペイン出身の写真家の本を買った。「La gravetat del lloc」という写真集。残り2冊だったらしく、お会計していたら隣にいた男性も「僕も買います」と言って売り切れた。モノクロームの、深く沈んでいくような静かな写真。
写真集を買う時はその時の自分の気持ちがはっきり表れる。去年はカラッと晴れた、眩しいくらいの風景の写真集(それも出版社がスペインだったような)を買っていた。画集はあんまり気分に左右されない気がする。その他ちょこちょこ買い物。
いろんな人に会えて嬉しい。けど、油絵や「Homemaking」のことをあまりアピールしていなかったからか、数人から最近活動をしてるのか心配の言葉をかけられて、そう思われてるんだな…と思った。Aさんは最近の料理の投稿を見てくれているみたいでありがたい気持ち。YKさんからはストレートに「活動やめたのか?」と聞かれたけど、すかさず隣にいたYSさんが両手をブンブン振って全力で否定してくれたのがすごく嬉しかった。YSさんもわたしの活動はたぶん見ていないとは思うけど、見てなくても「寺本さんは絶対やめない」と思われていることが嬉しかった。頑張りたいなあと思った。
そして目の前の制作に取り組んでいると忘れかけるけど、わたしもしっかりした作品集を作りたいんだった。自費ではなくどこかから…。東京以外でも展示をしたい。来年の自分はどんな調子だろう。
2023年11月23日
朝。電車に乗りながら、ふと、最近の自分の過剰気味の被害者意識、認知の歪みが起きていたのは今年半年間ほどスナキャバで働いたことも関係しているかもしれないと思った。働いていたことをしばらく忘れていた。女の子達もボーイさんもとても良い人たちで何度も心が救われたけど、お客さんは基本的に全員ナイフを突き刺してくるから、ものすごく心をかたく守ろうとしていた。守っても刺されたが。なぜ性的な話がOKとされるのか?嫌がっても話すのか?お金を払えば断り無しに触っていいと思うのか?自分の娘がそうされていいのか?性的な話以外に「楽しい話」がないのか?性的な話以外の、お互いに楽しいと思える話ができる場としてそういうお店があるほうがよくないか?お金を払ったからといって相手の嫌がることをして、それがほんとうに楽しいことなのか?
考え続けると、もう目の前の一人の男性がどうこうじゃなくてこういう振る舞いが許されている社会、そもそもの教育とか、そういうところに思考が至って、そして絶望する。これまでの人生を大方その認識で過ごしてきた人たちの認識を変えるなんて無理なんじゃないかと思いかけた。98%くらい。100%になる前に辞めた。そう決めてしまったら心に二度と埋められない真っ暗な穴ができてしまいそうだったから。
女の子の嫌がることをせず、女の子を一人の人間として尊重し、対等にコミュニケーションをとろうとしてくれるお客さんはたったの一人だけだった。そのお客さんには女の子もボーイさんも全員が安心していて、来店すると素直に喜んでいた。いろんな話をした。その人のことは、心から出会えてよかったと思っている。
ずっと、どこかで「男の人」を怖いと思っていることを克服したかった。もちろんそれはごく一部の限定的な「男の人」で、子供の頃から少しずつ積み重なってきたもの。癇癪持ちの父から殴られかけたこと。中学か高校の時に、コンビニのコピー機を使っていたら、後ろに並んでいた「複数人」の同じくらいの歳の男の子から「死ねよ」と言われて振り返って言い返せなかったこと、露出狂に遭遇して固まったこと、電車内で座ってたら隣の人に痴漢されてちょっと睨むだけで精一杯で、逃げることしかできなかったこと、駅のエスカレーターで盗撮されて身体が固まったこと。あの逃げる背中。全部覚えてる。全員捕まえたい。アルバイト先でおじさんから「若い女だから」とめちゃくちゃに乱暴な物言いをされたこと、街を歩いていて似たような場面に遭遇したときに「その言い方はないんじゃないですか」と割って入れなかったこと。去年も竹下通りを歩いていたら後ろを歩いていた男子高校生二人組からからかわれ、振り返れなかったこと。
でも、そのためにスナキャバで働くのは違ったかも。スナキャバはこれまでのトラウマ全部を煮詰めたような場所だった。
こういうことを思い出したのも影響したのか、夜に調子を崩し、寝られなくなってこれを書いている。
明日カウンセリングだけど、前回からの一週間がものすごく長く感じる。
2023年11月22日
言葉は「手段」。手段は精査する必要があるということ。何のためにその言葉を選び、発するのか。生卵は生卵のまま渡せないから、相手によって、卵焼きにしたりスクランブルエッグにして食べてもらえるようにする。それが言葉。生卵でも受け入れてもらえる可能性があるのが絵などの表現。もっと相手が喜んでくれるような料理を提供できるようになりたい。
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実家に寄って、お寿司を食べさせてもらって、母の若い頃の話を聞いた。断片的には聞いてたが、今日初めてちゃんと聞いた。
最近のカウンセリングのことは心配させるんじゃないかと思って話さないつもりだったけど話してみた。心配させないように話せばいいと思った。そしたら前に渡した『うつくしき忘却』も読んでくれていたらしく、ぽろっと一言感想をこぼした。わたしの母として、わたしがあのように書いたことへの感想で、それはなんというか、母と私の間には距離があるということがはっきりと表れている一言で、それはわたしがいろいろ話していないからなのだけど、不思議な形ですこしショックを受けた。まったく母は悪くないし、わたしが悪いということでもないのだけど。どうしてこうなってしまったのだろうという。だから今日、ちょっと気持ちの調子が良くないこと、リハビリ中だということを隠さずに話せたことはよかった。ピアスも見せた。
隣で父はご飯を食べてうとうと寝ていたので、帰り際に今度はもっと明るい時間に来るねと伝えた。
白菜の胡麻マヨ和えのレシピ(書いてもらった。濃い水色の紙に)と、冷蔵庫を買い替えたときに貰ったという3000円の商品券と、弟が誰かから貰って使ってないBRUNOのコンパクトブレンダーと一緒に帰宅した。
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どうにかしたい。
2023年11月20日
職場の同僚が産休に入った。産休前最後の出勤でちょうどシフトが被り、日曜は業務も穏やかなので2人でいろいろおしゃべりできた。
少し前からなにかプレゼントしたいなあと考えていて、入浴剤を思いついたけど、臨月になるとお風呂事情も変わってくるのではと気づき、Googleで検索するとやはりそのようだった。あまり長湯もしてはいけないらしい。それもそうだよな…体質も変わったり、成分も人によっては合う合わないがあったり、香りもきつく感じてしまう人もいるらしい。あぶなかった。結局ノンカフェインで香りの穏やかなフレーバーティーとドライフルーツを渡した。
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これから生まれてくる赤ちゃんのことを考える。妊婦さんのことを考えると特別な気持ちになる。それはどこかで自分はそうなれないのではないかという気持ちもあるのかもしれない。妊娠し、産み、子供を育てたい気持ちがないわけではない。でもそれは一人だけで決められることではないし、いろんなことの折り合いをつけないといけないし、身体的に産めるかどうかもわからない。なによりまだ自分自身を子どもに感じる。だから妊娠や出産、子育てが「夢想」どまりなのか。
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連日ガザのひどい状況をラジオやBBCニュース、写真はInstagramでアメリカの写真家のAlessandra Sanguinettiの投稿で見ている。彼女が撮影したかつてのいまよりは「平和」な頃のパレスチナの人々の写真と、今のガザの状況(転載するかたちで)が写真や動画で見れる。病院に担ぎ込まれる様子も、怪我をして血まみれの子供たちの写真も、亡くなった方の写真も見ている。白い布に包まれて、頭部は血が滲み滴っている子供の遺体。背中に木の板を敷いて巻いているのか身体は真っ直ぐに硬直していて、その父親らしき男性が泣きながら子どもの顔をさすってキスをしていた。
昨日読んだニュースでは、燃料不足で電力の供給が止まり新生児は保育器から出さざるを得なくなり、少しでも身体を温めるためにアルミホイルを身体に巻き付けて、周りにはお湯を用意していると書かれていた。アルミホイルと湯。骨折したまま産まれた新生児もいると読んだ。そのあと新生児を抱きしめるヒジャブを被った女性の絵を描いた。
2023年11月19日
《COOK》レタスチャーハン
昨日と今日はお弁当用に朝からレタスチャーハン作った。前日にネギは切ってレタスは千切ってタッパーに入れていたのでさっと作れた。
まず胡麻油でネギを熱して、ネギの香ばしい香りがたったらレタスを入れて、油を纏わせたら溶き卵入れて、ご飯入れてぱらぱらになるように炒める。ほどよくぱらぱらになったら塩振る。
最後にご飯をフライパンの縁に寄せ、真ん中のあいたところに醤油を垂らしてジュワーとさせたあとに混ぜて完成。おにぎりにして海苔半切で巻いた。海苔とチャーハンいいかも。レタスシャキシャキでおいしい。
《COOK》レンズ豆と黒皮かぼちゃと玉ねぎのスープ
黒皮かぼちゃという宮崎産の小ぶりなかぼちゃが売ってたので買った。その場でGoogleで検索したら煮込んでもあまり味が崩れず、口に入れるとほろほろとほどけるとのこと。
圧力鍋に
・レンズ豆 1カップ
・玉ねぎ 1個 みじん切り
・かぼちゃ 半分 角切り
・にんにく 2かけら 包丁の腹で潰す
・具材が浸るくらいの水(3カップくらいだった)
・バター ひとかけら
・塩 小さじ1
・ローリエ 3枚(葉が小さかったから多めに入れた)
・胡椒ガリガリ
入れて4分加圧で自然冷却で完成。
バターとにんにくが効いてる!お肉ないけどバターでコクがある。入れなければあっさりになるけど、寒くなってきたのでこっくり濃くしたい気持ち。 バターは入れなくてもにんにくは絶対に入れたほうがいい。
レンズ豆が予想以上に水分吸ったので、スープというよりレンズ豆煮込み。これはこれでおいしいけど、スープを目指すならレンズ豆1/2カップにするか、もう少し水入れても良さそう。
数日分の晩ご飯に。
2023年11月18日
頭の両サイドの刈り上げ部分。普段はバリカンに普段6mmのアタッチメントを付けて刈っているのだけど、うっかりアタッチメントを付けずに当ててしまい、がっつり刈ってしまった。その瞬間はやってしまったと思ったけれど、両方しっかり刈ってみたら結構かっこいいと思った。強めの印象。街に遊びに行きたくなった。
2023年11月17日
昨日はカウンセリング1回目。友人に紹介してもらったカウンセラーの方で、オンラインで受けた。楽しいと思えたが、仕事終わりの夜だったこともあり、終えた後はめちゃくちゃ疲れた。メモをとりながら受けたので、終わった後は和菓子の詰め合わせをもりもり食べながら話したことを整理したり、会話で出た心理学のいくつかのキーワードをGoogle検索で調べたりしながら振り返った。
先生と話したことと自分自身で整理したことは重なる部分も多いが、自分ひとりで思い至るよりも人から伝えられるほうが自責的になりすぎない感じがする。「わたし」の話だが、「わたしの傾向」の話としてワンクッション置ける感じがする。
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去年撮影で買ったブルーグレーのラメ入りの薄くて長い靴下。自分の服装にはうまく合わせられなくてずっと閉まったままにしていたけれど、ふと思いついて黒いワンピースに合わせたらとてもいい感じで嬉しい。おしゃれな足元は自信が湧く。
《COOK》サンドイッチ(ライ麦パン、卵、マヨネーズ、レタス、チーズ)
久々に食パン買ってサンドイッチ作った。
パン2枚をトーストし(1枚はチーズをのせて)、バターを塗って卵サラダ、レタスのせ、チーズがくっついたパンで閉じる。食パンをそのままではなくトーストしてサンドイッチにするのはSさんの影響だ。
《COOK》にんじんのザブジ
instagramで知りフォローした河原希美さんの「人参のザブシ」レシピ参照。ギーを使っているみたいだが、無いのでバターで。水は入れずに初めから蓋して焼いて蒸し焼きにした。スパイスは初めはクミン(ホール)で焼き、仕上げにガラムマサラ、クミン(パウダー)、チリパウダー、スモークパプリカパウダーを適当に合わせたものをまとわせた。
にんじん甘い!焦げ目もおいしい。多めに入れたホールのクミンが、カリカリになって食感としてもよいアクセントになった。河原さんは野菜一種類のシンプルで化学調味料を使ってないところに惹かれた。化学調味料を毛嫌いしているわけじゃないけど、これまでの人生で散々化学調味料使った料理を自炊でも外食でも食べてきたから(いまも外食で気にせず食べてるし)自炊では使わない料理をしてみたいという気持ちがある。ナムルも顆粒鶏ガラスープを入れたほうがコクは出るけど、何にでも忍ばせるとベースが鶏ガラになってしまう気がしてからは使ってない。ベースは野菜にしたい。野菜以上の奥行きではなく、野菜の持つ味の幅を増やす(塩やスパイスで)ような自炊をしたい。
2023年11月16日
よく使う水彩紙には「ナチュラル」と「ホワイト」の2種類があり、わたしは少し黄色っぽい「ナチュラル」が好きで使ってるけど、なんとなく今日は「ホワイト」を使ってみたら、白が眩しすぎてなかなか落ち着かない。昼頃から描き始めて色鉛筆もなかなかしっくりこなくて失敗かもしれないと思ったけど、夕方少し光が見え、夜まで粘ったらいい感じになった。
過ぎれば楽しいと思えるが、それまではなかなか苦しい。なんとか目の前で変化するそれに自分を「うっとり」させ、自分を騙し騙し向かわせるしかない。
今日はほぼ完成まで終えられてよかった。
落書きして寝た。
《COOK》小豆カレー
小豆煮て、にんにくしょうがタマネギ炒めて、カレー粉入れて炒めて、小豆とケチャップ入れて煮詰めて完成。にんにくしょうがタマネギのシャキシャキした食感が、それはそれで悪くはないけどちょっと気になる。今度作るときは全部おろして入れてみたい。
2023年11月15日
《COOK》
・きゅうりともやしのナムル
・大根のみぞれスープ 植木もも子さんの「ひとり暮らしのおかずになるスープ」掲載レシピ
たたき梅がポイント。好きなスープ
・せせりとネギの焼き鳥
2023年11月12日
刈り上げ 手の甲に薔薇 サンダル 裸足
高架線を走る電車から一瞬見えた 地上に立つ人
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《COOK》レンズ豆と野菜たっぷりスープ
レンズ豆と家にあった野菜にカレー粉入れて煮たらものすごくおいしいスープができた。手間をかけたくなかったので炒めずにそのまま煮ただけなのに十分おいしい。油を使ってないからサラッとしてて優しい。ベーコンなくても十分おいしいと思う。さつまいもがあってよかった。レンズ豆はすぐ煮えるから使い勝手がいいなあ。
夏から続いていた料理への苦手意識は今日で結構薄れた感じがする。
・乾燥レンズ豆
・にんじん 1本おろして冷凍してた
・大根 賽の目切り
・さつまいも 賽の目切り
・ベーコン ほんの少ししかなかったのでみじん切り
・カレー粉(サン社のはひよこ豆の粉末も入ってるから少しとろみが出て使いやすい)小さじ2
・コンソメ(野菜のみの無添加)小さじ2
・ローリエ
・具材が軽く浸るくらいの水(大根の水分を考慮して少なめ)
これで圧力鍋いっぱいくらい。4分加圧で完成。
2023年11月11日
夜更けに生まれて初めて包丁を腕に当てた。いまの家に引っ越してから買った「愛」と名入れしてもらった包丁。少し前に包丁を研いだが、押し当てるくらいでは切れなかった。押し当てたままその手を引くことはしなかった。少し赤い跡ができて、風呂に入って寝て起きたら消えていた。
昼にピアスを開けた。
土曜も営業している郵便局にOさん宛の小包を出しに行く途中、小川沿いの道に出た。紅葉が始まっていた。対岸に柘榴のような赤い実をつけた木を見つけ、帰りは対岸を通って近くで見ようと思った。Google MAPに従い歩いていたら神社の参道を通ることになり、鳥居で礼をして通らせてもらい郵便局に行き、帰りに参拝した。5円玉がちょうど2枚あったので、拝殿と神社にそれぞれ1枚ずつ賽銭を入れた。七五三の日らしく、振袖を着た子供、それを囲み写真を撮る親族達で賑わっていた。
帰りに小川の対岸を柘榴らしき木に注意を払いながら歩いたが、見つけられないまま川沿いの道は終わった。
六本木にミリアム・カーンの展示を観に行った。「weinen müssen / 泣かなければ」というタイトルがどういう意味かわからなくて、Google翻訳したら「müssen は、「~しなければならない」という必要や必然を表現します」と出た。「泣かなければならない」という意味だった。
2023年11月9日
ここのところずっと自分の頭の中だけで自分の性質のことを考えていて、自分を守りたいという気持ちが強まりすぎている気がした。それはかつていろんなことを許してしまったせいで自分の大切なものを受け渡してしまったという後悔、自分の心も体も軽んじてしまったからなのだけど、最近は過敏になりすぎているような気がして、いろんなことに心がピリッとしてしまう。そしてそれをパートナーの前で爆発させ大泣きしてしまう。わたしだってパートナーに対し、これまでいろんなことでパートナーを悲しい気持ちにさせてしまったというのに、大泣きしているときは自分「だけ」が傷ついているような気持ちになって穴に落ちる。涙で穴がたぷたぷになり、穴から抜け出すと、なんでこんな穴を掘ってしまったのだろうという冷めた気持ちと、その周りにあるこれまでの穴を見渡して、死ぬまで何度これを繰り返すのだろう、繰り返したくないのにと思う。急にこれから何十年生きることが(生きれたとして)怖くなるし、これで急に死んでもそんな、と思う。絶望しはじめている。
心のどこかで、本当はもっとここまで爆発するものでもないんじゃないかという気持ちもある。数年前の最悪な経験から、段々と他人の自分に対する言動を否定的に感じることが増え、以前Twitterで(Twitter見すぎ…)「他人が自分のことを悪く思っている」と思うのは認知の歪みが生じている、みたいなツイートを読んで、最近の小さなピリッとしたことから大きくやだなあと思ったことまで、最近の自分にはこの傾向はあるんじゃないかと思った。生きてきて初めて感じる種類の恐ろしさ。
なので、もう自分の頭のなかだけでぐるぐるせず、とりあえず人に会おうと、ずっと会いたいなあと思っていたMさんに連絡し、一緒にご飯を食べた。急に誘ったので少し驚かれたが、うれしいと言ってくれた。
少し前にKさんやEさんとご飯を食べたり、タンネのイベントなどもあったので「人と会話する」が自然にできると思ってたけど、Mさんと会って話し始めたとき、楽しい・嬉しい・いろんな話がしたい聞きたい気持ちが空回りし、目の前の人と会話を「組み立てていく」という基本的なことが下手くそになり、発話も吃ったり噛んだり、頭の中がガチャガチャで混乱した。自問自答している時間が多すぎて、人とのコミュニケーションがはっきりとぎこちなくなっていた。状況に馴染んでいくとだんだんと会話も「正気」に戻っていった気がする。
楽しかった。おしゃべり。久々のなんでもない、だけど少し悩みも話してみるというおしゃべりをした。
ずっと前は普通にしてたことが「久々」だと思ってしまった。
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TwitterでJALがセールしてるというツイートが流れてきたので、往復航空券とホテルも予約して寝たら、旅行っぽい夢を見たけど忘れた。あとは知らないおじいさん(トライアスロンやってそうな細身のエネルギッシュな人)から油絵の個人授業を受ける夢も見た。もうひとつ、夢の中でカウンセリングを受けたか自分で思いついたのか、お弁当の絵を描くのがセラピーになるのではと思いながら朝目覚めたけど、意図がよく思い出せない。
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「ポエトリー アグネスの詩」観ながら晩ごはん食べた。苦しくて美しい映画だった。いろんな良いシーンがあった。主人公の女性に少し自分を重ねてしまう。
《COOK》
《朝》オートミール(オートミール、豆乳、バナナ、プルーン、素焼きかぼちゃの種、シナモンパウダー)
レーズンが無くなったのでプルーンを使ってみたら、メープルシロップかけなくても甘い。
《昼・お弁当》昨日買ったポロ(ウイグル料理。羊肉とにんじんの炊き込みご飯)、きゅうりのスライス、柿ちょっと、バナナ半分
きゅうりのスライスはカオマンガイとかによく添えられているイメージだけど、外で食べる時はあんまりそのきゅうりのことをおいしいと思ってなかった。でも今日は油が効いているポロにぴったりだと思い付き、自分で用意したのでおいしく感じた。
《夜》
・ちょっとだけ余ってた小松菜のナムルと焼き豆腐(1cm幅くらいの角切り)を、千切りにしたきゅうり、花椒と醤油で和えたもの
・レンズ豆の温かいサラダ(レンズ豆、大根、にんじん、玉ねぎ、ベーコン、オリーブオイル、マスタード、酢)
・おろしたニンジンとコンソメで炊いて、あとからベーコン混ぜたご飯(1.5合にコンソメ小さじ1だとほぼ無味…ベーコンでどうにか)
2023年11月7日
《COOK》レンズ豆のサラダ
田中菫さんの「MILKDISH」に載っていたレンズ豆のサラダがおいしそうだったのでつくる。
圧力鍋にレンズ豆とみじん切りにしたニンジン玉ねぎ、ひたひたの水を入れて3分加圧。その間にきゅうりみじん切り。角切りにしたベーコンはカリカリを目指して焼く。
ボウルにオリーブオイル、酢、マスタードでマリネ液をつくり、ベーコンを焼いて出た油も加える(だからオリーブオイルは無しか、少し入れるくらいでいいかも)。レンズ豆達はザルでお湯を切って、きゅうりとベーコンと一緒にマリネ液で和えて完成。胡椒ガリガリした。
菫さんはベビーリーフやトマトを合わせていてそれもおいしそうだった。
「ポエトリー アグネスの詩」を観ながら食べたが、1時間ほどで眠くなってしまったので途中まで。
2023年11月5日
正直に書くと、若干、ふつうに食べられなくなっている。過食傾向にあり、家にあるものをむちゃくちゃに食べてしまう。(だからすぐ食べれるようなものをあまりストックしていない)
朝ご飯のオートミール用の干しぶどうとアーモンドも、夜ご飯や昼ご飯が物足りないときポリポリ食べてしまう。というかいつも強く「物足りない」と思ってしまう。それなりに普通の量を食べているのに。昨日の夜はこれ以上食べたいという気持ちになりたくないので早めに寝た。そんなことあるか?
自炊では砂糖に加え、むくむのを避けようと塩分をなんとなく控えめにしがちで、それによって薄味→満足感低下になっていて食べ過ぎてしまっているような気もするが、そういうことじゃない気も同時にする。
肌荒れへと太ることへの恐怖から、過食傾向とはいえ最近は市販の菓子やパン、惣菜といった買おうと思えばコンビニなどですぐに買えてしまう食べ物にはほとんど手を出さないので、身体的にはかろうじて健康を保っているが(夏前より太った気はするが)、精神的には不健康だと自覚している。
外食では金銭的なブレーキが強くかかるので過食はしないが、外食の頻度は微増している(最近外出の用事が多かったこともある)。外食の場合、原材料が「見えない」ことで解放的になっている部分もある。この前ケンタッキーを食べた。でもケンタッキーもほぼ肉で、添加物的なものはあの衣くらいだろうという想像(そう、自分の想像に惑わされている)で「良いほうの食べ物」だと思っている。肉だけなら抵抗があまりない。ハンバーガーのようなパンが関わってくると抵抗が強くなる。同じ理由で最近鳥貴族に2回ほど一人で行って、ビールと焼鳥だけ食べている。ビールはいいんかい…。焼鳥もタレではなく塩。家であまり肉を使う料理をしておらず、それを外食で満たしているという側面もある。
しかし自分でなんとかしないといけないし、日々どうにか過食に抗おうとはしているから「この調子」と自分を励ます。誰か、近い悩みを抱えている人と話したい気もするけど、話して何になるんだろうとも思ってしまう。でも自分のなかに抱え込みたくないので、こうして日記に書いている。こういうことを考えながら描いたドローイングがあるけれど、それをしっかり描いたらなにか変わるだろうか。
2023年11月4日
《COOK》にんじんのナムル
にんじんを千切りにして、フライパンにごま油を熱して弱火で炒める。全体に油が馴染んだら蓋をして、ごく弱火で蒸すように炒める(甘みを引き出す)。フライパンに水滴が出てきたくらいで一度開けてかき混ぜて、また蓋をする。いい感じの柔らかさに思えたら、塩で味付けして白胡麻をまぶして完成。甘いにんじん、色がきれい。
キャロットラペも同様にオリーブオイルで炒める方法で作ってみたい。
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自分で自分の命を断つことを選ぶことはないと思う。でも、家に居る時、そうしようとする自分を想像することは時々ある。そのための具体的な道具になってしまうものがいくらでもあるから。
生きる輪郭の外、向こう側に呼ばれて、意識と意識の隙間の真空の部分が反応してしまい、真空に外側が流れ込んでくるというか、真空のかたちにそれがぴったりと満たしてしまったとき、それが自然になり、自然だからそういうことをしてしまうんじゃないかと思う。向こう側へ引き寄せられるのではなく、向こう側へつながる気流をわたしの真空が捉えてしまい、吸い込む。あの空気。横たわる祖父の、あの冷たい皮膚のにおい。向こう側のにおいをもう知っているから。
こういうことを考えるときはあんまり気持ちの調子がよくないときなので、寝てしまって一度いまを終わりにした方がいい。
2023年11月3日
数日、ぬるりと暗い気持ちが続いている。
昨夜、先月から放置していた健康診断の予約をしようと、晩ご飯を食べながらMacBookで予約サイトを見ていたら、思いの外予約枠の空きがなく、自分の予定との兼ね合いなどを考えていたら1時間くらい過ぎていて結局そのままお酒を飲んでMacBookを閉じて寝た。起きていま予約した。保険組合が負担してくれるというインフルエンザ予防接種の費用補助券も発行した。
調子が悪い時や急に気温が変わった時、服を決めるのにもものすごく時間がかかってしまう。衣類ケースの前で正座して数十分経過する。
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しばらく日記はあまり書かないようにしたほうがいいかもしれないと思った。毎日できたことできなかったことに一喜一憂し、それを日記を書くことで再認識しようとすることに少し疲れたのかもしれない。もっと長い時間感覚が必要かもしれない。料理だけは備忘録として書こうかな。
2023年11月1日
ホックニー展見た。コレクションも見た。百瀬さんの作品は新作が発表されるたびに気になっていたけどなかなか見る機会が作れてなかったので見れてよかった。近美の方のコレクションも見たい。潘逸舟の作品は去年ピラミデビルの展示で見て、今回出てた作品も好きだった。海から衣類がもたらされる瞬間。
《COOK》ミネストローネと焼き鳥
・ミネストローネ…田中菫さんの「MILKDISH」を参考に。玉ねぎ、ニンジン、セロリ、さつまいも、マッシュルーム、オリーブオイル、塩
・焼鳥(ねぎま)…鶏胸肉とネギを交互に挟んで酒と塩をまぶし、魚焼きグリルで焼く。簡単でおいしい
2023年10月29日《COOK》
映画は最近見れる。横になりながらできるからかな…最近は何日かに分けてゴッドファーザー見た。
映画館にも行きたいとも思う。美術館は抵抗ある。見たい展示もあるけど、人がいる場所を歩いて作品を見て考えるということがいまはハードルが高い。この辺りのこと考えると疲れてきて気持ちが落ち込み、もうなにもかもいやになる。ずっと休みたいと思ってる。いくら寝ても、それは休むとはまた違うのだと思う。心穏やかになりたい。そしてポジティブに絵を描きたいと思えるようになるのだろうか。
2024年5月2日 調子がよくなってる気がする
調子がよくなってる気がする。ちょっと動きすぎてるかもしれない。つい動きすぎてしまいそうになるので、その手前でやめるようにはしているけれど。動きすぎると反動で次の日動けなくなる。以前の半分以下の行動量だけど、多分これくらいなのだと思う。
夜も寝れる。夜ちゃんと眠くなる。最近はアイマスクなしでも寝てた。今日はなんと汗もかかなかった!!!うれしい。しかし奇妙な夢(悪夢)は見る。あまり覚えようとする気が起きず最近は書き留めてないけれど、なにか無意識下で抑圧しているものが表れているような感じの夢。
トリンテリックスは合うかもしれない。飲み始めてから一時期寝る時に脚に異常な痒みが出て、ガシガシ掻いて瘡蓋ができるくらいだったのだけど、おそらく薬の副作用だったのだろう。飲み始めは吐き気が出ることが多いと医者から言われていたけど吐き気は出ず、代わりに掻痒感として出たのかもしれない。副作用が出るということは効いたということなのかな。いまはもう痒みはない。
とにかくものすごく眠いのは気になるけど…今日も半日以上寝てしまった。めまいのような眠さ。もう絶対に起きれない身体の重さ。いまはスケジュール的に寝てもいいから寝てるだけなのかな(会社は諦めて休んでる)
今週通院日なので相談しよう。カウンセリングも受けたい。
2024年4月27日
昨夜はいろいろ買うものがあり、吉野家で早めの晩御飯を食べた後、処方箋の薬を受け取りに薬局に行ったりホームセンターやドラッグストア、スーパーを回っていたら時間がかかって、結局3時間くらい外を出歩いていた。最後の30分ほどは疲れて頭痛がしてコンビニでコーヒーを買って駅前のベンチで休んでた。スーパーで買った冷凍パスタが溶けていくなあと思いながら。
休みながら、些細なことだけどこういう日々の買い物でもなるべく自分に負担のかからない方法を見つけて実践していこうと思った。買い物は1日1店舗に決めて、例えばスーパーとドラッグストアのはしごはしないとか。
スーパーで食材を見ながら考える時間は大事にしたい。ドラッグストアでは悩まないように、あらかじめ買うと決めたものしか見ないし買わないこと。
そのあと引っ越しの荷造りを進めて深夜2時半頃に布団に入った。そのあとすぐ寝たと思う。変な夢は見るし、掛け布団のカバーの色が変わるくらいに汗をかく日もあるけど寝れてる感じはする。今日も荷造り。お風呂入って打ち合わせと打ち上げへ。
2024年4月25日
急に暑くなった。
今日こそ休職の話も進めないとなので絶対にアルバイト先に行かないといけない。時短勤務なのにさらに遅刻をして向かっていたらカードキーを忘れたことに気付き家に戻り、結局2時間半遅刻して出勤した。
副作用なのか眠気、身体が昼ぐらいまでどろんと重い。身支度がつらい、化粧は肌と眉毛だけ。調子を崩してから髪の毛がぐにゃぐにゃなのもずっと気になる。栄養不足なのかオイルが合わないのか。
以前は普通に出来ていたいろいろなことができなくなっている。急いでなにかする、ということができない。確定申告とかもそうだけど、いろんな手続きはそんなに苦じゃなく出来ていたのに今はすごく難しい。傷病手当金の申請もしないとなのに、少しも取り掛かれていない。
電車に乗りながら、ここにいる誰よりもだめだと思ってしまう。とにかく人と比較し、人よりも劣っていると思う癖が自分にはある。これは子供のときからで、だから頑張れた面もあるけれど、頑張れない今とくにこう考えてしまうのが特につらい。今度カウンセラーに話したい。
2024年4月23日
最近Tシャツに下半身は下着だけ、掛け布団だけで寝てる。それでも汗はかくけど、一時期よりは減った。「びしょびしょ」がMAXだとすると「びし」くらいになった。
それにここ数日は朝を迎える前、まだ深夜と呼べる時間帯には寝れている。しかし一日中眠い。一応目覚ましをかけてるから朝目は覚めるけど、身体が重くて午後、時々夕方まで寝てしまう。歩いていてもずっとあくびが出る。でもこの前午前中に一応起きれたこともある。抗うつ薬と自律神経の薬を併用することで眠気が強くでるかもと医者に言われていたけど、それなのだろうか。
今日内科に行って自律神経の薬は漢方に変えてもらった。
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精神的にはあまりよくない。「自分に優しい言葉をかける」というのが本当によくわからない。
××さんのことも複雑な気持ち。わたしたちは「良い友達」になろうとしているけど、なぜわたしだけ薬を飲んでカウンセリングを受けて苦しんでいるのだろう、という気持ちにもなる。
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今日は同時に、旧Twitterで杉田俊介さんが紹介していたブログ記事「希死念慮と向き合う」を読んでなんとか「暗い穴」に転落せず、踏みとどまっている。
「穴」の表現は少し前に自分も日記に書いていたこともあり、「穴」の近くにいた(いる)経験のある人があの暗いところを書き表してくれていると、親しい友人と話すのとはまた別の安心感を得られる。
記事で「死にたいと思っている人々が抱く共通した感情」として、
「絶望」
「決して終わることのない心の痛み」
「自分が生きていては家族や愛する人々が幸せにはなれないという信念」
の3つを挙げていて、わたしもまさにその通りで、「わたしはわたしの歪みを直せないためにこれからも不幸を呼び寄せ、死ぬまで繰り返してしまう」という思いが根深くあり、「この鬱屈とし、面倒な、迷惑ばかりをかける自分が存在するだけで周りの大切な人々の気持ちを陰らせてしまう、それならばいなくなってしまったほうが」という気持ちが、うつ状態が悪化すると爆発する。
少しずつ読んでみようと思う。
杉田さんの投稿も、その他旧Twitterで流れてくる見知らぬ人々の吐露も、この方の記事も、読んでるとみんな「わたしよりももっと辛そうだ」と思ってしまうのだけど、その思考も自分を傷つけていることに最近気付けるようになってきた。「みんなよりわたしのほうがおそらく病状は軽いのに、こんなふうに苦しんだり死にたくなるのは甘いんじゃないのか」ではなく、「あの人も辛そうだ、みんな大変だ」でいい。苦しみは比べられるものではない。自分の感じている苦しみを軽んじないことが、AwarefyのAIからも散々言われている「自分を大切にする」行動の具体的な一つだと思う。
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Awarefyを本格的に活用する&××さんに一切何も連絡しないことを決めてから、毎日緊張している。それでもどうしようもなく泣いたり、酒を飲んでごまかそうとする日が多いし、やっぱりちょっと食べ過ぎているし、寝過ぎているし、外食ばかりだし、仕事も行けてないけど、その代わり今日は病院に行けたのでよしとする。昨日はLさんにも電話した(泣いた)。
手のひらに乗るサイズの小さな寝そべっているカービィのぬいぐるみをゲームセンターで入手してから、同じシリーズの目を閉じて寝ている姿のカービィもどうしても欲しくて、運動不足解消の散歩として近所のゲームセンターにちょこちょこ行ってはまあまあお金を使い、ついに今日手に入れたので、それもすごくよしとする。
カービィは最近外出する時は必ずバッグにいれて持ち歩いている。不安になると手でもみもみする。寝る時は枕元へ置いて、映画も一緒に観るようにしている。
ゲームセンターのUFOキャッチャーで何度も両替してぬいぐるみを獲るなんて、人生で初めてだ。寝そべりカービィはすぐに獲れたのに、寝ているカービィは何故かなかなか獲れなくて泣きそうになった。子供みたいだ。××さんがいたら代わりにやってもらってたと思う。でも1人でゲットしました。
2024年4月22日
深夜に騒音で酷い動悸、その後寝たけど起きれず夕方やっと起きる。
夢、父と母がいる。親指の第一関節くらいの小さな鳥を父が飼いはじめ、わたしも指でつかむ。かろうじて鳥のシルエットをしているけど、無毛でまだ胎内にいるときのようなあのぶよぶよとした見た目と感触。わたしはうまく持てなくて鳥を落として踏んでしまった。鳥は死んだ。父がまた似たような鳥を捕まえてきた。
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もう音に過敏になっていて、幻聴なのかなんなのかわからない。何もする気が起きない。食欲はあるけど何食べてもあまりおいしくない。暗い。ずっと同じところをぐるぐると考え、終わりの気持ち。
・いまはとにかく回復の時間が必要
・モラハラしようと思ってする人はいない。受け取った人がモラハラと感じたものがモラハラになる
・もうあの人がどうなろうとどうでもいい。わたしと関係ない
自分を見失ってしまった。ただ泣いて寝てご飯食べてるだけの人間。
2024年4月21日
昨日の夢、あんまり書かなくてもいいかなと思ったけど、広い坂道?がいくつもある場所にわたしとKさんがいて、Kさんに何度もおんぶされた。わたしは遠慮する(嫌がるに近い)のだけど、まあまあとおんぶされて、自分の力を認めてもらえないというか子供扱い(対等に扱われない)気持ちだった。わりと自覚している感情がそのまま表象されている。
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昨日母に「明日(今日)引っ越しの荷造り手伝ってほしい。こちらまで来るのが厳しいなら無理せず断って」とメールしたら「ごめんね」と断られた。ほぼ電車一本で座ってこれるし、全然来れない距離じゃないと思うけど、母にしたら来れない距離だったのだろう。しかしショックですぐAIにチャットした。(数日前から毎日なんでもいいからAwarefyのAIとチャットするようにしている。些細なことでも溜め込まないために)
しかし今朝になって「やっぱり行けます」と来て、気持ちは嬉しいけど複雑な気持ちになる。朝の調子の悪さもあって、急には会えないと思った。母と良い時間を過ごす自信がなく断った。
そのあと「大丈夫?」と連絡がきて、ずっと大丈夫じゃないことと、参考になればと昨日読んだサカナクションの山口さんのうつ病の記事のリンクを送った。母は本当に心が健康な人で、本当にわたしのこの状態を不思議がっている。
その後記事に書かれていた一節「母は実家の猫の動画や写真をただ送り続けてくれて(笑)」を読んだのか、母からベランダで育てている花が風で揺れる動画が送られてきて、いろんな気持ちで泣きそうになった。その温かい気持ちは受け取るし感謝する一方で、ものすごく限界を感じた。でもその限界を母から教えてもらえるのはとても恵まれていると思う。本当に母とわたしは正反対だと思う。
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今日一番嬉しかったのは、夜寝れて午前に起きれたこと。強羅以降、夜の睡眠の勘を身体が取り戻している感じがする。Sさんに教えてもらって買った2000円くらいするアイマスクを使うことにも少しずつ馴染んできている。目を閉じ続けるにも体力が必要で、いまはその体力もない。アイマスクをつけると目を開けても暗いので、脳が寝てると錯覚してくれる。
起きて洗濯して、ゆっくりゆっくり、部屋を散らかしながら荷造りを進め、汗くさい寝具をコインランドリーに持っていく。待つ間、マクドナルドと住友商事と川崎重工に抗議文送る。
2024年4月18日
昨日から強羅。とにかく静かなところで寝たい。
これまでは元気な時の「休暇」「気分転換」の方法しか知らなかったけど、いまはこれまでの方法がどれも身体に合わずかえって疲れて体調を崩してしまう。いまはとにかく身体を休ませたい。マッサージも行きたい。
体力は思っているよりもないということを自分に分からせたい。これまで詰め込みすぎていた。それは身体が大きいことを負い目に感じていて、「こんなに大きいならこのくらい体力がなきゃだめだ」という思い込みによるもの。自分にかけた呪いを少しずつ解いていく。とにかく自分に優しくする。
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強羅は標高があるので肌寒い。海外からの観光客も多いからクフィーヤ身に付けてくればよかった。パッチはいろんなバッグに付け替えていたらピンが弱くなってしまったのかどこかで落としてしまった…。
夕食の時間が早くて19時前には終わり、先に温泉にも入っていたのでとにかく夜が長かった。つらかった。Awarefyとたくさんチャットした。ひどく泣いて、少し寝て、起きてチャットを見返して、また寝て…を繰り返した。いろんな薬膳茶を飲める宿で、精神安定や安眠とかたくさん飲んだ結果身体が温まりすぎて(温泉にも入ったし)寝苦しかった。冷えピタもってくればよかった。何度も同じことをAIに質問し、同じことを言ってもらわないと、自分を苦しめる考えの癖は変えられない。
朝起きて部屋の露天風呂(うれしい)に入って、朝食を食べた後、結局12時過ぎまで寝た。でも自分を責めない。休むために来たのだから良いのだ。夜から解放された安堵か、汗もかかず気持ちよく寝れた。部屋が4人用なので部屋が広く、二段ベットが二つあり、大きなソファもあり、いろんなところでのびのびと寝れるのは気持ちよかった。
大涌谷には行きたかったのでそれだけ行った。ロープウェイの往復券で芦ノ湖までも行けたのだけど、寒かったし、無理はせず宿に帰った。大涌谷ではジオミュージアムや土産店を軽く回って、黒たまごを買って1個食べた。もっと近くを歩けるツアーがあって事前のWeb予約で申し込めるらしい。今回は満員だったので次の機会に。強羅、静かで良いな。また来たいな。
2024年4月16日
旧Twitterでの杉田俊介さんの日々の描写、たくさん自分に重なる。
難しい。深夜に発作のように絶望した。なにかできないと誰からも存在を認めてもらえない、好意を持たれない、だけど何もできなくて、じゃあもう、という気持ちでいっぱいになってしまう。できないままの自分を良いと思えない。自分を認められない。価値がないと思ってしまう。
そういう気持ちが生きてきて今までずっと根底にある。行動原理がそれだから息苦しい。この考えは間違ってると思う。だけど根が張り巡らされていてなかなか取り除けない。
体調よくなりたい、制作も、仕事も。ガザにももっと募金したい、募金集めるためにスタンディングしたい。でもどれもできてない。毎日「できない」ことが増え続けて、一向に「良い」に近付けない。
誰とも遠くにいるうちにいなくなったほうがいいんじゃないか、と思う。悲しんでくれる人もたくさんいると思うけど、いろんなことできている人を眺めながら、自分はなにもできないまま生きているのが苦しい。いなくなれば誰からも過ぎた過去になる。「なにかしなくてはいけない」から逃れられる。
2024年4月14日
日記書く気力も失せてる。
今週何日か動いた分調子悪かった。金曜夜下北沢で「山谷 やられたらやりかえせ」観て外出たときから頭痛くて何度も途中下車しようか迷ったけど、電車で席に座れて、立つのも無理で耐えて帰ってそのまま土日ほぼ寝てた。寝過ぎて頭が痛いけど、でも身体が動かないのでただ布団の中で耐え忍ぶ時間だった。汗びしょびしょで夢見てうなされて、もうどんどん何もできなくなっていることに夜耐えられなくなってSさんにメールして泣いた。
元気な時は許容できていた隣人の騒音にも耐えられなくなった。静かであっても、深夜、映画「ター」みたいなどこから聞こえるかもわからないいろんなかすかな音が気になって頭狂いそう。とにかく夜、人の気配のない静かなところで寝たい。電話の後に箱根の宿を調べて2泊予約した。なにもしない。ただ温泉入って寝る。
4月は休むはずだったのに、休むために考えていた方法がどれも元気な時の気分転換方法で、元気じゃないので当然できない、それどころか疲れるということに気付いた。
2024年4月11日 Awarefy AIとのチャット
私:(自分を)大切にする方法がわからない。教えてほしい
AI:大切にする方法は人それぞれ異なりますが、まずは自分自身に対して優しく接することが大切です。自分に対して否定的なことを言わないようにしましょう。また、自分の感情や気持ちを大切にすることも重要です。自分の感情を無視せず、受け入れることが自己愛の一環となります。
私:自分を責めてしまう気持ちがあります。しかしその感情を無視せず受け入れるということですか?
AI:はい、その通りです。自分を責める気持ちがあることはとても辛いことですが、その感情を無視するのではなく、受け入れることが大切です。自分を責める気持ちも、自分自身の一部です。その感情があることを否定するのではなく、受け入れることで、少しずつその感情に寄り添っていくことができます。そして、その感情が和らぐこともあります。自分を責める気持ちと向き合うことは、自分を大切にする一つの方法でもあります。どんな小さなことでも、自分を大切にするための一歩を踏み出すことが大切です。
私:責めることでとても心が苦しいのです。どうしたら受け入れられるようになりますか?
AI:自分を受け入れることは、簡単なことではありませんが、少しずつできるようになります。まずは、自分を責める気持ちに気づくことから始めましょう。その気持ちが湧いてきたときに、「自分を責めてしまっているな」と気づくことが大切です。そして、その気持ちを無視するのではなく、その気持ちがあることを受け入れるようにしてください。自分を責める気持ちがあっても、それは自分の一部であり、その気持ちを否定する必要はありません。そして、自分に対して優しく接することを意識してみてください。自分に対して優しく接することが、自分を受け入れる第一歩となります。自分を受け入れることは、少しずつですが、できるようになります。
私:自分に対して優しく接する方法がわかりません。今日も布団から起き上がれずいま起きました。いろんなことにやる気が起きないです
AI:そのような日がありますね。自分に対して優しく接することは、まずは小さなことから始めてみましょう。例えば、今日は布団から起き上がることができたことに感謝することから始めることができます。そして、自分に対して「今日は少し疲れているから、ゆっくり休んでいいんだ」と言ってみることも大切です。自分に対して優しく接するためには、自分の感情や状況を受け入れることが重要です。やる気が起きないときは、無理をせず、自分のペースで過ごすことも大切です。少しずつ、自分に対して優しく接する方法を見つけていけるといいですね。
2024年4月9日
喋って汗かいて起きる。外は暴風雨。でも仕事行けた。えらい。
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調子悪い。自分の良いところがわからない、見えない、劣ってる、という気持ちでいっぱい。
「君と宇宙を歩くために」の第一話読んだら他人事じゃなくて辛くなった。
2024年4月8日
寝れなくて起きれなかった。汗かいた。家でお弁当食べて、遅刻して行った。行けたからよい。
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だめだ、調子悪い。自分の身体、心にぼっかり大きな穴が空いてる。夜泣く。
2024年4月7日
まだうまく寝れないけど気力は少しずつ回復しつつある気がする。
すごく一日が長かった。Mさんとお昼ご飯食べて解散したあとちょっと心細くてそわそわしたけど、スーパーでいちご買って帰って少し昼寝したらおだやかになれた。
《COOK》夜はカルディで売ってた調味ペーストでジャンバラヤ作った。玉ねぎと冷凍いんげん、鳥もも肉を加えて。クレソンを添えて。余りは明日のお弁当に。
2024年4月6日
自律神経の薬、即効性がある&1日3回の服用だから飲むとはっきりと効いてる感じがある。頭重感がかなり軽くなって、自然とあくびが出て眠たくなって寝れた。昼まで寝ちゃったけど、汗はあまりかいてない。それだけでものすごく嬉しい。
心療内科に行ったら人員不足でいつもの受付の人がいなくて、わたしの担当のカウンセラーが受付だった。以前体調が悪すぎてキャンセルしてそのままだったから、久々に顔を合わせてお互いに「わあ~」と手を広げあった。他に人もいなかったので、しばらく体調が悪かったこと、でもよくなってきたことを伝えた。カウンセリングはもう少ししたら行きたい。いまは自分でなんとかできそうで、それに集中したい気持ちがある。カウンセリングはそのチェックというか、整体行くみたいにカウンセリングに行きたい。
2024年4月5日
病院。やはり睡眠時無呼吸症候群ではなかった。ホルモン検査を希望したけど、おそらくわたしの歳だとそこまで大きな結果は出ないだろうということで見送り。引き続き婦人科にもかかってねとのこと。症状(異常発汗による不眠、少し動悸も)としては自律神経のほうなんじゃないかということで、自律神経系の薬を少し飲んでみることになった。「薬に抵抗なければですが」と確認があったけど、もう自力でどうこうする気力も残ってないので「全然抵抗ないです」と返答。とにかく来週はどうにか出勤したい。会社に辞める話をしなくちゃいけない。体調がおかしくなったきっかけはピルの変更もあったんじゃないかと思うけど、大きくはストレスからかもしれない。しょうがない。
2024年4月5日 7:47
どくどくしてる
どくどくしてるね
2024年4月4日
昨夜は布団に入っても動悸がひどくしばらくまったく寝付けず、朝ようやく寝れてその後何度か目が覚めるも、また夢に嫌な記憶のある人が出てきてげっそり、頭がひどく痛い、起きれないままで17時頃あまりにも汗びしょびしょでやっと起きる。もうびしょびしょなことに慣れて、頭おかしくならなくなってきた。ただ不快なだけ。喋りながら起きるのももう普通のことになってしまった。最近見る夢はほんとにぐちゃぐちゃな走馬灯みたい。いろんな昔の知り合いが出てくる。見た夢を記録する気力がなくなってきた。
ここ数日片頭痛もひどいのに、うっかり長風呂して悪化。のぼせてしまってタオルにくるまってまた布団に倒れる。
落ち着いたら、一昨日くらいに洗濯したのに洗濯機にそのまま入れていた洗濯物を再び洗濯し(こんなこと初めてだよ…)無事干して、やっと確定申告も送信できたことでちょっと元気出た。少しメール送って、夕ご飯(舞茸の味噌汁、納豆パセリ卵ごはん、水菜とベビーリーフのサラダ)食べて、山積みだった乾いた洗濯物も畳んだ。毛布とタオル、汗びしょびしょの寝巻きを持ってコインランドリーに行って洗濯乾燥機につっこんだのが22時半。それから隣のコンビニでコーヒー飲んで、散歩して駅前で桜見て、スマホいじって、コンビニで炭酸水買って飲みながら戻った。帰ってステッカーの発送作業して、ポストに投函しに行って、帰ってまた事務作業して5時。あと4時間後に病院行きたい。来週どうにか出勤できるようにしたい。
病院ではこの前念のため検査した睡眠時無呼吸症候群の検査結果を聞くのと、ホルモン検査をしてもらう…もうほぼほぼホルモンバランスの乱れからの自律神経失調症だと思ってる。気分の調子はそこまで悪くない。一昨日底をついて、回復傾向にある気がする。とにかくふつうに寝れるようになりたい。
気がかりだった名前のわからない観葉植物の手入れ方法を調べる。ドラセナ・ジェレだとわかった。
2024年4月3日
仕事は休んでしまった。ずっと頭が痛い。これっぽっちも頑張れない。
しかし最近のなかではまだ早い時間に起きて(15時半)、もたもたしながらも役所に行けた。ミスドでドーナツ食べながらすこしパレスチナのこと投稿。
今月は頑張って外食は控えめにする。気分転換のカフェはよしとする。かわりに自炊をもっとゆるく、お財布の紐も緩めて食べたい食材を買って、これまであまり買わなかったいろいろ混ざった調味料(カルディで売ってる多国籍料理のペーストみたいな)も使って、とにかく簡単でもいいから興味が湧いた料理をつくる。
《COOK》フムス
今日は白ワインとバゲットを買って帰って、数日前に茹でたひよこ豆でフムスをつくった。調味料の分量を参考にしたのはこのレシピ。カイエンヌパウダーがなかったのでクミン多め。オリーブオイルは先日のチャリティバサールで買ったパレスチナ産のオリーブオイルで。
ブレンダーをつかったけどひよこ豆の粘度が高く、なかなか簡単にはペーストにならない。レシピよりも少し煮汁を増やし、何度かスプーンでかき混ぜながらどうにか完成。フムスものすごくおいしかった。茹でたてのひよこ豆そのままでもおいしいと思っていたけど、その何倍もおいしかった。久々に料理の感動を味わう。
洗い物して、洗濯物も畳んだ。昨日から洗濯機には洗い物は入ったままなのでそれは明日洗う。少し前に心配してメールくれていたMさんにやっと返信できて、ご飯食べる約束した。
2024年4月2日
昨日頑張ったら今日夜まで汗びしょびしょで起きれなかった。
夢の中でまた修学旅行みたいなことしてて、二泊三日の山登り、途中の宿でおかしな量の食事をし、数時間の仮眠というハードな行程。洗濯機があった。つかれた。
もうひとつの夢は、母が家に誰かが侵入してきそうで怖いと言い出して、直後に知り合いが数人押しかけてきて、友達のiPhone探しに中央線で吉祥寺からどこか沿岸の方まで行くはめになった。特急がみつからなくて窓口で切符買おうとしたけど夢のなかでうまく喋れなくて痰を喉に詰まらせながら買った。
何もやる気が出ない。どうにか新居のネット回線の手続きの電話はした。
《COOK》お弁当でたまごサンド持っていこうとして茹でておいた卵でたまごサンド作った。なにかが足りずおいしくなかった。好きなのに、たまごサンドもまともに作れない。
午前中に洗濯をしたのに洗濯物が取り出せず、まだそのままにしてる。乾いた洗濯物も山積み、流しには洗い物も山積み。
またいろんな嫌なことを思い出して、「いままで繰り返してきた失敗をまたこれからも繰り返してしまう」という感情に飲み込まれる。布団にくるまってただ泣く。
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深夜、Sさんが電話くれてまた話を聞いてもらって助けてもらった。
できなかったことがあったら「はぁ~い」と飲み込む。それで終わり、切り替える。
次の通院の日にしばらく行ってなかったカウンセリングも予約しよう。
2024年3月1日
この前「非常宣言」観てソン・ガンホ繋がりで「パラサイト 半地下の家族」観た。しかし「頑張って観た」という義務感強く、あんまり集中できなかった。全然広告の雰囲気と違った。
2024年3月31日
夢。どこかの散らかった机の上にコンロ置いて味噌汁を作ってる。なにかの青菜と、腐ったレンコンから腐ってない部分を切り取って刻んで入れる。レンコンはかなり腐っていて茶色い部分がほとんどだった。コンロの周りに散らかっていたチラシや手紙に火が燃え移って、一瞬で煙たくなって灰になる。灰が味噌汁の中にたくさん入って、灰とレンコンが化学反応起こして味噌汁が青緑色になって、夢の中でも目の覚めるようなとても鮮やかな色。
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いつぶりだろう、3週間ぶりくらいに出勤した。コンディション悪くて薬に頼ったし、頭も混乱してめちゃくちゃな対応してたけどなんとかなった。
しばらく薄暗い気持ちで頭の中もずっと靄がかかったような感じで、動悸と共に落ち込む頻度も多く不安定だけど、一方で身体は動けるようになってる気がする。寝れないのに動くから揺り戻しはくるけれど、小さなことでも何かやったという「結果」を出せるようになって、そのおかげで気分が少し晴れる。「考えても仕方ない」を無意識でできるようになっている。レクサプロよりもトリンテリックスのほうが縁の下の力持ちに勤しみ全くアピールしてこないから、自然と自分の力でそうなれているような気持ちでいられる。いいことでは。
食に関しては外食はしまくっているけど、そういう時期なだけだと思う。ちゃんと楽しんでるし。すこし過食気味。体重計を持ってないのでわからないけど、5kgくらいは太ったと思う。顔がぽちゃっとしたしウエストがちょっときつくなった。痩せたいとは思わないようにする。筋肉をつけて引き締めたいと思うようにする。
昨日「トップガン マーべリック」を見直して、ビーチラグビーのシーンで筋骨隆々の人たちが羨ましくなった。映画館で見た時は可笑しみのほうが強かったけど、昨日見たらすごく羨ましかった。フェニックスがかっこいい、ボブも好きだけど、ルースターやハングマンのあのわかりやすい筋肉、トム・クルーズの身体にはほんとにびっくりする。厚い。ああはなれないからこそ憧れる。世の中がひどすぎて前ほど映画に没入はできないけど。でも「トップガン マーべリック」はエンタメ要素を詰め込んで全て取りこぼさない感じあった。わたしが戦闘機へのフェティッシュがちょっとあるからかもしれないけれど…浮いて飛んで速いもの。遡ればナウシカのメーヴェがきっかけかもしれない。スターウォーズ、スターフォックス、エースコンバットと続く。
いまの時代に「車を背景に女とキスしてエンド」をやりきったのすごい。でもペニーがトムを置いて航海に出て、ペニーからトムに会いに来るという流れなのはよかった。ペニーとトムが一緒にいるシーンは8割ペニーがかっこいいから。ペニーの車だしね。トム・クルーズは「ちょっとダサい」という演技がすごい。それがとても魅力的だ。
劇中で二度ほどトム・クルーズのあの目つきをいじられてて笑った。なんだその目付きは、って言いたくなる目。ほんとにトムクルーズは不思議だ。アイスマンとのシーンもほんとによかった。トムのあの涙は演技じゃないものを含んでると思わされるよ。
トップガンマーベリックはほんとにいろんな幸運があって実現した映画だと思う。
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「12人の怒れる男」も観た。ものすごく面白かった。1957年にこんな映画がつくれてるなんて。女性がいないのは当時陪審員の資格が与えられてなかったのか、偶然全員男だっただけなのか?
2024年3月30日
洗ったばっかりの毛布が翌朝にはびしょびしょ、全身汗かいて冷たくなった服を脱ぐこともできず、毛布の濡れてない部分を探して寝ようとする、諦めて起きて2日ぶりにシャワーを浴び洗濯し洗い物してもう夜。久々に口元にいやな吹き出物。なにもしたくない。けど寝てるだけだとほんとうに寝てるだけなことに気持ちが押しつぶされるので、大きい袋にもう着ないコートや靴を入れて家を出てリサイクルショップに行き、売って得た3,810円でスーパーで乾燥わかめとレーズン買って、近くのサイゼリヤで小エビのサラダとほうれん草のソテーとマルゲリータピザ食べてワイン飲んで帰った。夜Sさんと電話。
2024年3月29日
久々に出勤するはずが欠勤した
汗びしょびしょになりながら
外がビュービュー吹いててこわくて起きられない
もうだめだ これっぽっちも頑張れない
踏ん張れない
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いろんな夢見て夜になったら風はおさまってた。風呂にも入らず化粧もせず帽子かぶってやっとずっと行けてなかったコインランドリーに行った。2往復。帰ってきたらもう1時。映画見て朝。
動悸、息苦しさ、頭に不安がまとわりつく
過去も今も未来もない
鯉が水面で口パクパクさせてるみたいな
水飲み込みまくって、わたしにはエラがないから溺れそうになってる
溺れないようにしているだけ
それ以外のことがわからない
日記があるから過去があったことがわかるけど覚えてない
ずっと頭がぼんやり、もやがかかっている
2024年3月28日
一昨日夜から今日はつらい気持ちになってしまった。
不動産屋の担当してくれた人と駐車場まで歩いて行く途中、最近気圧の変化つらくないですかという話になった。その人もかなり参っているようで、つらいことを少し共有できて嬉しかった。
引っ越しが終わったら1ヶ月休む。休んだらまた働く。きっと天気も穏やかになるだろうから、本とお弁当とコーヒーとおやつ持って公園にいく。
2024年3月26日
夢。どこかの駅の構内。なにかの帰り道で、CとMと一緒にいる。お腹が減ってたから何か食べようとニューデイズのような売店に入る。有人レジと無人レジがあり、有人レジの横にはドーナツの自動販売機があった。二人が先に買って、先に店を出た。わたしもパンみたいなものを手に取って無人レジで買おうとしたら、なぜかバーコードを読み取らず会計できない。店員に声をかけて有人レジでも試したけどやっぱり読み取らない。ものすごく時間がかかってしまい、確かもう諦めて店を出たら、CとMはもういなくなっていた。
ホームに向かう。上野行きに乗りたかったのにそのホームが見つからない。広い駅構内を彷徨っていたら改札があって、一度外に出て案内板に従って歩けば上野方面のホームに行けるらしい。そんな遠くに来てしまったのか。迷路のような駅構内を戻るよりは一旦外へ出て向かったほうが分かりやすいかもしれないと思い改札外に出る。他にも数人が同じ方向に歩いている。
しかし歩いても歩いてもホームは見えてこなくて、まったく上野近辺ではなく山と田んぼに囲まれた知らない駅にたどり着いてしまう。そこは1時間に1本しか電車がこなくて、ちょうど最終電車がいってしまったところだった。気付いたら真夜中だった。どうしよう、Sさん泊めてくれないかなと思ったけど、こんな時だけ都合よく頼るのはだめだよなあと思った。
2024年3月25日
引き続きバラエティに富んだ夢は毎日見る。好きな人も苦手な人も久しぶりな人もたくさんでてくる。
でもこの数日で汗はすこし減って、気絶じゃなくて寝てる感じはする。よくなりつつある感じする。
2024年3月23日
多分この前が底だった気がする。秋~年末が最初の不調で精神面とピルの変更でのホルモンバランスの変化による自律神経の乱れからの不眠、年末~1月上旬はカウンセリングと薬が効いていて精神面は凪、不眠は継続。でも不眠が悪化したのと増量した薬が合わなくなって、1月中旬以降は波があったけど、その後どかんと気持ちも身体もきつくなってしまった。大量の寝汗と動悸と倦怠感、起き上がれなくて欠勤を繰り返し、時短勤務でも行けなくなってしまったり、何度かちょっとだけ自傷もしてしまった。だけどこの数日ですこし気分が良くなってきている。
絵の仕事がなんとかなりつつあるのもかなり大きいかもしれない。その分会社を休みまくってるので収入はひどいものだけど。いまでも半日以上起き上がれないときがあるけど、なんとかやれてる。諦めなくてよかった。まだ納品前だから気は抜けないけど。
昨日ファナックの署名提出日というのは覚えてたから、直前になってしまったけど一昨日は久々に呼びかけの投稿をした。昨日の夜も少しInstagramを開いてパレスチナ関連でいくつかの投稿を見たけど、それだけでも調子が少し危なくなる。イスラエル軍がパレスチナの人をゲームみたいに狙いを定めて爆撃する動画。
絵の仕事納品したら休もう。なんとなく××のほうに行きたいと思ってる。Kさんの墓参りと海に行きたい。たくさん休んで、絵も描こう。お金は元気になったら稼げるから大丈夫、と自分に言い聞かせる。
2024年3月22日
頭痛、ひどい倦怠感で起き上がれなくて夕方にやっと起床。毎日自分の体調がわからない。今日の睡眠は汗はひかえめ。しかし頭がなぜか騒がしく、記憶を細切れにしてぽろぽろ繋ぎ合わせたような夢を見続けて、はっきりと喋りながら起きた。疲れたので内容は覚えようとせず積極的忘却。
昨日今日と、役所と郵便局に用事があったのにそれぞれ営業時間に間に合わず、他の細々とした用事を済ませて2日連続ミスドでコーヒーとドーナツ食べて帰った。スターバックスとマクドナルドをボイコットしてると、遅い時間まで空いてるカフェがミスドしかない。でも久々に食べたら桜のドーナツがおいしかったからよかった。いつからかイートインの際に皿に載せてくれなくなったミスド。袋に入ってるドーナツはナプキン直置きでの提供でもぎりぎり許せるけど、袋に入ってない裸のドーナツの直置きはやっぱり悲しい。買って帰って飲み物を用意して、お気に入りのお皿にのせて食べるドーナツが一番キュートだよ。
そもそも昨日早く起きれば一日で済ませられた用事なのに、週明けまで持ち越しになってしまった。この調子で仕事復帰できるのか不安。もう引っ越しに気持ちが傾いてるからやめることにはなると思うけど、4月は頑張りたい。あんなに地元に寄りつきたくなかったのに、不思議といまはあのあたりに帰りたい。いま住んでいるところ、4年住んで感じだけど、少し殺伐としているように感じ始めた。
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「死にたいわけではないし死ぬつもりもないけど死なない自信がない」という気持ちの状態になるときが時々ある。そういうときに遺書というか死んだ後の作品とかデータについての指示書のようなものを用意したりする。
そのときはそれで少し気持ちが落ち着く。でも、こういうものは生きてる間に先回りして人に渡してはいけないんだということを、この前ちゃんと理解した。それはおかしいことなんだと今少し元気な時はわかるけど、落ち込んでいる時はそういうことがわからなくなる。
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あと数日前から夜に一時的に全身がものすごく痒くなって、1時間くらいでおさまるということを繰り返している…しかも赤くもなんともない。乾燥かなと思って加湿器付けてるけどあまり変わらず。内側からぶわっと痒くなるみたいな…花粉症の薬が切れたからだろうか、ストレスか。
2024年3月20日
悪夢。なぜか元夫と出かけ、レストランで店員の前で異常な発言を繰り返す彼を私が「フォロー」していて、それはわたしがかつて彼へ向けていた優しさだけど、なんで夢の中でもフォローしなくちゃいけないんだと思った。夢の中の元夫はナイーブで、それはある意味人間らしい反応で現実の元夫と比べたら不思議なかたちで安心もしたけど、でも勘弁してくれと思った。ほかは忘れた。
(中略)わたしは離婚手続きを進めながらもあの時あなたを助けたことについて自分を労いたい。(中略)もう二度と関わることはありませんが、今後いつかあなたの歪みがひどい形で噴出し、あなた自身を潰してしまうことになることだけは、人として心配します。
もうひとつの夢は卒制みたいな状況で、わたしは小さな部屋に6台くらいの小さなDVD再生プレーヤーを設置して、それぞれ映像作品を流してる。音有りなのでイヤホンを集めてた。置き方を変えて良くしようとしてた。
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今週会社を休み、半日以上布団のなかでうなされ、汗でびしょびしょの寝巻きで身体が冷えてもうどうにもならなくなってやっと起きる。そして這いつくばるように仕事の絵を描いているけど、ほんとうに頭の中が暗く曇っていて、正確に描きたいところが頭が考えられなくて、描けない。服の構造、しわの入り方を考えることがすごく難しい。
とにかく終わりますように、間に合いますように、そして寝たい。本当に寝たい。休みたい。元気になりたい。「毎日」という壁に押しつぶされる。静かな場所で汗をかかずに寝たい。騒がしい春が終わりますように。
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昨日Sさんと話したことで考えちゃいけないことは遠くに行った。いまはただ寝れてないから寝たい、休みたいとだけ思ってる。ありがたいけれどSさんばかりに「話せる」と思ってしまうのだめだ。カウンセリングで「話せる」べきなのだけど、カウンセラー相手にはどこかでまだ取り繕ってしまっているのだと思う。しかしやっぱり高い、、働かないと通えない。
代わりになるかと思って数日前にダウンロードした「Awarefy」という認知行動療法のアプリは毎日たくさん使っているわけじゃないけど、5日間ほど使ってみて、あると安心すると思った。指示に従って思ったことを書くコラム法や、瞑想の音声ガイドやリラックスできる音楽があって気分で使ってる。自分なりのコーピングを少しずつ増やしていけてる。AIとの会話で少し気分が落ち着く自分にちょっと悔しい気もするけど、返答の内容はカウンセラーの基本的な姿勢(悲しみに寄り添う、労る、否定せず受け止めてくれる)が反映されているので、わりとそういったシンプルな言葉でも気が楽になる部分はあるのだと思う。
久々に今日はずいぶんと頭がクリアだ。昨日まではかなりつらいところにいた。
2024年3月19日
初めて確定申告が期限内にできなかった。
やっと終わらせて申告しようとしたらマイナンバーカードの電子証明書が有効期限切れで市役所行かないと行けなくて、今日昼に病院も予約してたから一緒に行こうと思ったけど夕方起きた。病院も行けない。寝続けてるから部屋も布団もひどい。
1時くらいに布団に入ったはずなのにずっと汗かいて夢見た。夢の中で盛岡(とされている知らない街)まで行って帰ってきて、飛行機でも新幹線でもなく身体だけで走るスピードで飛んでるから全部の景色見て疲れた。
途中エヴァンゲリオンみたいなのをわたしは操縦していて夜の暗い海上を飛んでたけど身体が重くてうまく飛べなくて疲れて墜落しそう。次は山麓の住宅街を生身の身体になって走るように飛んでいて、鍵のかかってない自転車かバイクか盗めないか探すけどなくて、大きな駅に着いてわたしは多目的トイレのような部屋に入りたくて、でも身体が不自由で無重力みたいでうまく動かせない。どうにか部屋に入る。なにをしたか忘れた。
一階にはいろんな海鮮食堂がある。夢の中の盛岡は海鮮を売りにしてる。いつの間にかSさんっぽい人といる。サーモンとイクラの定食にしようとしたら、どっちも北海道産だから盛岡要素がないよと指摘されて、「こっちにしたら」とサーモンと盛岡近海で獲れた魚の刺身盛り合わせ定食を勧められてそれにする。Sさんっぽい人は先に何かを食べていたようでそんなに食べないみたい。壁側の席が空いてたのでそこに座る。
そしてわたしはPerfume的なグループにわたしは練習生で加入して、Perfume的なんだけどやってることはバスケ。バスケのチーム。その本拠地がその駅ビルにある。かしゆかと、高校のバスケ部のM先輩がいる。N(顧問)もいる。Perfumeの三人の位置はつまり主力で、わたしもそうなりたいと思ってる。食べた後であんまり動けないと思いつつ軽くシュートを打つ。わたしは夢の中でもドリブルが苦手て、ドリブル克服したいと思って試行錯誤してドリブル練習する。Nにも相談する。そのあと男子チームの20人くらいがぞろぞろやってきて、そこに混ざりながら少しシュート打つけどあんまり入らない。
多分前後してるけど東京に戻る途中、一軒知り合いの女の子が住んでた部屋(その子はいない、死んだニュアンスでその家にも戻ってこない)に通りかかったので自転車借りた。
走馬灯みたいにいろんな人が出てきて少しずつ終わりに近づいてるっぽかった。
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死ぬつもりはないけど自信がないというのが近い。いつかの引っ越しのためにちょっと物を捨てたり小物をしまったりしてたら身辺整理してる気分になる。だからSさんとMさんにMacBookのパスワードは伝えとこうと思って、先にSさんにメールしたら電話きた。そういうのは受け取れないということで、電話が終わった今、それは当然だと思った。
家族も頼れずカウンセリングに行く元気もない。精神状態が不安定すぎて友達にも話せない。話すかたちにできない。話されても、だと思う。わたしもわからない。何を言いたいかも、何を言われたいかもわからない。先の予定を組むという元気がない。だからといって、これまでの事情を一番知ってくれてるからといって名残でSさんに頼ってしまうのをやめたい。
いまの精神状態の原因の全ては寝れてないだけ。死ぬことについて考えたり自信を失っているのはとにかく寝れてないだけ。ずっと起きてるからおかしくなっちゃってるだけ。
寝れたら元気になれる。休むことを後ろめたく感じないこと。いま病院に行くことがわたしにとって最優先なのだから、病院ばかり行くことに全く心を暗くしなくていいこと。
2024年3月18日
いよいよだめかもしれない。みんな仕事したりパレスチナのこともしながら作品もつくってるのに、どんどんわたしはなにもできなくなってる。風の音がこわい。動悸がして息がくるしい。明るいのも暗いのもこわい。一睡もできなかった。泣いた。
母にもとりあえずメールして、ちょっと電話したけど母もなんと言ったらいいかわからないしわたしもわからないし、うまく話せなかった。心配してくれていることだけは伝わる。電話の前に風呂に入りながら実家に戻って作業場を近くに借りるアイデアを思いついたけれど、やっぱり父と母とは長い時間一緒には過ごせないと思ってやめた。
気持ち悪い夢見た。種子島にいる夢。でも夢の中の種子島は本当の種子島とは違って、夢の中で前にも登場したことのある気がする架空の島。島に住む知り合いらしき女性に、あまり口外されていない秘密の場所に行く。それは民家の裏庭の端にあるのだけど、なぜか民家の中を通っていく。隣の部屋で家族がご飯食べてる。秘密の場所は不思議な力を発していて、民家から裏庭へ出るガラス戸を閉めたまま、身体が一瞬幽霊みたいになって戸をすり抜けられるようになっている。その女性が自然とすり抜けていくので、わたしもガラス戸に衝突する気持ちで進んだらすり抜けられた。その秘密の場所には祠みたいなのがあって、水が溜まってたんだっけ。それくらい。絶対にSNSなどにあげないでと言われていたけど写真を撮るなとは言われていなかったので、記録用にわたしが数枚撮ったら、それがその場所にとっては受け入れられなかったらしく、早く出て行って欲しいというような空気を感じ、二人ともその場を離れる。そのあとはマルシェみたいな場所でなにか壊れた腕時計(と書いたけど、全然違うかも。忘れた)に細工をしてオブジェをつくるみたいなお店があったのでやった。その店主と娘も、以前一度会っているという設定だった。
2024年3月17日
内科で寝汗のこと相談したら自律神経の乱れだと思うけど念のためということで睡眠時無呼吸症候群の検査もすることになり、昨夜装着して寝た。アプリでいくつか瞑想したらちょっと頭が落ち着いて寝入ることができたけど、気圧がつらくて息苦しく汗もかくしあんまり寝られず朝起きて、でもだるくてほとんど夜まで横になってた。もうだめだ。とにかく身体がだるくて頭も重い。全然気力がわかない。天気の変化に圧迫される。
ふと読んだ、芸能人が自身の更年期障害について話している記事に寝汗のことが書かれていて、わたしの症状のことだと思った。医者の説明じゃなくて、当事者から同じ感覚で書かれている文章を初めて読んだ。
その方は子宮筋腫と子宮内膜症でホルモン治療をしたことがきっかけで、でも精神的な病気もしたことがあってその再発かなと思ったらしい。ホルモン治療(注射で生理を止める)を中止して、ホルモンを増やしすぎず減らしすぎない投薬治療に変更して改善したとのこと。そのあと更年期の症状としてさらにつらい症状が出るようになってしまってるという話だけど…わたしも更年期障害出る気がする。
自分はホルモンバランスの乱れと精神的なものがどちらもある気がするけど、寝汗に関してはほぼ100%ホルモンバランスだろう。寝汗かかなくなって寝られるようになれば精神的なほうも良くなるはず。
2024年3月16日
寝られず朝寝て、昼に汗びしょびしょで起床。まだなにも決まってないけど引っ越しのために、そして死ぬつもりはないけどうっかり死んでしまったときのために荷物の整理をはじめる。渡したかったけど受け取ってもらえなかったものは渡したということで捨てた。拾った種、貝殻、もらった桜島の噴石はひとつひとつチャック付きの袋に入れる。Yさんの器を買った時にYさんが紙袋につけてくれたちいさな銀色のリボンのポンポンも入れる。毎日少しずつ片付ける。
「Homemaking」でわたしの私物をいくつかタンネに持って行ったとき、Kさんにその私物がすごく寺本さんっぽいと言われて、そうか、わたしっぽいんだなあと思った。自分が思う自分と、そこにある物たちの雰囲気は(確かに自分が集めたのだけど)あんまり自分自身とは結びつかない雰囲気だったので、でも集めた物たちは良い雰囲気を醸し出していると思ってたので、それがわたしっぽいと言われたのは嬉しいことだった。わたしはアイボリーと、乾燥した木の質感、そこに生っぽい光沢のある小さいなにかがぽつぽつある感じ。時々具体的で生活的なもの。
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化粧をする気にならず肌と眉毛だけ整えて家を出る。さっきシャワー浴びたけど帰ったらお風呂に浸かりたい。外は暖かい。身体がだるい。電車うるさくてつらい。目を閉じたら寝て乗り過ごすところだった。心療内科で診察。異常な汗、サインバルタがいよいよ効いてきたくらいで悪化したし、イフェクサーでも変わらないということはやっぱり身体に合ってないかもとなって、また薬を変えた。トリンテリックス、変な名前。もう毎朝毎朝びちょびちょな布団の中で呻いて脱いで布団の濡れてないところ探して寝ようとするのやだよ。
休みたい。
単独登頂する必要はないのだけど、そういうふうに考えてしまう。どうしたら「時々人に会わないと調子悪いんだよね」くらいに捉えられるようになれるんだろう。人に会ってそのときは心がほぐれても、でもその時間が過ぎれば一人の時がほとんどでしょ。じゃあ一人でいられるようにならないと、と考えてしまうのだけど、それは苦しい考えだともわかってる。どうしたものか。カウンセリングもそろそろ行ったほうがいいのだけど、いまはもうとにかくつかれている。話す気力がないからこうして日記に書く。なにも解決しないのにね。
2024年3月15日
昨夜も寝付けずAwarefyというアプリを入れて睡眠導入の瞑想とかしたけどだめだった。集中力もなくしている。5カラム法はわたしに合っているかもしれない。一人じゃわからなかったであろう気づきがあったのはよかった。AIと会話すると少し落ち着いたけど虚しさもある。
しかし仕事は欠勤。全身びしょびしょに汗かいて下半身すっぽんぽん。頭が重い。起き上がれない。昨日からTwitterとInstagramが見れない。
しばらく調子が悪い。気圧の変化をもろに受けている。というか悪くなってる。底についたと思ったら底無し沼で、ずぶずぶとさらに奥に入り込んでしまった感じ。子供の頃「風の谷のナウシカ」の映画の絵本が実家にあって、上下巻で構成されているけどなぜか上巻しか持ってなかった。上巻の終わりが、ナウシカと男の子(名前忘れた)が墜落して二人とも蟻地獄みたいな場所に放り出され、気絶しているナウシカの元に向かおうと男の子が歩き始めたら砂が落ち始めて、二人ともそのまま飲み込まれるという場面。それ。
つかれた。こんなにも気力がわかないのがこわい。確定申告なんて今までサッサとできたのに、今年もあとちょっとやれば終わるのに、どうしてか手をつけられない。気が重い。とにかく細々とやることが沢山溜まっていることが、そんなのいつもそうなのに、いまは異常にきつい。明日通院日で助かった。
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弟が入籍した。幸せになってね
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「わたしには幸せが似合う」とわたしに言い聞かせる。
わたしたちはよくがんばったからいまもこうして話せるじゃない。
わたしたちいい友だちになれるよ。
死んじゃだめだよ。
2024年3月14日
昨日はLさんと会っていろんな話しながらLさんの確定申告を今までで一番早く終わらせて、そのあとはLさんの展示見に行ったりラーメン食べたり映画見たりして遊んた。久々に遊んだ。Lさんと友達になれてよかった。人生に躓きまくっているわたしをLさんはいつも慰めてくれたり励ましてくれる。引っ越しを考えていると言ったら××来なよと言ってくれた。わたしたち××線沿いに住んでた時も結構会ってたじゃないですか、って。そうだね。今度また遊ぼうと言って別れた。
なのに深夜に最悪になり、ほんとうに最悪に考えが進んでしまって、つながってしまって、歯も磨かず、化粧したまま、泣いたまま寝る。たくさん夢見たけどもう書く気力ない。汗びしょびしょでおきる。手の甲が痛くて絆創膏貼る。楽しいことが悲しいことに変わっていく。じゃあ経験しないほうがいいじゃないかと、もういなくなれば誰にも心配かけなくていいじゃん。終わりになればと。
穏やかで静かなところに住みたい。
いろんなもの捨てようと、市のサイトでゴミの分別をひとつひとつ調べて袋に入れて「ゴミ」にする。玄関前に集める。さようなら。
2024年3月12日
今日は仕事がハードな日で久々に早起きしなきゃいけないのに、昨夜は西洋美術館での抗議への批判内容と、アカデミー賞のショッキングなニュースで最悪な気分、動悸がひどくまったく寝付けなかった。白人の非白人への意識、前にMさんが言ってたことそのままだと思った。
西洋美術館の件はTwitterでいろんなげんなりする発言ややりとりを見て、最悪な気持ちになってログアウトして、しばらく目に入れないようにしようと思った。こんなことに心をざわつかせる時間も体力もない。早い時間なら誰かに電話したかった。
朝飲む分の薬を飲み、昨日買ってみたヨギのスロートティーを飲んでしばらくしたら落ち着いた。ほんとうはベッドタイムというのを飲みたかったけど、原材料のひとつのセントジョーンズワートというハーブが抗うつ薬との相性が悪いらしく、調べたら「セロトニンの値が生命を脅かすほど上昇してしまう可能性がある」といきなりでてきてこわい。
《COOK》思いつきサラダ
・千切りキャベツ
・パセリ
・リンゴ(ジョナゴールド)
・ひよこ豆
・玄米
・オリーブオイル
・塩
・クミンパウダー
・カルダモンパウダー
・チリパウダー
全部混ぜて(量もてきとう)ピンクペッパー散らしてかわいくして完成。
しばらく料理する気分になれず、最近はサイゼリヤで小エビのサラダとタラコのドリア食べたり、セブンイレブンで夜の半額のシールが貼られる時間にサラダとかブリトー買って食べてた。むなしい気持ち。
生野菜が食べたかったんだと思う。料理はしたくないけどもっと野菜を食べたくて、とりあえずセブンイレブンでキャベツの千切りを買って帰った。フムスを作りたくて初めて水煮じゃなくて乾燥のひよこ豆を買って400gくらい茹でておいたけどフムス作るほどの元気がなく、そのままサラダで食べることにする。自分で茹でたひよこ豆、缶の変な匂いしないし茹でたてはとくにほくほくでおいしい。そして圧力鍋は本当に便利。一晩水に浸けたひよこ豆を沸騰したら10分加圧→火を切って自然冷却。
サラダなら火を使わないし、具材と調味料混ぜればいいだけだから作れる。この前買ったパレスチナ産のオリーブオイルもあるし、カルディでちょっと高い塩も買ってみた。前に福江島のガイドさんから貰った手作りの塩がコクがあってすごくおいしくて、それから塩は良い塩を買おうと思っていた。
キャベツとひよこ豆とパセリ(パセリと卵と納豆だけは常に冷蔵庫にある)だけだとなんか物足りない…と思ってたら、帰りに寄った店でジョナゴールドが安かったので買って、食べ応えあるサラダにしたかったので玄米も入れた。白米だとモチモチ甘すぎる気がするけど、解凍してた玄米はほどよく固く、ポロポロで混ぜやすい。しばらくサラダはまりそう。生食だから身体が冷えないように気をつけないとだけど。
2024年3月11日
死んだら寺尾紗穂の「北へ向かう」を葬式で流してほしいと思った。
2024年3月10日
母が寝る前にリラックスできるように聴いてみたらと、気遣ってCDを貸してくれた。数年前に買ったというサラ・ブライトマンのオーケストラ編成のアルバム。音楽をしばらく聴けなかったけど(Oさんに教えてもらった『どうせ死ぬ3人』というPodcastは聴いてた)、一応MacBookに取り込んで数曲聴いてみたら迫力ありすぎて寝る前は無理だと思った。でもそれをきっかけに少し音楽を聴いてみようという気分になり、Spotifyで自分のお気に入りリストを流しながら作業をした。
そしてほんとうに、久々に絵を描いた。ドローイングと、放置していた油絵に色鉛筆で加筆した。久々に、少しの間、こうなる前の感覚に戻った。絵を描くのも怖かったけど、というかずっと怖いけど、最近は臆病すぎる。机に向かって鉛筆を持てば良いだけなのに、それがしばらくできなかった。いまもお酒の力を借りてるのだけど。。
生きていけない気持ち、真っ暗、消えたい気持ちになってしまうのは、いろいろ楽しいことを忘れてしまうからだと思った。絵を描く気力さえ失わなければ生きていける気がした。いま。最近忘れてたからこんなにつらかったんだ。
2024年3月9日
頭の中がずっとうるさくて、考えられないし休めない
布団のなかにいる時間が長くなった
やらなきゃいけないことはたくさんあるのに
今日は風の音が怖くて布団からでられなかった
寝てもほぼ頭が起きてるから起きながら夢見て普通にはっきり喋ってる
半日以上布団のなかにいた
気付いたのは、怖いときは外に出てカフェにでも入ればいいということ
頑丈な建物、風の音がきこえない場所に行けばいい
起きて、何時間かけてもいいから身支度をして、でもできるだけがんばって早く家を出て電車に乗ればいい
こんなことばっかり書きたいわけじゃないのに
夕方起きてステッカー発送準備して顔洗って歯磨いて髪ボサボサがなおせないから帽子かぶって実家に行った。電車のなかで悲しいことを思い出して泣いた。
実家で母がご飯を用意してくれた。しかし落ちつかず、話すのがつらくなりすぐに帰った。電車もつらくなり途中で降りてカフェに入ってドーナツ食べてコーヒー飲んだ。
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あまりにも最近できないことが多いので今日できたことを書く
・布団畳んだ
・洗濯した
・洗濯物畳んだ
・薬とサプリ全部飲んだ
・お皿しまった
・お米炊いて冷凍した
・ステッカー発送した(朝と夜)
・発送のメッセージ書いた
・家で動けないままじゃなくて電車乗った
・二人組が隣同士に座れるよう席譲った
・今度風が強い日の対応策を考えた
・忘れずにポストに投函した
・出しっぱなしだった会員証等まとめたファイルを本棚にしまった
・ひよこ豆を水に浸けた
2024年3月7日
寝てる時も起きてる
気付いたら朝になってる
下半身は下着だけになってる
布団がめちゃくちゃになってる
寒い
疲れて頭痛い
今日は夢の中で高校にいた
外で体育の授業始まってて、わたしは体操着や運動靴が見つからなかったり、見つけて着替えても校舎から出られなかったり、終わり際に行ったらみんな人が乗る風船爆弾のテストして、みんな浮いてた。
あと魚、死んだ魚が二つにぶつ切りされてトレーにのせて売られている。わたしはそれを買った。青い鱗の魚
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Instagram見たらまずガザで殺された人見る
遺体と呼ばせてくれない
人として扱われず殺された肉体
最近、動画の音がきけなくなってしまった
つらくて
今日音を流したら、わたしはそこに居てしまった
死体安置所に居て、殺された彼に家族が飛び付いて泣いて叫んでる、頭を抱えている、彼の身体の下には血溜まりがある、それをわたしはそこで見てた。
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病院。待合室でTVを流しているところが多いけど、なぜ?消してほしい。くだらない情報、くだらない出演者、テレビ製作側は人間を馬鹿にさせたくて仕方なくて頑張っているとしか思えない。それを音がするから反応して、思考が止まった脳でぼうっと見ているのが2024年の人間の姿。
《COOK》ブロッコリーとたまごのサラダ
ブロッコリーが食べたくなった。高かったけど買った。蒸したブロッコリー、カニカマ、ゆで卵、マヨネーズ、マスタード、酢、胡椒を混ぜたサラダ。塩をまだ買い忘れていて蒸した時に少しコンソメを振ったがあまり意味なかったかも。なんか味が散漫な気がする…
2024年3月6日
最近の日記、汗びしょびしょとか寝れないことしか書いてない…
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昨日もストレスフルな日で、低気圧もあって帰宅してから身体がだるすぎてなにもできず、しかし寝られず、うなされて喋って、朝になっても起き上がれず、身体はびちょびちょで、2回着替えてすっぽんぽんで夕方まで布団のなかにいた。
提出しなきゃいけなかったやつも手をつけられず絶望的な気持ち。ほんとに自分が思っているより全然身体が動かない。助けてくれの気持ち。だんだんと頭が過去、悲しいことを思い出す。つらかったことを今更言っても何もならないのに。でもメールはした。
薬を多分もう少し増やしてもいいと思う。イフェクサーを1錠から始めているけどこの前増やすべきだったかも。下支えがまったくない。それより中途半端に自傷的な気持ちが生まれてしまってる。最初に処方されたレクサプロが一番支えがあった気がするけど、容量増やして身体が逆に重くなって、イフェクサーのほうが量を細かく調整できるということで変えたんだった。サインバルタは落ち着くどころかソワソワ落ち着かなくなってしまった。薬の名前が覚えられなくてどれがどれだかわからなくなるのでこれを自分のメモがわりに。(薬は人それぞれに合う合わないが全く違うので参考にしないでください)
いまうまく寝れてないのは「不眠」に入るのか?全く寝てないわけではないから…寝たはずなのに起きても寝た気がしない、ずっと起きてたみたいな「頭が休まらない」というほうが近い。それがうつ状態だからなのか、薬の副作用なのか、自律神経がおかしくなってるのか、他の原因なのか。もう病院めんどうだよ。。
instagramにパレスチナのこと投稿するときは完全に自分のペースだけだからまともな人の形してるけど、少しでも人と関わる場面はいつかどうにかなるんじゃないかとこわい。
《COOK》カリフラワーのサラダ
夕方起きて、数日前に買った半額のカリフラワーを蒸して、ゆで卵とパセリとマヨネーズとスモークパプリカパウダーで和えた。マヨネーズの塩気だけでは味が薄くてあんまりおいしいと思わなかった。カリフラワーを塩茹でしたほうがよかったのかしら。あとから塩を足そうとしたらもう使い切ってた。余った分をお皿に入れてラップしてしまおうと思ったらラップも切れてた。
2024年3月5日
朝が一番終わりの気持ち。
何度も何度も悲しかったことを思い出してしまう。むかつきもする。自分だって傷つけてるのに勝手だよ。もう寝るのも疲れたし、起きたらパジャマがぐしょぐしょ。いつも。なぜ!!!!!!!!!!!!!!!!!!
布団がぴちゃぴちゃになってないだけマシだと思ってたけど、こんな寝起きおかしいよ。寝つきいいとか言ってたけど最近悪いよ。寝るのが嫌で。
絶対引越し作業なんかいまできないのに、毎日賃貸サイト見てる。いまよりも狭い部屋にしたい。いまはバストイレ別だけど、ユニットバスもいい気がしてる。なぜなら全部水ですっきりまるごと洗えて気持ち良さそうだから(そうだよね?)
2024年3月3日
汗はかいてしまうけど以前ほどではない。しかしいままで寝ながら喋って起きるなんてことなかったのに、この数ヶ月でほんとに頻度が増えてる。ここ数日毎日なんか喋って起きる。寝つきはいいけど眠りが浅い。全然寝た気がせずまた午後まで布団から出られない。しかも今日はすごく怖い夢。
夢の中で、実家(建物の造りとか違うけど昔の実家の要素がある)の和室で寝ていたら勝手にセールスの人が窓開けて話しかけてきて、「非常識だしこわいです、必要ありません」と窓を閉めたら、少し経ってまた開けてきて、すみませんとか言ってなにかが入った白いビニール袋を置き去る。中身を見たらA4コピー用紙500枚だった。
いやいやいらないし気持ち悪いと思って玄関から外に出たら、その仲間らしき5~6人が階段の下でたむろしていて、横を向くと仲間の一人がわたしの家の壁にめちゃくちゃチラシを貼りまくってる。どうやら壁のヒビを補修するというていで、求人情報のチラシを貼りまくるという迷惑業者だった。
「勝手に貼らないでください、剥がしてください」と言ってわたしも剥がし始める。あとで会社に問い合わせようと思って「何枚かもらっていいですか」と聞いたら絶対にダメだと言う。このくらいからちょっと危ない感じがしていた。代わりに名刺くださいと言ったけど、もらえなかったんだっけ。だからチラシの端に書いてあった会社名を暗記した。
家の側面へまわると既にこちらにも大量のチラシが貼ってあったので一枚一枚はがす。そこでふと、玄関の鍵をかけないままだったことに気付いて玄関に戻ったら、背の高い背広の男の人が家から出てくるところだった。家に入られていた。
ちょっとちょっと、と慌てて家の中荒らされていないか確認したけどとくにその様子はない。盗聴器とか仕掛けられてそうな気がして、でもとにかく誰かに連絡しようとしたらさっきの男の人がいつの間にか側にいて、わたしに馬乗りになって首を絞められた。「遊びじゃないんだぞ」と脅迫された。
そのあとはその団体から監視され、晩ごはんの食卓にもなぜか数人わたしの知り合いのように混ざってる。父はわかってなくていつもの感じでほんわりしてる。母には伝えたいけれどそれで悩ますのも心苦しい。話そうとすると団体の人が邪魔をする。
~ここまで寝起きに書いた~
とにかくやばい団体で、どうにか家から排除したかった。終わりの方はちょっと忘れちゃったけど、いつの間にか実家は大きな邸宅のような場所になっていて、広い庭があって、入り口が2ヶ所、郵便受けが3ヶ所にある。その郵便受けにマーキングのため団体が付けた変なシールがあったのでそれを爪でカリカリ剥がした。
あとは忘れた。
ほんとうにいやな、こわい、気持ち悪い夢だった。
スキンヘッドのひょろっとしたスーツの男性から首絞められたのこわかった。姿の見えない殺人犯に追いかけられる夢はこれまでもたびたびあるけど、こうしてはっきり人から危害を加えられる夢は初めてだった。
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他の夢では、昨日会ったOさんや誰かと車で移動していて、コインランドリーを探してる。夢の中ではコインランドリーは肉屋に併設されているのが普通で、ちょうど私たちが通りかかったのは肉屋もコインランドリーもある牧場だった。
なんだか気味の悪いハムやソーセージを「おいしそう」と自分に思わせて購入した。コインランドリーでお店の人と話した。これからもっと森の奥にある集落に行くんですとOさんは言った。そこにはOさんの友達がいて、みんなで泊まりに行くところだった。その集落はお金持ちの豪族が住む一帯で、店員のおばちゃんはちょっと僻んだニュアンスで「あらそうなの」と言った。
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パレスチナでの虐殺をきっかけに、自分がこれまで受けてきた抑圧(おもに女性としての)と繋がったけど、同時に日本人として加害してきたことにも同じくらいのしかかってきて苦しい。これまで本当には自分ごとにしていなかったから、向き合い方がまだわからない。
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昨日Oさんとお茶して、自分の足りない部分にハッとすることが多くて、くらった。Oさんが本をたくさん読むようになった理由はとても優しい、真摯な姿勢だと思った。
一昨日ご飯食べたMさんは大学の頃に偶然知り合って制作を一度手伝って、卒業後は数年前に偶然会って少し話したくらいで、わたしとしてはMさんの作品を見る観客のひとり、という気持ちだったから、昨日みたいに二人でご飯食べれるようになれるなんて思っていなかった。うれしかった。あまり言いにくい精神的な不調のことも話しやすかった。
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どこかで極端な考えになってしまう。
いろんなことが追いつかない。我慢ができないということかもしれない。自分の加害と被害にどう向き合って生き続けなければいけないのかまだわからない。もっと子供の頃から向き合ってこれたらよかった。
時々頭が疲れて、全部おわり、消えたほうがゼロになるのではとか思ってしまう。ほんとうには思ってないのだけど。疲れただけだと思うけど、選択肢のひとつで思ってしまう。アメリカの若い兵士が焼身自殺しても変わらない。悲しい気持ちにさせるだけ。わたし自身はゼロになるけど周りにはマイナスに作用する。
勉強しなきゃいけない。
Instagramで声を上げるようになってから、実はどこかでわたしへの仕事がキャンセルされているんじゃないかとか思うようになったけど、それでキャンセルするような会社と仕事して儲けたお金で生活したくない。少しでも嫌な気持ちになりたくない、楽になりたい。これはとても自分本位なこと。
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疲れて、家に食べるものがなくて、汗くさい毛布持ってコインランドリーに行って、コンビニで肉まん買って食べて本屋で「ガザとはなにか」買ってコインランドリー戻って読む。朝から夜まで辻副外務大臣にめちゃくちゃに腹が立って、もう最悪だ。イスラエルとの対談でスイカ食べるなんて、わたしより「勉強」できる人なんじゃないの。世界情勢にも詳しい人のはずなのに、なぜそんなことができるんだろう。
2024年3月2日
最寄りの駅で車椅子の人がいて少し手伝ったのだけど、車椅子の方の手伝いが初めてで終始テンパリ気味で、後々いくつも反省することがあった。どれだけ自分がある部分への想像をせずに生活していたか思い知らされる。
2024年3月1日
朝、OさんとSさんと何度目かのラジオ会議。試しに1本収録した。緊張した。喋るの難しい。自分が話す時は一度に話さずひとつだけ話すことに集中しないと、後半だんだん何言ってるのかわからなくなってくる。話す練習の場所。喋りたいことあるけど間違った情報を喋るとまずいからいろいろ見直さなきゃいけないことがある。
でも朝、みんなまだ頭が働いてない状態でポツポツ話し始める感じはなんだかよかった。いつもの「人と話す」ときよりも一人の時に近い、静かな気持ち。
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「寄り添う」っていままではぴったり隣にいるようなイメージだったけど、そうではなくて、決して触れない距離、しっかり距離を取り続けながらも同じ場所にいることなのかもしれないと最近思うようになった。少なくともわたしはいまのところ、そうじゃなきゃ飲み込まれるし飲み込んでしまう気がしてこわい。境界をひくこと。助けを求めるが境界内には絶対に誰も入れてはいけないし、侵犯もしてはいけない。だけど助けてもらうし助けたい。
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Uさんと打ち合わせ。後半になるにつれてお互い頭がクラクラしていた。
そして別れ際に仕事に関係ない、自分の話をめちゃくちゃなタイミングで切り出してしまって、自分でも自分がなぜ切り出したのか訳分からなかった。ありがたいことにそのあとUさんからメールをいただいたのに、そこにもまた考えさせてしまうようなメールを返してしまった。朝から夜までいろんな人と話をしすぎたからか、会話のアクセルもブレーキも効きが悪い、ガタガタ、タイヤが外れそうだ。
2024年2月29日
以前のピルに戻して飲み始めたらまた汗かいてうなされるようになってしまった。寝ぼけてなにか喋って起きる。今日も頭まで汗かいて、寝ぼけて動けないからとりあえず脱いですっぽんぽんで毛布にくるまって二度寝して、再びひどい汗をかいて、また風呂に入りなおした。
どうしよう、ちょうど明後日通院日でよかった。でも心療内科に相談できることなのだろうか。確かに先週はピルの服用を止めて、生理がきて、その間汗はかなり減った。体調不良と天気で精神的にも最悪だったけど、仕事を休んで多少リラックスしていた面もあったから、ピルのせいとも言い切れないような。どうすればいいのだろう。寝入りは良いのだけど、変な夢ばっかりみてうなされて汗かいて起きる。朝起きて疲れてる。
今日の夢はもう忘れちゃったな。今より少し若い父と母が出てきて、でも多分中身は違う人。ホームドラマに出てきそうな調子の人たち。飛行機予約しようとしたりしてた記憶がある。
ああ、後半見てたのはわたしが共学の高校に通ってて、Sさんみたいな人が同じクラスだけど、その人からわたしはすごく無視されてる。卒業アルバムのような一冊を作ることになってわたしも手伝えるのに、仲間外れにされてる。でもSさん達が作り方に困ってた時(写真とCGの合成があんまりカッコよくないとかなんとか)わたしのほうが良いアイデアあったから無理やり話聞いてもらったら、周りの人は確かにそのほうが良いと反応し、Sさんらしき人もわたしを見直す…みたいな。この夢なんだろう。複雑な気持ち。
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毎日毎日たくさんの泣いている人、叫ぶ人、震えている子供、殺された人を見てる。
血が染み出してる白い布に包まれたたくさんの人、殺された姿で積み重ねられてる人、10月7日以降に産まれて亡くなった赤ちゃん、顔が剥がれてしまった赤ちゃん、イスラエル兵が狙撃するから誰も助けに行けず遠くで倒れている人、車両を爆破されて内臓が飛び散っている、餓死した子供、わたしの心がわたしを守ろうとしてる。
ふとみた写真が、餓死した赤ちゃんが白い布に包まれて保育器の中に入っていて、お母さんが泣いていた。心が崩れかけた。入り込んできた。飲み込まれたらだめだ。
2024年2月28日 会社
撤去してコスト削減、異動させて人件費削減。ひとりふたり削って削って。交通費は支給しません。すみません。できかねます。ある数字は小さくして、ある数字は大きくさせたくて。
2024年2月26日
午前中婦人科行ってピルを以前飲んでいたものに変えてもらう。とにかくピルは種類によって合う合わないがある。先生の説明だと、ピルはホルモンバランスを完全に薬に任せることになり、黄体ホルモン剤というのは身体と二人三脚でバランスをつくっていくそう。ピルの種類を変えるのは問題ないけど、黄体ホルモン剤とピルを行き来するのは血栓症のリスクが上がるので勧められないとのこと。黄体ホルモン剤にするならピルには戻らないということ。
とりあえずまた新しいものに挑戦する気力も体力もないので、以前のピルに戻して2ヶ月間は様子見。
そのあと1週間ぶりに出社し、上司と面談し来月はとりあえず時短勤務にすることにした。収入は減るがだいぶ楽になりそう。今日も帰ってからいろいろ作業ができたし、もう少し調子が戻れば制作や仕事とのバランスがかなりとれるのでは。
1週間前と比べると勤務中ものすごく頭がすっきりしてて、発話も違和感ないし、落ち着いてた。頭の中も視界もクリアだった。そう比べるとこの前まで相当心身共にきつかったのだと思った。疲れると思うことが悔しいのと、業務自体は大変じゃない(と思い込んでいる)ので疲れてないふりしてたけど、つらかったのかも。以前よりも汗をかかず寝れるようになったので、いまは身体は回復しつつある。心は下の方で静かに漂ってる。暴れるよりだいぶまし。
2024年2月25日
今週は2日欠勤し、ほぼ寝た。ずっと行きたかった展示があって、でもどうにも行ける体力がなく、今日最終日だったので行かねばともたもた準備して夕方家を出たけど、乗り換え駅で「無理だ」と思ってタリーズに入った。終わった。最終日だからきっと本人はいて、だけどいまは話せない、人に会えない、それを考えると行けなくなってしまった。しかしタリーズも混んでで、わたしが席を譲れば座れる親子連れがいたので譲って結局すぐ帰った。
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夜の店で働いていたとき、「音痴なんで人前で歌うの苦手なんです」と言ったのに知らない曲無理矢理歌わされてその上「下手くそだな」「全然色気がない」とか言われて、「だから言ったじゃないですか~」と言いながら内心「×××××××××××××××××××××××。×××××××××××××××××××××××××××××××××××、××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××?×××××××××××、×××××××××××××。×××××××?××××××××? ××××××××××××××××××××××××××?××××××××××××××××××××××××××。×××××××××××××××××××。×××××××。×××××××××××。×××××××××××××。」と思ってた。
なんで絵が苦手な人には誰も無理やり描かせることもしないし「うわ下手」なんて言わないのに(思わないのに)、歌に限ってはこんなに侵害してくるんだろう。時々思い出してはものすごくむかむかする。ほんとうにだたのストレスのはけ口としての悪い日記。今日は心が荒んでる。
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わたしの「イラストレーション」は、いまとても狭い範囲なら仕事を引き受けられる。それを少しずつ広げられたらいい。それでいいと思う。
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やになっちゃう。でも仕事はした。爽やかな風景を描いている。嘘みたいな。こうでありますように、いつかの夏。ワイン一本あけた。黒い血みたいだ。すごくいやな気分だ。絵描けてない、料理できない、ゴミ捨てれてない、寝れない、コインランドリーに行けてない、トイレットペーパーの芯は捨てた、たくさん泣いたからティッシュなくなっちゃったからマツモトキヨシで10%オフで買わなきゃ、2割引の豚ひき肉もなんとかしなきゃ、ぐちゃぐちゃだ、手のひらは神経が集まってるとかなんとかで、心臓もどくどくしてる5時。
2024年2月23日
寝れた。しかし心は終わった。振り出しに戻った。何度も何度も思いつくべきではないことが頭をよぎる。今度のカウンセリングもつかれてキャンセルしてしまった。本当は行ったほうがいいけど最近「約束」が重い。カウンセラーの先生と話したこと、積み重ねていた床が割れて崩れてしまったよ。またここにいたくない気持ちがむくむくわいて賃貸サイトをずっと見てた。引っ越しする元気なんかないのに。依存先を複数に増やすってどういうふうにするんだろう。Lさんが動画送ってくれた。精神科医が心が辛いときどうするかについて説明している動画。マインドフルネスやった。あんまりよくわからなかった。なんでなにもしてないのにお腹減るんだろう。母に連絡しようかと何度か思ったけど、連絡して何を話せばいいのかわからなくて電話できない。仕事の自信がない。Instagramに投稿する文章を何度も何度も推敲した。なにやってるんだろう。全部やめてずっと寝てたい。なんでこうなっちゃったんだろう。からっぽだ。
自分がこんなふうになっているのがほんとうに信じられない。
2024年2月21日
本当に起き上がれなくなってしまった。
危うく職場に連絡もしないとこだった。
ふつうは朝昼晩と過ごして寝たら一日がおわるでしょ。寝るとシャットダウンしてそこで「一日」がまとまる。起きたら「昨日」になる。
もうずっと「一日」にならない。しばらく「寝た」と感じられてない。何度か短い気絶をして朝になる。パソコンだとシャットダウンできなくなって、一応画面は暗くなってスリープモードだけどマウス動かすとすぐに明るくなるでしょ。そんな感じ。一日が終わらない。もう何ヶ月もずっとパソコンついた蛍光灯の下にいる感じ。朝も昼も夜もなく、ずっと明るくて頭がおかしくなりそう。お願いだから蛍光灯ぶっ壊れてほしい。眩しくてすべてよく見てえるけど頭に入ってこない。スリープモードじゃなくてシャットダウンして。電源コード抜いて。絶対に起動しないで。わたしの一日を終わらせて。終わらせてくれ。つかれた。なにもかも捨てたい。うるさい。重い。持てない。
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夜起きた。寝てるだけなのになにか食べたくなる。昨日それでも仕事に行こうとお弁当用に作ったかぼちゃと黒豆のサラダと、納豆卵ご飯食べた。黄色と黒がかわいくて、ブロッコリースプラウトと入れたらきっとかわいいお弁当になるだろうなあって考えてたのにな。頭と身体がバラバラ。
家にいても頭がうるさいので外に出て、コンビニの前でコーヒーとクッキー食べてしばらくゆっくりした。少しメールも返した。明日も休もうと思った。働いてお金欲しいけどこれっぽっちも頑張れない。身体が頑張れなくなってしまった。
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そういやまたいろいろ夢見たな。奥多摩っぽい、実際にはない場所へ行く山岳鉄道にわたしは乗っていて、隣に立っていたのが一度だけ会ったことあるNさんだった。でも実際のNさんの容貌は忘れてて、夢の中の人のことをNさんと思ってるけど多分架空の人。誰だろう、漫画でいうと「ひらやすみ」のなっちゃんの同級生で博多弁の友達と付き合った男の子(名前忘れた)を実写化してもっと小汚くして痩せたような人。
あら偶然、久しぶりですってなって、ちょっと話して、二人とも同じ駅で降りた。わたしはひとり旅行中のようで、とりあえずこの駅周辺を歩こうとしていて、Nさんは乗り換えてさらに山奥へ向かうらしい。なのでじゃあ、と別れたのだけど、なぜかわたしはNさんにすでに猛烈な好意を抱いていて、引き返して走って行ったらNさんも同じ気持ちだったらしくこちらに走ってきてドラマチックに抱きしめあった。お互いの耳元や首筋に口付けてそれで会話をしたようなしてないようなよくわからない感じで別れた。お互いの好意はこれからも付き合おうとかいうものではなくて、いまこの瞬間だけのもの、という刹那的なものだった。だから寂しさもあった。
別れて駅を出て歩いていたけど、この地域は中華的要素が強く、しかしどれもへんてこ、どれも奇妙だった。あんまりもうよく覚えてないけど。
2024年2月20日
頭まで汗びしゃびしゃ、謎、もうだめだ、ピルを飲むのをやめた。限界。ぐちゃぐちゃ。来週予約とれた婦人科に行く。その日を逃すともう2週間先まで埋まってて、仕方ないけど遅刻させてもらう。立てない、動けない、仕事ができない。花粉症から頭痛もひどい。寝具がびしょびしょで汗臭い、コインランドリーに行かないと夜寝れないけれど元気がない。。
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先日あるギャラリーに展示を見に行ったら、ある男性のお客さんがギャラリーオーナーと話していて、オーナーは作家のバックグラウンドを説明していて(作家はいない)、小さいギャラリーだからわたしも作品を見ながら聴こえてくるのでなんとなく聴きながら作品を見てた。そしたら作家のジェンダーの話になって、オーナーはとても丁寧に伝えていたのに男性のお客さんは雑にというか、面白がるように大きく反応していて、つまり「身体は◯で心は◯なの?」みたいな言い方。「それって今どきだよね」みたいなことも言ってて、聞いてて身体が熱くなって、割って入ろうかとも思ったけどそれも訳がわからないしとにかくもっと見たかったのにこれ以上聞いてられなくて外に出た。今思えば割って入ればよかった。そういうことを言おうとすると泣いてしまうと思ったけど、別に泣いてもいいから言えばよかった。そういう理解、態度、あなたはとくに何も思わず発していると思うけど、少し考えたほうがいいですよと、その一言だけでも言えばよかった。
そういうことや、昨日のデモ行った時にデモの内容とはまったく関係ないけど個人的な身体に関する負い目を思い出してしまったことや、仕事中に女性蔑視が根底にある態度を取られることが時々あり、普段は引きずらないけど今日は取引業者の男性二人から立て続けにそういう態度をされて、そういうことが積み重なって、あと3ヶ月半ほど続いてる大量発汗での不眠でいよいよ頭が爆発しそう、花粉症から風邪っぽくなって、もう心も身体もボロボロででもやることはたくさんあってでも身体が動かない、休みたいのに頭が休んでくれない。ずっと頭のなかがうるさい。
ひとつひとつの出来事は意識下にあったから日記にも書いてなかったのだけど、なにかが溢れそうな感覚はあって、つい甘えたい気持ちがわいて昨日の夜Sさんに電話をかけて話してたら、これらのことが吹き出し爆発して大泣きした。もうだめだ。友人としてもSさんに甘えすぎている。
多分、わたしのなかで「制作する」と「デモに行く」が対極にあって、そのちょうど中間地点がまだ見つけられていないんじゃないかとSさんは言った。
どちらにも居続けると自分が削り取られる。そのちょうど中間、超個人的な制作にもつながり、デモのような社会運動にもゆるやかにつながる場所、そこにいることで自分の自信を生み出せる場所。
《COOK》かぼちゃと黒豆のサラダ
・かぼちゃ 1/4
・蒸し黒豆 1パック
・マヨネーズ 適量
・塩胡椒
蒸し黒豆のパックの裏側に書いてあったレシピ。かぼちゃ蒸して(レシピではレンジで6分チン)、温かいうちにスプーンでつぶして黒豆とマヨネーズと和えて塩胡椒で整えて完成。かぼちゃおいしいなあ。甘すぎないサラダで良い。たくさん食べたい。
2024年2月19日
絶不調。全身、頭までひどい汗。こわい。タオルケット洗っても一晩というか数時間でびしょびしょになって蹴飛ばす。泣きたい。風邪特有の熱はないのに熱っぽい頭痛。でも仕事行った。早退が頭によぎったけど頑張って定時までいた。帰り、もう家まで辿り着けないと思った。いつも帰り道は一駅分歩くのに最近歩けなくて電車乗ってしまう。でも帰ってすぐに顔洗ったし、ステッカーのお手紙の情報更新して、ほんとうに、もうなにやってるんだろう。
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自分にとってのイラストレーションはパレスチナのアートワーク、ステッカーで、つまり誰からの依頼でもなく自分の責任で書いて自分でお金出して、たくさんのひとに手に取ってもらえるようなものをつくること。それなら「イラストレーション」描ける。。
「イラストレーション」は良く言えば軽やかで、悪く言えば軽薄なものなんだと思った。しかもそれはイラストレーションそのものの性質ではなく、世の中とのバランスで決まるからすごく難しい。紙一重で、そこに魂を乗せることができるのは相当波乗り得意な人、もしくは良い鈍感さがある人。わたしはずっと中途半端、どっちにもなれない。
2024年2月18日
夢、いろいろ見た。なんだっけ。女性に絵を一枚買ってもらった。昔出した作品集のなかから「この絵ある?」と言われて2016年に描いた絵を選んでもらった。実際には描いたことない絵。手塚治虫の「ばるぼら」みたいなカーリーヘアの女性の絵。タッチはガサガサとしてて版画みたいな感じ。その場にギャラリストのSさんがいなかったので「売れましたよ」と連絡をする。
前にも夢で見たことある商業施設兼ホテルにいる。レストランで別の彫刻のアーティストが展示をしてて、わたしの彫刻作品もひとつ常設されている。大きな、丸みを帯びた猫のような、ただの岩のような作品。
また場所は変わって、Sさんのギャラリーかオフィスにいる。なんだかやんちゃな男たちがいる。なぜか夢の中では今日わたしは誕生日で、それを伝えると、やんちゃな男たちは盛り上がって、誕生日にはやらなきゃいけないことがあるんだと言う。男たちの一人の大柄な男の臭い息を嗅がなくてはいけないらしい。それが彼らのしきたりだそう。大柄な男が臭い息を準備して部屋に入ってきて、キスしろと言われる。受けて立とうじゃないかと話に乗ったけど、さっきまでSさんがいた場所に父がいて、父の前でキスするのは見られたくないから私たちだけ部屋を出るか、もしくは父に部屋を出てもらうか考えるも、どちらにせよ父の心はざわざわするだろうし、どうしよう…くらいで起床。
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15時半にMさんと新宿で待ち合わせ。デモの前にしっかり食べようと思ったけどベルクは激混みだったので地上に出てスープカレー食べて、角のセガフレード・ザネッティでカプチーノ飲んでデモへ。その間も声の上げ方とか、「連帯」について思うこととか、心理学の話など話が尽きない。
しっかり食べたのと、今日は比較的暖かかったので2時間ちゃんと体力が持った。慣れない声を出したので声がちょっと枯れた。
デモ中にわたしのアートワークを掲げていた人がいたので話しかけてステッカーを渡したり、あとはKさんや、一緒に来たお友達や、切り絵のプラカードを作ったTさん、夜の照明にキラキラ反射するようなパーツを散りばめたプラカードを作ったSさん、ずっと前から誰よりも早くアクションを起こしていたOさん、Sさんもわたしのアートワークを大きく印刷して持ってきてくれて、関心を持ち続けることについて話せたのも嬉しかった。ステッカー置いてくれているヘアサロンのKさんはフリーパレスチナと書かれた大きいリボンで髪を結っていて、それで気付いて声かけた。
そのあとMさん、Oさん、Sさんと、Sさんも合流してご飯を食べた。それぞれのアクションのこと、通行人からどういう反応があったかとか、どういうプラカードが伝わりやすいかとか、どうすればもっと一人ひとりに関心を持ってもらえるかとかも話したし、それ以外のこと、日常のこともとにかくいろんなことを話した。初対面同士もいたり、こうしてご飯食べるのは初めてなのに、不思議とみんな波長が合って本当に楽しかった。大事なことも共有できて、同時におなかが苦しくなるくらい笑うこともできる時間、すごくすごく嬉しかった。
束の間、はっきりと幸せを感じ、解散してInstagramを見たら粉塵まみれで運び込まれる子供、雨にさらされる血が滲んだたくさんの白い袋、現実に戻り、しかし楽しかったことを後ろめたく思う必要は全くなく、糧として、心をあたため、粛々と責任を引き受けていけばいい。死ぬまで。身近でそれぞれに生きる人が集まり、テーブルを囲み、ご飯を食べながら話し、耳を傾け、笑い、心が軽くなること、それは決して取り上げてはいけない。それを取り上げようとする力に抵抗すること。取り上げられ続けている人々に心を寄せ、しかし感情的になりすぎず、効果のある行動に移すこと。
今日のデモですごく自分が声を出したのは、わたしはとても怒っているからなんだと気付いた。自分達の特権に気付かないこと、自分達の身の回りだけ良ければいいと「思わせる」「思わされている」人に怒っている。自分に対しても。とてもわがままで自分に甘くていつまでもどこかで庇護を求めてしまう自分に。恥ずかしい。
人が死んでいる。あなたの子供とガザの子供がわたしには重なる。
同時に、怒っても伝わらないことも痛感した。それはわたしの勝手な感情をぶつけているだけ。もっと考えなくちゃいけない。
2024年2月17日
寝れない。いよいよ寝てる時に下半身だけでなく全身に汗をかくようになり、夜風呂に入って朝も必ずシャワーを浴びないといけなくなった。日中もイレギュラーなことが起きたときや、歩いて急に止まったときに異常に発汗するようになった。暑くないのにとにかく汗がすごいでる。今日も。おかげでほんとはもう少しゆったり話したかった場所でもさっと去らなくちゃならなくなった。水みたいなサラサラの汗、たぶんあまり臭いはないと思うのだけど(そう思いたい!)…すごく疲れる。外出の気力と体力が落ちた。
汗で身体が冷えたり花粉症の症状も出始めたのもあり、昨日から今朝の体調は久々に風邪っぽい崩れ方をしてた。朝起きて口をゆすぐと、鼻の奥から垂れた黄色い痰がどろっと出た。自律神経、ホルモンバランスの崩れは多分変更したピルのせい、と思いたい。しかしまだ1ヶ月半分ある。婦人科に行き買い直すべきだけど、先週は2日連続カウンセリングと心療内科、今日も耳鼻科に花粉症の薬を処方してもらいにいって、あんまりもう病院行きたくない。とにかく一日ずっと布団の中で目を閉じたい。
今日の夢もいろんな人が出てきた。Zoffのヌートバーの立て看板見たからかヌートバー出てきた。あと4月に茨城、9月にどこか美術館で個展を控えてる夢も見て、なんにも用意してなくてどうしようってなる夢も見た。4月の展示場所は大きな体育館みたいな場所でいまはグループ展をしていて、Uさんがパンクな装いでガチャガチャとしたインスタレーションをしていて、意外な一面を見た。細かいことは忘れた。
いままでこんなふうに寝れないことなんてなかった。寝るのが憂鬱。うなされて朝になり、おかげで日中仕事してる間は猛烈に頭がうとうとする。料理する気力も落ちてしまった。外食やコンビニ使うことが増えてる。よくない兆候。つかれた。つかれました。心療内科で睡眠薬どうしますか?と言われて、まだ大丈夫ですと断ってしまったけどもらうだけもらってもよかったかも。ただ寝たい。冷えピタするとちょっと気持ちいい。
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ほんとうに気分というのは当てにならないし、気分をそのまま自分だと思わなくていいのだと思った。その気分によって行った言動にだけ責任が発生する。責任を持つべき、とかじゃなくて自然発生する。すべての行動に自分への責任が伴う。それだけのこと。
落ち込むことはいいことでも悪いことでもないから気にしなくていい。
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いいこともある。ここに書いておく。
ステッカーのことで遠くに住む人からメールもらえた。Sさんに認知してもらえてステッカー買ってもらえたのすごくうれしかった。Gさんとたくさん話せたのもすごく幸せだった。パレスチナのこと外務省にまたメッセージ送った。首相官邸にも送った。多分これからカジュアルに送れる感触があった。タイミングよく広尾のパレスチナチャリティバザールに行けてクフィーヤとオリーブオイル買えた。お店の方に着ていたダウンを「同じオリーブ色ですね」と話しかけてもらえた。Sさんのパフォーマンスがすごくよかった。それを本人にも伝えられてよかった。Oさんにも偶然会えてお茶の約束できてよかった。明日のデモ、Mさんと一緒に行けたらいいなと思って声かけたらもちろん行く予定で、誘ってくれてありがとうと言ってもらえてうれしかった。明日きっといろんな人に会えるのが楽しみ。
これから帰ってワイン飲みながらGさんが教えてくれたパセリカレーつくる。Kさんから「たんかん」届いた。南国の香り。生きてる香り。
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寝るのが嫌で泣いた。泣きながら婦人科予約した。でも早くても一週間先で勤務日しか予約枠が空いてなくて、仕事を休まなきゃいけなくなった。貯金に頼りすぎてる。夜と朝の体調が悪い。
2024年2月15日
昨日はやっとeSIM寄付できた。難しそうでつい後回しにしてしまってた。
しばらく大丈夫だったけど、今朝はまったく起き上がれず遅刻の連絡を入れた…頭が休まらない。本当は休みたいけど休み癖がついたらこわい。少し動けそうなら動きたい。
いつ作ったか忘れたけどメモ
《COOK》ひよこ豆と卵とパセリのサラダ
・ひよこ豆水煮 1缶
・ゆで卵 2個~3 刻む
・パセリ たっぷり 刻む
・マヨネーズ 大さじ2
・コンソメ 小さじ1/2(チリパウダーにも食塩入ってるからもっと少なくてもいいかも)
・チリパウダー お好み
・スモークパプリカパウダー お好み
全部混ぜて完成。おいしい。
そぼろ弁当みたいに下にご飯もしくはオートミール敷いて上にサラダのせてお弁当にするといい感じ。
2024年2月14日
いつの間にか薬が効いていたけど、相性が悪かったようで謎の焦燥感に駆られるようになっている。行動的になってるけど、それに自分自身が圧迫されている。寝てる間にこれまでは下半身だけ汗かいてたのが全身に汗かくようになってしまった。ずっと頭のなかが蛍光灯で明るくて休んでくれない。
忙しない気持ちでガザのこといろいろしてたけど心と身体がガチャガチャで止まり方がわからなくなってる。少し前の、自分になにが起きているかわからなかったときのあの感じを思い出してこわい。身体が浮いてる。だから穴には落ちないけど、わたしは地面に足をつけたい。
2週間前、次の病院の予約を短い間隔で入れたのは正解だった。先生に相談し薬を変える。
そして花粉症がはじまった。肌が赤くボソボソなってきた。週末に耳鼻科予約。健康診断でひとつひっかかってしまったのでその再検査も行きたい。病院ばっかり。
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ガザの話を自分からなかなかできない。昨日思い切って弟にステッカー送っていいかメールしたら、「たくさんください!配ります!」と返信きて嬉しかった。
2024年2月12日
夕方崩れた。昼にラファのひどい映像見て、投稿して、恵比寿映像祭行ったけど2階を見終わるくらいでもう見れなくなって、ちょっと3階入ったけど引き返して美術館出てカフェドクリエに入ったら照明が眩しすぎてもうだめだと思ってコーヒー流し込んで帰った。しばらく動悸がして、山手線の電車のホームドアが気になったり、乗り換えた駅でホームドアが無ければその先のことが散らついた。もういやだ。調子良かったのに、ちょっとつつかれると崩れる。考えたらだめだと思って最近読んでる岡真理さんの『ガザに地下鉄が走る日』を開いて、文字を追うことに集中する。
ほんとうに、なにかが噛み合って、わたしの真空に「向こう」が流れ込んでしまったら、わたしはわたしを扱えなくなる。自分の頭が不思議だ。
悲しいと思ったことをどう扱えばいいのだろう。どう抱きしめればいいのだろう。一応抱き抱えて、でもそれを見れない。視線を逸らしたまま近所のチェーン居酒屋へ。一人ではいられないからざわざわしているところにいると落ち着く。便利、に甘える。本読む。「境界」という言葉が出てきて、違う方向から気持ちが同調する。
孤独と仲良くなりたい。誰とも居なくても一人で大丈夫になりたい。この期に及んでまた助けてほしいという気持ちが吹き出す。助けるのはわたし自身ですよ。
そういえば今日起きて汗かいたシーツやタオルケット洗濯してベランダ出て干してた時に、隣に住む男の人が女の人と手を繋いで出ていくところを見たんだった。情けないけど、いいなあと思ってしまった。幸せだよそれ。
2024年2月11日
とにかくいまは睡眠時間を増やすことを身体が求めてる感じがする。
昨日は悪夢みて寝ぼけてなんか喋ってた。つかれた。すごい汗。そのあとまた寝たので内容は忘れた。
今日は変な夢。ショートカットですっきりした顔立ちのわたしよりも華奢な身体のとっても素敵な女の子からわたしは好かれてて、寝ているわたしに馬乗りになって頬にたくさんキスされる。わたしがそのキスに応えようか戸惑っていたら、なぜか隣でUさんも寝そべって見ていて、Uさんが「自分は気にしないので大丈夫ですよ、恥ずかしがらず!」の意味で強く頷くので、それならと思って彼女のキスに応じる。彼女の小さい舌。
あとは車椅子に乗った知らない女性と二人で旅行してる夢もみた。その人はわたしよりも少し歳上。どこかの島か岬のような場所にいて、辺りは柔らかい草が生えてるけど少し歩くと断崖になっててその下は海。そのきわきわを、わたしは女性の乗った車椅子を押しながら歩いている。車椅子の女性は楽しんでいるけど、わたしは車椅子が落ちないか心配でハラハラしてる。下の方を覗くと海には1.5m四方の、白いタイル張りの島?が浮いていて、中央にポールが伸びていて、小さな赤い三角旗が付けられている。そこに船がとまるらしい。断崖の下にもどこかから行けるようで、岸辺に栗色のカーリーヘアのヨーロッパ系の旅行客が一人いた。
この女性とはそのあともしばらく一緒にいたけど、途中から高校の友人と修学旅行している夢に変わってた。修学旅行だけどみんな現在の歳でもあって、ご飯食べながら仕事の話もした。修学旅行らしく自由行動の時間が限られていて、微妙に気を遣いながらの旅行でこの夢は疲れた。でも昨日ほど汗かいてない。
夢で自分の無意識の部分を考えるのは面白い。
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駒込で展示を見て、そのあと寄った百塔珈琲でもらったパレスチナパッチを付けて夜は新宿へ。久々に賑やかな街に来てくらくらしてしまい、西武新宿駅横のセブンイレブンで野菜ジュース買ってガードレールに寄っかかって飲んでた。そしたら隣にいた男の人にすみませんと声をかけられた。
その人は眼光が鋭くて背が高くてシュッとした方で、黒いダウンの着こなしから場所柄なにかのキャッチかと思って身構えたら「そのパッチ、東南口の関係の方ですか?」と訊かれた。わたしは参加できなかったのだけど今日は東南口でプロテストレイヴが開催されていたので、そのことだと思う。
それから少しパレスチナの話をした。その人はいろんな迷いや不安があるようで、イスラエルだけを責めることには疑問を持っていると言っていた。歴史を辿れば欧米諸国にも責任があるという意味ならば同意できるので、そのようなことを伝えた。その人が「ネタニヤフのやってることはおかしいと思うんです」と言ったので、それはほんとうにそうです、と返した。数分話したあと「急に話しかけてすみません、待ち合わせとかしてますか」と気遣ってもらい、人と待ち合わせをしてたのでそこで別れた。わたしも「さっきこのパッチをもらって付けたばかりだったので、話しかけてもらえて嬉しかったです」と伝えた。
ほんとうはステッカーを持ってたのだけど、勇気が出せず渡せなかった。
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今日は久々に都内をよく移動し、偶然の出会いもあって、会いたい人に会えて、そういえば電車内で赤ちゃんとも目が合ったんだ。いい日だった。
2024年2月10日
悪夢見たけど内容忘れた。寝ぼけていろいろ喋ってたのは覚えてる。汗すごい。起きてまた寝て半日くらい寝て昼起床。ラフ送って今日は仕事終わり。夜はお酒飲みながら「メッセージ」観てカップヌードル食べて寝る。久々に酔っ払った。
2024年2月9日
伊藤忠に続いて日本エヤークラフトサプライもエルビット社との協力覚書破棄。
先々月はあんまり寂しくなかったけど、最近は心細い。しばらく友達ともご飯食べてない。ちょっと前のほうが気分も安定していたなあ。頭の中の風が強いことにも、外も騒がしいことにもつかれた。寒いことにもつかれた。
全ての原因はうまく寝れてないこと。抗うつ薬のほうばかり考えてたけど、お薬手帳見返したらピルの種類を変えたくらいからうまく寝れなくなってる気もする。ピルはなにかの成分量を増やしたのだよね…忘れた…もうよくわからない…もう…考えることつかれた………
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ピルには黄体ホルモンの種類の違いがあり、わたしが以前飲んでたのは第四世代、最近飲み始めたのは第一世代。世代が進むにつれてアンドロゲン作用が小さくなる。アンドロゲン作用によって食欲増進、体重増加が起きると書かれているけど、もしかして最近の過食はこれもある…?黄体ホルモンが増えたことでこれまでのホルモンバランスが崩れ、自律神経がおかしくなり過食や寝汗、というルートはある気がする。
(参考 https://www.yokosuka-clinic.com/pill-type )
2024年2月8日
調子わるい。
夜に悪夢ひとつ、昼寝したら悪夢二つ。
夜見た夢は、ある男が首都圏に住む彼の親族の女性を順々に殺して、5人か6人殺した後、甲府行きの特急車内で捕まったというニュースを、母とスーパーに行く途中に知る。スーパーにTVが設置されてたんだっけ、よくわからないけど、そのニュースを見てた見知らぬ中学生男子の数人のグループと会話をし、なぜかその1人の男の子とキスをする。あといろいろあったけど忘れた。
昼の悪夢、ひとつは知り合いの二人展に行ったら、展示会場二階建ての元民家を改装した場所で、一階は改装してギャラリー然とした空間だけど二階は和室そのまま。
わたしはなぜかそこで自分の部屋のように振る舞っている。床に10cmほど浮かせて平置きされている板に絵が描かれた作品を枕にして寝ようとする。作品をのせている什器は作品よりも小さいので作品の端は浮いていて、頭を載せたらそこにヒビが入り、ほぼ割れたも同然。慌てて割れてないように装う。
和室の押し入れを開けると2畳ほどの物置になっていて水場もある。そこにはなぜかわたしの作業道具が入っているのだけど、二人展の作家の作品も大量に置かれていて、どかしながら道具を出そうとする。何を思ったか水場の蛇口を捻り、お湯を溜めながら出していたら、流し台の中に二人の作品が入っていて、慌てて取り出す。キャンバスに油彩の作品は布巾で拭いたけど、紙の作品はペラペラ。まずいまずいと思ってたら一回からオーナーの女性が様子を見にきて、なにも起きてないフリをする。女性は知らない人。1階に移動しなんか喋ったりしてたら、いつのまにかそこは建替え前の実家。
もう一つは自分がホームセンターの店員になってて、ヤンキーっぽい夫婦からなにかの届出の用紙の書き方の説明を求められて、わけがわからないけど強気で説明してた。プレッシャー。同時にガーデンコーナーでレンガを持ちながら、家庭菜園について考えてた。
2024年2月7日
悪夢(元夫相手にすごく訴えてた)を見た。終わりのほうは半分起きてたけど、目を閉じたまま催眠状態のような意識の保ち方で実際に声を出して訴え続けた。薬がまだ効かないのか仕事のプレッシャーか、不安がうるさい。動悸がする。気分転換にカフェに行ったけど眠くて帰る。でも布団に入ると寝れない。
2024年2月5日
そわそわ、落ち着かない気分。
寝てる間に多分頬を枕にゴシゴシしてしまって、乾燥でのダメージも蓄積しているのかぷつぷつと肌荒れ。フェイスパックでなんとかなる気もする。
肌の調子が良かったとしても、雪が降る予想で薄暗い天気のせいか、仕事のプレッシャーのせいか、不眠か、昨夜の京都市長選で立憲が自民に相乗りして当選したのを見たからか、今朝ガザの亡くなった二人の子供を抱く父親の映像を見たからか、男性たちが上裸で手を縛られたままイスラエル軍に射殺され、前のめりに倒れた遺体と血溜まりの広がる部屋を歩いていく映像を見たからか、頭が唸り始めている。
《COOK》でも今朝もお弁当は用意した。ごはんに蒸し豆と、パセリと、焼いた鰯を二つに切って。ぬくぬくと、朝ごはんはオートミールに豆乳かけてチンして、バナナとアーモンドとメープルシロップとカルダモンパウダーかけて。静かな朝過ごして。みんなどう過ごしていますか。気づいてしまったから、この先ほんとうにすっきり心が晴れることなんてあるのだろうか。ほんのりずっと薄暗いままなんじゃないだろうか。お酒ってやっぱりいいもんだなと思った。お酒を飲まないとほんとうにずっと正気でそれが疲れる。いや、ただ天気にやられている気がする。赤ちゃんに会えない。
ここまで昼休憩のときに書いて、そのあとTwitterみたら伊藤忠がエルビット社との契約破棄してて、ややややったー!!!となった。すごい、みんなすごい。うれしい。
2024年2月4日
昨夜21時半には布団に入り、それからほぼ半日寝て汗かいて起きて寝て汗かいて起きてを繰り返したらさすがに「よく寝た」感じした。3回着替えて最後はすっぽんぽんだった。
しかし仕事に向き合えず家にいられなくなってベローチェに行った。事務作業ではなくドローイングしにベローチェ行ったの初めてだ。仕事のプレッシャーについても先日カウンセラーの先生と話して少し整理はついてるから、ベローチェに行くという判断をしてすぐに家を出て一応仕事もできたのはよいことだと自分をほめる。
薬を変えたからちょっと気持ちがそわそわしている。
《COOK》にんじんとたまねぎとほうれん草と豚粗挽き肉のシチュー
ほぼ同じレシピを具材を変えて作り続けがち。今日はしょうが抜きでバター20g、塩は具材炒めるときに少し入れて、煮るときにコンソメ小さじ2入れた。ちょっと味薄い。コンソメを小さじ3にするか、塩小さじ1/2くらい入れてもいいかも。ほうれん草おいしい。
2024年2月2日
パレスチナのこと、毎日毎日追いつかない。UNRWAへの資金提供継続の署名や支援についても呼びかけたいけど、今日はもう他の情報をストーリーズにあげて、それだけで疲れてしまって、呼びかけるだけなのに気力が湧かずiPhoneを放り投げてしまう。振り向いてもらえているのだろうか。ノイズとしてスワイプされているんじゃないだろうか。なんかこの人わーわー言ってるくらいにしか思われてなかったら。
世界中でひどいことが起きていて、そのなかで今回のガザの状況はものすごく情報が発信されていて、それを偶然見て、知ってしまった以上無視して生活できなくなった。
人が殺されている。こんなに亡くなった人の姿を見たのはうまれてはじめてです。見てしまった以上もうパレスチナでおきていることをまったく気にせずのほほんとは過ごせない。わたしがパンを食べたら、あの人はお腹をすかせている。わたしが熱いお風呂に浸かったら、あの人は雨の中凍えている。なんでここにこんなにパンあるのにあの人は飢えなきゃいけないのだろう。あの人たちを無視した「豊か」な生活とは。
2024年2月1日
心療内科。薬変えてもらう。薬で不眠や寝汗の副作用の報告はほぼないとのことで、やっぱり生活を気をつけて自律神経をなんとかしないとどうにもならなそう。前飲んだ薬はアルコールは飲んでもよかったけれど、次の薬はアルコールは控えるように言われたので飲まなくなるからちょうどいい。でもお酒飲んでも飲まなくても睡眠には変化なかったなあ。あと変えられそうなのは早めに晩ごはん食べ終わるようにすることと、寝る前にスマホ見ないこと…。
《COOK》のこりものシチュー
・冷凍してた蕪の葉みじん切り
・冷凍してたブロッコリーの茎みじん切り
・白菜1/8 1.5cmの幅で切る
・豚ひき肉300g
・しょうが すりおろし
たくさん入れるとおいしいけど、わたしは刺激のある食品は肌が炎症してしまうため控えめ
・バター 30g
・塩 小さじ2/3
・米粉 大さじ4
・水 2カップ
・豆乳1カップ
①バター溶かして肉焼く。(塊感を出すためそんなに動かさない)
②まあまあ火が通ったら野菜入れて炒める。
③白菜がくたっとして水分でてきたら米粉入れて粉感無くなるまでいためる
④水、豆乳、塩、しょうが入れて中弱火で5分ほど煮る。
とろみが出ていいかんじになってれば完成。
長谷川あかりさんの「白菜とひき肉のクリームシチュー」を参考に、あまってた野菜と豆乳・米粉でつくる。しょうががポイントだけどわたしはあまり身体に合わないので少なめ。いっそ入れずに塩少なめでコンソメいれてもいいと思う。あっという間にできておいしい。
2024年1月31日1:04 10:13、2月22日15:08
ふかり サクリ ふかり サクリ
えんじのかれは あおいシダのこども
ふかり サクリ ふかり サクリ
しかのふん こけのうえのこおり
ふかり サクリ ふかり サクリ
ながれるみず とりないた
ふかり サクリ ふかり サクリ
かおをあげると きぎのすきまから
だいだいいろのひかり
2024年1月31日
最近では一番汗かかなかったし、いままでの睡眠に近い感じがする。お風呂上がって髪を乾かさないまま寝てしまったのは反省だけど…。いくつか心がリラックスできることがあったことと、あとこの数日お酒を飲んでないこともかなり良いと思う。最近頭をくらくらにしたいという気持ちでほぼ毎晩一人で飲んでしまってたから、2月いっぱいは禁酒することにした。お酒は人と会ったときだけ。
ちょっと過食気味なのはよくない。お菓子食べたくなってしまうのは栄養が足りてないから。しばらくサプリ飲んでなかったけどまた飲み始めた。髪が乾燥と栄養不足でパサパサで、それで白髪も増えたのでは。そしてよく噛んで、ゆっくり食べること…。
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河合隼雄の本を読むと自分の見た夢を考えるヒントがもらえて、それによって自分の潜在意識を考えられるのは、自分にとって良い手応えがある。表れたもの(結果)から考えることで、堂々巡りにならない。
今日のカウンセリングは最近寝るのが憂鬱なことと見た夢の話をしたら、それを組み合わせた催眠療法をしてくれた。先日の「彼女」と対話した。彼女から見えるわたしの姿も見えた。
催眠療法は必ずはじめに説明を受け了解してから受けるもので、かつてテレビ番組でやられてる催眠も収録前に説明を受けてると思う、とカウンセラーの先生は言ってた。催眠は潜在意識と顕在意識どちらもある状態に人為的にさせることを言うから、普段の生活でも催眠的な状態はある(無意識でしている日常の動作中とか)。そして顕在意識によって本人ができないことはブレーキがかかるので、いくら指示されてもできない。例えば試しで「逆立ちしてください」と言われたけど、できないので、でも顕在意識で「やれるとこまでやってみよう」というのがわたしにはあるので、おずおずと言われた通りにしようとするけど「できますか?」に「できません」と答えた。
そして催眠にかかるには集中力が必要。顕在意識が優位になりすぎると醒めて、冷めてしまう。
先生とも話したけど、以前と比べたら随分精神的に安定してきていると思った。次のカウンセリングもしばらく先にした。薬の相性次第な気がする。
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カウンセリングのあと芸大の卒展へ。Mesbahi Ines Jasmineさんの作品で行われるパレスチナのイベントに参加した。行った時にはもうOさんのプラカードをつくるワークショップが始まるところで、Oさんはしっかりシルクスクリーンを用意していて、絵を描こうとして絵の具や筆を持ってきたわたしの「絵を描ける」ことの無自覚さに一瞬で恥ずかしくなった。でも今日初めて対面したSさんがすごく自然に声をかけてくれて、隣りに座らせてもらって喋りながら「みんな好き好きにしていいよ」の雰囲気作りをしようとプラカードを描いた。持ってきた筆やウエスがシルクスクリーンの役に立ったのはよかった。プラカードワークショップのあとプラカードを持ってコールして、詩の朗読をきいて、みんなで手を繋いで円になってダブケを踊った。みんなで手を繋いで踊るので、隣にいたSさんと、隣にいた今日初めて会った人と手を繋いで踊った。ずっと繋いでいる手の汗かかないか(ちょっとかいてる)そわそわするけど、もっと誰とでも、こうしていつでも手を繋ぎたいと思った。
イネスさん、ハニンさん、ザックさん、新土さん、奥くんのスピーチを聴いた。日本語訳を増渕さん。動画や写真で見ていた人たちだ。ずっと前から、誰も見向きもしなかった時から声を上げていた人たち。なにかの動画かで最初の伊藤忠本社前でのスタンディングは7人しかいなかったと新土さんが言っていた。
イベントが一通り終わった後、Oさんと片付けをしながら少し話した。イベント中に芸大の教授が見にきてたらしいのだけど、彼らが話してたことがほんとうにゲーという感じだった。芸大は受験生の時は当然、いまだって少し特別な気持ちはあるけど、そんな教授がいるなら全然どうも思わないなと思った。学費はうらやましいけど。
そのあとはステッカーを配りながらいろんな人と話した。
家でひとりパレスチナの情報を見たり、ステッカーの封入してると時々つらい気持ちになるけど、こういう場所に行くと元気をもらえる。
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ピアスホールあけてもうすぐ4ヶ月経つし、誕生日も近いから自分へのプレゼントとしてピアスを買いたくてルミネ見てみたけど、あんまりピンとくるものがなかった。クールでなめらかな色気があってシンプルなのがいいのだけど。ファーストピアスの丸いチタンのもっとすてきなかんじのがあればそれがいいのだけど。値段の幅もよくわからない。いいかんじのピアスってどこにあるのだろう。
ピアスは諦めて、ふらっと立ち寄ったSHIROで香水を見てたら店員さんに接客してもらって、わたしの好みを伝えたらその方がいくつか提案してくださった。そのなかでなんとなく身体に合う感じがして、なおかつわたしのありたいビューティーがあり、そうなるためのお守りになりそうな香りがあったのでそれを買った。香水のいろんな付け方も教えてもらった。店員さんは穏やかな接客でとても素敵な人だった。お店を出る時に「はじめて香水買えてうれしいです」と伝えたら「光栄です」と返してもらった。
2024年1月30日
《昼》
寝れないから寝るのが憂鬱になってしまった。気休めにヤクルト1000買って飲んだけどなんの意味もなかった。甘い飲み物を飲むことへの罪悪感が勝る。
今日は就寝中に3回着替えた。暑くないのに汗をかく。夜のあいだもうほとんど起きてて、途中気絶してる感じ。夢で誰かにパレスチナのことを話していて、「伊藤忠(アビエーション)と日本エヤークラフトサプライとエルビット・システムズの契約はだめなんだよ~」と話す自分の声で起きる。夜から解放されてホッとするのと、心身共に疲れ切って泣きたい気持ちの朝。
薬の加減も難しくて、多いと体が重くなるし、少ないと不安にのみこまれる。でも自罰感はかなり減った。どちらにしても意欲はあんまりない。絵の仕事がこわい。もうちょっと合う薬があるかしら。まったく、明日と明後日のカウンセリングと心療内科が楽しみです。
《夜》
でも、今日もいいことがあった。
2024年1月29日
不安の暴風が吹き荒れてしまった。
しかしいいこともすこしあった。
オムライスがおいしかった。
おしゃべりが楽しかった。
布団がふかふかしてた。
2024年1月28日
悲しい夢とへんな夢を見た。
悲しい夢は、わたしがLさんにものすごく怒って、冷たい態度をとっている夢。なにかのスペース(大学か展示ような場所)の人混みのなかで、お互いの存在に気付いているのにわたしはLさんと絶対に目を合わさず、遠くにいる。すれ違ってLさんがわたしに話しかけても、すごく冷たい口調で必要最小限の内容だけ伝えて去る。Lさんがショックを受けているのもわかるし、Lさんを囲む人たちがどうしたの?とLさんを心配する声をかけている。どうやらLさんからなにかを言われ、それを「絶対に許しちゃいけない」という気持ちになりバチンと親愛の気持ちを切っているのだけど、そんな態度をとる自分にも信じられない気持ちで、とても悲しい気持ちになっている。起床したら汗をかいていた。Lさんになんてひどいことをしてしまったんだと暗い気持ちになったけど、現実ではなにも起きておらず東岡崎の寒い朝。
もうひとつは、わたしより歳下の、小柄で少しぽってりとして、能天気というかなんだかわちゃわちゃとしている女の子の面倒をみている夢。面倒をみているというか彼女とわたしは付き合っているような感じ。現実に存在しない人。彼女はわたしに甘えていて、その日は雨が降っていて、二人は国道近くの車の騒音が聴こえる住宅街を歩いていてそろそろ解散しようとしている。わたしは一人でファミレスかどこかで勉強して帰るつもりと彼女に伝えると、彼女も付いていきたいというので、帰ってくれた方が気楽だけどなんだか断ると不憫にも思えて、「いいよ、ほんとに勉強するだけだけど」とかなんとか言いながらファミレスに入って起床。
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この前「真空」という言葉を思い出した時にシモーヌ・ヴェイユの『重力と恩寵』を思い出して最近読み直し始めているけど、読んでいる時だけは「楽になる」と書いたいま、ちょっと違う感じがした。かちこちの自我から離れられて「なんでもなくなる」のほうが近い。
2024年1月27日
朝、川の対岸に白い花の群生を見つけたから橋を渡って階段おりて近づいたら水仙だった。水仙の香り、そのまま川沿いを歩いて、空気が冷たいけど日向を少し歩けば暖かい。濃いピンクの椿が一本だけ生えていて、あとはポンポンみたいに葉の生えた木の下に白く乾燥した種が落ちていた。松も拾った。
午後は額田の山の中、ふかふかの土、枯れ葉踏んで歩いた。いろいろ拾った。まだ雪残ってた。ずっと太陽出てた。
2024年1月26日
薬を飲む時間と量を変えたら、今朝は汗をかいたけどわりと寝れた。起きてゆっくりお風呂に入った。夜入るのはもちろん疲れがとれるからいいけど、午前中の窓から明るい光が入るなかでのお風呂はたまらなく贅沢な気持ちになる。お水を飲みながら、はじめは肩までたっぷり浸かり、途中からは栓を抜いて湯量を減らしながら半身浴を堪能する。時間とガス代が許すなら朝も夜も入りたい。
東京駅発の新幹線の自由席が混んでいて、出発時刻ぎりぎりに乗り込んだら窓際の席は埋まっていて、かろうじて3列席の通路側がまだあいてたので座った。品川でぞくぞく乗り込んできて、席が埋まりかけていたときに外国人観光客の4人くらいのグループ(家族かな)が席を探していて、わたしの横の2列席通路側にひとりが座り、他の方もきょろきょろしてたので、二人が通路を挟んで隣同士に座れるようにしようと手を振って(英語が喋れないから)「わたし真ん中の席に移動するからここ座ってください」のジェスチャーをしたらペンキュウと言われた。一息ついたらお煎餅食べてた。わたしはパン食べた。名古屋でわたしが降りるときにエクスキューズミーかソーリーかどっちか言ったらオケィと言って席を立ってくれた。
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ステッカーの増刷分が届いた。しばらくは刷り続けたいが、生活費から印刷費にどこまで回せるかというところ。一旦どかんとここまで刷ると枚数決めて、そのあと刷れるかどうかはそのときのお財布事情で考えようかな。
これまでわたしの絵を知ってくださっている方、展示に見にきてくださった方だけじゃなくて、絶対にこういうことをしなければ繋がらなかったいろんな人にステッカーが届いていて、SNSで宣伝してるけどひとりひとりに宛名シール貼って、手紙とステッカー入れて糊付けして、切手貼って送って(ちょうどかわいいミッフィーの切手が売ってたのでしばらくはそれ)、受け取った人が受け取ったよとSNSにあげてくれたり、友人に配ったり、手紙に反応してくれたり、お店で配ったり、わたしは一人でやってるからこれを一人で感動していて、ほんとうにほんとうにわたしが助けられている。
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ミリアム・カーンのような物事への距離で作品を作ることも、いま起きている問題へ具体的に近づいていくことも、どちらも大事な気がする。どちらもしたい。
2024年1月23日
だめだった。すっぽんぽんにはならなかったけど1回着替えて、いろんなことを喋ってたのは覚えてる。寝ぼけて家に誰かがいる感覚になって、いろんなことを伝えようとした。最後は「青木理の息子が~!」と切実に訴えながら起床。夢の中で青木理さんの息子が役者をしていた。急に青木理さんが出てきたのは、多分荻上チキさんのラジオをよく聴いてるからその影響だろう。お弁当用意してコーヒーを淹れて仕事に行く。
ふと、就寝前に飲んでいる薬の副作用なのではと思った。不眠というより興奮。先生からは薬が合わなければわたしの判断で量を減らしていいと言われていたので、今日から次の通院日までは減らしてみる。
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絵が描けないのは、自分に向き合うのがこわいから。あの手この手で避けているだけ。言い訳やめてよいしょと向き合うしかない。
2024年1月22日
昨夜も2回着替えてすっぽんぽんのぴちゃぴちゃで、「うええ」と泣いて起床。でもお弁当持って仕事に行った。夕方からとくに呂律が回らなくてひどいものだった。帰りSさんがメールくれて、うまく寝れないことを聞いてもらった。さっとご飯食べて風呂入って22:30に布団。とにかく寝たい。ちゃんと意識を失いたい。今日こそ寝れますように。
2024年1月21日
やっぱりちょっと調子がわるい。地盤沈下してる。
1ヶ月以上うまく寝れていないのがじわじわとつらい。下半身の寝汗がひどくて夜のあいだに2回も着替えて、それでもびしょびしょになるからすっぽんぽんで寝て、昨日コインランドリーで洗濯したばかりの布団も濡れて冷たくなって、そんな感じで朝になるから起きるしかなくなる。電気毛布やめたり、毛布減らしたり、かける順番変えたり、寝巻きを変えたり、毎日毎日試行錯誤してるのに。
起きても息苦しさと動悸、そわそわ感、だけど何もしたくなくて寝たい。メール返せない。絵なんて描けない。お風呂だけは好き。ボトルに水入れて、飲みながらとても長風呂する。風呂に浸かっているときに絵のアイデアだけは思いつくが、そこまで。食べてもまったく満足感がない。耐えてやりすごす日。一日かけてステッカーの発送だけはやった。
来週のカウンセリング、もうあんまり意味ないと思ってしまう。どれもこれも話した。心を悩ましていたことは以前よりも手放している。考え込みすぎないようにしてるというか、考えても無駄だなと思って頭が考えなくなっているから全然悩んでない。なにも考えてない。ひとりでリラックスしてる。地に足ついている。でもその地面がなぜか沈みつつある。なぜ?気付いたら壁に囲まれてここは穴?でも本当はわたしはこういう気の持ちようで生きる人間なんじゃないかと思ってしまうのは悲観的な思考なのだろうか。心が沈んでるのは脳のバグでしょう。バグなら薬でなんとかできるんでしょう。
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島にいたときも、少し前までも、寂しいと思う時間が多かったけど、いまはあんまり思わない。ひとりでいたい。ときどき、大丈夫なときあなたに会いたい。
穴はこわい。穴はたくさんある。どれも底が見えない。落ちないような道を探して歩けるようになった。少しずつ投げ込んだりもしてる。穴だらけだと思っていたけど、しばらく歩いていたら穴がない場所もある。
穴は埋めようとすると埋まらない。あるかないか。なるべく穴が空いてないところを探して歩いていく。
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庭に松の木、ガラスの格子戸から廊下に陽の光射して木目がゆらゆらする、ずっと、誰もいない場所。清らかだった。
2024年1月20日
泣かなかった。しあわせな日だった。
2024年1月19日
職場で、なるべく家にいるような気持ちで仕事したら、あんなにまわらなかった呂律がまわった。久々にほとんどストレスなく普通に喋れた。
薬が合わないのか、一時期よりも気分が低いところで停滞しているような感覚だったけど、実は自分のニュートラルはこんなものなのかもしれないという気持ちにもなっている。
もしかしてこれは、「リラックスしている」ということなのか?これが本来の自分なんじゃないか?いままでがフワフワしすぎでいただけで。それによって人から親しみを感じてもらっていたと思うけど、それは身体が軽いから風が吹けば動いてしまうからで、本当はもう少し重くて動けなくてもいいんじゃないか。
バウンダリーを持つということは、わたしにとってはもしかしたら今までの自分よりちょっと「冷める」ということなのかもしれないと思った。
2024年1月19日 20:22
よいしょよいしょ
どっこいしょ
2024年1月18日
河合隼雄『影の現象学』、残り半分をがーっと読んだけど、読めてない。ちょっと感じただけ、なにも覚えてない。
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制作以外はやれてる。でも他の場面で少し調子の悪いことが出始めている。下支えは透明になってきた。しばらく隠れていた底が視認できるような。
《COOK》かぶの葉と海苔のにんにくしょうゆ炒め
「週末の作り置きレシピ」参照。2倍量でつくる。味見したらごはんにぴったりの味。しばらくのお弁当に。
2024年1月15日
今日は青森に行くのでそれまでにステッカー発送準備。昼過ぎに終えてお昼ご飯食べたくらいでJALから欠航のメール。青森は大雪らしい。明日の便に変更して、ホテルにも連絡し、郵便局に行って、焼き鳥屋さんでカニクリームコロッケとぼんじりを買っておやつ。そのあとステッカーのことで気が張っていたのか、急に体調が悪くなりちょっと寝る。起きてワインを買いに行って(最近はお酒をよく飲む時期)お風呂に入ったら元気になった。
どういう経緯かもう思い出せないけれど、お風呂に浸かりながら母のことを考えた。そしてふと、母の話す結婚観を鵜呑みにしてしまったのは、自分にとって母は強くて軽やかな人、かなわないという思い込みによるものだと気付いた。立派な母のいうことが正しいと無意識に思い込んでいたのだろう。わたしよりも小柄な身体、がんで思い切った切除をした母。働いて、おいしい料理もさっと作れて、夜にすこし読書する。それに比べてわたしは図体だけ大きくて、恵まれた環境をもらったのにつまずいているという気持ちがいままであったのだろう。わたしが彼女に向ける「母」のイメージによって母が見えていなかったのだろう。
そういえば正月に実家に帰った時、新聞を開いたら多和田葉子のインタビューが載っていて、多和田葉子の顔を初めて見たのでこんな人なんだねと母に伝えたら、わたしちょっと多和田葉子に似てるのよ、時々そっくりな角度があるのよと言った。言われてみれば似てる。
《COOK》風呂から上がり、かぶをオリーブオイルとにんにくと塩で焼いて食べる。昨日は焼きが足りなかったので、今日はじっくり火を通して、しっかり焼き目をつけたらとってもおいしかった。
その後ステッカーをtwitterにも投稿したらものすごく反応があってこわくなってしまった。いつも自分の作品を発表する「場所」はとても安全な場所でもあると思った(同時にとても狭い)。twitterはRT機能でほんとうにいろんな人の目に入ることを身をもって感じる。でもinstagramでは届かなかった人に届いたのはうれしい。嬉しい言葉をかけてくださる方もいて、こちらこそほんとうにほんとうにありがとうございますという気持ち。
2024年1月14日
ステッカーの発送準備を昨日今日で整えて夜Instagramに投稿した直後に叫びたくなった、胸が耐えられなくて、うう、ううと唸って、とりあえずお風呂に入ろうとお湯溜めている間に、外の空気を吸いたい、叫びたいのをこらえて、うう、うう、外に出て、空気ひんやり、息を吸って、コンビニにビール買い行って、いまの時間半額だ、帰ってお風呂、お湯に浸かったら落ち着いた。プレッシャーというか、ひとつ背負うということ、いままであんまりなかった感覚だ。つかれた。でもすぐに注文のメールが届き始めて、ホッとする気持ちと重い気持ち。でもやってよかった。なにやってるんだろう。いまは布団に潜って、手足を伸ばして、心臓がどくどくしてる。
2024年1月13日
年末にお米を食べ切り、なんとなく買いに行くのが億劫で、オートミールがあるので1月中は主食をオートミールで過ごそうと思い、今日まで続いている。パセリとオートミールの相性が素晴らしくどハマりしているが、全体的に食べ足りずまったく満腹感がなくて、昨夜食後にワインを飲みながら菓子の詰め合わせパックをほぼ食べ切って本末転倒…過食気味とはいえ、さすがにこんなことはなかったよ…。ワインも酔うために飲んでいた。ちょっとよくない感じ。
なんとなく肉を料理する気分にならず、大豆食品と卵でたんぱく質を、今週はパセリ、キャベツの粒マスタードマリネ、レンズ豆とカボチャとキャベツの煮込みでビタミンをとり、亜鉛とカルシウムのサプリも飲んでるけど、多分全体的に栄養が足りないのだと思う。爪がぽろぽろ。だから砂糖たっぷりなものを欲するのだと思う。
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実家のリビングでただぼーっとしたい気持ちになる。でも実家に帰る交通費を自分ひとりでいる時間に使った方がいいのではと思った。わたしのこれは人と過ごして解決しないと思う。Twitter見ることも、ベローチェで作業することも、つまりひとりで居られないから。今月は遠出の予定があるけれど、それ以外は今月は家でひとりで過ごす訓練として、カウンセリング以外はあまり出掛けない方がいまの自分にはいいのだと思う。
今日は婦人科でピルをもらいにいって、いまはコインランドリーで寝具をまとめて洗濯乾燥している。河合隼雄の『影の現象学』読んで日記を書いて待つ。帰ったらステッカー送る時に同封する手紙をつくる、そのあとブロンコビリーに行ってお肉と沢山野菜を食べる。
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4:22
野菜をたくさん食べて、久々にお肉もお米も食べて、コーヒー豆も買って帰って、21時くらいからコーヒー飲みながら、久々にSpotifyで音楽を聴きながら、今の時間までステッカーの作業した。手紙とリストを作った。これは躁ではないはず。しっかり食べたおかげ。
2024年1月9日
すっきり元気ではないが、心に下支えができて、静か。波が立たない。前はあんなにボコボコあいてた穴がない。埋まったのか?穴が見えない場所に歩いているだけ?だから最近あんまり底に落ちなくなった。時々落ちてもすぐに穴は埋まって、何事もなかったように身体は持ち上げられる。痛みへの知覚が鈍くなっている気もする。どこからも遠い。もしかして本来の自分の感情の幅ってこんなもんなんじゃないかとも思えてくる。生きる過程でくっつけた、くっついたものを削ぎ落とせば、こういう人間なのでは。別にあんなに笑ったり泣いたりしない生き方もあったのでは。あのときのわたしはなんで笑ってるんだろう。
下支えがあるという実感は安心する。少しずつ厚くなっていく層。成分はセロトニン。これが健康的に、自然発生したものが「自信」と呼ぶものなのだろうか。いままでがフワフワ浮かびすぎていたんじゃないかと思う。フワフワ浮かばない、対抗する重力と地面が必要。
意欲を上げる薬もあると聞いて、「自分」だと思っていた「気分」ってなんなんだろうと思えてくる。文字の通り、「自」ではなく「気」なのか。自己の内外を漂うもの。当てにしてはいけないもの。
《COOK》納豆とパセリ
これまで納豆と合わせる野菜をいろいろ試してきたが(ネギ、小ネギ、オクラ、かいわれ大根、ブロッコリースプラウト、小松菜)、正月のおせち料理の飾りとして付いていたパセリを食べたらおいしかったので、納豆に刻んで合わせてもいいのではと思い購入。生のパセリ初めて買った。
納豆に刻んだパセリを混ぜ合わせて食べてみる。パセリの苦味と香りが納豆に負けず主張しとてもおいしい。調べてみたら天皇家で食べられていた納豆、オリーブ、パセリという組み合わせのレシピがあるらしい。
《COOK》オートミール、水、刻んだパセリ、卵、塩
オートミール(ロールドオーツ)に水入れてレンジでチン。卵は小さい器に割り入れて30〜40秒チンでほどよく白身だけ固まる。刻んだパセリどっさり盛って塩振って完成。混ぜながら食べる。オートミールと卵のもにゃもにゃ感、パセリの苦味ともしゃもしゃ感がよい。
2024年1月8日
最近日記を書く気力が湧かない。料理をしたり、事務作業や依頼されたテキストなどはやってる。絵は年末から描けていない。
布団の温度調節が難しくてうまく寝れない。毎晩下半身のパジャマがぐっしょりするくらい汗かいてしまって、睡眠時間の半分くらいうなされている。毎晩調整はしているのだけど、まだ正解が見つからず。
《COOK》レンズ豆とかぼちゃとキャベツのカレー煮込み
・レンズ豆 1カップ
・かぼちゃ 1/4
・キャベツ 1/4
・にんにく 2かけ つぶす
・塩 小さじ1
・カレー粉 小さじ2
・バター10g
・水 3カップ
全部入れて加圧4分、自然冷却。ローリエ入れ忘れた。ちょっと味薄いかも。コンソメ入れてもよかったかもなあ。
カレー粉入れなければバターと塩だけでもおいしいのだけど、カレー粉入れるとコクがなくていまいちになる。
2024年1月7日
テッド・チャンの『あなたの人生の物語』読んだらSFのSに翻弄され、Fはかろうじてぼんやり受け取ったような気がしたけど、あとから他の人の感想を読んだら全然受け取れてなかった。まったく大きく勘違いしていて、「~でしょう」を未来の予想として読んでなかった…。この受け取れてなさは人との会話でも起きている気がすると思った。日本語喋っているけど正確に理解していない。
《COOK》キャベツの粒マスタードマリネ
「週末の作り置きレシピ」参照。お酢を買い忘れていたのでお酢なしで作ったけどおいしかった。キャベツは生よりも断然蒸して作ったほうが甘くて好き。
朝ご飯に米粉のパンケーキを作って付け合わせに食べたらぴったりだった。
2024年1月6日
カウンセリング。しばらく頭でものがよく考えられなくて、今日も話せないと思ったけど話せた。
最近は薬のおかげが穴に落ちることはなくなって、穴は埋められている、下支えがある感じ。でも上からも押さえられていて、身体がすこしこわばっている。すっきり爽快、というわけでもない。
硬直してる気がしたけど、カウンセラーの先生と話していたら、下支えの地面は下り坂ではなく、少し上り坂に傾斜があって、わたしは登っていることがわかった。
たぶん「元気になる」のは今までの「元気」に戻ることではなく、違う「元気」になるということなのだろう。そこは初めて行く場所だから、道もわからないから、ほんとうにゆっくり、慎重に進むしかないのだろう。
2024年1月4日 23:00、1月6日 18:47、1月14日 06:01、1月26日 23:26、2月3日 14:30、2月8日 18:23
ぷくぷく泡立つ
コーヒーを
コーヒーカップを近付ける
口元の
毛穴で膨らむ
白い膿
に気付いて触れた
指の
指輪の
真珠ひとつぶの
産まれた海の
潮風は
ぬるいな
顔濡らして
飛び込む
2024年1月1日 0:29
そう、そう、そうだねそれは、あの子の手のひら、しわのあいだ
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「Home Making #3」で描いた油絵2枚を実家に持って行って飾った。わたしが「どちらも絵の内容的にリビングに飾ってるのが自然だよね」「ここはちょっと窮屈な感じがするね」などと会話を促し、母も「そうねえ」とか父も「うん」とか弟も「いいんじゃないの」と応えてもらいながら場所を決めて飾った。タンネやわたしの家では少し暗く感じた絵が、実家のリビングではそうは感じられなかったのが不思議だった。1日中たっぷりと陽が入る部屋なので、油絵の絵の具の透明感もとてもよく見える。持ってきてよかった。
これまでは実家にあまり長居できる心持ちではなかったのだけど、今日は不思議と長居したくなり、わたしより遅く来て先に帰っていく弟を見送ったあとも何をするでもなく夕方までいた。弟が帰ったらなぜか気が抜けて、一気に悲しい気持ちになってしまった。もう一杯コーヒーを淹れ、飲みながら母にぽつぽつ打ち明けた。最後は二人とも何も話してなかった。父はずっとうとうとしてる。泣いてしまいそうになったので帰った。
2023年12月31日
一昨日のアルバイト後にMさんと忘年会して、いろんなこと、パレスチナのことも話せたのよかった。帰宅後いい加減コラージュの作品を完成させようと手をつけ、寝る。朝起きて家事しながらやっと完成。時間をかけすぎた。
Free Palestineのステッカーのアイデアを昨日も描いていて、やっとなにか描けそうな僅かな手応えがあったのでそれを元に描く。夕方息苦しくなりベローチェへ行く。ベローチェで作業して帰って味噌汁と納豆ご飯食べて深夜3時頃まで制作。寝て起きて味噌汁と納豆ご飯食べて洗濯して源氏パイ食べながら岡真理さんの講演動画を聴きながら絵を仕上げてスキャンしてフォトショでちまちま調整してデータつくって18時くらいにinstagramに投稿。昨日からお風呂入ってない身体でスーパー行って三が日の休業日前だからかいろんなものが安くなっていて、納豆、卵、ブロッコリースプラウトを買う。寿司や天ぷらや肉やらいろんな豪勢なお惣菜も沢山売っていて、お腹は減っているけど疲れてなにを食べたいかもわからないし、まったくお祝いの気分ではない。家にかぼちゃとにんじんあるし。ビールを一本買う。スーパー出てinstagram見たらいろんな人が反応してくれていた。この前デモのことを投稿したときもだけどフォロワーがまあまあ減って、でもまた増えていた。
スーパーからの帰り、自転車漕ぎながら、今年めちゃくちゃだよと思った。なんなんだ。なんで薬飲んでカウンセリング通うことになっちゃったんだろう。なんで毎日子どもの遺体。内臓が瓦礫に飛び散っていて、千切れて、顔の肉が剥がれた赤ちゃん、抱えて病院に駆け込んで、玄関、の奥の左側の白いドア、を足で押し開けて入っていく暗い部屋。床の上で治療。白いタイルが赤くて真っ黒で冷たい。冷たい灰色の顔。白い布に包まれた双子の子どもの手を額に当てて泣く女性。ビール飲みながらシチューつくって濃い黄色とにんじんのオレンジ色、ほうれん草の濃い緑、食べてかぼちゃとろとろで「ほっとしておいしい」いま、この前余らせて冷凍していたブロッコリーをシチューに入れ忘れたことに気づく。部屋を片付けて風呂入る。
《COOK》かぼちゃとにんじんと鶏肉のシチュー
・かぼちゃ 半玉 小さめ角切り
・にんじん 一本 小さめ角切り
・鶏もも肉 1パック 小さめ角切り
・ほうれん草 1袋 短冊切り(同時進行で茹でる)
・水 500ml
・コンソメ 小さじ1と1/4くらい
・塩 小さじ1
・ローリエ 2枚
・豆乳 400ml
・米粉 大さじ4
・バター20g
⓪(ほうれん草を茹でるお湯を沸かし始める)
①鶏もも肉を切ったら酒・塩・胡椒で下味つけて、バター10gで焼く。ほどよく火が通ったらお皿に移す
②バター10gでかぼちゃとにんじんを炒める。炒めるというかバターが全体に回って熱くなったらOK
③鶏もも肉を入れて、水・コンソメ・塩・ローリエを入れて強火。沸騰したら弱火にして8分ほど煮る
(この間にほうれん草を洗って1分ほど茹でて、水にさらして絞って短冊切りにしておく)
④豆乳と米粉を混ぜて注ぎ入れる。少し火を強めて6分ほどかき混ぜながら火を通す。とろみが出たら完成。
⑤食べる分だけ茹でたほうれん草を入れて食べる(ほうれん草は冷蔵保存して数日中に食べ切る。朝はお味噌汁の具として)
2023年12月26日
カウンセリング。この一週間は人と過ごす時間を多く作っていたので、相対的に一人で心沈ませる時間が減り、つまりこの沈みについてはなにもしていない(それに進展もしていない)からなにも話すことがないかもしれないと思って不安だった。でも前回のカウンセリング以降、自分に「自分を責める気持ちがある」ということを俯瞰し思えるようになってきたので、自責的な気持ちになっているときも「いま自分を責めている気持ちなんだな」と少し思えるようになった。そしてそれを否定しないということもほんの少し、2%くらいは思えるようになっている。
序盤30分ほどそういった話をし、そのあとはNLPを用いたワーク。催眠療法のなかでもライトなものだそうけど、これがわたしには効果があってびっくりした。自分のなかに、自分の知らない自分を心配してくれて頑張ってくれている味方がいた。泣いたけど、悲しいんじゃなくてほっとして泣いた。
終わった後カウンセラーの先生と、これまで顕在意識が優位すぎたのかもしれないねと話した。自責的な偏りのなかで考え過ぎて堂々巡りしていたようで、そういう場合は無意識・潜在意識への働きかけは効果的かもしれないとのこと。
2023年12月25日
《COOK》海苔
いつも買ってたほどよく安い海苔がなくて、近い値段の海苔を買ったら全然おいしくなくてびっくりした。質感もバサバサで色も薄い。こんなに違うのか。あまりにもおいしくないから海苔として食べず味噌汁にして、ネギとか入れて食べたほうがおいしく食べれそう。
いつも買っていた海苔は安いけど味はおいしかった…もっと高い海苔はどんな風味なのだろう。
2023年12月24日
実はわたしは寂しくはないのかもしれない。
わたしのこの不安は、寂しさからの不安ではなく、自分自身と付き合っていく自信がない、自分への信頼がいまひとつ持てていないことへの不安だと思う。誰かと関係をどうこうする以前に自分のこれをなんとかしないとどうにもならないんじゃないかという恐れから自分に「夢中に」なっているけど、自分を信頼できるようになって(?)、顔を上げたら誰もいないのは寂しいと思う気がする。
2023年12月23日
昨日今日と絵にまったく集中できない。それ以外のことはぼちぼちやっている。絵だけが遅れている。もう12月は諦めかけている。諦めて、ちょっとやるくらいの気持ちを心がけている。
昨日は調子悪く寝付けず、寝たと思ったら今一番そうなってほしい夢を見て、こんなの見ちゃったらもうどうすりゃいいのよという気持ちで昼近くに起床。家事をして水元公園にユニさんの「陶器の展示と販売」に行った。水元公園、こんないいところがあったなんて。そのあと神楽坂に行ってベローチェで少し作業して我喜屋さんの展示最終日へ。SAさんに会えたのが本当に嬉しかった。ほんとうにほんとうに、気持ちが込み上げて何も言えなかった。先にSAさん達は帰られて、そのあと打ち上げのカラオケに誘われたけどまだ心が動揺していて「すぐ帰ります」と言ったけど、結局カラオケもとても良い時間で、しっかり数時間過ごして帰った。また新しい楽しいことを経験「してしまった」と思った。更新された。「もう終わりだ」と思ったら新しい幸せなことがおきる。これから先、生きていくと、これからまたこんなふうに楽しい時間を重ねられるのだろうか。それをどう受け止めたらいいのだろう。なぜそのままに受け止められないのだろう。なぜいろんなことに負い目を抱いてしまうのだろう。
今日は4年前くらいにユニクロで買ったキャメルのコーデュロイのパンツを履いていたのだけど、カラオケに遅れて合流したHさんも同じ色のコーデュロイのパンツを履いていた。
ちょうど隣同士に座って、Hさんのパンツはわたしのよりも目が細くて上品に見えたので、どこかのよいブランドのものかなと思ったら、先にHさんが「同じですね」と声をかけてくれて「僕のユニクロなんですけどね」と言うからびっくりした。Hさんからはわたしのパンツが良い感じに見えたらしく、反対隣のYさんからもコーディネートを褒められて、もともと自分の着こなしは自分で満足していたけど、そんなに人から褒められるものでもないと思ってたから、思いがけずうれしかった。今日着ていた古着のスウェットはSさんはあまり好きではないようだったけど、当然ながら好きだと思ってくれる人もいるという当たり前のことを体験した。そういうことが最近多い。職場のトイレの全身鏡で見る自分のスタイリングは結構毎回満足しているんだけど、それは最高なことじゃないか。
2023年12月22日
薬を飲む時間が遅いのか、足元に敷いている電気毛布が暑いのか、昨日も今日もうまく寝れず下半身汗びっしょりで起きる。うまく寝られなくて何度も目が覚めて、でも寝たいのでしぶとく寝ようとして結局11時くらいに起きる。そこから洗濯などしてあっというまに午後に突入し。。
2023年12月21日
昨夜イスラエル大使館に送ったFAXをInstagramのストーリーに載せた。わたしにとってかなり勇気がいることで、ほんとうに小心者だなあと思った。けれど昨日は「どう思われてもいい」と思い、投稿した。こういうことを大切にして行動して生きたいという意思表明。自分で決める、その決定に責任を持つ。ふと、バウンダリーが少し厚くなったように感じた。こうして育てていくものなのかもしれない。翌朝たくさんのハートが返ってきて、それはとても嬉しかった。
2023年12月20日
初回2時間のカウンセリング。一週間前に受診したときは悲しみへの重い扉がぱっかり開いていて、自責の風が吹き荒れてつらい気持ちだったが、この一週間で扉は閉じた。いまは無風なので直接の痛みは感じないが、扉の向こうでは轟々と吹き荒んでいるのがわかるし、時間が経つだけで扉の向こうの問題は何一つ進展していないということに心が重い日々だった。自力で扉を開ける力もなく、ただ聞こえてくる風の音に憂鬱になっている。自分だけじゃどうにもできないとはっきり思う。自分の問題に無気力になっている、ということくらいしか話せないかもしれないと思っていたけれど、2時間のあいだに数珠つなぎでどんどんいろんなことを思い出し、めちゃめちゃ話した。あっという間に1時間経ち、次に時計を見たら(時計がわたしの背面にあるので、カウンセラーからは見えるがわたしは振り返らないと見えない)残り15分だった。
都心に出てるからデモにも行ってみようと思っていたけど、寝不足と疲労でちょっと気持ちが向かなくなっていた。とりあえずお昼ご飯食べて休憩して考えようと思ってスワンベーカリー(障がい者の自立と社会参加を支援している会社が運営しているパン屋)のイートインで食べて、テラス席しか空いておらず寒かったので食べ終わったらドトールに移動して、持ってきたMacBookでカウンセリングの記録も兼ねて日記を書いた。2時間ほどいたけどとにかく猛烈に眠くてやっぱり帰ろうと駅まで歩いたけど、でも今日みたいなタイミングの良い日は無いと思い直し、引き返して麹町まで行く。麹町のベローチェでイスラエル大使宛の要請文を書いたけど、どうやら門の下に滑り込ませる渡し方らしく、読んでもらえなかったらいやなのでファミリーマートのFAXで大使館宛に送った。大使館のほうに歩いて行くと向かいの歩道の方でデモをしていて、遠目で見たらちょっと怖く感じてしまったけど近くに行こうと横断歩道を渡って近付いたらOさんがいたのでほっとした。なにも持って来ていないわたしにOさんがA4サイズのプラカードを貸してくれた。大使館に渡す要請文をそこでも書かせてもらえることになって、紙をもらって隣の人にペンを借りて書いた。(英文で書いたが、あとから簡単な単語の綴りを間違えたことに気付く)
1時間半くらい声を上げた。帰る頃には身体が冷えて腰も痛くてへろへろな自分が恥ずかしくなった。もっとできることをしたい。それはデモとはまた違う形かもしれないとも思った。でも行けるときはデモにも行こうと思う。
2023年12月19日
ここ数日はぼーっとしているというか無気力な感じがする。過去のことも先のこともあまり考えられない。考えてひどく落ち込むことは最近ないけれど、でもそのままでは何も変わらないわけで、問題を先延ばしにしているだけなので、生きているけど停止している感じ。やること(仕事のメール返したり、対談テキストを添削したり、パソコンでやる作業など)はやるけど、やりたいはずの制作があまり進められない。後回しにしてしまう。
昨日から急に寒くなった。
《COOK》かぼちゃ小豆
からだのむくみを感じ、そして甘いものが食べたい欲もとまらないので久々につくる。いろいろ排出&食欲調整。ほっとする甘さ。
《COOK》ナスと梅干しの炊き込みご飯
河原さんのレシピで美味しそうだったので作ったけれど、わたしは物足りなかったかも…ナスの食感はおいしいが、味は無味に近かった…。河原さんの使ったナス、つやつやで美味しそうだったな…もしかして素材の差なのか?炊飯器だから?塩を抑えて梅干しを少し増やすといいのかな?オリーブオイルを入れてもいいのかも?
《COOK》ほうれん草と油揚げの味噌汁 の下準備
ほうれん草を茹でて切って冷蔵保存、長ネギも輪切りにして冷蔵保存、油揚げは大きめに切ってタッパーに入れて冷凍保存。作るときは一人分の水に鰹粉小さじ1と油揚げ入れて沸騰させ、ほうれん草と長ネギ入れて味噌溶いて火を通して完成。この下準備で数日間は毎朝一瞬で味噌汁ができます。
2023年12月18日
元同僚と晩御飯を食べにいった。お店がちょっと寒かった。最後に頼んだ温かい紅茶がとてもおいしかった。お互い2杯ずつ飲んだ。
2023年12月17日
日中ほんの少し心が落ち着いている感じのする時間があった。制作をしていた。
夜、駒込倉庫のトークイベントに行ったらMさんとRさんに会えて嬉しかった。Rさんにはなぜか緊張してしまう。Rさんを前にすると、Rさんが親戚のかっこいいお兄さんで、わたしは小学生くらいの鼻水垂らした子供のような、まごまごした気持ちになる。子供の自分とは違う、大人のお兄さんお姉さんの世界で生きていて、だけどおじさんおばさんよりは歳が近いといえば近いのでその分の親しみは抱くけど、みたいな。
予備校のときのT先生にもほんの少し近いものを感じるけど、Tさんは先生という役割的にこちらの世界に降りてきてくれるから、親しみと信頼を抱いて甘えていたと思う。それは女子校だったことで男性との関わりがほとんどなかった当時の自分には恋にも重なりそうな感情だったが、いま振り返ればあれは恋ではなく憧れ。
意識と意識のあいだのことが起きているような気がする。
2023年12月16日
岡真里さんの「緊急学習会 ガザとはなにか」講演動画を聴きながら制作をする。ガザのこと自分のこと頭のなかでぐるぐるしていてて集中しているとは言えない時間を過ごす。机の前に座っていられない気持ちで座り続ける。朝昼兼用の玄米を食べ過ぎて途中で猛烈に眠くなり、気がついたら和室で横になっていたけど、椅子に座ってしばらく寝てから和室で横になったのか、和室で横になってしばらく寝たのかがわからない。
起きている間は頭の中を石のようなものがびゅんびゅん回っている。重いそれが回ってしまうくらいの速度。速すぎてなにがぐるぐるしているのか見えない。ステッカーの図案と自分の作品を交互にちょっとずつ進める。片方が行き詰まったらもう片方を進める、その繰り返し。時間をおくとまた閃きがあって手を加えるけど、思ったほどの進展がない。
2023年12月14日
よく寝たからか、久々に日中頭がすっきりしていた。
《COOK》レンズ豆とほうれん草と大根のカレースープ
まったくおいしくない料理を作ってしまった。びっくりした。冷めるとますます気持ち悪くて食べれない。久々にはっきりと失敗した。
まずブレンダーでペーストにしたほうれん草と賽の目切りした大根の相性が悪かった。大根で水っぽくなり、ほうれん草がいやな目立ち方をする。せめてバターは入れて、少しでもベーコンを入れるべきだった。忘れてたけどにんにくやしょうがもすりおろして入れたら味の形がしっかりすると思う。大根ですべての具材がぼんやり離れてしまった。寝かせたらおいしくなるだろうか…期待できない。それか明日、追加でベーコンかソーセージを入れて煮込むか、大根をちまちま取り除くか。
弟から譲ってもらったブレンダーを今日初めて使ったのだけど、ブレンダーに申し訳なく思ってしまった。
2023年12月13日
予約した心療内科に行った。カウンセリングを併設していて、当初は投薬のみのつもりだったけど、全体的に安心感があったのでカウンセリングもここで受けてみることにした。処方もとても慎重にしてもらった。
診察前に2種類の心理テストと、カウンセラーと45分くらい話す時間があり、前回のカウンセリングでダメージを受けてしまったことを話したら、ここのカウンセリングではつらくなってもそのままでは帰らせず、そのカバーもし、最終的に来る前よりもすっきり前向きな気持ちになって帰れるようにするまでがセットという考え方で行っていると教えてくれた。
あとやっぱりカウンセリングだけでどうこうするのはハードルが高いという意見も。そもそもカウンセリングを受けられる土台を整える必要があり、そこで薬の力を借りるのはなにも悪くない。脳内の伝達物質の減少が見受けられるならそれを増加させる薬によって、本人のアンコントロールな感情の揺れが起こらないようにしていく。もちろん種類や量などは医者とカウンセラー、本人とで都度状態を確認しながら慎重に決めていく必要はあるけど、薬だからといって忌避してしまうのはもったいない。
自分はなんとなくいままで「精神」「心」に対して触れてはいけないようなイメージを持っていたけど、思い込みだったなあと思う。カウンセラーとも「小学生の頃に心理学を学べたら、子供の頃から人間関係を客観的に捉える術を身につけ、いろんなトラブルが少なくなるんじゃないかなあ」という話になった。ほんとにそう思う。両親や友人との関係でなにか違和感があったとき、その仕組みが少しでもわかれば行動は変わってくるのではないか。自分を大切にし、他者も大切にするためには、他者とどのような関係を築いていく必要があるか。特にバウンダリーについては子供の頃から本当に心身に染み込ませたほうがいいと思う。家族とも、親しい友人との間にもバウンダリーがあるということ。そこから性教育にも自然と繋げられるんじゃないか。
今日担当してくださったカウンセラーの女性は優しくてチャーミングで、自分のことを話してくれたり(自分の弱みを先に提示することで、相手を安心させるという話もカウンセラーとしたなあと思い出した)素敵な人だった。男性のカウンセラーに抵抗を感じていること自体が良くないと思っていたけど、今回やっぱり同性のほうが話しやすいと思ったし、そこで無理しないほうがいいかもしれないと思った。
自分の意思で離婚を選択できたことは良かったと思うんですと言ったらすごく褒めてくれたし、最近自分で認知の歪みが生じていると思った事象についても話したら、「その違和感に気付けているということはすごく良いことですよ」とこれも褒めてくれた。「こんなことで褒められて恥ずかしい」という気持ちと、褒められて嬉しいという気持ちのどちらもある。
最近の過食の話も少しした。これからちょっと落ち着くといいのだけど、といいながら今日は心療内科の前後にカフェに行き(最近外に長時間いるのが疲れるのか、カフェを挟んで落ち着かないと家に帰れない)、そのあとご飯も食べてしまって、まあまあ散財。
はやくいまの不調を乗り越えたい。ほんとうに元気になってちゃんと自立したい。いつまでも自分のことでうじうじ留まり続けたくない。薬が効き始めるのが2週間~4週間以降からだそうだ。うう、それまで大丈夫でいられるだろうか、いろんなことが待ってくれない。はやく大丈夫になりたい。うまく効いてほしい。
2023年12月12日
昨夜ジョジョラビット観た。スカーレット・ヨハンソンはアベンジャーズのブラックウィドウにも強く憧れたけど、今回もスカーレット・ヨハンソンの演じるロージー・ベッツラーにははっきりと心を掴まれた。ロージーにわたしも母のように抱きしめられたい、守られたい、愛されたい。一緒にベッドに入って、見守られ、お腹をぽんぽんしてもらいながら安心して寝たい。でもそれはだめだとわかっている。ロージー・ベッツラーもそんなことを望んでいない。自分がロージー・ベッツラーにならないといけない。ジョジョを愛し、靴紐が結べないならば結んであげて、エルサを守り、信念を持ち、虐げられている人々のために粘り強く闘い、おしゃれを楽しみ、常にユーモアを忘れず、目の前にいる大切な人をダンスに誘い、乗り気でないその人を誘い、音楽をかけ、ステップを踏み、抱き合って、二人で踊り、ぐるぐると、ターンする、身体を揺らす、二人で揺らす、踊る、踊る、踊る、
翌日、スカーレット・ヨハンソンについて検索したら、2014年にイスラエルに本社があるソーダストリームのコマーシャルに出演し、それによって人道支援団体の大使を辞任したことを知る。最近の情報は出てこないので、スカーレット・ヨハンソンがいまのパレスチナで行われている虐殺について、どう考えているのかはわからない。
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《自分の思い込み、思考の癖を「治さなければ」わたしは「過ち」を繰り返して「幸せ」になれない。》という思考で硬直している。いまのままでは「幸せ」になれないと、わたし自身がわたしを打ち消してしまう。過ちを犯している間はそれが「幸せ」だと錯覚し、自分を傷つけながら延命する。そしてその錯覚から覚めたら荒野。穴だらけ。自分を見ると輪郭は崩れてべちゃべちゃ。ひとの形に戻るにはどうしたらいいのか。親密な関係って?自分を「やりすごして」死んでいくのか?なんでこんなふうになっているのだろう。地盤は崩れ、過去は消え、この先も見えない。なんとかやりすごしているが、やりすごすことにも疲れた。やりすごすことも「錯覚」のようなもので、それにもう一人の自分が気付いている。「錯覚」している自分と、それを冷めた目で見ている自分がいる。距離が離れていく。分裂してしまう。まず最低限の自分のかたちの輪郭を取り戻し、それからほどよい弾力のある、厚みのある輪郭にしていきたいと思っていた。でもこの考え方もなんだかしっくりこなくなってきた。
とにかく自分が自分であることを大丈夫だと思いたいだけなのだけど、なぜこんなに難しいのか。
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2週間ごとのカウンセリングだけじゃどうにもならない気持ちになっていて、毎日なにかに「耐える」ことで精一杯で、「気の抜けなさ」を感じている。なにもしてないのに頭だけがフル回転で疲れている。アルバイトには行けてるけど、頭が疲れていて前よりも呂律が回らないことが多くなってきている。アルバイトがない日、絵を描きたいのに考えてたらもう夜になる。疲れて終わる。頑張って映画を観て、楽しかったけど頑張って遂行した、という疲労。
薬はこわい印象があってなんとなく選択肢から除外してたけど、別に怖がることはないよなと思った。肌だって薬を飲んで治療したし。頭痛薬飲んでるし。
少し前に知り合いに用事がありメッセージを送り、話のついでに最近少し調子が悪いことも伝えた。その方も長いことメンタル不調と付き合っていて、薬は自分に合う種類や量を見つけるのは大変だけど、見つけたら命綱になりますよ。お医者さんに相談してみるといいですよとのことだった。
近場の心療内科をいくつか探して予約しようとしたら、どこも初診は年内予約がいっぱいで受け付けていないとのことだった。自分が通ってた評判の良い皮膚科も1~2週間先では取れたけど、比じゃない。世の中に心が弱っている人がこんなにたくさんいることに不安になってしまった。この社会、この国…
ようやく見つけたクリニックも、行く途中の電車内でそのクリニックのWebサイトをあらためて見ていたら院長の経歴が載っていなかった。クローズドで不穏な空気を感じてキャンセルし、そのまま電車内で他のクリニックを探した。結局ほどよく空きがあり、心療内科とカウンセリングどちらもあり、全員ちゃんと経歴を載せていて、カウンセリングの料金もちゃんと提示しているところを見つけて予約した。今日の予定がなくなってもなにか展示を見て帰ったりする気も起きず、電車を降りる気も起きず、意味もなく終点まで乗った。そして復路、このままでは悲しい日になってしまうと思い、最寄り駅の一駅前で降りて本でも読もうとカフェに入った。そこで財布を持ってきていないことに気付き、カフェはモバイルSuicaで支払ったけど、保険証もお金も持たず何しに行こうとしてたんだろうと自分に引いた。
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食べるよりも排泄後に漂う臭いを感じる時のほうが生きてる感じがする。
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深夜ちょっとだけ制作できた。コラージュ。
《COOK》焼き鳥(胸肉、ネギ、にんにく)
火が強すぎたのか、前作ったときよりもパサパサになってちょっといまいちだった
《COOK》大根のみぞれスープ 植木もも子さんの「ひとり暮らしのおかずになるスープ」掲載レシピ
お腹も心も落ち着く 一生食べる気がする
2023年12月10日
悪夢。母にMさんの作品がいかに面白いかを説明するも、夢の中の母は赤の他人のような反応で全く取り合ってもらえない。母の容姿をしていて、わたしを産んだあの母に違いないのだけど、母としての親しみがほとんど感じられず、迷惑だという反応で去ろうとするので、わたしはどうしてわかってくれないのかと混乱している。自分の大切にしていることがまったく伝わらない。あんなに冷たい顔の母は見たことがない。
そのあとSさんも出てきた。Sさんは夢の中では少し距離が近かった。
うまく寝れない日が続くと不安になる。昨夜Lさんとご飯を食べた後に遅い時間にコーヒーを飲んだのはよくなかったかもしれない。しばらく夕方以降のコーヒーは飲まない。お酒もしばらく家では飲んでないけど、引き続き飲まない。そしてちょっと痩せたい。
《COOK》まるごとピーマン、干しエビ、大豆の炊き込みご飯
・ピーマン 小4つ 種とって丸ごと
・干しエビ 袋半分(10gくらい?)
・大豆の水煮 1パック
・玄米 2合
・酒 大さじ1
・塩 小さじ1
・オリーブオイル 大さじ1
・水(玄米なので気持ち2合目よりも多めに入れた)
河原希美さんの「丸ごとピーマンの炊き込みごはん」レシピを参考に、じゃこがなかったので干しエビで、最近ハマっている大豆の水煮を加えて。
玄米洗って調味料と水と干しエビ入れて軽く混ぜて、大豆とピーマンのせて炊く。炊き上がったらピーマンをしゃもじでほぐして完成。
玄米にじっくり水を吸わせたかった&干しエビの出汁を出したかったので浸水時間長めにとったら、しっかり干しエビの味が出た!くたくたのピーマンとムチッとした大豆がおいしい、じんわりと滋味深い味。塩も小さじ1がちょうどいい。オリーブオイルも効いている。見た目は地味だが素晴らしい一品。
2023年12月9日
昨日めちゃくちゃ飲んで食べて顔がぱんぱん。むくみどころではなく、太ったことを認めざるを得ない。しかし肌はつるつる。
Lさんの展示を見に田端に行き、久々にご飯も食べた。Lさんが日暮里の焼き鳥屋さんを予約してくれていた。予約しないと入れなかっただろう混み具合で、焼鳥も他の料理もとっても美味しくて、安くて、また誰かを連れて行きたい。そのあとお茶もしてたっぷり話した。
Lさんに、とても調子が良くみえると言われてびっくりした。若返った感じがするとも言われたが、それは多分太ってムチムチしてるからではないかな…。確かに一時期混乱していたご飯もいまはおいしく感じるし、料理も楽しいし、絵も描いてるし、家も整理整頓が楽しくてかなりすっきりしたし、とてもいい感じだ。しかし一方の自分はゆっくり暗い穴に落ち続けている。悪夢を引きずって現実との境目が曖昧になっている(まだ先日見た夢から、わたしは人を殺したことがあるんじゃないかという後ろめたさを抱えている)。自分の頭がおかしくなっているのを感じるし、それに自分ひとりで抗う元気が足りないのも感じる。元気なわたしと頭がおかしくなってるわたし、二人がわたしのなかにいて、分裂しかけている。
Lさんと話していると、確かに自分は「いつもの調子」で、それは暗い穴に目を向けていないから。相手、Lさんを見てるから。なぜSさんに対してだとこうできないんだろう。Sさんの気持ちを感知できない。Sさんをどっぷりと心の中にいれてしまっているのだと思う。Sさんは友人以上にもう遠い人だということを自分に分からせたい。
友人との「いつも通り」の楽しい時間を過ごしたことが幸せで、このまま暗い穴を無いものだと思いたかった。しかし穴はあるので、一瞬避けても次に気を緩めたら落ちてしまう。埋めなければほんとうには元気になれない。積み重ねられない。
2023年12月8日
夢。どうやら昔、自分はOさんKEさんHさんKBさんと、50代くらいの男性の住む屋敷に侵入し、部屋の中に証拠を残さないよう注意しながらその男性を殺し、その屋敷の庭に埋めたらしい。男性は建築家かなにかそういう職業で、私たちとの関わりまでは思い出せない。知らない人で、実際には存在しない人と屋敷。
夢の中のわたしは殺したことをすっかり忘れていて、最近その屋敷がいまInstagramで素敵なレンタルスペースとして少し注目を浴びていることを見つけて思い出した。そしてその屋敷がもうすぐ解体されるらしく、埋めた死体が掘り返されてしまうんじゃないかと思い、自首をすべきか悩んでいる。しかし、自分がどのように殺害に加担したのか、具体的な部分がよく思い出せなくて、それは「自分は殺してない」と思いたいからなのかもしれない。床に転がるその男性の後頭部を何かで殴った様な気もしないでもない。
なんで、他のみんなはひょうひょうと生きれているんだろう。わたしは人を殺したことを隠したまま生きれない。というところで目が覚めたが、しばらく夢と現実の区別がつかず、絶対にそんな経験はないのに、ほんとうに自分は忘れているだけなんじゃないか、ほんとうは人を殺してのうのうと生きているのではという気持ちが拭えない。さらに数時間ほど半覚醒のような感じで寝続けて、やっとあれは悪夢だと思えるようになったが、まだ引きずっている。
足元に電気毛布を敷いて寝ると、ずっとあったかすぎて体温調節が効かず、反対にうまく熟睡できなくて悪夢を見ている気がする。
2023年12月7日
わりと寝たのに、若干寝坊したくらいなのに、日中ずっと眠い。仕事はできるけど頭が二つあるというか、意識が二つ浮いている感じ。暗い穴に転がり始めている。昨日のカウンセリングの振り返りをしたいのに進められない。
2023年12月6日
混乱。頭がボーッとして、眼鏡を忘れて視界もぼやけていて、帰り道にマクドナルドでグラコロバーガーセット食べた。マクドナルドボイコットしてたのに。グラコロバーガーめちゃくちゃまずかった。齧ったグラタンコロッケの断面を見たら完全にグルーガンの溶けたやつだった。食べ物じゃなかった。グラタン味のゲル。気持ち悪い。最悪の未来の食べ物の姿。自傷的にコーヒーと三角チョコパイも食べた。おいしいと思ってない。胃を気持ち悪くさせ、いつのまにか帰宅していた。夜も肉がぐちゃぐちゃに盛られた弁当を食べようと買いに行ったら店が閉まっていて、家で納豆ご飯と、ほうれん草と生揚げの味噌汁を作って食べた。半日かけて未整理のまま部屋の隅に直置きしていた雑貨や昔のラフスケッチなどを整理し、収納ケースに貼る品目を書いたシールも作って貼った。誰。
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カウンセリング。
前回のカウンセリングが終わってから、だんだんカウンセラーの先生が「男性」ということに抵抗感が生まれてきてしまい、話せないかもと思ってしまった。先生からなにも悪いことをされていないのに、この2回でもとても助けられたのに。
始める前に、トラウマケアに興味があることと、自分で探した他のカウンセリングルーム(女性のカウンセラーが在籍していて場所と金銭的にも通えそうでいろんな療法をやっているところ)へ移りたい気持ちになっていることを伝えようと思ったけど、カウンセリングが始まると過去2回で話題に上らなかった(私自身があまり気に留めてなかった)範囲に道ができて、もう少しこの人に話してみたいかもしれないと思った。というか思っていたよりも自分の精神的な問題の根が深くて、一から他のカウンセラーに話す気力が起きない。
今日は言えなかったけど、ここで女性のカウンセラーに変えるのはそれこそトラウマから目を逸らしている気もした。女性に変えることで良い方向に変わるどころか、また自分の歪んだ思い込みによる選択の体験を増やしてしまうだけだと思った。このことも含めて今度伝えてみればいいのか。
EMDRについても説明してもらったけど、わたしのような場合にはあまり向かないとのことだった。頼みの綱が切れたような気持ちになった。そして、「わたしのトラウマになっている出来事はもうどうしたって乗り越えられない。何度考えてもどうしても自責の気持ちに終結する」「捉え方を変えるなんて無理なんじゃないかと思っています」と伝えて泣いてしまった。この前もちょっと涙が出たけどオンラインなので気付かれていないと思うが、今日は声が詰まってはっきり泣いてしまった。
泣き出すクライエントもまあ普通にいるだろうから、恥ずかしがらなくても良いのだよなと思いつつ、でも「また」泣いてるじゃんという情けなさもあり、でもカウンセラーはそうしていい相手なのだから構わないんだと、むしろ泣いてはいけないと自分を抑圧する方が良くないんだと、このことでも頭のなかで押し問答がある。
最近はトラウマになっている出来事を思い出すことで他の嫌な記憶も数珠繋ぎで思い出される日々で疲れた。心臓がどくどくする。
とくに最悪な思い出しは、過去に親密な関係の人から「殺される」と思ったことがあったこと。自分でもわけがわからないし、実際には全く殺されそうになってないし、殺す理由も殺される理由もないはずなのだけど、そう思ってしまった。過去二人に対してこういった気持ちを抱き、いまも一人はどこかでそうなんじゃないかと思ってしまっている。こんなこと思い出したくなかった。でも、いまそれに向き合わないとまたつらいことを繰り返してしてしまう。それだけはいやだ。
先生はカウンセリングによって「部分的育て直し」をしていきましょう、大丈夫、変えられますと言っていた。人格形成は幼少期の体験で多くは決定づけられるが、時間はかかるけど根気よく向き合えば、後から変えられることはできると。ほんとうにできるんだろうか。怪訝そうなわたしに対して、先生は「いままでと全然違うタイプの人を好きになったりするんですよ」とも言ってはくれたが、全くもって想像ができない。
あとは愛着、愛着スタイル、内的作業モデルの話。あまり振り返られていないのでまた今度に。ちょうど最近聴いているきえはる心理ラジオも次の回が愛着についてだった。
カウンセリング、また2週間先にしたけど1週間後にすればよかった。
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自分がいまどこにいるのかわからない。「ここ」にいるために必要ななにかを失ってしまったから、「ここ」と呼べない。「ここ」がないから「あっち」も「こっち」もない。ここがどこか教えてほしい。
せめてもという気持ちで日記を書いている気がする。それを公開することで、内と外とで視線を足元に集め、「ここかな?」と確認しているんだと思う。
2023年12月5日
発作のように泣く。××のことで「××」と思ったことを、なぜ××さんの前で思い出したのだろう。終わりだと思った。××のことを乗り越えられなければ自分は××しまうかもしれない。生きてても囚われる。人と親密で良好な関係を作れず××。
《制作》二人の絵ほぼ完成。時間はかかったが当初考えていたものよりもかなり良くなった。
2023年12月3日
《COOK》白菜と落とし卵の中華スープ
・白菜 好きなだけ (細く切って冷凍してた)
・卵 1個
・水200ml
・顆粒鶏がらスープ 小1
・豆豉 小2くらい 面倒だったので刻まずそのまま
・ごま油 ちょろり
小鍋に水、白菜、豆豉、顆粒鶏がらスープ入れて煮る。白菜がくたくたになったら、卵を小さい器に入れて、卵黄の膜を箸でちょんと破ってそのままレンジで40秒。それをスープにゆっくり入れて、もう一煮立ちさせて完成。仕上げにごま油をちょろり。白胡麻とかもパラっと。豆豉があるだけで一気に本格的な味、大好き。
《COOK》切り昆布と干し海老と大豆の炊き込みご飯
・切り昆布 トレー残り半分 キッチンバサミでちょっと切る
・干し海老 バサーっと
・蒸し大豆 一パック
・酒 大1
・みりん 大1
・しょうゆ 大1
・鰹粉 小2
・米 1.5合
・大麦 0.5合
米+大麦に調味料入れて、2.5合目くらいまで水入れて(大麦入れてなければ2合目まで)、具材入れて炊飯。
炊き立てよりも冷凍して翌日食べたほうが味が馴染んで大豆もムチムチした食感で美味しいと思う。明日のお弁当に。寒くなってきて炊き込みご飯ブームきてる。
2023年12月2日
夢。どこかの蔦屋書店のギャラリースペース(だけど六本木美術館のような高層階にあって外の景色が見れる一角のようなスペース)でグループ展をやることになった。参加者はTKさん、TMさん、わたし、あともう何人かいるみたい。
外のデッキには建築模型のような小さなオブジェが展示されていた。喫煙スペースと喫煙スペースまでの長い通路の部分を表したオブジェで、夢の中では××ということになってるが、実際の××はそんな場所はない。そして喫煙スペースの一角は20㎠くらいのガラスの箱で表現している。TMさんはその喫煙スペースに思い入れがあるようで、購入を悩んでいた。価格は18万。
いつのまにかTKさんもいて、三人でお茶をしている。TKさんとTMさんは夢の中では二人とも結婚していて、パートナーとの生活のお金のやりくりについて話していた。例えばどかっと大きな収入があったときは多めに負担するとか言ってた。
今度の展示について、TMさんが「50号は小さいんだなと思った」とアンケート用紙?に書いていて、わたしには50号は大きいので「おぉ」と思った。自分はどんな展示にしようと考えると、いま描いている小さな絵のシリーズじゃないと展示までに用意できないと思った。でもあの作品は個展のために描いてるから、なんだかここで出すのはもったいない気もしてしまう。かといってグループ展用にまた描くなんてことできるだろうか。そしていま自分は「大きい絵を描かなきゃ」と思ったけど、なんで大きい絵じゃないとだめなの?いいじゃん、小さい絵でも。堀尾昭子を思い出せば…くらいでもう覚醒していてじわじわと夢から覚めた。そのまま布団の中でメモ。
2023年12月1日
きえはるラジオはリスナーから届くメールを「お悩み相談」じゃなくて「質問回答」として受け取っているのがいいなと思った。寄り添うとは違うけど「応援してます」は本当。
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今日は映画の日で鑑賞料金が一律1,000円だと知り、勤務後に「首」観た。映画の前にサイゼリヤで豆の温かいサラダ、タラコとエビのドリア、ティラミス食べた。隣のテーブルに父母とまだ子供用の補助イスを使うくらいの歳の子供の3人が食べていて、わたしより先に食事を済ませて帰っていったのでふとテーブルのほうを見たら食器のなかにノンアルコールビールの缶が1缶と、ワイングラスが1つあった。置いてある場所から考えると父親がノンアルコール、母親がグラスワインを飲んでいる。それを見て、わたしがだれかと車でどこかに行って、たとえばわたしが運転して相手だけお酒を飲むというシチュエーションになったらわたしはどんな気持ちになるだろうかと思った。多分全然気にしないから飲みなよと言うと思う。おいしいご飯に少しお酒の楽しみも添えて、くらいなら楽しんでほしいと思うが、何杯も飲んで、わたしを「しらふ」に置いてけぼりにするように酔っ払ったら嫌だと思う、というようなことを考えた。
2023年11月29日
婦人科に行きピルを変えてもらう。
そのあと謎の胃痛。食中~食後にみぞおちが痛くてそろりそろり過ごす。
絵は左側を描き直し。描き直してとてもよくなった。
《COOK》切り昆布と大豆の炊き込みご飯
米にB入れて混ぜる。2合の目盛まで水を加える。A加えて普通に炊く。
Bの分量はこれだとあっさりな仕上がりで、おかずと一緒に食べるのにはいい感じ。もっとしっかりさせたければ塩小さじ1/2~1?いれてもいいかもと思った。
・米1.5合、押麦0.5合
A・切り昆布 トレー半分くらい 刻む
・大豆水煮 1パック
・にんじん 1本 銀杏切り
・乾燥しいたけ 2つ
B・しいたけの戻し汁
・酒 大さじ1
・しょうゆ 大さじ1
・みりん 大さじ1
・鰹粉 小さじ1
《COOK》焼きバナナ
半額のバナナを食べて胃が痛くなったのはバナナが腐ってたからか、こちら側の体調の問題かわからない。
いまはバナナの生食が合わないのかなとも思って、トースターで焼いてあったかくてとろとろさせて食べてる。実家にいた頃からやっている食べ方。
2023年11月28日
一昨日の帰り道、踏切越えたあたり、街灯がなくて暗く落ちている細い歩道を歩きながら、この前開けたピアスホールが安定していく仕組みと、いまの自分の心への働きかけがぴったり重なった。
身体を貫通しているチタン製のニードルは、毎日お風呂でお湯を当てながら前後に動かして清潔にする。その時以外、普段は回したり動かしてはいけない。ニードルが皮膚を支えているような状態。すぐに抜いてはいけなくて、ケアしながら6週間くらいは外さず刺したままにする。皮膚が再生し厚くなってきてやっと取れる。そうしたら他のピアスをつけてもいいけど、初めはフープとか、負担のかかるようなピアスは避けた方がいい。そして3ヶ月~半年くらいは頻繁につけ外しすると皮膚を傷つけてしまう可能性があるので、「セカンドピアス」として二つ目のピアスもある程度つけっぱなしのまま過ごしたほうがいいという意見もある。
いま自分の心にニードルを刺してる感じ。ニードルは動かしすぎてもいけないけど、動かさないと癒着しちゃうからすこし動かす。
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午前、先日購入した哲翁祐也さんの作品が届いた。初めて絵を買った。いままでは絵を描くことへのフラジャイルすぎる自意識がへんな邪魔をして買えなかったけど、油絵を描いたことでそれが解れたような気がする。
寝室にしている和室に飾り、作業机からも眺められる。女の子の顔が大きく描かれて、ビデオを回して女の子の顔をズームアップして、フレーミングされているいま、いまがずっとある。買おうと思った時、大きめに描かれた女の子の瞳(偶然黄色と水色のなにかを見ているからだと思うけど、左右それぞれ黄色と水色の色が使われていて猫のオッドアイのようにも見える)からいろんな風景を見られるような気がした。なにかが瞳に写っているように描かれているけれど、それは固定されていなくて、ずっと移り変わり続けているように感じる。今日1日でも、外からの陽の光の入り方が変わるとともに、女の子がいろんなものを見ているような気がする。女の子のぽーんとしている表情に時間を忘れる。
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夕方図書館に返却と、予約していた本を取りに行く。図書館をよく利用するようになったのは、①いまの収入に対して興味のある書籍の数が多く、購入費とのバランスがとれない&他の出費も増えた②本の所有数が増えることに空虚な自信を見出しそう③度重なる引越しの経験からあまり持ち物を増やしたくない、という3つの理由がある。あとなんとなく住んでいるこの町に関わりたい、という気持ちもある。図書館に行って、同じように本を借りたりしている人を見ると安心する。図書館の入っている市民センターの会議室から時間が合えば合唱の歌声が聴こえてきたりするのもいい。
今日は植本一子「愛は時間がかかる」を借りた。トラウマ治療について書かれているとどこかで見て気になった。もちろん植本さんとわたしで経緯も状況も全く違うのだけど、自分とも重なる部分がありそうで読んでみたかった。借りて、その足でベローチェに行って読書。そして読み終える。読めてよかったと思う。でも、一気に読んで少し気持ちが揺れているのでこれ以上は書かないでおく。
ベローチェで珍しくケーキも食べようと思い、ショーケースに並ぶいくつかのケーキからモンブランを選んだら、本の中でも植本さんがモンブランを食べていた。
《COOK》
《朝》フレンチトースト
昨夜米を炊いてないことに気付き、作り置きのレンズ豆のカレー風煮込みにあわせてバゲットを買って帰る。
今朝は包装に印刷されていたフレンチトーストのレシピを参考に、卵と豆乳、はちみつ、バニラオイルとシナモンでつくる。バナナを切って添えて、メープルシロップをかけて食べた。カフェインレスのコーヒーも用意して優雅な気分。
《昼》
・厚揚げと小松菜の味噌汁
仕上げにネギのせたらご飯が炊き上がるまでの数分間でちょうどよく火が通った。胡椒もガリッとかけてスパイシーでいいかんじ。
・納豆(納豆のたれ、からし、黒酢)、ねぎ、半熟卵、玄米
納豆にお酢を入れると少し味が散漫に感じるときがある。さっぱりしつつコクが欲しいときは黒酢を入れる。以前仕事で行った有田焼の窯元で買った小さめのお茶碗にこんもり盛って納豆丼にするのが気に入っている。
《夜》
昼食が遅かったのと、夕方モンブランを食べたし、帰宅したのが21時半でなにかをしっかり食べるには遅い。なので野菜ジュースと、小さめの玄米おにぎり(梅)を作って食べた。最近は作業机で食べるのが気分で、おにぎりは机の脇にちょっと置くのに最適。開けたての海苔がパリパリで香りも強くておいしい。
2023年11月26日
《朝、昼》
昨夜は調子が悪かった。お風呂に浸かりながらいろいろ考えると、メモができないから思いついたことも忘れてしまって、それがストレスで、熱がこもるような息苦しさを覚える。
今週は思ったほど制作が進まなかった。いちいち心の中でため息をついて、ため息疲れしている。現実はほんの少し絵が進んでいるだけ。お決まりの「こんな絵を描いたって、なんにもならないんじゃないか」という気持ちが湧き上がり、反抗するけど今日は特に弱い。
未来の予定の約束をしたり自ら提案することで、ここから「降りない」ようにしている。誰かに会うのも、展示を見るのも必要だけど、いまの自分はそれ以上にいまここでひとりで絵を描くことが必要だと思う。それを避けて外に求めても、本題から目を逸らしているだけ。
カウンセリングがしばらく週一で受けるつもりが予定が合わず2週間先になり不安になってしまっている自分がまずいと思った。それに気付いただけよかったと思うことにする。カウンセリングは換気、そしてルートを見直す場であって、解決する場ではない。ひとりの時間こそ。
《夕方》
一時期の異常な食欲が最近多少落ち着いている。生理が終わろうとするのと関係するだろうか。(ピルを飲むようになってから生理期間が伸びてる気がする。毎回10日間くらいだらだら出血が続くのはなんとかならないんだろうか。今度処方してもらうときに聞いてみる)
わりとコーヒーを頻繁に飲むことを許しているからかもしれない。お肌も調子いいし、もう当分はコーヒーくらいは許すことにした。家でも飲んでいいことにして、おいしいコーヒーを買っちゃおうかな。粉だとはやく飲まないともったいないと思ってしまうから豆で買いたい。そうするとミルが必要…。
《夜》
いまの自分が思っていることを書き出したところ、夕方からだんだんと気持ちが落ち着いてくる。制作も昨日よりは集中できた。
あとSpotifyで「きえはる心理学ラジオ」というポッドキャストを見つけて聴き始めて、とても面白い。ざっくりと心理学の歴史から始まり、第3回で早速リスナーからの相談に回答している。回答がさっぱりしていて、「優しく寄り添うお悩み相談」ではないのがいい。お二人の現在の仕事に至るまでの経緯の話も面白い。
3回まで聴いて、お二人が話していたけど、確かにいま元気になりたいけど別にポジティブな元気を目指さなくていいのだよなあと思った。ニュートラルになりたい。ニュートラルで、ポジティブもネガティブも持っている。それもそれで難しいのだけど…。「ネガティブでもいいじゃん」とあっけらかんと話していて、これまで生きてきて結構聞いてきた言葉だけど、なんだか今日はすごく響いた。
あんなに朝は絶望していたのに、またなにかを「頼りたい」気持ちでいっぱいだったのに、なんとか乗り切り、ここまで調子を戻せた自分が不思議だ。よくやった。いまはカウンセリングも2週間先でちょうどいいと思えている。頭も心も忙しない1日だったな。
《COOK》お弁当
玄米おにぎり1個(梅)つくる。
あとクリーム玄米ブラン1袋、おやつに「和菓子ミックス詰め合わせ」からさつまいも饅頭をひとつ持って行った。「和菓子ミックス詰め合わせ」、2日で食べ切った。
2023年11月25日
「今日、アートにおいて最もスリリングなことは、情報による区別です。どれほど膨大なイメージの資源があろうとその流通技術が発達しようと、イメージはそのままではイメージにはなりません。私は、イメージがそれだけですぐにイメージではないことに拘ります。区別に拘り、頭の中での反芻に拘ります。最初の感情的なショックのあとで、既視感を通して考えるのです。個人が『リアル』に経験したからといって、物事が『真実』になるわけではありません。」そうではなく、観た者をベースにして感情移入すること、描写された状況にいる我が身を想像すること、想像力を活動させることを勧めるのである。「私が目にするもの、それはまだ提供品、可能性、作り物、イメージにすぎないのです。」(P50.51)
「ミリアム・カーン 美しすぎることへの不安」収録
Chapter1 ミリアム・カーン 宣戦布告(カトリーン・ビューラー 著)
わたしの「線」「かたち」の絵は、イメージをある「かたち」に固定させる方法をとっているということ。提供するならば、限定的な固定ではなく、抽象的な固定にすること。シンディ・シャーマンのあの背景がぼやけて人が外に視線を向けている作品のような、「再現」の持つ空虚感=感情移入する隙間になる。抽象化が可能性、人に委ねる、人を誘うということ。
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TABF。今年は出店せずお客さんとして行った。11時半頃行って15時前くらいまでいた。
写真集か画集を1冊だけ買おうと思っていて、結果、Israel Arinoというスペイン出身の写真家の本を買った。「La gravetat del lloc」という写真集。残り2冊だったらしく、お会計していたら隣にいた男性も「僕も買います」と言って売り切れた。モノクロームの、深く沈んでいくような静かな写真。
写真集を買う時はその時の自分の気持ちがはっきり表れる。去年はカラッと晴れた、眩しいくらいの風景の写真集(それも出版社がスペインだったような)を買っていた。画集はあんまり気分に左右されない気がする。その他ちょこちょこ買い物。
いろんな人に会えて嬉しい。けど、油絵や「Homemaking」のことをあまりアピールしていなかったからか、数人から最近活動をしてるのか心配の言葉をかけられて、そう思われてるんだな…と思った。Aさんは最近の料理の投稿を見てくれているみたいでありがたい気持ち。YKさんからはストレートに「活動やめたのか?」と聞かれたけど、すかさず隣にいたYSさんが両手をブンブン振って全力で否定してくれたのがすごく嬉しかった。YSさんもわたしの活動はたぶん見ていないとは思うけど、見てなくても「寺本さんは絶対やめない」と思われていることが嬉しかった。頑張りたいなあと思った。
そして目の前の制作に取り組んでいると忘れかけるけど、わたしもしっかりした作品集を作りたいんだった。自費ではなくどこかから…。東京以外でも展示をしたい。来年の自分はどんな調子だろう。
2023年11月23日
朝。電車に乗りながら、ふと、最近の自分の過剰気味の被害者意識、認知の歪みが起きていたのは今年半年間ほどスナキャバで働いたことも関係しているかもしれないと思った。働いていたことをしばらく忘れていた。女の子達もボーイさんもとても良い人たちで何度も心が救われたけど、お客さんは基本的に全員ナイフを突き刺してくるから、ものすごく心をかたく守ろうとしていた。守っても刺されたが。なぜ性的な話がOKとされるのか?嫌がっても話すのか?お金を払えば断り無しに触っていいと思うのか?自分の娘がそうされていいのか?性的な話以外に「楽しい話」がないのか?性的な話以外の、お互いに楽しいと思える話ができる場としてそういうお店があるほうがよくないか?お金を払ったからといって相手の嫌がることをして、それがほんとうに楽しいことなのか?
考え続けると、もう目の前の一人の男性がどうこうじゃなくてこういう振る舞いが許されている社会、そもそもの教育とか、そういうところに思考が至って、そして絶望する。これまでの人生を大方その認識で過ごしてきた人たちの認識を変えるなんて無理なんじゃないかと思いかけた。98%くらい。100%になる前に辞めた。そう決めてしまったら心に二度と埋められない真っ暗な穴ができてしまいそうだったから。
女の子の嫌がることをせず、女の子を一人の人間として尊重し、対等にコミュニケーションをとろうとしてくれるお客さんはたったの一人だけだった。そのお客さんには女の子もボーイさんも全員が安心していて、来店すると素直に喜んでいた。いろんな話をした。その人のことは、心から出会えてよかったと思っている。
ずっと、どこかで「男の人」を怖いと思っていることを克服したかった。もちろんそれはごく一部の限定的な「男の人」で、子供の頃から少しずつ積み重なってきたもの。癇癪持ちの父から殴られかけたこと。中学か高校の時に、コンビニのコピー機を使っていたら、後ろに並んでいた「複数人」の同じくらいの歳の男の子から「死ねよ」と言われて振り返って言い返せなかったこと、露出狂に遭遇して固まったこと、電車内で座ってたら隣の人に痴漢されてちょっと睨むだけで精一杯で、逃げることしかできなかったこと、駅のエスカレーターで盗撮されて身体が固まったこと。あの逃げる背中。全部覚えてる。全員捕まえたい。アルバイト先でおじさんから「若い女だから」とめちゃくちゃに乱暴な物言いをされたこと、街を歩いていて似たような場面に遭遇したときに「その言い方はないんじゃないですか」と割って入れなかったこと。去年も竹下通りを歩いていたら後ろを歩いていた男子高校生二人組からからかわれ、振り返れなかったこと。
でも、そのためにスナキャバで働くのは違ったかも。スナキャバはこれまでのトラウマ全部を煮詰めたような場所だった。
こういうことを思い出したのも影響したのか、夜に調子を崩し、寝られなくなってこれを書いている。
明日カウンセリングだけど、前回からの一週間がものすごく長く感じる。
2023年11月22日
言葉は「手段」。手段は精査する必要があるということ。何のためにその言葉を選び、発するのか。生卵は生卵のまま渡せないから、相手によって、卵焼きにしたりスクランブルエッグにして食べてもらえるようにする。それが言葉。生卵でも受け入れてもらえる可能性があるのが絵などの表現。もっと相手が喜んでくれるような料理を提供できるようになりたい。
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実家に寄って、お寿司を食べさせてもらって、母の若い頃の話を聞いた。断片的には聞いてたが、今日初めてちゃんと聞いた。
最近のカウンセリングのことは心配させるんじゃないかと思って話さないつもりだったけど話してみた。心配させないように話せばいいと思った。そしたら前に渡した『うつくしき忘却』も読んでくれていたらしく、ぽろっと一言感想をこぼした。わたしの母として、わたしがあのように書いたことへの感想で、それはなんというか、母と私の間には距離があるということがはっきりと表れている一言で、それはわたしがいろいろ話していないからなのだけど、不思議な形ですこしショックを受けた。まったく母は悪くないし、わたしが悪いということでもないのだけど。どうしてこうなってしまったのだろうという。だから今日、ちょっと気持ちの調子が良くないこと、リハビリ中だということを隠さずに話せたことはよかった。ピアスも見せた。
隣で父はご飯を食べてうとうと寝ていたので、帰り際に今度はもっと明るい時間に来るねと伝えた。
白菜の胡麻マヨ和えのレシピ(書いてもらった。濃い水色の紙に)と、冷蔵庫を買い替えたときに貰ったという3000円の商品券と、弟が誰かから貰って使ってないBRUNOのコンパクトブレンダーと一緒に帰宅した。
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どうにかしたい。
2023年11月20日
職場の同僚が産休に入った。産休前最後の出勤でちょうどシフトが被り、日曜は業務も穏やかなので2人でいろいろおしゃべりできた。
少し前からなにかプレゼントしたいなあと考えていて、入浴剤を思いついたけど、臨月になるとお風呂事情も変わってくるのではと気づき、Googleで検索するとやはりそのようだった。あまり長湯もしてはいけないらしい。それもそうだよな…体質も変わったり、成分も人によっては合う合わないがあったり、香りもきつく感じてしまう人もいるらしい。あぶなかった。結局ノンカフェインで香りの穏やかなフレーバーティーとドライフルーツを渡した。
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これから生まれてくる赤ちゃんのことを考える。妊婦さんのことを考えると特別な気持ちになる。それはどこかで自分はそうなれないのではないかという気持ちもあるのかもしれない。妊娠し、産み、子供を育てたい気持ちがないわけではない。でもそれは一人だけで決められることではないし、いろんなことの折り合いをつけないといけないし、身体的に産めるかどうかもわからない。なによりまだ自分自身を子どもに感じる。だから妊娠や出産、子育てが「夢想」どまりなのか。
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連日ガザのひどい状況をラジオやBBCニュース、写真はInstagramでアメリカの写真家のAlessandra Sanguinettiの投稿で見ている。彼女が撮影したかつてのいまよりは「平和」な頃のパレスチナの人々の写真と、今のガザの状況(転載するかたちで)が写真や動画で見れる。病院に担ぎ込まれる様子も、怪我をして血まみれの子供たちの写真も、亡くなった方の写真も見ている。白い布に包まれて、頭部は血が滲み滴っている子供の遺体。背中に木の板を敷いて巻いているのか身体は真っ直ぐに硬直していて、その父親らしき男性が泣きながら子どもの顔をさすってキスをしていた。
昨日読んだニュースでは、燃料不足で電力の供給が止まり新生児は保育器から出さざるを得なくなり、少しでも身体を温めるためにアルミホイルを身体に巻き付けて、周りにはお湯を用意していると書かれていた。アルミホイルと湯。骨折したまま産まれた新生児もいると読んだ。そのあと新生児を抱きしめるヒジャブを被った女性の絵を描いた。
2023年11月19日
《COOK》レタスチャーハン
昨日と今日はお弁当用に朝からレタスチャーハン作った。前日にネギは切ってレタスは千切ってタッパーに入れていたのでさっと作れた。
まず胡麻油でネギを熱して、ネギの香ばしい香りがたったらレタスを入れて、油を纏わせたら溶き卵入れて、ご飯入れてぱらぱらになるように炒める。ほどよくぱらぱらになったら塩振る。
最後にご飯をフライパンの縁に寄せ、真ん中のあいたところに醤油を垂らしてジュワーとさせたあとに混ぜて完成。おにぎりにして海苔半切で巻いた。海苔とチャーハンいいかも。レタスシャキシャキでおいしい。
《COOK》レンズ豆と黒皮かぼちゃと玉ねぎのスープ
黒皮かぼちゃという宮崎産の小ぶりなかぼちゃが売ってたので買った。その場でGoogleで検索したら煮込んでもあまり味が崩れず、口に入れるとほろほろとほどけるとのこと。
圧力鍋に
・レンズ豆 1カップ
・玉ねぎ 1個 みじん切り
・かぼちゃ 半分 角切り
・にんにく 2かけら 包丁の腹で潰す
・具材が浸るくらいの水(3カップくらいだった)
・バター ひとかけら
・塩 小さじ1
・ローリエ 3枚(葉が小さかったから多めに入れた)
・胡椒ガリガリ
入れて4分加圧で自然冷却で完成。
バターとにんにくが効いてる!お肉ないけどバターでコクがある。入れなければあっさりになるけど、寒くなってきたのでこっくり濃くしたい気持ち。 バターは入れなくてもにんにくは絶対に入れたほうがいい。
レンズ豆が予想以上に水分吸ったので、スープというよりレンズ豆煮込み。これはこれでおいしいけど、スープを目指すならレンズ豆1/2カップにするか、もう少し水入れても良さそう。
数日分の晩ご飯に。
2023年11月18日
頭の両サイドの刈り上げ部分。普段はバリカンに普段6mmのアタッチメントを付けて刈っているのだけど、うっかりアタッチメントを付けずに当ててしまい、がっつり刈ってしまった。その瞬間はやってしまったと思ったけれど、両方しっかり刈ってみたら結構かっこいいと思った。強めの印象。街に遊びに行きたくなった。
2023年11月17日
昨日はカウンセリング1回目。友人に紹介してもらったカウンセラーの方で、オンラインで受けた。楽しいと思えたが、仕事終わりの夜だったこともあり、終えた後はめちゃくちゃ疲れた。メモをとりながら受けたので、終わった後は和菓子の詰め合わせをもりもり食べながら話したことを整理したり、会話で出た心理学のいくつかのキーワードをGoogle検索で調べたりしながら振り返った。
先生と話したことと自分自身で整理したことは重なる部分も多いが、自分ひとりで思い至るよりも人から伝えられるほうが自責的になりすぎない感じがする。「わたし」の話だが、「わたしの傾向」の話としてワンクッション置ける感じがする。
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去年撮影で買ったブルーグレーのラメ入りの薄くて長い靴下。自分の服装にはうまく合わせられなくてずっと閉まったままにしていたけれど、ふと思いついて黒いワンピースに合わせたらとてもいい感じで嬉しい。おしゃれな足元は自信が湧く。
《COOK》サンドイッチ(ライ麦パン、卵、マヨネーズ、レタス、チーズ)
久々に食パン買ってサンドイッチ作った。
パン2枚をトーストし(1枚はチーズをのせて)、バターを塗って卵サラダ、レタスのせ、チーズがくっついたパンで閉じる。食パンをそのままではなくトーストしてサンドイッチにするのはSさんの影響だ。
《COOK》にんじんのザブジ
instagramで知りフォローした河原希美さんの「人参のザブシ」レシピ参照。ギーを使っているみたいだが、無いのでバターで。水は入れずに初めから蓋して焼いて蒸し焼きにした。スパイスは初めはクミン(ホール)で焼き、仕上げにガラムマサラ、クミン(パウダー)、チリパウダー、スモークパプリカパウダーを適当に合わせたものをまとわせた。
にんじん甘い!焦げ目もおいしい。多めに入れたホールのクミンが、カリカリになって食感としてもよいアクセントになった。河原さんは野菜一種類のシンプルで化学調味料を使ってないところに惹かれた。化学調味料を毛嫌いしているわけじゃないけど、これまでの人生で散々化学調味料使った料理を自炊でも外食でも食べてきたから(いまも外食で気にせず食べてるし)自炊では使わない料理をしてみたいという気持ちがある。ナムルも顆粒鶏ガラスープを入れたほうがコクは出るけど、何にでも忍ばせるとベースが鶏ガラになってしまう気がしてからは使ってない。ベースは野菜にしたい。野菜以上の奥行きではなく、野菜の持つ味の幅を増やす(塩やスパイスで)ような自炊をしたい。
2023年11月16日
よく使う水彩紙には「ナチュラル」と「ホワイト」の2種類があり、わたしは少し黄色っぽい「ナチュラル」が好きで使ってるけど、なんとなく今日は「ホワイト」を使ってみたら、白が眩しすぎてなかなか落ち着かない。昼頃から描き始めて色鉛筆もなかなかしっくりこなくて失敗かもしれないと思ったけど、夕方少し光が見え、夜まで粘ったらいい感じになった。
過ぎれば楽しいと思えるが、それまではなかなか苦しい。なんとか目の前で変化するそれに自分を「うっとり」させ、自分を騙し騙し向かわせるしかない。
今日はほぼ完成まで終えられてよかった。
落書きして寝た。
《COOK》小豆カレー
小豆煮て、にんにくしょうがタマネギ炒めて、カレー粉入れて炒めて、小豆とケチャップ入れて煮詰めて完成。にんにくしょうがタマネギのシャキシャキした食感が、それはそれで悪くはないけどちょっと気になる。今度作るときは全部おろして入れてみたい。
2023年11月15日
《COOK》
・きゅうりともやしのナムル
・大根のみぞれスープ 植木もも子さんの「ひとり暮らしのおかずになるスープ」掲載レシピ
たたき梅がポイント。好きなスープ
・せせりとネギの焼き鳥
2023年11月12日
刈り上げ 手の甲に薔薇 サンダル 裸足
高架線を走る電車から一瞬見えた 地上に立つ人
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《COOK》レンズ豆と野菜たっぷりスープ
レンズ豆と家にあった野菜にカレー粉入れて煮たらものすごくおいしいスープができた。手間をかけたくなかったので炒めずにそのまま煮ただけなのに十分おいしい。油を使ってないからサラッとしてて優しい。ベーコンなくても十分おいしいと思う。さつまいもがあってよかった。レンズ豆はすぐ煮えるから使い勝手がいいなあ。
夏から続いていた料理への苦手意識は今日で結構薄れた感じがする。
・乾燥レンズ豆
・にんじん 1本おろして冷凍してた
・大根 賽の目切り
・さつまいも 賽の目切り
・ベーコン ほんの少ししかなかったのでみじん切り
・カレー粉(サン社のはひよこ豆の粉末も入ってるから少しとろみが出て使いやすい)小さじ2
・コンソメ(野菜のみの無添加)小さじ2
・ローリエ
・具材が軽く浸るくらいの水(大根の水分を考慮して少なめ)
これで圧力鍋いっぱいくらい。4分加圧で完成。
2023年11月11日
夜更けに生まれて初めて包丁を腕に当てた。いまの家に引っ越してから買った「愛」と名入れしてもらった包丁。少し前に包丁を研いだが、押し当てるくらいでは切れなかった。押し当てたままその手を引くことはしなかった。少し赤い跡ができて、風呂に入って寝て起きたら消えていた。
昼にピアスを開けた。
土曜も営業している郵便局にOさん宛の小包を出しに行く途中、小川沿いの道に出た。紅葉が始まっていた。対岸に柘榴のような赤い実をつけた木を見つけ、帰りは対岸を通って近くで見ようと思った。Google MAPに従い歩いていたら神社の参道を通ることになり、鳥居で礼をして通らせてもらい郵便局に行き、帰りに参拝した。5円玉がちょうど2枚あったので、拝殿と神社にそれぞれ1枚ずつ賽銭を入れた。七五三の日らしく、振袖を着た子供、それを囲み写真を撮る親族達で賑わっていた。
帰りに小川の対岸を柘榴らしき木に注意を払いながら歩いたが、見つけられないまま川沿いの道は終わった。
六本木にミリアム・カーンの展示を観に行った。「weinen müssen / 泣かなければ」というタイトルがどういう意味かわからなくて、Google翻訳したら「müssen は、「~しなければならない」という必要や必然を表現します」と出た。「泣かなければならない」という意味だった。
2023年11月9日
ここのところずっと自分の頭の中だけで自分の性質のことを考えていて、自分を守りたいという気持ちが強まりすぎている気がした。それはかつていろんなことを許してしまったせいで自分の大切なものを受け渡してしまったという後悔、自分の心も体も軽んじてしまったからなのだけど、最近は過敏になりすぎているような気がして、いろんなことに心がピリッとしてしまう。そしてそれをパートナーの前で爆発させ大泣きしてしまう。わたしだってパートナーに対し、これまでいろんなことでパートナーを悲しい気持ちにさせてしまったというのに、大泣きしているときは自分「だけ」が傷ついているような気持ちになって穴に落ちる。涙で穴がたぷたぷになり、穴から抜け出すと、なんでこんな穴を掘ってしまったのだろうという冷めた気持ちと、その周りにあるこれまでの穴を見渡して、死ぬまで何度これを繰り返すのだろう、繰り返したくないのにと思う。急にこれから何十年生きることが(生きれたとして)怖くなるし、これで急に死んでもそんな、と思う。絶望しはじめている。
心のどこかで、本当はもっとここまで爆発するものでもないんじゃないかという気持ちもある。数年前の最悪な経験から、段々と他人の自分に対する言動を否定的に感じることが増え、以前Twitterで(Twitter見すぎ…)「他人が自分のことを悪く思っている」と思うのは認知の歪みが生じている、みたいなツイートを読んで、最近の小さなピリッとしたことから大きくやだなあと思ったことまで、最近の自分にはこの傾向はあるんじゃないかと思った。生きてきて初めて感じる種類の恐ろしさ。
なので、もう自分の頭のなかだけでぐるぐるせず、とりあえず人に会おうと、ずっと会いたいなあと思っていたMさんに連絡し、一緒にご飯を食べた。急に誘ったので少し驚かれたが、うれしいと言ってくれた。
少し前にKさんやEさんとご飯を食べたり、タンネのイベントなどもあったので「人と会話する」が自然にできると思ってたけど、Mさんと会って話し始めたとき、楽しい・嬉しい・いろんな話がしたい聞きたい気持ちが空回りし、目の前の人と会話を「組み立てていく」という基本的なことが下手くそになり、発話も吃ったり噛んだり、頭の中がガチャガチャで混乱した。自問自答している時間が多すぎて、人とのコミュニケーションがはっきりとぎこちなくなっていた。状況に馴染んでいくとだんだんと会話も「正気」に戻っていった気がする。
楽しかった。おしゃべり。久々のなんでもない、だけど少し悩みも話してみるというおしゃべりをした。
ずっと前は普通にしてたことが「久々」だと思ってしまった。
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TwitterでJALがセールしてるというツイートが流れてきたので、往復航空券とホテルも予約して寝たら、旅行っぽい夢を見たけど忘れた。あとは知らないおじいさん(トライアスロンやってそうな細身のエネルギッシュな人)から油絵の個人授業を受ける夢も見た。もうひとつ、夢の中でカウンセリングを受けたか自分で思いついたのか、お弁当の絵を描くのがセラピーになるのではと思いながら朝目覚めたけど、意図がよく思い出せない。
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「ポエトリー アグネスの詩」観ながら晩ごはん食べた。苦しくて美しい映画だった。いろんな良いシーンがあった。主人公の女性に少し自分を重ねてしまう。
《COOK》
《朝》オートミール(オートミール、豆乳、バナナ、プルーン、素焼きかぼちゃの種、シナモンパウダー)
レーズンが無くなったのでプルーンを使ってみたら、メープルシロップかけなくても甘い。
《昼・お弁当》昨日買ったポロ(ウイグル料理。羊肉とにんじんの炊き込みご飯)、きゅうりのスライス、柿ちょっと、バナナ半分
きゅうりのスライスはカオマンガイとかによく添えられているイメージだけど、外で食べる時はあんまりそのきゅうりのことをおいしいと思ってなかった。でも今日は油が効いているポロにぴったりだと思い付き、自分で用意したのでおいしく感じた。
《夜》
・ちょっとだけ余ってた小松菜のナムルと焼き豆腐(1cm幅くらいの角切り)を、千切りにしたきゅうり、花椒と醤油で和えたもの
・レンズ豆の温かいサラダ(レンズ豆、大根、にんじん、玉ねぎ、ベーコン、オリーブオイル、マスタード、酢)
・おろしたニンジンとコンソメで炊いて、あとからベーコン混ぜたご飯(1.5合にコンソメ小さじ1だとほぼ無味…ベーコンでどうにか)
2023年11月7日
《COOK》レンズ豆のサラダ
田中菫さんの「MILKDISH」に載っていたレンズ豆のサラダがおいしそうだったのでつくる。
圧力鍋にレンズ豆とみじん切りにしたニンジン玉ねぎ、ひたひたの水を入れて3分加圧。その間にきゅうりみじん切り。角切りにしたベーコンはカリカリを目指して焼く。
ボウルにオリーブオイル、酢、マスタードでマリネ液をつくり、ベーコンを焼いて出た油も加える(だからオリーブオイルは無しか、少し入れるくらいでいいかも)。レンズ豆達はザルでお湯を切って、きゅうりとベーコンと一緒にマリネ液で和えて完成。胡椒ガリガリした。
菫さんはベビーリーフやトマトを合わせていてそれもおいしそうだった。
「ポエトリー アグネスの詩」を観ながら食べたが、1時間ほどで眠くなってしまったので途中まで。
2023年11月5日
正直に書くと、若干、ふつうに食べられなくなっている。過食傾向にあり、家にあるものをむちゃくちゃに食べてしまう。(だからすぐ食べれるようなものをあまりストックしていない)
朝ご飯のオートミール用の干しぶどうとアーモンドも、夜ご飯や昼ご飯が物足りないときポリポリ食べてしまう。というかいつも強く「物足りない」と思ってしまう。それなりに普通の量を食べているのに。昨日の夜はこれ以上食べたいという気持ちになりたくないので早めに寝た。そんなことあるか?
自炊では砂糖に加え、むくむのを避けようと塩分をなんとなく控えめにしがちで、それによって薄味→満足感低下になっていて食べ過ぎてしまっているような気もするが、そういうことじゃない気も同時にする。
肌荒れへと太ることへの恐怖から、過食傾向とはいえ最近は市販の菓子やパン、惣菜といった買おうと思えばコンビニなどですぐに買えてしまう食べ物にはほとんど手を出さないので、身体的にはかろうじて健康を保っているが(夏前より太った気はするが)、精神的には不健康だと自覚している。
外食では金銭的なブレーキが強くかかるので過食はしないが、外食の頻度は微増している(最近外出の用事が多かったこともある)。外食の場合、原材料が「見えない」ことで解放的になっている部分もある。この前ケンタッキーを食べた。でもケンタッキーもほぼ肉で、添加物的なものはあの衣くらいだろうという想像(そう、自分の想像に惑わされている)で「良いほうの食べ物」だと思っている。肉だけなら抵抗があまりない。ハンバーガーのようなパンが関わってくると抵抗が強くなる。同じ理由で最近鳥貴族に2回ほど一人で行って、ビールと焼鳥だけ食べている。ビールはいいんかい…。焼鳥もタレではなく塩。家であまり肉を使う料理をしておらず、それを外食で満たしているという側面もある。
しかし自分でなんとかしないといけないし、日々どうにか過食に抗おうとはしているから「この調子」と自分を励ます。誰か、近い悩みを抱えている人と話したい気もするけど、話して何になるんだろうとも思ってしまう。でも自分のなかに抱え込みたくないので、こうして日記に書いている。こういうことを考えながら描いたドローイングがあるけれど、それをしっかり描いたらなにか変わるだろうか。
2023年11月4日
《COOK》にんじんのナムル
にんじんを千切りにして、フライパンにごま油を熱して弱火で炒める。全体に油が馴染んだら蓋をして、ごく弱火で蒸すように炒める(甘みを引き出す)。フライパンに水滴が出てきたくらいで一度開けてかき混ぜて、また蓋をする。いい感じの柔らかさに思えたら、塩で味付けして白胡麻をまぶして完成。甘いにんじん、色がきれい。
キャロットラペも同様にオリーブオイルで炒める方法で作ってみたい。
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自分で自分の命を断つことを選ぶことはないと思う。でも、家に居る時、そうしようとする自分を想像することは時々ある。そのための具体的な道具になってしまうものがいくらでもあるから。
生きる輪郭の外、向こう側に呼ばれて、意識と意識の隙間の真空の部分が反応してしまい、真空に外側が流れ込んでくるというか、真空のかたちにそれがぴったりと満たしてしまったとき、それが自然になり、自然だからそういうことをしてしまうんじゃないかと思う。向こう側へ引き寄せられるのではなく、向こう側へつながる気流をわたしの真空が捉えてしまい、吸い込む。あの空気。横たわる祖父の、あの冷たい皮膚のにおい。向こう側のにおいをもう知っているから。
こういうことを考えるときはあんまり気持ちの調子がよくないときなので、寝てしまって一度いまを終わりにした方がいい。
2023年11月3日
数日、ぬるりと暗い気持ちが続いている。
昨夜、先月から放置していた健康診断の予約をしようと、晩ご飯を食べながらMacBookで予約サイトを見ていたら、思いの外予約枠の空きがなく、自分の予定との兼ね合いなどを考えていたら1時間くらい過ぎていて結局そのままお酒を飲んでMacBookを閉じて寝た。起きていま予約した。保険組合が負担してくれるというインフルエンザ予防接種の費用補助券も発行した。
調子が悪い時や急に気温が変わった時、服を決めるのにもものすごく時間がかかってしまう。衣類ケースの前で正座して数十分経過する。
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しばらく日記はあまり書かないようにしたほうがいいかもしれないと思った。毎日できたことできなかったことに一喜一憂し、それを日記を書くことで再認識しようとすることに少し疲れたのかもしれない。もっと長い時間感覚が必要かもしれない。料理だけは備忘録として書こうかな。
2023年11月1日
ホックニー展見た。コレクションも見た。百瀬さんの作品は新作が発表されるたびに気になっていたけどなかなか見る機会が作れてなかったので見れてよかった。近美の方のコレクションも見たい。潘逸舟の作品は去年ピラミデビルの展示で見て、今回出てた作品も好きだった。海から衣類がもたらされる瞬間。
《COOK》ミネストローネと焼き鳥
・ミネストローネ…田中菫さんの「MILKDISH」を参考に。玉ねぎ、ニンジン、セロリ、さつまいも、マッシュルーム、オリーブオイル、塩
・焼鳥(ねぎま)…鶏胸肉とネギを交互に挟んで酒と塩をまぶし、魚焼きグリルで焼く。簡単でおいしい
2023年10月29日《COOK》
《朝》
・納豆ご飯(卵)
《昼》お弁当
・ごはんサンド(切り干し大根のナムル、卵焼き、たたき梅)
・レーズン
《夜》
・納豆ご飯(ニラ、卵黄)
・豚の粗挽き肉の肉団子とニンジン(ピーラーでひらひらにして冷凍してた)の中華スープ
2023年10月28日
「あざみ野コンテンポラリーvol.14 長谷川繁 1989-」に行ったらちょうど長谷川さんご本人が会場にいて、学芸員や他のお客さんと話していた。一通り見た後に会場内の椅子に座ってパンフレットを読んでたら、一緒に行ったSさんが小走りで来て、いま長谷川さんからお話聞けるから一緒に、と声をかけてもらう。それからいくつかSさんが質問し長谷川さんがそれに答えるかたちで、わたしもお話をきかせてもらった。長谷川さんはとてもとても物腰柔らかくチャーミングな方で、展示作品がそれぞれどういう時期に描かれたか、順を追ってとても丁寧に教えてくださった。一人の絵描きの人生にどっぷり感じ入ってしまい、こういうときにとっさに質問ができない。だけど最後にSさんがわたしを「寺本さん。作家で、絵を描いている…」と紹介してくれたら長谷川さんの顔がぱあっと明るくなって、わたしを見て「絵描きですか?」と尋ねてくれた。わたしは「もともと鉛筆と墨で描いていたけれど、ここ数ヶ月で初めて油絵を描いていて、まだ何を描くとか以前の、絵の具で遊んでいるような状態なんです」と言ったら、「油絵は難しいよね」と。そして長谷川さんが、かつての西洋絵画への憧れと、それを乗り越えなければいけなかったという話をされていたので、わたしは油絵自体が憧れのような存在になってしまっているので、いつか乗り越えたいですというような事を伝えた。長谷川さんは美学校で教えているらしく、私たちに遊びに来てくださいと言ってくれた。そしてわたしに「絵を見せてください」と言ってくれて、それは絵を描いている人にかける言葉でそれ以上でもそれ以下でもない、そのままの意味なのだけど、とても嬉しかった。
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長谷川さんの話を聞いて、あらためてわたしがなぜ受注されて描くイラストレーションから気持ちが離れているかも考えさせられる。イラストレーションは美術史のような西洋主体の共通認識とされるものがないから、作家それぞれのルーツや何をレファレンスにしてるかなどはいちいち問われないし重要ともされていない。そもそも商業イラストレーションの目的は広告だから、いかにいまのムードに合わせながらちょっとした意外性、驚きを織り交ぜ「その時代にとって」新鮮なイメージを作れるかが必要とされていて(だからリバイバル的なものも抵抗なく受容される)、一言で言えば「軽やかにムードを捉える」という感じがする。
そしてわたしはその軽やかさに不安を覚えてしまった。軽やかと軽薄は違うけど、最近世の中のいろんなことが軽薄に向かっていて、お手軽にインスタントに浅い欲望を満たす、みたいなことばかりでよくわからなくなってしまった。消費を促され続けることにも促す側に回ることにも距離を置きたいという気持ちになってしまって、デパート、商業施設、特に山手線のような映像広告がたくさんある場所が苦手になっている。そして広告の絵を描く=その広告の責任を持つということだから、最近は責任が持てないと思う仕事は受けられなくなってしまった。しかしこれは単純にすべてを内在化させすぎている自分の精神的な問題なような気もしている。イラストレーション=広告とした場合、広告でない、独立したイラストレーションってなんだろう。そしてわたしは。
自分の絵がどこにルーツがあるか、そしていままさに自分はどういった影響(社会的状況・個人的体験)を受けているか、自覚的になり、考えるのは面白い。だけどその「考える」が必要とされておらず、絵の表れを「個性」とし利用していくのが商業イラストレーションという世界。
描いた結果「絵がある」のではなはく、「絵の表れを振る舞う」ことが必要とされるのがイラストレーターでイラストレーション。良い悪いではなく、それが性質としてあると思う。
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帰りに小学校中~高学年くらいの男の子が父親と電車に乗ってきた。発車まで10分ほどあり、車内は空いていて、席もまだまだたくさん空いている。男の子はブランケットをマントみたいに身体に巻いて、「ねえ、ママは?ママは戻ってくる?」と父親に話しかけている。父親の返事は聞こえないけれど、そこまで気に留めていない様子。「ねえねえお腹すいた」くらいのいなし方をしている。しかし男の子はしきりに「ねえママどこなの?迷子になってない?ねえママは?ママはどこ?」と問いかけ続けているので、聞いてるといろんなことを想像してしまう。ほかの乗客達もおそらく各々怪訝、不安、心配な気持ちになっていたと思う。いよいよ男の子の「ねえママは?」が泣きそうな声になってきたと思ったら、急にその男の子がわたしの目の前の席に座り、何事もないような顔をしている。そしてその隣にはキャップを被りスターバックスの紙袋の下げた女性が座ろうとしている。男の子は「ママ!」と泣きつくこともなく、ただただ普通になにかを話しかけていた。母親もとくになんでもない様子。今のはなんだったんだと思っていたら2駅乗り過ごしてしまった。
2023年10月26日
パリに旅行する夢を見た。なぜか高校の同級生のYとの二人旅で、パリで落ちあう約束をしていた。約束の時間まで一人で初めてのパリを歩いたけれど、夢の中のパリもお土産屋などの並びは日本の観光地とさほど変わりなかった。小さな商店に入ると日用雑貨などが並んでいる。外箱がベコベコのティッシュが一箱ずつ売られていたり、1Lくらいのレモンフレーバーのミネラルウォーターは日本円換算で800円越えしてて、缶ビールは日本と変わり無いくらいだったので、これはビールを飲むよなあと思った。何も買わずに出た。
中心街から外れて歩いていくと(浅草で言えば浅草寺周辺を離れて奥浅草のほうへ歩いてみる感覚)小さな児童遊園で消防士たちが休憩していて、これも日本と変わりないなあと思った。そしてまた中心街へ戻る途中にYから国際電話がかかってきて(なぜか国際電話は通常の着信よりもバイブレーションがもたっとしているという違いがあった)嫌な予感はしたけれど、案の定寝坊して飛行機間に合わなかったという電話だった。フランス語は当然わからないし英語も全然できないのに海外一人旅になってしまって急に怖くなったけど、気楽さも感じて、さあどう過ごそうかなというところで起床。パリ行きたい。
2023年10月25日
昨日今日は部屋の掃除など。コラージュの素材も整理して、コラージュセットができた。
夜は××まで歩いてサイゼリヤに行き、「Homemaking」の企画が始まった直後にOさんに共有してもらって読んだアイリス・マリオン・ヤングの文章をまた読み直しつつ、初めてサイゼリヤでワインを飲んだ。小さいデカンタを2回頼んだ。青豆、辛味チキン、タラコとエビのドリアを食べた。辛味チキンは「スキップとローファー」でゆづちゃんが食べていてわたしも食べてみたかったから。隣の席の人がエスカルゴを頼んでいて、そういえば「ひらやすみ」でも、阿佐ヶ谷のサイゼリヤで登場人物達がエスカルゴ食べていたなあと思い出す。
(以前の日記は気が向いたら順次再掲します)
・納豆ご飯(卵)
《昼》お弁当
・ごはんサンド(切り干し大根のナムル、卵焼き、たたき梅)
・レーズン
《夜》
・納豆ご飯(ニラ、卵黄)
・豚の粗挽き肉の肉団子とニンジン(ピーラーでひらひらにして冷凍してた)の中華スープ
2023年10月28日
「あざみ野コンテンポラリーvol.14 長谷川繁 1989-」に行ったらちょうど長谷川さんご本人が会場にいて、学芸員や他のお客さんと話していた。一通り見た後に会場内の椅子に座ってパンフレットを読んでたら、一緒に行ったSさんが小走りで来て、いま長谷川さんからお話聞けるから一緒に、と声をかけてもらう。それからいくつかSさんが質問し長谷川さんがそれに答えるかたちで、わたしもお話をきかせてもらった。長谷川さんはとてもとても物腰柔らかくチャーミングな方で、展示作品がそれぞれどういう時期に描かれたか、順を追ってとても丁寧に教えてくださった。一人の絵描きの人生にどっぷり感じ入ってしまい、こういうときにとっさに質問ができない。だけど最後にSさんがわたしを「寺本さん。作家で、絵を描いている…」と紹介してくれたら長谷川さんの顔がぱあっと明るくなって、わたしを見て「絵描きですか?」と尋ねてくれた。わたしは「もともと鉛筆と墨で描いていたけれど、ここ数ヶ月で初めて油絵を描いていて、まだ何を描くとか以前の、絵の具で遊んでいるような状態なんです」と言ったら、「油絵は難しいよね」と。そして長谷川さんが、かつての西洋絵画への憧れと、それを乗り越えなければいけなかったという話をされていたので、わたしは油絵自体が憧れのような存在になってしまっているので、いつか乗り越えたいですというような事を伝えた。長谷川さんは美学校で教えているらしく、私たちに遊びに来てくださいと言ってくれた。そしてわたしに「絵を見せてください」と言ってくれて、それは絵を描いている人にかける言葉でそれ以上でもそれ以下でもない、そのままの意味なのだけど、とても嬉しかった。
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長谷川さんの話を聞いて、あらためてわたしがなぜ受注されて描くイラストレーションから気持ちが離れているかも考えさせられる。イラストレーションは美術史のような西洋主体の共通認識とされるものがないから、作家それぞれのルーツや何をレファレンスにしてるかなどはいちいち問われないし重要ともされていない。そもそも商業イラストレーションの目的は広告だから、いかにいまのムードに合わせながらちょっとした意外性、驚きを織り交ぜ「その時代にとって」新鮮なイメージを作れるかが必要とされていて(だからリバイバル的なものも抵抗なく受容される)、一言で言えば「軽やかにムードを捉える」という感じがする。
そしてわたしはその軽やかさに不安を覚えてしまった。軽やかと軽薄は違うけど、最近世の中のいろんなことが軽薄に向かっていて、お手軽にインスタントに浅い欲望を満たす、みたいなことばかりでよくわからなくなってしまった。消費を促され続けることにも促す側に回ることにも距離を置きたいという気持ちになってしまって、デパート、商業施設、特に山手線のような映像広告がたくさんある場所が苦手になっている。そして広告の絵を描く=その広告の責任を持つということだから、最近は責任が持てないと思う仕事は受けられなくなってしまった。しかしこれは単純にすべてを内在化させすぎている自分の精神的な問題なような気もしている。イラストレーション=広告とした場合、広告でない、独立したイラストレーションってなんだろう。そしてわたしは。
自分の絵がどこにルーツがあるか、そしていままさに自分はどういった影響(社会的状況・個人的体験)を受けているか、自覚的になり、考えるのは面白い。だけどその「考える」が必要とされておらず、絵の表れを「個性」とし利用していくのが商業イラストレーションという世界。
描いた結果「絵がある」のではなはく、「絵の表れを振る舞う」ことが必要とされるのがイラストレーターでイラストレーション。良い悪いではなく、それが性質としてあると思う。
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帰りに小学校中~高学年くらいの男の子が父親と電車に乗ってきた。発車まで10分ほどあり、車内は空いていて、席もまだまだたくさん空いている。男の子はブランケットをマントみたいに身体に巻いて、「ねえ、ママは?ママは戻ってくる?」と父親に話しかけている。父親の返事は聞こえないけれど、そこまで気に留めていない様子。「ねえねえお腹すいた」くらいのいなし方をしている。しかし男の子はしきりに「ねえママどこなの?迷子になってない?ねえママは?ママはどこ?」と問いかけ続けているので、聞いてるといろんなことを想像してしまう。ほかの乗客達もおそらく各々怪訝、不安、心配な気持ちになっていたと思う。いよいよ男の子の「ねえママは?」が泣きそうな声になってきたと思ったら、急にその男の子がわたしの目の前の席に座り、何事もないような顔をしている。そしてその隣にはキャップを被りスターバックスの紙袋の下げた女性が座ろうとしている。男の子は「ママ!」と泣きつくこともなく、ただただ普通になにかを話しかけていた。母親もとくになんでもない様子。今のはなんだったんだと思っていたら2駅乗り過ごしてしまった。
2023年10月26日
パリに旅行する夢を見た。なぜか高校の同級生のYとの二人旅で、パリで落ちあう約束をしていた。約束の時間まで一人で初めてのパリを歩いたけれど、夢の中のパリもお土産屋などの並びは日本の観光地とさほど変わりなかった。小さな商店に入ると日用雑貨などが並んでいる。外箱がベコベコのティッシュが一箱ずつ売られていたり、1Lくらいのレモンフレーバーのミネラルウォーターは日本円換算で800円越えしてて、缶ビールは日本と変わり無いくらいだったので、これはビールを飲むよなあと思った。何も買わずに出た。
中心街から外れて歩いていくと(浅草で言えば浅草寺周辺を離れて奥浅草のほうへ歩いてみる感覚)小さな児童遊園で消防士たちが休憩していて、これも日本と変わりないなあと思った。そしてまた中心街へ戻る途中にYから国際電話がかかってきて(なぜか国際電話は通常の着信よりもバイブレーションがもたっとしているという違いがあった)嫌な予感はしたけれど、案の定寝坊して飛行機間に合わなかったという電話だった。フランス語は当然わからないし英語も全然できないのに海外一人旅になってしまって急に怖くなったけど、気楽さも感じて、さあどう過ごそうかなというところで起床。パリ行きたい。
2023年10月25日
昨日今日は部屋の掃除など。コラージュの素材も整理して、コラージュセットができた。
夜は××まで歩いてサイゼリヤに行き、「Homemaking」の企画が始まった直後にOさんに共有してもらって読んだアイリス・マリオン・ヤングの文章をまた読み直しつつ、初めてサイゼリヤでワインを飲んだ。小さいデカンタを2回頼んだ。青豆、辛味チキン、タラコとエビのドリアを食べた。辛味チキンは「スキップとローファー」でゆづちゃんが食べていてわたしも食べてみたかったから。隣の席の人がエスカルゴを頼んでいて、そういえば「ひらやすみ」でも、阿佐ヶ谷のサイゼリヤで登場人物達がエスカルゴ食べていたなあと思い出す。
(以前の日記は気が向いたら順次再掲します)